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意識のハードプロブレムの答え40

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0001時計 ◆1z400PXZnw
垢版 |
2024/02/04(日) 10:40:17.680
1の考え。

客観はある種の主観である。
脳神経系を含む客体は主観を精緻に表現=代表したものである。

他者の意識は存在しない。
仮に存在すれば、それは主体の意識の内側に存在する。

他者の意識と呼ばれるものは他者の声である。
それを他者の意識のように思うのは主体にとって声は極めて意識的であるからである。

あらゆる主観は客観化可能である。
例えば、クオリアは立ち止まりとして客観化可能である。

根源では主/客の関係は消失する。
例えば、どこかで雷が鳴ったとする。
その雷は独立性の高い形式での私である。

語り得ないことは語り得ないと語り得る。

無は無い。

意識のハードプロブレムの答え39
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1704062362/
0841考える名無しさん
垢版 |
2024/03/10(日) 01:16:22.300
>>832
同意した箇所の次から
・「「現実とは何かか?」と文学で問いましょう」
→まだ理解されていないようだから言わなければならないが『現実とは文学や非文学を問わない、意識や神や世界、非現実等々を含んだ総体』である。非現実的であり文学的な哲学の「信仰」のゲームとは、それに気づかず進行するゲームである。哲学(文学)とはすればするほど現実から遊離して象牙の塔と化すのである。哲学と現実のゲームの違いはこれである。
0842考える名無しさん
垢版 |
2024/03/10(日) 01:32:32.560
意識のハードプロブレムは無意味な問題である。文学中毒が陥る悪質な「信仰」でしかない。単なる「言葉」である「意識」を崇めるのをやめればまた別の「信仰」を始めるのである。こうした思想は全くの無意味なものである。現実から遊離した信仰は非現実的であるだけで現実的では一切ないからだ。全てがが現実的だったことを忘れてしまった愚者である。「意識」を所与のものにするのは油の凝り固まった不純物を崇めるようなものである。文学に陥る全ての者が解放されなければならない。
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