>>843
「現実とは何か」であるという文学だけでなく「意識とは何か」も文学的な質問であるが、それ自体ではただの文学趣味である。「何か」に解離されない限りただの信仰であり、現実的ではない。意識のハードプロブレムも文学を共有するものの間で「意識」を所与のものとして崇めるだけであり、それが解体されず「何かが即ち意識なのか?」という解離へ戻らないなら足元をすくわれる無意味な文学であり象牙の塔である。