「意識不明の重体」…ニュースでよく聞かれる定型文であるという語りの本質は情報である、ところが
それは「意識」がない最悪の状態である。しかし、いずれにしろこうしたものは語り方の都合の良さや有用性の問題であり、本質は文学である。
などと恣意的に都合よく主観で解釈してしまい、自分の意識を客観的に扱えない問題こそ本質なのだよ。

なぜならその状態は「神的な第三者が肉体を操っていない状態」であるとも別の世界観では説明できるからだ。「意識」を崇拝して「神」を見下すものは、偶然的に神を崇める世界観のある時代と国に生まれなかっただけであり、そんな人間がもし「神」を崇拝する時代に生まれればどうなっているかは明白である。「語り方・文学」が変われば存在するものも変わる。それだけのことである。

などというどうでもいい話にすり替わるのが常なのだ。