>>41
世界がどのような仕組みのものなのか、前提として、最終的な答えはわかりません。
ただ、とりあえずながら印象があります。
しかもそこには一貫性がある気がします。

まず、とりあえず「自分」なるものがある気がします。
あるいは「自分」は幻想かもしれません。
しかし印象として、とにかくこの世界には「自分」と「自分以外」とがある気がします。
例えば私は色や音を体験しています。そして私以外の人も色や音を体験している印象を受けます。そして他者の体験には永久に到達できない印象があります。「自分以外」というのは、「自分」が永久に到達できない領域のことです。

さて、私は漠然と「自分」なるものがどのようにして成立したのかに関心を持ちます。
そしてそれは「自分以外」が関わっているという印象を持ちます。「自分」だけで完結できる印象がないのです。あるいは世界は私が成立する前から成立していた印象があったりもするわけです。

すると次に「自分以外」とはどのような仕組みで成り立っているのかという疑問を持ちます。
さらにはそれが成り立っている仕組みには、一貫した構造があるのだろうという印象があります。それは、たまたまではなく、そのようになるべくしてなったのだろうということです。

あるいは言い方を変えると、「主観」は「主観以外」によって成立しているのだろうということです。
ただ「主観以外」が必ずしも「客観」とは限らない、「間主観」というものもある、と私は考えます。
ただしこの場合の「客観」は「間主観」ではない、どの視点でもない視点のことのつもりです。

そしてそのような「客観」は架空というのが私の印象です。