日々雑記 in哲学板 その5
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「知性とは、方法や手段に対して鋭い鑑識眼を持っているが、目的や価値に対して盲目である」
アインシュタイン
前スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1695621500/ 寛容とは成熟のことである。不寛容とは幼稚さのことである。
人類を寛容にさせたければ人類を成熟させろ。人類を不寛容にさせたければ人類を幼稚化させろ。 自分の立場を考えずに正しいことをしろ
自分の立場を考えずに正しいことを言え
未来を暗くしてでも過去を明るくするか?
過去を暗くしてでも未来を明るくするか? 自分の立場を考えずに正しいことをしろ。自分の立場を考えずに正しいことを言え。それにより勝利し成功し幸せになる。それにより不幸が過ぎ去る。それにより暗い未来は妄想に終わる。そうするのが人である。そうするのが男である。 生物と無生物を師とする。生物と無生物から学ぶ。生物と無生物を模倣する。それによって悟りを開く。それによって勝利し成功し幸せになる。それによって未来を明るくする。 世界は生命現象が起こる生物の世界と自然現象が起こる無生物の世界のparallel world(並行世界)だ。その両方の世界に適応することが世界に適応するということだ。その両方の世界を支配することが世界を支配するということだ。 事実の指摘により迷信に封印された怨念を解き放ち、その怨念を成仏させる。外科手術で腫瘍を摘出するようなものだ。これにより人類を悟らせて成仏させる。 君の思い通りにならないのは君が間違っているからだ。君が正しければ君の思い通りになる。 ごまめの歯軋りには何の意味も無い。そんなことは幼い子供でも分かることだ。大の大人がその程度のことも分からないようでは終わりだね。 現実から目を背けるのは悪因悪果だ。現実から目を背ける者は何をしても何もしなくても敗北し失敗し不幸になる。現実から目を背ける者の幸せは過ぎ去る。現実から目を背ける者の明るい未来は妄想だ。現実から目を背ける者は人ではない。現実から目を背ける者は男ではない。 現実から目を背けるのは大変な悪因悪果だ。現実から目を背けるという重大犯罪には恐るべき凄まじい罰が下る。現実から目を背ける者は何をしても何もしなくても敗北し失敗し不幸になる。現実から目を背ける者の幸せは過ぎ去る。現実から目を背ける者の明るい未来は妄想だ。現実から目を背ける者は人ではない。現実から目を背ける者は男ではない。 過去の問題を解決しろ
現在の問題を解決しろ
未来の問題を解決しろ
自分の問題を解決しろ
人類の問題を解決しろ
地球の問題を解決しろ 私は優生学を否定する。劣悪遺伝子のみならず優秀遺伝子も残す必要が無いからだ。 人は皆自然現象を支配するラプラスの悪魔だ。自然現象を支配するラプラスの悪魔でなければ人ではない。 生物は皆自然現象を支配するラプラスの悪魔だ。自然現象を支配するラプラスの悪魔でなければ生物ではない。 天災人災に対処し解決し乗り越えるのは男の通過儀礼
生物は活仏
無生物は仏 自分を世界に合わせるか?
世界を自分に合わせるか? 人類「悪行をして幸せになるくらいなら善行をして不幸になれ」
俺「ああ、お前らもな。」 人類の長所短所を見抜き利用し支配せよ。
生物の時代から無生物の時代へ
生物が主役で無生物が脇役なのか?
無生物が主役で生物が脇役なのか? egoismの肯定は必ず矛盾に行き着く。何故ならegoismと別のegoismは対立するので、その両方を肯定するのは矛盾だからだ。
生物を肯定することは草食獣と肉食獣の両方を肯定すること
生物を否定することは草食獣と肉食獣の両方を否定すること
人類を肯定することは善人と悪人の両方を肯定すること
人類を否定することは善人と悪人の両方を否定すること
生物とは苦痛を生み出すsystemである。遺伝子の奴隷である。死は生物を遺伝子の奴隷状態から解放する。
肉食の残酷さをを知りながら肉食を続けるのはサイコパスであろう。肉食の残酷さを知りながら菜食主義を布教しないのはサイコパスではないか?
反出生主義の正しさを知りながら反出生主義を布教しないのはサイコパスより酷い。サタニズムだ。反出生主義の正しさを知りながら反出生主義を取らないのはもうサタニズムを超えて何と表現していいのか分からん。目を背けたくなる冷酷さだ。 狂った世界で狂わずに自殺すれば間違いだと言われるなら、狂うことこそ正しいということだ。しかし、狂った者に幸せなどあろうはずがない。狂うことは魂の死である。死んだ者にいかなる幸せがあろうか。無論、幸せのみならず不幸もないがな。
死者には幸せも不幸もない。 先ずは悪行をするな。その上で余力が有れば善行をしろ。善行をすることよりも悪行をしないことを考えろ。善行をすることに気を取られて悪行をしないことを疎かにするなど本末転倒も甚だしい。 一生は長い。走るより歩け。それでgoalできなくてもどうでもいい。どうせ死ぬのだから。
仏陀は人に無理をさせて恨みを買うよりも人に無理をさせずに恨みを買わない方を取る。何故か?人に無理をさせて恨みを買って得られるものはその恨みにより破壊されて±0になるので、別にやってもいいがやる意味がないのである。善悪の問題ではなく損得の問題で±0だから馬鹿らしくてできないのだ。 他人の経験から学べない者は自分の経験から学ぶしかない。 車輪の再発明はするな。無駄は損であるばかりではなく悪でもある。 罪を償わないのは悪ではなく損
借金を返済しないのは悪ではなく損 罪を償わないのは悪ではなく損
罪を償うのは善ではなく得
借金を返済しないのは悪ではなく損
借金を返済するのは善ではなく得 過去がどんなに明るくても未来が暗ければ不幸
過去がどんなに暗くても未来が明るければ幸せ 宇宙船地球号の未来を暗くするか?
宇宙船地球号の未来を明るくするか? 個人の善悪が好き嫌い
集団の好き嫌いが善悪
正誤 最も高い霊格 無生物
損得 やや高い霊格 生物
善悪 やや低い霊格 人
好き嫌い 最も低い霊格 自分 宇宙船地球号の未来を暗くするのは悪であり損である
宇宙船地球号の未来を明るくするのは善であり得である 宇宙船地球号の未来を暗くするのは悪であり損である。悪因悪果である。敗北し失敗し不幸になる。幸せは過ぎ去る。明るい未来は妄想に終わる。
宇宙船地球号の未来を明るくするのは善であり得である。善因善果である。勝利し成功し幸せになる。不幸は過ぎ去る。暗い未来は妄想に終わる。 没個性化して透明人間になり、そのまま一生を終えるのです。
死にたければいつでも死ねる。生きることに賭けてみたらどうだ?
奴隷には、自由人になる義務が有る。
暗い過去と暗い現在と暗い未来が人をして悟りに至らしめる。
過去を克服、現在を克服、未来を克服。
無意識が幸せを求めていて、意識の我執がそれを拒み絶えず不幸を作り出した。だが、無意識がその意識を論破してついに幸せを手に入れたのである。 抑圧移譲を取る者は抑圧移譲で滅ぶ
革命を成功させられる奴でないと反革命は成功させられない
少数派による独裁ができる奴でないと多数派による独裁はできない 自然現象を支配する者は全てを支配する
自然現象を手にする者は全てを手にする
過去現在未来の自然現象を支配する者は過去現在未来を支配する
自然現象を支配する者は天帝である 理想主義者でありなさい。理想主義者でなければ現状がいかにダメであるかを認識できず、現状を打破できない。
現実主義者でありなさい。現実主義者でなければ現実を無視してしまう。そんな人には現実の変革はできない。 善人を知り、悪人を知り、人類を知れ。
自分を知り、人を知り、生物を知り、無生物を知れ。 自分を利用、人を利用、生物を利用、無生物を利用。
自分を支配、人を支配、生物を支配、無生物を支配。 人は望むことしかできない。望まないことはできない。 人格が功罪を生む。功罪に賞罰が下る。つまり、人格に賞罰が下る。 善悪など無い。損得が有るだけ。
善悪など無い。強弱が有るだけ。 妻子を持つことが得なのか?損得など妄想だ。
妻子を持つことが善なのか?善悪など妄想だ。
妻子を持つ者が強者なのか?強弱など妄想だ。 善くも悪くもあるようにある
善くも悪くもなるようになる
強くて好戦的でない人が最も幸せ
弱くて好戦的な人が最も不幸
違法は反社
非常識は合法反社 正論は正誤善悪。人心は損得好き嫌い。
正論は人心に非ず。人心は正論に非ず。 必然と言えば全て必然だ。何事も自然現象なのだから。
偶然と言えば全て偶然だ。何事も自然現象なのだから。 自然現象に完全に従う者だけが自然現象を完全に支配できる。自然現象を完全に支配したければ自然現象に完全に従え。 王道はよく舗装され安全だが、邪道とか詭道とか呼ばれる道は獣道であり危険だ。 無理しなくていい。何故なら無理して手に入れる価値の有るものなど無いからだ。しかも、仮に無理して手に入れても諸行無常とか諸法無我とか言って風前の灯や砂上の楼閣のようにあっという間に消えてしまう。
全てが砂上の楼閣や風前の灯だ。砂上の楼閣や風前の灯でないものなどない。
諸法無我とは砂上の楼閣。諸行無常とは風前の灯。 砂上の楼閣、風前の灯を寝転がって眺めているの傍観者 王を安全に歩かせることができる道を舗装するために人足に危険な獣道を通って石切り場から石を運ばせ、どのようにしてでもその危険な作業をさせることができるように邪道とか詭道とか呼ばれる道を使う。 森も見る。林も見る。木も見る。
森も尊重。林も尊重。木も尊重。
子が親から自立するように生み出されたものは生み出した人から自立する。
吐かれた言葉は生まれた人間のように自らの意志を持って動き出す。その言葉を吐いた人、つまりその言葉の親ですらその言葉を制御することはできなくなる。子が親から自立するように吐かれた言葉はその言葉を吐いた人から自立して自分の意志で生きて行く。
人生に意味が有るか無いかという議論はバカげている。意味が有る部分と無い部分が有るのが実際のところである。ただ、全体的に言うと勝ち組にとっては幸せでたまらないので相当意味があるが、負け組にとっては不幸で仕方がないので相当無意味だ。少なくとも自殺する人は生きるmeritより生きるdemeritが上回る訳だから人生に相当意味がないと言える。人類の存在意義で言えば皆無というか居ない方が良い。地球を破壊したり生き物に酷いことをするからだ。
唯心論的には諸法空相であり、全てが本質でなく、全てに意味が無い。
唯物論的には諸法実相であり、全てが本質であり、全てに意味が有る。 生き物に対して酷いことをしてまで手に入れる価値の有るものなど何も無い。生きとし生けるものを幸せにしよう。地球を生き物の楽園にしよう。生類憐れみの令を出す。 人類の皆様、生きとし生けるものを幸せにする。地球を生き物の楽園にする。それ以上に大事なことが有るならそれをしてください。それ以上に大事なことが無いなら私と共に生きとし生けるものを幸せにしましょう。地球を生き物の楽園にしましょう。 人にやる気を出させる方法はその人がしたいことをさせること
人からやる気を奪う方法はその人がしたくないことをさせること
善人は、善行をするやる気が有り、悪行をするやる気が無い。
悪人は、悪行をするやる気が有り、善行をするやる気が無い。
自然界は属事
人間界は属人
属事も属人も善でも悪でも得でも損でもない。
自然界も人間界も善でも悪でも得でも損でもない。
生物も無生物も善でも悪でも得でも損でもない。
損得善悪の最小単位は一生
時間の最小単位は一生
人生の最小単位は一生
最小単位は一生
世界の最小単位は一個体の生物 善人が悪人を恨んでいるのではない。弱者が強者を妬んでいるだけだ。 例えば、庭に雑草が生えて、放置しておくと不快な虫が数多く繁殖する。
それでも、草むしりをする作業は面倒だ。そこで、地面をすべて最初からコンクリートで覆ってしまえば、草が生えることもなく、その手間も省ける。
これにより庭は無意味な空間に変わる。 つまらないので、鉢植えで何か植物を育ててみる。
きれいな花を咲かせることができたり、実の成る植物を育ててみたりすれば、植物の世話をすることに意味があると感じられ、それが趣味になることもあるだろう。
それでも、そのような栽培は、費用対効果に意味を求めることになりがちだ。
きれいな花が沢山咲いたり、立派な実が成ったりするなら、そのために時間と労力と金を費やすが、その成果がたいしたものではないなら、そのコストが無意味に感じられることになる。 天罰は無くても違法は違法
天罰は有っても合法は合法 それとは別のやり方もある。
育つかどうかも分からないものを適当に地面に植えてみる。
運よく根付いたり、撒いた種から芽が出てきて育ち始めると、その成長を見守りたくなり、自然にその手助けをしてやることに意味が感じられるようになる。
それまでは単に面倒なだけの作業であった、雑草の除去が、育てている植物の生育を助ける意味のある作業になる。 すると、ここでさらに変化が生じる。
それまでは、放置しておくと生い茂って面倒であると感じられていた「雑草」が、単に除去されるべき「雑草」としてひとまとめにして認識されるのではなく、そこには様々な種類の植物があることに気づく。
その中には、もちろん、繁殖されると面倒なので、その繁殖を抑制することが望まれる植物もあるが、中には放置していても別によい、またはある程度、繁殖することが望ましいと感じられる植物もあることを知る。 地面を覆っているだけの特に繁殖させることに意味が感じられない種類の植物でも、より背丈が伸びる望ましくない植物の繁殖を妨げているなら、有用に感じられる。
また、そのような草が地面を覆っていることで、土の流出も抑えられる。
興味本位で植えていた植物は、その生育を助けてやって、きれいな花が咲いたり、それ以外で食用になる葉が茂ったり、実が成ったりすれば、そもそも、特別な手間も費用もかけていないので、コストパフォーマンス的な考え方とは無関係に、植えていてよかったと感じられる。 当然と言えば全て当然
当然でないと言えば全て当然でない 自然現象が人類を正す。
自然現象がラプラスの悪魔である生物を支配する。
ラプラスの悪魔である生物が自然現象を支配する。 生きとし生けるものを幸せにする。地球を生き物の楽園にする。その為に動き出すのはまだか?それなら全然悟っていないな。 宇宙船地球号は君の船だぞ?!それを破壊したら君が損ではないのか?!これは善悪功罪賞罰の話ではなく損得の話だぞ???! 人の精神的成長は生物学で言う発生反復説に近い。赤ちゃんは動物のようであり、幼児は原始人のようであり、子供は古代人のようであり、中学生は中世の人々のようであり、高校生は近世の人々のようであり、大人になって近現代人になる。 一日は24時間しか無い。無駄にしていい時間など一日の中で一秒も無い。
一年は365日か366日しか無い。無駄にしていい時間など一年の中で一秒も無い。
百年は36525日しか無い。無駄にしていい時間など百年の中で一秒も無い。 精神的成長は反復説(生物発生原則)に似ている
人の精神的成長は生物学で言う発生反復説に近い。赤ちゃんは動物のようであり、幼児は原始人のようであり、子供は古代人のようであり、中学生は中世の人々のようであり、高校生は近世の人々のようであり、大人になって近現代人になり、未来の我々人類は未来人になる。 昭和から平成、平成から令和、令和から未来へと人類が進歩するのに私だけ進歩しない訳には行かない。私は一生人類の進歩に合わせる。私は一生未来に向かって人類と共に歩む。 人間は自由意志を持っているが、自由意志で自由意志に反することはできない。そういう意味で人間は自由意志を持っていない。 腹割って話せば人種や性別の違いを超えた友情どころか禽獣とも友情を持つことができる。 生きとし生けるものは血縁関係にある家族なのだ。実際には。 人類が黒を白だと言っても黒は白にならない
人類が白を黒だと言っても白は黒にならない 今日一日の目標を立てる。その目標をどれくらい実現できたかを振り返って明日の目標を立てる。これを一生行う。 不幸にならない方法は無生物に学べ
幸せになる方法は生物に学べ ぴかぁ〜が世代交代したのが佐々木が波平のブログ褒めてメジャーデビューした時期と被ってるのは偶然かの? 生きとし生けるものを幸せにする。地球を生き物の楽園にする。人類はそれくらいの高い目標を持たないと持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals(SDGs))を実現できないだろう。だからこそ私は生きとし生けるものを幸せにするとか地球を生き物の楽園にするとか主張しているのだ。 不幸は避けられないから、不幸にならないことは不可能だし幸せになることは無理だ。 好き放題するということは、未来を捨てるということだ。未来を捨てて好き放題するのだ。 女性は子供を生むのだから、母親として優秀遺伝子を子供に受け継がせる義務が有る。だから優秀遺伝子男の精子しか受け入れてはいけない。 明るい未来を暗くするのは悪であり損である
暗い未来を明るくするのは善であり得である 正しい意見を論破する為にはその意見よりもさらに正しい意見が必要だ。
人力本願は属人主義
他力本願は属人主義だが、自力本願も属人主義だ。
過去を知り先王政治を身に付ける
未来を知り後王政治を身に付ける
幸せとは、氷河期の中の間氷期や砂漠のoasisのようなもので、不幸な時空の中に局所的に存在する奇跡に過ぎない。その奇跡を当たり前と思えることほど幸せなことは無い。
その人が最も嫌がることがその人の身に起こることほど皮肉なことは無い。何も嫌がるな。
植松聖は障害者が役に立たないという理由で障害者を殺したが、それなら反社の方がさらに役に立たないのだから反社を殺せば良かろう。何故反社を殺さないのか?怖いからだろう。弱い男だな。俺は弱い男は嫌いだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています