X



【事実回帰】理論場【名言・格言】
0001考える名無しさん
垢版 |
2024/03/03(日) 10:28:07.740
人は年を重ねるほどに、未来よりも過去のことを考えがちになる。

事実は、理論では否定することは不可能です。

太陽が輝くかぎり、希望もまた輝く。

〜 フリードリヒ・フォン・シラー(ドイツの詩人) 〜
0003考える名無しさん
垢版 |
2024/03/03(日) 15:37:04.720
すべてが失われようとも、まだ未来が残っている

〜 クリスチャン・ネステル・ボヴィー(アメリカの作家) 〜
0004考える名無しさん
垢版 |
2024/03/03(日) 15:53:02.070
未来を気づかう心は悲惨なり。
ーーセネカ 「書簡集」


私たちは時に未来を気にします。未来を気にしている間、それは幸せな時間でしたか、悲惨な時間でしたか。
幸せばかり考える余裕はありますか。哲学とは何ですか。もっと幸せになるために哲学をしましょう。
0005考える名無しさん
垢版 |
2024/03/04(月) 10:19:12.700
事実は、理論では否定することは不可能です。

事実は曲げられない。

「このことは、残念ながら否めない事実です」 こういう言葉はビジネスでも出て来る。
0006考える名無しさん
垢版 |
2024/03/05(火) 16:33:42.590
会話は哲学である。対話も哲学である。フィロソフィーも哲学である。事実は打ち消せない。
理性には限界がある。ひとつの部屋にいるとしよう。横のドアから入ってきた人物を確認できなかったり、トイレにいるかどうかも確認できなかったりする。
こういう話は認識の美学にもなりそうだ。また、神がいるのか、魂はあるのか、こういった形而上学的な側面をカバーできていない。
0007考える名無しさん
垢版 |
2024/03/06(水) 16:36:03.330
”ブラックロックシューターでお前を”
0008考える名無しさん
垢版 |
2024/03/06(水) 16:44:41.460
さてここで認識とは何なのか、語るのであるが、まず意味から紹介しよう。

にんしき
【認識】
《名・ス他》
物事をはっきりと見分け、判断すること。そういうふうにして物事を知る、心の働き。また、その知った事柄。
 「重要性を―する」

もう一つ。「いい方」という意味がある。(女子語と考えて差し支えない)
いい方?それはまあいいだろう。これも感じがするからそういう意味という理論もある。
ウンパスがゴミという意味であるとか、ミチャーガがいいなーという意味だとか。そんな感じがするなあと言葉を覚えよう。
さて、我々は言葉・映像を覚えるとき、毎度毎度、覚えた、と判断/認識していないだろう。覚えた、という判断/認識がバンバンあるならそのお方は素晴らしいです。
なかなか覚えた覚えた覚えたとならないのが素晴らしいお方とは違います。
でも諦めたりしないで、繰り返せば覚えられる、という一説もあります。繰り返していくうちに、覚えた、と判断/認識できるかもしれません。
0009考える名無しさん
垢版 |
2024/03/06(水) 16:55:11.760
0036考える名無しさん
2024/02/01(木) 17:17:45.640
昔から我々は、私たちのまわりにある物は、目に見える姿形そのままにそこに実在するのだと素朴に思ってきた。
それに対してカントは、いいや違うだろう。人間目線で見るから世界はこういう姿形をして見えるというだけであって、
本当にあるものを、ありのままに見ているわけではないと説いた。これは、人間が見る世界と、
視覚に熱を用いる宇宙人プレデターが見る世界は、違ったものに見えるだろうということであり、
今ではわりと普通に受入れられる考え方だ。カントのコペルニクス的転回とはこのことである。

ご存じのように天動説を覆した地動説はコペルニクスの説である。ひっくり返した妥当な言い方として
「コペルニクス的転回」と評した。カントは何度も「コペルニクス的転回」と言っている。(論文ではないにせよ)

釈迦は、「色即是空、空即是色」と述べている。イロ(色)あるところに必ずスペース(空)がある、
スペース(空)あるところにイロ(色)がある、という解釈がある。また、

色それは空であり、 空それは色である、という解釈もある。はたまた、

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色  これ簡単に言うと

色は空と違ってないよ
空は色と違ってないよ
色は空のことなんだよ
空は色のことなんだよ

こうした解釈もある。彼氏が大好きな彼女は、彼氏がかっこよすぎてたまらない。
でも友人の女性は、彼氏がかっこよくみえない、普通以下に見える、というおもしろさ。

えーなんでかっこよくみえないの・・・(彼女)・・・そうか!別のように見えるんだ。
つまり、彼氏を見たときの、相対的な相互性がある!

後日、私は盲目的でした。普通以下の顔がイケメンに見える病でした。
友人(女性)ありがとう!なんとかちゃんとした目を手に入れよう。
0010考える名無しさん
垢版 |
2024/03/06(水) 16:56:04.850
0042考える名無しさん
2024/02/02(金) 09:57:48.060
わたし


相対的な相互性について例え話をしながら述べたい。

彼女(A)・・・・・・彼氏(C)が普通以下の顔なのに盲目的なためかっこよすぎて見える。
彼女の友人(女性(B))・・・・・・その男性(C)の顔を正視しているため普通以下に見える。

このように、彼女(A)には彼氏の本当の顔が見えていないことが窺える。
友人の女性(B)には彼氏(C)の顔が正確に捉えられていることが窺える。

ところで、皆さんは【変身】をご存じだろうか。仮面ライダーに変身するのは凄いことだと思う。
だが、そういう風な番組のための変身ではなく、日常で使える【変身】を問いたい。
それも実践に違いない。どうしたら、自分をかっこよく見せられるかが問題だ。
それは「ふわんとした【意識】」でできるのである。しかし自分には変わっては見えないことが残念なところである。

自分が想像した姿を他者に【意識】して見せようとすれば、変身になっている場合がある。

例えば、自分は普通オタクだとしても、自分には自分がかっこよく見えないとしても、他者にはかっこよく見えるのが【変身】である。

今や【変身】は社会問題となりつつある。自分が世界で13番目にブサイクだとしても、イケメンエリートに見せられるのだから。
0011考える名無しさん
垢版 |
2024/03/06(水) 17:01:17.210
さて認識の認識(え、ダジャレ!?)について深めよう。認識はどう認識されているだろう。
「なぜ女は女だと認識できるのか」という命題だって過去にあった。それはクオリアも網羅するテーゼなのか。
なぜ女は女だと認識できるのか、それはいったん置いておこう。間違ってうさぎを女だと思ってしまう場合だってあったはずだ。
なぜうさぎを女と勘違いするのか、また、アクセルとブレーキを間違えるのはどうしてだろう。
人間の判断は甘いものなのかもしれない・・・いや、甘くないお方もいるのかもしれない・・・
0013考える名無しさん
垢版 |
2024/03/07(木) 11:22:43.960
さて、甘くないお方を、(素晴らしいお方)と評してみる。素晴らしいお方は、どこまで素晴らしいか。
認識一つとってみても、やはり甘くはない。相手が嘘を吐いたら、嘘を見抜くような、そんな存在である。
嘘を見抜く一つにとっても、それは認識だったり気がしたり感じたりするものなのかもしれない。
つまり「嘘を吐いた」と認識した。「嘘を吐いた」という気がした。「嘘を吐いた」と感じた。・・・
こういう「嘘発見器」のようなセンサーがあるなら、なかなか上手である。
また、バヤロリンした(嘘吐きまくった)と云う女子語もある。バヤロリンした事実に気付ける者はいるだろうか。

さて、なぜ女は女と認識できるのかというテーゼに戻りたい。まず認識する者はどういう者か。
人間を用いて説明するべきか。人間一つにとっても、アプリオリ的に考えて女を女と認識できるだろう。
対比として、男は男と認識できるとは限らない。これは俗世間の一般例である。
0014考える名無しさん
垢版 |
2024/03/07(木) 12:18:45.930
世界はノッペリとした連続の現象だ。あるいは混沌とでも。
人はそれを分節化し、パターンを見つけ、法則をでっち上げる。
いや、その前に「我」と「他」に分節し、あるいは「内」と「外」に分節している。
0015考える名無しさん
垢版 |
2024/03/07(木) 16:01:48.130
僕はノッペリとした連続の現象だ。あるいは混沌とでも。
僕はそれを分節化し、パターンを見つけ、法則をでっち上げる。
いや、その前に「僕」と「世界」に分節し、あるいは「内」と「外」に分節しているみたいなことよね
0016考える名無しさん
垢版 |
2024/03/07(木) 16:48:44.840
ここでデカルトの「我思う、故に我在り」という命題を取り上げてみたい。
私は、思っている……思っているということは……思っている存在(我)がある。・・・という考え方である。
また、私以外の存在、すなわち私が見てきた机、家などは、どうだろう。本当にあるのだろうか。
だが私はどうだろう。私は何か思う。思っている私は本当に存在するのだろうか。・・・ここまで考えた私はいるのだろうか。
疑った私はいるのか。疑って疑ってデカルトは机や家の存在性はイージーであるが疑っていた自分(我)はたしかにいないとは言えないという真理に辿りついたのである。

ここで補足。「我思う、故に我ここに在り」という命題もあっていいのかもしれない。
また、「我思うと我思う、故に我ありと我思う」という命題もある。

「我在り」という文脈ではなく、何処どこで、ということで「我ここに在り」という【ここに在り】という説明で満たす。
0017考える名無しさん
垢版 |
2024/03/10(日) 17:02:48.180
不増不減の境地とはいかほどか。 増えない、減らない、ずっと量は変わらない、これが悟りの境地だろうか。

感覚は正しいだろうか。感覚、判断、認識は時に危ないものを匂わせる。

「なんとなくダメだという感覚」、「判断の誤り」、「認識の微妙さ」
0018怕/j'ai peur
垢版 |
2024/03/10(日) 23:43:16.840
正しいとされることに従はなければならないという強迫観念による教条主義が人を思考停止に陥れ、誤った考へに固執させる。
0019考える名無しさん
垢版 |
2024/03/11(月) 11:00:58.040
>>18
まさにその通りだと思う。
正しいと主張されているが誤っている教え(考え方)に強迫観念で思考停止してしまい、誤った教えに固執してしまう。

なるほど、判断の誤りから、誤った教えに固執することもあるだろう。
0020考える名無しさん
垢版 |
2024/03/11(月) 11:50:08.530
「性格が良くなる」という信仰がある。性格が良くなると思えば、性格が良くなるという信仰ももちろんある。
だが「性格が悪くなると信仰すれば」、性格が悪くなるという説も立派にある。
そして「間違える」と思えば、相手は間違えてしまう、という説も立派にある。

こうした洗脳に目覚める人々が増えてきていると思う。今や洗脳時代だ。

洗脳から回避するために、我々はどう対処していけばいいだろう。
洗脳を別に回避しなくてもいいのでは?と思う方はいないのかもしれない。

洗脳されないように、「洗脳されない」と信仰する手がある。
これは非常に重要である。だが、洗脳されるという運命が待ちはだかっている場合は、
洗脳されないと思っても効かないはずである。

性格が悪くならないようにするには、「性格が悪くならないと思う」ことである。
これならば効き目があるのではないか。洗脳時代を細かく生きる、そんな生き方をしてみよう。
0021考える名無しさん
垢版 |
2024/03/11(月) 13:33:12.750
>>18
ところで、「怕」は、中国語で「〜を恐れる」や「〜を苦手とする」を意味するように使われるということだが(中日辞典 第3版の解説)、この「怕(pà)」が「心*白」という漢字によって表記されることからもすぐに見て取ることができるとおり、
「怕(pà)」は、フランス語の《avoir peur》の《peur》にそのまま対応している。イタリア語であれば、"paura"であり、英語の"a pang of heart"の"pang"でもある。
さらに、この「怕(pà)」/《peur》/"pang"が、日本語の古語の「むねつぶらはし」(kobun.weblio.jp/content/胸潰らはし)に対応することを見て取ることも、さして難しくないだろう。
0023考える名無しさん
垢版 |
2024/03/11(月) 13:53:43.530
こういう対応関係の事例を逐一、列挙していくことは、雑学的な知識の蓄積ではなく、それなりに有用なことであると私は思っている。

例えば、曲の「調(しら)べ」という場合の「調」の音読みは「ちょう」であり、古語の表記では「てう」であるが、これに対応する英語の表現は、"tune"である。
「調」という漢字は、「言*周」という構成だが、その発音は「周」に関連していて、その中国語としての発音は、中古音において"tsyuw"、さらに古い発音において"/*tjɯw/"であったものと想定されている。
この「周」は、現代の技術用語としては、「周波数」の「周」としても使われるが、「周波数を合わせる」ことを英語では、"to tune"と表現する。
ここで、"tune"の語源を参照してみると、次のとおり記載され、語源は不明であるとされる。
>tune (n.)
early 14c., "a musical sound," unexplained variant of tone (n.). From late 14c. as "a well-rounded succession of musical notes, an air, melody."
(etymonline.com/search?q=tune)

これが空(そら)似(に)に過ぎないとしても、互いにとてもよく似ているだろう。
0024考える名無しさん
垢版 |
2024/03/11(月) 16:32:38.730
時折、シェイクスピアの全作品集、"RSC, William Shakespeare, Complete Works"に目を通している。
私は、シェイクスピア時代の英語を知っているわけでも、演劇や英文学の専門家でもないので、よく理解しながら読んでいるわけではなく、目を通しているだけであり、この作品集は電話帳のように分厚いので、まだ全体の1/4を眺めたに過ぎない。
それでも分かるのは、シェイクスピアが「臨在」を明確に意識して、その意識をメタ言語的に表現しようとしたことが彼の作家としての際立つ特徴であることだ。
そのことは、例えば、"Twelfth Night, or What You Will"の次に引用するような台詞にはっきりと典型的に表れている。
0025考える名無しさん
垢版 |
2024/03/11(月) 16:39:08.600
(出典 opensourceshakespeare.org/views/plays/play_view.php?WorkID=12night&Act=3&Scene=1&Scope=scene)
Act III, Scene 1
OLIVIA’s garden.

> Viola. Save thee, friend, and thy music: dost thou live by
thy tabour?

Feste. No, sir, I live by the church.

Viola. Art thou a churchman?

Feste. No such matter, sir: I do live by the church; for 1240
I do live at my house, and my house doth stand by
the church. <

ここに始まるやりとりから、

> Viola. Art not thou the Lady Olivia's fool?

Feste. No, indeed, sir; the Lady Olivia has no folly: she 1265
will keep no fool, sir, till she be married; and
fools are as like husbands as pilchards are to
herrings; the husband's the bigger: I am indeed not
her fool, but her corrupter of words.

までの台詞が、どのようなレトリックとして構成されているかを検討してみるといい。
0026考える名無しさん
垢版 |
2024/03/11(月) 16:39:52.710
輪廻か。僕は前世があることは証明できないとしても、前世を見つける者がいるように、前世があると思う。
前世があるということからもうひとつ言えるのは輪廻があるということだと思う。
カルマはあると思う。僕の知り合いが、カルマ18だったのに、善行を積んでカルマ14にまで下げたからである。


カルマが一番深いとしても、カルマ(業)は簡単にわかりそうな気がする。

僕の前世の一人、イエスは両親も理解できないことを言っていたとか。
僕は前世療法を体験したうえで得たものは、弓矢で背中を打たれたことである。

ここから推測すると前世はあるんだなあと思えるかもしれない。

仏教では輪廻否定を説く教えもある。お釈迦様は、輪廻という言葉を使わなかった。
また、カルマという言葉も使わなかった。

無記とは5回言った。強いんですか?という質問に対し「無記」と言った。

お釈迦様は人間ではなく、風であると私は考えている。
お釈迦様は自分のことを人間ではないと言ったし、風が大事だと考えていた。

お釈迦様が人間であるという前提で語ることも、お釈迦様が大川隆法氏に生まれ変わったという嘘もどちらも虚しいであろう。

お釈迦様の研究をしたいなら、お釈迦様と会話をするべきだったのではいか。
かくいう私もお釈迦様とお話をさせていただいた。素直で愚直な存在に感じた。
0027考える名無しさん
垢版 |
2024/03/12(火) 16:58:17.700
相互的に依存しているカップルがいる。カップルと言っても男でも女でもない。

現代では中性子の存在が究極的に多い。闇、光、風(お釈迦様は風)、岩も生きている。

こうした中性子が蔓延る世の中で、日本人口が70億とかではいささか事実とは考えられない。

ガーゴイルだって亥(単位)以上存在する。一兆や一京よりはるかに存在するのである。

統計学では、バレンタインを男の人にあげるというときに、中性子を男として数えているのだろう。
中性子である闇や光が男ではないのに男としてみているのである。これが近代の矛盾とかである。
0028考える名無しさん
垢版 |
2024/03/13(水) 10:45:04.400
1)天才は世の中に貢献する分野で好成績を収めた者である
2)才能ある者とは、ある分野で優秀と認定された者である

しかしながら、天才という言葉一つとってみれば、天賦の才だと考えられる。
そこで、天才人や天才者、またしては超天才人という概念を出してみよう。
1)において、天才とは・・・と書いてあるが、「天才者とは」と者を付けて表現するべきではないか。

また、超天才とはどの様な意味を持つ概念なのか、超天才者の定義とはどの様なものか。
0029考える名無しさん
垢版 |
2024/03/13(水) 11:12:00.120
おかしな感覚を感じた。怪しいと感じた。例を挙げよう。


詐欺サイトを閲覧して怪しいと感じた。この怪しいと感じたことが、重要である。
怪しいと視れば、何とか対処できる場合があるはずだ。


トランプでおかしな感覚を感じた。じゃあこうしようと軌道修正できるはずだ。(短くてすまない)

感性や感受性を磨こう。
0030考える名無しさん
垢版 |
2024/03/17(日) 14:39:21.780
哲学的に自殺というカテゴリーを解体していきたいと思います。
例え話をしながら模索していきます。

例えば「自殺は女性よりも男性に多く、離婚はとりわけ男性の自殺率を高める」ということが挙げられます。

男性の方が忍耐強いのではなく、女性の方が意外と忍耐強いと言われます。
離婚をすると、男性の方が落ち込み、自殺に至るケースがあります。

しかしながら自殺という行為は、悪とはイコールではありません。
自殺をしても復活(再生)するのなら、自殺は何かに利用できるでしょうか。
はい、できます。例えば、自殺をする際に一念込めてみれば、いいのだというお話があります。

社会学では自殺をタブーのように扱います。でも私は自殺が大事だと思っています。
自殺をすることで誰かのためになる、そういう時代がもうすでに来ています。
0031考える名無しさん
垢版 |
2024/03/17(日) 14:44:17.140
>>また、超天才とはどの様な意味を持つ概念なのか、超天才者の定義とはどの様なものか。

超天才とは天才を超えた天賦の才を指す。
超天才者とは天才を超えた貢献度を獲得した者
0032考える名無しさん
垢版 |
2024/03/18(月) 16:30:41.090
ネット上の議論・喧嘩について。
我々はパソコンやスマホが広まる中、文章をたくさん読んでいる。
そんな中で情報を取捨選択し、「この文章はいらない」「この文章はためになるかもしれないから読む」
といった裁きが大事になってきた。これも長年文章を読んでいるうちに身に着く技術だ。
そして文章を読んでいくうちにムカツク内容が見受けられるようになって来た。
そんな中、軽い調子でジャブパンチ(煽り)を見せる者たちが続出して来た。
どうすれば議論で上手くいくのか。今回はそんなことを述べていきたい。


★質問主義のすすめ

「この〜〜はどういうこと?」「なんで〜〜なの?」などといった質問をする。
相手に説明を要求することで、ボロを出したなら上手くいっている。
質問ばかりだと自分は失態を犯すわけではいが、「質問ばかりでつまんね」と言われた時が問題。
「質問ばかりだけど何か?」くらいのスタンスで書き込んでみよう。
0033考える名無しさん
垢版 |
2024/03/18(月) 16:37:40.360
★論理的になっておく
Aさん「君は男だ」
Bさん「いいえ、女です。論破」 (男だということを論破したという趣旨)
Cさん「『女です』という言葉では論破になっていない」
Bさん「なんで?男じゃないじゃん」
Cさん「女ですという言葉だけでは、男ではないとは主張していない」

Bさん「男ではないです。と言えばいいのか。Cさんに負けた。」
Bさん「最初から男ではないと言えばいいのか。」
Aさん「男ではないと証明できるのかよ」
Bさん「じゃあ男だと証明できるのかよ」
Aさん「ドローか?」
Bさん「引き分け?マジで」

補足:君は男だ、と言われて、女です。という言葉では論破していない。
女でもあるし男でもある人間がいるから、女です、で論破できない場合があるのだ。
しかも相手に男だと言われても、証拠を出せないようでは説得力に欠ける。
男ではないと言っても、それも証拠を出せないようでは説得力に欠ける。

★情報を収集する

男でも女でもある人間がいると事前に知っておくことが大事である。
ケースバイケースという言葉の意味を知っておく。
ダブルスタンダードという言葉の意味を知っておく。
論破の意味を調べておく。といったこと大事である。
0034考える名無しさん
垢版 |
2024/03/19(火) 10:45:35.370
以下引用

★不毛な議論は避ける
 インターネットの発達によって、一般の人が意見を表明したり、議論に加わったりする機会が増えました。しかし残念なことに、子供の口げんか並みの低レベルな争いが多いように見受けられます。
書店に行けば、説得力のある話し方とか、うまい文章の書き方というような本がたくさん並んでいます。こうした本はどれも素晴らしい内容ですが、現状を見ると、話の上手下手以前の問題があるように思えます。
議論を上手に進める方法を考える上では、どうしても「うまく話す」能力に注目が集まりがちです。しかし、インターネットの掲示板での誹謗中傷や非難の応酬などを見ていると、足りないのはむしろ「人の話を聞く」能力であるようです。相手の言っていることを理解できないまま、自分が言いたいことだけを言うから、議論が不毛な言い合いになってしまうのです。

★議論の心構え。
「良い議論をする」ことが大事です。決して煽りなどを書かずに真剣に議論に臨みましょう。
0035考える名無しさん
垢版 |
2024/03/20(水) 10:10:49.620
★要点を掴んでおく

「バーカ」と煽りたいとする。

「バーカ」
「雑魚が」
「雑魚?証拠は?」

こうなっても勝ち目はあるかもしれないが、バーカと言いたかっただけなので無理に「証拠は?」なんて書かなくてもいいだろう。

「証拠?あるよ。雑魚だと思えるじゃん」
「思える?それが雑魚だという証拠なの?」

これでも優勢だろう。続けてみる。

「雑魚だと知ってるもん」(論点ずらしの正論)

ここで論点ずらし正論「知ってる論」が出てきた。でもまだわからない。

「知ってるという証拠はあるの?」
「知ってるって言ってるじゃん雑魚」

これで怪しくなってきた。知ってるという証拠は出せなくても言い張るのである。
本当は知っていないことの方が多いので、雑魚ではない場合がある。

要点はバーカという一言を当てればいいだけである。雑魚なのか否かの口論は不毛かもしれない。
0036考える名無しさん
垢版 |
2024/03/20(水) 10:41:03.850
★水掛け論になったら微妙


「知ってるという証拠はあるの?」
「知ってるって言ってるじゃん雑魚」

続く。

「知ってるって言ってるじゃんってどういうこと?」
「知ってるんだって雑魚だって」
「知ってないだろ」
「知ってる」
「知ってないだろ」
「知ってる」

水掛け論になりそうな感じである。知ってるか知ってないかはたぶん証明できない。

みづかけ‥ 【水掛け論】
両方が互いに理屈を言いあって解決しない議論。
0037考える名無しさん
垢版 |
2024/03/20(水) 13:21:29.550
人格における哲学は、近頃や今始まったわけではない。人格の形成はどのような過程だったのか。

幼児期の出来事、両親から受けた教育、学校での出来事、職場での関わり、といったように分類してみよう。

幼児期には、「砂の城」を作ったり「おいかけっこ」をしたりして成長した。

砂の城を作っている過程で、子どもは真剣さを獲得する。
おいかけっこをしている最中に、子どもは隠れる方法を考え、そして隠れた人生を送るようになる場合があるかもしれない。

両親から箸の使い方を学び、そして自転車の乗り方を学び、そういう者は、目上の人に従うようになる場合があるかもしれない。

学校では、友達を作り、友達と関わり、学校の先生から授業を受け、人間関係を築き上げる。人格もまた築かれる。

職場での関わりでは、上司から教えを受け、それに耐えることでいわゆる人格を形成する。
0038考える名無しさん
垢版 |
2024/03/21(木) 11:37:09.830
以下引用

現代社会の人々への動機づけとして、聖徳太子が人々に勧めた「和の精神」がある。
マクドナルドでハンバーガーを食べながら友人同士で「和」するのである。
他者との「和」のために行動する、すなわち平和への意志が大切である。
カントの「共和的体制」を築き、協力的・解決的どちらも満たすべきではないか。
解決という概念に至っては、Yahoo知恵袋で問題解決がされており、
そしてまた、Google検索エンジンにおいては、検索で問題が解決される。
このGoogleで調べていてもわからなかったことは、Yahoo知恵袋で解決される場合がある。
ちなみに、アドバイスを得るために自分の体験談を書いたり応援を求めたりするユーザーも多数見られる。

カントの私生活にこんな話がある。

・・・
哲学者であったカントは、毎朝かならず5時に起き、夕方の決まった時間に散歩をしたという。
その時間のあまりの正確さに近所の住人は、カントの姿を見て時計の針を直したとさえいわれる。
そして、79歳で没するまで、養生につとめて1日1食を貫き、散歩の際は、かならずひとりで歩いた。・・・

カントが、真面目に生きたことが誰かの役に立つ、その典型的な例を見つけてくれた。

ネット上にアドバイスを書いたことが、誰かの役に立つ、そんな時代になっていると言える。

ーーーーーー
カントは最近終わった。何度も復活したが、もう終わった。
0039考える名無しさん
垢版 |
2024/03/21(木) 16:57:44.390
理性には限界があります。ペットの名前と家族の名前を履き違えたり、汚職事件なのにお食事券だと勘違いしたりします。
これが理性の呪縛です。勘違い、勘繰り、履き違い、誤解といったものが呪縛です。


例1)フリーマーケットを古いマーケットだと誤解する場合があった。
例2)パーフェクトじゃないのにパーフェクトだと誤解した。
例3)女じゃないのに女と混同した。
例4)まともじゃないのにまともだと勘違いした。

こういった呪縛から解放されるようにはどうすればいいでしょうか。
0040考える名無しさん
垢版 |
2024/03/23(土) 11:03:45.910
走っているとき、転んでしまいました。膝を傷つけ、「痛い、恥ずかしい」と思いました。
そんな経験をしたボクは体を動かすのに慎重になりました。
これが「経験からの学び」です。慎重に歩けば転ばない可能性があります。

仏教では、受想行識といって、受が転んだ出来事、想が「痛い、恥ずかしい」。行が「起き上がろうとすること」
識が「二度と転ばないようにしよう」です。
レスを投稿する


ニューススポーツなんでも実況