マルクスの弁証法のどこが問題か解るだろうか

まぁ、それは置いておいて、『善悪の彼岸』も『アンチクリスト』も蔵書だが、ニーチェの書には『誰でも読めるが誰にも読まれない書』と銘打ってある。信仰批判は解釈批判であって、

仏教が賞揚された時、大乗の文脈が読まれるか