アドラー心理学総合 31【嫌われる勇気】
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アドラー心理学を語るスレです。個人心理学とも言います。
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アドラー心理学2 【嫌われる勇気】 [無断転載禁止]
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■関連書籍
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
学会のテキストはアドラー心理学を学ぶのにおすすめです。メールで注文可能です。
■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 アドラー心理学の理論的な枠組みは、次の5つを基本前提として受け入れていることによって成立している。
個人の主体性(Creativity)
アドラー心理学では、個人をそれ以上分割できない存在であると考えることから、全体としての個人が、心身を使って、目的に向かって、行動している、ととらえる。
アドラー心理学では、個人の創造力、創造性を評価していて、それが個人の変化、変容を可能にする根拠となっているので、主体性というより創造性の方が適切である。
目的論(Teleology)
全体としての個人は、生物学的には、個体保存と種族保存、社会学的には、所属、心理学的には、その人らしい所属、という目標のために行動する。
全体論(Holism)
アドラー心理学では、個人を、例えば、心と身体のような諸要素の集合としてではなく、それ以上分割できない個人としてとらえる。
したがって、アドラー心理学では、心と身体、意識と無意識、感情と思考などの間に矛盾や葛藤、対立を認めない。
それらは、ちょうど自動車のアクセルとブレーキのようなものであって、アクセルとブレーキは互いに矛盾し合っているのではなく、
自動車を安全に走行させるという目的のために協力しているのと同じように、個人という全体が、心と身体、意識と無意識、感情と思考などを使って、目的に向かっているのである。 社会統合論(Social Embeddedness)
人間は社会的動物であることから、人間の行動は、すべて対人関係に影響を及ぼす。
アドラー心理学では、人間が抱える問題について、全体論から人間の内部に矛盾や葛藤、対立を認めないことから、人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。
人間は人間社会において生存しているものであって、その意味で社会に組み込まれた社会的存在なのである。
社会的存在であるので、対人関係から葛藤や苦悩に立ち向かうことになるが、個人の中では分裂はしていなくて一体性のある人格として行動している。
すべての行動には対人関係上の目的が存在している。社会に統合するというよりも、最初から社会的存在なのである。
仮想論(Fictionalism)
アドラー心理学では、全体としての個人は、相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動する、と考える。
しかしながら、それは、あたかも相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動しているかのようである、ということであって、実際に、相対的にマイナスの状態が存在するとか、相対的にプラスの状態が存在するとかいうことを言っているのではない。
人間は、自分があたかも相対的マイナスの状態にあるように感じているので、それを補償するために、あたかも相対的プラスの状態を目指しているかのように行動するのである。 >>1 乙です
スレ立てありがとうございます
テンプレも分かりやすくスッキリまとまってるしとても気に入りました ユングアドラーはもうカウンセリングの効果が無い事が分かっていて認知行動療法がカウンセリングの主流
ここは頭の弱い奴の集まりなので相手するな >>7
お前のようなしつこいレスが、
歴代のアドラースレッドレス全体の約3割を占めることが
レスの無駄遣いで非常にもったいないと思う。
もっと有意義な話をしたいのに。。。 でも、考え方=認知と考えると、
認知療法も悪くはないでしょ。
アドラーの個人心理学に通じるところもなきにしもあらずかも。
確かにスレ違いだけどね。 コフート のスレ立てて。古い臨床心理学は被セクハラ、介護込みの看護の穢れあるから。おそれあり。踏襲すると。 スレ立て乙です
テンプレもいいですね、新生アドラースレって感じで素敵
関係ないけど、認知療法スレってないのかと思ったらあるじゃないですか
認知行動療法・認知療法・行動療法©2ch.net
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1416767601/
こちらに行って話されたらどうでしょう?
僕も覗くようにしてみますので >>9
なきにしもあらずというか
両方勉強してみるといい
かなり似てるよ >>10の人ってちょっと文章が独特ですけど外国の方ですか? ユングアドラー系の妄想カウンセラーが臨床心理士の評価を下げる
クライアントの声をあげてやるから読めやゴミども
臨床心理士はもうすぐ公認心理師に代わって消えてくれるらしいが
せめて精神保健福祉士くらいには正気でいてくれよ。
形相変えて妄想を強要する臨床心理士とかバケモノかよ 俺は心理学学徒じゃないから詳しくないけど、
ちょっとググってみたがコフートの名前だけで人集まるものなの?
自己愛性パーソナル障害も入れてみたら?と言おうと思ったけど、
他の自己愛を取り扱ってるスレは差別的に荒れてる感じなんだな
アドラー心理学って心理学板の中でも異端なんだろうな アドラー心理学をちゃんと理解してたらそもそも荒れないと思う 集まんないでしょ
DJ学術さんが淡々と一人でも書き込むだろうから別にいいんじゃない? >>18
アドラーを理解してない証拠のようなレス
そんなわけないでしょ >>20
すいませんちゃんと理解できてないのにハッタリ言ってしまいました
よかったらそんなわけないことの理由を教えて頂きたいです 相手しちゃいけないんだろうけど、
なぜか臨床心理士への攻撃でダメージを与えられると考えてるところを見ると和んでしまった
本気で心理士やカウンセラー的な人たちへの復讐心が原動力っぽいな
カウンセラーとアドラー心理学が認知的に固く結びついてるみたいだけど
普通の心理士やカウンセラーじゃアドラー心理学のカウセリングは受けられないんじゃないの?
やっぱり公認心理士や臨床心理士、カウンセラースレ辺りで
認知行動療法を使ってほしい話をした方が的を射てると思う >>21
ライフスタイルから競合性をなくすのは人生賭けてもいいくらいの大きなテーマだし
もし競合性の無いような聖人がいたとしたらその人にはアドラー心理学は必要ないから 嫌われる勇気が流行ってた頃はアドラー心理学の解釈のしかたを巡って熱く荒れてたなwww アドレリアンおばさんとかアグレッシブとかいて権力争いしてた頃が一番楽しかった
エックハルトの補足説明付きで 理解したい一心でレスを交わす中で、ああこれが権力争いか
これが横の関係の態度か、これが勇気付けられるってことかと
腑に落としながら学べた感じがするよ アドラー心理学的には昔話もあんまりしない方がいいと思います。 >>27
そうは思わないな
昔をどう捉えてるのかレスしてアウトプットしてるので次に繋がると思う アドラー心理学会とアドラーギルドのホームページ見辛過ぎるだろ
パセージ参加したことある人いる?
基礎講座は場所が遠すぎるし日程が合わないので厳しいから
子供はいないけど近場のパセージに許可降りたら行ってみようかと思うんだけどどんな感じなんだろう?
共同体感覚を体感してみたいんだが >>9
提唱者って北米アドラー心理学会の人でしょ
今第3世代の認知行動療法とかになってて瞑想に着目してるよね
野田さんの何十年前の本で既に瞑想に一冊割いててびっくりした
個人的にはアドラー心理学の方が良かったかなあ
幸せに生きるための細かい所まで補完されている気がする ダンスを踊らされるって本当かな?
インストラクターの真似するくらいならいいのだが、
自分で身振りを考えて表現しろとか言われるとちょっとな〜。 アドラーっと100年以上前の理論だぞ
脳科学も全く発展していない時代の
認知行動療法は脳科学の知見も反映されているし科学的なエビデンスに基づいた理論
このスレのなんでも共同体云々に気血させるキチガイとか脳に障害がある アドラーっと100年以上前の理論だぞ
脳科学も全く発展していない時代の
認知行動療法は脳科学の知見も反映されているし科学的なエビデンスに基づいた理論
このスレのなんでも共同体云々に気血させるキチガイとか脳に障害がある 自己責任批判
誰のもの?
ある人が飯を食い、栄養を吸収した。すると、その栄養は誰のものかといって、手足や臓器が激論を戦わせた。まず口は、自分が食べたのだから自分のものだといった。
すると右手が、箸を持ったのは俺だといった。左手は、茶わんを持ったのは誰だといった。脳は私が指令したといい、脚はそもそも自分がいなければ、どうやって飯を買いに行けた?と言った。
内臓も骨も筋肉も皮膚も自分の果たした役割を主張し、結局だれのものかわからなかった。所有物のみならず、責任、名誉、手柄もまた、これと同じである。 ↑低次元な妄想
カウンセリングにアドラーユング使うバカまだ居るのかよ
世界では認知行動療法以外認められてねーよ
ユングアドラーはオワコン扱い
クライアントの意見を貼るから読め
「臨床心理士はもうすぐ公認心理師に代わって消えてくれるらしい、形相変えて妄想を強要する臨床心理士とかバケモノかよ」
つまり認知行動療法以外は妄想の押し付けなんだよ 自己責任社会の末路
黄巾の乱が起こったとき、漢は超自己責任社会であった。弱者を顧みるものは、わずかであり、皆自分のことだけを考え、弱者に手を差し伸べるものはわずかであった。
こうして国民を見捨てた漢は、当然のことながら国民に見捨てられ、革命が起こったのである。もはや、革命を引き起こしたのは、そう仕向けた漢であるとしか言えない。
剣を取るものは剣で滅ぶというが、自己責任の剣を取る者もまた、自己責任の剣で滅ぶのである。アドラーを取るものは、アドラーで滅ぶ。 何でこのスレのバカは無駄な長文書くんだろう
バカの文は必ず長いとは良く言ったものだ アドラーユングはWindows85
認知行動療法はマックプロ
これ以上の差がある アドラーユングはWindows85
認知行動療法はマックプロ
これ以上の差がある >>41
苦しそうなあなたにぴったりな方法がありますよ
認知行動療法って言うのですが… >>29
ヒュー!
奥様ばっかりだぜ!
みたいな感じ おまえらな、俺に認めて欲しかったら認知行動療法学んでみろ! >>44
僕にはどうしてもあなたよりもここのアドレリアン達の方が認知行動療法について理解が深いようにしか見えない >>37
アドラー心理学は自己責任論では無いように思うけどなんの例え? >>32
あれ怖いよねw
共同体感覚が育めてる人の中で創作ダンスやってどんな雰囲気になるのか気になる
>>43
だよね
写真見た感じ奥様ばっかで子なしの俺が馴染めるのか不安だ
もし行ったことあるのなら行って良かったか教えて欲しい 認知行動やって>>44みたいになってしまったら、素直にやだな 同じべきなら歪んだ認知を矯正すべきよりも、周りの人と対等に協力して暮らすべきの方が俺は好き 共同体感覚を養うためにダンスを習いに行くのは元も子もない 男のダンスは他はほとんど女性なので、おそらく、注目の的だぞ。
そんな中でまともに踊れなかったら恥かきにきたようなものだぞ。
何のためのダンスなのかな〜。
「嫌われる勇気」のダンスの理解だけで十分な気もするが・・・
岸見さんも踊ったのだろうか?
女装して、レオタかブルマ履いて踊った方がまだマシ。 こんばんは。
まあなかなかまとまった時間とれなくて、向後の実践講義を読んでいて、まあ半分くらいまでしか辿り着いていないのだが。
今のところの感想はだな、まあ共同体感覚の話はあるが、俺は既存の日本の一般的な共同体感覚が、ハッキリ言って嫌いなんだ。
俺には所属の欲求はあるが、既存の価値観と行動様式への所属は正直ごめんなんだ。
俺の感覚だと殆どの日本人はゆでガエルで、しかも民主主義におけるマジョリティだから、国全体がゆであがって健全な社会機能を発揮していない。
それで俺はそのマジョリティの共同体感覚の基礎を書き換えたいわけだよ。
時代の変遷に伴って適切な対処を行うことが出来るような、自律的な感覚が普及されることを望むわけだ。 ダンスは合宿かなんかでしょ
パセージやら講座ではやらないんじゃないの? しかしだな日本人は民衆の意思で近代化を成し遂げたわけではなく、当時の有志連合が成し遂げたわけで、庶民はそれに追随したわけだ。
庶民の感性は中世的感覚のまま、お上の形態が替わっただけで。
中世的な庶民感情で形作られたこの国の今を、俺は受け入れられない。
何故か?それは何度もいうが、密室で起きる虐待を、この国の庶民感情は無視するからだ。
悪いがこの国の常識は、国士たる俺たちに形成させてもらう。 >>33が何度も下記の通り言っているが、俺は今のところ彼の意見に賛成だ。
俺はこれを機に行動人治療法を学ぶこととする。
''アドラーっと100年以上前の理論だぞ
脳科学も全く発展していない時代の
認知行動療法は脳科学の知見も反映されているし科学的なエビデンスに基づいた理論
このスレのなんでも共同体云々に気血させるキチガイとか脳に障害がある''
アドラーはフロイトの派生でしかないだろうという、俺の読みは多分真だろう。
まあそれでも約束したから、推薦図書二冊は読むが、それも俺の知恵の肥しに
しかならないだろう。岸見も多分、俺の見込み通りとんでもない俗物だろう。
まあ、逐次アップデートするよ。 >>55
オーケー
これ読んでみると良いかも
http://jalsha.cside8.com/diary/2016/03/12.html
日本の共同体感覚、俺の共同体感覚という表現をするとちょっと語弊を感じるよ
ゲマインシャフト感覚は笹やんの想いに寄り添えるんじゃないかと思う アドラーユングの研究もいいとは思う
しかし、教授でもない一般人が半端な理解で深層心理に触れると間違った認知と推測で真実から遠ざかるだろう
共同体云々も定義を理解していない者が
適当に議論し合っているだけで噛み合わない
だからまず最新のハッキリしたカウンセリング効果のある認知行動療法を学ぶべき
最悪なのは認知行動療法を知らない臨床心理士が大多数である点
スクールカウンセラーも一部の人しか認知行動療法を知らないらしい
そんな臨床心理士が役にたつとは思えない ビジネスマネジメント項目のファシリテーター養成講習の中で
一枚の画用紙にチームメンバーが無言で一筆ずつ絵を描いていって
一つの絵を完成させるワークがあったわけなんだけど、
他のメンバーの一筆を利用して想像力を高めつつ
他のメンバーを信頼しながら自分が良いと思う一筆を加える経験は
かなり共同体感覚に近い体験に感じたし、そんなチームを職場で作れたら
そりゃあ良い仕事ができるだろうよって感じたし自分が先ずそう在ろうと思えたよ なんつーかね
理論を支える過程の根拠や論理の繋がりが穴だらけだし
その先に導かれる結論もここでは的外れだし
とにかくずっと痛々しくて支えてあげたくなっちゃうんだよ。
持論だけどアドラー心理学やると私的論理に気付き易くなるから
論理的な思考による認知の修正に役立つよ。 >>57
ありがとう。野田さんはその宴会で繰り広げられる光景に素直に溶け込めず殻を作ったと。俺はそれでいいと思う。
相互に理解しえないのに必要以上に親交を深めようとする必要がどこにあるのか?
そうした状況など、何処の国でもいつの時代でも起きることだ。
そんなこんなも含めて、表面上の合う合わないもあって、それでも総体としてみたときに平和で豊かなゲマインシャフトであればいいわけだ。
じゃあどの平和や豊かさを誰が守るんだ?日本というゲマインシャフトはそれを自律的に成就することが出来ず、弱者を多々生んでおり、その豊かさの土台を壊している。
だから俺は現代日本のゲマインシャフトの状況を受け入れるつもりがない。
いや、受け入れて、その上で短所を改善させていただく。
それは限られた種類の人間にしかできないことだ。 >>60
それは誰に向けてのコメントなのでしょう? >>58
その通りだと思います。先ず認知行動療法を勉強することが先だと思いますし、これからそのようにします。 >>61
>ゲゼルシャフト論者たちは、「全体のために個人が犠牲になる」と言い表すのだが、
>それは彼ら自身の心の中にゲマインシャフト感覚(共同体感覚)がないからだ。
>もし対象の人間集団を「親しいあなたたち」だととらえているなら、
>その人たちのために貢献することは、喜びではあっても、苦しみではない。
上記の文章は目に入ったかな?
日本の社会が弱者を生み虐待を黙認するものならそれはゲゼルシャフト社会なのでは?
そして自分の意に沿わないものを頭から否定する感覚はゲゼルシャフト的な感覚であり
あなたの掲げる理想社会の反対側に位置するのでは?
国際連合の思想を生んだカントは世界平和を絶対条件に決めてしまうと
その為に意に沿わない国を攻撃するしかなく、自己矛盾を生んでしまうことを指摘し、消極的目標とするべきだと提唱した
同じ様にアドラー心理学でもゲマインシャフト感覚は消極的目標にするべきだと教えている
絶対条件にしてしまうとそれは宗教の盲信と同じことだからだ >>63
アドラーが肌に合わないと感じたところで認知行動療法から始めるのはすごく良いことだと思う
きっとまた道が交差するときも来るんじゃないかと思う
またその時を楽しみにしてるよ >>64
日本の現状をゲゼルシャフトと呼ぶならば、俺はそこから排他的な扱いを受けてきたといえる。
だから、悪いが変えさせてもらう。
別に誰かを地獄に貶めるつもりはないし、適材適所を成し遂げるだけだ。
別に国民生活の中身はそんなに変わらない。ただ、適材適所の不徹底により生じた弱者が、元の鞘に収まればいい。
俺だって、誰かがそれをやってくれるなら、わざわざ重い腰を上げようと思わない。表立って活動するのって、エネルギーいるし、多少の沙汰は避けられないからな。 というかな、そのゲマインシャフトとかゲゼルシャフトとか、下らないんだよ。
どっちも重要な感覚であって、互いに不可分なんだ。
俺は現状のダメな日本を受け入れて、変えると決めただけだ。 そのゲマインシャフトとかで、親しいあなた達への貢献で、世の中救ってみろや
新潟の女の子をどうすれば守れたか?どうすれば時間を回避できたか?
真面目に考えろやボケ
お前らがボーっとしてる間に人が死んでんだよ
人間の屑どもが 革命は弱者側の異端から始まる
革命によって虐げられた人間の屑達が新たな弱者となる
そして歴史は繰り返される カッカしてもしょうがない
心は熱く頭はクールに生きたいもんだな >>71
悪いが、俺はその歴史の繰り返しには徹底的に逆らわせてもらう。
俺は革命など起こすつもりはないし、天地を入れ替えるようなことをするつもりはない。
不必要に高い地位にある者を相応の地位に、理不尽に低い地位にいるものを相応の地位に戻すだけだ。
革命など必要ない、今の社会的枠組みの中で平和裏に成し遂げてやるわ >>72
さて、自分が実際に悲惨な目にあったとして、そんな戯言をいつまでいっていられるかな?
甘いんだよ >>73
うん、基本的に標準的な日本人と同じ思想だと思う。
応援してるよ。 精神分析によって封印されていた過去の記憶を「ほりかえした」ように見えて、
実はありもしない記憶が「捏造」されただけであるケースが複数ある事が指摘
されている。たとえば、女性の患者が精神分析に父親からの性的虐待を「思い
出した」為父親を訴えたものの、実際には虐待の証拠は発見されず父親が勝訴
するという例が複数存在する。
精神科医にしてフェミニストのジュディス・L・ハーマンはこの種の記憶捏造の
原因になったとしてたびたび訴えられた。彼女は、患者自身が疾患の原因として
「仕事がつらい」、「妻とうまくいかない」などといったものを挙げていたとし
ても、疾患の原因は幼児期に両親から性的虐待を受けた事であると断定した。
もちろん性的虐待の覚えなど無い患者はそれを否定するのだが、ハーマンらから
「それは記憶を封印しているだけ」、「思い出さねば治らない」といった言葉を聞
くうちに虐待の記憶を「思い出し」、両親を告発する事になる。結果的にこういっ
た虚偽記憶に基づく訴訟が表に出た事でそういった治療が正しいのかと反発を受け、
回復記憶療法は2000年ごろまでに完全に停止された。この結果、フロイトの提唱した
抑圧された記憶の考えは、完全否定はされなかったものの非常に疑わしくなった。 >>77
そのハーマン医師がただの変人だったのか、
それか実際に性的虐待があっても証拠が出てこなくて揉み消しに成功しただけか、
全くわからないな。
で、何が仰りたい? アドラー心理学は本じゃ学べないと言う割に講座が少な過ぎるでしょ…
別の意味で学ぶのにハードル高い >>40
マカーへのネガキャンはやめてやれ
マカーが皆君みたいなアホと思われても困るだろ フランクフルトと読み違えるのをフロイトはチンチン好きと名付けた >>81
読んだことない。面白そうだ。読んだら感想書くよ。 >>86
アドラーにしろ、フランクルにしろ、認知療法・認知行動にしろ、
腹くくってやらないとだめなんじゃないですかね〜。
どれもカジッテは投げ、カジッテは投げじゃ、どれも同じだよ。 認知行動療法を、ある程度真剣にやるつもり。
公認心理士資格目指すのはありだな。調べてみるよ >>88
と思ったら受験資格はガチガチみたいだな。
まあ勉強はしていくよ ちなみに、アドレリアンがアドラー心理学や認知行動療法を学ぶのは自然なんだけど、
アドレリアンでもなく心理士を目指してるわけでもなく精神疾患を抱えてるわけでもない普通の人が
認知行動療法とか学んでその先にそれでどうしたいのかな?
認知行動療法リアンになるのかな?
もし精神疾患的な生き辛さを抱えてるとかだったら
とりあえずカウンセリングを受けに行くとかの方が良くね? 野田さんのブログ見てると人のこと浅はかな考えを持ってるだの糾弾したり政治家に点数つけてみたり
セミナーに来た初顔の人をどうせブームに乗っかった奴らに違いないみたいなこと書いてるんだけど
共同体感覚高くてもこんな感じになるものなのかな?
よく分からなくなってきた 補正項によれば循環器科の先生から躁うつ病か心身症とみなされたらしい。
せめて心の病気ではないと信じたい。 まあアドラー本人もそうだし、何かしら抱えた上で
それでも幸せに向けて生きる為の道具としてのアドラー心理学なんだろうな 前スレで、「昔の自分を見ているみたい」と言われたものですw
生きるために大切なこと、とアドラー実践講義を読みました。
原書は多少わかりにくかったですが、今になって思うとなるほどなと思うことが多かったです
実践講義は、ほぼ嫌われる勇気と同じような内容でしたが面白かったです。
以前の課題の分離の捉え方だと、共同体感覚が得られなかったんだなあと改めて思いました。
最近は人のためになることを考えて、共同体感覚を持てるように行動しています。
昨日会ったある人から僕のことについて
「〜さんてもっとツンツンしててプライド高そうな感じだと思ってたのに意外」と言われましたw
ちょっと効果あったのかなと思って嬉しかったです。 >>91
年取ると自我が強くなってしまうよね
野田さんも俺たちと同じ不完全な人間だよ >>86
夜と霧はおもろいぞ
肉体的にも精神的にも追い詰められた状態で選択肢が存在するということに俺もずいぶん勇気付けられた
俺上司に片目を潰されててあんま長い時間本読めないんだがアドラーとフランクルだけはコツコツ読んでる >>91
全体論で考えるといいかも
協力的ライフスタイルは競合的ライフスタイルを否定する、のではなく受容する事で統合される感じ
「怒っちゃいけない」のではなく「怒りの感情を使う必要がない」
この違いは大切だと思う
怒りには支配という仮想的な目的があって、さらに究極的には所属が目的なわけだから決して悪いものではないんだよね
「怒るのは良くない争うのは良くないみんな仲良くしなきゃ協力的にしなきゃ」という信念を抱えていると、陽極まって陰という感じになってしまう
「お前ら権力争いは良くないぞムキー」みたいな >>97
確かだいぶ以前もその話してたよね?
最近古参がけっこう残っている事がわかる機会が多くてなんか嬉しいよ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています