アドラー心理学総合 31【嫌われる勇気】
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■関連書籍
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■日本アドラー心理学会
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■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 >>134
共同体感覚っていろいろ説明はあると思う
所属感、信頼感、貢献感、ってとこだと思うんだけど
あくまで私的感覚なはずなんだよね
相手を思いやるとか貢献するとかってのは「自分が」そういう私的感覚を獲得するためにやるもの
前提は社会統合論だから、自分が変われば関係性は必然的に変わるわけだけど
相手は自分が思うようにはほぼ100%変わらないよ
だから国家運営とか弱者を救うのには向いてないと思うよ
自分しか変えられないから 子育てのアドラー本とかね、子供じゃなくて読んだ親自身が変わる方法が書いてあるわけだよ >>134
不完全な日本人を完璧に近付けていく私という考え方ではなくて
不完全な日本人と不完全な私のそのままを受け入れて
みんなにもそう思ってもらえる方向に振舞っていくのが
アドラー心理学の考え方だと思うよ
ちなみに笹やんが弱者救済を達成した時に貢献感と愛情で幸福感を得られそうだとは考えられないの? >>130
それには同意しかねるな
ヘーゲル的歴史観に立つ俺からすればテロスがニヒリズムに否定され得るアポリアだとして
そのドラスティックなヒューマニズムの上にアジェンダを構築することがアルチュセール的構造主義における、ミームだ。
いずれにせよ、ケイオスティックな人間存在における経験をテクネーへと、普遍へと、止揚することが、デカルト的パラダイムのモダニズム的出発点だ。
エピステーメー的に論考すればリングイスティックターン以降の日常的言語学派におけるアフォーダンスをシラバスにおいてエキュートすることが
アカディメイアのタスクだと思われさもなければ想像の共同体はサイバーカスケードの上にもろくも崩れ去ってしまう。 「共同体感覚は机上の空論だキリッ」
「共同体感覚をどう定義してるの?」
「よく分からない知りたいくらい」
分からんのかーいw
沢山ある突っ込みどころって主張もまだまだあやしいよ。
まだどれも極端な思い込みでそう見えてるだけってのが拭えなくない? 権威を失墜させて弱者を救う事が俺の共同体感覚だという発想自体がよく本を読んでない証拠だろうけどさw
まあ使命感に燃えているうちはがむしゃらに頑張ってみるってのもありだと思うよ
課題の分離の本来の目的は結末を体験するためだしさ 人間関係よりも国家運営や弱者救済、格差補正の答えに近づきたいなら
心理学の類よりも哲学の方から学ぶべきところは多々あるだろうね
資本主義社会の批判と安易な対案だけじゃ前に進めずに潰れるだけなんじゃないかと思う
マルクスを読んだ上でこれまでの社会主義国家で起こったことを詳しく調べて考察してきてるのか疑問があるし
東浩紀からも良いものが学べるんじゃないかと思う
その上でアドラー心理学は使える理論だと俺は考える >>119
野田さんの方のは学びにくいんじゃないかな
講座やらの場が少な過ぎるし
やっぱり本だけでは厳しい中でこの機会の少なさは致命的だわ
本人がそこまで広める気はなさそうだけど >>99
悪いことではないというのは分かる
問題行動も本人にとったら所属のための善だもんね
ただ第一人者で共同体感覚を育めていると自負する方が推敲もできるのにこんな文章を投稿するのはちょっと驚いたし
責める気持ちより何故?っていう疑問が大きい
人は不完全だし道具にも癖があるからこうもなるってこと?
それともこれも共同体感覚なのか?
共同体感覚ってのがいまいち掴みきれてない身としてはどっちなんだろうと思う >>147
ざっくりいうと共同体感覚って、世の中支え合わないと生きていけないダメ人間ばっかりだよな俺も一緒じゃん、仕方ないそれを受け入れて自分にできることから始めよう。
って事じゃない? >>147
自分の事は自分が一番よくわからないからね
気づいてないんじゃない?
それかあなた自身が競合的な発言に対して必要以上に過剰に反応してしまってるという事はない? >>148
そういうスタンスで共同体感覚を目指すのが現実的なんだろうね
>>149
アドラーの考え方は基本的にガキ大将哲学みたいなもんで結構ガチガチなルールがあるってお話本でされてたんだよね
確かにこの心理学って一つでも取りこぼすとやけに冷たい人になったりお人好しになってしまう危険性は孕んでいると思う
嫌われる勇気で勘違いした人が出てきたように
だからこそ学んで行動していくには私は初心者でもあるからこそ守破離の精神でまずはルールに乗っ取る必要があると思った
だから確かに過敏になってる節はあると思う
その上で別に叩きたいとかではなく純粋にこれって共同体感覚なのか?と疑問に思った >>150
確かに、人のために人のためにと考えて行動していくとただのお人好しになりそうな気がします。 あ、レス送信してしまったので続き
ただ、自分があるがままの姿で所属していいんだという自己肯定感を感じれば
ただのお人好しにならずにある程度マイペースにはなれるのかなとも思いました。
人のために、を考えつつ、そこがまるで自分の家のように自然体で振る舞えるように行動しています。
そういう状態の時って共同体感覚?なのか、すごく居心地が良いように感じます。 >>150
じゃあ野田さんのそれは共同体感覚ではない、でいいんじゃない?
野田さんが完璧な人だったら野田さんの振る舞いは全て、不完全な人に対する救済という事になるから、協力関係は存在しなくなるよね >>150
横からだけど
>>148から始める共同体感覚じゃなくて
それか既に共同体感覚ある姿なんだよ >>153
なんとなく分かったよ
常に完璧な共同体感覚を持ちうるなんて人間である以上難しいってことだよね
もしそれが現実になったら本当にアドラー心理学が必要なくなる時で人間業ではないってことかな?
>>154
共同体感覚はあくまで理想であるみたいな話じゃなかったっけ?
ここ目指していけば幸せになれるからやってみようみたいな >>151
なるほど
ありがとうございます
地道にやってみます >>155
共同体感覚は心が健康であれる様な所属感を得る方法として提唱されたわけで
私は役に立つし役に立とう
世の中は私を受け入れているし援助してくれる
という認識を経験的に学ぶことだよね
理想っていうのは、その度合いとか、誰にでもどのタイミングでもっていう話しで、
完璧じゃないと共同体感覚として認められないわけじゃないと思うよ
普通の人でも普通に経験する身近な感覚なんだと思うよ
で、
>>148も>>152もその特徴のひとつ >>126
その考え方って心狭すぎま千?
自分さえよければいいという考え方に近いような・・・
アドラーやっててもほとんど意味ないんとちがう? >>157
共同体感覚はざっくり3つの側面があるけど
どこかが欠けてたり少なくても共同体感覚ではあるってことかな
思ったよりガッチリ型に嵌める必要はないのね 共同体感覚はもともとあって、実践によって大きく育つって感じじゃないかな? >>159
ある程度実践できてるつもりでも、ふと心の調子が悪いことがあって
共同体感覚に照らしてチェックすると、ああ他者信頼が足りなかったなとか
ああ今自己受容できてないなって確認できるようになる
かと言って完璧に課題の分離ができてないとか、完璧に自己受容してないからって理由で
共同体感覚だと認めてはいけないとかそういうものではないと思うよ >>158
アドラー心理学がコモンセンスに向かっていた流れがあったのになって事だよ
それこそエリスやベックの認知行動療法とか
フランクルマズロー、ロジャースの人間性心理学系の流派
家族療法、ブリーフセラピー、ポジティブ心理学
あとは7つの習慣とか
アドラーから離れて、いろんな方面でアドラーの息づく思想理論技法が日本でも普及している中で、アドラー→ドライカース→シャルマンの系譜の日本のアドラー心理学を草の根的にやりながらアドラーが共通感覚としていく広がりを感じるのは面白かったよ
でも今みたいにアドラーの名前が先行して、アドラーとしてはかなり異端の「課題の分離心理学」をやるならそれこそ認知行動療法やった方がいい気がするな だから、認知行動療法学べばいいの
あとニーチェの言葉よんどけ
結局ユングやアドラーみたいな力動的精神分析は話をややこしくするだけだし世界では相手されてない
共同体云々も型にはめているだけで人によっては自我を失うキッカケになり得る
人に合わせる事で病む いや相手にされない事はないんだけどなw
まーでも認知行動療法は便利だよ >>161
長々と付き合ってくれてありがたいわ
色々合点がいったよ
私も肩肘張らずとりあえず試行錯誤でやってみる 間違った理解によって相手を煽る手法は人種差別に似ている
例えば欧米人がアジア人に対して指で一重まぶたとつり目を作って煽る手法に似てる
最初から排他的でマウントをとることが目的なので、その内容を訂正することには意味がない
できることは不適切な行為に注目を与えないこと
権力争いに乗らず、相互所属の糸口を残す態度でいること
つまり、生暖かく見守ってみよう >>167
どのレスに対してと表明しない方が適切だと思ってる 見守れないですよ。
どのレスも全部マウント取りに来てるようにも見えるし予定調和でみんな楽しんでいるようにも見える。 >>162
課題の分離はアドラー心理学の真髄じゃないのに
そこだけ一人歩きしてた感はあるよね
最近はどうか分からないけど
ただ俺の場合承認欲求に振り回されたり共依存体質が強いところがあったから、
課題の分離の考え方を取り入れたのがすごく役に立った
やっぱり日本人には課題の分離っていう刺激的な理論も必要なんじゃないかなとは思うよ
そういう意味で嫌われる勇気は、日本人にアドラー心理学を広める下地として成功してる様に見えるけどな >>169
マウント取りっていうのは相対的に自分を優勢にすることで自分を守るっていう所属の手法なんだよね
アドラー心理学では、そういった勝ち負けによる方法よりも、
相互所属に向けて貢献することで自分の居場所を作ることを提案してる
人の考え方は認知行動療法の理論でもある様に自動思考が働くし >>171 の続き
そのスキーマからくる自動思考を焼き直すには新たな経験を作るのが効果的
だから認知療法だけじゃなくて認知行動療法が効果を出すっていう考え方だよね
アドラー心理学で言うと、自他の競合的な認知を協力的に変える方向に
自分の態度を示し続けることで協力的な人間関係を経験的に作り出して行くことが可能になるっていう理論になる
マウント取りで自分を貶めようとしてる様に見えても
アドラー心理学を続けてると、そういう所属の手法を用いる癖のある人なんだなという見方ができる様になるし
そんな人を排除する考え方をすれば、自分の中にも競合的な認知を育ててしまう
だから選ぶ態度は生暖かく見守るってことになる >>163
よそでやれ。
しつこく書くより、認知行動がどんなもので、どんなメリットがあるのか、具体的に書いた方がいい。
このスレの住人は認知行動に興味ないし調べるつもりもないからお前が説明するしかない。
それがやなら邪魔で皆に迷惑かけてるだけだから、よそでやれ。
それとも、お前が興味あるだけなのに知らないから、アドラーをやっていて認知行動もやってる住人が認知行動もいいよと、説明書きをしてくれることを期待してる? 暖かく見守る(日本語)=応援してます
生暖かく見守る(2ch用語)=嘲笑
別に他意はないんだけどどうしてもツッコミたかったw >>173
認知行動療法すら大して理解してないの丸わかりだから相手にしなくていいよ >>174
確かにw
ちなみに個人的には暖かく見守る為にはそれなりのポジションというか
距離感も必要だと思ってる
例えば、相手の態度が直ちに自分の沙汰に影響する環境だと簡単には暖かく見守ってられないし
2chならそんな心配がないからこそ簡単にできることでもある
そういう意味で生暖かく見守るでも間違ってないと今こじつけましたw なるほどーニーチェと認知行動療法のコラボが良いと思っているのかー(生暖かい目) アドラーもルサンチマンや超人とかからコンプレックスやらなんやらの
着想を得てるんじゃないかとは思う 時代は被ってるしね
劣等感からの権力への意志なんてのは意味は違っても明らかにニーチェの影響受けてるよね >>53
この笹氏のレスを見返してみてなんとなくわかった
彼の言う共同体感覚とは「共通感覚」の事を言っているわけだ
そして、世の中の共通感覚を彼の自己理想(権威に虐げられている弱者を救うべき)に染める事を彼は目指してるというところかな? 僕が怒っているのは、岸見の本にあったトラウマはでっちあげという言葉です。
それと、これは向後の著にもありましたが、原因論を否定する態度です。
加藤の弟は苦しみの上に自殺しましたが、仮にですよ、彼が自殺を意識しつつも心理的救済を求めて岸見の本を読んだとして、
岸見の本はそんな彼に対してトラウマはでっちあげだと言いきり、課題の分離なるものを説き、共同体感覚たるものを説きますが、彼の心を救うことができたでしょうか?
加藤の弟が抱えた問題は恐らくほとんどが人間関係だったでしょうが、恐らく岸見の本が彼を救うことはなかったでしょう。
私も同じです。岸見の本には私を救えません。私のあの日々の記憶と、現在にもたらす実害を、でっちあげよばわりすることは、到底許すことが出来ません。
私は、加藤の弟が自殺を遂げずに済んだ方法、即ち加藤兄が犯罪を犯さずに済んだ方法を考えます。
すなわち加藤の両親の教育への興味は尽きないのであり、それは原因を可能な限り究明し、そうならずに済んだ方法を考える態度です。
すなわち、私は原因の究明と、それらを事後に生かすことに興味があるのであり、
よってアドラーのおおよその考え方とは異なる人生を歩むことになります。 >>180
そういうことだと思う
いわゆる私憤を公憤に転化しようとしてる感じなのかな
憤慨が起点だからアドラー心理学の思想は邪魔に感じて
否定に転じてるって感じなのかも知れない
って憶測で鑑定しても意味がないとも思うけど >>180
そうですね。
共通感覚、一般的感覚のほうが適切かもですね。 >>181
事後に活かすことに興味があるとのことなので、気持ちが未来に向いているのが良いと思いました
相変わらず応援してますよ >>182
おっしゃる通りですね。
ただ私は誰かを洗脳したいわけではないですね。
法治国家民主主義国家の主権者としての国民の意識が低いことを問題視しているだけです。そこを適正化するだけで、ずいぶんの弱者の発生を食い止められます。
年金財政破たんしそうですね。様々なボーナスに恵まれた昭和の人間の思想から、とっとと決別しませんか?
彼らは甘えているから、年金財政が破綻しようが何しようが、自分の権利なのです。強い財政を作らなかった自分たちの責任はさて置いてなのです。
こういう甘えを、排除したいのです。貰いたかったら、国が儲かる方法を考える。当たり前のことです。 >>181
アドラー心理学は原因を考えますよ
親の行動(影響因)と子の態度(決定因)に分けて関係性で捉えるけど
あとは長男、次男、末っ子、一人っ子みたいに順番でも考える
同じ長男で同じような環境で育っても、決定する態度が建設的か破壊的かで性格も変わるとするのがユニークなところ
目的というのも「目的因」という原因を考えているわけです
原因を否定しているのではなく、原因っていろいろあるよねーってのがアドラー心理学です >>185
なるほど
俺も政治への関心もあるし仰ることよく分かります
個人的には年金に期待しないけど後世のために自分の払う分は払うことと、
国に頼らない生活の為の努力をするという考え方で生活してるわけですが、
あくまで俺の個人的な考え方です
福祉に関わってるので、マイノリティ救済のテーマには敏感でもありますよ
そこで給付金だけでは解決しない部分がありアドラー心理学の考え方が役立ってるわけです
色々な方向からみんなにとって建設的な改善が進むと良いですね >>182
私憤を公憤に転化できたのならあとは建設的手段を見つけるだけでいいんだよね >>189
その建設的な手段に他者と協力的に取り組んで自分の居場所を感じることができたらほぼ完成かなw 良いことがあってこその笑顔じゃなくて笑顔でいりゃ良いことあると思えたらそれが良いことの序章です この中にアスペルガーがいると言われると(俺のことかな・・・!?)と思うのはなんでたろう?
指摘されないと分かりづらいことなんだろうし、我が身を振り返っちゃう >>199
いや大丈夫
生暖かい目を連呼している俺のことを言ってるんでしょw なんだか集団の中で「チャック開いてるよ」と聞こえてつい確認するのに似てる
別に開いてたって周りに迷惑をかけてなければそれで良いんだけど
若い女の子なんかへのセクハラになる様ならそれは訂正したい、みたいな >>204
笹やんどうかしたの?
急に弱気な感じじゃない? >>207
認めるよ。器用ではないし、貧乏だし、職場では良いように使われるし、疲れたわ 皆、わかってると思うけど、
笹と認知行動療法で煽ってくる奴は同一人物。 今はプロフェッショナルを見ている。そのあとシャワーして、人はなぜ神経症になるのかに手をつけて、そして寝よう。
うまく眠れますようにw >>208
寝たいときは寝ろ!
これ絶対の真理なり
おやすみ >>208
虐げられてる劣等感を補填するためにメサイア思考が入った感じだったら俺と似てるかも
これ以上俺と同じような犠牲者を出すわけにはいかないみたいな使命感で長く仕事を続けてた
で、やめて次の仕事を見つけてしばらくたってから気づいたよ
世の中いい人もたくさんいるんだなって >>210
シャワーで済ますな
湯船浸かって神経ほぐせ 認知行動療法ぐらいやれよ
自衛隊ならそんな事やるぞ
少子高齢化、認知行動療法はああああああ
しょうしひひひひ
少子高齢化、認知行動療法は
我が県のみならず日本人全体の問題やないですか
うわあああああああ アスペルガーに共同体感覚がわかるわけがないからな。 認知行動療法のよさ、あなたにはわからないでしょうね! >>212
メサイア思考は一度なったな。それで人智を越えようとして、体力的に潰れた。
それで、俺という人間が現実に出来る最高とは何か?という問いに変わった。 おれならこう返すね。
「アスペルガーじゃないんでわかんないな」 共同体感覚をわからないアスペルガーはアドラー心理学を学んでも
無駄ということだからな。 >>135
ぜんぜん可能なんだよ
シンクタンクやら勝手な推測に騙されているだけ
そしてそういう情弱の遺伝子は残らない
これぞ適者生存だと思うな 調べたら認知行動療法は特にアスペルガーに有効なんだって
健常者で認知行動療法までいけば、かなりの重症 俺はアドラー心理学もアスペルガー症候群に有効だと思ってるよ
ネットで転がってるアドラー心理学とアスペルガー症候群の相性悪い説は的を射てないと思う
共感力やコミュニケーション力が相対的に不足してたり、
いま人と協力的に関わることを学ぶ機会が少ないからといって
共同体感覚を育てるのは不可能かと言うとそんなことないし
俺も知り合いのアスペルガーの人との関わりに役立ってるし
その人にとっても役立ってると感じてる アスペは認知行動に行った方がいいと思う。
自閉症者に共同体感覚はハードルが高すぎるんじゃないか?
普通学級に知的障害者が入ってくるようなもの。
自閉症者にアドラー心理学は向かない。
というか自閉症者の共同体感覚は共同体感覚ではないかもしれない。
自閉症者の共同体感覚持つとしたら、
それは、条件反射かパターン認識・パターン思考。
健常者のアドレリアンとは違う。 正当なアドラー心理学的にはどうしても合わないとんでもない奴とはどう付き合っていくべきなの?
主張性を持ってとりあえず信頼して歩み寄ってみるとか? アスペに人間関係の横の関係なんてわからないだろう。
信用と信頼の違いもわからないでしょう。
自己を受け入れるとかの意味もわからないだろう。
劣等コンプレックス・優越コンプレックスのニュアンスもわからないかもな。 そんな人いるの?
アドラー心理学的に合わないんじゃなくて、あなたに合わないんじゃ? つか、自閉症者(アスペルガー)に共同体感覚は必要ないだろ >>231
>>229の俺に言ってるの?
主語抜けてて分かりづらかったかもしれんがそういう意味で書いてる
自分が合わないと感じる人とはアドラー心理学ではどういう付き合い方提唱してるの?ってこと >>215
自衛隊は、
@ 精神科医の医官(防衛医大卒等)、
➁ 精神科勤務の看護官(自衛隊高等看護学院卒等)
が大勢いるから、保険適用で普通にあるとは思うが。 >>221
まず課題の分離→共同の課題にできないか話し合ってみる→目標が一致しない場合、再度課題の分離→結末について話し合う→結末から学ぶ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています