アドラー心理学総合 31【嫌われる勇気】
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嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■日本アドラー心理学会
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■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 >>44
僕にはどうしてもあなたよりもここのアドレリアン達の方が認知行動療法について理解が深いようにしか見えない >>37
アドラー心理学は自己責任論では無いように思うけどなんの例え? >>32
あれ怖いよねw
共同体感覚が育めてる人の中で創作ダンスやってどんな雰囲気になるのか気になる
>>43
だよね
写真見た感じ奥様ばっかで子なしの俺が馴染めるのか不安だ
もし行ったことあるのなら行って良かったか教えて欲しい 認知行動やって>>44みたいになってしまったら、素直にやだな 同じべきなら歪んだ認知を矯正すべきよりも、周りの人と対等に協力して暮らすべきの方が俺は好き 共同体感覚を養うためにダンスを習いに行くのは元も子もない 男のダンスは他はほとんど女性なので、おそらく、注目の的だぞ。
そんな中でまともに踊れなかったら恥かきにきたようなものだぞ。
何のためのダンスなのかな〜。
「嫌われる勇気」のダンスの理解だけで十分な気もするが・・・
岸見さんも踊ったのだろうか?
女装して、レオタかブルマ履いて踊った方がまだマシ。 こんばんは。
まあなかなかまとまった時間とれなくて、向後の実践講義を読んでいて、まあ半分くらいまでしか辿り着いていないのだが。
今のところの感想はだな、まあ共同体感覚の話はあるが、俺は既存の日本の一般的な共同体感覚が、ハッキリ言って嫌いなんだ。
俺には所属の欲求はあるが、既存の価値観と行動様式への所属は正直ごめんなんだ。
俺の感覚だと殆どの日本人はゆでガエルで、しかも民主主義におけるマジョリティだから、国全体がゆであがって健全な社会機能を発揮していない。
それで俺はそのマジョリティの共同体感覚の基礎を書き換えたいわけだよ。
時代の変遷に伴って適切な対処を行うことが出来るような、自律的な感覚が普及されることを望むわけだ。 ダンスは合宿かなんかでしょ
パセージやら講座ではやらないんじゃないの? しかしだな日本人は民衆の意思で近代化を成し遂げたわけではなく、当時の有志連合が成し遂げたわけで、庶民はそれに追随したわけだ。
庶民の感性は中世的感覚のまま、お上の形態が替わっただけで。
中世的な庶民感情で形作られたこの国の今を、俺は受け入れられない。
何故か?それは何度もいうが、密室で起きる虐待を、この国の庶民感情は無視するからだ。
悪いがこの国の常識は、国士たる俺たちに形成させてもらう。 >>33が何度も下記の通り言っているが、俺は今のところ彼の意見に賛成だ。
俺はこれを機に行動人治療法を学ぶこととする。
''アドラーっと100年以上前の理論だぞ
脳科学も全く発展していない時代の
認知行動療法は脳科学の知見も反映されているし科学的なエビデンスに基づいた理論
このスレのなんでも共同体云々に気血させるキチガイとか脳に障害がある''
アドラーはフロイトの派生でしかないだろうという、俺の読みは多分真だろう。
まあそれでも約束したから、推薦図書二冊は読むが、それも俺の知恵の肥しに
しかならないだろう。岸見も多分、俺の見込み通りとんでもない俗物だろう。
まあ、逐次アップデートするよ。 >>55
オーケー
これ読んでみると良いかも
http://jalsha.cside8.com/diary/2016/03/12.html
日本の共同体感覚、俺の共同体感覚という表現をするとちょっと語弊を感じるよ
ゲマインシャフト感覚は笹やんの想いに寄り添えるんじゃないかと思う アドラーユングの研究もいいとは思う
しかし、教授でもない一般人が半端な理解で深層心理に触れると間違った認知と推測で真実から遠ざかるだろう
共同体云々も定義を理解していない者が
適当に議論し合っているだけで噛み合わない
だからまず最新のハッキリしたカウンセリング効果のある認知行動療法を学ぶべき
最悪なのは認知行動療法を知らない臨床心理士が大多数である点
スクールカウンセラーも一部の人しか認知行動療法を知らないらしい
そんな臨床心理士が役にたつとは思えない ビジネスマネジメント項目のファシリテーター養成講習の中で
一枚の画用紙にチームメンバーが無言で一筆ずつ絵を描いていって
一つの絵を完成させるワークがあったわけなんだけど、
他のメンバーの一筆を利用して想像力を高めつつ
他のメンバーを信頼しながら自分が良いと思う一筆を加える経験は
かなり共同体感覚に近い体験に感じたし、そんなチームを職場で作れたら
そりゃあ良い仕事ができるだろうよって感じたし自分が先ずそう在ろうと思えたよ なんつーかね
理論を支える過程の根拠や論理の繋がりが穴だらけだし
その先に導かれる結論もここでは的外れだし
とにかくずっと痛々しくて支えてあげたくなっちゃうんだよ。
持論だけどアドラー心理学やると私的論理に気付き易くなるから
論理的な思考による認知の修正に役立つよ。 >>57
ありがとう。野田さんはその宴会で繰り広げられる光景に素直に溶け込めず殻を作ったと。俺はそれでいいと思う。
相互に理解しえないのに必要以上に親交を深めようとする必要がどこにあるのか?
そうした状況など、何処の国でもいつの時代でも起きることだ。
そんなこんなも含めて、表面上の合う合わないもあって、それでも総体としてみたときに平和で豊かなゲマインシャフトであればいいわけだ。
じゃあどの平和や豊かさを誰が守るんだ?日本というゲマインシャフトはそれを自律的に成就することが出来ず、弱者を多々生んでおり、その豊かさの土台を壊している。
だから俺は現代日本のゲマインシャフトの状況を受け入れるつもりがない。
いや、受け入れて、その上で短所を改善させていただく。
それは限られた種類の人間にしかできないことだ。 >>60
それは誰に向けてのコメントなのでしょう? >>58
その通りだと思います。先ず認知行動療法を勉強することが先だと思いますし、これからそのようにします。 >>61
>ゲゼルシャフト論者たちは、「全体のために個人が犠牲になる」と言い表すのだが、
>それは彼ら自身の心の中にゲマインシャフト感覚(共同体感覚)がないからだ。
>もし対象の人間集団を「親しいあなたたち」だととらえているなら、
>その人たちのために貢献することは、喜びではあっても、苦しみではない。
上記の文章は目に入ったかな?
日本の社会が弱者を生み虐待を黙認するものならそれはゲゼルシャフト社会なのでは?
そして自分の意に沿わないものを頭から否定する感覚はゲゼルシャフト的な感覚であり
あなたの掲げる理想社会の反対側に位置するのでは?
国際連合の思想を生んだカントは世界平和を絶対条件に決めてしまうと
その為に意に沿わない国を攻撃するしかなく、自己矛盾を生んでしまうことを指摘し、消極的目標とするべきだと提唱した
同じ様にアドラー心理学でもゲマインシャフト感覚は消極的目標にするべきだと教えている
絶対条件にしてしまうとそれは宗教の盲信と同じことだからだ >>63
アドラーが肌に合わないと感じたところで認知行動療法から始めるのはすごく良いことだと思う
きっとまた道が交差するときも来るんじゃないかと思う
またその時を楽しみにしてるよ >>64
日本の現状をゲゼルシャフトと呼ぶならば、俺はそこから排他的な扱いを受けてきたといえる。
だから、悪いが変えさせてもらう。
別に誰かを地獄に貶めるつもりはないし、適材適所を成し遂げるだけだ。
別に国民生活の中身はそんなに変わらない。ただ、適材適所の不徹底により生じた弱者が、元の鞘に収まればいい。
俺だって、誰かがそれをやってくれるなら、わざわざ重い腰を上げようと思わない。表立って活動するのって、エネルギーいるし、多少の沙汰は避けられないからな。 というかな、そのゲマインシャフトとかゲゼルシャフトとか、下らないんだよ。
どっちも重要な感覚であって、互いに不可分なんだ。
俺は現状のダメな日本を受け入れて、変えると決めただけだ。 そのゲマインシャフトとかで、親しいあなた達への貢献で、世の中救ってみろや
新潟の女の子をどうすれば守れたか?どうすれば時間を回避できたか?
真面目に考えろやボケ
お前らがボーっとしてる間に人が死んでんだよ
人間の屑どもが 革命は弱者側の異端から始まる
革命によって虐げられた人間の屑達が新たな弱者となる
そして歴史は繰り返される カッカしてもしょうがない
心は熱く頭はクールに生きたいもんだな >>71
悪いが、俺はその歴史の繰り返しには徹底的に逆らわせてもらう。
俺は革命など起こすつもりはないし、天地を入れ替えるようなことをするつもりはない。
不必要に高い地位にある者を相応の地位に、理不尽に低い地位にいるものを相応の地位に戻すだけだ。
革命など必要ない、今の社会的枠組みの中で平和裏に成し遂げてやるわ >>72
さて、自分が実際に悲惨な目にあったとして、そんな戯言をいつまでいっていられるかな?
甘いんだよ >>73
うん、基本的に標準的な日本人と同じ思想だと思う。
応援してるよ。 精神分析によって封印されていた過去の記憶を「ほりかえした」ように見えて、
実はありもしない記憶が「捏造」されただけであるケースが複数ある事が指摘
されている。たとえば、女性の患者が精神分析に父親からの性的虐待を「思い
出した」為父親を訴えたものの、実際には虐待の証拠は発見されず父親が勝訴
するという例が複数存在する。
精神科医にしてフェミニストのジュディス・L・ハーマンはこの種の記憶捏造の
原因になったとしてたびたび訴えられた。彼女は、患者自身が疾患の原因として
「仕事がつらい」、「妻とうまくいかない」などといったものを挙げていたとし
ても、疾患の原因は幼児期に両親から性的虐待を受けた事であると断定した。
もちろん性的虐待の覚えなど無い患者はそれを否定するのだが、ハーマンらから
「それは記憶を封印しているだけ」、「思い出さねば治らない」といった言葉を聞
くうちに虐待の記憶を「思い出し」、両親を告発する事になる。結果的にこういっ
た虚偽記憶に基づく訴訟が表に出た事でそういった治療が正しいのかと反発を受け、
回復記憶療法は2000年ごろまでに完全に停止された。この結果、フロイトの提唱した
抑圧された記憶の考えは、完全否定はされなかったものの非常に疑わしくなった。 >>77
そのハーマン医師がただの変人だったのか、
それか実際に性的虐待があっても証拠が出てこなくて揉み消しに成功しただけか、
全くわからないな。
で、何が仰りたい? アドラー心理学は本じゃ学べないと言う割に講座が少な過ぎるでしょ…
別の意味で学ぶのにハードル高い >>40
マカーへのネガキャンはやめてやれ
マカーが皆君みたいなアホと思われても困るだろ フランクフルトと読み違えるのをフロイトはチンチン好きと名付けた >>81
読んだことない。面白そうだ。読んだら感想書くよ。 >>86
アドラーにしろ、フランクルにしろ、認知療法・認知行動にしろ、
腹くくってやらないとだめなんじゃないですかね〜。
どれもカジッテは投げ、カジッテは投げじゃ、どれも同じだよ。 認知行動療法を、ある程度真剣にやるつもり。
公認心理士資格目指すのはありだな。調べてみるよ >>88
と思ったら受験資格はガチガチみたいだな。
まあ勉強はしていくよ ちなみに、アドレリアンがアドラー心理学や認知行動療法を学ぶのは自然なんだけど、
アドレリアンでもなく心理士を目指してるわけでもなく精神疾患を抱えてるわけでもない普通の人が
認知行動療法とか学んでその先にそれでどうしたいのかな?
認知行動療法リアンになるのかな?
もし精神疾患的な生き辛さを抱えてるとかだったら
とりあえずカウンセリングを受けに行くとかの方が良くね? 野田さんのブログ見てると人のこと浅はかな考えを持ってるだの糾弾したり政治家に点数つけてみたり
セミナーに来た初顔の人をどうせブームに乗っかった奴らに違いないみたいなこと書いてるんだけど
共同体感覚高くてもこんな感じになるものなのかな?
よく分からなくなってきた 補正項によれば循環器科の先生から躁うつ病か心身症とみなされたらしい。
せめて心の病気ではないと信じたい。 まあアドラー本人もそうだし、何かしら抱えた上で
それでも幸せに向けて生きる為の道具としてのアドラー心理学なんだろうな 前スレで、「昔の自分を見ているみたい」と言われたものですw
生きるために大切なこと、とアドラー実践講義を読みました。
原書は多少わかりにくかったですが、今になって思うとなるほどなと思うことが多かったです
実践講義は、ほぼ嫌われる勇気と同じような内容でしたが面白かったです。
以前の課題の分離の捉え方だと、共同体感覚が得られなかったんだなあと改めて思いました。
最近は人のためになることを考えて、共同体感覚を持てるように行動しています。
昨日会ったある人から僕のことについて
「〜さんてもっとツンツンしててプライド高そうな感じだと思ってたのに意外」と言われましたw
ちょっと効果あったのかなと思って嬉しかったです。 >>91
年取ると自我が強くなってしまうよね
野田さんも俺たちと同じ不完全な人間だよ >>86
夜と霧はおもろいぞ
肉体的にも精神的にも追い詰められた状態で選択肢が存在するということに俺もずいぶん勇気付けられた
俺上司に片目を潰されててあんま長い時間本読めないんだがアドラーとフランクルだけはコツコツ読んでる >>91
全体論で考えるといいかも
協力的ライフスタイルは競合的ライフスタイルを否定する、のではなく受容する事で統合される感じ
「怒っちゃいけない」のではなく「怒りの感情を使う必要がない」
この違いは大切だと思う
怒りには支配という仮想的な目的があって、さらに究極的には所属が目的なわけだから決して悪いものではないんだよね
「怒るのは良くない争うのは良くないみんな仲良くしなきゃ協力的にしなきゃ」という信念を抱えていると、陽極まって陰という感じになってしまう
「お前ら権力争いは良くないぞムキー」みたいな >>97
確かだいぶ以前もその話してたよね?
最近古参がけっこう残っている事がわかる機会が多くてなんか嬉しいよ >>90
認知行動療法は入門本をちらっと読んでその日からノートでも作って自分で実践できるから便利なんだよ
普通に最近うまくいってないなってくらいの悩みにも効果的
ただまともにやってたらアドラーを否定して認知行動療法を売り込もうとはならないはず >>95
こんばんは。「昔の自分を見ているみたい」と言った方の者ですが、好調そうにしていらして嬉しいですw
ですね、いわゆる嫌われる勇気流の、「レベル1)相手を切り離すための課題分離」を突き抜けていくと、
「〜さんてもっとツンツンしててプライド高そうな感じだと思ってたのに意外」と言われたりするでしょうね。
我々という文脈を切らずに続ける、つまり共同体感覚をグリップすることで、
それまでのスキルは変質して、「レベル2)互いに自立したまま握手できる課題分離」になりますから。
言い換えるとこれは「レベル1)あなたの問題はあなたが処理せねばならない」と、
「レベル2)我々の問題をそれぞれ分担してあたっていこう」との相違なんだと思います。
我々という文脈を挟むことで、明らかに上記二つ、言われた相手の抱くであろう心持ちが違うわけですね。
嫌われる勇気が有名になったのは、課題の分離というスキルを皆に教えたことが大きいですよね。
つまり相手の仕事を相手のものだと見定めて、そうして役割を決めたら機械的に相手を切り離す、その経験。
こういう心理的操縦って元来、罪悪感があったはずです。たぶん。冷たく見えるしよくないんじゃないか?ってw
それを心理学権威的に正しいと認められて行使できるのが皆、気持ちよかったんじゃないですかね。堂々と冷たくなれてしまった。
とはいえ「レベル1)あなたの問題はあなたが処理せねばならない」は、練習として私は必須だと思ってます。
「レベル2)我々の問題をそれぞれ分担してあたっていこう」は、まず役割の線引きができなくちゃ成り立ちませんから。
自分の心を観察していても、分担という内心作業の中で、レベル1の見定め、役割の区切りといった心理操縦が基幹となっているのを感じます。
以前、理論がもっと深く使えるようになりますよ、って感じで書いた気がしますけどそういう意味なんです。アドラーは心理的操縦をひとつひとつ組み合わせていくんです。
>>95さんは貪欲だし飲み込みが早い。アドラーは体験学ですから、そのまま、ばんばん自分を観察しながら動きの中で確かめていってください。 それって気楽に生きていけばいい、ってだけの話じゃん
で結局さ、恋愛相手が共同体wの仲間に取られたら仲間云々なんて言ってられないだろ?
フロイトの説に鑑みれば共同体参加って恋愛相手見つけるための物だろ?
それで、恋愛成就する奴って空気読まない奴だったりするからな
だから結局恋愛相手を掴めれば共同体云々なんて気にしなくなるだろう それって気楽に生きていけばいい、ってだけの話じゃん
で結局さ、恋愛相手が共同体wの仲間に取られたら仲間云々なんて言ってられないだろ?
フロイトの説に鑑みれば共同体参加って恋愛相手見つけるための物だろ?
それで、恋愛成就する奴って空気読まない奴だったりするからな
だから結局恋愛相手を掴めれば共同体云々なんて気にしなくなるだろう >>105
その謎理論に対する反論はなに?
ここはアドラースレだよ >>103
でも嫌われる勇気で見て以来、課題の分離や権力争いという言葉を見かけなくなったのですが
これはアドラーの考えなんでしょうか?
このスレで誰かも言ってたんですがアドラーの考えからの岸見さんの理論とか?
最近は共同体感覚もそうですが目的論にもハマってまして
自分の行動を逐一、今のはこういう目的があったからだな、とか考えてますw
でもやる気が出なくてやらなかったことを、「今のは自己欺瞞だな」と思って出来るようになってきたのは良かったです。 課題の分離はカウンセリングで使われていた責任の所在という言葉を、日本人向けに応用した野田さんのアイディア
権力争いはドライカースが教師向けに、子供の不適切な行動を段階別に分類したうちの1つ 古賀さんがキーマンだよな。
古賀さんが野田さんと組んでたらどんな本になっただろうか?
野田さんが100分で名著に出てたらどんな番組になってただろうか? 乱暴な言い方をすると嫌われる勇気は、課題を分離して、トラウマを言い訳にしないで、自分のやりたい事をして自由に生きよ!って言う自己啓発理論
アドラー自身は、劣等感の補填(目標追求性)という人間の特性を個人の共同体感覚の育成のために使えば、争いのない社会を築けるんじゃないかという理想追求理論
実際にアドラー心理学が体系化して使われているのは実はどちらでもなく、教育や治療の場で被験者と目標を一致させ、人と人が協力的である時の連帯感を体験する事で、人と競合しなくても暮らしていける事を学んで、自立的な個人を育てるという使われ方 >>110
古賀さんは商業的にも嫌われる勇気ってタイトル通り課題の分離を強調したいんだろうからなあ
正直共同体感覚全面に押し出したところで日本人には嵌らなかったと思うし
野田さんと組んでもあまり変わらなそう
というか野田さんキレて話進まなそう 野田さん曰く「私は嫌われる勇気なんて持ち合わせていないけど、幸せに生きていますよ」 >>91
>>93
我々の心、我々の身体という、我々の人生というゲ ームの道具は、残念ながら買い換えることができないんですね。かなり癖のある道具かもしれません。けれども、この癖のある道具を使うしかない。 >>114
嫌われても気にしてないということではないですか? >>115
うん、そのとおりだと思うし、それでいいと思うな俺も >>116
http://jalsha.cside8.com/diary/2016/12/08.html
そういう文脈ではないね
嫌われる勇気などなくてももともと人は自分だけの人生を生きている
むしろ課題の分離は「人にどう思われてもいいという意味ではまったくない」そう 日本に於けるアドラー心理学は岸見アドラーがスタンダードになりつつあるね。
社会常識や道徳はむしろ野田さんより岸見さんの方が心得ているだろう。
古賀さんともやっていけたし出版社からのオファーも多いし、
NHKからもお呼びもかかるし。。。 幸せになる勇気「悪いあの人、かわいそうな私、これからどうするか」→自己啓発的
アドラー心理学を語る「悪いあの人、かわいそうな私、私にできること」→協力的 >>113
>というか野田さんキレて話進まなそう
きっとあなた野田さんのことよく知らないでしょw 古賀さん・岸見さんがいなければ、日本のアドラー心理学は
知る人ぞ知る心理学で終わってたよ。
岸見さんと野田さんの立場が逆ならよかったのに。
岸見さんが野田さんより前にやってたらな〜。 >>121
知らない
けど文章読む限りなかなか毒突くなあとは思う >>123
むしろ知る人ぞ知る心理学で終わってて欲しかったよ
アドラーが好きなの?なんであえて?くらいの時がよかった >>127
おっとべつに批判されようが自己責任だよw 向後の実践講義を読み終わりました。
1つ岸見の嫌われる勇気よりもマシだと言えるのは、アドラー心理学はあくまで仮説であり、その域を出るものでないと何度も強調していることでしょう。
著者本人が述べる通り、あくまでも仮説とすることで、学術的な論争を回避しながらも、役に立つ人には役に立つ考えであることを認めている。
これであれば私は特に文句はありません。 内容については突っ込みどころは沢山ありますが、まあいいでしょう。仮説なのですから。
全ての人間が互いに思いやる感覚を持たねばならない。まずあなたがそうしなさい。そうすれば地球はより良い場所になるはずです。
書いてあるのはそのくらいのことです。
途中の技術論や思考のテクみたいなのは、私にとっては殆どが既に自明であり、驚きや発見は無いに等しいです。
共同体感覚を持てば人間関係を改善できると主張していますが、そんなに世の中甘くないでしょう。人によって正義の中身や比重は違うわけで、相手に通用しなければ意味がないわけで、
そんな包摂的な相互理解が出来るほど世の中に余裕があれば、すでにそうなっています。
まさに机上の空論以外の何物でもありません。お互い近いもの同士で共同体感覚を共有して、仲良くしてください。どうぞ勝手にしてください。
そしてその共同体感覚を私に押し付けないでください。貴方達の共同体感覚は、社会を豊かにする真のプロフェショナリズム、職業観が抜けています。 >>131
居ません。子供を安全に食わせて、しっかり教育するだけの財力がありませんから。結婚するつもりも今のところはありません。 >>132
なるほどね
なんか包括的な相互理解って言葉が気になって
たぶんそんな事アドラー系の本には書いてないでしょ?
俺は嫁の事も子供の事も好きだけど一生かかっても理解し合えるなんて思えないのよ
アドラーって課題の共同化ができなければ介入しないのが原則だから、相互理解なんて可能なのはごく僅かの人の少しの部分だけだろうなと思うのよ
共同体感覚って笹さん的解釈だとどんな定義なの? >>133
逆にアドラー心理学の定義するところの共同体感覚を、私が知りたいくらいです。
貢献や愛情などに出力することで幸せに近づくみたいなことが書いてありますが、良く分かりませんね。
私が思うのは、主権者としての自覚が日本人には足りないので、国家運営がどうしても歯抜けになり、弱者が生まれてしまう。
そこをなんとかしたいわけですね。 うちの親の世帯年収300万切ってる事を大人になって最近知ったんだがよく俺を埋めたよな
あいつら勇気あるよなwww >>134
共同体感覚っていろいろ説明はあると思う
所属感、信頼感、貢献感、ってとこだと思うんだけど
あくまで私的感覚なはずなんだよね
相手を思いやるとか貢献するとかってのは「自分が」そういう私的感覚を獲得するためにやるもの
前提は社会統合論だから、自分が変われば関係性は必然的に変わるわけだけど
相手は自分が思うようにはほぼ100%変わらないよ
だから国家運営とか弱者を救うのには向いてないと思うよ
自分しか変えられないから 子育てのアドラー本とかね、子供じゃなくて読んだ親自身が変わる方法が書いてあるわけだよ >>134
不完全な日本人を完璧に近付けていく私という考え方ではなくて
不完全な日本人と不完全な私のそのままを受け入れて
みんなにもそう思ってもらえる方向に振舞っていくのが
アドラー心理学の考え方だと思うよ
ちなみに笹やんが弱者救済を達成した時に貢献感と愛情で幸福感を得られそうだとは考えられないの? >>130
それには同意しかねるな
ヘーゲル的歴史観に立つ俺からすればテロスがニヒリズムに否定され得るアポリアだとして
そのドラスティックなヒューマニズムの上にアジェンダを構築することがアルチュセール的構造主義における、ミームだ。
いずれにせよ、ケイオスティックな人間存在における経験をテクネーへと、普遍へと、止揚することが、デカルト的パラダイムのモダニズム的出発点だ。
エピステーメー的に論考すればリングイスティックターン以降の日常的言語学派におけるアフォーダンスをシラバスにおいてエキュートすることが
アカディメイアのタスクだと思われさもなければ想像の共同体はサイバーカスケードの上にもろくも崩れ去ってしまう。 「共同体感覚は机上の空論だキリッ」
「共同体感覚をどう定義してるの?」
「よく分からない知りたいくらい」
分からんのかーいw
沢山ある突っ込みどころって主張もまだまだあやしいよ。
まだどれも極端な思い込みでそう見えてるだけってのが拭えなくない? 権威を失墜させて弱者を救う事が俺の共同体感覚だという発想自体がよく本を読んでない証拠だろうけどさw
まあ使命感に燃えているうちはがむしゃらに頑張ってみるってのもありだと思うよ
課題の分離の本来の目的は結末を体験するためだしさ 人間関係よりも国家運営や弱者救済、格差補正の答えに近づきたいなら
心理学の類よりも哲学の方から学ぶべきところは多々あるだろうね
資本主義社会の批判と安易な対案だけじゃ前に進めずに潰れるだけなんじゃないかと思う
マルクスを読んだ上でこれまでの社会主義国家で起こったことを詳しく調べて考察してきてるのか疑問があるし
東浩紀からも良いものが学べるんじゃないかと思う
その上でアドラー心理学は使える理論だと俺は考える ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています