アドラー心理学総合 31【嫌われる勇気】
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■関連書籍
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
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■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 どうにか自分を正当化するのも権力争いに当てはまるんでしたっけ? そうそう、自分でできる食器洗いをさせないというのは甘やかしだという話がありましたね
甘えを許さないって記述は見たことないけどw アドラーの言う甘えって、自分の課題を他の誰が片付けるべきだという考えや
願い事をしたから叶うべきだだとか、白馬の王子さまが迎えに来てくれるはずだっていう類の話だと思うよ
勇気が挫かれてる状態を甘えだと切り捨てる話はしてなかったと思う
相談を受け勇気が挫かれてると診立てたなら勇気付けるの一択なんじゃないだろうか 簡単だよ
甘えてるなこの人と思った時に
おまえは言い訳を持ち出して甘えてるだけだよって指摘して行動に追い込むのと
建設的な行動を取れるように居場所と出番を感じる援助をするのと
どっちがアドラー的か こんなところに来て愚痴こぼして、吐き出させても何も解決しないし
建設的にならないと思うけどな〜 人はなぜ〜今は1/3ほどです。
ゆっくり反芻しながら読んでいるので時間がかかって申し訳ない。
下記感想を述べているが、飽くまでat this stageの話であり、
将来的に撤回/謝罪を行う余地を私に残してくださることを乞う。
さて、この本の中では、彼が現場で出会った様々な人たちを例に出し、その共通的な傾向として
生育の経緯で誤ったライフスタイルをの選択があり、そこからの解放が必要であるということにある。
アドラーの見方は各論でみれば精度を高めようと彼が努力していると感じるし、カウンセリングによる原因/背景の炙り出しと、
慎重かつ辛抱強い勇気づけを行うことが必要である、ということ、これもそうだと思う。
しかし、これは彼のプロフェッショナルとしてのあるべき論であって、
彼が彼のであるべき論ほどに 実際に慎重かつ辛抱強かったか、というところには疑念を挟まざるを得ない。
この本には彼の数えきれない程の自己弁護が顕れている。
彼自身も、彼の人生というライフスタイルを既に選択させられており、
彼自身がそのライフスタイルからの自由の為に苦闘していることがありありと判るわけだが、
そのことは彼のフロイト学派への攻撃から見て取れる。
アドラーの分析は、何と他の学派との相似形が多いことか。
その分析は本当に十分か。真実を探求する科学者としての道と、臨床の現場で最善を尽くすこと、
これは少なくとも理屈上では対立すべきものではないと思われるのだが、
彼は真実の探求を蔑み、必要以上に攻撃しているように映る。
彼はラプラスの悪魔に対する問答を回避したように、僕には映る。
それにより、時代を超越する普遍的な知識人としての地位に到達できていないと感じる。 >>427の
>>5chの情報量で彼にアドバイスできるほど十分な理解をすることなんてとてもできないでしょ 。
につきる。 なんか流れぶっ壊してしまうかもしれないんですが質問いいですか? >>480
愚痴や吐き出しが問題行動的なら注目を与えなかったり建設的な面を強調して返答するのが望ましいのであって
勇気くじきが適切ではないのに変わりはないのでは? >>485
ありがとうございます。
僕、前のスレかな?そこで音楽やってますって言ったものなんですが
最近考えているのが、人前で演奏するときの緊張についてです。
自分は演奏し始めは結構緊張してしまうのですが
時間が経っていくにつれて緊張も和らいでいくのもわかります。
この緊張、あがりについて共同体感覚と関係がありそうだなと思っているのですが。
詳しい方に教えて頂ければ嬉しいです。
またはその事について書かれた書籍などを紹介してもらえればとも思っています。 例えば上司から叱られることを勇気くじきと捉える人もいるし、
それをバネにしたり、或いは教訓・反省として捉える人もいるから、
受け取る側の姿勢にも問題があるんだよ。 >>489
その受け取る側の姿勢を問題側に傾けやすい態度のことを勇気くじきと呼ぶのですよ
相手を変えることはできず変わるならこちらからですよ あ、質問が抽象的でしたね
要はその最初におとずれる緊張をもう少し和らげたいと思っています
少し演奏に支障が出てしまっている感じなので >>488
緊張やあがりは危険を回避するための身体的反応なので、
披露する相手がたに対して競合的なライフスタイルを持っていると考えられますね
途中から緊張がほぐれるのは、演奏の場を周囲と協力的に作り出している感覚や
周囲に対して失敗を見せたとしても問題はないという課題の分離的な潜在的安心感が考えられると思います
この協力的で安心感のある状態を意図的に作り出す練習を重ねることで
あがりなどは解消できるのではないでしょうか >>492
僕はこのスレではある意味問題児なので、それでも良ければ。
音楽をやるという動機について。
@普段孤独を感じることがあり、音楽を通じて共感を分かち合いたい、観客に受け入れられたい。
A特に普段寂しさなどは感じていないが、湧き上がるインスピレーションを表現し、観客を酔わせたい。
かなり大雑把に言ってこの二つと仮定したいと思います。
そして二つの要素の配分や、ご自身の日常的な気分との関連がポイントかと。
完ぺきではない、練習不足だと感じているけれどもステージに立つことが決まっている状況であれば、
当然どちら側の動機であっても緊張するのかもしれませんが、
@の動機が強ければ強いほど、その緊張は増すような気がします。
徹底的な練習や本番を想定したリハを行う環境に恵まれているならば、恐らくそうするのが一番安全でしょうが、
難しい場合は、身近な人に身近な形で披露する機会を増やし、彼らの反応を見るのがいいのかと。
観客に評価されたいのであれば、観る側の人の評価をより重んじ、
演奏者からの評価が必要なのであれば、彼らの評価を重んじる。
いずれにせよ場数を踏む中で、安全にステージに立ち向かえる状況を自らに備えるのがいいかと。
その安心感の中で、貴方が望む以上のことが起こるかもしれない。 >>489
あなたより笹やんの方がもはやアドラー心理学を理解してる感じがする >>493
途中で送信してしまいました
やっぱり僕が考えていたのと大体同じでした
競合的なライフスタイル、かなり強く持っていると思います。
いや、持っていたと言った方がいいかもしれません。
アドラーを知ってからは、そのライフスタイルを変えようと意識して
いろいろな人と共演したり、積極的に楽しく会話したりして仲間だと思うようにしてます。
もちろんすぐに解消できる問題ではないと思いますが、地道に続けていきます! >>495
僕の場合は@の比重がかなり大きいと思っています。
「あいつより上手くなってやる」という思いでひたすら練習してきた日々があったので
もちろん今はそういう考えはあまりないですが
やはり場数ですよね。
緊張しなくなってきた時の状態って「ああ、これが共同体感覚なのかな」と思ってます
要は普段の自分のありのままの姿を見せられる自己肯定と他者信頼ですね。 >>498
どの段階の自分を披露されたいか、それはご自身の美学によるでしょうね。
お節介ですが、ご紹介します。もしよろしければ。
サンボマスター 強烈な飢えの表現 が 福島の観客に刺さる
共同体感覚の高まりと言っていいでしょう
https://www.youtube.com/watch?v=1xndR87uLFM
中澤のぶよし 自由闊達の一つの境地
https://www.youtube.com/watch?v=nIGiNNPAu3A&start_radio=1&list=RDnIGiNNPAu3A
故人ですが名ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツは、
その超絶的な技巧でならしましたが、彼はやがて抒情的な表現
の高みに辿り着く。彼を愛する観客は少々のミスタッチなど些細な
こと、というよりはそれも含めてすべてを愛する、という感覚に。
https://www.youtube.com/watch?v=e8PJsjO1u5w
しかし、ホロヴィッツもかつては舞台でプレッシャーに押しつぶされ、
一般では回復不可能と思われるような失態をさらしたこともあったと
聞いています。そして晩年のこの輝き。 >>489
ありがとうございますまた見ますね
笹さん音楽好きなんですか? >>500
好きです。
好みかどうかはわかりませんが、話の流れには沿ってると思います。もしよかったら、お時間あるときにでも。 >>496
挑発的なレスやめな
489ではないが、
おれは>>489より
お前の方がヤジで的で卑怯者だと思うけどね。 >>498
課題がしっかり見えていらっしゃる様にお見受けします
演奏の出来栄えに対する他者の目を協力的に捉え直したり、
不出来な結果も貢献的な感覚に捉えていく為には僕もやはり場数がキーだと思います
アドラー心理学ワークブックも役立つように感じました
演奏の出来栄えについて、アドラー心理学で言えばありのままを受容するのが望ましいとは思いますが
そこはアーティストとして、自分の想いを追求しても問題はないのではないかと思ったりもします 誰が悪いかよりも、どの様に協力し合えるか考えてみませんか? 昔ドラマであった、ピアニストの指が動かなくなる現象も
アドラー心理学で回復しそうな感じがするよね >>496
笹やんより、あなたの方が卑怯な感じがする >>495 >>ある意味問題児
相当な問題児ですよ 競合心と復讐心に囚われてる自分に気付いたら
貢献と協力に置き換えるっていうトレーニングをするのが良いよね
例えば競合心を抱く理由はマナーを啓蒙することで公共の場を
皆で気持ちよく利用できる様にしたいんだという善の気持ちからくる場合もあるし
良いものを皆に知ってもらいたい善の心から復讐を利用してしまう場合もある
そこが分かったら建設的な方法とそこに向かうための協力的な態度を工夫してみることで
その考え方が自然と身につく様になると思う >>496
実際詳しいかもね。嫌われる勇気が基本になっている場合、ライフスタイルを競合、協力の選択レベルで話はできないとは思ってた。
でもそれを言っちゃあ反感買うだけでしょw 個人的には競合的な感情は自分と似た者に対して起こりやすい説を推したい
相手の言葉や行動を否定したいと感じるときって
自分がそれをしない様に気を付けてるときに起こりやすいってことだと思う
そのジャッジの基準を顕在的に強めに抱えているんだと言えるし
そうじゃない自分を抱えているからこそそうなってるんだとも言えるんじゃないかと思う
だから俺も競合的な感情が起こったときに、なるほど俺にはこういう部分があるんだなと振り返る様にしてる
臨床系でよう言われる投影ってやつが近い概念なんだっけ? 【幸福の科学】清水富美加「枕営業」発覚か!?【大川隆法】
https://togetter.com/li/1230345
【枕営業発覚!?】千眼美子(清水富美加)、絶体絶命! 教団永久追放へカウントダウン開始!?
http://6622.teacup.com/takanoriookawa19560706/bbs/2690
幸福の科学教祖、大川隆法より、千手千眼観世音菩薩認定された、千眼美子(清水富美加)の
KANA-BOON飯田祐馬との不倫に次ぎ、レプロ時代の「枕営業」が発覚!?
千眼美子(清水富美加)、絶体絶命!
教団永久追放へ、カウントダウン開始!?
教祖の長男にしてアリプロ社長の大川宏洋氏は、既に教団永久追放処分。
次いで、三男、雄太の新妻にして、アリプロ「もう一人の看板女優」雲母も、家族丸ごと教団永久追放。
次は、千眼美子(清水富美加)の永久追放は必至!!
教祖の逆鱗に触れ、中核メンバーが次々と粛清されるアリプロ。
そして唯一の、教団維持の生命線だった千眼美子(清水富美加)の「枕営業」の発覚。
アリプロ、倒産の危機!
幸福の科学、まさに崖っ淵!
「怒れる宇宙神・大川隆法」の運命や、如何に!?
https://ameblo.jp/01000440ktndy/entry-12378547163.html >>511
あなたは、何が基本になっているのですか? >>492
先のお二人よりも簡単に全体論から。
演奏の場で、人に貢献しよう、今のの自分を受け入れよう、観客や演奏メンバーを信じようといった協力的な方向性に踏み出そうする時、いわゆる「勇気」がいるわけです。
今までの保守的なライフスタイルから飛び出したから。
つまり、「あがる」「びびる」「緊張する」というのは勇気をだして競合性から抜け出そうとしている証です。
むしろ誇らしく受け止めていいと思います。
そんな感じで緊張に対して自己受容した時、協力的なライフスタイルへの変容→共同体感覚が育成される。という事になり、緊張が緩和されると思われます。 >>512
これはわかる!
人を非難したい時ってだいたい同じパターンに自分自身が陥っているんだよね。
でも自分が非難しようとしている相手と自分が同じだと思いたくないから、意識下には出てこない。
でも自覚できると簡単に協力的な方向に転換できるから、積極的にこの理屈を利用した方がいい。 要は赤信号で待っているときに、
渡っちゃう人がいると、
こっちは守ってるのにあの人は何よって
無意識に思ってしまうってことですよね。 >>496
あなたコソコソしてる。
コソコソした人生、可哀そう・・・ >>496
anataコソコソしていてゴキブリみたい >>496がこんな風に言われるのは辛い。
俺が悪かった。。。 誰もがふとしたことで賞賛、注目、競合、復讐、無能の段階に陥る可能性を持ってるってことなんだろうな >>496とゴキブリと笹やんてコンビだと思います。 6間違えました。
>>496とゴキブリと笹やんがいいコンビの書き間違えでした。 >>496
anatahasasayandesuka?
soretomogokiburidesuka? 496に加担するわけじゃないけどさ
アドラーを学んだ学者の本じゃなくてアドラー本人の本に手をつけた事ある人がここにどれだけいるかって言ったら、きっとそんな多くないんじゃないかな?
俺も人生の意味の心理学買ってみたけどなんか読むの億劫になってしまって全部読めてないわw
俺なんかからすると笹やんは立派なアドレリアンだよ
そういえばパセージの解説本がもうすぐ単行本で出るみたいだね
これは楽しみ
アドラー心理学のテキストになり得るのか >>517
そうですね
赤信号を渡る人を見ても何も思わない人もいるし
危ないなあと感じる人もいるし、急いでるのかなと思う人もいるってことですね 笹やんの同情された人生と>>496のコソコソした卑怯な人生はお似合い ゴキブリも共同体の一員だからね〜
笹やん=ゴキブリ >>496問題にいつもの荒らしが便乗してきたからしばらく根深い事になりそう 見下すことで自分の優越感を確保していたのにそれを否定され
さらには見下していた相手の方が優れてるとまで言われて
自分を支える優越性を保つ為になりふり構わず復讐に転じる癖が出てしまったという形かな
釣りエサが微妙すぎるから荒らしとしては初心者なんだろうなとも思えたりする つか、アドラー心理学は宗教じゃないので、
自分がアドレリアンだと思えばアドレリアンじゃね。
笹やんも自分で思えばアドレリアンなんだよ。
笹やんにその自覚があるかないかで他人が笹やんをアドレリアンか
どうかなんて言う資格はない。
他人からの承認なんかいらないよ。
宗教みたいなものかもしれないけど、実際の宗教じゃないから。 >>532
本当だね
パセージのハードルが下がるのはいいことだ >>517
思い当たる節が大量にあるので、出来るだけ気をつける。 一度ちゃんと謝ります。
僕の乱暴な物言いで、不快な思いをされた多くの方々に、お詫びします。
申し訳ありません。 >>515
なるほど、そういう捉え方がありますね
確かに最近は自分よりも実力が上の人達と演奏する機会が増えているので
ライフスタイルを変えようとしている証拠として緊張しているのかもしれません
それを自己受容するのはそう簡単にできなさそうですが、場数を踏むことで緩和されていけば良いと思っています
そしていつか訪れる、自分自身の本当に大事な演奏の時に 入りたい学校、会社は自分で選べる。確かにそうだ。結婚したい相手、就きたい職業は自分で選べる。確かにそうだ。
しかし、最終的に、入る学校、会社を自分で選べるか?結婚する相手、就く仕事を自分で選べるか?(受験者全員合格の定員割れ学校、会社でなければそれは無理、結婚も、相手が同意しなければ無理)。
どうするかは(脅迫や意思無能力状態でない限り)基本的に自己責任だろう。だが、どうなるかは徹頭徹尾運なのだ。
良い遺伝子(頭、容姿、身体能力、等)、身分(王、貴族、地主、財閥、小作人、労働者、奴隷、農奴)、お金の多い少ない、様々な運が、自己責任とは無関係に存在している。
トランプの息子と、スラム街の薬中の人の子を自己責任の名の下に同列に語る者がいたら、彼はもはや知能に問題があるとしか思えない。
結果の自己責任を主張する人たちのご意見をお聞かせ願いたい。(それ以外の方々はスルーしてください。) どうするかは基本自己責任だが、完全にそうとも言い切れない。
せざるを得ずしてする場合、それを自己責任とは言わない。(太平洋戦争は日本国民全員のせいだろうか?反対派もいた筈である。しかし反対派には、実権派に対し革命を起こすだけの財力はなかった。) アフリカにおける少年兵を得るための人狩りでは、村を襲い、村の子供に親殺しをさせるという。(後顧の憂いを絶たせ、かつ心を殺して支配するためだろう。)
子供は、もちろんしたくない。しかし、どっちにしろ親を殺されるのなら、せめて自分だけでも生き残るということを選んだのだろう。
これを、その子の自己責任、自業自得という人は、本当に正真正銘のサイコパスだろう。 しかし自ら危険地帯へ出掛けて行って捕まって処刑される事は自己責任だと思いませんか?自己責任という言葉が注目され始めたのはあの事件があってからだと思うんですが。あれ自体はどう考えても自己責任ですよね。誰もそんな危険な所へ行けなんて言ってないし。 自己責任があるならば他者責任もある
2つ割合の見極めがそれぞれの行動を決める
結果の批判は正当
しかしどんな行動も当人にとっては何か理由がある
それを聞いてみることが大切だと思う アドラー心理学は自己責任論じゃないからスレチなのでは? >>548-550は
>>1に書かれているように課題の分離が強調され過ぎると
自己責任論に帰結するという問題提起
もう一つの骨子である共同体のための具体的方策があまり多く語られない
そのため端的でわかりやすい戦争を例に持ち出していると思われる
アルコール依存症の事例を書いていた人もいた
そちらならより身近な問題として考えやすい >>555
アルコール依存性の事例の人ですが、今の流れをおもいきりバッサリ切って
>>515見て思ったことがあって書かせてもらいます
僕なりにアルコール依存性の父を見ていると、飲酒を続ける為に悩みを量産したり、
兄との対立関係を作ったりしている様に見えていて
それ自体はほぼほぼ間違いないと考えているのですが
さらにそこまでして飲酒に依存するのは、父なりの対人関係の善が存在するのでは?と考えています
少し話を戻すと、飲酒への依存はもともと人生で上手くいかないことを飲み込む為の道具として始まったものであり
対人関係の勇気を損なっている状態のはけ口として選ばれ続けてるわけです
つまり、本来の対人関係上の善が本人の中に存在し、
それが叶わない現実を避ける為に、それよりも小さなマッチポンプを作り出してまで
依存を続けているのではないかと考えています
その真犯人的な善は分からないし追求する意味があるのか分からないですが
何かのヒントの様な気がしました >>558
その通りだと思います。
非建設的な行動にも建設的な目的があるというのが、アドラーの考えです。
その人なりの善を理解することを追求する意味があるかどうかは状況しだいかとは思いますが、可能性としては双方が良い方向に向かう第3の案が見つけられるかもしれないです。
それよりも確実に意味があるのは自分自身にとってのメリットです。他者の非建設的な行動を見ても否定的な気持ちが起きず、受容感が高まり、他者信頼が増すような捉え方だと思います。 >>558 からのヒントの続きとして
依存性から脱却できる人というのは、このままではダメだと自覚できる人であり
回復することで善に向かう決意を持てた人とだとも言えます
つまり、所属の善に向かう為の破壊的な行動と決別し建設的な手段を選ぶことに価値を感じられた人とも言えるし
善を選んだところで希望を感じられなかった人は死ぬまでアルコールに溺れてこの世を去ります
俺の事例ではやっと課題の分離が整備されつつある状況で、
これから家族間のより良い協力関係を育てていく形ですが
はけ口の善に選ばれる代替えとなる手段を見つけることが
勇気付けの一歩になるんじゃないかとふと思いました 造語的に表現すると、今後は「建設的なはけ口」を見つけることがテーマになりそうな気がします >>559
ありがとうございます
第3の案っていうのがアドラー心理学的くさくて心地いい響きです
相手なりの善に思いを巡らせるのは、確かに協力関係を築く姿勢に役立ちますね >>558
まさにこういった個別事例の状況の内訳を再統合することで
共同体にとっての次の案が作られる
・父のできること
・兄のできること
・あなたのできること
・アルコール製造業者の問題
・医療体制の問題
それぞれの取り組める範囲や順番が整理されて明らかになることで
初めてコーピングに期待を抱ける
認知行動療法について強く訴えている人がいたが恐らくこのような事を言いたかったのだと思う
しかし行動療法は一方的な正解を与えるのではなく
本人の自発的な意思によって選択肢を導き出す道具であってほしい
そうように使えば当事者ならず周囲の人のプランニングの助けにもなるはず 協力関係を築ける自信って最強だと思う
それだけで共同体感覚が大きく育つね 微妙にリフレーミングされたんだが
それぞれが自己肯定感をベースに幸福を目指す社会はゲゼルシャフトで
自己受容感をベースに幸福を目指す社会がゲマインシャフトってことですね
自己肯定感がベースだと人間関係における自己正当化が生きる目的(自己実現)の大きなテーマになる
自己受容感がベースだと人間関係における協力関係の構築が生きる目的のテーマになる
前からマズローの五段階欲求説に感じていた違和感は、この視点が抜け落ちていることにあるんだと思った
例えば、五段階の不適切な行動とマズローの五段階欲求は同じパラダイムの軸の上にあるけど
ここから共同体感覚に向かう軸に転換させることがアドラー心理学のテーマになるってことだと思う
ただ、共同体感覚に意識を転換させる過程として、マズロー的な優越性の追求のプロットは役に立つと思う >>563
ありがとうございます
基本的に俺のアドラー心理学ベースの診立ては親戚内でマイノリティ的なので
治療方針よりも、それぞれの立ち位置を責任の所在論理をベースに整理するのがメインという形なのが現状です
ただ、仰る様に今の形をベースにこちらの診立てを議題にあげることで
それぞれの考え方と協力関係の方針に徐々に変化をもたらすことが可能になるかも知れません
まあ俺自身も問題解決の中心人物になる為に生活の犠牲を払うわけにいかないので
話し合いの機会があった場合の都度で上記を重ねるだけなんですが
もし親戚内から解決に力を入れる様な依頼があれば、
生活の犠牲に対する補填も議題に入れることができるので
課題の分離と合意ベースの協力関係構築は交渉術としても役立つなと感じてます https://twitter.com/W_Fei_hung/status/996979455653396480
たびたび炎上してるから有名なんじゃなく、普通に画家として雑誌に広告出して
もらったり名鑑に載せてもらってるから有名なんですよwwwwwww
なにこれほんと!悪意がすごすぎる!
22:03 - 2018年5月16日
https://twitter.com/W_Fei_hung/status/996979100123217920
これとかwwwwwwwwww「主にTwitterを中心としたネット上に
於いて過激な発言を繰り返しており、度々炎上している。そのため、
ネット上において画家としては比較的有名である。」
22:01 - 2018年5月16日 >>565
自己肯定感って言葉はアドラー心理学では、居場所があって貢献できると思えている状態というニュアンスで使われたりしてるから紛らわしいんじゃない?
自己受容の対義語だったら自己執着とかかな? 今まで自分を否定したことなく生きてきたから、自分は自信しかない
https://goo.gl/9acXqy >>568
ああ、自己受容と自己肯定を対立概念として捉えるのは嫌われる勇気独自のものなのか
自己執着だと共同体感覚の反対なので自己受容からも反対側に見えるね
自己受容イコール共同体感覚的な感じもするし
不適切な行動の五段階も、自己執着社会の立場で言えば不適切じゃなかったりすることを考えると
結局共同体感覚と自己執着の軸の上での言葉遊びだったってことかも 自己執着と共同体感覚の対立軸の中の内訳に自己正当化と自己受容の対立軸があるって考えても良いかも 障害者福祉に関わってて思うんだけど、障害者認定、給付金とかのライフラインて良いことなのは間違いないんだろうけど、アドラー心理学的に勇気を奪う措置だと思う。
だって回復を進めるよりも障害者然とした方が認定給付金が貰えるんだもの。
精神的障害者認定の為に敢えて自分を追い込んで症状を進行させようとする人もいるくらい。
全体論としてそうなるのが自然なんだろうけど、ちょっと悲しく感じちゃうよ。
生活保護も同じだと思う。
そもそも不正受給は良くないけど、生活困窮者然としてればお金を貰えるんだから、社会復帰への勇気とか奪われちゃうよね。
かと言って無くすわけにはいかないし、本人達の課題だし、難しいな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています