アドラー心理学総合 31【嫌われる勇気】
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アドラー心理学を語るスレです。個人心理学とも言います。 ■関連スレ 前スレ アドラー心理学総合 30【嫌われる勇気】 http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1522498108/ 兄弟スレ アドラー心理学2 【嫌われる勇気】 [無断転載禁止] http://fate.2ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1493067514/ ■関連書籍 嫌われる勇気 幸せになる勇気 アドラー“実践"講義 アドラー心理学ワークブック アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー ■日本アドラー心理学会 http://adler.cside.ne.jp/index.html 学会のテキストはアドラー心理学を学ぶのにおすすめです。メールで注文可能です。 ■課題の分離の注意事項 課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。 課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。 個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 >>496 がこんな風に言われるのは辛い。 俺が悪かった。。。 誰もがふとしたことで賞賛、注目、競合、復讐、無能の段階に陥る可能性を持ってるってことなんだろうな >>496 とゴキブリと笹やんてコンビだと思います。 6間違えました。 >>496 とゴキブリと笹やんがいいコンビの書き間違えでした。 >>496 anatahasasayandesuka? soretomogokiburidesuka? 496に加担するわけじゃないけどさ アドラーを学んだ学者の本じゃなくてアドラー本人の本に手をつけた事ある人がここにどれだけいるかって言ったら、きっとそんな多くないんじゃないかな? 俺も人生の意味の心理学買ってみたけどなんか読むの億劫になってしまって全部読めてないわw 俺なんかからすると笹やんは立派なアドレリアンだよ そういえばパセージの解説本がもうすぐ単行本で出るみたいだね これは楽しみ アドラー心理学のテキストになり得るのか >>517 そうですね 赤信号を渡る人を見ても何も思わない人もいるし 危ないなあと感じる人もいるし、急いでるのかなと思う人もいるってことですね 笹やんの同情された人生と>>496 のコソコソした卑怯な人生はお似合い ゴキブリも共同体の一員だからね〜 笹やん=ゴキブリ >>496 問題にいつもの荒らしが便乗してきたからしばらく根深い事になりそう 見下すことで自分の優越感を確保していたのにそれを否定され さらには見下していた相手の方が優れてるとまで言われて 自分を支える優越性を保つ為になりふり構わず復讐に転じる癖が出てしまったという形かな 釣りエサが微妙すぎるから荒らしとしては初心者なんだろうなとも思えたりする つか、アドラー心理学は宗教じゃないので、 自分がアドレリアンだと思えばアドレリアンじゃね。 笹やんも自分で思えばアドレリアンなんだよ。 笹やんにその自覚があるかないかで他人が笹やんをアドレリアンか どうかなんて言う資格はない。 他人からの承認なんかいらないよ。 宗教みたいなものかもしれないけど、実際の宗教じゃないから。 >>532 本当だね パセージのハードルが下がるのはいいことだ >>517 思い当たる節が大量にあるので、出来るだけ気をつける。 一度ちゃんと謝ります。 僕の乱暴な物言いで、不快な思いをされた多くの方々に、お詫びします。 申し訳ありません。 >>515 なるほど、そういう捉え方がありますね 確かに最近は自分よりも実力が上の人達と演奏する機会が増えているので ライフスタイルを変えようとしている証拠として緊張しているのかもしれません それを自己受容するのはそう簡単にできなさそうですが、場数を踏むことで緩和されていけば良いと思っています そしていつか訪れる、自分自身の本当に大事な演奏の時に 入りたい学校、会社は自分で選べる。確かにそうだ。結婚したい相手、就きたい職業は自分で選べる。確かにそうだ。 しかし、最終的に、入る学校、会社を自分で選べるか?結婚する相手、就く仕事を自分で選べるか?(受験者全員合格の定員割れ学校、会社でなければそれは無理、結婚も、相手が同意しなければ無理)。 どうするかは(脅迫や意思無能力状態でない限り)基本的に自己責任だろう。だが、どうなるかは徹頭徹尾運なのだ。 良い遺伝子(頭、容姿、身体能力、等)、身分(王、貴族、地主、財閥、小作人、労働者、奴隷、農奴)、お金の多い少ない、様々な運が、自己責任とは無関係に存在している。 トランプの息子と、スラム街の薬中の人の子を自己責任の名の下に同列に語る者がいたら、彼はもはや知能に問題があるとしか思えない。 結果の自己責任を主張する人たちのご意見をお聞かせ願いたい。(それ以外の方々はスルーしてください。) どうするかは基本自己責任だが、完全にそうとも言い切れない。 せざるを得ずしてする場合、それを自己責任とは言わない。(太平洋戦争は日本国民全員のせいだろうか?反対派もいた筈である。しかし反対派には、実権派に対し革命を起こすだけの財力はなかった。) アフリカにおける少年兵を得るための人狩りでは、村を襲い、村の子供に親殺しをさせるという。(後顧の憂いを絶たせ、かつ心を殺して支配するためだろう。) 子供は、もちろんしたくない。しかし、どっちにしろ親を殺されるのなら、せめて自分だけでも生き残るということを選んだのだろう。 これを、その子の自己責任、自業自得という人は、本当に正真正銘のサイコパスだろう。 しかし自ら危険地帯へ出掛けて行って捕まって処刑される事は自己責任だと思いませんか?自己責任という言葉が注目され始めたのはあの事件があってからだと思うんですが。あれ自体はどう考えても自己責任ですよね。誰もそんな危険な所へ行けなんて言ってないし。 自己責任があるならば他者責任もある 2つ割合の見極めがそれぞれの行動を決める 結果の批判は正当 しかしどんな行動も当人にとっては何か理由がある それを聞いてみることが大切だと思う アドラー心理学は自己責任論じゃないからスレチなのでは? >>548-550 は >>1 に書かれているように課題の分離が強調され過ぎると 自己責任論に帰結するという問題提起 もう一つの骨子である共同体のための具体的方策があまり多く語られない そのため端的でわかりやすい戦争を例に持ち出していると思われる アルコール依存症の事例を書いていた人もいた そちらならより身近な問題として考えやすい >>555 アルコール依存性の事例の人ですが、今の流れをおもいきりバッサリ切って >>515 見て思ったことがあって書かせてもらいます 僕なりにアルコール依存性の父を見ていると、飲酒を続ける為に悩みを量産したり、 兄との対立関係を作ったりしている様に見えていて それ自体はほぼほぼ間違いないと考えているのですが さらにそこまでして飲酒に依存するのは、父なりの対人関係の善が存在するのでは?と考えています 少し話を戻すと、飲酒への依存はもともと人生で上手くいかないことを飲み込む為の道具として始まったものであり 対人関係の勇気を損なっている状態のはけ口として選ばれ続けてるわけです つまり、本来の対人関係上の善が本人の中に存在し、 それが叶わない現実を避ける為に、それよりも小さなマッチポンプを作り出してまで 依存を続けているのではないかと考えています その真犯人的な善は分からないし追求する意味があるのか分からないですが 何かのヒントの様な気がしました >>558 その通りだと思います。 非建設的な行動にも建設的な目的があるというのが、アドラーの考えです。 その人なりの善を理解することを追求する意味があるかどうかは状況しだいかとは思いますが、可能性としては双方が良い方向に向かう第3の案が見つけられるかもしれないです。 それよりも確実に意味があるのは自分自身にとってのメリットです。他者の非建設的な行動を見ても否定的な気持ちが起きず、受容感が高まり、他者信頼が増すような捉え方だと思います。 >>558 からのヒントの続きとして 依存性から脱却できる人というのは、このままではダメだと自覚できる人であり 回復することで善に向かう決意を持てた人とだとも言えます つまり、所属の善に向かう為の破壊的な行動と決別し建設的な手段を選ぶことに価値を感じられた人とも言えるし 善を選んだところで希望を感じられなかった人は死ぬまでアルコールに溺れてこの世を去ります 俺の事例ではやっと課題の分離が整備されつつある状況で、 これから家族間のより良い協力関係を育てていく形ですが はけ口の善に選ばれる代替えとなる手段を見つけることが 勇気付けの一歩になるんじゃないかとふと思いました 造語的に表現すると、今後は「建設的なはけ口」を見つけることがテーマになりそうな気がします >>559 ありがとうございます 第3の案っていうのがアドラー心理学的くさくて心地いい響きです 相手なりの善に思いを巡らせるのは、確かに協力関係を築く姿勢に役立ちますね >>558 まさにこういった個別事例の状況の内訳を再統合することで 共同体にとっての次の案が作られる ・父のできること ・兄のできること ・あなたのできること ・アルコール製造業者の問題 ・医療体制の問題 それぞれの取り組める範囲や順番が整理されて明らかになることで 初めてコーピングに期待を抱ける 認知行動療法について強く訴えている人がいたが恐らくこのような事を言いたかったのだと思う しかし行動療法は一方的な正解を与えるのではなく 本人の自発的な意思によって選択肢を導き出す道具であってほしい そうように使えば当事者ならず周囲の人のプランニングの助けにもなるはず 協力関係を築ける自信って最強だと思う それだけで共同体感覚が大きく育つね 微妙にリフレーミングされたんだが それぞれが自己肯定感をベースに幸福を目指す社会はゲゼルシャフトで 自己受容感をベースに幸福を目指す社会がゲマインシャフトってことですね 自己肯定感がベースだと人間関係における自己正当化が生きる目的(自己実現)の大きなテーマになる 自己受容感がベースだと人間関係における協力関係の構築が生きる目的のテーマになる 前からマズローの五段階欲求説に感じていた違和感は、この視点が抜け落ちていることにあるんだと思った 例えば、五段階の不適切な行動とマズローの五段階欲求は同じパラダイムの軸の上にあるけど ここから共同体感覚に向かう軸に転換させることがアドラー心理学のテーマになるってことだと思う ただ、共同体感覚に意識を転換させる過程として、マズロー的な優越性の追求のプロットは役に立つと思う >>563 ありがとうございます 基本的に俺のアドラー心理学ベースの診立ては親戚内でマイノリティ的なので 治療方針よりも、それぞれの立ち位置を責任の所在論理をベースに整理するのがメインという形なのが現状です ただ、仰る様に今の形をベースにこちらの診立てを議題にあげることで それぞれの考え方と協力関係の方針に徐々に変化をもたらすことが可能になるかも知れません まあ俺自身も問題解決の中心人物になる為に生活の犠牲を払うわけにいかないので 話し合いの機会があった場合の都度で上記を重ねるだけなんですが もし親戚内から解決に力を入れる様な依頼があれば、 生活の犠牲に対する補填も議題に入れることができるので 課題の分離と合意ベースの協力関係構築は交渉術としても役立つなと感じてます https://twitter.com/W_Fei_hung/status/996979455653396480 たびたび炎上してるから有名なんじゃなく、普通に画家として雑誌に広告出して もらったり名鑑に載せてもらってるから有名なんですよwwwwwww なにこれほんと!悪意がすごすぎる! 22:03 - 2018年5月16日 https://twitter.com/W_Fei_hung/status/996979100123217920 これとかwwwwwwwwww「主にTwitterを中心としたネット上に 於いて過激な発言を繰り返しており、度々炎上している。そのため、 ネット上において画家としては比較的有名である。」 22:01 - 2018年5月16日 >>565 自己肯定感って言葉はアドラー心理学では、居場所があって貢献できると思えている状態というニュアンスで使われたりしてるから紛らわしいんじゃない? 自己受容の対義語だったら自己執着とかかな? 今まで自分を否定したことなく生きてきたから、自分は自信しかない https://goo.gl/9acXqy >>568 ああ、自己受容と自己肯定を対立概念として捉えるのは嫌われる勇気独自のものなのか 自己執着だと共同体感覚の反対なので自己受容からも反対側に見えるね 自己受容イコール共同体感覚的な感じもするし 不適切な行動の五段階も、自己執着社会の立場で言えば不適切じゃなかったりすることを考えると 結局共同体感覚と自己執着の軸の上での言葉遊びだったってことかも 自己執着と共同体感覚の対立軸の中の内訳に自己正当化と自己受容の対立軸があるって考えても良いかも 障害者福祉に関わってて思うんだけど、障害者認定、給付金とかのライフラインて良いことなのは間違いないんだろうけど、アドラー心理学的に勇気を奪う措置だと思う。 だって回復を進めるよりも障害者然とした方が認定給付金が貰えるんだもの。 精神的障害者認定の為に敢えて自分を追い込んで症状を進行させようとする人もいるくらい。 全体論としてそうなるのが自然なんだろうけど、ちょっと悲しく感じちゃうよ。 生活保護も同じだと思う。 そもそも不正受給は良くないけど、生活困窮者然としてればお金を貰えるんだから、社会復帰への勇気とか奪われちゃうよね。 かと言って無くすわけにはいかないし、本人達の課題だし、難しいな。 >>572 制度を変えることでゲマインシャフト感覚が育つ期待は持たない方がいいよ ゲマインシャフト感覚を持った個人がゲゼルシャフト社会の中に入っていって協力的に暮らしていく この地道な広がりがアドラー流の社会変革だよ それに最低限の保障を得られた事で余裕を持てて、社会に復帰できた人だって少なからずいるわけだしね >>572 社会的な弱みを訴えることで保証がうけられる 生活保護は「無能の証明」に関する身近な問題 ・身体、精神、環境から社会生活が困難な人 ・弱みを強調して支援を受けたい人 それぞれの支援のあり方を「分離」しておく必要がある だたし連続性があるので後者を責めてもいけない 受給者の社会参加が促進されないのは社会の問題でもある 就労についてアーレントとアドラーを抱き合わせて「分離」してみる 受給者は自分の持っている社会的な強みに対して自信を失ない 生活の動機や目的も最低限になっている ・受給者は何が好きなのか? ・給与とは関係なく継続して活動的になれることは何か? ・その活動に関連した対価を得られる仕事はあるか? これらが支援者と受給者で共有されると少しづつ前進するように思う 仮に給与が発生していなくとも社会的に需要のあるボランティアに継続して参加していれば 生活保護を受けながら仕事をしていると考えることもできる faith and courage faithice book unt series co-leage foot sal you nou what i mean? https://www.youtube.com/watch?v=xA1Eyhr6qsk 責任を取りたくないヤツの言い分が自己責任 ルールがあるのにルールを使わない日本人 私たちは強者の嘘の情報にまみれている 自己責任を突き詰めて行くと、その先は死しかない 誰かを蹴落とさないと自分が蹴落とされる自己責任社会 自己責任論という癌細胞 景気が悪くなれば、弱者から切り捨てられる。そして自己責任の美名のもと彼は野垂れ死に。 ネット私刑、いじめ、生活保護バッシング、テロ犠牲者に「国に迷惑をかけるな」―。なぜ日本人は、ここまで冷たくなったのか。 個人、会社、国家、どの位相でもインチキな自己責任の論理が幅を利かせている日本。「自由」よりも強者の下で威張ることを好み、「平等」よりも水に落ちた犬をぶっ叩く。わたしたちを取り巻く病理を徹底解剖。 ネット私刑、いじめ、生活保護バッシング、テロ犠牲者に「国に迷惑をかけるな」―。なぜ日本人は、ここまで冷たくなったのか。 個人、会社、国家、どの位相でもインチキな自己責任の論理が幅を利かせている日本。 「自由」よりも強者の下で威張ることを好み、「平等」よりも水に落ちた犬をぶっ叩く。わたしたちを取り巻く病理を徹底解剖。 なんでだろ? アドラーでは、結果を誰が引き受けるか?っていうけど、結果って、自分の死と太陽の消滅やで? アドラー間違ってると思うよ?結果を誰が引き受けるかが自己責任なら、国際社会は北朝鮮の強制収容所の人たち解放しなくていいってことだよね? さすがにあなたたちはそんなこと思っていないよね。北朝鮮の奴隷たちの自己責任だなんて。 そんなこと言っている人たちには、本当に天罰を当てたいよ。 あったあった。これ。 http://asian-reporters.com/joseiwoseidoreini/ 北朝鮮の収容所では金日成の代に政治犯としてとらえられた人が、強制結婚で子供をつくらされ、 子供らが孫を作らされ、孫らが曾孫を作らされ、先祖代々事実上奴隷化されているらしい。(ミヤネ屋情報) どうせ外人じゃん、俺らには関係ねえよ、北朝鮮の自己責任。世界中がそうだから、こういうのって無くならないんじゃないの? 奴隷制って奴隷の自己責任かな?自由人には関係ないことなの?もしそういう人がいたら、その人たちは生きるに値しない。 なんの罪もない人、ただ不運のために落ちぶれた人に、あいつ、終わったなという冷眼を向けるのが、いつか自分に還ってくるよ!!! こんなとこで死んだアドラーなんかの寝物語なんかしている暇があんなら少しでも多くの人や人以外の生き物を助けろよ!!それをアドラーは言ってたんじゃねえのかよ?! 寝ぼけてんじゃねえよ。さっさと人よ人以外の生きもの救ってこい!! いつまでも2chの中にいるな!お前の部屋の外に出ろ!困っている人や人以外の生き物を助けろ! 何が自己責任だ!!そんな冷酷な奴、誰も仲間になってくれねえからな?! >>589 アドラーが自己責任だなんていう謎理論はスレチだよ >>587 今ここで哀れなあなたを救ってる最中ですのでしばらくお待ちください。 秦滅亡の契機となった反乱の指導者陳勝は「王侯将相いずくんぞ種あらんや」(王侯貴族なんて血統じゃねえ、俺が(庶民初の)王になってやるよ。) と言って革命を起こしたけど、昨今の日本の政治家や経営者は、もはや革命や造反を自ら促しているとしか思えないwww。始皇帝みてえなもんだな。 他人や世界を救おうとする前に、まず自分を救ってやれや(´・ω・`) マザーテレサが記者から、世界平和のために自分達は何をすれば良いか聞かれたときに 家族を大切にしなさいって答えた逸話が良い感じだと思う キングダム読んでると始皇帝ほど素晴らしい王はいない気がしてくるw ・嫌われる勇気? いくらでもあるよ。お前にもやろうか。 ・アドラー心理学って何でも自己責任みたいな屁理屈でしょ? ・そういう本って結局宗教なんだろ? 騙されねえからな。 「嫌われる勇気」という本のイメージがメンヘラーに与えた印象。 本当に読むべき人を華麗にスルーさせるタイトルと装丁。 おかげで>>589 みたいな誤解しか広まらない。 世界を救うためにはアドラー心理学を救わなければならない。 嫌われる勇気の売り上げが日本で170万部くらい 図書館とか人に借りたりで合計200万人くらいに行き渡ってるとして 本を買っても読みきる人って売り上げの2割くらいらしいね 自己啓発本を買って実践してみる人はそのうちさらに2割 となると8万人は実践してる事になる それでもなかなかの数字だね 嫌われる勇気がアドラー心理学の誤解を招きやすい内容だとはよくここで聞くけど、そもそも大してちゃんと読まないでアンチしてる人が多い感じがするね >>596 キリスト教のことあまり知らないけど、ニーバーの祈りの最初のところは好き アドラー心理学だけじゃなくて、西洋文化はこういう言葉の影響を受けてるんだろうな 神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。 変えるべきものを変える勇気を、 そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。 >>597 キングダム読んで諸子百家みたいな中華思想にも興味持つようになった 統一もすごいけどあの時代に曲がりなりにも法治国家を達成したのは偉業だと思う 始皇帝が法家を採用したけどガチガチルール過ぎて革命が起きて 儒教で道徳を大事にした後漢は法治が緩すぎて覇王を生み出し黄巾の革命が起きて 各種思想を熟知しつつホリエモンみたいな持論でのし上がった曹操は内部から組織を奪われた あースレチだけど面白いわw ちなみに日本アドラー心理学協会の仮想敵に設定されてる日本の儒教文化だけど 家族愛を元に道徳心が解かれたことで父親長男身分制度の派生の上下関係文化が定着したけど アドラーだって確か家族愛から掘り下げてたんじゃなかったっけ? 全体の理論体系を見ると元々はアドラー心理学と同じ様なことを言ってたんじゃないかって気がするよ >>599 アマゾンのレビュー見てると目的論が引っ掛かる人多いみたいだな 原因論よりかなり優しいんだけどな アドラーは「誰でも何でも成し遂げることができる」といった(『個人心理学講義』)。 これに対して、遺伝のことなど考えれば、何でも成し遂げることなどできないという批判がある。 アドラーは多かれ少なかれ認知の歪み(偏り)があると思うよ。当時はまだないが、もしあったら認知行動療法を受けるべきだった。 (ネガティブに偏った認知の歪みがもったいないと同様、ポジティブに偏った認知の歪みも危険。) 世の中には認知の歪みが多い人が多すぎる。(特に自己愛性人格の人とサイコパス。) こいつらがいなけりゃ世界の問題の9割は解決する。 始皇帝の偉大なところは天下統一以上に、性悪説と法治主義というリアリズムに基づいた人間観を持ち、法治主義が今や世界中で採用され、 徳地主義(仁王の優しい政治)がルイ14世や金氏朝鮮の三人の王を見ればわかるように机上の空論だったことを死後も証明し続けているということだ。 君主独裁国家で少なくない人数の王が悪に走った。(君主制ではないが、社会主義革命のほとんどが、資本主義以上に惨憺たる有様になったのを見ればそれがよくわかる。) まあキューバは比較的いいらしいが(もちろん反革命分子粛清はあるし、亡命者もでているので完全にはほど遠いだろうが。) 民主主義国家でもやはり少なくない人数の首相、大統領が悪に走った。 独裁だと世襲の方が自分の国だから大事にする気がしていたが、どうも北朝鮮を見ていると世襲じゃない中国より酷いので、そうじゃないらしい。 法家の生みの親、荀子(実はこの人自身は儒家。浄土宗の信者で、死後弟子が真宗を作った親鸞や、ユダヤ教徒で死後キリスト教が作られたイエスと同じ。)や、法家より前の人だがそういう考え方の管仲もすごい。同じく法家の俺もすごい。 アドラーは性善説的なところがあり、ソ連を信じて支持し、実情を知ってガッカリというおバカなところがある。かわいいけど。 徳治より法治。儒家より法家。 アドラー共同体のトリレンマ 思考実験「雪山ー食うか食わせるか全滅するか?」 3人で雪山で遭難。食料なし。下山不能。江戸時代なのでレスキューが来ない。このままだと3人とも飢え死にだ。どうする? 思考実験なので、食ったって食わせたってどうせみな死ぬじゃんは無し。 こういうの真剣に考えると人生に向き合う態度が変わるで。 そういう状況を作らない様に努力する それ以上有りもしないことに思いを巡らせるのをやめる >>607 あなたにぴったりのものがありますよ 認知行動療法というのですが… >>573-575 助言をありがとうございます。 いまある社会制度の良い部分を生かしながらその枠組み中で ゲマインシャフト感覚による関わりに注力するしかないということか。 アドラー心理学はいつも迷いに対してシンプルな答えをくれるわ。 アドラー心理学を学べば学ぶほど現代の臨床のカウンセリングに 色濃く継承されてるのを感じるよ 来談者中心療法の理論体系を見ると共同体感覚育成に注力しまくってるし 基本的に未来志向解決志向ばかりだもんな トラウマに迫るやり方はフロイトマニアの個人的な選択くらいなんじゃないか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.5 2024/06/08 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる