アドラー心理学総合 31【嫌われる勇気】
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アドラー心理学を語るスレです。個人心理学とも言います。 ■関連スレ 前スレ アドラー心理学総合 30【嫌われる勇気】 http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/psycho/1522498108/ 兄弟スレ アドラー心理学2 【嫌われる勇気】 [無断転載禁止] http://fate.2ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1493067514/ ■関連書籍 嫌われる勇気 幸せになる勇気 アドラー“実践"講義 アドラー心理学ワークブック アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー ■日本アドラー心理学会 http://adler.cside.ne.jp/index.html 学会のテキストはアドラー心理学を学ぶのにおすすめです。メールで注文可能です。 ■課題の分離の注意事項 課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。 課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。 個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。
アレントが囲いの中にいるのは他者の性であり、他の空間 他の有のためだよ。 売れ残った男は無理か?、女がバーゲンにのればいいしさ。 ゲーテ ゴテ ゴリアテ、スカスカコアトロジー、 アー デコ ン ストラクト ジョルズ ルースの震災批判、肯定、 ゲオルゲ 昼下がりのジョージ カントル 包茎脚術 サイパパ >>393 >>394 目的論なんて大げさな名前つけるから混乱するんだよね 本で哲学者の名前バンバン出しておきながら、 アリストテレスやカントンのいう目的と全然関係ない言葉として使ってるじゃん こういう紛らわしいことはやめてほしいのよね >>628 アリストテレスの目的論と同じ意図で使ってるはずだよアドラー自身は 問題は嫌われる勇気だとなぜか原因論の対立軸として目的論が扱われているから アドラーを原因論の否定の心理学だと思っている人が増えたこと 自己レスだけど、無関係ということもないね アドラー心理学の5つの前提の絡み合いからいえば アドラー心理学は最高善を目指すアリストテレスの哲学に近そうだけど アリストテレスにはキリスト教の隣人愛はないからね 軋み先生の本からどことなくキリスト教的な臭いを感じる アドラーを理解したかったら軋み先生の本よりアリストテレスをちゃんと読んだ方がいいのかな >>629 原因論の対立項として目的論を設定するのは軋み先生独自のアイディアなのかな? この着想のおかげで私自身を含めた一般読者にはすんなりと受け入れられたわけだけど だけど読んでいくごとに違和感を感じるという・・・ >>632 こちらがお役に立つのでは http://jalsha.cside8.com/diary/2014/06/04.html 嫌われる勇気で感じた疑問は、他の哲学に答えを求めるよりも >>1 からのテンプレを見て他のアドラー本やテキストから学びなおした方が早いと思うよ >>625 新たなガチ勢の降臨 社会的に構築された“創られた伝統”は 「性差による政治」として批判対象になるべきもの。 消費行動と文化的同一性が中断され、小さく分けられた階層的な二項対立の形而上学はジェンダーベリフィケーションに例えることができる(女子スポーツ競技で、選手が女性であることを確かめるための性検査。口腔粘膜の性染色体などで調べる。フェミニティー-テスト)。 “権力構造から社会的、政治的、地理的に疎外された人々を語ることができない”とはこういう意味。 (このあたりを数学的に言えば、位相線型空間内部の真性特異点が 拡大の自己同型群の閉部分群と等長変換されるわけだろ。 つまりゲオルグ・カントールが予言してゲーデルの不完全性定理で 見事に証明されたってワケ。 )翻訳不能ゾーン あるいはル・クレジオ的な文学におけるクイア理論的(第三波フェミニズムやゲイ・レズビアンスタディーズ)について物語りの技術と構造について研究すると言い換えられる。 あなたの言説は証明するまでもなく自明であり、虚勢を張った部分が文章にしたことで明らかになった。 そういったことも私の脱構築の射程に入る。 植民地主義や帝国主義に関わる文化、歴史などを広範囲に取り扱い、批評、評論する“政治”の技法である。 クィンティリアヌス「弁論家の教育」を読めばわかる。 東大籍じゃないことがつづってあるんじゃないの。東大首席後なら望ましいね。 ベリーズ?https://www.youtube.com/watch?v=t-MSkziwTV4 https://search.yahoo.co.jp/image/search?rkf=2& ;ei=UTF-8&gdr=1&p=matis+dance#mode%3Ddetail%26index%3D2%26st%3D0 ダンセ 預言が不完全であるか?昔に説いてる。私立文系の方が速い。論でも理論でも。 レス トレヴ アナア 同族 リリィー フランケラ トウキョウ セイアツ 異族 下町 冥砂 の飛天脚と 堕祐天魔ガミ 復興の使徒は?ゼメーレ? 詩〜経や 全国語に通じてるけど?日本語とるときゃ最低戒厳令が敷かれてないと。 面白くないはずですよ。 東大→東京ルートは 論理に飛躍がないねえ。戦国立より、守護国立より大事なものは?攻立? 女性は未来歴史哄笑(口承)言語がおススメ。古典の策術は華寄り男私文化圏かなあ。 >>635 >>130 同一人物 辛辣なようでいて 諦めないで哲学で社会を前進させたい って強烈な意思を感じる 野田さんとか岸見さん本人だったら面白い 京大哲学科とかもありえる こういう人にもっと盛り上げてほしい ne in no n no osaka second shu to three tree gyo sei >>648 そうなの?残念 いずれにしても賢い人にこそ草の根お願いしたい DJgensei artchive gemmarさんは荒らし? 京都無頼学素原派 東京大学人走 キュオサラコス スト意思 原水祐業(カモる氷カフェのカルマ初伝) こ酔い 見るタコ みな打つ苦楽威の士気。明石(玉子)焼き 京(風)たこ焼き ぎょうさん。 死兵悪化!!死残兵逃散!!生きんがために生きるのもねえ。人は二度死ぬかもね。 まずは戦死、祖国は天の国、ついでに、地獄へ転落死 タ ヒ 一 マガミ術系 マガタマスューレ フットバレェ 燃減り サルン セファ タクロー 板 立脚 脚韻 風印(ロゴ―ス) 昔殺陣と鉾をはしゃぐ者あり。 募集中。 呪いのロシアンルーレット と ムド オンナ 私用仕様 嵐山金閣の酒客です。銀閣の書院の珈琲客ほうへは?シ ーア ン ス ン二ケー よりは 時間惜しき。 日記や文献を非公開にするなら掲示板もよろしいかと存じますゆえに。 舞わん哉 じゃないけど、舞台にagaルより、がけからsagaるのも。 張任も居士にはないか転落ですね。 age 41 sage 96→100↑ハクビ 政権age 降し のほうが魅力ある武将が育ちますよし。 読みものではございません。書きものでもなし。文学系心理統計に近い、素案ですね。 dj学術さんて思想の癖が強めで且つドイツの人って認識だけど違うっけ? 触ると喜ぶんだけど収集つかないから個人的にはガヤモブと思って^^してるw 電波系としても品がなさすぎる ふざけてるだけならやめてもらいたい >>659 無理でしょ 以前他スレで統失と診断されたと自分で申告してたし 構うから喜ぶんだからあなたが構うのやめてNGにでもすれば済む話 攻撃的なわけでもないし放っときゃいい 私は本当によくエゴ的な反応のくだらなさを見ます。 何も無いことが何も無いことに(無が無に)反応しているのです。 そして、それを大きく大きくふくらませ、終日そのことを話しているのです。 最後の最後には、自分だけが正しいというところに落ち着くまでやり続けるのです。 出来過ぎた仕組みです。 あたかも、二度目の人生を送っていて、一度目は、ちょうどいま君がしようとしているようにすべて間違ったことをしたかのように、生きよ こういう事なんだろうなあ 文章はわかる、理解するために書かれるのでもないし、多くの他人のはからいによって、 結果なるものだから本人が、どうこうしなくても、すんなり待遇を受けられるのですよ。理解力を試すのは下賤な読書。 源氏物語では 幻術士が登場しますよね。葵のあとに。学 術とは 言わずもがなあたらしい段に入っていきます。 有名になろうとして罪を犯すのもこの種のエゴで、彼らは悪名や他人の非難という形で関心を求める。 「私はちゃんと存在していると、どうでもいい人間ではないと言ってくれ」と叫んでいるようだ。 >>645 アドラー心理学を理解したいのか、岸見さんの哲学を理解したいのかで 学ぶ内容は変わってきそうだね >>673 軋み先生の『嫌われる勇気』からは、哲学のおもしろさや 人が自己欺瞞に満ちた生き物だということなど多くのことを教わったけど、 アドラー心理学とはかけ離れた代物なんですね 最初にそう教えてくれればこんなに混乱せずに済んだかも アドラー 俺には合わん アドラー取り入れて実施してる人は周りに無理強いしないでくれ。 >>674 かけ離れてるってわけじゃないんだけどね 曲解を生みやすい文章になってはいると思う 哲学の部分とか追求すると別の方向にいっちゃうしね 軋み先生の本は、衝撃的な文句で読者をアドラーに惹きつけておいて、 ギリシア哲学やユダヤキリスト教の世界へ誘うことが目的なのかな? 西洋的な精神的背景が分からないとアドラー心理学も何を言ってるのか さっぱりだと思うし、そういう意味では先生のやり方はいいと思う でも結局、お勉強して知識が多少増えたところで、そういう精神性が 身に着くものでもないし、日本人にとってのアドラー心理学の実践の困難さは 変わらないという気もするけど >>675 この辺、次のスレからテンプレ化した方が良いかも アドラー心理学は自己の態度を改めることで活用方法するもので 周囲の人に押し付けるものではないよね 実践者はそういう態度を学ぶ様にしなじゃいけないし 間違った実践者の被害をここに訴えても無駄だということも伝わった方が良いし >>675 これに尽きる したい人がまず自分ですればいい 岸見さんは「お稽古」と表現していたが 価値観はたった一つではなく多様なもの コモンセンスでは語りきれない >>677 仏教をバックボーンにしても良い感じに理解できると思うよ そう考えると西洋文化からでも東洋文化からでも、 行き着く精神の普遍性は存在するんじゃないかと感じる まあ批判を元に発展を目指していく姿勢もありだと思う 東洋哲学では言葉で説明しきれないところは体験するしかないスタンスをとる傾向にあるから その分言葉から読み取れる情報が少ない感じがするし 西洋哲学では言葉だけをよりどころにするべきだというスタンスをとる傾向にあるけど 言葉で張り巡らされた論理だけだとどうしても隙間ができてしまう アドラーや臨床のそれぞれではその双方を踏襲するのを良しとしている印象があるな >>677 嫌われる勇気は若者が賢人に一方的に論破される 異論を挟む余地を与えていない アドラーナイズやめてくださいって意見があるのは自然 ロジカルハラスメントの一種だと思う人もいる アドラーの面白さとこの問題は別 >>679 そこはちょっと難しいところなんだよね 共同体感覚をよしとする思想に関しては価値観の押し付けである、ということはアドレリアンの中では割と共通認識なんだよ だから認識しつつ強要しないというスタンスを持つ必要があるんだけど なかなか伝わりにくいニュアンスだよね >>681 異論を挟む余地をちゃんと与えているから、ああいう展開になっているのでは? >>682 問題は批判的であれアドラーに関心を持つこ自体が アドレリアンになろうとしている証拠だという誤解があることじゃないかな それが批判的な意見を持っている人まで説得にかかる原因になっている 恐らくこれが押し付けないでくれと言っている人の意見 懐疑的な立場も認めてこその「課題の分離」と「共同体」だと思う >>681 哲人と青年の対話の違和感は「治療的じゃない」という事に尽きると思う いくら理屈はあっててもそんな言い方は…ってのが多い >>684 青年が若かりし岸見さんで賢人がアドラーで読者からの投影を期待した作風 異論はすべて論破されて「幸せになる勇気」の最後ではアドレリアンになっている そういうストーリーだと解釈したがあなたにとっては違うのかもしれない しかし「押し付ける」という行為がなぜ可能になるのか? 人の言うことなど最初から聞かなければそれまでではないか? なぜ人の言うことを聞いて、尚且つそれに従おうとするのか? 従うと利益があるのか?従わないと損失があるのか? 自分自身が他者の押し付けから解放されるために アドラー心理学に入門した人ってのも多いと思うけどな それが押し付ける側になってしまっていたとしたら本末転倒というか パラドックスというかジレンマというか何というか何でもいいけど 典型的な鬱の状態です。 「できない」状態で苦しいです。軽い投薬、カウンセリングは受けています。 やらなきゃいけない事、したい事ができません。 アドラーの本を何冊か読みましたが、アドラーもその他の啓発本と同じく 「やってください」が解答なのでしょうか? 原因や言い訳は許されないと理解しています。 結局は「いいからやれよ」という事なのでしょうか? >>690 鬱になるのはなにか建設的な目的があると考えるのがアドラーだよ 適当な見立てだけど、鬱になるのは、やらなきゃいけないという思い込みを見つめ直して、自分の体をいたわる事でエネルギーを蓄えようとしてるのかも >>690 僕も過去にちょっと重い鬱で悩んでいました アドラー心理学が自己啓発と異なるのは、「やってください」というわけではないということです ただ、どうせ回復を目指すなら、「他者と協力的で役立っている自分」として元気になりませんか?という提案が伴う特徴があります その為に、カウンセリングや自助グループなどを利用し、 他者との協力的な関わりによって元気を得られる経験から回復を目指すという 心のリハビリと言える活動が有効だと考えます ありがとうございます。 >>691 現在は、出来ない自分を「ダメな人間」と責める(勇気くじき?)と苦しくなるので、 出来ないままでいようとしています(自己受容?) >>693 何か出来るようになる、挑もうとするのには「勇気づけ」が必要なの かと考えています。自分を勇気づけるには「貢献」が必要だと思うの ですが・・・何かボランティア的なものに参加するのがいいのでしょうか? >>694 >何か出来るようになる、挑もうとするのには「勇気づけ」が必要 >かと考えています。自分を勇気づけるには「貢献」が必要 ⇒そう思います 簡単に「他者と協力的で役立っている自分」という自信が勇気だとして 他者貢献によって自分でその様に勇気づけできるならそれで良いだろうし、 実際に他者との協力的な関わりを経験した方が、その効果は大きいと考えます そのために、カウンセリングや自助グループへの参加も有効だろうし、 もちろんボランティア活動も、趣味のグループも役立つかもしれません。 ここからは超個人的解釈ですが、本来叶えたい状態が八方塞がりだと感じていたり それに近い状態で環境に順応する為に無理に動こうしている状態が続くと それを強制停止させる建設的な身体機能として鬱という状態が存在するのだと解釈しています なので自分がダメだという判断や無理やり動こうという命令は逆効果だと考えます スタイル カウンシル時代より ソロ 独立後 のほうがいいよね。 hung up は名曲だと思う ゲットーゴスペルと連動してて。 ポールウエラトップフォルム とか2パックシャキールとかね。訛がでる ほうが掲示板が面白いかも。標準語統一に余りメリットはないと思う。 個人的に金銭的な切迫感も勇気くじきに繋がる場合があると思う 自分が役立つことと金銭的余裕を切り離して考えられる様にするトレーニングや 職務内容がそのまま貢献感につながる仕事を選ぶのも手じゃないかな >>694 ボランティアとか具体的な活動として貢献する、というのはとても良い方法なんだけど、第2の段階みたい どんな人でも、できる事がない、貢献できていない、ということは原則的にあり得ないので、そういう認知バイアスを持っている事を受け入れる事が第1段階 今のままの不完全な自分でもできる事はたくさんあるし、頑張ってきた事をまず頭で理解して、それを心で体感するためにボランティアなんかに参加するという意図が大事じゃないかな 「自分の頭のなかの声」が実は自分ではないと気づくと、すばらしい開放感を味わう。 では自分とは何なのか? 自分とは、思考する自分を見ている者だ。 思考よりも前にある気づきであり、思考が――あるいは感情や知覚が――展開する場である。 >>662 >>672 >>700 ちゃんと「エックハルトトールは言います」をつけてくれ 鬼言 神言 とか 神話 民俗板にも興味を持ってみるといいよ。 ソクラテスは心の声を聴いていた。 心理学アプローチでは昔の会話のインフラにはまる人も多いよ。 自分がそうしたかったから、そうなったってのがアドラーだっけ? 産まれたことに関してはどう言ってるのかな? 私は産まれたくて産まれた訳ではないのです 馬鹿な親が何も考えずに周りに合わせて結婚して子供を産むのが当然 みたいな感じで私は人間に産まれてしまった >自分がそうしたかったから、そうなったってのがアドラーだっけ? ⇒それはたぶん他の自己啓発か何かの考え方だと思うよ アドラー心理学で言うと、過去にどうだったかってよりも これからどうしたいか?に向けて回復した方がが健康的だと思うので そうなり易い感じのカウンセリングを考えてみましたって感じだと思う 産まれたことで言い換えると、 産まれてきたかったわけじゃなかったけど産まれてきてしまったからには、 不幸だと感じながら生きるよりは、 これから幸せを感じながら生きられる様になった方が良くね? という考え方が当てはまるんじゃないかな >>704 自分がそうしたかったからそうなったって言われたって、 意図してそうしたものじゃないんだったらそんなわけないよね ただしアドラーだと、ちょっと似たニュアンスとして、 これから本人の健康的な生き方に向けるために今現在の振る舞いを 「過去にこうだったから今これしかできない」ではなくて、 「将来こうなりたいから今のところはこうしよう」という振る舞いとして解釈します そう考えることで、[今よりもっと良いやり方に変える」という選択肢を作ることができるからです >>704 知らんがな がアドラー心理学としての答えでいいと思う 幼少期の経験をもとに10才くらいまでの間にいろんな体験をする中で、世界と私はこんな存在だからこうあるべきだ、という意味付けを本人が作り上げて、それを行動原理にしているという理論だよ だからライフスタイルが成立する前の意思は調べようがない >>704 つまり、 「私は生まれたくて生まれてきた訳では無いのです」というライフスタイルを「今のあなたが」生存戦略として「使用している」ということ それが便利ならそのまま使えばいいし 不便になって息苦しくなってきたのなら、ほかの方法を一緒に考えてみませんか? というアプローチになる ほとんどの場合、あなたが「私(I)」と言うときは、エゴがそう言っているのであって、あなた自身ではない。 これはいままで見てきた通りだ。 エゴを形成しているのは思考と感情、あなたが「私と私の物語(me and my st。ry)」として自分を同一化している記憶の集積、知らず知らずに演じている習慣的な役割、それに国籍や宗教、人種、社会階層、政治的党派などの集団的アイデンティティである。 そこにはまた、所有物ばかりでなく見解、外見、積もった恨み、優越感や劣等感、成功や失敗という個人的なアイデンティティも含まれる。 >>687 その観点はなかったけど、岸見さんと野田さんってそんな濃密な関係だったのかなあと >>713 ああ、野田さんじゃなくてアドラーか ってかアドラーもう生きてないしw 704です ありがとうございます この心理学では私が求める答えは出ないようです 矛盾に目をつぶり出来上がってる物って感じがします >>715 いえいえ また何かあればいつでもどうぞ >>713-714 実際にアドラーと岸見さんが会って話したという意味じゃない 岸見さんがアドラーを学び翻訳を通してアドラーに触れた体験を「賢人」に擬人化し 岸見さんを青年に置き換えアドレリアンになった過程を描いたストーリーという解釈 >>715 そうですか。 深く学べばやがて矛盾への答えに辿り着くことができると思いますが、 別の道を歩まれるというのであれば仕方がありませんね。 再度ご興味を感じられたときに共に学べればと思います。 >>719 学んでいく過程で矛盾が統合されていく感じが好き 分割できない全体論とはよく言ったものだよなあと思う 俺のときは逆に、自分を否定されそうな感じがして最初気に入らなかった 自分の気に入らないものは不正解っていうライフスタイルだからしんどくなってたんだけどねw 自分が真実だと、正しい思っている信念を溶かしてみないと実践したことにならないから構造的に誤解され続ける心理学だと思ってる 自分が正しいという思いほど、エゴを強化するものはない。 正しいというのは、ある精神的な立場(視点、見解、判断、物語)と自分を同一化することだ。 もちろん自分が正しいと言うためには、間違っている誰かと比較しなくてはならない。 だからエゴは自分が正しいと思うために、好んで誰かが間違っていると決めつける。 自分の宗教だけが「真理」だと信じているなら、それはエゴの強化に役立てていることになる。 そうなると宗教はイデオロギー化し、優越感という幻想を生み出し、人々の間に分裂や紛争を引き起こす。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.4 2024/05/19 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる