アドラー心理学総合 31【嫌われる勇気】
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■関連書籍
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
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■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 >>64
日本の現状をゲゼルシャフトと呼ぶならば、俺はそこから排他的な扱いを受けてきたといえる。
だから、悪いが変えさせてもらう。
別に誰かを地獄に貶めるつもりはないし、適材適所を成し遂げるだけだ。
別に国民生活の中身はそんなに変わらない。ただ、適材適所の不徹底により生じた弱者が、元の鞘に収まればいい。
俺だって、誰かがそれをやってくれるなら、わざわざ重い腰を上げようと思わない。表立って活動するのって、エネルギーいるし、多少の沙汰は避けられないからな。 というかな、そのゲマインシャフトとかゲゼルシャフトとか、下らないんだよ。
どっちも重要な感覚であって、互いに不可分なんだ。
俺は現状のダメな日本を受け入れて、変えると決めただけだ。 そのゲマインシャフトとかで、親しいあなた達への貢献で、世の中救ってみろや
新潟の女の子をどうすれば守れたか?どうすれば時間を回避できたか?
真面目に考えろやボケ
お前らがボーっとしてる間に人が死んでんだよ
人間の屑どもが 革命は弱者側の異端から始まる
革命によって虐げられた人間の屑達が新たな弱者となる
そして歴史は繰り返される カッカしてもしょうがない
心は熱く頭はクールに生きたいもんだな >>71
悪いが、俺はその歴史の繰り返しには徹底的に逆らわせてもらう。
俺は革命など起こすつもりはないし、天地を入れ替えるようなことをするつもりはない。
不必要に高い地位にある者を相応の地位に、理不尽に低い地位にいるものを相応の地位に戻すだけだ。
革命など必要ない、今の社会的枠組みの中で平和裏に成し遂げてやるわ >>72
さて、自分が実際に悲惨な目にあったとして、そんな戯言をいつまでいっていられるかな?
甘いんだよ >>73
うん、基本的に標準的な日本人と同じ思想だと思う。
応援してるよ。 精神分析によって封印されていた過去の記憶を「ほりかえした」ように見えて、
実はありもしない記憶が「捏造」されただけであるケースが複数ある事が指摘
されている。たとえば、女性の患者が精神分析に父親からの性的虐待を「思い
出した」為父親を訴えたものの、実際には虐待の証拠は発見されず父親が勝訴
するという例が複数存在する。
精神科医にしてフェミニストのジュディス・L・ハーマンはこの種の記憶捏造の
原因になったとしてたびたび訴えられた。彼女は、患者自身が疾患の原因として
「仕事がつらい」、「妻とうまくいかない」などといったものを挙げていたとし
ても、疾患の原因は幼児期に両親から性的虐待を受けた事であると断定した。
もちろん性的虐待の覚えなど無い患者はそれを否定するのだが、ハーマンらから
「それは記憶を封印しているだけ」、「思い出さねば治らない」といった言葉を聞
くうちに虐待の記憶を「思い出し」、両親を告発する事になる。結果的にこういっ
た虚偽記憶に基づく訴訟が表に出た事でそういった治療が正しいのかと反発を受け、
回復記憶療法は2000年ごろまでに完全に停止された。この結果、フロイトの提唱した
抑圧された記憶の考えは、完全否定はされなかったものの非常に疑わしくなった。 >>77
そのハーマン医師がただの変人だったのか、
それか実際に性的虐待があっても証拠が出てこなくて揉み消しに成功しただけか、
全くわからないな。
で、何が仰りたい? アドラー心理学は本じゃ学べないと言う割に講座が少な過ぎるでしょ…
別の意味で学ぶのにハードル高い >>40
マカーへのネガキャンはやめてやれ
マカーが皆君みたいなアホと思われても困るだろ フランクフルトと読み違えるのをフロイトはチンチン好きと名付けた >>81
読んだことない。面白そうだ。読んだら感想書くよ。 >>86
アドラーにしろ、フランクルにしろ、認知療法・認知行動にしろ、
腹くくってやらないとだめなんじゃないですかね〜。
どれもカジッテは投げ、カジッテは投げじゃ、どれも同じだよ。 認知行動療法を、ある程度真剣にやるつもり。
公認心理士資格目指すのはありだな。調べてみるよ >>88
と思ったら受験資格はガチガチみたいだな。
まあ勉強はしていくよ ちなみに、アドレリアンがアドラー心理学や認知行動療法を学ぶのは自然なんだけど、
アドレリアンでもなく心理士を目指してるわけでもなく精神疾患を抱えてるわけでもない普通の人が
認知行動療法とか学んでその先にそれでどうしたいのかな?
認知行動療法リアンになるのかな?
もし精神疾患的な生き辛さを抱えてるとかだったら
とりあえずカウンセリングを受けに行くとかの方が良くね? 野田さんのブログ見てると人のこと浅はかな考えを持ってるだの糾弾したり政治家に点数つけてみたり
セミナーに来た初顔の人をどうせブームに乗っかった奴らに違いないみたいなこと書いてるんだけど
共同体感覚高くてもこんな感じになるものなのかな?
よく分からなくなってきた 補正項によれば循環器科の先生から躁うつ病か心身症とみなされたらしい。
せめて心の病気ではないと信じたい。 まあアドラー本人もそうだし、何かしら抱えた上で
それでも幸せに向けて生きる為の道具としてのアドラー心理学なんだろうな 前スレで、「昔の自分を見ているみたい」と言われたものですw
生きるために大切なこと、とアドラー実践講義を読みました。
原書は多少わかりにくかったですが、今になって思うとなるほどなと思うことが多かったです
実践講義は、ほぼ嫌われる勇気と同じような内容でしたが面白かったです。
以前の課題の分離の捉え方だと、共同体感覚が得られなかったんだなあと改めて思いました。
最近は人のためになることを考えて、共同体感覚を持てるように行動しています。
昨日会ったある人から僕のことについて
「〜さんてもっとツンツンしててプライド高そうな感じだと思ってたのに意外」と言われましたw
ちょっと効果あったのかなと思って嬉しかったです。 >>91
年取ると自我が強くなってしまうよね
野田さんも俺たちと同じ不完全な人間だよ >>86
夜と霧はおもろいぞ
肉体的にも精神的にも追い詰められた状態で選択肢が存在するということに俺もずいぶん勇気付けられた
俺上司に片目を潰されててあんま長い時間本読めないんだがアドラーとフランクルだけはコツコツ読んでる >>91
全体論で考えるといいかも
協力的ライフスタイルは競合的ライフスタイルを否定する、のではなく受容する事で統合される感じ
「怒っちゃいけない」のではなく「怒りの感情を使う必要がない」
この違いは大切だと思う
怒りには支配という仮想的な目的があって、さらに究極的には所属が目的なわけだから決して悪いものではないんだよね
「怒るのは良くない争うのは良くないみんな仲良くしなきゃ協力的にしなきゃ」という信念を抱えていると、陽極まって陰という感じになってしまう
「お前ら権力争いは良くないぞムキー」みたいな >>97
確かだいぶ以前もその話してたよね?
最近古参がけっこう残っている事がわかる機会が多くてなんか嬉しいよ >>90
認知行動療法は入門本をちらっと読んでその日からノートでも作って自分で実践できるから便利なんだよ
普通に最近うまくいってないなってくらいの悩みにも効果的
ただまともにやってたらアドラーを否定して認知行動療法を売り込もうとはならないはず >>95
こんばんは。「昔の自分を見ているみたい」と言った方の者ですが、好調そうにしていらして嬉しいですw
ですね、いわゆる嫌われる勇気流の、「レベル1)相手を切り離すための課題分離」を突き抜けていくと、
「〜さんてもっとツンツンしててプライド高そうな感じだと思ってたのに意外」と言われたりするでしょうね。
我々という文脈を切らずに続ける、つまり共同体感覚をグリップすることで、
それまでのスキルは変質して、「レベル2)互いに自立したまま握手できる課題分離」になりますから。
言い換えるとこれは「レベル1)あなたの問題はあなたが処理せねばならない」と、
「レベル2)我々の問題をそれぞれ分担してあたっていこう」との相違なんだと思います。
我々という文脈を挟むことで、明らかに上記二つ、言われた相手の抱くであろう心持ちが違うわけですね。
嫌われる勇気が有名になったのは、課題の分離というスキルを皆に教えたことが大きいですよね。
つまり相手の仕事を相手のものだと見定めて、そうして役割を決めたら機械的に相手を切り離す、その経験。
こういう心理的操縦って元来、罪悪感があったはずです。たぶん。冷たく見えるしよくないんじゃないか?ってw
それを心理学権威的に正しいと認められて行使できるのが皆、気持ちよかったんじゃないですかね。堂々と冷たくなれてしまった。
とはいえ「レベル1)あなたの問題はあなたが処理せねばならない」は、練習として私は必須だと思ってます。
「レベル2)我々の問題をそれぞれ分担してあたっていこう」は、まず役割の線引きができなくちゃ成り立ちませんから。
自分の心を観察していても、分担という内心作業の中で、レベル1の見定め、役割の区切りといった心理操縦が基幹となっているのを感じます。
以前、理論がもっと深く使えるようになりますよ、って感じで書いた気がしますけどそういう意味なんです。アドラーは心理的操縦をひとつひとつ組み合わせていくんです。
>>95さんは貪欲だし飲み込みが早い。アドラーは体験学ですから、そのまま、ばんばん自分を観察しながら動きの中で確かめていってください。 それって気楽に生きていけばいい、ってだけの話じゃん
で結局さ、恋愛相手が共同体wの仲間に取られたら仲間云々なんて言ってられないだろ?
フロイトの説に鑑みれば共同体参加って恋愛相手見つけるための物だろ?
それで、恋愛成就する奴って空気読まない奴だったりするからな
だから結局恋愛相手を掴めれば共同体云々なんて気にしなくなるだろう それって気楽に生きていけばいい、ってだけの話じゃん
で結局さ、恋愛相手が共同体wの仲間に取られたら仲間云々なんて言ってられないだろ?
フロイトの説に鑑みれば共同体参加って恋愛相手見つけるための物だろ?
それで、恋愛成就する奴って空気読まない奴だったりするからな
だから結局恋愛相手を掴めれば共同体云々なんて気にしなくなるだろう >>105
その謎理論に対する反論はなに?
ここはアドラースレだよ >>103
でも嫌われる勇気で見て以来、課題の分離や権力争いという言葉を見かけなくなったのですが
これはアドラーの考えなんでしょうか?
このスレで誰かも言ってたんですがアドラーの考えからの岸見さんの理論とか?
最近は共同体感覚もそうですが目的論にもハマってまして
自分の行動を逐一、今のはこういう目的があったからだな、とか考えてますw
でもやる気が出なくてやらなかったことを、「今のは自己欺瞞だな」と思って出来るようになってきたのは良かったです。 課題の分離はカウンセリングで使われていた責任の所在という言葉を、日本人向けに応用した野田さんのアイディア
権力争いはドライカースが教師向けに、子供の不適切な行動を段階別に分類したうちの1つ 古賀さんがキーマンだよな。
古賀さんが野田さんと組んでたらどんな本になっただろうか?
野田さんが100分で名著に出てたらどんな番組になってただろうか? 乱暴な言い方をすると嫌われる勇気は、課題を分離して、トラウマを言い訳にしないで、自分のやりたい事をして自由に生きよ!って言う自己啓発理論
アドラー自身は、劣等感の補填(目標追求性)という人間の特性を個人の共同体感覚の育成のために使えば、争いのない社会を築けるんじゃないかという理想追求理論
実際にアドラー心理学が体系化して使われているのは実はどちらでもなく、教育や治療の場で被験者と目標を一致させ、人と人が協力的である時の連帯感を体験する事で、人と競合しなくても暮らしていける事を学んで、自立的な個人を育てるという使われ方 >>110
古賀さんは商業的にも嫌われる勇気ってタイトル通り課題の分離を強調したいんだろうからなあ
正直共同体感覚全面に押し出したところで日本人には嵌らなかったと思うし
野田さんと組んでもあまり変わらなそう
というか野田さんキレて話進まなそう 野田さん曰く「私は嫌われる勇気なんて持ち合わせていないけど、幸せに生きていますよ」 >>91
>>93
我々の心、我々の身体という、我々の人生というゲ ームの道具は、残念ながら買い換えることができないんですね。かなり癖のある道具かもしれません。けれども、この癖のある道具を使うしかない。 >>114
嫌われても気にしてないということではないですか? >>115
うん、そのとおりだと思うし、それでいいと思うな俺も >>116
http://jalsha.cside8.com/diary/2016/12/08.html
そういう文脈ではないね
嫌われる勇気などなくてももともと人は自分だけの人生を生きている
むしろ課題の分離は「人にどう思われてもいいという意味ではまったくない」そう 日本に於けるアドラー心理学は岸見アドラーがスタンダードになりつつあるね。
社会常識や道徳はむしろ野田さんより岸見さんの方が心得ているだろう。
古賀さんともやっていけたし出版社からのオファーも多いし、
NHKからもお呼びもかかるし。。。 幸せになる勇気「悪いあの人、かわいそうな私、これからどうするか」→自己啓発的
アドラー心理学を語る「悪いあの人、かわいそうな私、私にできること」→協力的 >>113
>というか野田さんキレて話進まなそう
きっとあなた野田さんのことよく知らないでしょw 古賀さん・岸見さんがいなければ、日本のアドラー心理学は
知る人ぞ知る心理学で終わってたよ。
岸見さんと野田さんの立場が逆ならよかったのに。
岸見さんが野田さんより前にやってたらな〜。 >>121
知らない
けど文章読む限りなかなか毒突くなあとは思う >>123
むしろ知る人ぞ知る心理学で終わってて欲しかったよ
アドラーが好きなの?なんであえて?くらいの時がよかった >>127
おっとべつに批判されようが自己責任だよw 向後の実践講義を読み終わりました。
1つ岸見の嫌われる勇気よりもマシだと言えるのは、アドラー心理学はあくまで仮説であり、その域を出るものでないと何度も強調していることでしょう。
著者本人が述べる通り、あくまでも仮説とすることで、学術的な論争を回避しながらも、役に立つ人には役に立つ考えであることを認めている。
これであれば私は特に文句はありません。 内容については突っ込みどころは沢山ありますが、まあいいでしょう。仮説なのですから。
全ての人間が互いに思いやる感覚を持たねばならない。まずあなたがそうしなさい。そうすれば地球はより良い場所になるはずです。
書いてあるのはそのくらいのことです。
途中の技術論や思考のテクみたいなのは、私にとっては殆どが既に自明であり、驚きや発見は無いに等しいです。
共同体感覚を持てば人間関係を改善できると主張していますが、そんなに世の中甘くないでしょう。人によって正義の中身や比重は違うわけで、相手に通用しなければ意味がないわけで、
そんな包摂的な相互理解が出来るほど世の中に余裕があれば、すでにそうなっています。
まさに机上の空論以外の何物でもありません。お互い近いもの同士で共同体感覚を共有して、仲良くしてください。どうぞ勝手にしてください。
そしてその共同体感覚を私に押し付けないでください。貴方達の共同体感覚は、社会を豊かにする真のプロフェショナリズム、職業観が抜けています。 >>131
居ません。子供を安全に食わせて、しっかり教育するだけの財力がありませんから。結婚するつもりも今のところはありません。 >>132
なるほどね
なんか包括的な相互理解って言葉が気になって
たぶんそんな事アドラー系の本には書いてないでしょ?
俺は嫁の事も子供の事も好きだけど一生かかっても理解し合えるなんて思えないのよ
アドラーって課題の共同化ができなければ介入しないのが原則だから、相互理解なんて可能なのはごく僅かの人の少しの部分だけだろうなと思うのよ
共同体感覚って笹さん的解釈だとどんな定義なの? >>133
逆にアドラー心理学の定義するところの共同体感覚を、私が知りたいくらいです。
貢献や愛情などに出力することで幸せに近づくみたいなことが書いてありますが、良く分かりませんね。
私が思うのは、主権者としての自覚が日本人には足りないので、国家運営がどうしても歯抜けになり、弱者が生まれてしまう。
そこをなんとかしたいわけですね。 うちの親の世帯年収300万切ってる事を大人になって最近知ったんだがよく俺を埋めたよな
あいつら勇気あるよなwww >>134
共同体感覚っていろいろ説明はあると思う
所属感、信頼感、貢献感、ってとこだと思うんだけど
あくまで私的感覚なはずなんだよね
相手を思いやるとか貢献するとかってのは「自分が」そういう私的感覚を獲得するためにやるもの
前提は社会統合論だから、自分が変われば関係性は必然的に変わるわけだけど
相手は自分が思うようにはほぼ100%変わらないよ
だから国家運営とか弱者を救うのには向いてないと思うよ
自分しか変えられないから 子育てのアドラー本とかね、子供じゃなくて読んだ親自身が変わる方法が書いてあるわけだよ >>134
不完全な日本人を完璧に近付けていく私という考え方ではなくて
不完全な日本人と不完全な私のそのままを受け入れて
みんなにもそう思ってもらえる方向に振舞っていくのが
アドラー心理学の考え方だと思うよ
ちなみに笹やんが弱者救済を達成した時に貢献感と愛情で幸福感を得られそうだとは考えられないの? >>130
それには同意しかねるな
ヘーゲル的歴史観に立つ俺からすればテロスがニヒリズムに否定され得るアポリアだとして
そのドラスティックなヒューマニズムの上にアジェンダを構築することがアルチュセール的構造主義における、ミームだ。
いずれにせよ、ケイオスティックな人間存在における経験をテクネーへと、普遍へと、止揚することが、デカルト的パラダイムのモダニズム的出発点だ。
エピステーメー的に論考すればリングイスティックターン以降の日常的言語学派におけるアフォーダンスをシラバスにおいてエキュートすることが
アカディメイアのタスクだと思われさもなければ想像の共同体はサイバーカスケードの上にもろくも崩れ去ってしまう。 「共同体感覚は机上の空論だキリッ」
「共同体感覚をどう定義してるの?」
「よく分からない知りたいくらい」
分からんのかーいw
沢山ある突っ込みどころって主張もまだまだあやしいよ。
まだどれも極端な思い込みでそう見えてるだけってのが拭えなくない? 権威を失墜させて弱者を救う事が俺の共同体感覚だという発想自体がよく本を読んでない証拠だろうけどさw
まあ使命感に燃えているうちはがむしゃらに頑張ってみるってのもありだと思うよ
課題の分離の本来の目的は結末を体験するためだしさ 人間関係よりも国家運営や弱者救済、格差補正の答えに近づきたいなら
心理学の類よりも哲学の方から学ぶべきところは多々あるだろうね
資本主義社会の批判と安易な対案だけじゃ前に進めずに潰れるだけなんじゃないかと思う
マルクスを読んだ上でこれまでの社会主義国家で起こったことを詳しく調べて考察してきてるのか疑問があるし
東浩紀からも良いものが学べるんじゃないかと思う
その上でアドラー心理学は使える理論だと俺は考える >>119
野田さんの方のは学びにくいんじゃないかな
講座やらの場が少な過ぎるし
やっぱり本だけでは厳しい中でこの機会の少なさは致命的だわ
本人がそこまで広める気はなさそうだけど >>99
悪いことではないというのは分かる
問題行動も本人にとったら所属のための善だもんね
ただ第一人者で共同体感覚を育めていると自負する方が推敲もできるのにこんな文章を投稿するのはちょっと驚いたし
責める気持ちより何故?っていう疑問が大きい
人は不完全だし道具にも癖があるからこうもなるってこと?
それともこれも共同体感覚なのか?
共同体感覚ってのがいまいち掴みきれてない身としてはどっちなんだろうと思う >>147
ざっくりいうと共同体感覚って、世の中支え合わないと生きていけないダメ人間ばっかりだよな俺も一緒じゃん、仕方ないそれを受け入れて自分にできることから始めよう。
って事じゃない? >>147
自分の事は自分が一番よくわからないからね
気づいてないんじゃない?
それかあなた自身が競合的な発言に対して必要以上に過剰に反応してしまってるという事はない? >>148
そういうスタンスで共同体感覚を目指すのが現実的なんだろうね
>>149
アドラーの考え方は基本的にガキ大将哲学みたいなもんで結構ガチガチなルールがあるってお話本でされてたんだよね
確かにこの心理学って一つでも取りこぼすとやけに冷たい人になったりお人好しになってしまう危険性は孕んでいると思う
嫌われる勇気で勘違いした人が出てきたように
だからこそ学んで行動していくには私は初心者でもあるからこそ守破離の精神でまずはルールに乗っ取る必要があると思った
だから確かに過敏になってる節はあると思う
その上で別に叩きたいとかではなく純粋にこれって共同体感覚なのか?と疑問に思った >>150
確かに、人のために人のためにと考えて行動していくとただのお人好しになりそうな気がします。 あ、レス送信してしまったので続き
ただ、自分があるがままの姿で所属していいんだという自己肯定感を感じれば
ただのお人好しにならずにある程度マイペースにはなれるのかなとも思いました。
人のために、を考えつつ、そこがまるで自分の家のように自然体で振る舞えるように行動しています。
そういう状態の時って共同体感覚?なのか、すごく居心地が良いように感じます。 >>150
じゃあ野田さんのそれは共同体感覚ではない、でいいんじゃない?
野田さんが完璧な人だったら野田さんの振る舞いは全て、不完全な人に対する救済という事になるから、協力関係は存在しなくなるよね >>150
横からだけど
>>148から始める共同体感覚じゃなくて
それか既に共同体感覚ある姿なんだよ >>153
なんとなく分かったよ
常に完璧な共同体感覚を持ちうるなんて人間である以上難しいってことだよね
もしそれが現実になったら本当にアドラー心理学が必要なくなる時で人間業ではないってことかな?
>>154
共同体感覚はあくまで理想であるみたいな話じゃなかったっけ?
ここ目指していけば幸せになれるからやってみようみたいな >>151
なるほど
ありがとうございます
地道にやってみます >>155
共同体感覚は心が健康であれる様な所属感を得る方法として提唱されたわけで
私は役に立つし役に立とう
世の中は私を受け入れているし援助してくれる
という認識を経験的に学ぶことだよね
理想っていうのは、その度合いとか、誰にでもどのタイミングでもっていう話しで、
完璧じゃないと共同体感覚として認められないわけじゃないと思うよ
普通の人でも普通に経験する身近な感覚なんだと思うよ
で、
>>148も>>152もその特徴のひとつ >>126
その考え方って心狭すぎま千?
自分さえよければいいという考え方に近いような・・・
アドラーやっててもほとんど意味ないんとちがう? >>157
共同体感覚はざっくり3つの側面があるけど
どこかが欠けてたり少なくても共同体感覚ではあるってことかな
思ったよりガッチリ型に嵌める必要はないのね 共同体感覚はもともとあって、実践によって大きく育つって感じじゃないかな? >>159
ある程度実践できてるつもりでも、ふと心の調子が悪いことがあって
共同体感覚に照らしてチェックすると、ああ他者信頼が足りなかったなとか
ああ今自己受容できてないなって確認できるようになる
かと言って完璧に課題の分離ができてないとか、完璧に自己受容してないからって理由で
共同体感覚だと認めてはいけないとかそういうものではないと思うよ >>158
アドラー心理学がコモンセンスに向かっていた流れがあったのになって事だよ
それこそエリスやベックの認知行動療法とか
フランクルマズロー、ロジャースの人間性心理学系の流派
家族療法、ブリーフセラピー、ポジティブ心理学
あとは7つの習慣とか
アドラーから離れて、いろんな方面でアドラーの息づく思想理論技法が日本でも普及している中で、アドラー→ドライカース→シャルマンの系譜の日本のアドラー心理学を草の根的にやりながらアドラーが共通感覚としていく広がりを感じるのは面白かったよ
でも今みたいにアドラーの名前が先行して、アドラーとしてはかなり異端の「課題の分離心理学」をやるならそれこそ認知行動療法やった方がいい気がするな だから、認知行動療法学べばいいの
あとニーチェの言葉よんどけ
結局ユングやアドラーみたいな力動的精神分析は話をややこしくするだけだし世界では相手されてない
共同体云々も型にはめているだけで人によっては自我を失うキッカケになり得る
人に合わせる事で病む いや相手にされない事はないんだけどなw
まーでも認知行動療法は便利だよ >>161
長々と付き合ってくれてありがたいわ
色々合点がいったよ
私も肩肘張らずとりあえず試行錯誤でやってみる 間違った理解によって相手を煽る手法は人種差別に似ている
例えば欧米人がアジア人に対して指で一重まぶたとつり目を作って煽る手法に似てる
最初から排他的でマウントをとることが目的なので、その内容を訂正することには意味がない
できることは不適切な行為に注目を与えないこと
権力争いに乗らず、相互所属の糸口を残す態度でいること
つまり、生暖かく見守ってみよう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています