アドラー心理学総合 31【嫌われる勇気】
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アドラー心理学を語るスレです。個人心理学とも言います。
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アドラー心理学総合 30【嫌われる勇気】
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アドラー心理学2 【嫌われる勇気】 [無断転載禁止]
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■関連書籍
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
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■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 >>875
うん、だから結局それが幸せだから、
そうしたほうが良いっていう推奨がアドラー心理学でしょ? >>875に加えて言うと、自己啓発との違いというのはそこにあって、治療的枠組みとしての対話が成立しないとアドラー心理学としては機能しない
つまり相互尊敬、相互信頼ありきだよ >>874
それこそ個人の思いようじゃない?
計測なんかできっこないけど仮に周囲の人から邪魔だし面倒くせえけど合わせてやるかと思われてても所属してるとは思えるし >>879
思いようというか、感じ方?じゃないのかな
あなたの言うように周りから別にそんな風に思われていようが
自分が自己肯定していて、他者を信頼、貢献してたら気持ちよくなるんじゃない?
>仮に周囲の人から邪魔だし面倒くせえけど合わせてやるかと思われてても所属してるとは思えるし
うーん、思えるかなあ?
相手が邪魔だし面倒くさいって感じている以上、お互いの所属にはなってないからねえ
これを相互の所属のためにどうしたらいいかを考えるのがアドラーなんじゃないの?
そしてそうした方が互いに幸せに感じられるのかと
個人の思いようだったら、極論言えば無人島に一人でも幸せを感じられるってことだけどそれって可能かなあ ごめん、ダブルスタンダードだ
最初の3行はスルーして下さい(_ _) >>880
お互いの所属になってるかどうかなんて脳みそ開けなきゃ確認しようがないからなあ
言動ではなんとでもできるから詐欺師なんてのが存在するし性産業なんかも成り立つんでしょう
生きている以上一人にはなれないからね
無人島でも相当難しいだろうけど可能じゃない? >>882
自分まだまだ勉強不足なんでわかんないなあ
有識者の方の見解を楽しみにしてます >>865
川で例えると、「川の源流は水だが水は川ではない。よって川の源流が川なのはおかしい。」、とあなたは言っています。
おかしいですよね?
○○の源流という言葉は、○○=○○の源流、という関係性が成り立たなければならないのです。
例えば、人類の源流はサヘラントロプスですが、これを式に当てはめると、人類の源流=サヘラントロプス(人類)が成り立ちます。
人類=人類になっていますよね?
なので、アドラー心理学が自己啓発の源流であるということは、自己啓発の源流=アドラー心理学(自己啓発)が成り立つのです。 げん‐りゅう〔‐リウ〕【源流】
1 ある川のもととなる水の流れ。水源。「ナイル川の源流」
2 物事の起こり。始まり。起源。「文明の源流をたどる」 ミトコンドリア・イブ(Mitochondrial Eve)とは、人類の進化に関する学説において、現生人類の最も近い共通女系祖先(the matrilineal most recent common ancestor)に対し名付けられた愛称。
源流=起源
人類の起源=ミトコンドリア・イブ
ミトコンドリア・イブ≠人類
証明終了 >>886
ミトコンドリア·イヴは人類ではなく我々ホモ・サピエンスの祖先ですよ
そしてミトコンドリア·イヴはミトコンドリアではなくある人類の愛称ですよ >>884
多摩川は上流をたどって、山の水脈を流れている時点で最初から多摩川だったという話ではなく
多摩川と呼べるようになった最初の場所が源流だという主張でしょうか >>871
その言い分は分かるけど、経験による自動思考のことを考えると、
アドラー心理学の実践的によくない思考の癖が付きそうだなと思った >>893
そうするとやはり人によって源流という言葉の捉え方、定義が違うので
源流という言葉を頼りに議論するのは不毛なのではないでしょうか?
俺としてはアドラー心理学と自己啓発の関係は、山を流れる水脈と多摩川の関係と捉えています
また、過去のあらゆる哲学とアドラー心理学の関係も同様ですし、
現代の心理学とアドラー心理学の関係も同じ様に考えています >>882
相手から影響を受けて自分が変化する覚悟と騙され続ける決意だよ
この辺は理屈だと納得しにくいかも
経験してみないと >>896
わからない
もうちょっと分かりやすく言ってください >>872
自分の感情が他者に影響を与えている事を意識するだけで一人では完結できなくなるよ
全てのエピソードには感情が伴い、それは人と人とを引き離す感情と、人と人とを結びつける感情がある >>894
源流という言葉の意味は辞書に載っている意味が正解です。
人それぞれなんて言い出したら言語が成り立ちません。
否定したいのならアドラー心理学は自己啓発の源流ではないとはっきりと言いましょう。 まあそれに関しては岸見さんの書き方が悪かったでいいんじゃない?
別に対して掘り下げる内容でもないかと >>897
自分の行動は必ず相手に影響を与えて変化する相互依存関係にあると捉えるのが社会統合論
変化は必然、逆も然り
どう変化するのかはその人のライフスタイルの選択しだい
ここまでは理論の話
ここで共同体感覚という思想を取り入れることによって、「相手の選択するライフスタイルが協力的なものである」と積極的に信頼する姿勢をアドラー心理学を実践する側は選ぶことになる
でも実際のところ相手は、競合的、支配的、排他的な理論で受け止めて反応する事もあるわけだ
でも本当は協力的な意図があるんだろうなと、一見競合的な反応を協力的な姿勢で信じて受け入れ続ける事で、相手は競合的な態度がだんだん取れなくなってくる
納得できるとは思わない
でもやってみたらきっとわかると思う アドラー心理学をベースにして自己啓発の諸理論が生まれた、とすれば源流って事じゃないの?
だからってアドラー心理学が自己啓発理論だってことにはならないでしょ >>901
ありがとうございます。
>でも本当は協力的な意図があるんだろうなと、一見競合的な反応を協力的な姿勢で信じて受け入れ続ける事で、相手は競合的な態度がだんだん取れなくなってくる
これなんか自分自身をある意味騙す感じがする
でも個人的には納得できる
要はツンケンしてる人でも心を開いていれば、ツンケンしなくなってくる感じだよね ちょい質問
前も書いたけど親のせいで精神病になった被害意識がなくならない。
原因が分かったところでどうにもならない、大切なのはこれからどう生きるか 頭じゃわかるけど自分の中で消化できない。どう自分を納得させればいいかヒントみたいのありますか? 皇室ブログ ユーチューブちゃんねる 日本政治の黒幕
韓国と安倍と天皇 日本政治のトップは朝鮮人だった!戦争責任を取って公務員になれ! 31
https://www.youtube.com/watch?v=rypd1_8McyM >>904
人は本来は協力的な存在なんだと思う
協力的な態度が身についてくると、競合的な態度は無知ゆえの誤解に過ぎなかった事が実感として理解できるから、騙すというよりは自分の個性を取り戻すって感じがするよ
個人的な見解だから異論は認めるけど >>896
いやだからその覚悟と決意も認知でしょ?
論点ずれてないか? >>898
そもそも一人で完結なんて端からあり得ないだろ
対人関係論でしょ
さらにその結び付きは数字なりで客観的に証明できるもんじゃないだろ
どうしたって思い込みにならざるを得ないよ
なんか勘違いしてる人いるけど俺は別に独善的になればいいとかそういう話をしている訳じゃないんだが
反ハドラーでもないし >>905
アドラー心理学はもっぱら目的論を採用するってだけで別に原因を考えないわけじゃないからなあ
このスレで議論が絶えないようにかなり誤解が多いから消化するの大変かもよ
認知行動療法は軽く入門本読んでその日から使えるからおすすめ >>908
>>909
横からだがあんたの論点がそもそもわからん
なにが言いたいのかさっぱり >>912
幸せかどうかは周囲の実際の様子関係なく結局はその人の認知によるって話だけど >>914
周囲の実際の様子が、その人の認知に影響するというのがアドラーなんじゃないかな? >>916
その実際の様子ってどうやったら分かるの?
脳の検査でもしてやっと一部分かるくらいだろ >>917
要は例えば物理的に他人との関係で、笑顔を見るとか、楽しく話しをする、わかり合うとか
そういった事柄があると幸せだと感じるってことをアドラーは長年かけて研究したんじゃない?
脳とかの研究はしたのかどうかは知らないけど、別にアドラーが真理ってわけでもないしなあ ↑そんな単純な事でもないと思うけど分かりやすい例として >>914
うんなるほどわからん
なんか片っ端から突っかかってとても幸せには見えないし余計にわからん >>920
端的に言うと>>914の人は、幸せは自分の認知次第だから
たとえ無人島で一人でいても幸せになることは可能と>>882で言ってるみたい >>917
状況を見て幸せを感じるはやっぱり認知→感情の話じゃない?
その幸せそうな雰囲気にいても無理して笑ってくれてるんだ、合わせてくれてるんだとも捉える人はいるよ
だからアドラーは他者信頼やらにも現れてるように認知論を掲げたんでしょ
さっきから言ってるけど別に俺はアドラーに文句つけたいんじゃなくてむしろ賛同者だよ 誰が誰だかわからないからアンチハドラーだけでもコテつけて >>920,921
いやむしろあなた方がどこまで学んだのか分からん
認知論を何故頑なにないがしろにするのか
無人島に一人でも生きている限り対人関係の中にあるよね?
俺のレス見て不幸そうだと感じたとしてだからなんなんだ >>923
俺は感情→認知だと思うなあ
でも認知論については全然知識ないから何とも言えない
あなたは認知論を学ばれているんですか? >>925
認知論という前提があって、その上で自他の価値観を尊重するような認知を選ぶ事を幸せとしているわけだから、「アドラー心理学の共同体感覚という価値判断を受け入れるのであれば他者の存在は幸せに関係ある」という事だとダメなの? 意思の疎通図れないから煽ろうなんてますます不幸そうだけど >>926
学んだよ
今の所の定説は認知→感情とはなってる
アドラーもそういう意見だしね
>>927
幸せにおいて他者の存在はどうでもいいとは書いてないよ
ただ他者をどう捉えるかになってくるよねって話 >>929下
流れを見てると、他者を協力的な存在として捉えるといいんじゃないかな?って意見がメインっぽいけどそれがあなたの意見となにか矛盾してるの? >>930
全くしてない
ただ信頼感にしろ貢献感にしろ実際の出来具合なんて客観的に分かりようがないから、結局は個人の認知の話になるよねって書いた
最初に結局は認知って書いたのが独善的に飛躍してるように見えたのかもしれんけど >>903
源流=始まりです。
よってアドラー心理学は自己啓発の源流という場合、アドラー心理学は自己啓発の始まりということになり、始まりは全体に属するので、アドラー心理学は自己啓発ということになります。
そもそもアドラー心理学が自己啓発であると何が不満なんですか?
自己啓発とは、自発的に自分を成長させようとすること。
むしろアドラー心理学にふさわしい言葉だと思いますが? >>900
あなたは、その書き方に納得している人も間違っている、と言っていることに気づいていますか?
源流という言葉は、人を惑わすような言葉ではなく、むしろ意味が分かりやすい言葉だと思います。 自己啓発か否かの捉え方も人それぞれってことで良いのでは?
例えば、アドラー心理学は7つの習慣の源流だとも言えるけど、
アドラー心理学は7つの習慣じゃないからね
アドラー心理学は自己啓発ではなく臨床の治療と子育ての思想だと思う人もいるし、
アドラー心理学は自分の人生で大切な自己啓発だと思う人もいるし
ニーチェを自己啓発と捉える人もいるかも知れないしね >>935
その例えは誤りです。
なぜなら、〇〇の源流の〇〇には同じ要素が当てはまらなければならないからです。
この場合、アドラー心理学は7つの習慣ではないので、アドラー心理学は7つの習慣の源流である、とするのは誤りです。
では、同じ要素を抽出してみると、アドラー心理学は自己啓発であり、7つの習慣も自己啓発であることが発見できます。
よって、アドラー心理学は自己啓発の源流であり、7つの習慣は自己啓発の流れに在ることが成り立ちます。
アドラー心理学を自己啓発だと思うかどうかは人それぞれの自由です。
しかし、嫌われる勇気がアドラー心理学は自己啓発である、と言っていることを否定するのは非建設的でしょうね。 言葉にはルールがあります。
ルールを無視した人それぞれなんていうものはただの間違いです。 >>936
> なぜなら、〇〇の源流の〇〇には同じ要素が当てはまらなければならないからです。
ここがダウトな限り議論にならない。
何故なら江戸川の源流は江戸川ではなく、利根川のさらに上流など多岐にわたると定義されているからだよ。
嫌われる勇気の著者はいち協会員と、本の編集屋さんの古賀さんです。
嫌われる勇気がベストセラーだからと言って、さらにそこに源流と副題されていたからと言って
アドラー心理学全体が自己啓発と定義するのは間違いです。
ただここでこれ以上あなたを論破しても意味はなく、あなたの宣伝の根拠も並行線だと予想しますので、
私はこの発言にて以降はお任せします。 げん‐りゅう〔‐リウ〕【源流】
1 ある川のもととなる水の流れ。水源。「ナイル川の源流」
2 物事の起こり。始まり。起源。「文明の源流をたどる」 子供は親に対して自分は弱い人間だアピールをしても通用しない場合
謝罪文を書くのですか? >>942
相手しなくていいよ
源流源流言ってるのも荒らしね >>938
江戸川の源流は利根川と江戸川の分岐点です。
あなたが言っているのは利根川の源流です。
アドラー心理学が自己啓発かどうかは人それぞれの自由です。
しかし、嫌われる勇気はアドラー心理学は自己啓発である、と定義しています。 >>949
あった方が良い気もする
ちなみに、テンプレに認知論ないと思うんだけどどうかな?
姉妹スレの影響もあると思うけど >>910
レスありがとうございます。
認知行動療法調べてみます。アドラーといえ万能じゃないんですね >>954
治療が伴うなら認知行動療法をベースにアドラー心理学も勉強しながら
かかりつけのカウンセラーと相談しながら進めるのが良いと思う なんかアドラー勉強していくほど「嫌われる勇気」っていうタイトルが誤解されやすい気がしてきた
嫌われても気にしないという覚悟と勇気をもって行動していくという意味だよね
嫌われても気にせず、自分の好き勝手やるぜという意味だと思っていた時期が自分にもありました 信頼と押し付けがごちゃごちゃになってる人多い気がする
善なんて人によって全く違うのに
他人の態度次第でコロコロ気分変わってたら身持たないし過剰な押し付けを生むと思う
アドラーを良かれと思う又は真理だと思うのは個人の自由なんだけど
こういうのの話大きくしたのが宗教対立なんだろうし
これは勿論お互い良かれと思ってやってるからね 相手役がいる貢献なら、先に合意が得られるか確認すれば良いだけだと思うよ
相手の期待に応えるためじゃなく、自分が貢献したいという主体性があるなら
少し提案して反応を見てみれば良い
逆に、相手側からの提案に対して支配的な感覚を受けたら断ってみると良いってことだと思うよ >>957
スレの話?それとも普段接してる人の話?
スレなら不可能だろうね >>959
分かるよ
この思想を広めることが絶対にあなたの為になる!っていう感覚が
自分にとって都合良くなる為になってることに気付いてないパターンだよね
相互所属を目指して協力関係を築くことがお互いの為になるという本来の目的を忘れてしまってる 嫌われる勇気読んですぐのころは他の人に勧めたりもしたが
今になって思うと馬鹿なことしたと思う
というかアドラーちゃんと理解できてなかった。まあ今も出来てないだろうけど >>962
本が面白くて為になったからオススメっていうのは有りだと思うけどね
読むか読まないかは相手次第ってことで 自分の宗教だけが「真理」だと信じているなら、それはエゴの強化に役立てていることになる。
そうなると宗教はイデオロギー化し、優越感という幻想を生み出し、人々の間に分裂や紛争を引き起こす。
「真理」に役立てれば、宗教の教えは目覚めた先輩たちが残した道標、地図となってスピリチュアルな目覚めを、
つまり形への同一化からの解放を助けてくれるだろう たとえば、誰かにニュースを知らせようとする。
「ねえ、聞いた?え、まだ知らないの?それじゃ教えてあげる」。
そのとき、あなたが注意深くて、きちんと「いまに在る」ことができていれば、
たとえそれが悪いニュースでも話そうとする一瞬に満足感がよぎるのがわかるだろう。
そのわずかな瞬間、エゴの目からすれば自分に有利で相手には不利な不均衡が生じているからだ。
その瞬間、あなたは相手より「多く」を知っている。
あなたが感じた満足感はエゴのそれで、他人との関係で自分が強者になったと思うことから生じている。
相手が大統領だろうが法王だろうが、その瞬間はあなたのほうが「多く」を知っていることによって優越したと感じるのだ。 >>964
この人別におかしなこと言ってないと思うけどねぇ
過去になんかやらかしたのか分からないけれど
このスレの暖かい目とやらの方が怖いよ >>957
そらアメリカでめちゃくちゃ売れた本のコピペだから内容はまともだろうね
てか温かい目も自演じゃないの? >>968
そうなんだw
今更で申し訳ないけど心理学の板ってIDないのね 教える側の欺瞞を説く為に求められてないのに同じコピペを何度も貼るのもどうかな?とも思うけどね
「ほう、そうか?」って返ってくるだけだしね わたしたちは、自分にも、他人にも、ちょっとした「わたしの物語」を話すものですが、
これは往々にして、「苦情」の形をとることが多いものです。
この習慣は、他人や物事を「悪者」にし、自分を「正しい人」扱いすることによって
日常的に抱いている「わたしは不完全な人間です」という自己認識に、
知らず知らずのうちに拍車をかけるしくみになっています。
「正しい人」になることによって、自分が優越なポジションにいるような錯覚におちいり、
偽の自己であるエゴを増大させているのです。
これはある種の敵をつくることにもなります。
エゴは自分のなわばりを確保するために「敵」をつくりたくてしょうがありません。
天気でさえも、その役目を果たすほどですから。 不満はあら探しや反応と同じく、エゴの存在を支える境界や分離という意識を強固にするが、
同時にエゴの糧になる優越感を与えることによってエゴを強化する。
たとえば交通渋滞や政治家や「強欲な金持ち」や「怠け者の失業者」に対する、
あるいは同僚や元配偶者やいろいろな人たちに対する不満がどうして優越感につながるのか、ちょっとわかりにくいかもしれない
実は不満を言っているときは、自分が正しくて不満や拒否反応の対象である人や状況は間違っていると暗黙のうちに想定しているのだ。 自分が正しいという思いほど、エゴを強化するものはない。
正しいというのは、ある精神的な立場(視点、見解、判断、物語)と自分を同一化することだ。
もちろん自分が正しいと言うためには、間違っている誰かと比較しなくてはならない。
だからエゴは自分が正しいと思うために、好んで誰かが間違っていると決めつける。
言い換えれば、自分という意識を強化するためには、誰かが間違っていなくてはならない。
間違っているのは人だけではない。ある状況も、不満や拒否反応を通じて間違いだと決めつけられる。
「こんなことは起こってはならない」というわけだ。
自分が正しいなら、間違っているとか欠陥があると判断される人や状況に対して、
自分が倫理的に優越していると思うことが出来る。
その意味でエゴは優越感を欲し、優越感を通じて自らを強化する。 そろそろ次ですか
とりあえず>>678をどうするかっすね レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。