アドラー心理学総合 31【嫌われる勇気】
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嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
学会のテキストはアドラー心理学を学ぶのにおすすめです。メールで注文可能です。
■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 野田さんのブログ見てると人のこと浅はかな考えを持ってるだの糾弾したり政治家に点数つけてみたり
セミナーに来た初顔の人をどうせブームに乗っかった奴らに違いないみたいなこと書いてるんだけど
共同体感覚高くてもこんな感じになるものなのかな?
よく分からなくなってきた 補正項によれば循環器科の先生から躁うつ病か心身症とみなされたらしい。
せめて心の病気ではないと信じたい。 まあアドラー本人もそうだし、何かしら抱えた上で
それでも幸せに向けて生きる為の道具としてのアドラー心理学なんだろうな 前スレで、「昔の自分を見ているみたい」と言われたものですw
生きるために大切なこと、とアドラー実践講義を読みました。
原書は多少わかりにくかったですが、今になって思うとなるほどなと思うことが多かったです
実践講義は、ほぼ嫌われる勇気と同じような内容でしたが面白かったです。
以前の課題の分離の捉え方だと、共同体感覚が得られなかったんだなあと改めて思いました。
最近は人のためになることを考えて、共同体感覚を持てるように行動しています。
昨日会ったある人から僕のことについて
「〜さんてもっとツンツンしててプライド高そうな感じだと思ってたのに意外」と言われましたw
ちょっと効果あったのかなと思って嬉しかったです。 >>91
年取ると自我が強くなってしまうよね
野田さんも俺たちと同じ不完全な人間だよ >>86
夜と霧はおもろいぞ
肉体的にも精神的にも追い詰められた状態で選択肢が存在するということに俺もずいぶん勇気付けられた
俺上司に片目を潰されててあんま長い時間本読めないんだがアドラーとフランクルだけはコツコツ読んでる >>91
全体論で考えるといいかも
協力的ライフスタイルは競合的ライフスタイルを否定する、のではなく受容する事で統合される感じ
「怒っちゃいけない」のではなく「怒りの感情を使う必要がない」
この違いは大切だと思う
怒りには支配という仮想的な目的があって、さらに究極的には所属が目的なわけだから決して悪いものではないんだよね
「怒るのは良くない争うのは良くないみんな仲良くしなきゃ協力的にしなきゃ」という信念を抱えていると、陽極まって陰という感じになってしまう
「お前ら権力争いは良くないぞムキー」みたいな >>97
確かだいぶ以前もその話してたよね?
最近古参がけっこう残っている事がわかる機会が多くてなんか嬉しいよ >>90
認知行動療法は入門本をちらっと読んでその日からノートでも作って自分で実践できるから便利なんだよ
普通に最近うまくいってないなってくらいの悩みにも効果的
ただまともにやってたらアドラーを否定して認知行動療法を売り込もうとはならないはず >>95
こんばんは。「昔の自分を見ているみたい」と言った方の者ですが、好調そうにしていらして嬉しいですw
ですね、いわゆる嫌われる勇気流の、「レベル1)相手を切り離すための課題分離」を突き抜けていくと、
「〜さんてもっとツンツンしててプライド高そうな感じだと思ってたのに意外」と言われたりするでしょうね。
我々という文脈を切らずに続ける、つまり共同体感覚をグリップすることで、
それまでのスキルは変質して、「レベル2)互いに自立したまま握手できる課題分離」になりますから。
言い換えるとこれは「レベル1)あなたの問題はあなたが処理せねばならない」と、
「レベル2)我々の問題をそれぞれ分担してあたっていこう」との相違なんだと思います。
我々という文脈を挟むことで、明らかに上記二つ、言われた相手の抱くであろう心持ちが違うわけですね。
嫌われる勇気が有名になったのは、課題の分離というスキルを皆に教えたことが大きいですよね。
つまり相手の仕事を相手のものだと見定めて、そうして役割を決めたら機械的に相手を切り離す、その経験。
こういう心理的操縦って元来、罪悪感があったはずです。たぶん。冷たく見えるしよくないんじゃないか?ってw
それを心理学権威的に正しいと認められて行使できるのが皆、気持ちよかったんじゃないですかね。堂々と冷たくなれてしまった。
とはいえ「レベル1)あなたの問題はあなたが処理せねばならない」は、練習として私は必須だと思ってます。
「レベル2)我々の問題をそれぞれ分担してあたっていこう」は、まず役割の線引きができなくちゃ成り立ちませんから。
自分の心を観察していても、分担という内心作業の中で、レベル1の見定め、役割の区切りといった心理操縦が基幹となっているのを感じます。
以前、理論がもっと深く使えるようになりますよ、って感じで書いた気がしますけどそういう意味なんです。アドラーは心理的操縦をひとつひとつ組み合わせていくんです。
>>95さんは貪欲だし飲み込みが早い。アドラーは体験学ですから、そのまま、ばんばん自分を観察しながら動きの中で確かめていってください。 それって気楽に生きていけばいい、ってだけの話じゃん
で結局さ、恋愛相手が共同体wの仲間に取られたら仲間云々なんて言ってられないだろ?
フロイトの説に鑑みれば共同体参加って恋愛相手見つけるための物だろ?
それで、恋愛成就する奴って空気読まない奴だったりするからな
だから結局恋愛相手を掴めれば共同体云々なんて気にしなくなるだろう それって気楽に生きていけばいい、ってだけの話じゃん
で結局さ、恋愛相手が共同体wの仲間に取られたら仲間云々なんて言ってられないだろ?
フロイトの説に鑑みれば共同体参加って恋愛相手見つけるための物だろ?
それで、恋愛成就する奴って空気読まない奴だったりするからな
だから結局恋愛相手を掴めれば共同体云々なんて気にしなくなるだろう >>105
その謎理論に対する反論はなに?
ここはアドラースレだよ >>103
でも嫌われる勇気で見て以来、課題の分離や権力争いという言葉を見かけなくなったのですが
これはアドラーの考えなんでしょうか?
このスレで誰かも言ってたんですがアドラーの考えからの岸見さんの理論とか?
最近は共同体感覚もそうですが目的論にもハマってまして
自分の行動を逐一、今のはこういう目的があったからだな、とか考えてますw
でもやる気が出なくてやらなかったことを、「今のは自己欺瞞だな」と思って出来るようになってきたのは良かったです。 課題の分離はカウンセリングで使われていた責任の所在という言葉を、日本人向けに応用した野田さんのアイディア
権力争いはドライカースが教師向けに、子供の不適切な行動を段階別に分類したうちの1つ 古賀さんがキーマンだよな。
古賀さんが野田さんと組んでたらどんな本になっただろうか?
野田さんが100分で名著に出てたらどんな番組になってただろうか? 乱暴な言い方をすると嫌われる勇気は、課題を分離して、トラウマを言い訳にしないで、自分のやりたい事をして自由に生きよ!って言う自己啓発理論
アドラー自身は、劣等感の補填(目標追求性)という人間の特性を個人の共同体感覚の育成のために使えば、争いのない社会を築けるんじゃないかという理想追求理論
実際にアドラー心理学が体系化して使われているのは実はどちらでもなく、教育や治療の場で被験者と目標を一致させ、人と人が協力的である時の連帯感を体験する事で、人と競合しなくても暮らしていける事を学んで、自立的な個人を育てるという使われ方 >>110
古賀さんは商業的にも嫌われる勇気ってタイトル通り課題の分離を強調したいんだろうからなあ
正直共同体感覚全面に押し出したところで日本人には嵌らなかったと思うし
野田さんと組んでもあまり変わらなそう
というか野田さんキレて話進まなそう 野田さん曰く「私は嫌われる勇気なんて持ち合わせていないけど、幸せに生きていますよ」 >>91
>>93
我々の心、我々の身体という、我々の人生というゲ ームの道具は、残念ながら買い換えることができないんですね。かなり癖のある道具かもしれません。けれども、この癖のある道具を使うしかない。 >>114
嫌われても気にしてないということではないですか? >>115
うん、そのとおりだと思うし、それでいいと思うな俺も >>116
http://jalsha.cside8.com/diary/2016/12/08.html
そういう文脈ではないね
嫌われる勇気などなくてももともと人は自分だけの人生を生きている
むしろ課題の分離は「人にどう思われてもいいという意味ではまったくない」そう 日本に於けるアドラー心理学は岸見アドラーがスタンダードになりつつあるね。
社会常識や道徳はむしろ野田さんより岸見さんの方が心得ているだろう。
古賀さんともやっていけたし出版社からのオファーも多いし、
NHKからもお呼びもかかるし。。。 幸せになる勇気「悪いあの人、かわいそうな私、これからどうするか」→自己啓発的
アドラー心理学を語る「悪いあの人、かわいそうな私、私にできること」→協力的 >>113
>というか野田さんキレて話進まなそう
きっとあなた野田さんのことよく知らないでしょw 古賀さん・岸見さんがいなければ、日本のアドラー心理学は
知る人ぞ知る心理学で終わってたよ。
岸見さんと野田さんの立場が逆ならよかったのに。
岸見さんが野田さんより前にやってたらな〜。 >>121
知らない
けど文章読む限りなかなか毒突くなあとは思う >>123
むしろ知る人ぞ知る心理学で終わってて欲しかったよ
アドラーが好きなの?なんであえて?くらいの時がよかった >>127
おっとべつに批判されようが自己責任だよw 向後の実践講義を読み終わりました。
1つ岸見の嫌われる勇気よりもマシだと言えるのは、アドラー心理学はあくまで仮説であり、その域を出るものでないと何度も強調していることでしょう。
著者本人が述べる通り、あくまでも仮説とすることで、学術的な論争を回避しながらも、役に立つ人には役に立つ考えであることを認めている。
これであれば私は特に文句はありません。 内容については突っ込みどころは沢山ありますが、まあいいでしょう。仮説なのですから。
全ての人間が互いに思いやる感覚を持たねばならない。まずあなたがそうしなさい。そうすれば地球はより良い場所になるはずです。
書いてあるのはそのくらいのことです。
途中の技術論や思考のテクみたいなのは、私にとっては殆どが既に自明であり、驚きや発見は無いに等しいです。
共同体感覚を持てば人間関係を改善できると主張していますが、そんなに世の中甘くないでしょう。人によって正義の中身や比重は違うわけで、相手に通用しなければ意味がないわけで、
そんな包摂的な相互理解が出来るほど世の中に余裕があれば、すでにそうなっています。
まさに机上の空論以外の何物でもありません。お互い近いもの同士で共同体感覚を共有して、仲良くしてください。どうぞ勝手にしてください。
そしてその共同体感覚を私に押し付けないでください。貴方達の共同体感覚は、社会を豊かにする真のプロフェショナリズム、職業観が抜けています。 >>131
居ません。子供を安全に食わせて、しっかり教育するだけの財力がありませんから。結婚するつもりも今のところはありません。 >>132
なるほどね
なんか包括的な相互理解って言葉が気になって
たぶんそんな事アドラー系の本には書いてないでしょ?
俺は嫁の事も子供の事も好きだけど一生かかっても理解し合えるなんて思えないのよ
アドラーって課題の共同化ができなければ介入しないのが原則だから、相互理解なんて可能なのはごく僅かの人の少しの部分だけだろうなと思うのよ
共同体感覚って笹さん的解釈だとどんな定義なの? >>133
逆にアドラー心理学の定義するところの共同体感覚を、私が知りたいくらいです。
貢献や愛情などに出力することで幸せに近づくみたいなことが書いてありますが、良く分かりませんね。
私が思うのは、主権者としての自覚が日本人には足りないので、国家運営がどうしても歯抜けになり、弱者が生まれてしまう。
そこをなんとかしたいわけですね。 うちの親の世帯年収300万切ってる事を大人になって最近知ったんだがよく俺を埋めたよな
あいつら勇気あるよなwww >>134
共同体感覚っていろいろ説明はあると思う
所属感、信頼感、貢献感、ってとこだと思うんだけど
あくまで私的感覚なはずなんだよね
相手を思いやるとか貢献するとかってのは「自分が」そういう私的感覚を獲得するためにやるもの
前提は社会統合論だから、自分が変われば関係性は必然的に変わるわけだけど
相手は自分が思うようにはほぼ100%変わらないよ
だから国家運営とか弱者を救うのには向いてないと思うよ
自分しか変えられないから 子育てのアドラー本とかね、子供じゃなくて読んだ親自身が変わる方法が書いてあるわけだよ >>134
不完全な日本人を完璧に近付けていく私という考え方ではなくて
不完全な日本人と不完全な私のそのままを受け入れて
みんなにもそう思ってもらえる方向に振舞っていくのが
アドラー心理学の考え方だと思うよ
ちなみに笹やんが弱者救済を達成した時に貢献感と愛情で幸福感を得られそうだとは考えられないの? >>130
それには同意しかねるな
ヘーゲル的歴史観に立つ俺からすればテロスがニヒリズムに否定され得るアポリアだとして
そのドラスティックなヒューマニズムの上にアジェンダを構築することがアルチュセール的構造主義における、ミームだ。
いずれにせよ、ケイオスティックな人間存在における経験をテクネーへと、普遍へと、止揚することが、デカルト的パラダイムのモダニズム的出発点だ。
エピステーメー的に論考すればリングイスティックターン以降の日常的言語学派におけるアフォーダンスをシラバスにおいてエキュートすることが
アカディメイアのタスクだと思われさもなければ想像の共同体はサイバーカスケードの上にもろくも崩れ去ってしまう。 「共同体感覚は机上の空論だキリッ」
「共同体感覚をどう定義してるの?」
「よく分からない知りたいくらい」
分からんのかーいw
沢山ある突っ込みどころって主張もまだまだあやしいよ。
まだどれも極端な思い込みでそう見えてるだけってのが拭えなくない? 権威を失墜させて弱者を救う事が俺の共同体感覚だという発想自体がよく本を読んでない証拠だろうけどさw
まあ使命感に燃えているうちはがむしゃらに頑張ってみるってのもありだと思うよ
課題の分離の本来の目的は結末を体験するためだしさ 人間関係よりも国家運営や弱者救済、格差補正の答えに近づきたいなら
心理学の類よりも哲学の方から学ぶべきところは多々あるだろうね
資本主義社会の批判と安易な対案だけじゃ前に進めずに潰れるだけなんじゃないかと思う
マルクスを読んだ上でこれまでの社会主義国家で起こったことを詳しく調べて考察してきてるのか疑問があるし
東浩紀からも良いものが学べるんじゃないかと思う
その上でアドラー心理学は使える理論だと俺は考える >>119
野田さんの方のは学びにくいんじゃないかな
講座やらの場が少な過ぎるし
やっぱり本だけでは厳しい中でこの機会の少なさは致命的だわ
本人がそこまで広める気はなさそうだけど >>99
悪いことではないというのは分かる
問題行動も本人にとったら所属のための善だもんね
ただ第一人者で共同体感覚を育めていると自負する方が推敲もできるのにこんな文章を投稿するのはちょっと驚いたし
責める気持ちより何故?っていう疑問が大きい
人は不完全だし道具にも癖があるからこうもなるってこと?
それともこれも共同体感覚なのか?
共同体感覚ってのがいまいち掴みきれてない身としてはどっちなんだろうと思う >>147
ざっくりいうと共同体感覚って、世の中支え合わないと生きていけないダメ人間ばっかりだよな俺も一緒じゃん、仕方ないそれを受け入れて自分にできることから始めよう。
って事じゃない? >>147
自分の事は自分が一番よくわからないからね
気づいてないんじゃない?
それかあなた自身が競合的な発言に対して必要以上に過剰に反応してしまってるという事はない? >>148
そういうスタンスで共同体感覚を目指すのが現実的なんだろうね
>>149
アドラーの考え方は基本的にガキ大将哲学みたいなもんで結構ガチガチなルールがあるってお話本でされてたんだよね
確かにこの心理学って一つでも取りこぼすとやけに冷たい人になったりお人好しになってしまう危険性は孕んでいると思う
嫌われる勇気で勘違いした人が出てきたように
だからこそ学んで行動していくには私は初心者でもあるからこそ守破離の精神でまずはルールに乗っ取る必要があると思った
だから確かに過敏になってる節はあると思う
その上で別に叩きたいとかではなく純粋にこれって共同体感覚なのか?と疑問に思った >>150
確かに、人のために人のためにと考えて行動していくとただのお人好しになりそうな気がします。 あ、レス送信してしまったので続き
ただ、自分があるがままの姿で所属していいんだという自己肯定感を感じれば
ただのお人好しにならずにある程度マイペースにはなれるのかなとも思いました。
人のために、を考えつつ、そこがまるで自分の家のように自然体で振る舞えるように行動しています。
そういう状態の時って共同体感覚?なのか、すごく居心地が良いように感じます。 >>150
じゃあ野田さんのそれは共同体感覚ではない、でいいんじゃない?
野田さんが完璧な人だったら野田さんの振る舞いは全て、不完全な人に対する救済という事になるから、協力関係は存在しなくなるよね >>150
横からだけど
>>148から始める共同体感覚じゃなくて
それか既に共同体感覚ある姿なんだよ >>153
なんとなく分かったよ
常に完璧な共同体感覚を持ちうるなんて人間である以上難しいってことだよね
もしそれが現実になったら本当にアドラー心理学が必要なくなる時で人間業ではないってことかな?
>>154
共同体感覚はあくまで理想であるみたいな話じゃなかったっけ?
ここ目指していけば幸せになれるからやってみようみたいな >>151
なるほど
ありがとうございます
地道にやってみます >>155
共同体感覚は心が健康であれる様な所属感を得る方法として提唱されたわけで
私は役に立つし役に立とう
世の中は私を受け入れているし援助してくれる
という認識を経験的に学ぶことだよね
理想っていうのは、その度合いとか、誰にでもどのタイミングでもっていう話しで、
完璧じゃないと共同体感覚として認められないわけじゃないと思うよ
普通の人でも普通に経験する身近な感覚なんだと思うよ
で、
>>148も>>152もその特徴のひとつ >>126
その考え方って心狭すぎま千?
自分さえよければいいという考え方に近いような・・・
アドラーやっててもほとんど意味ないんとちがう? >>157
共同体感覚はざっくり3つの側面があるけど
どこかが欠けてたり少なくても共同体感覚ではあるってことかな
思ったよりガッチリ型に嵌める必要はないのね 共同体感覚はもともとあって、実践によって大きく育つって感じじゃないかな? >>159
ある程度実践できてるつもりでも、ふと心の調子が悪いことがあって
共同体感覚に照らしてチェックすると、ああ他者信頼が足りなかったなとか
ああ今自己受容できてないなって確認できるようになる
かと言って完璧に課題の分離ができてないとか、完璧に自己受容してないからって理由で
共同体感覚だと認めてはいけないとかそういうものではないと思うよ >>158
アドラー心理学がコモンセンスに向かっていた流れがあったのになって事だよ
それこそエリスやベックの認知行動療法とか
フランクルマズロー、ロジャースの人間性心理学系の流派
家族療法、ブリーフセラピー、ポジティブ心理学
あとは7つの習慣とか
アドラーから離れて、いろんな方面でアドラーの息づく思想理論技法が日本でも普及している中で、アドラー→ドライカース→シャルマンの系譜の日本のアドラー心理学を草の根的にやりながらアドラーが共通感覚としていく広がりを感じるのは面白かったよ
でも今みたいにアドラーの名前が先行して、アドラーとしてはかなり異端の「課題の分離心理学」をやるならそれこそ認知行動療法やった方がいい気がするな だから、認知行動療法学べばいいの
あとニーチェの言葉よんどけ
結局ユングやアドラーみたいな力動的精神分析は話をややこしくするだけだし世界では相手されてない
共同体云々も型にはめているだけで人によっては自我を失うキッカケになり得る
人に合わせる事で病む いや相手にされない事はないんだけどなw
まーでも認知行動療法は便利だよ >>161
長々と付き合ってくれてありがたいわ
色々合点がいったよ
私も肩肘張らずとりあえず試行錯誤でやってみる 間違った理解によって相手を煽る手法は人種差別に似ている
例えば欧米人がアジア人に対して指で一重まぶたとつり目を作って煽る手法に似てる
最初から排他的でマウントをとることが目的なので、その内容を訂正することには意味がない
できることは不適切な行為に注目を与えないこと
権力争いに乗らず、相互所属の糸口を残す態度でいること
つまり、生暖かく見守ってみよう >>167
どのレスに対してと表明しない方が適切だと思ってる 見守れないですよ。
どのレスも全部マウント取りに来てるようにも見えるし予定調和でみんな楽しんでいるようにも見える。 >>162
課題の分離はアドラー心理学の真髄じゃないのに
そこだけ一人歩きしてた感はあるよね
最近はどうか分からないけど
ただ俺の場合承認欲求に振り回されたり共依存体質が強いところがあったから、
課題の分離の考え方を取り入れたのがすごく役に立った
やっぱり日本人には課題の分離っていう刺激的な理論も必要なんじゃないかなとは思うよ
そういう意味で嫌われる勇気は、日本人にアドラー心理学を広める下地として成功してる様に見えるけどな >>169
マウント取りっていうのは相対的に自分を優勢にすることで自分を守るっていう所属の手法なんだよね
アドラー心理学では、そういった勝ち負けによる方法よりも、
相互所属に向けて貢献することで自分の居場所を作ることを提案してる
人の考え方は認知行動療法の理論でもある様に自動思考が働くし >>171 の続き
そのスキーマからくる自動思考を焼き直すには新たな経験を作るのが効果的
だから認知療法だけじゃなくて認知行動療法が効果を出すっていう考え方だよね
アドラー心理学で言うと、自他の競合的な認知を協力的に変える方向に
自分の態度を示し続けることで協力的な人間関係を経験的に作り出して行くことが可能になるっていう理論になる
マウント取りで自分を貶めようとしてる様に見えても
アドラー心理学を続けてると、そういう所属の手法を用いる癖のある人なんだなという見方ができる様になるし
そんな人を排除する考え方をすれば、自分の中にも競合的な認知を育ててしまう
だから選ぶ態度は生暖かく見守るってことになる >>163
よそでやれ。
しつこく書くより、認知行動がどんなもので、どんなメリットがあるのか、具体的に書いた方がいい。
このスレの住人は認知行動に興味ないし調べるつもりもないからお前が説明するしかない。
それがやなら邪魔で皆に迷惑かけてるだけだから、よそでやれ。
それとも、お前が興味あるだけなのに知らないから、アドラーをやっていて認知行動もやってる住人が認知行動もいいよと、説明書きをしてくれることを期待してる? 暖かく見守る(日本語)=応援してます
生暖かく見守る(2ch用語)=嘲笑
別に他意はないんだけどどうしてもツッコミたかったw >>173
認知行動療法すら大して理解してないの丸わかりだから相手にしなくていいよ >>174
確かにw
ちなみに個人的には暖かく見守る為にはそれなりのポジションというか
距離感も必要だと思ってる
例えば、相手の態度が直ちに自分の沙汰に影響する環境だと簡単には暖かく見守ってられないし
2chならそんな心配がないからこそ簡単にできることでもある
そういう意味で生暖かく見守るでも間違ってないと今こじつけましたw なるほどーニーチェと認知行動療法のコラボが良いと思っているのかー(生暖かい目) アドラーもルサンチマンや超人とかからコンプレックスやらなんやらの
着想を得てるんじゃないかとは思う 時代は被ってるしね
劣等感からの権力への意志なんてのは意味は違っても明らかにニーチェの影響受けてるよね >>53
この笹氏のレスを見返してみてなんとなくわかった
彼の言う共同体感覚とは「共通感覚」の事を言っているわけだ
そして、世の中の共通感覚を彼の自己理想(権威に虐げられている弱者を救うべき)に染める事を彼は目指してるというところかな? 僕が怒っているのは、岸見の本にあったトラウマはでっちあげという言葉です。
それと、これは向後の著にもありましたが、原因論を否定する態度です。
加藤の弟は苦しみの上に自殺しましたが、仮にですよ、彼が自殺を意識しつつも心理的救済を求めて岸見の本を読んだとして、
岸見の本はそんな彼に対してトラウマはでっちあげだと言いきり、課題の分離なるものを説き、共同体感覚たるものを説きますが、彼の心を救うことができたでしょうか?
加藤の弟が抱えた問題は恐らくほとんどが人間関係だったでしょうが、恐らく岸見の本が彼を救うことはなかったでしょう。
私も同じです。岸見の本には私を救えません。私のあの日々の記憶と、現在にもたらす実害を、でっちあげよばわりすることは、到底許すことが出来ません。
私は、加藤の弟が自殺を遂げずに済んだ方法、即ち加藤兄が犯罪を犯さずに済んだ方法を考えます。
すなわち加藤の両親の教育への興味は尽きないのであり、それは原因を可能な限り究明し、そうならずに済んだ方法を考える態度です。
すなわち、私は原因の究明と、それらを事後に生かすことに興味があるのであり、
よってアドラーのおおよその考え方とは異なる人生を歩むことになります。 >>180
そういうことだと思う
いわゆる私憤を公憤に転化しようとしてる感じなのかな
憤慨が起点だからアドラー心理学の思想は邪魔に感じて
否定に転じてるって感じなのかも知れない
って憶測で鑑定しても意味がないとも思うけど >>180
そうですね。
共通感覚、一般的感覚のほうが適切かもですね。 >>181
事後に活かすことに興味があるとのことなので、気持ちが未来に向いているのが良いと思いました
相変わらず応援してますよ >>182
おっしゃる通りですね。
ただ私は誰かを洗脳したいわけではないですね。
法治国家民主主義国家の主権者としての国民の意識が低いことを問題視しているだけです。そこを適正化するだけで、ずいぶんの弱者の発生を食い止められます。
年金財政破たんしそうですね。様々なボーナスに恵まれた昭和の人間の思想から、とっとと決別しませんか?
彼らは甘えているから、年金財政が破綻しようが何しようが、自分の権利なのです。強い財政を作らなかった自分たちの責任はさて置いてなのです。
こういう甘えを、排除したいのです。貰いたかったら、国が儲かる方法を考える。当たり前のことです。 >>181
アドラー心理学は原因を考えますよ
親の行動(影響因)と子の態度(決定因)に分けて関係性で捉えるけど
あとは長男、次男、末っ子、一人っ子みたいに順番でも考える
同じ長男で同じような環境で育っても、決定する態度が建設的か破壊的かで性格も変わるとするのがユニークなところ
目的というのも「目的因」という原因を考えているわけです
原因を否定しているのではなく、原因っていろいろあるよねーってのがアドラー心理学です >>185
なるほど
俺も政治への関心もあるし仰ることよく分かります
個人的には年金に期待しないけど後世のために自分の払う分は払うことと、
国に頼らない生活の為の努力をするという考え方で生活してるわけですが、
あくまで俺の個人的な考え方です
福祉に関わってるので、マイノリティ救済のテーマには敏感でもありますよ
そこで給付金だけでは解決しない部分がありアドラー心理学の考え方が役立ってるわけです
色々な方向からみんなにとって建設的な改善が進むと良いですね >>182
私憤を公憤に転化できたのならあとは建設的手段を見つけるだけでいいんだよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています