アドラー心理学総合 32【嫌われる勇気】
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アドラー心理学を語るスレです。個人心理学とも言います。
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アドラー心理学総合 31【嫌われる勇気】
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アドラー心理学2 【嫌われる勇気】 [無断転載禁止]
http://fate.2ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1493067514/
■関連書籍
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
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■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 >>100
茶化さないでください!!
どうしてアドレリアンは平気で人を傷つけることをするんですか!? >>101
なぜアドレリアンだというレッテルを貼るのですか?
ドラマしか見た事ないのに… >>101
えっと、>>97の方も仰ってますが
あなたを傷つけた人は未熟なんだと思いますよ 提案するなら、例えば語尾に「では?」って付けると押し付けっぽさが消えると思う
採用を促す時にこういったユーモアさも大事なのでは? >>88
過去ログのテンプレを見返してみたけど次スレ立てる人を決めてるテンプレがひとつもないのですが… 僕が新参だからって適当に言っているのですね…
アドラースレの古株さんのテンプレ提案だと思っていたのにショックです… >>109
最初は古株なのに未熟過ぎなのですが… と思いながら突っ込まず見てたが
アドレリアンと私という分け方をされると流石にただの荒らしの素の部分が出た感じだな >>88
>>107
ログ速で見てきたけどテンプレにはなかった
994 : 没個性化されたレス↓[] 投稿日:2018/06/10(日) 17:48:07.06 .net
次スレは>>973が立ててください
の一言も入れよう
前スレにこんなレスあったからテンプレにあったんじゃなくて
テンプレに入れようって意見があったって言いたいんじゃないの? >>110
論点がいつもの荒らしだし途中で明らかにキャラ豹変してるのに気づかない人は気づかずつい構ってしまうんだよな >>111
>>80みてよ元々決めてたって言ってんだよ
ていうかここまで広げる話題でもなくない?
一応荒らしの意見も尊重して
>>46の>>950が次スレ立てるで話題終了でいいでしょ >>113
自分の表現にもの言いがついたから>>46だけじゃ気持ちが収まらんかったんだろうね
過去に自然に次スレを立てるレスがあったことをつい断定しちゃったんだろ
レス引っ張ってすいません話題終了で アドラーってこのスレ見てても分かる通りまあ実践が難しいわな
シンプル故に解釈の余地があるから人それぞれのアドラー心理学があるんだね あ、ごめん、全然話違うけど気になったので一言。
>>91でいう自分は批判はしないってのは非難しないってことではないかな?
非難(批難)とは
・人の欠点や過失などを取り上げて責めること。
批判とは
・物事に検討を加えて、判定・評価すること。
・人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。
>>94でも普通に批判してるよね。
つまり、批判の目的は相手と会話をして共に歩んでいこうとすること。
非難の目的は一方的に相手に文句言って自分の感情をスッキリさせることだよ。
細かくてすまんね。 >>116
重要な指摘
アドラーの実践は多様だけど
アドラーの定義が自由解釈だったら収集つかない >>116
あ、仰る通りです
言葉の使い方間違ってました
訂正ありがとうございます 実際世界的にも定義すらバラバラなんじゃないの?
野田さんの本に書いてたような >>119
一応個人的には批判は哲学とかディベートで使う様な意味合いで捉えつつ
>>91で間違ってた感じです
定義は知らないけど、避難は競合的で、批判は論拠への議論的に解釈してます >>120
あ、ごめん
アドラー心理学についての定義のことだよ スレ民のレベルは上がっても、煽り耐性は昔の低いままなんだよなあー >>119
個人心理学講義の序文でいきなりアドラー古いって言ってるね
でも原典は尺度として色付けなしで把握しといた方が批判や実践もわかりやすい
その上で自分の意見だと伝えると誤解が少ないと思うよ >>124
なんか誤解与えたの?
私が読んだのはそれじゃないと思うし
まんま定義が違うって話だった
上のやり取りは多分純粋になんの定義についてなのか分からなかっただけだと思ってたけど >>125
あ、ごめん主語がなかったね
あなた個人がじゃなくてスレッドの方向性としてって意味です >>120ですが
岩井さんの本だと「人の意見は意見として捉え、批判・避難とみなさないこと」とあるので
使いどころは違うけどここでは二つの言葉をあえて分ける様にはしてないですね
とりあえず、批判は良し避難はダメの前に、言葉尻を捕まえて批判・避難に見えると断定せず、
エピソード的にみて競合的な目的だったのか尋ねるステップを踏むのが次からは望ましいのかも >>126
このスレの目指すべき方向性の考えの話を私にしたってこと? >>119
一応正統派のアドラー心理学と言えるのは、アドラー→ドライカース、アンスバッハーの系譜で学んでいる人たちという事になってはいるね
ドライカースの体系化を踏襲していないヨーロッパなんかだと、精神分析と融合した理論になっていてかなり違うみたい
日本の場合は、アドラー→ドライカース→シャルマン→野田さんの流れで学べる
アメリカ的自由主義ゲゼルシャフト社会のなかでは、ゲマインシャフト社会の実現という部分を押し出すと途端にアドラー心理学は反社会的思想になってしまうので、強調できていない部分がある
日本で活動できる野田さんはアドラー心理学の実践による社会運動の側面を推しているという違いはあるかな >>36
>>37
テンプレートの設定がアドラーの実践だという主張した人がいた
それに対する擁護的な意見と、諭す意見を交わす流れが続いていたように感じた
自分のコメントは>>117はその一連の流れに対する意見
それに>>119のレスがついたと思ったので>>124をレスしたよ >>130
私は定義について言及してて
あなたは実践について言及してるからすれ違ってるのかしら? >>131
>>91はアドラーの定義の上で提案していたので
避難じゃなく建設的批判だよっていう>>116の意見に>>117で乗っかった
それに対して>>119の文脈が>>36>>37に対する一種のフォローなのかと思ったんだよね
でも>>119は単純にアドラー心理学の定義の話に移行してた
ってすれ違いじゃないかと思います なるほど
批判・避難の流れだったから言葉の定義の話として>>119は俺を援護してくれたんだと思ってるけど
>>117以降はアドラー心理学自体の定義について話してるわけですな
個人的には、テンプレの話を進めるにあたって、それぞれが自分持ちの本や
野田さんの補正項やアドラー心理学会HPからの論文を持ち寄って話す方が建設的だとは思います
まあ全員がそうするのも大変だけど、せめて何人かはそういう役割が必要なんじゃないかな >>115
難しく考えると難しくなるけど実際解釈は簡単だと思うよ
思想 共同体感覚
理論 基本前提
技法 勇気付け、エピソード分析
ここに沿っているかで判断すればいいから >>132
多分そうでしたね…
>>133
私は別にアドラー心理学を実践しにこのスレにいるわけではないからなあ
でも確かにテンプレについての話だったんだし戻した方がいいと思う 別に口語としては間違っちゃいないんだけど「代替え案」という単語にムズムズするw ちなみに、アドラー関係の文献で避難はダメで建設的批判はオーケーって定義ありましたっけ?
基本的に批判じゃなくて提案しましょってだけだった気がするんですが >>134
そのここの解釈が色々できてしまうんではないだろうか?
岸見さんは野田さんと同じ学会だけどちょっと意見は合ってないみたいだよね >>136
普段から代替え案って言っちゃってましてwごめんなさい
ダイタイアンのが正しいですね >>137
それは
>>127ってことなんだろうけど
何かを提案するってことは事実上現状にちょっと問題ありですって暗に言っている
だから>>116は批判と避難をわけたらいいと書いたんじゃないかな
提案のつもりだったのが自分の言い方と相手の受け取り方しだいで批判になるからさ 間違えた
提案のつもりだったのが自分の言い方と相手の受け取り方しだいで 避難 になるからさ >>135
そうですねw実践の場じゃなきゃいけない決まりなんてないし。
アドラー心理学の定義や実践法を話すときは何かしらの参照先の内容を確認して沿うか
個人的解釈とか今あいまいとか言葉を添えて話すかする様にちょっと気を付けた方が良いかもという教訓になりました >>140-141
ニャルホロリンです
理解しました。ありがとうございます 避難も批判もアドラー心理学の上ではよくないような…
目標の一致の上の批判ならアリな気がするけど >>144そうだね、まず目標の一致だね。
目標が同じかどうか確認や>>127でも言われてるように聞くことから始めないとなんだよね。
そんで、目標が合ったら共に。
合わなかったら、離れる。
っで>>116で批判と非難の違いを書いたんだけど
アドラーでは批判もしないんだっけ?ごめん、にわかで。
確か何かして欲しい時はお願いするしかないみたいな感じだったけ?
批判などで相手を評価せずに
相手の行動について言うアサーティブコミュニケーションみたいな感じだったっけ?
「私はあなたの〇〇な行動で軽く扱われたように感じ悲しくなるからやめて欲しい。
かわりに何々をして欲しい。」みたいな? アドラーでは〜だっけ?
っていう言い方すごく違和感があるw
ごめん、文句言うつもりはないんだけど単純にそう感じた。なんでだろ >>144
だからお互いの意見を知るところから始まるのかもね
でも批判している人をよくないと批判するで矛盾しちゃうんだよね
それを考えると頭がガンガンしてくる
前スレのこの人の意見を聞いてみたい
140 : 没個性化されたレス↓[] 投稿日:2018/05/21(月) 13:53:18.64 .net
>>130
それには同意しかねるな
ヘーゲル的歴史観に立つ俺からすればテロスがニヒリズムに否定され得るアポリアだとして
そのドラスティックなヒューマニズムの上にアジェンダを構築することがアルチュセール的構造主義における、ミームだ。
いずれにせよ、ケイオスティックな人間存在における経験をテクネーへと、普遍へと、止揚することが、デカルト的パラダイムのモダニズム的出発点だ。
エピステーメー的に論考すればリングイスティックターン以降の日常的言語学派におけるアフォーダンスをシラバスにおいてエキュートすることが
アカディメイアのタスクだと思われさもなければ想像の共同体はサイバーカスケードの上にもろくも崩れ去ってしまう。 >>146
自分の意見じゃなくてアドラー心理学に依存した意見だと感じたからでしょ?普通の感覚じゃない?
でもここだとアドラー心理学をコモンセンスにいろいろ議論したり、理解を擦り合わせたりしながら学んでるわけだからそうするしかないし、それだからこそスレの存在意義があるんじゃない? >>147
ビ ッ グ ハ ゙ン ア タ ッ ク
は い 、 究 極 論 破
ビ ッ グ ハ ゙ン ア タ ッ ク
というのは実に巧妙に真実を覆い隠す表現ですね
数年ですぐくつがえる「実験の途中経過報告のような」紙屑論文を量産しないと生き残れない分野というのは
確かに存在するようですが そういうことと意図的に作成された無意味な論文が掲載されてしまったこととは
全く意味が違いますよね
大脳生理学において「量子論的不確実性あるいは相対論的相対性を考慮する余地がある」
とお考えになる方は「このスレには無縁である」ということだと思います。
大脳生理学を殆どご存じないあるいは全く知らない方が「機械的唯物論」について云々
すること自体が「最初から最後までの間違い」・・だということです。
「私の(という)意識」は大脳生理学的現象を「超えて」存在しない・・という
「現前たる事実」をお認めになることが「真理への第一歩」である・・ということです。
そもそもの話、言語的なメッセージに回収されないのが、ポストモダンなのですよ?
従って「必然的にキモAAに落ち着かざるを得ない」・・・ということになります。
ミスターベルトコンベヤー工場勤務の理系BOYには分からないかな?wwwwwwwwww
,,-――-、
,/ \
./ ...-ー、,-─ . l
| .-=・=- i、-=・=-.|
| / ー-' ヽ /
\ ヽニソ ,/ 本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます。
/ 不満と、誰かに過ちや欠陥を教えて正させることを混同してはいけない。
不満をもたないことは、必ずしも質の悪さや劣悪なふるまいを我慢することではない。
ウェイターにスープが冷めているから温めなおす必要があると伝えることは――事実だけを取り上げるなら、事実はつねに中立だから――エゴではない。
「よくも私にこんな冷めたスープを出せたもんだ・・・・」。これは不満である。
ここには「この私に」という意識があり、冷めたスープに個人的な侮辱を感じてここぞとばかり騒ぎ立てる「私」、誰かが悪いと決めつけて喜ぶ「私」がいる。
この不満は変化を起こすのではなく、エゴを喜ばせるのに役立つだけだ。
ときにはエゴがほんとうは変化を望んでいないことが明白な場合さえある。
それなら不満を言い続けられるから。 >>146
145ですが私の言い方を責められたように感じで悲しいです。
よかったら今後のために言い方を教えてください。
>>147
フォローあんがとねー >>145
野田さんの本で
相手の言動に影響を与える自己主張では
@横の関係に立つことA理性的であることB論理的であることC自身の権利と責任を意識すること
が大切って書いてたよ
ちょっと抽象的だけどなかなかレスじゃ詳しく説明もできず申し訳ないけど >>154
ごめんなさい、責めたつもりは本当にないんですよ。
言い方もそのままで大丈夫だと思います。
>>148さんが書かれているような理由が違和感の原因なのかもしれません。 テンプレに関して言えば
スレタイの
「【嫌われる勇気】 」
もまずいんじゃないかな
岸見さんの論(哲学)とアドラーの言っていることは
重なっている部分はあるが岸見さん独自の見解もあるし
前スレの「自己啓発」の源流かどうかみたいなことにもなる
なんなら岸見哲学とアドラーのスレを分けてしまえばいいのでは? >>157
そうでしたか。
話に関係ない話を突然されたので
正直、嵐の方かと思ってました。こちらこそごめんなさいね。答えてくれてありがとう。 対話篇に再構成した古賀さんも
自分が傾倒しているのはアドラー心理学というより
岸見アドラー学だというようなことをわざわざあと書きで書いているのだから
そもそも別の認識がある
哲学と心理学は互いに補助学として学ぶことはあっても
本来別物だし 【嫌われる勇気】のスレタイで住人数が確保されてる面もあるし
アドラー関連の書籍ほぼ岸見さんだからなぁ
でも一回外してみてもいいかもね http://jalsha.cside8.com/diary/2016/11/26.html
《勇気》とは、「したくても、してはいけないことはしないし、したくなくても、しなければならないことはする」という心につけた名前だ。
そうなると、いま流行りの「嫌われる勇気」というのは、正確なアドラー心理学的言葉づかいではないことがわかる。
http://jalsha.cside8.com/diary/2017/02/01.html
『協力する勇気』なんていうテレビドラマを作って、本物のアドレリアンを登場させれば、きっととても感動的だと思うんだがなあ。
↑
全く流行らなそうだけどなw
でも動物的な欲求を持ってやりたい事をするよりも、社会的に勇気を持ってしなければならないことをする、という意味で、人々が協力的に暮らしていけるためにこんなスレタイはどうだろう?
【個人心理学】アドラー心理学総合33【協力する勇気】 >>162
岸見さんが著者として書く内容と
訳者として忠実に訳している内容は違うだろうね
そこを古賀さんも言っているのでは
日本仏教が釈迦につくか開祖につくかと問われれば
ほぼ開祖につくであろうというのと同じ
例えばアドラーの著作の 人生の意味の心理学
の章のタイトルを拾うと
人生の意味
心と身体
劣等コンプレックスと優越コンプレックス
早期回想
夢
家族の影響
学校の影響
思春期
犯罪とその予防
仕事の問題
個人と社会
愛と結婚
過去や環境の因子についても十二分に考察されているね >>161
>>163
なら分離スレのほうはこれでいいか
【嫌われる勇気】岸見アドラー学 1【幸せになる勇気】 自己啓発本のほとんど全てはナポレオンヒルの焼き直しだから
アドラーはそれらと一線を画してるよな こっちは総合スレで分離スレと分ければ
例えば自己啓発かどうかも簡単
岸見スレでは自己啓発
なぜなら著作タイトルにそうあるから
総合スレではアドラーの著作内で自己啓発を示唆する旨の記述があるかどうかを探す 自己啓発板にアドラー心理学あるから、そこがそれでいいんちゃう? >>166
アドラー心理学が自己啓発の源流ですので、「思考は現実化する」はアドラー心理学の影響下にあるでしょう。 >>168
デジタル大辞泉の解説
自己啓発
本人の意思で、自分自身の能力向上や精神的な成長を目指すこと。また、そのための訓練。「自己啓発セミナー」
アドラー心理学の実践の目標は共同体感覚を養うことなので、アドラー心理学は自己啓発です。 >>172
嫌われる勇気はアドラー心理学を自己啓発の源流としています。 >>173
アドラー心理学では自己決定を尊重するので命令や禁止を他者に与えないことをおすすめします。 >>174
知っています。かといって自分で本当に源流なのか調べて確認した訳ではないので本当に源流なのかわかりません。 単なる著者の思い込みや感想、あるいは出版社が売るための宣伝文句として言ってるだけという事はあり得ませんかね?
まあ仮に事実だとしても宣伝文句としては使うでしょうけどね。 伸びてると思ったら荒らしが一人二役で言い合いしてて草
ポジティブに自動保守乙といっておこう >>176
嫌われる勇気を信頼することをおすすめします。 >>177
嫌われる勇気を信頼することをおすすめします。 各種の自己啓発の隠れた目的がアドラー的な幸せや世界だと知られたら
自己啓発ビジネスなんて成り立たなさそう
みんなバカバカしくて金払わないでしょ 自己啓発そのものは自分で自分の能力を引き出して成功しようっていうものだが、それで幸せになれるかどうかはまた別の話。
なんて事は昔から言い尽くされてて耳タコかも知れんが、これは実際にある程度成功してみないとどういうことなのか実感掴めないかも知れない。
願いが叶う前はまさか叶った後に幸せになれないなんて想像できないだろうしね。たとえ知っていても体験して自ら確認してみたいだろう。 >>109
これは笑ったw
スレに以前からいてアドレリアンじゃないとしたら何しにきてるのかな?
エックハルトコピペの連投でもしてるのかな?w 個人的な考えかも知れないけど
「他者は仲間で手助けしてくれるし私には能力があり役に立つ」が共同体感覚だとしても、
仕事のタスクでは、「この所属によって私の生活基盤は作られる」という機能的な価値も必要だと思わない?
交友や愛のタスクは感覚的な幸福感でほぼ共同体感覚そのままだと思うけど
仕事のタスクではこの機能的価値が最低限満たされないと幸福感も満たされないんじゃないかと思う ごめん、>>184と思ったらテキスト的な内容を早見できそうなサイト見つけて自己解決しました
(帰って本見りゃ済む話だった)
https://adler-note.com/life-task/
スピリチュアルタスクは岩井さんのヒューマンギルド一派は採用してて
野田さんのアドラー心理学会一派は採用してない気がするけどどうだろう?
仕事のタスクは要するに自分の生活を向上させつつ
所属している共同体も同時に発展する為の貢献全般を指すってことですね アドラー心理学を学ぶにあたって、
日本アドラー心理学会(野田俊作)、嫌われる勇気(岸見一郎)、ヒューマンギルド(岩井俊憲)の、
どこの理論を中心に学ぶかで定義も変わってくると思う
このことについても、テンプレで微妙に触れておいてもいいんじゃないかな?と思う
このスレの今のコモンセンスは日本アドラー心理学会が正しいけどヒューマンギルドも別に悪くないとみなしている感じだと思う
嫌われる勇気熱が高い頃はもっと嫌われる勇気派も多かった記憶があるけど
ちなみに、アドラー“実践”講義の向後千春さんは、日本アドラー心理学会で学んだけど無免許運転だという話ですよね
※確か補正項では、「無免許の名ドライバーなので公には評価できない」と評価してたと思う >>67
なるほど勝たせてしまうというのは
面白いね
>>186
向後さん資格取ってたような そして私たちは、気付かない間に完全に思考に支配されてしまうところまで来てしまったのです。 私たちは考えることをやめられないのです。 実際はやめられるのですが、まるでやめられないかのようになっているのです。 意識を「いま」に向けると、「心が安らかだ」「自分が存在している」「自分がぴったりと静止している」、と感じます。
この境地に達すると、もう未来に満足感や達成感を求めたりはせず、未来に「さとり」を求めたりもしません。 >>187下
うん、指導者資格を持っていたと思う
セラピスト経験が浅いという意味ですかね? 「今」より大切な「次の瞬間」
多くの人々には、「今この瞬間」はほとんど存在していません。なぜなら、人々が関心を寄せているのは、「次の瞬間」あるいは「そのまた次の瞬間」だからです。ですから、ほとんどの人は未来に向かって生きているのです。人々は「次の瞬間」に向かって生きているのです。 >>190
時系列で前後したのかもしれないすね
無免許云々の後で資格証持った画像をみた気がしますぜ そして、無意識なのですが、人々は「次の瞬間」「たどり着く必要のある未来の地点」は、「今この瞬間」よりもっと大切だと考えているのです。
そこにたどり着きたいと必死に思っている「未来の瞬間」の方が大切で、できるだけ早く終わらせて最終目的地にいかなければと思っていることに気づいていないのです。
小さなことに対しても大きなことに対しても、人々は同じことをしています。 彼らには、未来というのは思考という形としてしか存在していないということがわかっていないのです。
ですから、あなたが未来に向かって生きているときはいつでも、あなたは思考が作り出す概念的現実のわなにはまって生きているということです。
あなたにとって、それはいつでも、今ここにある目の前の現実よりも、もっと重要なことだと思い込まれているのです。 人生には「今」しかない
なぜなら、あなたの全人生は「今この瞬間」で成り立っているからです。
もしあなたが「あなたの全人生は今この瞬間で成り立っている」ということを真に理解したら、あなたの人生は「今この瞬間」でないことがなくなります。
たとえ過去を思い出したとしても、あなたが過去を思い出せるのは「今」しかありません。
また、未来のことを考えるとしても、あなたが未来を考えられるのは「今」しかないのです。
でも、人々は「今この瞬間」は乗り越えなくてはならない障害物であるかのように生きているのです。
どこかもっといいところにたどり着くために生きているのです。
でもその時は決してやってこないのです。
それは馬鹿げた生き方です。それは人生を辛くするだけです。人生が「努力」になってしまう生き方です。 「今いるところ」で、「今していること」に最善を尽くす。
あなたが今いるところに調和させていくことです。
あなたが今いるところ、あなたがどんなことをしていようと今していること、そこに没頭するのです。
たとえそれが、これからの30年間にあなたが望む人生の目的にそぐわないように思えても、あなたが今どんなことをしていようと、今していることに没頭するのです。
この瞬間に対して忠実であることが、人生に対して忠実であることなのです。 どんなときも、この第一歩しかありません。だから、そこにあなたの最大限の注意を向けていくのです。
だからといって、あなたに方向性がなくなるというわけではありません。
今あなたが歩んでいるその一歩が第一だということです。
目的地は二次的なものです。
あなたがあなたの目的を達成して、そこで出会うものは、この第一歩の資質次第なのです。 与えられた瞬間瞬間に、あなたがどんなことをしていようと、あなたが最善を尽くしてやっていれば、それが最高な次の瞬間へと導いてくれるのです。だから、次にどうなるのだろうかと心配する必要がなくなるのです。
あなたは今この瞬間に最善を尽くすだけです。 どんな未来を体験するかは「今」のあなたで決まる!
その通りです。
なぜなら、「次の瞬間」が来るとき、それは「この瞬間」としてやってくるからです。
あなたは未来を「未来」として体験することはできず、あなた「今」としてやってきた「未来」を体験するからです。なぜなら、それがすべてであり、「今」しかないからなのです。
人々がここに気づくことは素晴らしいことなのです!
「人生には今しかない、いつも今なんだ!」この気づきは、すごいことなのです! でも実際は、ほとんどの人が、目的地、ゴールを重要視して人生を生きています。
そうですね。目的とそのための手段の方が「今」よりもっと重要視されているのです。
目的のための手段と目的は同じようなものです。
つまり、あなたがどんな未来を体験するかは、あなた自身が決めているということです。
それは、あなたがこの瞬間と完全にひとつになろうと決めることで決まっていくのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています