アドラー心理学総合 32【嫌われる勇気】
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アドラー心理学を語るスレです。個人心理学とも言います。
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アドラー心理学2 【嫌われる勇気】 [無断転載禁止]
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■関連書籍
嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
学会のテキストはアドラー心理学を学ぶのにおすすめです。メールで注文可能です。
■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 >>228、>>229
学会にソフトライディングというのは良さげな考え方ですね
実際は哲人よりも臨床寄りの関わり方が望ましいのでアドラー心理学会の著書から学び直すのをお勧めします的な
>>229
>>228の下はヒューマンギルドとの比較についてだと思いますよ >>231
おもしろそうだけどKindle化してなかった
ありがとう今度買ってみます
見た感じ「勇気づけの心理学」がアドラーブーム以前から出ててベストセラーっぽいね
とりあえず先にKindleでこれ読んでみる >>229
哲学者との問答だから
別に治療する必要もないよ
>>228
嫌われる勇気で特徴的なのは
>わたしにとってのアドラー心理学とは、(略)哲学です
と規定している点
そして自己啓発としての位置づけも題名で示されている
アドラー心理学は哲学に含まれるものであり
また自己啓発の意味合いも持つ
ここが異質ではある
そして筆者は他の心理学についてはよくわからない あの嫌われる勇気の対話をちゃんとした専門的なカウンセリング形式でやったらおもしろそうだけどなー
難しいものかな? >>229
治療的枠組みは出来てなさそうだから、
まあ、しかめ面で許容範囲じゃないですか、と無責任w
>>232
自分としては、タスクを、カウンセラーがクライアントの問題を区別する際のもの、
という認識で使う場合に臨床的だと言ってますね。
つまりクライアントが人間関係で悩んでいる時に、
相手役との関係の深さで対応策が変わりますよね。
愛のタスク関係なら根気強く話し合うのがベターだったり、
仕事のタスク関係なら連絡を断つのがベターだったり、逆に家族とコミュニケーションを断つなんてのはダメージ大きくなるわけで。
関係の深さによって対応策は大きく分かれると。
診断初期に手掛かりのないカウンセラーが相手役の区別を行うために使う、
そのやり方が臨床上の用法だという認識。
なので個人が自分にセルフケア的に同じことをする場合も臨床的と言ってもいいでしょうね。
セルフタスク、スピリチュアルタスク、どう使うんだろう。
悩みを、相手役のみならず自己や自然を含めた大きな入り口で捉える、ということになるのかな? >>235
岸見さんは哲学出身のお方ですからね。
そして嫌われる勇気には、マーケットの考えが入り込んでいる気配があるw >>234
良さげなタイトルですね!
違いとか面白いとことか発見して面倒でなければ共有いただきたいです
>>236
前スレかその前のスレ辺りで、昔はそれあったらしいってレスがあったよ
ドーン形式って例えが面白かったw >>237
余談だが、たった今リーガルハイのスペシャルのドラマを見てて、夫を医療ミスで亡くした妻が裁判で、病院側についた堺雅人に負けるんだよね
夫ひとりのかえがえのない命も、妻のやりきれない気持ちも、日本の医療の進歩の礎になるという理論で納得するしかなかったけど、そこをなんとか納得させて前を向かせるものがスピリチュアルタスクなんだろうなとなんとなくリンクした >>237
セルフタスクは自己受容とか認知行動療法の領域っぽい匂いがするけどどうなんですかね?
スピリチュアルタスクは世界への決めつけ認知への対応かな?
新幹線無差別辺り酷い様に考えてそうとか引き合いに出してみたり
あれ事前にアドレリアンと関わる機会あったらなと思っちゃう(レス不要です) ライターの人が岸見アドラー学を提唱しているから
アドラー心理学と岸見アドラー学は分離したらいいのでは >>240
なるほど、公憤のそれを建設的とか協力的な行動に仕向ける辺りを説明すると該当しそうな予感っすね 本出版にこぎ着けた人たちから聞いた話だと、
編集に話をねじ込むコンサルタントの時点で思い切りプランを尖らせても
編集でさらに売れ筋にする為にバラバラに解体されるって話だったしね >>239
とりあえず「勇気づけの心理学」一章だけ読んでみた
今の日本を取り巻く問題をみるとどうも人々が勇気欠乏症に陥っているようだ、この問題に取り組まないと未来がない、立ち上がろう!みたいな始まりで好き嫌い分かれそうw
俺は好きだけど
読み終わったらシェアします >>240
うんうん。
スピリチュアルな領域でしか解決しえない問題。 誰が死んでも、遺された生きているものは生きていかねばならない
じゃあ、どう生きようか?
とても簡単な話ですよね、アドレリアンにとっては >>244
岸見さんの他の本だと課題の分離に拘って強調してるかといえばそうでもないもんね
まあ確かに日本で共同体感覚全面に押し出した作りにしてもほとんど食いつかれなかっただろうけど このスレはアドラー心理学を玩具にしている気がするわ >>250
いや釣りとか煽りじゃないよ
アドラー心理学の中で間違い探しをしたり優劣をつけたりして遊んでいる気がするんだよ
大事なのはそれらを使って自分を成長させることなのに >>252
理解を深めようとしていると考えてみるのはいかがですか? >>253
派閥争いを話し合っている姿を見て理解を深めているとは思えないな >>252
今している正しいアドラーとはなにかのの議論のポイントの1つは、自己啓発とか成長のためにアドラーを使うってどうなの?ってとこだと思う
飛躍してる人もいるけど
自己成長とか欲求充足、願望実現よりも、共同体感覚の観点からすべき協力的なことを選べる、理論技法思想が一体となっているアドラー心理学をどう学べるのかって事 >>254
アドラー心理学を語る上での基本定義を整理しようとしてるんだと考えてみるのはいかがかな? >>254
つまり、今のスレの流れとあなたの考え方は競合しているということかな? >>254
単に成長するのをよしとするのではなく
動物的な成長よりも社会的な成長という感じなんだよな このスレの住人のタチ悪いところ
荒らし相手の口論でも学んだ事のアウトプット材料に変えているところ
そうして結果的には成長してしまうところ笑 またカウンセリング風レス番荒らしみたいな流れになっちゃうのは
見過ごせないというか見飽きたのでおそらく狙いとなってる流れ答えを言っちゃうと
スレの流れをネガティブに捉えているということは、
自分の考えに対して競合しているという認知があるのだと考えられるから
>>127にある様に、競合的かどうか確認してる
それが競合的なら、アドラーカウンセリングなら競合的な言い争いではなく
当人はアドラー心理学を成長の為に使うべきだと言っているのだから
その為に協力的解決を提案し、協力的な手段を話し合う流れになるって感じかな
さらにこれまでの流れを踏まえると、このスレへの不満は交友のタスク的だと見れるから
課題を分離して様子を見るということも提案できるし、
アドラー心理学を使って成長することとスレの流れを建設的に転換することを
協力的に進めるために提案できることは何か考えてもらうことも提案できるかもね >>252
まさに>>8の事だと思う
ここを押さえないてアドラー心理学と冠している本を読んで使ってもアドラーの実践にはならないと思うよ >>259
それに合わせて荒らし側のネタの巧妙さも成長していってる気もするなw
意外にちゃんとレス番を追ってそれに沿った釣り方をするw >>255
アドラー心理学を自己啓発や成長に使うのは当たり前だろ
このスレの人はアドラー心理学による治療を否定しているのか!? >>256
そんなもの学会なりが決めているからそういう本やサイトをみればいいだろ
なんでわざわざ素人の集まりがアドラー心理学の基本定義について議論しているのかホントに不思議だわ
こういう部分がこのスレの人はアドラー心理学で遊んでいるように見えるんだよ 日本アドラー心理学会より
治療技法としては、
·現実的に達成可能な治療目標の一致をとること(目標の一致)
·クライエントの言うことの主として目的について推量をして、それをクライエントに確認をとること(解釈と推量)
·クライエント自身が自分の責任で解決しなければならない課題と、クライエントには責任がなく介入する権利がない課題とを区別すること(課題の分離)
·目標達成のためのさまざまなアイディアを提供すること(代替案の提示)
学会がアドラー心理学を自己啓発や成長に使っているのにどうしていまさら問題にするんだ?
学会が絶対的に正しいわけじゃないけどはっきりいって素人のお前らよりは信用出来るだろ アドラー心理学で遊んでたとしてもそれってあかんことなんかな? お前らはアドラー心理学の定義を議論することではなくアドラー心理学を実践してみて起こったことや気づいたことを伝えあうことのほうが建設的だと思うんだけどな >>266
俺アドラー派のカウンセリング受けた事あるけど達成したい目標のままではいさせてくれなかったよ
狙いは一緒に役割を果たしてる感なんだろうなと思った >>262>>265
お前らが一番の荒らしなんだよ
会話に混ざらずに外野から荒らしだのなんだの中傷するだけの奴が一番ウザい アドラー的に見ると
一人の強い競合的な意見に対して全体が協力的に合わせるよりは、
ここは生暖かい目で華麗にスルーしていく方が推奨されるかな。 >>271
そうやって対立を煽る発言をするお前が競合的なんだよ 嫌われる勇気だけの考え方だとどうなの?が出発点で
テンプレでその議論を少なくする目的の話し合いだから
そこをおさえておけば今の荒らしの流れも少なくなるって寸法でやんすね 笹やんはそろそろ人はなぜ神経症になるのかを読み終わる頃かな? 平日のど真ん中の午前中にレスできるアドレリアン多すぎw >>245
ありがとうございます!
熱い方向に偏ってますねw
そして俺もそういうの好きかもw >>269
カウンセラー側にも、クライアントだけでなく相手役の所属のニーズを満たすという思想が必要って話だったね
その辺が他の手法やコーチングなんかとは違うところって補正項に書いてあった 理論見落としてるかも知れない話だけど
所属する会社の社会存在意義とそのやり方に対して自分の思想が明確に競合してる感じて、協力の目線に切り替えられないとしたら
仕事の話だし課題を分離して完全に労使の課題しか残らないってなっても辻褄が合うよね?
さらに協力的な行動を実践する為には、対話を試み続けることになると思うけど
少なくとも対話の機会が作れない間はただ給料分働くか、
嫌なら辞めて別のところで働くかってくらいしかやることないよね? >>204
「正しいアドラー心理学」と「偽アドラー心理学」
っていう基準がどうなのだろう
学会の初代会長はある本の序文で
アドラー本人の論を「古すぎる」と書いてるようだから
アドラー自身が正しくないともいえるし
逆にそれにアドラーが賛成するとも思えないから
日本の学会が正しくないとも言われそう >>285
協力の目線に切り替えられないのはひょっとすると思い込みかもよ? >>286
アドラーは死ぬのちょっと早かったからね
アドラーが死んでからアドラー心理学が体系立てられている >>266
嫌われる勇気至上主義やめたのね
キミも成長したんだね >>287
>>285ですがそれはそれであるかも知れない
辞めたいから競合の目線を利用している可能性はある >>290
事情はわからないけど
いかなる時も協力的に暮らす事ができるというのがアドラー心理学よ考えだし実践らしいよ
協力的と競合的については一時的この論文を読み込んで学んだよ
http://adler.cside.ne.jp/database/064/064_02_ihara.pdf
一部引用
集団との関係
「優越と劣等」
個人の求めるものは集団の求めるものと、しばしば対立している
「平等」
個人の求めるものと、 集団、 夫婦、 家族、 人類の求めるものは、 同じひとつのものである
したがってそれが共同体の利益となる >>263
自己啓発や成長と 治療は違うところがある
前者はプラスをよりプラスにすることだが
治療はマイナスを減らしたりゼロにしていくこと >>292
アドラーの場合はさらにそこに別のベクトルが加わる
ゼロからプラスでも、マイナスからゼロでも、つまり結局は相対的マイナスから相対的プラスへの力動だよね
このようにどちらも同じ地平で捉えた上で、勇気づけを使って相対的マイナス状態のままでもすでに所属を達成できていることを認識にあげる
そうすると、相対的プラスに向かって「協力的な」力動に変化する >>292>>293
その内容だと別にアドラー心理学は自己啓発や成長でも良くね?
わざわざアドラー心理学を他とは違う特別な思想にする必要はないと思う
同じ自己啓発や成長でも色々な手段があるんだしアドラー心理学はその中の一つでいいだろ >>292
自己啓発本読んだことある?
マイナスをプラスにする本が多いぞ
特に有名な道はひらけるなんてネガティブな状況から活路を見出したという内容が多いし 会社の飲み会があるんだけど
あんたら、会社の人間とタバコの煙にまかれて飲み食いして
楽しいと思うかい? >>295
ピンからキリまであって、それぞれあるかどうかすら怪しい効能を競っているモノに、そういうツッコミして何が嬉しいのかよくわからん >>296
職場でタバコ吸う人少数派だから飲み会の場では遠慮して吸ってないな >>291
ありがとうございます。
ちょっと時間とって読み込んでみます 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。
法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V 今日からNHKでは
アドラー心理学改めアドラー哲学と名称が変更されました 流し読みだけど「勇気づけの心理学」読み終わりましたので感想を
内容はかなり実践的で手法、ケーススタディ、演習のオンパレード
勇気づけの態度と勇気くじきの態度を毎度対比してくれるので
繰り返し読んで、演習もしっかり実際にやってみていけば、協力的な態度や共同体感覚の育成に近づけると思う
技法に関してはアドラー心理学のベーシックな手法にこだわらない印象を持った
自己暗示の方法とか傾聴のコツとかノンバーバルコミュニケーションとかNLPとか
ただそこには一貫して自他の勇気づけのための、共同体感覚育成のための方法という軸がしっかりあるからこと、ほか心理学なんかのの手法をふんだんに使えるのかなと思った
まあ野田さんなら良しとしなそうな使い方はいろいろありそうだなと感じたけどw
あと、褒めない叱らないについて目から鱗だったこと
褒めることは、自己決定権を軽視する操作的な態度として良くないこととしているが、自己勇気づけについては褒める側(主体)と褒められる側(客体)が同一人物だから、操作的になる弊害がない
だから遠慮なく自分を褒めて勇気づけていいらしい >>294
アドラー心理学は本人のやりたい事のニーズに応えることよりも、共同体感覚として協力的であるためにはこうすべきだという態度を優先するから、自己啓発じゃないって人はきっとそういうことを言いたいんだろうね より大きな共同体を志向するべき、ということは
日本語よりも英語や中国語を率先して勉強するべきということになりますよね? 確かそうならないはず
個人の個性や文化が尊重されてこそ調和できるはずと考えるから まあ余裕があれば他の言語学んでみれば良いんじゃないかな。
それは相手に分かる言葉で話すという事だから相手を尊重していることになるし。 これ、読みました。おすすめです。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09311420
テンプレに加える価値でみてもいいと思います。みなさん読んで頂ければ、正しい、間違った、アドラー心理学とは?なんて議論は起こらなくなるのではないでしょうか?
もしここに読んだ方がいれば共有したいです。 解釈の原因は解釈者自身の固定観念。解釈の自由には責任が伴う
言葉風紀世相の乱れはそう感じる人の心の乱れの自己投影。人は鏡
憤怒は一時の狂気、無知無能の自己証明。中途半端な知識主ほど激昂
「真実は一つ」は錯誤。執着する者ほど矛盾を体験(争い煩悩)
他人に不自由(制約)を与えれば己も不自由(不快)を得る
問題解決力の乏しい者ほど自己防衛の為に礼儀作法マナーを要求
情報分析力の低い者ほどデマ宗教フェイク疑似科学に感化洗脳
自己肯定感の欠けた者ほど「己の知見こそ全で真」に自己陶酔
人生経験の少ない者ほど嫌いキモイ怖い想定外ウザイ不可解を体験
キリスト教は世界最大のカルト。聖書は史上最も売れているト本
全ては必然。偶然 奇跡 理不尽 不条理は思考停止 視野狭窄の産物
人生存在現象に元々意味価値理由目的義務使命はない
宗教民族領土貧困は争いの「原因」ではなく「口実動機言訳」
虐め差別犯罪テロ紛争は根絶可能。必要なのは適切十分な高度教育
体罰は指導力問題解決力の乏しい教育素人の独善甘え怠慢責任転嫁
死刑は民度の低い排他的集団リンチ殺人。「死ねば償える」は偽善
核武装論は人間不信と劣等感に苛まれた臆病な外交素人の精神安定剤
投票率低下は社会成熟の徴候。奇人変人の当選は議員数過多の証左
感情自己責任論 〜学校では教えない合理主義哲学〜 m9`・ω・) 100分de名著でカミュのペストやってたの見て
共同体感覚というのは理性と信念のエネルギーだと思った
つまり、みんなで幸福であるために自分のできることをやろうという決心
理性というのは、全体を大局的、客観的に見て行動に移すロボット的な力
だから全体を優先して犠牲を見過ごすことができるし
理性と自己執着を対局で見てしまうと、自己執着が人間らしさになってしまう 上祐が好き勝手使ってる汚れた心理学ってイメージしかない 一番良いのは競合的だと思わないこと
権力争いだと感じちゃったら先ず降りる
降りたことを競合的だと捉えられてしまうのはもう仕方がないので降り続ける 要はこういう掲示板で荒らしがいたら
構わないでスルーするのが一番ってこと 向後さんによる「パセージ」amazonレビューから考えてみると、相手が競合的かどうかはまったく問題はないと言えそう。
子育てや子どもとの関係に悩んでいるすべての親に読むことを勧めたい。
投稿者向後千春2018年6月13日
Amazonで購入
アドラーが言う子育てとは、自分の子どもが自立し、協調できる人に成長してもらうために、親としての考え方や行動をどのように変えていけばいいのかということのトレーニングだ。
子どもにはまったく問題がない。問題があるとすれば、賞罰を使い、自分の思うように子どもをコントロールしようとする悪気のない親なのだ。
この本は、親が自分を変え、子どもとの関係性を良いものに変えていくためのトレーニングプログラムである「パセージ」の内容を丁寧に解説している。
文章は具体的であり、話題も整理されていて、もしかするとパセージのテキストよりもわかりやすいほどだ。また随所にはさまれているマンガもよくありそうな話題を具体的に伝えるのに役立っている。
さらにパセージプログラムのキモとも言える「課題シート」の具体例が載っていることもこの本の価値を高めている。子育てや子どもとの関係に悩んでいるすべての親に読むことを勧めたい。 日本の野田派オリジナルの手法で世界的にはさほど評価されていないのでは?
https://www.shogakukan.co.jp/books/09311420
>日本にアドラー心理学を広めた野田俊作氏が開発し、
>すでに30年以上の実績を積んできた育児法が「パセージ」です。 >>324
とりあえず読んでみて感想待ってます
違和感があれば話しあえるでしょうし 実際にこの手法で育った子供がどうなったのかの
統計とかあるのかな
あと幼稚園や学校でもこのほめない手法を使わないといけない ずっと思ってたんだけど褒められたら普通に嬉しいけどなあ
音楽やってるから「演奏良かったです」とか言われると >>327
そりゃ嬉しいだろうね
嬉しいから競合的な関係が生まれやすいってことなんだと思うよ
「演奏良かったです、君才能あるよ」と
「演奏良かったです、感度しました」の違い
褒めない、代わりに勇気づける、だよ
共同体感覚の観点を持たずにただ褒めないだけだと、それはただの「無関心」 >>328
ってことは競合を生まない褒め方ならアリ? >>326
学校でも使えたら理想だけど
ゲゼルシャフトな社会にゲマインシャフト感覚を持った個人が入っていって協力的に暮らしていける個人を育てることが狙いだから環境がどうでも大丈夫だよ
大事なのは家庭の中に確かな居場所と出番があるということ >>329
褒めるの定義を擦り合わせる必要がありそう
「演奏良かったです」なら褒めてるというよりも感想を伝えてるように聞こえるよ 褒めない叱らないってドライな感じに受け取られがちだよね
どんな言い方をすれば、所属を邪魔せずに主体性と信頼感が高まるのだろうかって、脳みそを捻って考えないといけない親にとってはなかなかハードな方法だよね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています