アドラー心理学総合 32【嫌われる勇気】
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>>292
自己啓発本読んだことある?
マイナスをプラスにする本が多いぞ
特に有名な道はひらけるなんてネガティブな状況から活路を見出したという内容が多いし 会社の飲み会があるんだけど
あんたら、会社の人間とタバコの煙にまかれて飲み食いして
楽しいと思うかい? >>295
ピンからキリまであって、それぞれあるかどうかすら怪しい効能を競っているモノに、そういうツッコミして何が嬉しいのかよくわからん >>296
職場でタバコ吸う人少数派だから飲み会の場では遠慮して吸ってないな >>291
ありがとうございます。
ちょっと時間とって読み込んでみます 日本民法の父、穂積陳重の『法窓夜話』を現代語に完全改訳
法律エッセイの古典的名著が短編×100話で気軽に読めます
リライト本です。「なか見検索」で立ち読み頂けます。
法窓夜話私家版 (原版初版1916.1.25)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BT473FB
(続)法窓夜話私家版 (原版初版1936.3.10)
https://www.amazon.co.jp/dp/B07BP9CP5V 今日からNHKでは
アドラー心理学改めアドラー哲学と名称が変更されました 流し読みだけど「勇気づけの心理学」読み終わりましたので感想を
内容はかなり実践的で手法、ケーススタディ、演習のオンパレード
勇気づけの態度と勇気くじきの態度を毎度対比してくれるので
繰り返し読んで、演習もしっかり実際にやってみていけば、協力的な態度や共同体感覚の育成に近づけると思う
技法に関してはアドラー心理学のベーシックな手法にこだわらない印象を持った
自己暗示の方法とか傾聴のコツとかノンバーバルコミュニケーションとかNLPとか
ただそこには一貫して自他の勇気づけのための、共同体感覚育成のための方法という軸がしっかりあるからこと、ほか心理学なんかのの手法をふんだんに使えるのかなと思った
まあ野田さんなら良しとしなそうな使い方はいろいろありそうだなと感じたけどw
あと、褒めない叱らないについて目から鱗だったこと
褒めることは、自己決定権を軽視する操作的な態度として良くないこととしているが、自己勇気づけについては褒める側(主体)と褒められる側(客体)が同一人物だから、操作的になる弊害がない
だから遠慮なく自分を褒めて勇気づけていいらしい >>294
アドラー心理学は本人のやりたい事のニーズに応えることよりも、共同体感覚として協力的であるためにはこうすべきだという態度を優先するから、自己啓発じゃないって人はきっとそういうことを言いたいんだろうね より大きな共同体を志向するべき、ということは
日本語よりも英語や中国語を率先して勉強するべきということになりますよね? 確かそうならないはず
個人の個性や文化が尊重されてこそ調和できるはずと考えるから まあ余裕があれば他の言語学んでみれば良いんじゃないかな。
それは相手に分かる言葉で話すという事だから相手を尊重していることになるし。 これ、読みました。おすすめです。
https://www.shogakukan.co.jp/books/09311420
テンプレに加える価値でみてもいいと思います。みなさん読んで頂ければ、正しい、間違った、アドラー心理学とは?なんて議論は起こらなくなるのではないでしょうか?
もしここに読んだ方がいれば共有したいです。 解釈の原因は解釈者自身の固定観念。解釈の自由には責任が伴う
言葉風紀世相の乱れはそう感じる人の心の乱れの自己投影。人は鏡
憤怒は一時の狂気、無知無能の自己証明。中途半端な知識主ほど激昂
「真実は一つ」は錯誤。執着する者ほど矛盾を体験(争い煩悩)
他人に不自由(制約)を与えれば己も不自由(不快)を得る
問題解決力の乏しい者ほど自己防衛の為に礼儀作法マナーを要求
情報分析力の低い者ほどデマ宗教フェイク疑似科学に感化洗脳
自己肯定感の欠けた者ほど「己の知見こそ全で真」に自己陶酔
人生経験の少ない者ほど嫌いキモイ怖い想定外ウザイ不可解を体験
キリスト教は世界最大のカルト。聖書は史上最も売れているト本
全ては必然。偶然 奇跡 理不尽 不条理は思考停止 視野狭窄の産物
人生存在現象に元々意味価値理由目的義務使命はない
宗教民族領土貧困は争いの「原因」ではなく「口実動機言訳」
虐め差別犯罪テロ紛争は根絶可能。必要なのは適切十分な高度教育
体罰は指導力問題解決力の乏しい教育素人の独善甘え怠慢責任転嫁
死刑は民度の低い排他的集団リンチ殺人。「死ねば償える」は偽善
核武装論は人間不信と劣等感に苛まれた臆病な外交素人の精神安定剤
投票率低下は社会成熟の徴候。奇人変人の当選は議員数過多の証左
感情自己責任論 〜学校では教えない合理主義哲学〜 m9`・ω・) 100分de名著でカミュのペストやってたの見て
共同体感覚というのは理性と信念のエネルギーだと思った
つまり、みんなで幸福であるために自分のできることをやろうという決心
理性というのは、全体を大局的、客観的に見て行動に移すロボット的な力
だから全体を優先して犠牲を見過ごすことができるし
理性と自己執着を対局で見てしまうと、自己執着が人間らしさになってしまう 上祐が好き勝手使ってる汚れた心理学ってイメージしかない 一番良いのは競合的だと思わないこと
権力争いだと感じちゃったら先ず降りる
降りたことを競合的だと捉えられてしまうのはもう仕方がないので降り続ける 要はこういう掲示板で荒らしがいたら
構わないでスルーするのが一番ってこと 向後さんによる「パセージ」amazonレビューから考えてみると、相手が競合的かどうかはまったく問題はないと言えそう。
子育てや子どもとの関係に悩んでいるすべての親に読むことを勧めたい。
投稿者向後千春2018年6月13日
Amazonで購入
アドラーが言う子育てとは、自分の子どもが自立し、協調できる人に成長してもらうために、親としての考え方や行動をどのように変えていけばいいのかということのトレーニングだ。
子どもにはまったく問題がない。問題があるとすれば、賞罰を使い、自分の思うように子どもをコントロールしようとする悪気のない親なのだ。
この本は、親が自分を変え、子どもとの関係性を良いものに変えていくためのトレーニングプログラムである「パセージ」の内容を丁寧に解説している。
文章は具体的であり、話題も整理されていて、もしかするとパセージのテキストよりもわかりやすいほどだ。また随所にはさまれているマンガもよくありそうな話題を具体的に伝えるのに役立っている。
さらにパセージプログラムのキモとも言える「課題シート」の具体例が載っていることもこの本の価値を高めている。子育てや子どもとの関係に悩んでいるすべての親に読むことを勧めたい。 日本の野田派オリジナルの手法で世界的にはさほど評価されていないのでは?
https://www.shogakukan.co.jp/books/09311420
>日本にアドラー心理学を広めた野田俊作氏が開発し、
>すでに30年以上の実績を積んできた育児法が「パセージ」です。 >>324
とりあえず読んでみて感想待ってます
違和感があれば話しあえるでしょうし 実際にこの手法で育った子供がどうなったのかの
統計とかあるのかな
あと幼稚園や学校でもこのほめない手法を使わないといけない ずっと思ってたんだけど褒められたら普通に嬉しいけどなあ
音楽やってるから「演奏良かったです」とか言われると >>327
そりゃ嬉しいだろうね
嬉しいから競合的な関係が生まれやすいってことなんだと思うよ
「演奏良かったです、君才能あるよ」と
「演奏良かったです、感度しました」の違い
褒めない、代わりに勇気づける、だよ
共同体感覚の観点を持たずにただ褒めないだけだと、それはただの「無関心」 >>328
ってことは競合を生まない褒め方ならアリ? >>326
学校でも使えたら理想だけど
ゲゼルシャフトな社会にゲマインシャフト感覚を持った個人が入っていって協力的に暮らしていける個人を育てることが狙いだから環境がどうでも大丈夫だよ
大事なのは家庭の中に確かな居場所と出番があるということ >>329
褒めるの定義を擦り合わせる必要がありそう
「演奏良かったです」なら褒めてるというよりも感想を伝えてるように聞こえるよ 褒めない叱らないってドライな感じに受け取られがちだよね
どんな言い方をすれば、所属を邪魔せずに主体性と信頼感が高まるのだろうかって、脳みそを捻って考えないといけない親にとってはなかなかハードな方法だよね アドラーは賞罰を否定しただけで
例えば100点取ったら何でも買ってあげるとかがだめなだけでしょ
ほめたらだめなんて書いてない >>333
嫌われる勇気では褒めることを禁止していた気がする 俺も嫌われる勇気でしか褒めない叱らないについて書かれてるの見たことないかも
って言ってもあとは実践講義と原典しか読んでないけど 埼玉・上尾市に爆破予告メール オウム教祖の「死刑を中止せよ」「サリン入り爆弾4万3044
個仕掛けた」
埼玉県上尾市は15日、死刑が確定したオウム真理教の松本智津夫死刑囚(63)=教祖名
・麻原彰晃=を名乗って市役所を爆破するとの予告メールが届いたと発表した。市は警備体
制を強めているが、不審物は見つかっていないという。県警上尾署は威力業務妨害容疑など
で捜査している。
市によると、メールは15日午前3時50分ごろ、市広報広聴課のお問い合わせサイトに届い
た。タイトルは「麻原彰晃の死刑を中止せよ」。「市役所にサリン入り爆弾を4万3044個仕掛
けさせてもらった。爆破時間は18日月曜日の午前3時34分〜午後3時34分だ」と書き込み
、「たくさんの人間がポアにより高度な次元へと生まれ変わる」「さようなら上尾市役所。私は
本気だ」と記されていた。
発信者の名前は「麻原彰晃」で、東京拘置所の住所や電話番号が書き込まれていた。市
は15日、行事の中止などの措置はとっていないが、18日まで警備体制の強化とともに、
市職員による緊急点検を実施する。 >>334
褒めない叱らないといえばドライカースかな
もしよければ「勇気づけて躾ける」読んでみては? ビジネスの世界でほめないしからない
と子育ての世界でほめないしからないは同じだろうか
子育ても例えば小学生までと中学生以降で同じだろうか ビジネスとは違いますね
相互尊敬、相互信頼、共感的な態度があってこその技法だから親子関係は褒めない叱らないが機能しやすい
小学生と中学生の違いというのは鋭い指摘
中学生くらいだとすでにおおむねライフスタイルをすでに本人が自己決定しているから教育するなんておこがましい
褒めようが叱ろうが本人なりに受け止めるだけ 最近面白い話ってのはなかなかに競合的なもんなんだなと思う
多かれ少なかれ何かを下に置くもんだし
古代ギリシアなんかだと微笑みすら失礼ってことで禁止してた時期もあるみたいだが
笑ってる方は心地いいから特に誰も何も言わないけど >>324
英語とかの西洋語と日本語の文法構造の違いがあることで、アメリカのアドラー心理学教育プログラムを日本人が使っても効果でにくいみたいだよ >>324
これが前スレ?で出てたパセージの本なんだね >>344
課題分離と人生の嘘
この二つだけで十分 >>346
主にそれで頑張ってみたけど目標を達成できず嫌な奴になるだけでプレッシャーで潰れてしまいました もちろんそのつもりだったんだよ
自己満足だと言い聞かせてたのが良くなかったんだと思う
それこそ人生の嘘だったわけだ 昔は頭のいいやつを騙せる人が持て囃されたけど
現代においてはバカを大量に嵌め込む人ほど価値があるよね
アドラーはその転換点にあった人なんじゃないの
岸見先生もホリエモンもそういう意味でアドラー的だよね パッと見愚民化政策に見えなくもないけど
自己主張の大切さはかなり言ってるし
仮にもしきっちりアドラー心理学実践できたらホリエモンの信者みたいにはいられないんじゃないか? 対人関係におけるかなり色んな場面に言及してるから
どこかに視点置くとかなり自分勝手にも見えるし依存的にも見えるしそれは分かるわ
シンプルといえど包括的に理解するのがまず難しいとは思う >>291
これまた読んでないんですけど、同僚と話してて気付いたのは
協力の姿勢って、自分を通し切ることではもちろんないし
ただ競合の感情を押さえ込んで迎合することでもないし
双方のベクトルに乗った第3のベクトルを探して辿ることだと言い表わせると思いました
仕事のタスクで、どの環境で働いてても同じことが言える感じがしたし
ちょっとアドラーから外れるけど自分が中間管理職をバリバリやってた頃は
この辺の同僚に道を指し示すリーダーシップを意識してた様に感じました 好きなだけの人間もいないし、嫌いなだけの人間もいない。っていうのはアドラー心理学? >>356
その言葉と違うかも知れないけど、
全ての人に好かれることも全ての人に嫌われることも不可能だっていう言葉があるよね
誰が言い出した言葉か知らないけど、アドラー心理学の実践にも役立つ考え方だと思う
ただし、アドラー心理学だとこれに加えて、全ての人に対して協力的であろうっていう決意がある 対人関係における目標の一致っていちいち話し合わなきゃならんのか?
仕事での目標はとりわけ言語化の必要はないような気がするけど
普通の交友関係の場ではどうするべきなん? >>360
治療的枠組みがなければ操作的な事はなにも期待しちゃいけないって意味だよ
自分の構えだけでも協力的にして頑張るのはいいことだと思う、けどそれで社内の対人関係が良化するとか、仕事のパフォーマンスが上がることを期待するのはお門違いってこと >>358
権力への意志が人の行動原理
の方が良さそう >>362
この目標の一致って治療の現場での話なの?
俺もそう思ってたんだけど過去スレだと対人関係の場でも目標の一致が大事みたいなの書いてるけど
それは仲違いみたいなことがあった場合き持つべき姿勢なのか? 仲違いってどの程度なのかわからないけど
相互尊敬相互信頼ありきだから基本は難しいんじゃないかな
向後さんもアドラーは家庭なんかで取り組むものであって、仕事で使うものじゃないと話してたよ
部下との関係とかならしっかり話し合いを重ねて目標一致→課題の共同化できるとは思うけど いや仕事の場面じゃなく普段の対人関係での話が聞きたかった
目標の一致っていうのは家庭や医療の現場の話なのね 協力体験のプロセス
@相互尊敬、相互信頼、共感的態度をベースに教える側、教わる側の治療的枠組みを構築する
Aまず課題の分離
B目標の一致を試みる
C目標が一致した場合、課題の共同化して分業する
目標が一致しない場合、再度課題の分離をして結末を体験して学んでみる
D再度目標の一致を試みる >>367
友達関係だと目標の一致よりもまず、より先により多く尊敬する、より先により多く信頼する、相手を共感的に理解しようと努める、の訓練の場になると思うよ
関係性に問題行動を伴う場合、権力争い以降の段階だと利害関係のない第三者の介入が必要
当事者間で解決するのは基本的に難しい
権力争いだと、先に争いから降りて巻き込まれないような態度を取っていれば、ケースバイケースで仲良くなれる事はあるけど、見極めは必要 >>368
これはどの場面で行うことを想定したものなの?
>>369
その内容は分かってるんだけど、過去スレ見てると目標の一致が大事ってかなり言われてるから、そんなに普段から話し合いして言葉にして目標一致させなきゃいけないもんなのかな?と思ったの
まずってことはどこかで出てくるもんなの? >>370
横からだけど、普通は人との関係性が競合的にならない様に気を付けるだけで良いんじゃないかな?
仕事なんか特に、つべこべ言うより組織も自分の暮らし方も良くなる様に役立つのが良ろしって感じだと思う
目標を一致させるっていうのは、やっぱり家庭とか、運命共同体での話だと思う
夫婦で主語を私達とするからには、別の方向を向いて競合してたらうまくいかないよねって感じで >>370
「パセージ」最近出たから読んでみては? >>371
そんな感じなんだね
ある程度深い関係でもなきゃ流石にちょっと不自然だもんね
助かりました!
>>372
今読んでるよ >>352
冷静になって考えてみてよ
> 仮にもしきっちりアドラー心理学実践できたら
この仮定がそもそも実現不可能なことだとしたらどうする?
アドラー心理学を実現不可能なことだと知りつつ取り組んでる人、
もしくは実現可能かどうか自分の一生を通して試してみよう
と思って取り組んでる人がいるなら、それは立派なことだと思うけど
多くの人は安易に誰でもやれることだと考えてないですかね
アドラー心理学は誰にでも出来るけど誰にも出来ない、みたいな話ではない? >>374
横からです
どの状態を実現と捉えてます?
単純に役立つ事例がいくつもあると思いますが >>374
理論で本能や感情を抑え込むことができるタイプの人は実践できる可能性がある
ただ対人関係の相手もアドラー心理学に基づいて行動するという条件付き >>380
十中八九自己レスだから相手するだけ無駄 実践するのは個人でできるから対人は関係ないでしょ
実現するかどうかは相手次第かもしれないけれど その実現する事というのは自らのライフスタイルを協力的にする事だから相手次第なんて事はないよね?
どんな形であれ相手に影響は与えるとは思うけど >>379
本能や感情は抑え込んじゃいけないよアドラー心理学は全体論なんだから うん、だからそれって要は個人の思い込みってことでしょ? そういうことだね
勿論独りよがりになれという話ではないけど うん
だからさ
つまり認知論だってことでしょ?他人は関係ないよね? 関係ないというか
他人の心の中透視するのは無理だからね
そうなるよ うん
あのだからね、結局はそういうことになるわけでしょ?
自分は独りよがりになればいいって言っているわけではない 認知論だけじゃなくて社会統合論も合わせて考えないと レスバトルする気なんてないけど?
別にアドラー心理学を否定したいわけではないのだが?
全ては思い込みなのだから君たちが何を言おうと私が幸せに生きていることには変わりがない
それが私の個人心理学 >>393
うん、あのね
対人関係論もつまりは認知論で考えるわけでしょ?
つまりは結局は自分思い込みって事でしょ? >>393
考慮しても人間の作りでは最後は思い込みにはなっちゃうのはそりゃそうだししょうがないと思うけど
>>394と>>390は同一人物なの?
あなたの個人心理学は結構だけどアドラー心理学ではないと思う >>395
認知論で対人関係論を捉えるから対人関係論は無効、みたいに考えてないなら良いんじゃない? >>395は結局何を主張したいのかいまいち分からない 個人心理学は心理学の一分野である精神分析の中のさらに一部だから
心理学全体をまずは概略おさえないといけない 個人なんてものがそんなに簡単に手に入るなら苦労しないわ >>400
たぶん>>22と同じ人で認知論言いたいだけかと >>403
意味分からんけど>>22は俺
今認知論言ってる奴は知らん奴
書き方めっちゃパクってるけどなんなんだ? >>405
鰯の頭も信心から
って言いたいんじゃないの >>395
>認知論で考えるわけでしょ?
認知論を議論の前提とすれば
という意味か? >>405
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_,. -‐"\ フー-、_
'"´ `ヽ、 / >>411
だよな
今時AA貼る奴ってあんまりいないよな >>405が本当ならこれは温かい目とかやってる人じゃない?
レス連投とかそっくりだし
荒らしでしょ >>400
心理学好きで全体的に学んでるつもりだけど
アドラー心理学が精神分析の一分野感はないなあ 笹がもぐりこんでると思うけどね。
どのレスかは自分で考えな 潜り込んでるかなんてどうでもいい事を自分で考えななんて笹生えるwww 周りに気をつかう自意識過剰より
自分勝手な方が精神らくやなー昨日実感した
相手からは好かれないけど、好かれなくていい相手なら問題なし 就業時間外の会社行事はすべて不参加しよう。
たとえ、自分以外全員が参加していてもだ。
これがプライベートの分離。 共同体感覚を持ち自分と他者を信頼することを目指して
今日のわずかな余暇をあんま好きじゃ無い奴からの誘いを断らずに遊んだけど
彼女自慢されるし不眠症なのに昼寝できなかったし最悪だった
明日仕事なのに眠れない死ね
課題の分離って言うけど
人に嫌な事をする人の方が色々上手くいって幸福になれるけどそれを自分で自制する人は幸福になれないってことかよ要するに
他者に何をされてもそれによる(大抵良い)結果を引き受けるのはその他者だから自分は何もするな、されたことも忘れろ一切仕返しもするなとか意味わかんねえ
どんな犯罪をされても親が殺されても仇討ちはおろかそいつを通報もしてはいけないんだね
嫌われる勇気は法治主義を全否定する哲学か
自慢する人は劣等コンプレックスがあるからこそだと慰められても
何も目に見える幸福の形としての成果を出せていないから自慢したくても自慢もしようがない俺よりは劣等コンプレックスも無いだろうし全然気休めにもならない
競争が良くない理由として不正が起きる事を挙げてるくせに正義不正義は時代によって形を変えるから盲信するなってのも矛盾してる
年収とか学歴とか恋人いるとかを自慢してくる、明らかに勝ち負けの競争から抜け出せていないのにちゃんと幸福そうな奴はいっぱいいるし
岸見の書いてる事がアドラーの全てだとは全く思わないが例の二冊は現実からかけ離れてるし矛盾だらけだわ。最後数ページになって何も解決してないのに急に青年が爽やかに納得して帰ってくのもおかしい 友達の彼女自慢を一緒に喜んであげることは簡単にできるだろうよ 勇気二部作(アドラー)の言う通りに生きるのが必ず万人にとって幸福への道かは分からない
宗教でなく哲学である以上そういう立場なはず
この二冊は宗教でない、真理探求の歩みを止めない哲学書であることを謳いつつ
真面目に頑張る善人を全否定するような内容をつらつらと書き連ねて真理であることを疑わない書き方が非常に多く見られていて受け入れがたい
例えば「享楽的に生きていい」「他者から何をされようが他者の課題だから自分には関係ない」「他者に何をしようが自分の課題だから他者に踏み込ませなくていい」といったように
自分勝手に振舞い他者を傷つけ迷惑かけまくって享楽的に生きる方が楽で幸福に繋がるなんて認めたくないけどそういう事が多くある世界というのも俺は知ってる
でもそれができるのはそうしない人たちの苦しみが支えてるのであって
全人類が税金寄生ニートや強盗的権力者になれる訳ではないんだよ
悪人になることが幸福の秘訣(少なくとも入り口)なんて冷たいくだらないニヒリズムを認めるだけのものは真理であって欲しくない
一部の生き物が特権的に悪者であるが故の幸福を味わっている世の中よりは全員悪者になった方が全員の幸福の為にはいいのかもしれないけど
幸福とは愛と貢献であるという定義が万人にとって真理であると堂々と書いてあるがその証明はどこにも無い
冒頭の「全ての人間が今日からでも幸福になれる」なんて文句は何の根拠も無い誇大広告だ
勇気二部作は大した苦痛も不幸も経験したことの無い、思い通りにならないことだらけな状態が生まれてからずっと続く人生など想像できない世間知らずが金儲けのために書いた詐欺本だ スレ盛り上げるために身体張ってくれてるんだよな
でもアドラー心理学こう捉えて苦しんでる人もいそう 【ネット上の愛国活動は宗教?】50代無職、ブログ信じ大量懲戒請求「日本のためと思い込んでいた」「洗脳されていた」和解金は40万円★6
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1529774631/ >>28
/::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
/::::::::::::::::::::::::::::_:::::::::::::::::\ 笹やん半端ないってもー!
r':::::::::::::::::::::::::::::;/へ::::::::::::::::::ヽ アイツ半端ないって!
/::::::::::::::::::::::::::::::;ク \::::::::::::::::l 文体めっちゃ引き込まれるもん
/:::::::::::::::::::::::::::::/,,,,__ `、::::::::::::| そんなんできひんやん普通 そんなのできる?
ノ:::::::::::::::::::::::::/⌒ヽ::ヒ__ェ'ニ-ヘ::::::::::| 言っといてや できるんやったら
_,イ:::::::::::::::::::::::::::/``==' ノ (rミ=彡リ:::::|
_,タ:::::::::::w:::::::l ,r ヽ 1::j 新聞や 全部新聞や 撮られたしもう
彡::::::::::::::ヽ..ィYN ノ`〜ーヘ ノ:/ (笹やんが)また一面やし またまたまたまた2発やし
''''"´`l:::::::::::::| / /,,ニ,,,,ュ` ./" 1発にしとけばよかった1発に!
',::::::::::::| |'´:::::::::/ ./ 笹やんうまいなぁー どうやったら笹やんと友達になれんねやろ?
__|::::::::::| ヽ 弋ニフ /_
_ -ー': : :ヽ:::::rト ..\ `---' ∧:`: :‐- 、 _
: : : : : : : : ∨: \ `ー 、_ イ: /: : : : : : : : : :`'''‐- 、
: : : : : : : : : : :\ `:.------.:': :./: : : : : : : : : : : : : : : : ヽ 笹もSも承認欲求が強すぎるんだろ。
要は目立ちたいというか、かっこつけたいというか、
注目されたいのだろう。 誰も笹の屈折した虚栄心・屈折した承認欲求などわかるまい 正直言います。全部話しますね。じゃあ、今まで隠してたこと。ずっとアドラースレで荒らしをしてました。
私は甘えてる奴がいるな非難したろと思って、笹やんに『受け取る側の姿勢に問題があるんだよ』と言いました。『じゃないとアドラースレが終わるから』。
それを言ったら、笹やんはアドラースレに来れなくなっちゃいました...
悲しいです。だから『ごめんね』って思いました。 笹が居場所作りをしてたのはわかるんだよね。
でも、そのための手段がよくない。 いんちき病院です。受診することはお勧めしません。
札幌ひばりが丘病院 麻薬取締法違反
https://youtu.be/OwDmh4BRq_0 今回、長文は初めての書き込みになるんだけど、以前、アドレリアンの友達が、
「美丘」というドラマを進めてくれたので、見たんだけど、見た人いる?
途中でアドラー心理学が出てくるから参考になる。と言ってくれてたんだけど、
見てみると、これは闘病ドラマで、最初から涙・涙の連続だった。涙と鼻水で顔面クシャクシャになってしまったよ。
もう腰砕けの状態になってしまった。病気は徐々に進行して行き、美丘は自分一人で食事もできず、用を足すこともできなくなってしまった。
ほぼ人間の尊厳さえも失なった状態になりもう精神的にかなり追い詰められていて、最後の心の支えでもあった彼氏の顔も忘れてしまう時もあった。
そして「今度太一君(彼氏)の顔を忘れたらその手で、私の命終わらせて。」と彼氏に懇願する程にまでなっていた。
もう可哀そうで、可哀そうで、アドラーよ、早く出てきて二人を救ってくれ。と思うようになっていた。
そう思ってたらやっと出てきた。もう、学校にも行けない美丘だったが最後に学校に行きたいと言って、
いくと、たまたまアドラー心理学の授業を開始するところだった。 その授業を聞いた美丘はその後、大分、態度が変っていてかなり前向きになっていた。
夜、病院で「太一君も皆も、未来のために歩いて行くんだよね。私も歩いて行く。だって、まだ明日があるんだもん。」
と言って彼氏・太一の顔を触りながら「太一君、また明日。」と言って彼氏を帰してしまう。
そして太一は病院の外から実家に電話をし、明日から学校に行き、就活も頑張ると母親に宣言するのである。(これは課題の分離か・・・。)
そして、手も動かないので日記替わりのヴォイスレコーダーに、こう吹き込んでいた。
「私は残された命を最後まで精いっぱい生きていく。太一君の隣で、笑顔で胸張って、
堂々と生きていくんだ。」と。
これは、美丘の決意なんだ!と思った。 >そして、手も動かないので日記替わりのヴォイスレコーダーに、こう吹き込んでいた。
そして美丘はでしたね。「美丘」が抜けてました。
アドラーの弟子たちの経験則から人が変わるのはそれまでの人生の半分の時間がかかると
いうのが一般的だけど、死の直前まであきらめる必要はないということですね。
今日は暑くて眠れなかったのでこのスレで初の長文書きこしちゃいました。 コフートの自己心理学と可でもいいじゃん。話題。
古いものにはセクハラ男がまとわりつく。 アドラースレでは初めての長文だったけど、
岸見さんの嫌われる勇気や幸せになる勇気で哲人が青年の質問に対して
「おそらく答えはシンプルです。」と語っている箇所があるが、最初はどこがシンプルなんだと思った。
アドラー心理学から、ある気づきを得たとき、自分の経験からすると数学や物理の問題を解いた時に近い感覚があった。
問題を解いて、答えがなかなか解らなかった時は右往左往するが、答えや考え方がわかると、シンプルに感じる感覚。
ただ、それは人それぞれ。すぐに気づく人もいるし、考え方を埋めていって繋がっていって気づく人もいるし、ある日ある時、これか!と気づく人もいる。 >>461
コフートのスレたてればいいじゃん。
居場所ないから注目をあびるためにコフートとか言ってるだけでしょ。
笹みたい。 >>458・>>459・>>462
全てのレスに「アドラースレでは初めての長文」ってあるけど、
笹と間違われないためかな?
気を使わせちゃってるのかな〜?
笹はそんなこと、これっぽちも気にしない、ずうずうしい奴だったから間違われたくないのはわかる。 >>465
少なくともあなたが笹やんへの怒りに執着してるのだけはわかった >>466
>>467
新しいネットスラングだよ
草生えるwww
の協力版
笹生えるwww >>469
そうなんだ
上祐が心理学やってるの聞いたらビビったね
アドラーを麻薬のディーラーぐらいに思ったもの 上祐がやってようが誰がやってようが関係ないと思うけどね。
自分が信じてやってればいいこと。 パターンが認知行動療法と同じ
精神障害あると同じ行動繰り返すから
アレが消えたらコレが出てきた的な繰り返しになるんよ >>468
>>465ではないが、ずうずうしい奴だとは思ったよ。
そいつのせいで質問するタイミング失った。 >>473
自分も質問をしたら「認知やれ」とか言う人が出てきてうやむやになってしまった過去があるんです。
それで笹とか言う人が出てきて、とても不自然な形でその認知の人と和解して、
笹が俺が和解してあげた。みたいなこと書いててとても怪しく思った。 >>475
すると、今回も>>453とか>>464に対してまた、別名の人物が出てきて、
勝手に怪しい形で和解して、また長文の連続が始まる可能性もなきにしもあらずか・・・。 まーどうでもいいじゃん
アンチいるとスレの議論が活発になるから学べることもあるし良いこともあると思ってるよ >>475
俺も全く同感。同じ経験をした。真摯に考えて疑問に思って質問した時に「アドラーは古いから認知やれ」
みたいなことを書いた奴がいて、うやむやになってしまったことがとても残念だった。
いい話の流れだっただけにね。
今回の>>453や>>464がその「認知やれ」の人と重なる。
それと>>468は攻める相手を間違えてると思う。攻める相手は、>>453・>>464であって
>>468は守ってる方。 アンカー間違えた。
>>>>468は守ってる方は、
>>465は守ってる方の間違いでした。訂正します。すみません。 >>477
「アドラーは古いから認知やれ」も「アドラーは上祐もやってるから〜」も
議論になってないよ。 >>459
自分も見たよ。アドラー後の美丘は、もういつ亡くなってもおかしくない状態だったのに
どうして彼氏を返してしまったのか?そして彼氏もどうしてああもあっさりと帰ってしまったのか?
帰ってしまったら死に目にあえないかもしれないのに。。。
しかも彼氏は薄情にも実家に電話をかけ明日から就活を始めると宣言してしまう。
そこまでの大恋愛をしたのなら、恋愛ドラマなら彼氏には最後の仕事が残っている。それは彼女が、
意識を失くした時、叫ぶことだ。「美丘〜!美丘〜!逝かないでくれ〜!」と、涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃに
なりながらも叫び続けるのが定番。。。しかし、そうではなかった。
このドラマにはそれが無かったのが不自然に感じたが、アドラーを学んだ今の自分にはわかるような気がする。 >>482
その人のその人らしさを建設的なものであるとして信頼するのがアドラー心理学の方向性だとすれば
あなたの思うアドラースレっぽさとはあなたの認知バイアスかもね >>459
その美丘の日記がわりのヴォイレコ、美丘が亡くなった後、
彼氏に送られ彼氏が聞くシーンはもう・・・ >>475
にわか知識だけど正の注目と負の注目ってのがある
スレの人たちに対して正の注目を心がけるといいかも アドラーブーム少なくとも俺の周りでは終わったくさい ブームとか周りで全く起きてないけど自分が好きだからアドラー実践してます(^_^) 嫌われる勇気は面白かったです
幸せになる勇気も読んでみようかと思いますがどんな本ですか? >>477
このスレでアドラーのアンチから学ぶことはないと思う。
なぜなら、アンチはアンチゆえに、アドラーを学ばず、実践せずにただ批判してるだけ。
前向きにやってる人は勉強し実践してるので経験値も備わってるからその人たちの意見の方が重要だと思う。
流れが脱線するからアンチこそスルーしてもらいたいよ。
プロ野球のアンチとはわけが違う。 >>498
>>477の人は、そのアンチとの対応の中でも学ぶことがある、と言ってるのでは?
アンチがアドラーを学ばず実践してないのは関係なく アドラーが好きとか嫌いとか実践してるしてない関係なくどんな人からでも学べることはあるよ
そう考えて取り組むのがアドラー心理学の実践でしょ? >>490
誰にでもできる実践方法だろうね
不適切な行動に注目を与えない、代わりに、適切な行動に注目を与える
そして、適切な行動を全く取っていない人はひとりもいない、という事が他者信頼の育成だと思う >>105
提案するなら、例えば語尾に「だが?」って付けるとイラッと感が強まると思う
採用を促す時にこういったユーモアさも大事なのだが? 読んだことないから、上祐の言ってることが都合のいいマヤカシに聞こえて来るんだけど
本当にアドラーが言ってるの?
ちゃんと、文脈合ってる? うん
上祐の言ってるアドラーを学んだ人がこのスレにいるのかな?
いないんじゃない? >>500
>>そのアンチとの対応の中でも学ぶことがある、と言ってるのでは?
ないよ >>483
恋愛ドラマというより闘病ドラマだから・・・
アドラー後は薄情というよりもアドラーを学んだ人間ならcoolと捉えた方がいいかも https://twitter.com/beat_on_a_road/status/384933650829037568
改札を出たらボーイスカウトの子供達が赤い羽根共同募金の呼び掛けしてた。
手元の硬貨は¥418。¥410は本日のタバコ代。
「ちょっとでゴメンね」と2人
の募金箱を持つ男の子に¥5と¥3を入れた。
「ありがとうございます!」
と元気良く云われ照れ乍ら赤い羽根を受け取った。
23:51 - 2013年9月30日 自由意志は人間にとって最も大切なファクターなのではないだろうか?
例え体が動かなくなっても自由意志は誰にも奪われない。人間最後の砦だと思う。
美丘は死を宣告され、自暴自棄に入っていた。遊べるうちに遊ぶ。生きてるうちに遊ぶ。みたいな感じだった。
次第に手足がほとんど動かなくなり彼氏にご飯を食べさせてもらい、
一人で用を足すこともできなくなり、彼氏は俺が拭くからいいよ。と言ってくれたが、
それはできない。と言って入院したが、もう心は死にフォーカスしていた。心は死の準備
をしていた。
しかし、アドラー後は明らかに生にフォーカスしている。
その象徴が毎日の日記がわりにしているヴォイレコの吹き込み。
アドラー後のあの吹き込みは、彼女は自らの意思(自由意志)で、死ではなく、生を選んだことを意味する。
単に余生を生きるのとは違うと思った。
ほとんど動かない体で「最後まで、精一杯、太一君の横で笑顔で胸張って生きて行くんだ!」
愛とは決意であり、決断であり、約束である。(幸せになる勇気)
これは、美丘の決意なんだよね。 >>512
そのヴォイレコのシーンに流れる音楽とマッチして涙 何かを教える側の心得としてよくピグマリオン効果っていうのがでてくるんだが
これって一見アドラー心理学に通ずる実験結果かと思ったけどアドラー心理学には
全然そういう理論はないんだね そういやピグマリオン効果って引き寄せっぽさあるな。信じて接すると信じた通りになって行くから(先生が頭が良いとか見込みがあると信じて接した生徒の成績が上がる)。
まあ、周りのやつをろくでもないやつらだと信じた結果本当にろくでもないやつらになってしまってハマるなんて事の方がよく起こってるんじゃないかと思うが。
墓穴を掘るという表現がピッタリ当てはまる感じ。 5chはろくでもないやつしか集まらないし便所の落書きだと信じるとやがて自分が関わっている範囲が本当にそうなる。
脳も便所の落書きのような書き込みばかりを選択して収集するので余計にそう見える。
有用な書き込みがあっても滅多にない例外的な事だと切り捨てて中々思い出せなくなる。 見下してる相手の話を全然聞いてなくて
そいつが賞を取ったり結果を出したら急に聞く気になるっていうアレだな
相手は最初から同じことを言っているはずなんだけどね >>518
認知バイアスって事なんだろうけど、かなり強度になってちょっとぐらいじゃ変わらない事あるよ。
オカルト関係とかUFO関係とか宗教関係なんかは分かりやすいが、そうでなくてもあるからね。
誰かに対して悪いやつだと信じ込んだら中々変更できない強度な妄想になる事もある。政治関係でよくあるね。
そして陰謀論を鵜呑みにして更に悪化。
以前これは強度だなと感じたのは東日本大震災後に孫さんが100億寄付すると言った時にだいたいの人は凄いとか感謝するみたいな感じだったがそれでもひたすら貶し続ける人が居たとかね。
その人の認識はその程度ではひっくり返らなかったということだな。 >>515だけど
よくよく考えると、社会統合論と他者信頼の掛け合わせと言えなくはないかなと思った
成績が良くなるっていうのは出来すぎかもだけど >>519
これ学究者や職人を目指す人間が陥りやすい落とし穴だと思う
独自のこだわりは必要なんだけど、それがこだわりだとクリアに認識できないとドツボにハマる
下野した研究者くずれが使いづらいと言われる所以かなぁ、なんて
まあそこまで推測を広げちゃうと俺も決めつけ野郎になっちゃうんだが 例えば服へのこだわりって所属意識を持ってる共同体によって変わるじゃん
好きなアーティストを起点とした共同体だったり、流行っていう文脈に乗る共同体だったり
他の意識的なこだわりも似たようなもんだと思うんよね
だから家族療法とかも機能する
そういう考え方を真とすれば、アドラー心理学はやっぱりめっちゃ優秀な理論だと思うやん 便所の書き込みと思えば便所の書き込み。
他者の貴重な書き込みと思えば貴重な書き込み ちょっと教えて欲しい
課題の分離は先の協働のためであって、これをしたら原則は相手の課題に肩入れしない、共同体への破壊が見えた場合は介入していく、目標の一致が取れた時は協働していく、っていうのは分かったんだけど
セクハラやパワハラや暴言なんかは受け手の捉え方にもよるし共同体の破壊とは必ずしも言えないみたいだけど
なら不快に感じた時に受け手にできることってなんなんだ?
自らのライフスタイルに手を加えることは勿論、自己主張はこういう場面で出していくもんなの?
でもこういう場合に辞めてくれとお願いするのは相手の課題に踏み込む行為だよね?
言う権利は勿論あるだろうけど、協働を目的とした自己主張ってのはどんなものがあるんだろう? 自分は目標の一致を取るための働き掛け、と自己主張の使い分けが良くわかってないのかも
自己主張ってどんな場面で出していくもんなんだ?
どうも課題の分離の原則が引っ掛かる >>524
単純に相互所属を考えれば、いろんなやり方があると思う。
・私にとってその言動は不快だという主張。または相談として持ちかける。
・合意に基づくルールにのっとった措置(例えば社則。またはこれからとり決める)
・一般的なセクハラやパワハラの事例について啓蒙する。
みたいな感じかな。 相互所属が叶わないなら職を変えるとか、上司に相談するとか、組織の今後の発展に向けて労基に相談するとか、かな >>524
相手の目的を考えてみては?
あと課題の分離も大切だが課題の分離だけを見ると視野が狭くなる。 >>512
人は苦労して性格を変えたとしてもまたその新しい性格に支配される。
だから、性格は自由意志の下に置く。性格とて自分で選んだものだから。
自由意志に於いて自らの生き方の態度決定をする。
だから、そのために決意は必要なんだよね。 >>512
自分を変えるということは性格を変えるということではなく、
自分の生き方を変えるということではないか?
アドラーは、人間はいつまで変わることが可能かという質問に対して
冗談ぽく、自分を変えるのは死ぬときに意識を失うその1日前まで可能だ。と言っている。
美丘は間に合ったな。 認知にしろ個人心理学にしろ、生き方にまで落とし込まないと、
またぶり返すってきいたことある。
心理学は、もとは哲学の一分野だから、
そう考えると哲学者の岸見さんにアドバンテージはあるかも。 >>526,528
課題の分離っていうのは対人関係において別に前提にするべきものではないんだ?
そうすると課題を分離したりしなかったりするってこと? >>525
「嫌われる勇気」では、馬を水辺に連れて行く。ところまでかな。
そこから先の水を呑むか呑まないかは相手の課題 >>533
相手への働き掛けには目標の一致を段階を踏むことと自己主張するの2通りのやり方があると思うんだけど
この使い分けってどうすればいいんだろ?
自分のここをこう直せばきっと組織は良くなるはずだ!っていう考えに基づいて自己主張するとなると独りよがりになる可能性が高い気がしてしまうし
ここでも目標の一致が妥当な気がするけどじゃあ自己主張をする場面ってのは一体どこなんだろう?と思う それらは別々ではなくて、自己主張をするために目標の一致を図るんだよ
私はここをこうすれば組織が良くなると思うので、実行しようと考えているのですがあなたはどう考えますか?一緒に組織を良くするために一致点を探しませんか?って聞けばいい
それで目標を一致ができなきゃ課題の分離をする
課題の分離の狙いは結末の体験だから、お互いにそれぞれの考えに基づいて行動する事で「学ぶ」ことができる
もし、自分の考えが独りよがりで組織に迷惑をかけるものであればその結末を経験できるよ >>534
目標の一致に関しては相手と話し合って決めるのがアドラー的だろうな。
自己主張に関しては、結末を一緒に考えるとかお願いしてみる等。
データ・例・証拠等を示したりしながら主張するというか話し合う。 >>534
普段からの良好な人間関係が大前提だよ。 >>535
野田さんの本だとそこの順番逆で自己主張→通った結果としての目標の一致じゃない?
相手にお願いをする方法として自己主張の項がある気がするんだけど
そこ読んでると折衷点を探そうよというよりも自分の思いを伝えるって意味で自己主張が書かれてると思ったんだけど
違うのかな?
>>537
例えば暴言吐かれるなんて恐らく関係性は良くないと思うんだけど自分的には自己主張はしたい場面なんだよね
こういう場面は珍しくないと思う >>534・>>538
相手だって味方・仲間だと思わなければ協力しないよ。 >>539
そこはもう前提というか、私自身も相手を言い負かそうとかそういうつもりで方法聞いているわけではないので
その先のコミュニケーションの技術について知りたいんです >>532
自己主張と相手の主張を汲み取って相互所属を獲得するための課題の分離や目標の一致やない?
目標の一致と課題の分離は共存するものだけど、目標の一致ができないなら
とりあえず課題の分離で相互所属をはかるかんじやね
どちらにしてもこちらからの主張や相談ができないと協力関係を築くのはとりあえず難しいから
パワハラに近い状態で話し合いや自己主張が難しい様なリアルの現場なら
先ずは課題の分離から始めるしかない感じかな >>540
仕事のタスクの話だろうから、単純に先ずは共同体と我が人生両方の発展に注力するのが自分の課題になるよね
パワハラやセクハラ上司の目的は自己の所属と見るのが普通だけど
上司の課題は共同体感覚に向けたものとして見れば良いと理解してる
だから自分も上司も気持ち良く所属する為にどうすれば良いか?という話し合いを持ちかけれたらベターだと思う
つまりお互いの人生と共通の共同体の発展の為の提案が話し合いのテーマになる
だから上司の所属を蹴落とさない話し合いの仕方が必要になる
という理論を跳ね除けて話し合いが辛い現場なら、課題を分離してのらりくらりと
自分の課題を進めるしかないのでは?ということです >>541
最後の下りのパワハラに近い状態の相手との関係性の中で課題の分離をして、その後はどうするんでしょうか?
ここで自己主張なのかな?と思ったんですけど
論文で、課題の分離をしたら原則他人の課題に踏み込むべきではなく、精神的な苦痛は個人によって捉え方が違うため一概には共同体の破壊とも言えず一方的な介入はするべきではない。とあって、じゃあ違うのかな?と思って困っています >>542
パワハラはあくまで例えではあったんですけど、
とすると野田さんの本に書いてある自己主張ってどうも目標の一致の前段階についての話な気がするんですけれど、目標の一致のプロセスとして書かれている訳でもなく、これはなんなんでしょうか? >>540
コミュニケーション能力で色々上手く頑張って相互所属を目指すなら
上司、会社、仲間の目的、ニーズに興味を持って理解するところから始めるのが良いかな
個人の目的は所属に向かってあれこれを尽くしてるし、組織は社会への所属を目的にしてる
その辺の中身を理解して、みんなが上手くいく提案と折り合いと行動を諦めないで続ける感じだと思うよ
それがフィットしてみんなが無理なく所属しつつ組織の発展に建設的ならめっちゃ良いし
社会統合論的に折り合いが和らぐことも信じて進める努力が大事かな >>543
その自己主張が仲間達と競合的なら、協力的に叶える主張に修正する努力をするのがアドラーかなと思うよ
自己主張自体は我慢するものではなく、自分の人生の発展の為に必要なんだろうから、取りやめる前提はなくて、
あくまで相互所属を叶えるイコール協力的な自己主張の実現ってことだと思う >>544
目標の一致が可能になれば協力的な自己主張と相手の自己主張を叶える為の協力的な分担が可能になる
協力的な自己主張とは何度も言う様に、組織と自分の人生の発展について他者の所属も認めながら進めることだと思う 思想は思想としてそこを蔑ろにするつもりはないです。
私生活への個別具体的なアドバイスというよりはアドラー心理学の技術についての方法論を知識欲のために単純に知りたいのです。
つまり自己主張は目標の一致のプロセスということ?
本だと自己主張においてまず同意を取り付けましょうというようなことは特に書かれておらず別物だと思ってたんですけど違うのでしょうか? >>548
自己主張は自分の所属を叶える為の手段やで
自己主張あっての所属ね
ただし、その自己主張が他者の所属を脅かす競合的なものなら
協力的な主張に修正するのが良いよってのが俺の一貫した答えかな
例えばパワハラ上司に対する競合的な嫌悪感を自己主張したいなら、
良い組織を作りたいという協力的な目標を見据えて話し合いをするか、
さらに上の上司に相談するのが協力的な自己主張だし
それが叶わないなら上司のパワハラは上司の課題のままとして、
自分はのらりくらりかわしながら組織に役立つ様にするか、移動願いや転職という手もある
納得いってないのはどの辺なんかな? アドラー心理学の技術的な方法論の話をするなら、
臨床的な枠組みができてないと機能しないよってのがまず答えとしてある
臨床的な枠組みは相談者と相談を受ける側という取り決め
せめて話し合いの土壌がないならアドラー心理学は機能しないし
だからできることと言えば相互協力や自分と組織への建設的な態度や課題の分離っていう
共同体感覚の思想からくる自分の行動の態度を示すくらいなんよ
話し合いの枠組みがとれるなら、共同の目標に向けて協力関係を作ることに力を入れれば良いし
臨床的な枠組みなら、普通はこちら側が相談者としての提案をしながらも
相手の提案を採用しながら進める形になりそうだけど
万が一上司から相談を持ちかけてきたなら、上司への勇気づけを強調して付け加えていくことができるよね >>549
自己主張は目標の一致のプロセスなのか?そうではないのか
明らかな共同体の破壊以外での状況下に置ける自己主張は相手の課題に踏み込む行為ではないのか?
(例えばセクハラパワハラなんかは共同体の破壊とは必ずしも言えず、個人の主観によるところも大きいため共同体の破壊とは必ずしも言えない)
この2点が分かりません。 >>551
> 自己主張は目標の一致のプロセスなのか?そうではないのか
自己主張と目標の一致は別の軸の話だから、そうではないが答えになるね
> 明らかな共同体の破壊以外での状況下に置ける自己主張は相手の課題に踏み込む行為ではないのか?
相手に対してやめなさいと主張するなら課題に踏み込んでるね
自分の不快感を主張するのは自分の所属の為の行動しか意味が含まれてないから課題に踏み込んでない
あとは自分の主張と相手の主張を踏まえて相互所属をはかるのが
アドラー心理学だということを忘れないでいれば大丈夫なんじゃない? >>550
相手が聞いてくれる気がない場合に関してのことはわかりました。
ありがとうございます。 現実の組織の「所属」と「自由」は反比例の関係にある。
欲求でいうと所属と自由は自由の方が優先順位が高いので人間にとって自由の方が重要。
所属に失敗したときは逆に自由を獲得したと考えればいい。
それとアドラーのいう共同体感覚とは現実の組織ではなくもっともっと広い意味の共同体。 >>552
野田さんの本にはやめてくださいも自己主張に含まれてるみたいなんですけど、相手への課題の肩入れは私言葉で回避できるということですか? >>552の内容をちょっと訂正
目標一致のプロセスの中に自己主張は当然含まれるけど
そうじゃない場面でも所属の為の自己主張はあるから、
自己主張は目標一致のプロセスとしてしかカウントしないかと言うとそうじゃないよってのが答えになる
逆に自己主張をしぼませるなら目標は一致してないし、
必ず目標の一致を作らなければならないというわけではない >>554
組織への所属は仕事のタスクだから、自分と組織の発展に注力するのが基本でしょ
パワハラが関わってくるならその辺の軸も踏まえて対処を考えるか
課題の分離をするだけで済むという考えで良いと思う
その中に、相互所属やより大きな共同体を考えることや
共同体感覚から考えて相手の結末を見守るのも基本的な思想の枠組みの話だよね >>555
やめて下さいは確かに自己主張だけど、本ではどう書いてあった?
一応自分の所属を脅かす破壊的な態度に対してはやめて下さいは緊急的に許容な範囲だと考えられるけど
自分がそれはやめた方が良いと思ってるだけの範囲なら、やめて下さいは課題を侵害してると考えても良い
自分の不快感なら私言葉で言えば相談を持ちかけるのに近い形におさめられるよ ふと思ったが、こうして理論を整理してそれに合わせて実行することで
自己解釈で行動するよりも対人関係論によって効果が期待できるね >>554
ん?初めて聞いた理屈
所属欲求と自由欲求どっちが強いかって話は必要なくない?
所属が究極目標であるというのは思想ではなく理論の部分だよ
全ての人の目的が所属である以上、競合的な所属を目指すと人間社会では行き詰まりやすいから、協力的な所属を志向していくことを「良いことだ」とするのが共同体感覚だよ >>551
なんか言ってることがよくわからないな
セクハラを受けた側が個人の主観で嫌だと感じたら、それは所属の侵害であり、まさに共同体への破壊行動じゃない?
でもセクハラをしている本人は良かれと思っていて悪いとは思っていない可能性があるから、受けた側がセクハラされた苦痛をしっかり伝えて相手にやめてもらえるように主張する事は、協力的な行動でしょう
相手が主張を聞いてくれて話し合えるのなら、今後セクハラされないような目標の一致を取って気持ちよく働けるかもしれないし
主張を聞いてくれない、あるいは縦の関係で丸め込もうとしてくるなら課題の分離をして社会的結末を経験させることでいいと思う
協力的なさらに上の上司に言うとか、法に訴えるとか、あなたが会社辞めるとか >>551
> (例えばセクハラパワハラなんかは個人の主観によるところも大きいため共同体の破壊とは必ずしも言えない)
個人の主観こそが大事なのでは?
その個人は共同体に組み込まれていないの?どう考えても組み込まれているよね >>560
所属が究極目標っておかしい。
既に人間は共同体に所属しているわけだからね。
現実の組織なら他者から承認されなくては所属感を得ることは不可能なので、
承認欲求が湧いてくるだろう。つまり現実の組織なら他者から承認もなく自分だけの
自己承認だけでは実際に所属していることにならない。
他者からの承認が必要ないという所属を考えるのであれば現実の組織ではなく、
アドラーのいう広い意味での共同体。
逆に人間はどんな状況に於いても自由を求める存在なのだから、人間にとって現実社会の所属感より自由の方が重要。 >>564
横からだけどアドラー心理学では究極目標は所属として考えるんやで >>560
おかしくはないよアドラー心理学の基本前提だよ
人は自由を求めるのものだという考えは別に否定しないけどアドラー心理学ではなくなるよね
あるいは無理にでもアドラー心理学に当てはめるなら、所属という究極目標を達成するために、自由を得るという仮想目標を個人の認識の中で掲げたってことになる
http://jalsha.cside8.com/diary/2017/05/15.html
アドラー心理学は《全体論 holism》の心理学なので、すべての《ペルソナ》が究極的には同じ目標を追求していると考える。しかも、その目標は、結局は「所属」だと考えている。 つまりこういうことか
アドラー共同体の所属>自由>現実組織の所属 >>566
所属だけど現実組織の所属ではなくて、
アドラーの言う理想の共同体の所属。 >>568
違うと思うw
現実社会とか広い共同体とかに惑わされちゃいかんよ
あくまで判断軸は、他者に対して競合的に所属を追求するか、協力的に所属を追求するか
おそらく、>>560の現実社会での所属が自由を犠牲にするような発想は競合的な組織への所属、つまりゲゼルシャフトのことを言っているんだと思うけど
ゲゼルシャフト共同体に対して個人がゲマインシャフト感覚(協力的な態度)を持って向き合えばいい話 >>568
そこで言う自由っていうのはさっきまでの流れで言う自己主張と同義だと考えてええんちゃう?
仕事のタスクの所属は、自分の生活を良くするためのものだと考えて、
自分と組織の発展を目指すものだから自己主張(自由)は当然含まれてる
例えば自分を曲げて組織の支配下に置かれ生活水準を取る選択も自由だし
組織の中で相互所属を目指して活動するという自己主張も自由だし
組織を抜けて自由感を得る選択をする自己主張も自由だ つまり、自分の自由(自己主張、所属感)と他者の自由(所属感)を守るのが協力的な相互所属の方向性ってことじゃないかな
仕事のタスクだから、組織の建設的な発展(組織の社会的所属の実現)ももちろん必要な要件としてね >>564
あと、アドラー心理学は使用の心理学だから欲求は湧いてくるものじゃないし、厳密に言うと、所属「欲求」とは違うよ
欲求は人を動かす根源動機ではなく所属という目的のための手段だよ 理想共同体への所属を求めて自由意志によって態度決定している
つまり自分で選んでるということだよな。
他人から命令されても従うかは本人の自由だし、
マインドコントロールされて動いてるわけでもない。 所属感貢献感肯定感を持ちつつ自由であることなんて簡単だ、というか、それこそ本当の自由なんではないかと思う今日このごろ 人は自由を失って与えられた使命感に縛られている時が幸せだと誰かが言ってたな >>574
所属感の根拠が他者からの承認だと承認されることが必要なので承認欲求が出てくるだろうということ。
自己承認だけで現実組織の所属感を得ることは無理じゃないか?
アドラーの理想共同体ならできるけど。 >>578
それだからこそ、自己承認だけじゃなく他者信頼貢献感に沿った自己肯定感が必要ってことなんじゃないの
私には能力があり役に立ってるし他者は助け合える仲間だから私はやっぱり役に立とうという感覚 >>577
それを使命と受け取るか受け取らないかもその人の自由。
その人が自由に使命と解釈しただけのことなんだよね。 >>578
承認欲求が「出てくる」のではなく「使っている」だよ、目的論かつ全体論だから
仰るような、他者からの承認、自己承認、理想共同体からの承認の違いを差別化する意味がわからない
使用の観点に立つと、承認されるという相手任せの所属を、
「所属組織や家族、友達と自分相互の所属を阻害せず、時と場合を選ばない対処行動を、肯定感、信頼感、所属感を伴う形」で代替できる 伸びてると思ったら割と好きな流れ
嫌われる勇気色の強いアドレリアンがいると盛り上がるねw >>569
理想共同体への所属をゴールにすると言うよりも、すべての人が所属している協力的な暮らしのために今ここで自分にできること、がより実践的な感じがするね
現実組織が不自由なものだとしてもあきらめる必要はないよ
諦めてもいいけど >>578
他者からの承認などがなくても持てるのが、本当の共同体感覚なんやで まあ他者から承認される経験自体は共同体感覚を養うのに有効だと思うけどね 承認欲求の否定!
というフレーズからアドラー心理学を学ぶからややこしくなるんだと思う このスレには野田派アドレリアンが多いのではまいか? 野田さんのソースは補正項から引きやすいのでそれはあるかもしれない
でも向後さんも岩井さんも否定する人はいないと思われ >>589
本来岸見一郎も野田派アドレリアンだしね 俺著者偏りなく200冊は読んでるからアドラーおたくレベルなんだろうけど(実践できているとは言っていない)
日本アドラー心理学会のテキストがあれば自分に活かすには十分だと思う >>592
200冊も書籍があることが驚きやわwww >>590
では、岸見さんは否定されているんですか? >>595
岸見さんは野田さんを否定してないけど
野田さんは嫌われる勇気の内容を否定してる感じだね >>597
いや、僕煽ってるわけじゃなくて本気で質問してるんですが… >>594
いや、俺にとって驚きなだけで、それだけあって悪いわけではないです
星さん確かに昔から出してますね >>564・>>578
現実組織の所属について、他者からの承認を求めないで所属感を満たすには
その組織に対する自分の貢献による貢献感によって所属を満たすことだと思う。
ざっくり書くと、 自分の貢献感=自分の所属感。ということだと思う。 >>569
そういうことじゃないと思うぞ
親子間での所属も立派な共同体感覚になりえるのと同じく、組織への所属も良い訓練になるよ
現実組織がどんなものだとしても本人が徹底して横の関係で仕事に取り組む事はできる
そしてそんな個人を育成する事がアドラー心理学の社会運動の側面としての狙いだよ >>563
個人の主観は共同体の破壊として受け取るべきではないらしいです
なんにでも精神的苦痛を受けるタイプの人もいるので
それはアドラー心理学会の論文にあります >>562
セクハラやパワハラなどは受け手の捉え方によるところも大きいために、精神的苦痛は共同体の破壊に含むのは妥当ではないとアドラー心理学会の論文に書いてあるのです >>564・>>578
現実組織の所属について、他者からの承認を求めないで所属感を満たすには
その組織に対する自分の貢献による貢献感によって所属を満たすことだと思う。
ざっくり書くと、 自分の貢献感=自分の所属感。ということだと思う。 >>604
被害妄想に取り憑かれてるならアレだけど
ちゃんと土台があって話し合えればどうなの? >>558
本にはやめてくださいを伝えることも大事とだけあり、伝えるべき場面については言及されていません
アドラー心理学の論文では共同体の破壊というのは身体を傷付けられた、金銭の強奪があったなど明らかに反社会的なものに限定してあると書かれています
確かに共存共栄を前提にしていたとしても、個人の捉え方が違う以上同じハラスメントを受けたとしても感じ方は違ってくるので、独善的になってしまう危険性は常にあるのかと思います >>606
IDないので分かりづらいとは思いますが、上で書いてる通り私はセクハラパワハラを受けている訳ではないです >>606
俺は文脈は全然わかってないんだ
>>604単体に対するレスだったんだが、話し合ってちゃんとお互いの意見を共通感覚化して調整したらいいように思ったんだがどうなの? >>609
ここIDないので不便ですよね…
どんな理由あるのかは分からないですけど
・目標の一致のプロセスと単純な自己主張の使い分けについて
・自己主張が目標の一致のプロセスではないのならば、自己主張自体他者の課題への肩入れになってしまうのではないか(アドラー心理学の論文での共同体の破壊の定義がごく狭く余程の反社会的行為に限っているため)
これが聞きたかったのです。
けど上でもこの2つは一緒のもの、違うもので意見が別れていたり、共存共栄や課題の分離にまつわる定義がバラバラだったりでちょっとゴチャゴチャしてます
今度学会の正式なグループなりに参加して聞いてみようかと思います >>554
アドラー自身は血縁共同体的な関係性を重視していたから自由という言葉はほとんど使っていないし意図的に使うのを避けていたとかなんとか >>611
うーん、よくわかんないけど難しそうな事考えてるね
「私はあなたに〇〇されることを不快に感じていています。共にこの仕事に気持ちよく取り組めるように〇〇するのをやめてほしいと思うのですがお願いできますか?」
って自己主張するのじゃダメなの?
というかこういう頼み方が目標の一致を目指すような言い回しじゃないの? >>613
そうなんですよ
でも本見ると目標の一致の段階としては書かれていないような気がするんですよね
理解するのは本だけだとやっぱり難しいですね >>614
やっぱわかるためには自分で実際試してみて経過を見てみることじゃない?
俺は今はパワハラはされてないから試せないけど
以前の職場では上司にいびられ続けて起きて会社に行かなきゃならないのに布団から出れなくなったことがあるよ
俺はそのまま逃げてフェードアウトしたから話し合いなんてできてない
でも聞いた話だとその人からは部下が育たないから会社に居場所がなくなって結果的にやめたらしい たしかにパワハラ・セクハラなどは面白いね
アドレリアンに対してパワハラなど仕掛けても全く意に介さないようなイメージがある
「それは不快なのでやめてくださると嬉しいです。それで本題は…」みたいな >>607
そうだね
つまり俺の回答した通りに書いてあるやん
自己主張についても俺の書いた通りで大丈夫と思うよ >>618
私言葉を使用した支配的操作もままあるそうなので
言葉だけでは内容に違いはないんじゃないかと思ってしまいます >>619
なるほど
では2点教えてほしい
1.
私言葉を使用した支配的操作について書かれた論文とかあれば教えてほしい
その仰る内容を踏まえると、感情の表明(相談的な趣き)と、支配的に使うのかは
意図によるものだと考えればいいと思う
相手がどう捉えるかまで考えるときりがないし、受け止め方は他者信頼を踏まえて考えればいいんじゃないかな
例えば気を付けて使おうという但し書きがあれば使わないという選択をとるのであれば、
気を付けて渡る道路は使わないということになるから人生全般がままならなくなっちゃうから
どの様に考えてるのか知りたい
2.
自己主張については、>>551に対して>>552、>>556で回答しているので
それに対して納得のいかない部分があれば教えてほしい コンビニで買ったんだが「有気の心理学アドラー超入門」言ってる事がおかしい。
「嫌われる勇気」の方が100倍素晴らしい。 >>620
1に関しては、アドラー心理学の論文ページの鎌田さんという方が書いた「アドラー心理学の「誤解」と「誤用」」という論文です
結構下の方にあります
貴方の仰る通り恐らく発言者が相手の行為の変容を目的にしているかどうかで誤用かどうかは決まるということが書かれています
自らの感情を伝えるという行為は結局の所多少なりとも相手の行為が変わってくれたら嬉しいなというような願望がある気がして
好ましい言動の例?にも不快感を現せばいいという方向では書かれていないのです。
目的の一致を図るのは許容しており、ならば自己主張なんてのはどこで使うんだろう?と思いました
2に関しては私もそうかなと思うのですか、上で意見が割れているのと私自身も知識が浅いので
確実にそうなのかと言われると判断が付きません 子供の問題行動の5段階、参考になった。
金田一少年の事件簿が流行ったのがよくわかったよ。
動機が復讐だからな〜。 >>624
ご教示いただいた論文拝読しました
結果、私言葉を使って自己主張をするということで問題ないんじゃないかと思う
論文にも書かれている通り、相手の変貌を期待する自分からは逃れることができないので
私利私欲によって自己欺瞞を通していないか?という自己点検がキーワードになるよね
そこで、解決策として相手の拒否、選択権を担保することが例示されているので、
それを採用することで問題はなくなるのではないかと考える
>目的の一致を図るのは許容しており、ならば自己主張なんてのはどこで使うんだろう?と思いました
ここまで話してきた中で、それでも自己主張ができないと考えていらっしゃるのであれば、
俺の中であなたは下記の二つのうちどちらかを求めているのではないか?と感じてるんだけどどうだろう?
a)論文などのソースで明文された答え若しくは満場一致となる答えじゃないと採用したくない
b)相手の操作を目的とした自己主張を採用する方法を探している
aであればソースを探すのになかなか時間がかかりそうなので、俺には解決できそうにないし、
bであれば自分自身がアドラー心理学を学び実践する中で自分で答えを見つけるしかないと思う アドラー学会は解散しろよ
上祐がやってる穢れた学会なんだから >>627
居場所が欲しいんですね。
カワイソス。 >>627さんは、可哀そうな人だから、みんなでかまってあげましょうよ >>626
おお
そこあまりちゃんと読んでなかったかもしれないです!
ありがとう!!
ちなみにbは絶対にないです
むしろ支配的操作になることを恐れたので自己主張について聞きました ところで目標の一致と自己主張の使い分けはどうするのでしょう? ずっと疑問なんだが
なんで自己主張が支配的になるのかわかんない
自己主張できない関係の方が支配されてないか? >>635
気を付けないと相手の課題に踏み込むことになりがちだからです
使い分けについては目標の一致が図れない場面や場合かな? 自己主張って要は
「私はこのように考えている」
でしょ?
課題に踏み込む可能性がある自己主張って
「私はあなたがこうすべきだと考える」
だよね?
じゃあ
「私はあなたがこうすべきだと考えるが、あなたの考えを教えて?」
だとどうなの? >>637
アドラー 支配的操作で調べてくれたらよくわかると思います >>638
これ?下はコミュニケーション
わ 一一一一→(a)一一一一→あ
た い
し←一一一一(b)←一一一一て
aがわたしの課題で、bがあいての課題だとすれば
わたしがbをコントロールするようなコミュニケーションが支配的という意味でおけ?
だとすれば
私はこう考えるが、あなたはどう考えますか?
という自己主張の仕方をすれば
目標の一致を目指せると感じたんだけどどう? >>639
すいません
そもそもは目標の一致と自己主張の使い分けについて知りたかったのです
この2つが別物かどうかも
上で解決しました うんあのさ、だからね
相手が相手の課題を侵害されたと感じるかどうかなんて原理的にわかりようがないよね
嘘つくこともできるわけだしさ
つまり結局のところ自分の認知の問題ってことだよね >>639
合ってると思うし、必ずしも目標を一致させなければならないということでもないと思う ただし、目標の一致を諦めるんじゃなくてその可能性は残しておくのが
自己の態度の決定の上で大切な要素だとは思うから、目標の一致の為の自己主張と考えるのは間違いじゃない気もする ワイドショーとかで何歳にも成ってなにやってんだ!とか、なんて口の利き方
とかって聞くけどさ、アドラーにそんなもん関係ないよな?
自分が何しようが手前等に関係ねーだろって事だから >>646
どのような言葉遣いでも決めるのはあなただけど
その言葉遣いで生じる結果もあなたが背負う
確かに遠くにいるコメンテーターにはあなたの言葉遣いは直接関係ないが
おかしいと思いませんか?っていう問題提起なり
それでいいと思いますよっていう主張をする仕事だから
その発言をどうするかはコメンテーターの課題 コメンテーターはコメンテーターの仕事を頑張っておられるなぁ
俺は俺でみんなと協力的に俺の人生を生きよう
って感じかな 賞罰の廃止→犯罪者の釈放、犯罪という概念の否定。
課題の分離→いじめは傍観、他国の腐敗汚職、人権弾圧は無視(これ重要!!!)。
他者貢献→他者貢献のためにはテロもOK。イスラム国鎮圧しない。
他者信頼→全員、風去りのメラニー状態(ウィリアムズ症候群か)
自己受容→業界ナンバーワンになるためになら、違法行為も許される!!!
過去は関係ない、大事なのは未来だけ→刑罰と補償の否定
仕事、交友、愛のタスク→ホームレスとボッチと非リアは、それぞれ仕事、友人、恋人を持たなければならない!!!→馬鹿どもが余計なことをしてかえって社会が混乱する。
嫌われてもかまわない!!!→世界総DQN化。老人に席を譲らない、妊婦をどかせて座る。
今ここを生きる、過去も未来も関係ない!!!→環境破壊OK!
トラウマは存在しない!!!!!→PTSD患者への集団的大迫害。 世の中には話の展開を2つか3つまでしか理解できない人がいる
そういう人は、順を追って論理を積み重ねられないから飛躍させるしかない
関連する要素なんかもちろん考えられないから、状況設定という概念もない
その結果どうなるかは言うまでもなく >>560・>>566
所属が、究極目標ってそれはそうだろう。問題はそこからどうするかだと思う。
所属に向かって努力しても所属に失敗してしまうこともある。
子供はその失敗によって自殺してしまう子もいるときく。
所属感を得るための自分の考え方としては>>601に近いが、にしても
その貢献間を得るまでの過程は所属感を得られないことになるのでどちらかというと、
キーネーシス的だと思う。
まず、今、ここで所属感を持つことが必要でそれがエネルゲイア的な思考に繋がると思う。
つまり、もう既により大きな共同体に所属している。事実、例え目に見える形でなくとも
貢献しているんだという感覚がまずあれば、目の前にある小さな共同体に固執する必要も感じなくなるので、
自由を感じることができると思う。
つまり、「アドラーのいう共同体感覚」を持っているということは同時に自由を獲得している。ことなる。
もし、その共同体感覚をもたないまま既存の小さな共同体の所属に失敗してしまったら、
とても、自由を獲得できた。なんてのんきなことは言っていられないだろう。 >>657
うんだからさ
所属に成功してるか失敗してるかってのも結局はその人の認知によるものだよね? >>657
アドラー心理学はそこが重要なんだよ。
例えば、楽しいから笑うのではない。
笑うから楽しいのだ。みたいな。
悲しいから泣くのではない。
泣くから悲しいのだ。等 >>660
俺がアドラーで一番参考になったのがその考え方かも
しんどいときでも笑っとけ
ツラい時でも無理して楽しく喋ってるうちに楽しくなってきたりしたし >>654・>>658
頭の悪い人はアドラーは向かないということだよな >>662
つまり、>>658はバカだということ? アドラー心理学はその円環構造が理解できた人にのみシンプルに感じる。
なので、誰にでもできるというわけじゃない。 ボルヘス あるよ 。怪奇譚や荘子注釈があればそのほうが人気らしい。 T病院のデイケアのO原とH田に、園芸でとれて保管に失敗した腐った大根鍋を食べさせられた。みんながだまされて、知らずに食べさせられた。多分O原は地元のN良県へ、H田は資格を取って心理関係の別の事業所へ逃げると思う。 犯罪者が弱い立場の人間を助けるふりをして、社会保障費を掠め取っていく。だから日本は社会保障費がなく、年金問題も出てくる。H田は孫にも腐った大根を鍋で食べさせているのだろうか?安倍首相よりお前らが説明責任を果たせ。 三田国際とか、こえると広尾病院なんかがおススメ。
大阪には国立病院もあるけど、体格が違うと思ったら、
三宮ルーテル博愛神戸中央の精神看護以上の待遇、もおすすめ。
東京は建築内もあるかも知れないけど、関西は、海外勤務で国内スカスカだから、
病気は流行らないようだよ。 >>665
話の流れからは逸れるとは思いますが、知っている限りでは頭の良い人よりも、頭の悪いというか物分かりの悪い人の方が上達するのは早いと思いますよ
文脈を読んで理解した気にならない人というか 頭ではわかってなくても子供なんかはたいてい親より先に理解できてしまうようです
頭でわかるというのも、一緒に学ぶ仲間とあーでもないこーでもないやっていれば一年もあれば理解できないないなんてことは考えにくいですよ >>656
ほぼ同意なんだけど、一つだけ提案させてくれ。
>>所属感を得るための自分の考え方としては>>601に近いが、にしても
その貢献間を得るまでの過程は所属感を得られないことになるのでどちらかというと、
キーネーシス的だと思う。
この箇所は、貢献間を得るための理想の状態から引き算(減点法)で考えてるから
キーネーシスと考えてしまうのではないか?
足し算(加点方)で考えていけばエネルゲイア的になると思うんだけどね。 >>661
これは俺も経験がある
悲しい態度や表情の仕方を徹底的に親に仕込まれたんだが
「悲しい場面」になると反射的にそれをやってしまい、結果悲しくなっていた
ふと感情を演じさせられていることに気が付いてやめたら感情の揺れが落ち着いた
今は感情はポーズでなく自然にあらわれるもので
それを表出するかどうかも俺の自由だって決めている >>674
賛成
個人的には、大きな共同体という抽象に行くよりも、いつも関わる人たちとの関係性の中で自分の競合性を見直す訓練の方が大切だと思うな >>676
だよね、これが全体論てやつなのかな
良いか悪いかは別にしてこういう考えをするのって面白いw >>676
確かにその訓練も大切だよね。
しかし、すでに大きな共同体の所属感を持った上でその実社会での訓練(社会生活)を送るのと、
その所属感を持っていない状態でその訓練(社会生活)を送るのとでは、
心の持ち方が大きく違ってくると思う。
自分に相手を受け入れるかどうかの自由があるのと同様に相手にも自分を受け入れるか
受け入れないかを決める自由があるんだからね。
アドラーのいう共同体というのは他者・他者の集まりという概念なので、
その他者に拒まれても自分に合う別の他者が必ずいるという余裕・自信が
その人に固執することもなく自由でいられることにつながると思う。
大きな共同体感覚・所属感をもって目の前の小さな共同体の所属を目指すのと、
大きな共同体の所属感なしに目の前の小さな共同体の所属を目指すのでは
たとえ無意識になっていたとしても精神状態は大きく違うと思います。 >>656
なんかもやっとする
うまく説明できないけど違和感
努力しても所属がうまくいかないかもしれないからより大きな共同体に目を向けるってことじゃないような >>678
同じくもやもや
拒まれても別の誰かがいる?に違和感
誰か説明できないかな? >>676
ごめん。まちがえました。
この議論は回りますね。
>>676さんのような実社会での訓練を重ねていくうちに、共同体感覚を持つことができ、
共同体感覚をもつことができれば、自由になり競合性を見直すこともでき、
競争関係→協力関係に移行することができるということでした。 で協力関係を築くことができれば、共同体感覚をもつことに繋がるわけだから、
堂々巡りになってしまう。 >>680
共同体感覚というのは他者信頼に支えられたものだから
受け入れてもらえない=所属に失敗する
という認識にはならない
というところかな >>684
レスありがとう
どんな人とのどんな場面でも誰でも協力的な行動はとれるから貢献できないとか、所属できないとか、他に誰かがいるとは思う必要がないというのが自分なりの言い方かな この流れの問題について俺は大乗仏教の菩薩道と同じ様に捉えてる
簡単に言うと、世俗から離れ一人瞑想などの修行をするだけでもなく、ただ世俗と向き合うだけでもなく
空(共同体感覚)側に身を置く様にしながら(自己点検)も世俗と向き合い
慈悲(貢献などの実践)を行なっていく修行法みたいな感じ アドラーの面白いところは葛藤対立を全てを人生の課題として考えるところだよね 「さとりの境地」に達することをあたかも、身に付けることのできるものであるかのように考えたり、あるいは、いきなり素晴らしい人間になれるかのように思っている人がいます。(すでにみなさん素晴らしい存在なのですが)
でも、そうだとは思っていませんから、将来のいつかそうなれると思うわけです。 「さとり」を「エゴのない状態」と言い換えることも出来ます。
「私はエゴのない状態になりたい」と思うのです。
しかし、将来のいつか「エゴのない状態」になることはできません。
「エゴのない状態」は今ここでしかありえないのです。
あなたがなりたい状態というのは、思考の作り上げた概念です。
それは自分に対する疑問から生まれているものです。
「こんな自分になりたい」という自分は完全に抽象的な概念ですから、いつまでたってもそのようにはなれないのです。
すでにその状態だということに気づいていないのでそう思うのです。 「エゴのない状態」は未来のどこかにあるものではありません。
それを目標にすることは出来ないのです「エゴのない状態」も「さとり」も目標にすることは出来ないのです。
「さとり」を目標にすることは出来ないのです。
「目標」というのは暗に未来を意味しているからです。
「エゴのない状態」「さとりの境地」への唯一の入り口は「今この瞬間」にあるのです。
それを達成したい目標としてしまったら、この入り口を見逃してしまいます。
あなたは未来に目がいっているからです。「目標」には「未来」が含まれているためです。 探求をやめて「気づくもの」となる
ここが、スピリチュアルな探求者たちのジレンマになっています。
彼らはスピリチュアルな教えの講義を聞いたり、本を読んだりする中で、「エゴのない状態」「さとりの境地」があるらしいと知り、もしかしたら、私もそこに到達することができるのでは・・・と思うのです。
そして即座にそれを目標に設定するのです。
頭の中のイメージで「こうなりたい」と思う自分のイメージを作り上げて、それを未来に設定するのです。
そのイメージを現実化しようと探求し始めたことが、返って今可能なことを妨げてしまっているとは思ってもいないのです。 なぜならば、その入り口は「今ここ」にしかないからです。
「今ここに在るパワー」に繋がらなければエゴは超越できないのです。
他に道はありません。
「さとり」は常に「今ここに在るパワー」に繋がって可能なのです。それ以外にはありえません。 探求することをあきらめた者だけが「さとり」はすでに今ここにあるということがわかるのです。
スピリチュアルな探求にホトホト疲れ果てて止めるか、あるいは、突然真理に目覚めて探求を諦めることになるか、いずれにせよ探求を諦めなければならないのです。 「何もしなくていい」のか「頑張らなくてはならない」のか?
さらに、スピリチュアルな教えには相反する教えにみえるものがあります。基本的には、2つの相反するスピリチュアルな教えがあります。
ひとつは、私が先ほど言ったものに近いものですが(正確には違うものですが)「あなたにできることは何もない。
ただリラックスしてなるように任せるのだ」「あなたのできることは何もないのだ」というものです。
「何もかも手放して、すべて忘れるんだ」と言う先生もいます。
「すべて忘れて、ただ楽しむのだ」という教えです。 もう一方の教えは「溺れた人が何とか助かろうともがきあがくように、必死に求めて頑張らなくてはさとりの境地には絶対に到達しないだろう」というものです。
私がさっき言ったことはどちらかと言うと前者のほうです。
「さとり」とは、欲しいから手に入れたいというようなものではないのです。 実は、この2つをひとつにしたところに真理が隠されているのです。
この2つをどうやって融合するのでしょう。ひとつは「あなたにできることはなにもない」と言い、これも本当です。もう一方の教えでは「厳しさ・頑張ること」が求められています。
これを一つにするのです。
まず、この「厳しさ・頑張ること」が誤って理解されています。
将来に設定した目標を達成するために頑張ることだと捉えられていますが、その「厳しさ・頑張ること」は「今にあること」に向けられるべきなのです。
それは「この瞬間」だけに意識を向ける断固とした厳しさです。
未来に向かって頑張るのではなく、今ここに、どれだけ深く入り込めるかということなのです 「することは何もない」というのも、「すること」には時間がかかるわけですからその意味では正しいのです。
今この瞬間に入り込んで今と一つになることは、実際、「すること」ではないからです。
その意味では「あなたがすることは何もない」のです。
今この瞬間をあるがままに受け入れ、今に深く入っていくだけなのです。
これは言葉の取り方の問題なのですが、「何もすることがない」というのも正しいし、もう一方の「厳しさ・頑張ること」が求められるというのもまた正しいのです。
「今」を受け入れるために精一杯尽くすということです。
「今」が大切なのです!
ですから、今はそうではないから将来のいつか「ああなりたい」といったような未来の話ではないのです。 「今にあること」は頑張るべきこと
「あなたはすでに悟っている」と言っているスピリチュアルティーチャーもいます。
あなたも耳にしたことがあるでしょう。それも深いところでは真実を語っています。
人間はみな誰も、内面においては完璧です。
しかし、物質レベルではもちろんそれぞれやることがあります。
体験したり、学んだり、色々と身につけたりしています。
しかし、内面の深いところでのあなたの本質は、すでに完全に完璧なのです。
あなたが本当の自分であるために時間を必要とすることもなければ何かを身につける必要もありません。
大切なのは「あなたの本質」部分です。 その意味で、未来というのは今本当のあなたを見つけること、今本当のあなたであることを邪魔するだけなのです。
しかし「何かを達成する必要がある」「何者かにならなくては・・・」という思いをなくすことはなかなか大変だという人もいるでしょう
。しかし、その言葉の真意は「あなたはすでに完全にあなたの本質そのものだ。
あなたはただそれに気がつく必要がある」と言っているのです。
あなたはすでに完全にあなた自身なのです。 今すでに完全な本質の自分であるのに、そのために、もっと時間が必要だとかもっと何かが必要だとかいうことはないのです。
あなたの本質は、すでに神聖で、時間を持たない永遠なる存在なのです。
その他のことは、物質的レベルにおいて踊ったり、ゲームをしたり形あるもの演じて楽しんでいるのです。
時にはたくさんのものを手にしたり、あるいはまた失ったりしながらゲームを楽しんでいるのです。 ですからもう、スピリチュアルな探求は終わりです。
頑張らなければならないことは残ります。
ちゃんと今に在ることは頑張らないといけません。
イメージの中の状態になりたい、それを現実化したいと頑張るのではありません。
「私」はすでに「さとりを開いた者」なのです。 ジーヴァカがアレフに行ったってマジ?やべーやつやん
クシティガルパも親と仲違いしてたけどどうなったんや
童貞宣言してたアーナンダは親にも親類にも拒否られたらどうなるんや?
ミラレパはアレフの女と結婚してたよな?ミラレパもアレフ行きやん
やべーわアレフ コフートと アインシュタイン犬は一緒に仕事したことあるそうだぞ。 >>703
それは知っている。よーくわかっている。
わかっちゃいるけど止められないのだ。 コツとか持ってる人がいらっしゃれば助言をいただきたいのですが、
アドラー心理学と、どうしても叶えたい目標の相性のことで若干躓いてます
先ず前提を言うと所属感を得るための貢献感を得る手段として、他者貢献を行うということと、
自己の目標が競合的なら協力的な意味づけができるものに変更していく手段があるだけど、
距離感の違いとして、目の前の他者貢献の機会よりも自分の目標を優先した場合に逆に罪悪感が先に立つ場合もあります
この罪悪感は貢献感を下げる効果があると感じてて、つまり目の前の他者貢献の優先度を下げることで
目の前の競合的な意識が生まれているのだと感じているんですが、実際にそれがあることによって
自分の活力に影響があると感じているので、仮にその感覚が真だと考えて対処法を考えたいです
抽象的な答えを言うと、長距離的な協力的目標と目の前の貢献との競合している箇所から
協力的な対処を見出すのが理想だということは思いつくのですが
それができてしまえばシンプルなのかも知れないけど、現状の目線からだと複雑に感じてしまいます
こういう考え方が有効だよっていう事例などがあればご教示いただきたいです >>716
どうしても叶えたいってさ
いくら協力的なものに変えようと頑張ったって要は自己執着ではないかな? >>717
それを言ってしまうとそうなのかも知れないのですが、
例えば命が脅かされている状況で、どうしても生き抜きたいという自己執着を
みんなで生き抜こうという協力的態度に変貌させることはできると思います
極端な事例ですが昔誰かが言ってた様な、雪山で遭難したグループのうち一人が致命的なケガをしていたとして
その一人を見捨てれば間違いなく助からず、離脱させなければ他のメンバーまで危なくなってしまうという選択の場面では、
仰る様な自己執着と、目の前の貢献感とどちらをとるのか?ということになるのではないかと思います >>718
そしてこの事例で言えば、>>716の考え方に基づいて
僕なら怪我人を離脱させる選択と、連れては行けないが他に叶えてほしいことはないか?という
話し合いによる協力、貢献という形を選ぶと思います
ただ、単純じゃない場合の方が多く感じているという状況です >>719
見捨てる人が見捨てられる人に叶えて欲しいことを聞くのは嫌がらせだろw
それは見捨てる罪悪感から逃げるための自己欺瞞だよ
見捨てられたら死ぬ人が望むことは見捨てないで欲しいことだけです >>700
ではあなたは全員が死ぬことになるとしても、最後まで一人残らず見捨てないことを選ぶということですね
そういう方がいらっしゃるのも別に否定しません 危険になるかもしれないという仮定の状況で見捨てる人は薄情な人だな
そんな状況で見捨てたら間違いなく周りは疑心暗鬼になって自己中心的になるだろう >>722
この例え話では、見捨てないと全員死に直面するのが自明な状況のヨーロッパで有名な話ですね
その例え話では、怪我をしたメンバーが用事を思い出したと雪山の中に消えていき、
他のメンバーは誰もそれを止めなかったという、過酷な登山の現場を表す為に使われる話なんですよ 自分の目標と目の前の貢献ではどちらがより全体の利益になるのか考えればいいじゃん 海猿の話でも生存率が高い人を優先して生存率が低い人は見捨てる選択をとるべしという話が出てきますよね
薄情かも知れないし何が良いか悪いか分からないけど、俯瞰して共同体の為に建設的だと思える行動をとるしかないと思います >>725
その結果生じる罪悪感への対処について質問したかったのです >>727
·判断が間違っている
·目標を叶えることを諦める
·アドラー心理学をやめる
罪悪感があるならこのどれかだよ >>728
そういう答えがあっても良いんですけど、根拠とか理論とかあれば知りたいです
例えば、戦争の時代に自分は戦争に加担しないという選択します
結果、家族や友人やその子供たちが殺されてしまいます
自分の中では全体の為に正しい選択をしたことが、罪悪感の種になってしまいます
アドラーはそういった問題と向き合って個人心理学を発展させてきたのだと思います
その場合はそのどれが該当するのでしょうか 「トロッコ問題」や「臓器くじ」みたいな道徳や倫理のジレンマやよね >>729
最善の行動をして罪悪感が生まれるならそれを受け入れるしかないだろ >>727
罪悪感ってことは陰性感情でしょ?
陰性感情には競合的な目的があると考えるわけだよね
てことはその「どうしても叶えたいこと」というのは表面的には協力的であろうと頑張っているのかもしれないけど、自覚できていないだけで競合的なものなんじゃない? >>731
つまり>>716への答えとして、そこの競合的な性質から協力性を見出すという選択肢はありえず、
対処法はないから受け入れろということになるんですね
ご提案としてしばらく考えてみたいと思います >>732
そのご質問への答えが>>718-719だと考えています >>727
死ぬことが絶対悪だという考えにとらわれているからでしょう
死ぬことすら貢献であり得る、というのが妥当な考えでは? >>735
確かに事後の罪悪感への対処は、例えば仰る様な形をとるなど、認知を変えるしかなさそうだと思えます
ここまで話してみて自分の中で整理されてきたのは、どうしても叶えたいもの(自己執着)を肯定する為に
アドラーを利用した自己欺瞞を重ねていることが罪悪感を生んでいるという可能性についても
改めて振り返る必要はあるとも感じます
ただし個人的には、どうしても叶えたい(自己執着、競合的)⇒みんなで良くなろう(共同体感覚、協力的)への変貌は
自分や他のだれか全体をとるという競合的な方法によって成されるという認識ではなく、
相互所属の為の努力によって成されるものだと考えるので、どうもこれまでの回答は功利主義的に感じてしっくりきていません
全体への貢献の為に小さな貢献は切り捨てるという考え、マジョリティが善でマイノリティは仕方がないと考えよ
またはその逆に、マジョリティの為にマイノリティを犠牲にせよと言われている様な感覚です
罪悪感(自己執着)もまた、この次の貢献の為に役立てる糧にしようというのがこれまでの考え方だったことによる今回の質問だったのですが
回答を見て混乱をしているので、しばらくは自己変容をさせるための整理期間が必要なのかもしれません >>736
> 自分や他のだれか全体をとるという競合的な方法によって成されるという認識ではなく、
訂正
自分や他のだれかを犠牲にすることで全体をとるという
競合的な方法によって成されるという認識ではなく、 ちなみに、言いたいことを伝えるのにどうしても長い文章になってしまってることと
それを下手に少なくしようと難しげな言葉を使ってしまってて申し訳ないです 「どうしても叶えたい目標」というのは「所属」だよ
あなたがどうしても叶えたいと言っている目標は、所属のためにあなたが自分なりに考えついたストーリーの中の仮想目標
変えてこだわりを捨てても全然問題ないはずだよ
きっと思考の中では反発がすごくて納得できないだろうけど
ここでこだわりを捨てることが、アドラーの言う勇気だよ >>739
質問させて下さい
例えば、あなたが母親だとして、暮らしが立ちいかず子供を施設に預けます
その母親の絶対に叶えたい人生の目標は子供達の幸福な人生です
諦めて別の所属を選ぶということは、子供達の幸福を諦めて自分の幸せを追求することかも知れないし
協力的な目標への変容は、施設に対してできるだけの貢献をすることを人生の糧とすることかも知れません
具体的な答えはどの様なものだと思いますか? >>740
その目標は現実的じゃないと思う
子供が幸福な人生を送ることができるかどうかに母親は干渉できないから
自分が経済的に自立して子どもが受け入れてくれるなら一緒に暮らすように頑張るとか、生活保護とかの社会保障を利用するとかが現実的な目標かと >>741
まあそうかも知れない
その為に頑張ってる状態で、目標をさらに変えるとしたらどうなんですか? >>736
アドラー心理学やめたら?
共同体感覚が気に入らないようだし >>737
自分や特定の他者を犠牲にする全体への貢献というのはおかしいだろ
全体は自分や特定の他者を含めて全体になるんだぞ 自己犠牲をする人は自分も共同体の一分であるという意識に欠けている
自分は特別な存在であると考えている >>716
罪悪感というのは、劣等感の一形態だと思いますよ。
つまり、自分が頭の中で理想として描いている姿にリアルの自分が追いつかない(劣等感)ために、自分は悪い、と裁いている状態。
あなたの文脈に沿って言い換えると、本来、利他的であらねばならないのに、
自己目標=利己を追求してしまう自分がいるので、裁く感情が起こるということじゃないでしょうか。
私はそうした状態への解決策を、「剽悍無比な協力性」と呼んでいます。
だいたいにして、完璧な協力的行動というのものはあり得ません。
世の中には数多、意に沿わぬ形での貧困世帯や自殺者らがいます。彼らは私達の認識し得ない場所で勝手に同時進行的不幸であり続けるんですね。
自分が神さまでもない限り、彼ら全員に救いをもたらすことはできません。
だから、利己的であることはしょうがない。人間である限り。
自己受容と言い換えてもいいですけど。自分の無力に開き直ってやっていくしかないんですね。
ここで理想主義的になると、自分を裁くスタンスが出てきて、罪悪感になります。
あのキリストだって、ご飯を食べている時間は福音の言葉をつむぐ口が塞がったはずだしw
毎日毎日、食事をしている時間でボランティアができるのに、と罪悪感を覚えていたら餓死しちゃいますよね。だから認めます。
自分もメシは食べたい、そうじゃなきゃ死んでしまうとw それで解決です。
貢献と受容は不整合なんですね。役に立ちたいと思いながら、アドレリアンは常に力不足である。
だから自分の実績ではなく方向性を認めていく必要がある。
自分で善いと思える意図をもって、か弱い自分にできる範囲で、
強く賢く協力的に立ち回っていたら、それでよくやったと言ってあげて思います。
造語ですが、私はこういうスタンスを剽悍無比な協力性と言っています。 >>743
共同体感覚の大ファンなんだけど、どこを見てそう感じました? >>745
同じ意見です
みんなからのレスからその逆のように言われてると感じたんです >>747
すごく説得力があり共感できるし楽になりました
確かに罪悪感は自分を裁いている結果に他ならないですね
ピースがはまった感じがします >>747
凄すぎる。
5chレベルでこのように素晴らしい意見に巡りあえるとは思わなかった。 >>747って以前自分に「嫌われる勇気」以外の著書を薦めてくれた人のような気がする
時々草はやすしw
もうコテ付けてもらいたいくらいです >>752
アドラー心理学では褒める行為を禁止しています >>747
アドラー心理学では利他的であらねばならないと考えているのに利己的な行動をしてしまうという葛藤を認めません
この場合は利己的な行動をする自分を擁護するために利他的であらねばならないという考えを利用しています
全ての悩みは対人関係上にあるという観点からおそらくその方は利己的な行動をするけど周りからは利他的な人物だと思われたいという目的を叶えるために罪悪感を生み出しました >>757
褒めることで自分に都合の良いレスをさせるように促します
5ちゃんで典型的なのは身体を公開する女性を褒めることでもっと過激に身体を公開させるように促します >>751
あなたは周囲から利他的な人物であると思われるために罪悪感を使っています >>753
自分で読む本一冊選べない時点で終わってるんだよ 大人が承認欲求とか褒めてくれ等というのはアドラー的にはおかしいとしても、
褒めることは、受け手がどう受け取るかでしょう。
つまりは、その誉め言葉をどう受け取るかは受けての課題だと思うんだよね。
もちろん、学校などの組織では競争原理などになりやすくなるのでよくない。
まして子供には教育上よくない。 褒めるのではなく、感動を伝えるといい
>>752は褒めているというよりは感動している >>765
感動はしてなくて、いい意見だと思ったらどうしたらいいのですか? いい意見だと思った
勉強になった
疑問が解けたありがとう
でいいでしょ いじめされたまふ いじめられたまふ 受け身はいるとか、敬語不足とか。 大踊りしながら町中を駆け巡りたいよなあ。宇宙域の六本ストリートで。 来週はデイケアで冷麺です。ジークフリトリートダンサー風に。 好くと発狂して 嫌うと、ボケるよね。つっこむと木津ついて、退席すると落ち着く。 急に常連の荒らし達が蘇ってきたな
使徒達の宴、蝕でも始まるのか >>765
凄いという言葉は評価を表す言葉であり感動を表す言葉ではありません >>768~774 >>778
よそでやって下さい 褒めたらだめは嫌われる勇気オリジナルか日本オリジナルだろうから
ここは納得できない人は除外すればいいのでは
実社会でほめることなしは現実的でない
計画経済みたいに理想的な人間ばかりが想定されていれば理論上は可能かもだが >>782
アドラー心理学では褒めるのではなく感謝を伝えます >>782
褒めない叱らないはドライカースからだよ
褒めない代わりに勇気付けるとという観点が抜けてるから、「実社会では〜」なんて論点がそれてしまうんだよ
感謝を示したり、長所を指摘したり、横の関係を意図した勇気付け的なコミュニケーションはどんどんやるんだよ >>787
意味が分からないので説明をお願いします >>782
部下「〇〇様との商談がまとまりました!」
褒める上司「よくやった。これからも期待してるぞ!」
勇気付ける上司「やるなー。君の頑張りに元気をもらったよ。俺も頑張らなきゃな。」
褒めない上司「了解。で、次の仕事なんだけどさ、」←これだと思ってるでしょ? >>785
学校教育としても中学校ではもう無理なような
中学受験するような小学生も難しい アドラー心理学で社長に上り詰めたとか上場したとか聞かないな
東大に合格しましたさせましたというのも聞かない アドラー心理学を使って成功者を目指すようなことを謳ってるのは似非アドラーだってある人が言ってたよ お金や地位権力みたいな意味での成功とは別の文脈で存在する心理学だからあたり前やな アドラーの基本テーマは
人間の行動原理は権力への意思である
権力への意思は共同体感覚で代替できる
だから普通に考えたら成功者からは遠ざかる人の方が多いんじゃないか? >>797
そうやね
個人的には権力に向かう社会通念からドロップアウトする為の心理学だと思ってる まあより社会の役に立とうとした結果社会的成功をおさめちゃった人はいるとして
その人たちがアドラー心理学を実践したわけではなくともアドラー心理学的だと見れるから
アドラー心理学を使うと必ず成功しないと言い切ってしまうとまた違うとは思う >>801
先取りしてラインを明確にしてみただけだからそこは普通にスルーしてもらえると助かる 横関係の人でも褒めることあるし、
操作目的でなくても褒めることはあるよ >>803
そんなことないんだよ
協力的な暮らし方を身につけた子どもは上手に競争を楽しめるようになる 最近というか癖としてどうしても自分を呪う言葉が一人になると口を突いて出てしまいます
環境のせいにはしません、環境は全て自分が作り出したもの、自分が悪なのです
人生を諦めるには長すぎるとは解ってますしそう諦めないですし
そうは言っても絶対に自分を好きになることはないとも思ってます
常日々自分の無能さを思い知り自分には生きる資格がないと最終的にはそこに帰結する
結局人生の責任を取ることから逃げているのだとは思います
甘えまくっているこの考えだからこそ生きる資格がないのだとも
他の人ならば当たり前なのに
アドラーを学んでも常に自分が周りを敵にしてしまっている
自分が自分の人生を生きようとしないから生きている意味があるのか…と >>807
アドラーにはまると究極は自己責任になるから
そう考えるのも仕方ない >>786
自分で自分を褒めるのはいいのでしょうか? >>876
どんな時も、人生には意味がある。
あなたを待っている誰か≠ェいて、あなたを待っている何か≠ェある。
そしてその何か≠竍誰か≠フためにあなたにもできることがある。 >>810
自分を褒めるのは褒める人と褒められる人が同一人物だから操作的になる弊害がないのでどんどん褒めておけ >>809
一見自己責任に思えるかもだけど
むしろ究極は自己責任にはならなくね?
責任をそれぞれが分担して協力してるとするわけだから >>812
それはアドラーの全体論として矛盾してますよ。
褒める自分と褒められる自分がいることになりますから。 >>814
全体論は部分が存在しないという意味ではなく、部分と部分が協働関係にあるという意味です
ちなみに自分を褒める事は>>812の理屈で岩井さんが大いに推奨してます
岩井さんはアドラー心理学の本流ではないと思うので異論は認めますけど 多くの人々が、あらゆる物質に中毒になっています。
中でも最も重症な中毒症は「思考中毒」です。
なぜなら、人々は中毒になっていることにさえ気がついていないからです。
お酒や煙草、食べることをやめられないのと同じように、考えることがやめられないのです。 考えることを完全にやめるという意味ではありません。そうではなく、条件付けられた思考、止まない頭の中のおしゃべりの奴隷になることから自由になることです。 >>807
ある一定の水準に達したら好きになれるとお考えなのかな
まあそう考えて足りないところを探してしまうのも仕方ないのかも知れない
オススメなのは、演技でも良いから毎日自分を許したり褒めたり感謝したりの言葉をかけたり
自分で自分の頭を撫でたり心の中の弱い自分を抱きしめる様に自分を抱えこんでみてほしい
最初は違和感あるかもだけど、そうする自分を自然と受け入れられるようになってきたら
だんだんと他者貢献による貢献感も増してくるんじゃないかと思うよ >>807
自分には生きる資格がない
なんて自分で決めることでもない
神様に委ねる性質のものでしょ 資格はあっても権利は剥奪される場合があるということでは?
法を犯せば法で守られる権利を剥奪される様に 少し質問です
自分について最近気付いたのですが、自分は自立していないのかと思って悩んでいます
まず方向音痴で、あまり来ないような道だとすぐに迷います。
これも「誰かに頼る」という目的があるからと考えています
髪の毛をよく触るクセもあります。
なにも手入れをしていないときは触らないのですが
ワックスなどでセットした後の毛束になっている部分などを触ってしまいます。
これも髪の毛を触ることで「誰かに守られている安心感を得たい」という目的があるのかなと思いました。
最近はこのクセが本当に嫌で、でも気付いたら触っています。
たまに爪を弄るクセもあります。
共通しているのは気になったら無意識でやってしまってるくらいになっているということです。
これはアドラーとは違いますが軽度の強迫性障害?というやつなのかなとも思っています。
長くなって申し訳ございません、まとめると
1.今の自分は自立していないのではないか?そうであれば自立したい
2.無意識でやってしまっている癖についてのアドラー心理学的なご意見を聞きたい
です、宜しくお願い致します。 >>826
>1.今の自分は自立していないのではないか?そうであれば自立したい
アドラーで言う自立とは、共同体感覚で生きることだと思うので
とりあえず自立しているかどうかは気にしないことを含めて自分を勇気付けを行い、
共同体感覚を育成していくのが良いのではないかと思います
ちなみに、近年の心理学界隈では自立とは依存の対象を特定の範囲から
多方向に広げることだと定義されつつあるそうなので、
自己執着から共同体感覚に変革させるということでつじつまが合うと思います
>2.無意識でやってしまっている癖についてのアドラー心理学的なご意見を聞きたい
>まず方向音痴で、あまり来ないような道だとすぐに迷います。
私も方向音痴ですが、Googleナビに頼って頑張っています
基本的に、得意不得意の範囲のことなんじゃないかな?と思ってますが
頭の中でMapを描ける人への憧れはちょっとありますね
つまり、気にしなくても相互協力的に生きることで解決できるのでは?と思います
>髪の毛をよく触るクセもあります。
>たまに爪を弄るクセもあります。
癖があるのは全体論的なメリットがあるからで、自分にとって望ましい方法で
目的を達成する様な方法を作るのが良いと思います
「誰かに守られている安心感を得たい」は究極そうなのかも知れないですが、
セットした髪の毛を触ることで「人から良く見られたい」とか
「欠点を露呈させないでいたい」という願望もあり得るんじゃないかと思いました
そしてそれは別に悪いことではない様に感じます
まあ、それを直すとすれば共同体感覚によって代替え的に叶えられることになりそうですが、
髪型をセットしないで人前(信頼できる人)に出る癖を付けると自己受容や、
他者信頼への刺激にもなるかも知れません >>827
すいません言うの忘れていましたが、僕は以前に相談させていただいた音楽やっているものですw
1.自立というのは一般的に使われる意味でのもののつもりで書きました。
2にも繋がる話なのですが、「誰かに甘えてしまっている」現状が問題があるなと認識していまして。
というのも、音楽の専門的な話になって恐縮ですが、演奏をするときに例えばリズムを他の演奏者に任せてしまうのです。
これは僕の師匠曰く「他のプレイヤーにおんぶだっこしてもらっている状態」で
本当に良いアンサンブルをするためには、まず自分が一人でも完結するように自立していないといけない、と言われました。
それを踏まえると、日々の行動からも他人任せというか他人に甘えてしまっていることが多かったのかなと思ったのです。
そういう意識を改善することで自分の音楽にプラスになるのでは、と考えて今悩んでいます。
申し訳ないです、この前提がないとダメでしたね(^_^; >>828
お久しぶりですw
リズムを取るのが自分の課題であるのに関わらず、他者に依存している現状から脱却したいわけですね
あくまでアドラー心理学として考えていくと、まあ恐らく、
リズム取りは一人で完結するものではなく、メンバー共通の共同の目標ということだと思いますが、
その役割分担の一旦を担えていない現状からレベルアップすることで
アンサンブルの中で貢献したい、という話になるのだと思います
解決についても単純に自分一人でもリズム取りができている状態を目指して
演奏の練習をするのが良いのでは?とも思いましたが
>>826->>827の内容を踏まえると、「欠点や失敗の露呈に対する自己受容、他者信頼」が
テーマになりそうだと感じました
先ずは完璧なリズム取りのできない、不完全な自分を受け入れつつ、
アンサンブルの中で最初はリズムを乱すかも知れない可能性について
みんなと合意を取るなどの方策によって今後の練習による習熟が増すのではないかと感じました >>829
お久しぶりです、いつもためになる意見をありがとうございます。
>解決についても単純に自分一人でもリズム取りができている状態を目指して
演奏の練習をするのが良いのでは?とも思いましたが
もちろんそう思いますし、練習もしているのですが
全体論?の考えから、普段の行いを変えていくことにも意味があるのかなと思い>>826のようなことを考えました
欠点や失敗の露呈に対する自己受容、他者信頼、は確かにその通りですね。
僕のまだまだ至らない点であることは自覚しています。
>みんなと合意を取るなどの方策によって今後の練習による習熟が増すのではないかと感じました
言い方によったらそれはいいわけというかものすごく格好の悪いことになるかもしれないですね。
「自分は上手く出来ない、下手ですけど」と前置きした状態で一緒に演奏してもらう。
ある意味保険をかけていると思われる危険性もあるのでは?と思います。なまじ僕も一応趣味の枠を越えて活動しているものなので尚更です。
ですが、今僕が書いたことは多分にアドラー的ではありませんねw
もっと良いやり方ももちろんあるのだと思います 嫌われる勇気のドーン形式で付け加えると、音楽家としてリズム取りに問題があるという欠点から目を背ける為に
他人に甘えて自立できていないという言葉を利用していると考えることができます
そうではなく、自分の課題となる仕事にそのまま向き合うために、
自分の欠点をそのまま受け入れ、立ち向かう姿勢が必要になるのではないかと思います
その欠点を受け入れて立ち向かうためには、師匠や他のメンバーから許されないという認知を変えて
自分の欠点克服の為にみんなは協力してくれるというライフスタイルに変容することが効果的だと考えます
さらにこの他者信頼、自己受容を育てるためには、共同体感覚の育成が重要になるので
アンサンブルの中で自分のリズム取りの課題に取り組むという合意を得ることに加えて
自分がどのようにリズム以外の項目で役立っているのか認識して自分を勇気付けるのも効果的だと思います >言い方によったらそれはいいわけというかものすごく格好の悪いことになるかもしれないですね。
ここは趣味の枠を超えた音楽家として猶更難しい問題なのかも知れないですね
個人的には、自分の欠点や、それに対してどう取り組んでいるのかをそのまま伝えることで
プロとして課題に対して甘えのない状態で且つ、協力関係を結ぶことができると感じているので、
一度勇気を出してみんなにそこに取り組みたいという自己開示(謝罪を付けてもいいかもしれません)を行ってみるのがお勧めに感じています
あえて現実的な基本を申し上げると、練習中は失敗しながら克服することに利用し、
本番は完成度、クオリティを高めることに全力で貢献するという流れになると思います >>831
なるほど!
自分はちゃんと考えていると思っていたことが実は自己欺瞞だったのですね
これは言われなければ気付きませんでした。
ありがとうございます!
ライフスタイルを変えるべく努力します!
全て腑に落ちました。 >>832
>一度勇気を出してみんなにそこに取り組みたいという自己開示(謝罪を付けてもいいかもしれません)を行ってみる
これというのは「僕はリズムが甘いので、みなさん協力してください」みたいなことを言うということですか?
「どうせ僕なんかリズム悪いし…」じゃあダメですよね。
「僕はリズムが悪いです!でも頑張ります!」はどうなんだろ
色々な言い方がありますね(^_^;
すみません、最後の2行少しよくわかりませんでした。
利用するというのは「他者の協力」を利用するということですk? >>834
> 「僕はリズムが悪いです!でも頑張ります!」はどうなんだろ
これ良いと思いました
「リズムの良くない箇所に気付いたらどんどん指摘してください」とかも有りかも?と思います
> 利用するというのは「他者の協力」を利用するということですk?
単純に練習時間を利用する、という意味で書きました >>835
そうですか!
実は最近も気付かないうちにこれと同じ事をやっていたみたいで
自分よりも年下の自分よりも優れたプレイヤーに、ダメなところを指摘してもらって、改善策も教えてもらったりしました。
もちろんそれは中々精神的にダメージがありましたがw
結果的には以前よりも改善出来てきたように思います
>単純に練習時間を利用する、という意味で書きました
ありがとうございます意味がわかりました(^_^) >>836
> 実は最近も気付かないうちにこれと同じ事をやっていたみたいで
そのご経験は今回の対応にうまく役立ちそうな感じですね!
こちらこそありがとうございました
お話を伺っていて、自分にも当てはまる部分があるなと我が身を振り返る良い機会にもなりました
またやってみてどうだったのかシェアいただけると嬉しいです(^^) >>833
努力はやめなさい
努力しなくても出来ることをしなさい >>838
努力しなくてもできることをするのはやめなさい
変わらないための努力を全力でしていることに気づきなさい
変わらないための努力をやめれば人は必然的に変わることを知りなさい >>837
シェア、もちろんです!
今回思ったのが、自分が目的だと捉えていたことが実は自己欺瞞の考えだったというパターンもあるということですね
というかそういう解釈もできる、ということですね >>839
努力しなくても変化を起こせることに気づきなさい
苦しい思いをしなくても楽になれることに気づきなさい >>840
シンプルに考えてみることで本当に問題がシンプルになるっていう考え方は
確かにアドラーっぽいと感じました
複雑に考えてる時ほど自己欺瞞が隠されてる場合も多いしこの考え方は役立ちそうですね
結果のシェア、楽しみに待ってます♪ >>838
それはあなたの考え?
アドラーはどんな時も人の行動は劣等感補填のための努力である
というのが基本前提だよね? 努力の行動だろうが努力じゃない行動だろうが、自分がワクワク楽しめる何かから始めてみるのは意外にオススメかな 努力は行うことの喜びや楽しみを奪います
努力は現在を未来のための犠牲にします
努力は今の自分を受け入れられない人がすることです やる前は億劫で自己犠牲の努力だと感じる内容でも
やってみると意外に楽しくて自律神経を整えたり毎日が楽しくなる様な行動もあるから
一概には言えないと思ったりするけどね〜 >>849
認知論〜結果論的にそうなるよねって話しね 例えば野球の練習、素振りや守備練習は完全に努力だけど、
上手くなっていく感覚は実に楽しいものだしね〜 >>836・>>837
ビートルズと、ピート・ベストの話を参考にしろ >>851
練習を楽しむ人もいます
目的のために苦労して練習をする人もいます つまりは、楽しくなければやってはいけないなんて理論はどこにもないわけで
アドラーは目の前の楽しい欲求を叶えることよりも、理性的に建設的な生き方を選ぶ勇気を推奨したとも言える >>855
そもそも楽しくなければやってはいけないという理論がありません >>850
あなたは時間がズレています
私は行っているときの話をしているのに対してあなたは行う前の話をしています >>855
そもそも楽しいことをしなければならないという理論がありません まあ努力云々は語弊があるが、言わんとすることはなんとなく分かるわ 苦しまなければ対価を得ることはできないっていう認知の人とか
そういったブラック企業的なコモンセンスも存在するしね 極論かもだけど>>847は一理あると思ってしまった 未来のために行動をしてはいけません
今のために行動をしましょう
今の積み重ねが未来の目標に繋がり今の質の高さが未来の質の高さに繋がります >>863
そら売れてる本のコピペだからそうだろうな >>860
苫米地じゃないよエックハルトトールのコピペだよ >>865
なんて本?
嫌われる勇気にこんな文章あったっけか アドラー的な教育をしたらガキ大将とかはいなくなるのかな? アドラー心理学はガキ大将心理学と言われているみたいな内容をどこかで読んだことある気がする
うろ覚え アドラー自身がガキ大将だったときいたことがあるが、
くる病やら声帯の痙攣やら、肺炎にかかったりあまり、体は強くなかった
ようなので本当にガキ大将だったかは疑問。
友達との関係が横の関係ならガキ大将は出現するのか?
子供なりのルールを作って民主的に行うにしても仕切る子は出てくるだろうけど。 それも聞いたことあるけどそこじゃなくて、ロジャースとかの心理療法と比較してアドラーはみたいな感じ 因みにおれが子供の時に同級生で権力を持っていた奴は、ガキ大将ぽくなく
ケンカも強くなく、勉強もできるわけでもなかったが、
ただ、人を無視したり、仲間外れにする能力が高くて、皆からゴマをすられていた。
やはり、所属なんだと思う。
ひょっとしたら、アドラーも同じタイプだったのかも知れない。 >>874
どんな意味か良くわからないけど気に障ったならすまなかった >>797
野田さんの本で金儲けの話あったよな
金儲けしたいけどなかなかうまくいかない→実はクリスチャンで金儲けに罪悪感を抱いていた→金儲けを共同体への協力行為と見做すみたいな方向に変えていきましたよみたいな >>871
野田さんも仲間内でバチバチに喧嘩するけど共同体感覚が底にあるから大丈夫みたいな話ししてたし
聖人君子みたいなのを生むような心理学ではないだろうな
アドラー心理学は生意気な子供を育てますよ云々書いてるし
こう書いちゃうと嫌われる勇気の勘違いみたいなのされそうだけど
人間に対する許容度が高い >>871
出現するでしょ
横の関係をなんだと思ってるの? >>880
アドラー自身もフロイトやフロイト派やフロイトの考えをボロクソに貶しているので善人を育てる心理学ではないでしょう >>881
>>横の関係をなんだと思ってるの?
質問に質問で返すとか、口げんかの勝ち方系の本でも読んだの?
自分なら、「ガキ大将でも役割だから対等なんだよ。」と回答する。 >>883
横からすまんが質問に質問で返すというよりは、質問に答えてから質問してない?>>881 答えたことになってないんじゃないの?
「横の関係なのにガキ大将がでるか」という問いに、
「出る。」だけでは横の関係について述べてないので。
例えば>>883のように「ガキ大将も役割だから」という横の関係への見解もなしに
質問で返してるから、質問に対して質問で返してる。
それならレス返さない。という人もいるかも知れないから、それでもいいとも思うけどね。 【がき大将】あるいは【横の関係】のクオリア問題的な 横の関係なら、
家族・親戚・友達はもとより、
私達と総理大臣は対等。
私達とオウム死刑囚も対等。
上川法務大臣とオウム死刑囚も対等。
殺す者と殺される者なのに対等。
受け入れられる? アドラー心理学では俗に言う社会的ステータスや地位で人間の価値を測ってないんじゃないか
別にものさしなんかない
上下関係は単なる分業で責任と権利の大きさの違い >>892
放置しておいてもよかったのに。
このスレの住人はその手の話好きそうだし。 かわいそうな動物を減らすために、去勢避妊しましょうっていうけど。
生まれないことで不幸を回避するって考え方は
生き物としてダメだと思うんだ。 努力しなければ幸せになれない
のではなく
幸せは感じるものと岸見先生の本がありますね
つい過去の努力しなかった勇気を出せなかった自分を責めてこれからの未来の不安を覚え
現実の今日はがんばっては居るけど頑張っていればいいというのは社会のなかでは許されないことだし…
今自分でやれてることは他者を変えようとしない
他者の悪口陰口を言わない
ですかね 仕事で
自分は上司に怒られることは確かに怖いが
もっと気持ちを掘り下げて考えてみると
失望させたくないのだという答えに行き着きました
褒められたい訳ではなく仕事が円滑に進めばいい、その為に自分が止めてはいけない
と
何が大事なのかを忘れているから…でしょうかね 昔の話ですが、僕は失望さ「れ」たくない、の方でしたね。
仕事も足を引っ張っていたので、自分が無能だという劣等感が半端なかったです
結局その仕事は辞めて、今は自分の好きな事をやっていますが、これでよかったと思っています 別に深く考えてないしふと疑問に思っただけだけど
好意のある人に告白するとときって
「つきあってください」だと自分を下にする縦の関係な気がする
かといって「つきあいませんか?」だと逆に自分が上からになる?
「つきあってくれませんか?」がアドラー的にはベストなのかな、とか思った >>900
恋愛下手すぎ(笑)
恋愛は駆け引きなんだよ
上になり下になりセックスと一緒だ
アドレナリンは騎乗位も許されないだろうな(笑) >>899
自分はそのどっちも、ですかね
探し物が見つからなかったり、意図を上手く汲み取れず2度聞きしてしまうとスゴく焦ります >>904
決めつけっぽいくてよくない
あと直接的な表現は避けた方がいい
Shall we sex?
がいいだろう レスありがとうございました
深く考えてないとか言いつつも実は今日告白して、結果上手くいきました
アドラーとか別にどうでもよくなったんですが、出た言葉は「くれませんか」の方だったと思います GWは山口メンバーをネットで叩いて過ごしていましたが、
この連休は、被災地の人たちが猛暑のなか片づけをしている様子を冷たいコーヒーを飲みながらテレビで見て楽しく過ごしています。
これでいいのでしょうか? >>910
被災地に何も出来ないなら娯楽として楽しむほうが建設的ではないですか? 被災者の苦しみが第三者の娯楽になることは他者貢献なので世界がハッピーになると思います!! 被災者···苦しんている姿を第三者に提供する←他者貢献
第三者···被災者が苦しんでいる姿を楽しむ←幸福
アドラー的にはなんの問題もないでしょう 流される映像をどう受けとるかはそのヒトの課題だけど
被災者は今の状況を改善していこうと努力しているのであって
被災外の人達は募金やボランティアでもいいし、それらをしなくても自分も防災に備える
それすらしなくても自分が苦しいときにもっと過酷な状況にある人達の事を思う
によってそれぞれの貢献になるのかなぁと
メディアもそれぞれ意思はあるけれどとにかく伝える事が仕事だしな >>914
被災者が苦しむ姿を楽しみたい→テレビを観る→CMを観る→経済活動になる→貢献
被災地被災者を娯楽の対象にすることで生まれる貢献もありますよ 世界平和を考える暇があったら家族サービスするといいよ >>916
何がつまんないですか!?
他者貢献と思って教えて下さい!! >>919
何がつまんないですか!?
他者貢献と思って教えて下さい!! わざと被社会的な価値観を持ち出して煽りたいのだろうなとは思うけど
他人の不幸を楽しむために事件事故災害が流れている
他人の不幸は蜜の味か >>921
煽るつもりはないですよ
より大きな共同体、全体のことを考えたら何もしないよりも被災者を娯楽にして楽しんだほうが利益があるでしょう
楽しむという点で利益がありますし情報を得ることで情報の媒体にも利益が出ます より大きな共同体の一部として考えるならやるべきことをはただ一つだよ
目の前の人と協力的に暮らすこと 被災者の頑張る姿は世間に貢献してるだろうけど
他者の不幸を喜ぶのは競合的な感情だから協力的な態度に変えて
何かやってみようって考えるのがアドラー心理学やな 他者貢献を他者に求めるのも競合的態度やから
常に私が協力的であろうという態度に変えていこうっていうのもアドラー心理学やしな >>888
浅い!浅すぎる。
「待ってました!」とばかりに書き込んだわりには、浅すぎる。
>>887が>>892で釣りだと言って議論をやめさせたのもよくわかる。 >>926
「待ってました!」って
1分も立たないうちにレス返してるからな。まさに、そうだな。 >>923
本来キリスト教で言うところの「隣人愛」ってそういうものらしいよね
世界を平和にしたいならまず隣の人を愛しましょうと
何故か関係の近しい人という意味「だけ」になってしまってるけど >>931
違いますよ
キリスト教の隣人とは隣の人や近い人ではなく他者のことです キリストの隣人愛は自己と他者から解放し万物を意識させるための言葉です 世界平和のためにできることですか?
家に帰って家族を愛してあげてください。
マザーテレサ マザーテレサを尊敬する人は少ないだろうな
死後に裏の顔はどんどん公開されているし マザーテレサを尊敬する人は少ないだろうな
死後に裏の顔がどんどん公開されているし 僕はマザーが取り上げたアッシジの聖フランシスコの祈りが好きです。 神経症持ちで頭痛がひどいです
よく派遣の仕事を休みがちでその都度行きにくい気持ちになります
2日続けて休んでしまい明日行きづらいんですがどのような心構えが必要ですかね? >>940
無断じゃないんでしょ?だったら気にせず行けばいい。 >>942
ですよね
なぜか気にしてしまって…
勇気ですね >>943
ていうかね、あなたが気にしているほど他人はあなたを見ていない。
自分の事を気にしているのは自分だけだ。
だいたいの人間がそんな感じ。 >>944
はい…
アドラーの本何冊か読んでわかっているつもりなんですが、なかなか変わらないでいました。
ありがとうございます >>815
本のタイトルを教えて頂けると助かります。
自分を誉めることは、いいことだとは思うのですが、
嫌われる勇気では「私は強い。」「私はできる。」は
優越コンプレックスに、繋がるとあります。
自分を誉めることは、誉め方とか、注意しなければならない点もあると思いますので、
そのあたりを踏まえた上で実践していけたらと思っておりますので宜しくお願いします。 >>929
このスレには深い議論ができない、浅い話しかできない人しかいないと思っているのかな? うん
だからさ深いとか浅いとかその人の認知の問題だよね
ようは思い込みだよね、決めつけだよね 深い、浅いの問題ではなく考え方の違いと思うんだけどね。
ざっくり書くと、
死刑囚:理由(原因)があって殺した。
法:殺したという理由(原因)があるから死刑に処する。
(原因論に立する。)
死刑囚:目的があって殺した。(と、法は考える)
法:死刑は凶悪犯罪の減少という目的に繋がらなかった。死刑を廃止しても
凶悪犯罪数は変わらなかった。
犯人を死刑にしただけでは遺族の気持ちは癒されない。
死刑の意味がないので廃止。
(目的論的) >>948
それを思いこみ、決めつけと思うことも、あなたの決めつけ。 >>949
そうだよね。
犯人を死刑にすることよりも遺族の心のケアの方がよっぽど癒されると思う。 日本で死刑を廃止したら、凶悪犯罪は増える。
実際、日本で死刑賛成派が多いのは日本人自身も増えると思ってるから。というのもある。
欧州とは違うよ。 死刑という論理的結末を社会的に見届けることで死刑囚は犯罪抑止力として役立っていると考えられるし
法が信頼でき役立ってるものと考えればただ従うで良いと思う
死刑が無くなったら無くなったで集団の全体論的に別の抑止力を生むこともできるとは思うから
死刑の廃止に反対とも思わない 刑務所のストレスの9割は人間関係だって、元受刑者が語ってたけど
課題が分離できてるおまえらならこの人の1割のストレスで済む。 広島から脱走した受刑者も人間関係に疲れたと言ってたっけか
あと半年で出所だったけど 褒めない、とかそんなに注目する必要あるのかな?
ようするに「私には能力がある」「人々は仲間だ」がお互いに育つようなコミュニケーションを意識してやればいいわけで
どう勇気づけるかを考えるような癖がついてくれば自然と支配的な褒める言い回しは減ってくると思う >>819
生きている限り成長していかねばならない
でなければ人間である意味がありませんと徹底して甘えを排除する某ドラマがありました
甘えや寄りかかりで道を拓けるほど人生社会は楽なものではないのでしょうけど
今の自分には苦しい言葉です
あるべき姿にならなければならない、ってのは暗黙の了解ですしね
>>821
>>823
考え方によってはスゴく傲慢な意見でしたね
何かを出来て当たり前という考えもどんだけナメてるんだ?とも捉える事が出来ますし
自分の思考方法を変えていかねばとは思いますが自分だけと戦ってるようではかえって余計な摩擦を生みますしね
取り越し苦労って言葉もありますし
何も気負わず幸せを感じるってこんなにもハードルが高いことなのかと 自分は想像以上に嫌われたくない
悪くみられたくない
実際そんないい人間ではないから逃げて隠れていたい
それらも子供の頃に確立してしまった良くない生き方だろうなという想いには行き当たったています
そうでしか特別になれなかった、仲間に入れなかった
成功体験がなかった
これらも含めて過去の意味付けを決めている今の自分が良くないということですけどね >>962
せっかくアドラースレに来てるなら実践してみては?
自己分析をしないという実践と今自分にできることだけをやる実践を >>959
自己分析をすればするほど自己欺瞞が生まれると思った方が良い
それよりも新たなライフスタイルを経験的に上書きしていくイメージで
自己否定的なら自己受容的に言い換えたり、他者貢献の経験を積んだり
他者を仲間として見る練習をしたり、っていう心の筋トレを重ねていくのがオヌヌメだよっ >>963
>>964
定期荒らしじゃない?その人 >>947
まあ実際妙に上から目線の割に実践できてるとかできてないとか以前の問題で間違ってるレスしてる人も結構いるし
知識の差のバラつきが酷いよこのスレ 上から目線であることを上から目線で批判するってどうなのかなって 上から目線自体はあんまりどうでもいい
間違ってるのにアドバイスしたがりで溢れてるこのスレがどうなのかなと思った 最初の方見てたんだけど
テンプレの共同体感覚が全ての土台は違うだろうと思った
理論は理論だろう
相手から協力的姿勢を引き出してこそ幸せになれるとかいう支配的な振る舞いの推奨も目立つ >>974
テンプレにするかは別としても共同体感覚が土台というのは確か間違っていないと思うよ
全ての人が協力しあえる社会を築く(←到達不可能な理想論だよな)
↓
そのために権力や組織を使って社会を変革するのは良くない(←ファシズム、アナーキズム)
↓
それならば協力的に暮らせる個人を育成することを目指そう(←ここを頑張ろう!)
それを支える理論と方法論を構築したものがアドラー心理学だったと認識しているよ >>974
言葉として仰ることは合ってるかもね
協力的であることを選ぼうというのは思想の部分であり理論は理論
但し、理論と思想の関係性は常に意識して使わないとアドラー心理学とは言えないと思う
例えば、認知論みたいなのはアドラー心理学じゃなくても使うけど
アドラー心理学で言えば全ての人は所属への究極目標に向けて
自分なりのライフスタイルを使ってることと
相互所属を目指す為にその理論を使うことを踏まえて語る必要がある >>975
いや別物
そりゃ同じ心理学内の話なんだから整合性はつくよ
それを支えるって書いちゃってるじゃん
むしろ理論が土台じゃない?
>>976
別に思想を蔑ろにしてる訳じゃない テンプレに共同体感覚に関して追加する話題の件だけど、うまくサラッとまとめて次スレに入れれると良いな。
>◼共同体感覚について
>アドラー心理学のあらゆる技法、基本前提などの理論は共同体感覚という思想が土台となって成立しています。
>アドラー心理学の実践は全て、個人の競合的なライフスタイルを協力的なライフスタイルに代替する事で、すべての人々が所属できるように、自分にできることをしよういう決心を支援するためにあります。
>他者との協力を目標としない操作をしたり、社会の仕組みを変化させたり、個人の自己実現を叶えるためのものではありません。
この「他者との協力を目標としない操作をしたり」の部分を変更する意見として、二つの意見が出てた。
・他者との協力を目標としない一方的な操作をしたり
・合意を得ずに他者に干渉したり
それから今、この思想が土台になっているというのはおかしいのでは?という意見がでてる。 >>974
https://m.youtube.com/watch?v=24d9zbKIRxA
ソースはこれじゃないか?
共同体感覚が土台ってのはどこかで聞いたことある気がして探してみた
この平本って人の信ぴょう性はまた議論の余地ありそうだけど
内容自体はわかりやすくて面白いな >>981
横から見てみたけどなんか凄くわかりやすいゆえにこれで正しいのか不安になる感じw
思想と理論がどっちが土台っていうような今の話題よりもなるほどなと思ったのは、カウンセラーが自分の価値観を無意識のうちに押し付けてしまわないように共同体感覚を押し付けるというところ。 >>978
特に間違ってはいないと思うけど、どうしても土台という表現に違和感を感じる人がいるのであれば変えた方ががいいのかなと思う
1番上の文は、目的論的に表現を言い替えて、
「アドラー心理学のあらゆる理論や技法は、共同体感覚のある個人の育成を通じて、共同体感覚のある社会を築くという目的に向かうために構築されています。」
ではどうだろう?
野田俊作「勇気付けの方法」より抜粋
後半生のアドラーは、育児と学校教育を通じて、共同体感覚のある子どもたちを育てれば、明るい世界がつくれると考えたのです。
ですから。
本書の問題意識は、単に 「いい子を育てる 」ということを超えて、「明るい未来の世界をつくる 」ということに向いています。
最近では、アドラー心理学に関する本がたくさん出版されるようになりましたが、その多くが、アドラーの視点をすっかり忘れて、
「親が望む子どもを育てる方法 」だの「私が望むように人を動かす方法 」だのとして、アドラー心理学を曲解しているようです、そうではなくて、
共同体感覚のある子どもを育てることを通じて、共同体感覚のある社会を築くのが、アドラー心理学の目的だということを、本書では詳しく書いています。 983ですが、今はau回線でスレ立てできないので、夜帰宅してから新スレが立ってなかったら日付変わる頃のタイミングで自分が立てますよ
残りの議論も参考にしながら >>964
自己分析をしない方がいいというのは、自己欺瞞が生まれるからというよりは、どちらかというと社会統合論としてものを考えるからだよ
心の中は観察することができない「予想」に過ぎないから、ある一つのエピソードから感情を手掛かりに人と人の関係性を観察して、仮想目標と対処行動を見つけ出すという分析方法をとる
そうすると競合的か協力的かで判断できるから、誰でも簡単に分析できるし、次にどうすればいいのか具体的な行動にまで落とし込める >>986
きちんと臨床的な診立ての手順を踏めるならそれで良いと思う
>>959はそうではなかった感じじゃない?
別の手段を提案するのは間違ってなさそう 相手と自分の関係性における課題を一人で煎じつめても、それは「投影」であり「認識」ではないと解釈してる >>988
論点が違う気がする
投影という事でも別にいいんじゃないの?
心の内側に問題を見つけに行った場合、不安な事を考えないようにしようとか、いつも明るい気分でいようなんて答えくらいにしかたどり着かない
だからそれができないから悩んでいるんじゃん!!って葛藤のループに陥りやすい
でも社会統合論的に心の中の葛藤を認めず、目的のもとに助け合っていると考えて、
外側との関係性における態度、感情、行動を見て、協力的な所属に代替する方法は見つかりやすいし、具体的だから実行しやすい、行動だから結果を観察できる 課題に対する準備で想像力やプランニングは必要だが、
「分離」にしろ「共同」にしろ状況が許す範囲で話し合って、
相手を「認識」し自分を伝えることが重要
そうしないと独断や押し付けと誤解を生んでしまう ■社会統合論(Social Embeddedness)
人間は社会的動物であることから、人間の行動は、すべて対人関係に影響を及ぼす。
アドラー心理学では、人間が抱える問題について、全体論から人間の内部に矛盾や葛藤、対立を認めないことから、人間が抱える問題は、すべて対人関係上の問題であると考える。
人間は人間社会において生存しているものであって、その意味で社会に組み込まれた社会的存在なのである。
社会的存在であるので、対人関係から葛藤や苦悩に立ち向かうことになるが、個人の中では分裂はしていなくて一体性のある人格として行動している。
すべての行動には対人関係上の目的が存在している。社会に統合するというよりも、最初から社会的存在なのである。
■仮想論(Fictionalism)
アドラー心理学では、全体としての個人は、相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動する、と考える。
しかしながら、それは、あたかも相対的マイナスから相対的プラスに向かって行動しているかのようである、ということであって、実際に、相対的にマイナスの状態が存在するとか、相対的にプラスの状態が存在するとかいうことを言っているのではない。
人間は、自分があたかも相対的マイナスの状態にあるように感じているので、それを補償するために、あたかも相対的プラスの状態を目指しているかのように行動するのである。 >>993
おつ
タイトルの嫌われる勇気ももう変えていいかもね
もはやアドラーが日本で1番有名な心理学者になったから 一応、書いとくけど、
アドラー心理学の核は共同体感覚だから、所属ではない。
共同体感覚=所属ではない。
誤解しない方がいい。 >>997
今議論になっている理論と思想の話を踏まえてもう少し深入りすると
「人はみな究極的には所属に向けて行動する」というのは基本前提を総動員した「理論」の話
共同体感覚というのは、「人の所属を妨害せず、みんなが所属できることに向けて行動するのは良い事だ」という「思想」の話
共同体感覚=所属ではない
というのはその通りだと思うけど、共同体感覚は所属の概念から切り離しては語れないと思うな >>997
どの書き込みに向けて言ってる?
そこがまず大事だよね
もうスレ終わるけど このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
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