アドラー心理学総合 32【嫌われる勇気】
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嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
■日本アドラー心理学会
http://adler.cside.ne.jp/index.html
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■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 人は自由を失って与えられた使命感に縛られている時が幸せだと誰かが言ってたな >>574
所属感の根拠が他者からの承認だと承認されることが必要なので承認欲求が出てくるだろうということ。
自己承認だけで現実組織の所属感を得ることは無理じゃないか?
アドラーの理想共同体ならできるけど。 >>578
それだからこそ、自己承認だけじゃなく他者信頼貢献感に沿った自己肯定感が必要ってことなんじゃないの
私には能力があり役に立ってるし他者は助け合える仲間だから私はやっぱり役に立とうという感覚 >>577
それを使命と受け取るか受け取らないかもその人の自由。
その人が自由に使命と解釈しただけのことなんだよね。 >>578
承認欲求が「出てくる」のではなく「使っている」だよ、目的論かつ全体論だから
仰るような、他者からの承認、自己承認、理想共同体からの承認の違いを差別化する意味がわからない
使用の観点に立つと、承認されるという相手任せの所属を、
「所属組織や家族、友達と自分相互の所属を阻害せず、時と場合を選ばない対処行動を、肯定感、信頼感、所属感を伴う形」で代替できる 伸びてると思ったら割と好きな流れ
嫌われる勇気色の強いアドレリアンがいると盛り上がるねw >>569
理想共同体への所属をゴールにすると言うよりも、すべての人が所属している協力的な暮らしのために今ここで自分にできること、がより実践的な感じがするね
現実組織が不自由なものだとしてもあきらめる必要はないよ
諦めてもいいけど >>578
他者からの承認などがなくても持てるのが、本当の共同体感覚なんやで まあ他者から承認される経験自体は共同体感覚を養うのに有効だと思うけどね 承認欲求の否定!
というフレーズからアドラー心理学を学ぶからややこしくなるんだと思う このスレには野田派アドレリアンが多いのではまいか? 野田さんのソースは補正項から引きやすいのでそれはあるかもしれない
でも向後さんも岩井さんも否定する人はいないと思われ >>589
本来岸見一郎も野田派アドレリアンだしね 俺著者偏りなく200冊は読んでるからアドラーおたくレベルなんだろうけど(実践できているとは言っていない)
日本アドラー心理学会のテキストがあれば自分に活かすには十分だと思う >>592
200冊も書籍があることが驚きやわwww >>590
では、岸見さんは否定されているんですか? >>595
岸見さんは野田さんを否定してないけど
野田さんは嫌われる勇気の内容を否定してる感じだね >>597
いや、僕煽ってるわけじゃなくて本気で質問してるんですが… >>594
いや、俺にとって驚きなだけで、それだけあって悪いわけではないです
星さん確かに昔から出してますね >>564・>>578
現実組織の所属について、他者からの承認を求めないで所属感を満たすには
その組織に対する自分の貢献による貢献感によって所属を満たすことだと思う。
ざっくり書くと、 自分の貢献感=自分の所属感。ということだと思う。 >>569
そういうことじゃないと思うぞ
親子間での所属も立派な共同体感覚になりえるのと同じく、組織への所属も良い訓練になるよ
現実組織がどんなものだとしても本人が徹底して横の関係で仕事に取り組む事はできる
そしてそんな個人を育成する事がアドラー心理学の社会運動の側面としての狙いだよ >>563
個人の主観は共同体の破壊として受け取るべきではないらしいです
なんにでも精神的苦痛を受けるタイプの人もいるので
それはアドラー心理学会の論文にあります >>562
セクハラやパワハラなどは受け手の捉え方によるところも大きいために、精神的苦痛は共同体の破壊に含むのは妥当ではないとアドラー心理学会の論文に書いてあるのです >>564・>>578
現実組織の所属について、他者からの承認を求めないで所属感を満たすには
その組織に対する自分の貢献による貢献感によって所属を満たすことだと思う。
ざっくり書くと、 自分の貢献感=自分の所属感。ということだと思う。 >>604
被害妄想に取り憑かれてるならアレだけど
ちゃんと土台があって話し合えればどうなの? >>558
本にはやめてくださいを伝えることも大事とだけあり、伝えるべき場面については言及されていません
アドラー心理学の論文では共同体の破壊というのは身体を傷付けられた、金銭の強奪があったなど明らかに反社会的なものに限定してあると書かれています
確かに共存共栄を前提にしていたとしても、個人の捉え方が違う以上同じハラスメントを受けたとしても感じ方は違ってくるので、独善的になってしまう危険性は常にあるのかと思います >>606
IDないので分かりづらいとは思いますが、上で書いてる通り私はセクハラパワハラを受けている訳ではないです >>606
俺は文脈は全然わかってないんだ
>>604単体に対するレスだったんだが、話し合ってちゃんとお互いの意見を共通感覚化して調整したらいいように思ったんだがどうなの? >>609
ここIDないので不便ですよね…
どんな理由あるのかは分からないですけど
・目標の一致のプロセスと単純な自己主張の使い分けについて
・自己主張が目標の一致のプロセスではないのならば、自己主張自体他者の課題への肩入れになってしまうのではないか(アドラー心理学の論文での共同体の破壊の定義がごく狭く余程の反社会的行為に限っているため)
これが聞きたかったのです。
けど上でもこの2つは一緒のもの、違うもので意見が別れていたり、共存共栄や課題の分離にまつわる定義がバラバラだったりでちょっとゴチャゴチャしてます
今度学会の正式なグループなりに参加して聞いてみようかと思います >>554
アドラー自身は血縁共同体的な関係性を重視していたから自由という言葉はほとんど使っていないし意図的に使うのを避けていたとかなんとか >>611
うーん、よくわかんないけど難しそうな事考えてるね
「私はあなたに〇〇されることを不快に感じていています。共にこの仕事に気持ちよく取り組めるように〇〇するのをやめてほしいと思うのですがお願いできますか?」
って自己主張するのじゃダメなの?
というかこういう頼み方が目標の一致を目指すような言い回しじゃないの? >>613
そうなんですよ
でも本見ると目標の一致の段階としては書かれていないような気がするんですよね
理解するのは本だけだとやっぱり難しいですね >>614
やっぱわかるためには自分で実際試してみて経過を見てみることじゃない?
俺は今はパワハラはされてないから試せないけど
以前の職場では上司にいびられ続けて起きて会社に行かなきゃならないのに布団から出れなくなったことがあるよ
俺はそのまま逃げてフェードアウトしたから話し合いなんてできてない
でも聞いた話だとその人からは部下が育たないから会社に居場所がなくなって結果的にやめたらしい たしかにパワハラ・セクハラなどは面白いね
アドレリアンに対してパワハラなど仕掛けても全く意に介さないようなイメージがある
「それは不快なのでやめてくださると嬉しいです。それで本題は…」みたいな >>607
そうだね
つまり俺の回答した通りに書いてあるやん
自己主張についても俺の書いた通りで大丈夫と思うよ >>618
私言葉を使用した支配的操作もままあるそうなので
言葉だけでは内容に違いはないんじゃないかと思ってしまいます >>619
なるほど
では2点教えてほしい
1.
私言葉を使用した支配的操作について書かれた論文とかあれば教えてほしい
その仰る内容を踏まえると、感情の表明(相談的な趣き)と、支配的に使うのかは
意図によるものだと考えればいいと思う
相手がどう捉えるかまで考えるときりがないし、受け止め方は他者信頼を踏まえて考えればいいんじゃないかな
例えば気を付けて使おうという但し書きがあれば使わないという選択をとるのであれば、
気を付けて渡る道路は使わないということになるから人生全般がままならなくなっちゃうから
どの様に考えてるのか知りたい
2.
自己主張については、>>551に対して>>552、>>556で回答しているので
それに対して納得のいかない部分があれば教えてほしい コンビニで買ったんだが「有気の心理学アドラー超入門」言ってる事がおかしい。
「嫌われる勇気」の方が100倍素晴らしい。 >>620
1に関しては、アドラー心理学の論文ページの鎌田さんという方が書いた「アドラー心理学の「誤解」と「誤用」」という論文です
結構下の方にあります
貴方の仰る通り恐らく発言者が相手の行為の変容を目的にしているかどうかで誤用かどうかは決まるということが書かれています
自らの感情を伝えるという行為は結局の所多少なりとも相手の行為が変わってくれたら嬉しいなというような願望がある気がして
好ましい言動の例?にも不快感を現せばいいという方向では書かれていないのです。
目的の一致を図るのは許容しており、ならば自己主張なんてのはどこで使うんだろう?と思いました
2に関しては私もそうかなと思うのですか、上で意見が割れているのと私自身も知識が浅いので
確実にそうなのかと言われると判断が付きません 子供の問題行動の5段階、参考になった。
金田一少年の事件簿が流行ったのがよくわかったよ。
動機が復讐だからな〜。 >>624
ご教示いただいた論文拝読しました
結果、私言葉を使って自己主張をするということで問題ないんじゃないかと思う
論文にも書かれている通り、相手の変貌を期待する自分からは逃れることができないので
私利私欲によって自己欺瞞を通していないか?という自己点検がキーワードになるよね
そこで、解決策として相手の拒否、選択権を担保することが例示されているので、
それを採用することで問題はなくなるのではないかと考える
>目的の一致を図るのは許容しており、ならば自己主張なんてのはどこで使うんだろう?と思いました
ここまで話してきた中で、それでも自己主張ができないと考えていらっしゃるのであれば、
俺の中であなたは下記の二つのうちどちらかを求めているのではないか?と感じてるんだけどどうだろう?
a)論文などのソースで明文された答え若しくは満場一致となる答えじゃないと採用したくない
b)相手の操作を目的とした自己主張を採用する方法を探している
aであればソースを探すのになかなか時間がかかりそうなので、俺には解決できそうにないし、
bであれば自分自身がアドラー心理学を学び実践する中で自分で答えを見つけるしかないと思う アドラー学会は解散しろよ
上祐がやってる穢れた学会なんだから >>627
居場所が欲しいんですね。
カワイソス。 >>627さんは、可哀そうな人だから、みんなでかまってあげましょうよ >>626
おお
そこあまりちゃんと読んでなかったかもしれないです!
ありがとう!!
ちなみにbは絶対にないです
むしろ支配的操作になることを恐れたので自己主張について聞きました ところで目標の一致と自己主張の使い分けはどうするのでしょう? ずっと疑問なんだが
なんで自己主張が支配的になるのかわかんない
自己主張できない関係の方が支配されてないか? >>635
気を付けないと相手の課題に踏み込むことになりがちだからです
使い分けについては目標の一致が図れない場面や場合かな? 自己主張って要は
「私はこのように考えている」
でしょ?
課題に踏み込む可能性がある自己主張って
「私はあなたがこうすべきだと考える」
だよね?
じゃあ
「私はあなたがこうすべきだと考えるが、あなたの考えを教えて?」
だとどうなの? >>637
アドラー 支配的操作で調べてくれたらよくわかると思います >>638
これ?下はコミュニケーション
わ 一一一一→(a)一一一一→あ
た い
し←一一一一(b)←一一一一て
aがわたしの課題で、bがあいての課題だとすれば
わたしがbをコントロールするようなコミュニケーションが支配的という意味でおけ?
だとすれば
私はこう考えるが、あなたはどう考えますか?
という自己主張の仕方をすれば
目標の一致を目指せると感じたんだけどどう? >>639
すいません
そもそもは目標の一致と自己主張の使い分けについて知りたかったのです
この2つが別物かどうかも
上で解決しました うんあのさ、だからね
相手が相手の課題を侵害されたと感じるかどうかなんて原理的にわかりようがないよね
嘘つくこともできるわけだしさ
つまり結局のところ自分の認知の問題ってことだよね >>639
合ってると思うし、必ずしも目標を一致させなければならないということでもないと思う ただし、目標の一致を諦めるんじゃなくてその可能性は残しておくのが
自己の態度の決定の上で大切な要素だとは思うから、目標の一致の為の自己主張と考えるのは間違いじゃない気もする ワイドショーとかで何歳にも成ってなにやってんだ!とか、なんて口の利き方
とかって聞くけどさ、アドラーにそんなもん関係ないよな?
自分が何しようが手前等に関係ねーだろって事だから >>646
どのような言葉遣いでも決めるのはあなただけど
その言葉遣いで生じる結果もあなたが背負う
確かに遠くにいるコメンテーターにはあなたの言葉遣いは直接関係ないが
おかしいと思いませんか?っていう問題提起なり
それでいいと思いますよっていう主張をする仕事だから
その発言をどうするかはコメンテーターの課題 コメンテーターはコメンテーターの仕事を頑張っておられるなぁ
俺は俺でみんなと協力的に俺の人生を生きよう
って感じかな 賞罰の廃止→犯罪者の釈放、犯罪という概念の否定。
課題の分離→いじめは傍観、他国の腐敗汚職、人権弾圧は無視(これ重要!!!)。
他者貢献→他者貢献のためにはテロもOK。イスラム国鎮圧しない。
他者信頼→全員、風去りのメラニー状態(ウィリアムズ症候群か)
自己受容→業界ナンバーワンになるためになら、違法行為も許される!!!
過去は関係ない、大事なのは未来だけ→刑罰と補償の否定
仕事、交友、愛のタスク→ホームレスとボッチと非リアは、それぞれ仕事、友人、恋人を持たなければならない!!!→馬鹿どもが余計なことをしてかえって社会が混乱する。
嫌われてもかまわない!!!→世界総DQN化。老人に席を譲らない、妊婦をどかせて座る。
今ここを生きる、過去も未来も関係ない!!!→環境破壊OK!
トラウマは存在しない!!!!!→PTSD患者への集団的大迫害。 世の中には話の展開を2つか3つまでしか理解できない人がいる
そういう人は、順を追って論理を積み重ねられないから飛躍させるしかない
関連する要素なんかもちろん考えられないから、状況設定という概念もない
その結果どうなるかは言うまでもなく >>560・>>566
所属が、究極目標ってそれはそうだろう。問題はそこからどうするかだと思う。
所属に向かって努力しても所属に失敗してしまうこともある。
子供はその失敗によって自殺してしまう子もいるときく。
所属感を得るための自分の考え方としては>>601に近いが、にしても
その貢献間を得るまでの過程は所属感を得られないことになるのでどちらかというと、
キーネーシス的だと思う。
まず、今、ここで所属感を持つことが必要でそれがエネルゲイア的な思考に繋がると思う。
つまり、もう既により大きな共同体に所属している。事実、例え目に見える形でなくとも
貢献しているんだという感覚がまずあれば、目の前にある小さな共同体に固執する必要も感じなくなるので、
自由を感じることができると思う。
つまり、「アドラーのいう共同体感覚」を持っているということは同時に自由を獲得している。ことなる。
もし、その共同体感覚をもたないまま既存の小さな共同体の所属に失敗してしまったら、
とても、自由を獲得できた。なんてのんきなことは言っていられないだろう。 >>657
うんだからさ
所属に成功してるか失敗してるかってのも結局はその人の認知によるものだよね? >>657
アドラー心理学はそこが重要なんだよ。
例えば、楽しいから笑うのではない。
笑うから楽しいのだ。みたいな。
悲しいから泣くのではない。
泣くから悲しいのだ。等 >>660
俺がアドラーで一番参考になったのがその考え方かも
しんどいときでも笑っとけ
ツラい時でも無理して楽しく喋ってるうちに楽しくなってきたりしたし >>654・>>658
頭の悪い人はアドラーは向かないということだよな >>662
つまり、>>658はバカだということ? アドラー心理学はその円環構造が理解できた人にのみシンプルに感じる。
なので、誰にでもできるというわけじゃない。 ボルヘス あるよ 。怪奇譚や荘子注釈があればそのほうが人気らしい。 T病院のデイケアのO原とH田に、園芸でとれて保管に失敗した腐った大根鍋を食べさせられた。みんながだまされて、知らずに食べさせられた。多分O原は地元のN良県へ、H田は資格を取って心理関係の別の事業所へ逃げると思う。 犯罪者が弱い立場の人間を助けるふりをして、社会保障費を掠め取っていく。だから日本は社会保障費がなく、年金問題も出てくる。H田は孫にも腐った大根を鍋で食べさせているのだろうか?安倍首相よりお前らが説明責任を果たせ。 三田国際とか、こえると広尾病院なんかがおススメ。
大阪には国立病院もあるけど、体格が違うと思ったら、
三宮ルーテル博愛神戸中央の精神看護以上の待遇、もおすすめ。
東京は建築内もあるかも知れないけど、関西は、海外勤務で国内スカスカだから、
病気は流行らないようだよ。 >>665
話の流れからは逸れるとは思いますが、知っている限りでは頭の良い人よりも、頭の悪いというか物分かりの悪い人の方が上達するのは早いと思いますよ
文脈を読んで理解した気にならない人というか 頭ではわかってなくても子供なんかはたいてい親より先に理解できてしまうようです
頭でわかるというのも、一緒に学ぶ仲間とあーでもないこーでもないやっていれば一年もあれば理解できないないなんてことは考えにくいですよ >>656
ほぼ同意なんだけど、一つだけ提案させてくれ。
>>所属感を得るための自分の考え方としては>>601に近いが、にしても
その貢献間を得るまでの過程は所属感を得られないことになるのでどちらかというと、
キーネーシス的だと思う。
この箇所は、貢献間を得るための理想の状態から引き算(減点法)で考えてるから
キーネーシスと考えてしまうのではないか?
足し算(加点方)で考えていけばエネルゲイア的になると思うんだけどね。 >>661
これは俺も経験がある
悲しい態度や表情の仕方を徹底的に親に仕込まれたんだが
「悲しい場面」になると反射的にそれをやってしまい、結果悲しくなっていた
ふと感情を演じさせられていることに気が付いてやめたら感情の揺れが落ち着いた
今は感情はポーズでなく自然にあらわれるもので
それを表出するかどうかも俺の自由だって決めている >>674
賛成
個人的には、大きな共同体という抽象に行くよりも、いつも関わる人たちとの関係性の中で自分の競合性を見直す訓練の方が大切だと思うな >>676
だよね、これが全体論てやつなのかな
良いか悪いかは別にしてこういう考えをするのって面白いw ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています