アドラー心理学総合 32【嫌われる勇気】
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嫌われる勇気
幸せになる勇気
アドラー“実践"講義
アドラー心理学ワークブック
アドラー心理学を語るorアドラー心理学トーキングセミナー
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■課題の分離の注意事項
課題の分離には初心者が陥りやすい問題があります。
課題の分離は個々の人間の独立を重んじるためのものではありますが、断絶のためのものではありません。
個人の課題は分かたれていても、そこに他者への関心があり、協力できることを忘れないようにして下さい。 「何もしなくていい」のか「頑張らなくてはならない」のか?
さらに、スピリチュアルな教えには相反する教えにみえるものがあります。基本的には、2つの相反するスピリチュアルな教えがあります。
ひとつは、私が先ほど言ったものに近いものですが(正確には違うものですが)「あなたにできることは何もない。
ただリラックスしてなるように任せるのだ」「あなたのできることは何もないのだ」というものです。
「何もかも手放して、すべて忘れるんだ」と言う先生もいます。
「すべて忘れて、ただ楽しむのだ」という教えです。 もう一方の教えは「溺れた人が何とか助かろうともがきあがくように、必死に求めて頑張らなくてはさとりの境地には絶対に到達しないだろう」というものです。
私がさっき言ったことはどちらかと言うと前者のほうです。
「さとり」とは、欲しいから手に入れたいというようなものではないのです。 実は、この2つをひとつにしたところに真理が隠されているのです。
この2つをどうやって融合するのでしょう。ひとつは「あなたにできることはなにもない」と言い、これも本当です。もう一方の教えでは「厳しさ・頑張ること」が求められています。
これを一つにするのです。
まず、この「厳しさ・頑張ること」が誤って理解されています。
将来に設定した目標を達成するために頑張ることだと捉えられていますが、その「厳しさ・頑張ること」は「今にあること」に向けられるべきなのです。
それは「この瞬間」だけに意識を向ける断固とした厳しさです。
未来に向かって頑張るのではなく、今ここに、どれだけ深く入り込めるかということなのです 「することは何もない」というのも、「すること」には時間がかかるわけですからその意味では正しいのです。
今この瞬間に入り込んで今と一つになることは、実際、「すること」ではないからです。
その意味では「あなたがすることは何もない」のです。
今この瞬間をあるがままに受け入れ、今に深く入っていくだけなのです。
これは言葉の取り方の問題なのですが、「何もすることがない」というのも正しいし、もう一方の「厳しさ・頑張ること」が求められるというのもまた正しいのです。
「今」を受け入れるために精一杯尽くすということです。
「今」が大切なのです!
ですから、今はそうではないから将来のいつか「ああなりたい」といったような未来の話ではないのです。 「今にあること」は頑張るべきこと
「あなたはすでに悟っている」と言っているスピリチュアルティーチャーもいます。
あなたも耳にしたことがあるでしょう。それも深いところでは真実を語っています。
人間はみな誰も、内面においては完璧です。
しかし、物質レベルではもちろんそれぞれやることがあります。
体験したり、学んだり、色々と身につけたりしています。
しかし、内面の深いところでのあなたの本質は、すでに完全に完璧なのです。
あなたが本当の自分であるために時間を必要とすることもなければ何かを身につける必要もありません。
大切なのは「あなたの本質」部分です。 その意味で、未来というのは今本当のあなたを見つけること、今本当のあなたであることを邪魔するだけなのです。
しかし「何かを達成する必要がある」「何者かにならなくては・・・」という思いをなくすことはなかなか大変だという人もいるでしょう
。しかし、その言葉の真意は「あなたはすでに完全にあなたの本質そのものだ。
あなたはただそれに気がつく必要がある」と言っているのです。
あなたはすでに完全にあなた自身なのです。 今すでに完全な本質の自分であるのに、そのために、もっと時間が必要だとかもっと何かが必要だとかいうことはないのです。
あなたの本質は、すでに神聖で、時間を持たない永遠なる存在なのです。
その他のことは、物質的レベルにおいて踊ったり、ゲームをしたり形あるもの演じて楽しんでいるのです。
時にはたくさんのものを手にしたり、あるいはまた失ったりしながらゲームを楽しんでいるのです。 ですからもう、スピリチュアルな探求は終わりです。
頑張らなければならないことは残ります。
ちゃんと今に在ることは頑張らないといけません。
イメージの中の状態になりたい、それを現実化したいと頑張るのではありません。
「私」はすでに「さとりを開いた者」なのです。 ジーヴァカがアレフに行ったってマジ?やべーやつやん
クシティガルパも親と仲違いしてたけどどうなったんや
童貞宣言してたアーナンダは親にも親類にも拒否られたらどうなるんや?
ミラレパはアレフの女と結婚してたよな?ミラレパもアレフ行きやん
やべーわアレフ コフートと アインシュタイン犬は一緒に仕事したことあるそうだぞ。 >>703
それは知っている。よーくわかっている。
わかっちゃいるけど止められないのだ。 コツとか持ってる人がいらっしゃれば助言をいただきたいのですが、
アドラー心理学と、どうしても叶えたい目標の相性のことで若干躓いてます
先ず前提を言うと所属感を得るための貢献感を得る手段として、他者貢献を行うということと、
自己の目標が競合的なら協力的な意味づけができるものに変更していく手段があるだけど、
距離感の違いとして、目の前の他者貢献の機会よりも自分の目標を優先した場合に逆に罪悪感が先に立つ場合もあります
この罪悪感は貢献感を下げる効果があると感じてて、つまり目の前の他者貢献の優先度を下げることで
目の前の競合的な意識が生まれているのだと感じているんですが、実際にそれがあることによって
自分の活力に影響があると感じているので、仮にその感覚が真だと考えて対処法を考えたいです
抽象的な答えを言うと、長距離的な協力的目標と目の前の貢献との競合している箇所から
協力的な対処を見出すのが理想だということは思いつくのですが
それができてしまえばシンプルなのかも知れないけど、現状の目線からだと複雑に感じてしまいます
こういう考え方が有効だよっていう事例などがあればご教示いただきたいです >>716
どうしても叶えたいってさ
いくら協力的なものに変えようと頑張ったって要は自己執着ではないかな? >>717
それを言ってしまうとそうなのかも知れないのですが、
例えば命が脅かされている状況で、どうしても生き抜きたいという自己執着を
みんなで生き抜こうという協力的態度に変貌させることはできると思います
極端な事例ですが昔誰かが言ってた様な、雪山で遭難したグループのうち一人が致命的なケガをしていたとして
その一人を見捨てれば間違いなく助からず、離脱させなければ他のメンバーまで危なくなってしまうという選択の場面では、
仰る様な自己執着と、目の前の貢献感とどちらをとるのか?ということになるのではないかと思います >>718
そしてこの事例で言えば、>>716の考え方に基づいて
僕なら怪我人を離脱させる選択と、連れては行けないが他に叶えてほしいことはないか?という
話し合いによる協力、貢献という形を選ぶと思います
ただ、単純じゃない場合の方が多く感じているという状況です >>719
見捨てる人が見捨てられる人に叶えて欲しいことを聞くのは嫌がらせだろw
それは見捨てる罪悪感から逃げるための自己欺瞞だよ
見捨てられたら死ぬ人が望むことは見捨てないで欲しいことだけです >>700
ではあなたは全員が死ぬことになるとしても、最後まで一人残らず見捨てないことを選ぶということですね
そういう方がいらっしゃるのも別に否定しません 危険になるかもしれないという仮定の状況で見捨てる人は薄情な人だな
そんな状況で見捨てたら間違いなく周りは疑心暗鬼になって自己中心的になるだろう >>722
この例え話では、見捨てないと全員死に直面するのが自明な状況のヨーロッパで有名な話ですね
その例え話では、怪我をしたメンバーが用事を思い出したと雪山の中に消えていき、
他のメンバーは誰もそれを止めなかったという、過酷な登山の現場を表す為に使われる話なんですよ 自分の目標と目の前の貢献ではどちらがより全体の利益になるのか考えればいいじゃん 海猿の話でも生存率が高い人を優先して生存率が低い人は見捨てる選択をとるべしという話が出てきますよね
薄情かも知れないし何が良いか悪いか分からないけど、俯瞰して共同体の為に建設的だと思える行動をとるしかないと思います >>725
その結果生じる罪悪感への対処について質問したかったのです >>727
·判断が間違っている
·目標を叶えることを諦める
·アドラー心理学をやめる
罪悪感があるならこのどれかだよ >>728
そういう答えがあっても良いんですけど、根拠とか理論とかあれば知りたいです
例えば、戦争の時代に自分は戦争に加担しないという選択します
結果、家族や友人やその子供たちが殺されてしまいます
自分の中では全体の為に正しい選択をしたことが、罪悪感の種になってしまいます
アドラーはそういった問題と向き合って個人心理学を発展させてきたのだと思います
その場合はそのどれが該当するのでしょうか 「トロッコ問題」や「臓器くじ」みたいな道徳や倫理のジレンマやよね >>729
最善の行動をして罪悪感が生まれるならそれを受け入れるしかないだろ >>727
罪悪感ってことは陰性感情でしょ?
陰性感情には競合的な目的があると考えるわけだよね
てことはその「どうしても叶えたいこと」というのは表面的には協力的であろうと頑張っているのかもしれないけど、自覚できていないだけで競合的なものなんじゃない? >>731
つまり>>716への答えとして、そこの競合的な性質から協力性を見出すという選択肢はありえず、
対処法はないから受け入れろということになるんですね
ご提案としてしばらく考えてみたいと思います >>732
そのご質問への答えが>>718-719だと考えています >>727
死ぬことが絶対悪だという考えにとらわれているからでしょう
死ぬことすら貢献であり得る、というのが妥当な考えでは? >>735
確かに事後の罪悪感への対処は、例えば仰る様な形をとるなど、認知を変えるしかなさそうだと思えます
ここまで話してみて自分の中で整理されてきたのは、どうしても叶えたいもの(自己執着)を肯定する為に
アドラーを利用した自己欺瞞を重ねていることが罪悪感を生んでいるという可能性についても
改めて振り返る必要はあるとも感じます
ただし個人的には、どうしても叶えたい(自己執着、競合的)⇒みんなで良くなろう(共同体感覚、協力的)への変貌は
自分や他のだれか全体をとるという競合的な方法によって成されるという認識ではなく、
相互所属の為の努力によって成されるものだと考えるので、どうもこれまでの回答は功利主義的に感じてしっくりきていません
全体への貢献の為に小さな貢献は切り捨てるという考え、マジョリティが善でマイノリティは仕方がないと考えよ
またはその逆に、マジョリティの為にマイノリティを犠牲にせよと言われている様な感覚です
罪悪感(自己執着)もまた、この次の貢献の為に役立てる糧にしようというのがこれまでの考え方だったことによる今回の質問だったのですが
回答を見て混乱をしているので、しばらくは自己変容をさせるための整理期間が必要なのかもしれません >>736
> 自分や他のだれか全体をとるという競合的な方法によって成されるという認識ではなく、
訂正
自分や他のだれかを犠牲にすることで全体をとるという
競合的な方法によって成されるという認識ではなく、 ちなみに、言いたいことを伝えるのにどうしても長い文章になってしまってることと
それを下手に少なくしようと難しげな言葉を使ってしまってて申し訳ないです 「どうしても叶えたい目標」というのは「所属」だよ
あなたがどうしても叶えたいと言っている目標は、所属のためにあなたが自分なりに考えついたストーリーの中の仮想目標
変えてこだわりを捨てても全然問題ないはずだよ
きっと思考の中では反発がすごくて納得できないだろうけど
ここでこだわりを捨てることが、アドラーの言う勇気だよ >>739
質問させて下さい
例えば、あなたが母親だとして、暮らしが立ちいかず子供を施設に預けます
その母親の絶対に叶えたい人生の目標は子供達の幸福な人生です
諦めて別の所属を選ぶということは、子供達の幸福を諦めて自分の幸せを追求することかも知れないし
協力的な目標への変容は、施設に対してできるだけの貢献をすることを人生の糧とすることかも知れません
具体的な答えはどの様なものだと思いますか? >>740
その目標は現実的じゃないと思う
子供が幸福な人生を送ることができるかどうかに母親は干渉できないから
自分が経済的に自立して子どもが受け入れてくれるなら一緒に暮らすように頑張るとか、生活保護とかの社会保障を利用するとかが現実的な目標かと >>741
まあそうかも知れない
その為に頑張ってる状態で、目標をさらに変えるとしたらどうなんですか? >>736
アドラー心理学やめたら?
共同体感覚が気に入らないようだし >>737
自分や特定の他者を犠牲にする全体への貢献というのはおかしいだろ
全体は自分や特定の他者を含めて全体になるんだぞ 自己犠牲をする人は自分も共同体の一分であるという意識に欠けている
自分は特別な存在であると考えている >>716
罪悪感というのは、劣等感の一形態だと思いますよ。
つまり、自分が頭の中で理想として描いている姿にリアルの自分が追いつかない(劣等感)ために、自分は悪い、と裁いている状態。
あなたの文脈に沿って言い換えると、本来、利他的であらねばならないのに、
自己目標=利己を追求してしまう自分がいるので、裁く感情が起こるということじゃないでしょうか。
私はそうした状態への解決策を、「剽悍無比な協力性」と呼んでいます。
だいたいにして、完璧な協力的行動というのものはあり得ません。
世の中には数多、意に沿わぬ形での貧困世帯や自殺者らがいます。彼らは私達の認識し得ない場所で勝手に同時進行的不幸であり続けるんですね。
自分が神さまでもない限り、彼ら全員に救いをもたらすことはできません。
だから、利己的であることはしょうがない。人間である限り。
自己受容と言い換えてもいいですけど。自分の無力に開き直ってやっていくしかないんですね。
ここで理想主義的になると、自分を裁くスタンスが出てきて、罪悪感になります。
あのキリストだって、ご飯を食べている時間は福音の言葉をつむぐ口が塞がったはずだしw
毎日毎日、食事をしている時間でボランティアができるのに、と罪悪感を覚えていたら餓死しちゃいますよね。だから認めます。
自分もメシは食べたい、そうじゃなきゃ死んでしまうとw それで解決です。
貢献と受容は不整合なんですね。役に立ちたいと思いながら、アドレリアンは常に力不足である。
だから自分の実績ではなく方向性を認めていく必要がある。
自分で善いと思える意図をもって、か弱い自分にできる範囲で、
強く賢く協力的に立ち回っていたら、それでよくやったと言ってあげて思います。
造語ですが、私はこういうスタンスを剽悍無比な協力性と言っています。 >>743
共同体感覚の大ファンなんだけど、どこを見てそう感じました? >>745
同じ意見です
みんなからのレスからその逆のように言われてると感じたんです >>747
すごく説得力があり共感できるし楽になりました
確かに罪悪感は自分を裁いている結果に他ならないですね
ピースがはまった感じがします >>747
凄すぎる。
5chレベルでこのように素晴らしい意見に巡りあえるとは思わなかった。 >>747って以前自分に「嫌われる勇気」以外の著書を薦めてくれた人のような気がする
時々草はやすしw
もうコテ付けてもらいたいくらいです >>752
アドラー心理学では褒める行為を禁止しています >>747
アドラー心理学では利他的であらねばならないと考えているのに利己的な行動をしてしまうという葛藤を認めません
この場合は利己的な行動をする自分を擁護するために利他的であらねばならないという考えを利用しています
全ての悩みは対人関係上にあるという観点からおそらくその方は利己的な行動をするけど周りからは利他的な人物だと思われたいという目的を叶えるために罪悪感を生み出しました >>757
褒めることで自分に都合の良いレスをさせるように促します
5ちゃんで典型的なのは身体を公開する女性を褒めることでもっと過激に身体を公開させるように促します >>751
あなたは周囲から利他的な人物であると思われるために罪悪感を使っています >>753
自分で読む本一冊選べない時点で終わってるんだよ 大人が承認欲求とか褒めてくれ等というのはアドラー的にはおかしいとしても、
褒めることは、受け手がどう受け取るかでしょう。
つまりは、その誉め言葉をどう受け取るかは受けての課題だと思うんだよね。
もちろん、学校などの組織では競争原理などになりやすくなるのでよくない。
まして子供には教育上よくない。 褒めるのではなく、感動を伝えるといい
>>752は褒めているというよりは感動している >>765
感動はしてなくて、いい意見だと思ったらどうしたらいいのですか? いい意見だと思った
勉強になった
疑問が解けたありがとう
でいいでしょ いじめされたまふ いじめられたまふ 受け身はいるとか、敬語不足とか。 大踊りしながら町中を駆け巡りたいよなあ。宇宙域の六本ストリートで。 来週はデイケアで冷麺です。ジークフリトリートダンサー風に。 好くと発狂して 嫌うと、ボケるよね。つっこむと木津ついて、退席すると落ち着く。 急に常連の荒らし達が蘇ってきたな
使徒達の宴、蝕でも始まるのか >>765
凄いという言葉は評価を表す言葉であり感動を表す言葉ではありません >>768~774 >>778
よそでやって下さい 褒めたらだめは嫌われる勇気オリジナルか日本オリジナルだろうから
ここは納得できない人は除外すればいいのでは
実社会でほめることなしは現実的でない
計画経済みたいに理想的な人間ばかりが想定されていれば理論上は可能かもだが >>782
アドラー心理学では褒めるのではなく感謝を伝えます >>782
褒めない叱らないはドライカースからだよ
褒めない代わりに勇気付けるとという観点が抜けてるから、「実社会では〜」なんて論点がそれてしまうんだよ
感謝を示したり、長所を指摘したり、横の関係を意図した勇気付け的なコミュニケーションはどんどんやるんだよ >>787
意味が分からないので説明をお願いします >>782
部下「〇〇様との商談がまとまりました!」
褒める上司「よくやった。これからも期待してるぞ!」
勇気付ける上司「やるなー。君の頑張りに元気をもらったよ。俺も頑張らなきゃな。」
褒めない上司「了解。で、次の仕事なんだけどさ、」←これだと思ってるでしょ? >>785
学校教育としても中学校ではもう無理なような
中学受験するような小学生も難しい アドラー心理学で社長に上り詰めたとか上場したとか聞かないな
東大に合格しましたさせましたというのも聞かない アドラー心理学を使って成功者を目指すようなことを謳ってるのは似非アドラーだってある人が言ってたよ お金や地位権力みたいな意味での成功とは別の文脈で存在する心理学だからあたり前やな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています