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空を覚る・極無自性心・秘密荘厳心
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2020/08/29(土) 22:44:14.01
菩提心と空の見解を育み、

第六住心;他縁大乗心
第七住心;覚心不生心
第八住心;一道無為心
第九住心;極無自性心
第十住心;秘密荘厳心

それらの本質を考察、探求し、真理を体得するスレです

関連スレ: 「色即是空」解釈の誤り8
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1598024409/

空についての五つの誤解ほか
https://chisan.or.jp/shinpukuji/center/workshop/forum/%E7%A9%BA%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%A7%E3%81%97%E3%82%87%E3%81%86%EF%BC%9F%E3%80%80%E2%80%95%E4%B8%AD%E8%A6%B3%E6%B4%BE%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88%E3%82%92%E5%AD%A6%E3%81%B6%E2%80%95/
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2020/08/29(土) 22:59:04.93
ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー ボーディスヴァハー
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2020/08/29(土) 23:02:04.43
慈悲の心に基づいて、全ての誤った見解を断つために、聖なる教えを説き示された ゴータマブッダに礼拝いたします
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2020/08/29(土) 23:05:17.15
初禅・第二禅・第三禅・第四禅・空無辺処定・識無辺処定・無所有処定・非想非非想処定・滅尽定

釈尊はある経典のなかにおいて、出家される以前、インドの一小国の太子であった
ころのことを回想され、田畑に遊ばれて樹下にて瞑想されたおり初禅を得ていたと
述懐されています(『中阿含経』卷廿九「柔軟経」第一)。この経に対応する
パーリ経典では、その時いまだ幼い太子の身であった釈尊は、この禅なる境地において
「これこそ解脱に至る道であろう」と考えられたと伝えられます。

苦行の無意味さに気づいて極端な苦行に依る解脱を放棄した釈尊は、ここで自ら王子
として野に遊んだかつての頃、木陰で瞑想して初禅に達したおりに「これが解脱への道
であろう」と考えたことを思い出し、再び瞑想し、禅という境地において解脱を果たさんとします。
そして、悟りを獲るまでは決してこの座を立つまいとの決死の覚悟をもって、菩提樹と後代言われる
ようになる大木のもと、結跏趺坐します。インド・ビハール州のブッダガヤーと現在言われる土地においてのことでした。

しかしてついに、釈尊はかつて少年の頃に感じたとおり禅という境地において、
別いてもそのうち最も高い第四禅において、一切の無常なること、非我なること、
それが故に苦であることを完全に悟り、苦の滅尽に至って正等覚者、仏陀となられたと諸々の経典は伝えています。

http://www.horakuji.com/dhyana/sikan/dhyana.htm
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2020/08/30(日) 00:10:51.83
「ダンマパダ(DP)」153〜154 ブッダが悟った時の歓喜(よろこび)の詩

「私は、幾多の生涯にわたって生死の流れを無益に経めぐって来た、
ー「自分」という家屋の作り手を探し求めてー。
あの生涯、この生涯とくりかえすのは苦しいことである。
だが家の作り手よ、お前の正体は見られてしまった。
汝はもはや家屋を作ることはないであろう。
汝の梁はすべて折れ、家の屋根は壊れてしまった。
心は形成作用を離れて、妄執を滅ぼし尽くした」


ブッダはアーナンダに対し次のように言う(マハー・パリニッバーナ経)、
「アーナンダよ、修行僧たちはわたくしに何を期待するのであるか?
わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。
完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握拳(にぎりこぶし)は存在しない。
「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」とか、あるいは「修行僧のなかまはわたくしを頼っている」
とこのように思う者こそ、修行僧のつどいに関して何ごとかを語るであろう。
しかし向上につとめた人は「わたくしは修行僧のなかまを導くであろう」
とか「修行僧のなかまはわたくしを頼っている」とか思うところがない。
向上につとめた人は修行僧のつどいに関して何を語るであろうか。」
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2020/08/30(日) 00:14:24.26
第五住心=抜業因種心−おのれの無知を除く
 一切は因縁よりなることを体得して無知をとりのぞく。このようにして迷いの世界を除いて、ただひとり、さとりの世界を得る。
第六住心=他縁大乗心−人びとの苦悩を救う
 一切衆生に対して計らいなき愛の心を起すことによって、大いなる慈愛がはじめて生ずる。すべての物を幻影と観じて、ただ心のはたらきのみが実存であるとする。
第七住心=覚心不生心−一切は空である
 あらゆる現象の実在を否定することによって、実在に対する迷妄を断ち切り、ひたすら空を観ずれば、心は静まって何らの相なく安楽である。
第八住心=一道無為心−すべてが真実である
 現象はわけへだてなく清浄であって、認識における主観も客観もともに合一している。そのような心の本性を知るものを称して、仏(大日如来)というのである。
第九住心=極無自性心−対立を超える
 水にはそれ自体の定まった性はない。風にあって波が立つだけである。さとりの世界はこの段階が究極ではないという戒めによって、さらに進む。
第十住心=秘密荘厳心−無限の展開
 密教以外の一般仏教は塵を払うだけで、真言密教は庫の扉を開く。そこで庫の中の宝はたちまちに現われて、あらゆる価値が実現されるのである。


空海 一道無為心の深秘釈
>観自在の真言および『法華経』の題名の梵名について、密教的な解釈を与えている。
一道無為住心は、これ観自在菩薩の三摩地門なり。所以に観自在菩薩の手に蓮華を執っ て、一切衆生の身心の中に本来清浄の理あることを表す。
無明三毒の泥中に沈淪し、六趣四生の垢穢に往来すといえども、染せず垢ならざることなおし蓮華のごとし。この本来清浄の理を一道無為と名づく
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2020/08/30(日) 02:04:46.43
四禅(しぜん, Rupajhana)とは、初期仏教で説かれる禅定(ジャーナ)の4段階のこと。
三界の内の色界に相当し、この言葉は、禅定の段階に応じてこの色界を4分割した四禅天の略称としても用いられる。

初禅 paṭhama-jhāna (梵 prathamadhyāna)
諸欲・諸不善(すなわち欲界)を離れ、尋・伺(すなわち覚・観)を伴いながらも、離による喜・楽と共にある状態。
第二禅dutiya-jhāna (梵 dvitīyadhyāna)
尋・伺(すなわち覚・観)が止み、内清浄による喜・楽と共にある状態。
第三禅 tatiya-jhāna (梵 tṛtīyadhyāna)
喜を捨し、正念・正見(すなわち念・慧)を得ながら、楽と共にある状態。
第四禅 catuttha-jhāna (梵 caturthadhyāna)
楽が止み、一切の受が捨てられた不苦不楽の状態。

パーリ語経典長部『沙門果経』では、王に仏教の比丘(沙門)の果報を問われた釈迦が、
まず戒律の果報を説き、次にこの四禅の果報を説き、最後に六神通を説いたとされる。

パーリ語経典長部『大般涅槃経』では、釈迦の入滅の様子が、「初禅から滅想受まで、
「九次第定」を段々と上がって行き、そこから初禅まで段々と下って行き、そこから再び四禅まで上がったところで入滅した」と描写されており、第四禅定をして涅槃とする根拠とされた。
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2020/08/30(日) 02:11:17.05
覚とは 正思惟。正思惟とは出離・無瞋・無害を思惟すること。出離とは
  輪廻からの解脱の覚悟を定める 即ち渇愛・妄執を滅ぼすことである。
観とは 如来のさとりに心を結合する。即ち、出世間上上智を観じる

菩提心に瞑想し、空の見解を育む
一即一切 一切即一
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2020/08/30(日) 02:16:24.82
正定
『四念住(しねんじゅう)』という修行法では、『身体は不浄である・感受は
苦である・心は無常である・すべての事物は無我である』という仏教の法印と
も相関する4つの命題を観想するものである。身体・感受・心・すべての事
物は『不浄・苦』であり、そこに煩悩を働かせて執着する意味や価値などないということを自分に教え込んでいくのである。
煩悩を引き起こさない無漏(むろ)の智恵を得るための修行法として
『四善根(しぜんこん)』というものがあるが、四善根では『四諦(したい)
』の苦・集・滅・道を分析的に繰り返し観察・思索することによって、煩悩を
断ち切るための無漏の智慧に近づいていくことができる
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2020/08/30(日) 03:00:01.28
>>9 1行目訂正   正定  でなく  正念  です。

無色定
まだ物質的な領域にある色界の禅定とは異なり、無色界では色蘊(しきうん)がなく、
この段階に至った修行者は、触覚、視覚、物質的な構成要素において、微細なものからも完全に離れる修行をする。
空無辺処(くうむへんじょ) 無限の空の領域の意味。
空無辺処定 欲界と色界とにおける一切の物質的な形を離れた、一切の作為の無い
無辺の空の観
識無辺処(しきむへんじょ) 無限の識の領域の意味。
識無辺処定 認識作用の無辺性についての三昧の境地。
心を転じて識を縁じ、識と相応し心定りて動かず、
三世(過去・現在・未来)の識が悉く、定中に現じて清浄寂静なる果報をいう。外の虚空の相を厭い、内なる識を観じて、識が無辺であると達観する
如来を蔵するアーラヤ識(阿摩羅識→乾栗陀耶識)としての真識が、過去・現在・未来の三世にわたって無限に永続し解脱・成仏するあり様の観察
無所有処(むしょうしょ) 有る所が無い領域の意味。微細な対象がいまだある。
世の中に 我が物とては無かりけり 身をさえ土に返すべければ
いかなるものもそこに存在しない三昧の境地。
空は無辺なりと観じて、空を破した人が、さらに識が三世(過去・現在・未来)にわたって無辺であるを厭(いと)い、所縁共に所有なしと観じ、
この行力に依って生まるる処であるから、無所有処地という。
何ものも真実には存在せず と観察し達観する三昧境
非想非非想処(ひそうひひそうじょ) 想が非ず非想にも非ずの領域の意味。旧訳では非有想非無想処ともされる。この完成が有頂天
想いが有るのでも無く、無いのでも無い、深い三昧の境地
想いが有ろうが無かろうが、心が主客に分かれない、すべてわかって何も分かれない無色界の有頂天にもとづく
非想非非想処天とは、この天に生じる者は、下地の如き麁想(そそう)なきを以て「非想」、または「非有想」といい、しかも、なお細想なきに非(あら)ざるを以て
「非非想」、または「非無想」という。
滅尽定だけが釈迦が初めて到達した仏教に特徴的な定だとされる。 
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2020/08/30(日) 03:03:10.14
天台宗では、阿摩羅識をけがれが無い無垢識・清浄識、また真如である真我、如来蔵、心王であるとし、
すべての現象はこの阿摩羅識から生れると位置づけた。したがってこれを「真如縁起」などともいう。真如は絶対なる真我なれば「識」とは言い難いが、前の八識に隋縁生起する本源なることから阿摩羅識と名づけられた。したがって法性宗における仏性の異名である。
なお、法相宗では玄奘がこの説に対し摂論を釈して、第八の阿摩羅識のみを立てて、それは阿頼耶識の果上に至りし時の名称であり、また阿頼耶識が無垢になったものであるとするので九識を別に分けて立てない。
確かに悪念は末那識から出るものですが、阿頼耶識はその悪念を経験として蓄積
し、汚れる可能性があります。ならば、悪念のない無垢な阿頼耶識、というものがありうるはず。天台宗や華厳宗では、それを阿摩羅識という第九識とします。別名「仏性」と呼ばれるもの
さらに真言宗では、個々人の仏性の奥にある真の根源として、第十識すなわち
乾栗陀耶識を立てる
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2020/08/30(日) 03:04:45.55
無色界の禅定(非想非非想処)の先に、滅尽定(滅想定、滅受想定、想受滅とも呼ばれる)がある。これは、瞑想とも禅定とも呼べるかどうかもわからない状態である。すべての想いが滅した状態である。
これは色界や無色界での禅定ではない状態で、心の働きが一切尽きてなくなり、全く平穏静寂な、心のあらゆる動きが全く止滅した状態とされている。
想受滅では、心の状態が全く止滅し、身体のはたらきもその間ほとんど止まる。

滅尽定(nirodha-sam?patti)では、有頂天にもとづき心と心所法は決められた間において止滅する。
大般涅槃経では、釈迦は入滅にさいして第一禅定と想受滅のあいだを上下し、第四禅定から出定したのち般涅槃に入ったとされている。
滅尽定は煩悩を滅して心を完全に清らかにした阿羅漢でなければできない禅定

十地経の第七では、「(波羅蜜にある)かの菩薩」なる者が、第六の菩薩の地(くらい)において初めて、
「あらゆるまよいの存在が滅尽する定(滅定)」に入定し、第七の菩薩の地において、その定に入定してはまた出定するようになるとする。
入中論』の月称(チャンドラキールティ)の注釈も、十地における滅尽定は第六地から第八地にかけて入定するということである.

最後にニルヴァーナに入る時、
非想非非想処(有想無想定)まで至ったが、またそこから初禅(第一禅)へ戻り、さらに第四禅へと至って、最後にニルヴァーナ(最終的な肉体のない解脱)へと至っている。

初禅 → 第二禅 → 第三禅 → 第四禅 → 空無辺処 → 識無辺処 → 無所有処 → 非想非非想処 → 滅尽定

そして今度は、逆に最後の滅尽定から、無色界の非想非非想処から空無辺処まで戻り、さらに色界の第四禅から初禅まで戻る。
再び、色界の初禅から第四禅へ至り、この第四禅から直接ニルヴァーナへと入り、ブッダは肉体を捨て去ったと記述されている。
0013没個性化されたレス↓
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2020/08/30(日) 03:09:01.41
懴悔文(さんげもん)
我昔所造諸悪業(がしゃくしょぞう しょあくごう)

皆由無始貪瞋痴(かいゆうむし とんじんち)

従身語意之所生(じゅうしんごい ししょしょう)

一切我今皆懴悔(いっさいがこん かいさんげ)

五大願(ごだいがん)
衆生無邊誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)

福智無邊誓願集(ふくちむへんせいがんしゅう)

法門無邊誓願覺(ほうもんむへんせいがんがく)

如来無邊誓願事(にょらいむへんせいがんじ)

菩提無上誓願證(ぼだいむじょうせいがんしょう)


舍利禮(しゃりらい)

一心頂礼 万徳円満 いっしんちょうらい まんとくえんまん
釈迦如来 真身舎利 しゃかにょらい しんじんしゃり
本地法身 法界塔婆 ほんじほっしん ほうかいとうば
我等礼敬 為我現身 がとうらいきょう いがげんしん
入我我入 仏加持故 にゅうががにゅう ぶっかじこ
我証菩提 以仏神力 がしょうぼだい いぶつじんりき
利益衆生 発菩提心 りやくしゅじょう ほつぼだいしん
修菩薩行 同入円寂 しゅうぼさつぎょう どうにゅうえんじゃく
平等大智 今将頂礼 びょうどうだいち こんじょうちょうらい
0014没個性化されたレス↓
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2020/08/30(日) 03:12:24.65
しかしアーナンダよ、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく
一々の感受を滅したことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、
そのとき彼の身体は健全なのである
その故にアーナンダよ、この世で自らを島とし、自らをよりどころとして、他をよりどころとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ
(マハーパリニッバーナスッタンタ)
0015没個性化されたレス↓
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2020/08/30(日) 16:50:25.67
35歳のシッダールタは、ガヤー地区のほとりを流れるナイランジャナー川で沐浴したあと、村娘のスジャータから乳糜の布施を受け、
体力を回復してピッパラ樹の下に坐して瞑想に入り、悟りに達して仏陀となった(成道)。
この後、7日目まで釈迦はそこに座わったまま動かずに悟りの楽しみを味わい、さらに縁起と十二因縁を悟った。
悟りの内容を世間の人々に語り伝えるべきかどうかをその後28日間にわたって
考えた。
その結果、「法を説いても世間の人々は悟りの境地を知ることはできないだろうから、語ったところで徒労に終わるだけだろう」との結論に至った。
ところが梵天が現れ、衆生に説くよう繰り返し強く請われた(梵天勧請)。
3度の勧請の末、自らの悟りへの確信を求めるためにも、ともに苦行をしていた五人の沙門に説こうと座を立った。
0016没個性化されたレス↓
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2020/08/30(日) 16:51:45.89
パーリ律蔵の『マハー・ワッガ』(和訳:『南伝大蔵経』第3巻)
梵天の懇請を容れた釈迦は、世間には心の汚れの少ないもの、智慧の発達した者、善行為を喜ぶものもいる
ことを観察した上で、最終的に法を説くことを決意した。(「甘露の門は開かれたり 耳ある者は聞け」に始まる有名な偈はこの時説かれたとされる。)
釈迦がヴァーラーナスィーに向かう途中、アージーヴィカ教徒の修行者ウパカに無師独覚を話したが軽く受け流されている。
これは仏法を説いたことにはなっていない(ウパカは後、釈迦に帰依して出家した)。
…自らが阿羅漢であったことを表明した釈迦は、なお教えを受けることを拒む5人を説得して、最初の説法を為した。
このとき説かれた教えは四諦八正道であったとされるが、後代に編まれた経論、経解ほど中道、三十二相、三転十二行相など様々に脚色される。
5人の修行者は釈迦の説法を歓喜して受けた。
また、この時、5人のうちコンダンニャに「生ずるものはすべて滅するものである。」という法眼が生じた(悟りを得た)。
伝統的に、これは四沙門果の第一、預流果に達したことと説明されている。
釈迦は次に「無我相」の教えを説き、五比丘に五蘊無我の修習を指導した。五人は阿羅漢果(四沙門果の第四)に達したとされる。
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2020/08/30(日) 23:38:11.49
八正道(形骸化した知識にしてしまっては無意味であり、正しい理解でない。深い意義を認識した上で完全な実践に努めることこそが、覚りに繋がる仏道である)、
@正定…正しい精神統一。つまり、九次第定の完全な実践。
さらに瞑想時だけでなく、日常生活においても仏の境涯を常にキープする。そのためには、
正しい生活態度、正しい念い、正しいものの見方・考え方・言動について清浄な行いに徹し
十善戒を守る事をはじめ、常に仏であるように完全な精進努力をする。
(A〜G:正命・正業・正念・正見・正思惟・正語・正精進)
そして世界は縁起によって成り立っていること(因果の道理)をさとり、(人生のあらゆる局面において悪しき種を撒かぬよう細心の注意を払い、悪事象は過去の業報と謙虚に省察して、善き種だけを撒く生活に変革し)
正定によって生じた仏の智慧により苦しみの原因となる迷い(無明・無智)を晴らして行くことである
0019没個性化されたレス↓
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2020/09/02(水) 14:12:14.25
>空というのは「〜を欠く、〜がない」ということ。大乗仏教では自性空で「実体を欠く」という意味。
有るのでもなく、無いのでもない、仮に成り立つ中道が縁起であり空性

>7神も仏も名無しさん2020/05/16(土) 02:19:51.41ID:a043ApJm
般若心経は「色即是空」で無分別の空性に行った後に
衆生への悲から、
「空であるものそれは、色である、受である、想である、行である、識である」と法を仮設して行くから間違いではない
0020没個性化されたレス↓
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2020/09/02(水) 14:30:43.83
>障がい者という形も 真実には実体が無い

実態を如実に観察したならば、障がい者という顕われも 仮初の状態に過ぎない
働けるなら、もう障がい者では無いかも知れない。様々な条件に助けられて、
一時的に認定された仮のあり方であろう

>障がい者の判定の厳しさなるものも
実は実体が無いものである。
カルト団体が、ちょこっと圧力を掛けただけで、軽症者にもコロッと認定が
おりるといわれるような流動的なものだ

>苦の根本原因
題目をむやみに唱える行為→煩悩信心・私利私欲追求信心つまり
法華経への盲信、執着がカルト信者の脳の異常・腐敗
の理由ではなかろうか


>真我は仏の意なれば、それをゼロと決めちゃ逆でしょ。

>空=ゼロのようなもの、の方が近いと思うが

>人間には欲我と真我の全く逆な我ありと言う人もいる。>統失がおかしいのは、欲我のほうを
>無制限に開放して三毒を追求してる様子




http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1589542437/
 ↑ 冗談スレとはコレ
0021没個性化されたレス↓
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2020/09/02(水) 16:35:09.27
768 名前:鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/09/02(水) 14:22:39.59 ID:IrVmHDG5
Wゼロから全てが生じるWというのは、発出(流出説)論って云うそうなんだけと、仏教はあくまでも空性や縁起や無始無終を説くので
その限りにおいては違う

>ここで「電光放射(les fulgurations)」と言われているのは「突然の放出」を意味する言葉である。
ライプニッツはここで「創造(la création)」と言ってしまうと神とモナドを引き離しすぎ、そうかと言って「流出(l'émanation)」と
書いてしまうと、神とモナドを一体化してしまうきらいがあるので、それを避けるために互いの間に「無限小(les infinitésimaux)」の程度
の距離を入れる意味で、中間的な「電光放射」の言葉を使った。
この一神教的配慮が微積分学を生んだ。
「創造」を出発点とする西欧一神教の枠組みの中に置かれると、華厳的な本質を持つ「生起」から「無限小の距離」なる概念が出現することとなり、そこから近代解析学が誕生するのである。

中沢新一のレンマ学から。

777 名前:神も仏も名無しさん 2020/09/02(水) 14:59:42.26 ID:M6YbIj2j
空がゼロとしてあらわれることもある ならそれもよかろう
だが、∞としてもあらわれ、その時には、マイナス∞もどこかにペアで
生じていて、ただし生じたものは必ず滅するので、生滅繰り返す現象は
仮の相であって、真の実体とは呼べない。それが空の大意


仮のものは仮の現象とわかる観察者の心を仮に空の中と表現してるのでは。
さらに仮の立場より見るなら、欲がゼロになったら、それが覚り
煩悩がゼロと呼べるほど微細になったら、それこそ悟り。真実には大小の別さえ無く、極小である微細な意識が
全宇宙を究め尽くしているのがブッダ・マインド
0022没個性化されたレス↓
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2020/09/02(水) 19:10:58.08
空=0と解釈しようが、別にどーでもよいが
悪い煩悩や欲が詰まった五蘊をゼロにしようとの努力も放棄し、
下らん動画拡散で他に苦しみのみ撒いてたら
先は暗いでしょう


空(シューニヤ)の意味は、数学における空と仏典における空は区別しなければならない。そうしないと混乱してしまう。
【仏典における空の説明文コピペ】
空 シューニヤ(śūnyatā )の訳。舜若(しゅんにゃ)と音写する。また梵語シューニヤター(suññatā)の訳で、舜若多と音写する。
後者は「空なること」の意味であるから、空性とも訳される。また主空神を舜若多神と称する。空とは、一切法は因縁によって生じたものであるから、
そこに我体・本体・実体と称すべきものがなく空(むな)しいこと。それ故に諸法皆空といわれる。
このように一切は空であると観見することを空観という。空は虚無(偏空)ではなくて、空を観じることは真実の価値の発見であるから、
真空のままに妙有である。これを真空妙有という。 これに反して空の虚無的な理解を悪取空という。空は仏教全般に通じる基本的な教理であり、
大乗・小乗の経論で空の教理に関係しないものはないが、その教理の浅深に随って説明の仕方が一様でない。

>例えば、字を書く時には余白を意識して書く。つまり、字とは余白に輪郭が付与されることによって実体視できるようになったものである。
言い換えれば、字は余白と黒い部分との関係性に依って成り立つ。それすなわち、縁起であり空である。

以下の1レスはあやしい
↓     ↓
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1598849848/811

>空をメチャクチャに理解すると因果的に当然人生メチャクチャになるだろう

仏教的に空を理解したら病院通いはもとより、パチスロとかヘルスとかまず行かないから


>宇宙全体は不変だという最上位の意識から見れば
我々、個物のほうが無限小へ向かい、永遠に収縮し続けてるように見える筈
つまり時空が相対的にも非=相対でも膨張し続けてるわけだ。このへんの話を
うまく理論化できた人は
0023没個性化されたレス↓
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2020/09/02(水) 19:46:55.25
空=0と解釈しようが、無と言おうが別にどーでもよいが
youtuberの五蘊は空ではない。そもそも仏教は
五蘊はゼロである、とかのテーゼを拝んだり覚えたりする教えじゃなく
五蘊=ゼロとなるよう努力して修行を完成させよ、という教えであって、
実践する気がまるでない只の謎解きみたいな話なら仏教とは関係がない。
悪い煩悩や欲が詰まった五蘊をゼロにしようとの努力を放棄し、
下らん動画拡散で他に苦しみのみ撒いてたら
先は暗い
0024没個性化されたレス↓
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2020/09/03(木) 01:14:23.39
訂正
youtuberの五蘊は空ではない → youtuberの五蘊の顛倒夢想はゼロではない

空でないものは何一つ存在しない  から

空=0と解釈しようが、無と言おうが別にどーでもよいが
youtuberの五蘊の顛倒夢想はゼロではない。そもそも仏教は
五蘊はゼロである、とかのテーゼを拝んだり覚えたりする教えじゃなく
五蘊=ゼロとなるよう努力して修行を完成させよ、という教えであって、
実践する気がまるでない只の謎解きみたいな話なら仏教とは関係がない。
悪い煩悩や欲が詰まった五蘊をゼロにしようとの努力を放棄し、
下らん動画拡散で他に苦しみのみ撒いてたら
先は暗い
0025没個性化されたレス↓
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2020/09/03(木) 08:58:50.95
>時空のもつエネルギーもゼロじゃない
ものの欠如した状態が空だという言い方もある
また縁起によって生じるもの、それを空であると説くとも(依他起性)
ただ0とか言いきっては屁理屈にもならん

>「毒矢のたとえ」まんまだな
どうでもいいんだよ、そんなゼロの問題は
自分に刺さってる毒を抜くことが重要

シューニャとシューニャターの違い
ヤフー知恵袋より引用

この中論観四諦品第二十四では、「すべてが空ならば、無生・無滅となる。だとすれば、四諦の教義は成り立たなくなる」という相手に対して、
答えるところです。相手は、空を無の意味と断定し、無ならば何も起こらず、何も滅しないというのです。
だとすれば、「縁って苦が起こる」という仏教の根本的な教義が崩れるではないか、と指摘しています。
それに対して、「縁って起こることを空・仮・中と言うのだ」と言って龍樹は反論します。
つまり、すべてが空だから、因縁和合し、仮にことが生じるというのです。

ここでは、わざと鳩摩羅什は、「シューニャター」を無と訳したのでしょう。
無と訳すことによって、相手が空を無と断定していることを指摘し、それを否定し、仮であり、中であると論じています。
このことで、中道とは、「非有非無」であることを述べています。
中国では、まだ空についての知識がありませんでしたから、ここにある「シューニャター」を空と訳せば、「非有非空」というように
誤った解釈になる恐れがあります。
現に天台智は、空・仮・中を別の真理ととらえ、非有非空の中道を説いています。
このことは、龍樹の論とは異なっています。

>釈迦の悟りとは数学の真理や物理学の真理のことではない。人生の苦の生起、苦滅のメカニズムの真理を悟ることが、釈迦の悟り
>釈迦の悟りは、知識量とは関係ない。
多聞第一、記憶力抜群と言われた阿難は、釈迦の傍で、25年間も説法を聴き、全て暗証するほどに記憶していたが、
ついに釈迦生存中には悟りを得られなかった。
愚直なる者こそ早くさとれる
0026没個性化されたレス↓
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2020/09/03(木) 11:13:29.04
無から有が生じた 
って言い方じたい誤りで、
実には何も生じてない、不生不滅


無も有も誤解錯覚で
実には空より空へ遷移してるだけ
それ恰も氷が溶けて水になり、蒸発して水蒸気になるが如きで状態変化繰り返し
可視不可視に関わらずH2Oの本質は不変なのと同じ

0という記号をひとまず宇宙全体としよう。では宇宙の外には何がある?
ゼロイストの論法だと外もゼロかな? とすると◎みたいな(ゼロ論では)
ゼロがどんどん入れ子状に外へ被さり、∞×0となるが「量」について
説明できても構造や成り立ちは全く説明不能という事になる
0027没個性化されたレス↓
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2020/09/03(木) 21:03:46.66
しかし、
馬場なんて四十台の准教授だしね。本一冊ぐらいで定説覆すパワー全然ないな。こーいうのは眉唾だしね
さらに言えば『ウダーナヴァルガ』は、有部が『スッタニパータ』『テーラガーター』からもパクって編集した後発経だろ。いい加減なこと書くな

>サンスクリット経典である『ウダーナヴァルガ』(Udānavarga)は、説一切有部および根本説一切有部で編纂されたもので、
『法句経』と『自説経』等を掛け合わせたもの

とwikiにもある
学者もわからないのに論文を書くため、わかったようなフリをして書いているって学者が言ってるしね

東大とは他人をけ飛ばしていくだけの学校
https://youtu.be/8V6teai5xyg?t=1800

学者もわからないのに論文を書くため、わかったようなフリをして書いている・・・
https://youtu.be/vom-aH1lrW0?t=31


本人が某紙のインタビューで云わく

>英語圏でもパーリ仏典全体が歴史的なブッダの言葉だと言い張る研究者がまれにいますが、パーリ仏典が上座部大寺派というスリランカの一派の伝承であって、それ以外の派には別の仏典伝承があったことは疑う余地がありません。
>今日では、これらさまざまな仏典の比較研究なしに、初期仏教の研究は成り立たない局面に到っています。
0028没個性化されたレス↓
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2020/09/04(金) 07:50:07.79
777 名前:晃 ◆HOKKEvxAGE 2020/09/04(金) 07:30:10.93 ID:Mo1iDXRv
>>776
(^⊇^)…釈迦如来が大品般若経で説いた第四空の「空空」を知れ
(^⊇^)…空ということも空であるなら、空に執着した時点で空じゃない
778 名前:神も仏も名無しさん 2020/09/04(金) 07:31:27.85 ID:lyaAkjGx
悟れば自分を軸足にせず全てが変化し移ろう事が捉えられると同時に自分という身体を支配するホストが限界がありながらも成長する事を意識付けられる
自分が0は無でなく基準である
自分の手足は届く範囲しか動かせない
一生は短いゆえに、全ては移ろい変化するとはいえ、一生に限定すれば不変が成立し、内なる真理が成立する
選択はあれど迷う事なく生きる
現実に向き合う自分が確立し、不要な事は諦めて覚醒
今を大事に楽しく生きる
楽しくある為に、愛により苦難を癒す
これが慈悲
子供にも簡単に伝わる事が内なる真理をもたらす
善悪は価値観であり移ろうもの
現実に合わない正しさなど空論
内なる真理は愛にあり、不快をもたらす理屈は悪とし常に移ろうのである
0029没個性化されたレス↓
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2020/09/05(土) 03:33:06.32
>「因縁生の法。是を空相と名づけ、また仮名となづけ、また中道と名尽」
(大智度論)

「衆因縁生の法、我即ち是を空なりと説く。亦た是れ仮名と為す。亦た是れ中道の義なり」
(中論)

縁起の自在な観察者=空=仮名と観じる=中道
0030没個性化されたレス↓
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2020/09/05(土) 03:38:55.63
>>29

「因縁生の法。是を空相と名づけ、また仮名と名づけ、また中道と名づく」
0031没個性化されたレス↓
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2020/09/05(土) 04:46:48.26
縁起の法(諸行無常、一心縁起含めて全) 空(四諦を直観で見る事) 諸法非我 涅槃寂滅

無も有も誤解錯覚で
実には空より空へ遷移してるだけ
それ恰も氷が溶けて水になり、蒸発して水蒸気になって雲となり
雨雪降らして水氷に転ずるが如きで状態変化繰り返し
可視不可視に関わらず水分子の本質変わらざるが如し

苦滅のための道諦と苦滅そのものである滅諦、或いは四諦を直観で見る事を空といいますね
それから色即是空 の一つの解釈として 水とは即ちこれ、水分子の集まりである とも言え
水分子、あるいは、その集合体という(容易に肉眼視できなかった)本質を指して「空」という、というか
科学的にも立証可だけれども直ちには確認し難い本質(縁起など)を指すと。

三密加持 即疾顕
有頂天にもとづき心と心所法を止滅する 「五蘊は非我なり」と覚る
五蘊の顛倒夢想を除く 五蘊に我無し(欲我消え、また識を越えて、智慧生如来顕)
即身成仏 涅槃寂静
0032没個性化されたレス↓
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2020/09/05(土) 08:17:13.42
ダンマパダ

278 「一切の形成されたものは苦しみである」(一切皆苦)と明らかな智慧をもって観るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。


釈尊は
五蘊=苦と、その因と、苦を滅する方法=空=乃至 滅した状態を
説いたのです
0033没個性化されたレス↓
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2020/09/05(土) 11:42:34.28
ブッダの感興のことば(ウダーナヴァルガ) 第12章 道 7偈

7 「一切の形成されたものは空である」と明らかな智慧をもって観(み)るときに、ひとは苦しみから遠ざかり離れる。
これこそ人が清らかになる道である。
0035没個性化されたレス↓
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2020/09/06(日) 08:46:31.00
人の すがた形に色香を感じる とかいうのは 即ち是
陽炎に捉われる如き空想に等しく、
真実には「大小便にまみれた女」と観じるべき
なのである
0036没個性化されたレス↓
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2020/09/06(日) 09:47:53.08
 >五大皆有響 十界具言語
 >六塵悉文字 法身是実相
 >(声字実相義 空海)
0037没個性化されたレス↓
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2020/09/06(日) 09:50:59.70
>>34

日蓮系は空の理解が弱い
だから悟れん つまり
非仏教
0038没個性化されたレス↓
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2020/09/06(日) 21:19:28.30
自分たちが何も悟れておらず、
また心経の解釈も謬見でしかないのを表明してるに過ぎず、
それでも或る不純な動機にもとづき悪口垂れる三毒の輩が
実に多いと観察いたします

5ch統失者のようなこと書いてる思ってるから悟れんのですよね
心経何十年読んでも。ただ、ちちんぷいとか
まじない唱えてたわけだよね。それ最初に受持した時の心構えから
間違ってたからだよ

中道や全ては言語であることを覚ったと称する現代の舎利子殿よ、
貴殿が熟女動画で自慰すると告白した
その五蘊のありようを自在に観察する時、貴殿が欲情するという熟女の
形なる物は幻であり、幻を形として五蘊が受け止めているに過ぎない。
感受もまた幻であり、幻を感受してるのだ。熟女の肉体がいいという
想いも妄想であって、ありもしない妄想をただ想っているに過ぎない
自慰する行為に及んだカルマも、習気が招く根拠を欠いた妄想への執着で、妄想の夢遊状態が仮の因縁になっている
さらに動画の好悪を妄分別する知識も妄想に等しく、妄想を知識として集積して来たに過ぎない

現代の舎利子殿よ、一切の物の本質は幻のようなものであり、究極的には生滅してるとも呼べぬほど儚い現象で
浄不浄も幻、増減もしない

そのように一切は幻だと覚れし者の悟りの内容としては
五蘊も感覚器官も感受されて生じる心象も無く、概念すら無い
お前が悟ったと主張する縁起や四諦すら、唯の能書きであり、ネットから
掠め取った浅略な知識の受け売りに過ぎず、そもそも法の器さえゼロと否定してるぐらいで
悟りようもなく、智慧や悟りがある訳は無いのだ
0039没個性化されたレス↓
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2020/09/06(日) 22:35:23.18
空を覚る というのは
本当に空の境地を身に着けた阿羅漢以上の求道者をいうのであって
スリランカだかタイだかの堕落ブッダゴーサ教に執着する者には
到底理解不能でしょうね

厨房の独自解釈や分別説部の謬見は全部
心経解釈の誤りによる
うわごとだ。

統失がpcなどの画面上で見る熟女の形なるものは存在しない(対象物の否定)
熟女がいいと思って欲情する五蘊も蜉蝣の如し(主観への執着の拒否)
一切は幻なのであり、そうした卑近なテーゼから演繹して、一切の実体性を否定したのが
一切皆空

色即是空空即是色を
形なる物は幻であり、幻を形として五蘊が受け止めている
と訳した時、色即是空を他空(対象)、空即是色(主観)を自空と解釈
するのは適切ですか?
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1599190932/682-

https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1598024409/652-
0040没個性化されたレス↓
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2020/09/07(月) 06:01:03.99
832晃 ◆HOKKEvxAGE 2020/09/06(日) 17:00:37.83ID:+TTtVOgw>>837
>>831
(^⊇^)…晃が論破したのではない
(^⊇^)…ただ先人の智慧を栄進に受け売りしただけだ

833糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y 2020/09/06(日) 17:08:16.93ID:RayVe+5W
東大法学部でも、案外役に立つことは教わる。
たとえばSMAPのナンバーワンソング「世界でいちばんの花」は、
「機関訴訟」と呼ばれる行政法の理論で決めた、とかね。
機関訴訟によると、SMAPにもっとも近い立場にいる女が決めたことになっている。
行政法は「芸能法」ともいえ、「大人の事情」が述べられている。

896糖質ですが ◆/dRpTBnZTC3y 2020/09/06(日) 23:08:20.15ID:RayVe+5W
昭和天皇は、バブル期に「日米貿易摩擦」の解消のために、
おニャン子クラブのメンバーを「交換留学生」としてアメリカに
売り付けている。
私も、留学に「華族子弟」として同行した。
一見、豪胆に見える立見里香などが、体を売らされて泣いていた。
これが、大島浩註独大使が昭和天皇に教えた「円高誘導政策」だった。
大島の靖国合祀を批判した昭和天皇が、晩年は大島に教わった通りの
ことをやったのだ。
そこで、米中貿易摩擦の件で「アメリカの女子高生を中国が受け入れることは可能か?」
と中国筋に問い合わせてみた。
担当者が「大山さん」という女性だったのは偶然の一致か(笑)。
「少数民族などの問題があり、アメリカのハイスクールと文化を合わせるのは困難」
と言っていた。 
女子高生(処女崇拝・阿弥陀如来信仰)は時に「大人たちの悩み」を解決してしまう力を持っている。

https://www.youtube.com/watch?v=cJ661Nw-gCE
https://www.youtube.com/watch?v=-sXx_JGYweo
https://www.youtube.com/watch?v=MtN3UG3Yy4c
0041没個性化されたレス↓
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2020/09/07(月) 08:49:31.06
凡夫衆生がpcなどの画面上で見る女の形なるものは存在しない(対象物の否定)
あの女がいいとか思って欲情する五蘊も蜉蝣の如し(主観への執着の拒否)
一切は幻なのであり、そうした卑近なテーゼから一切皆空という普遍的真理へ敷衍して一切の実体性を否定した
のが空の思想

>空がよくわからん厨房に
日蓮系、念仏系、ブッダゴーサ教系、
および外道イン哲・西欧哲学・歴史錯視誤認厨
の四種あり

心経の観自在菩薩による説法は、
心経成立時のの説一切有部に対するアイロニー
上座部分別説部の阿羅漢の象徴を大乗の菩薩が超えて見せる
比喩
0042没個性化されたレス↓
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2020/09/07(月) 14:17:51.40
凡夫が見る女の形なるものは存在しない(対象物の否定)
あの女がいいとか思って欲情する五蘊も蜉蝣の如し(主観への執着の拒否)
一切は幻なのであり、そうした卑近なテーゼから一切皆空という普遍的真理へ敷衍して一切の実体性を否定した
のが空の思想
0043没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 01:59:29.74
ふん、何の苦しみもなく、仏法の名の下に悦楽を貪る君たちは楽しくて仕方ないんだろう。
ただただ仏法に隠れて何も考えず、ただひたすら組織に金を貢ぎ、政権政党のために無償労働に精を出し、己を省みることもない草加学会の人たちには特に言いたいんだよね。
少しは悩んだり苦しんでみたらどうかね?
0044没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/08(火) 02:16:21.66
己を省みることがないから他人に配慮することもない。
楽しくて仕方ないんだろうが、この時代に悩まないということはどこかおかしいことに気付くべきだ。
0045没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/08(火) 02:38:45.97
少しは苦しみなさい。他人を仏敵とか、関わりたくないとか、傷付けたいとか思ってんだろうからさ。ストーカーは犯罪なんだから、警察に頻繁に相談するとか当たり前なんだし。
0046没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/08(火) 03:47:37.83
宗教は心の問題とか言うけど、現実には裁判やら事件が多いんだし、宗派間で戦争やってるんだから。
本来、他人の心に介入するなんてのは失礼極まりない話なんだよね。
現実問題としては、心と称して金で全てが動いているわけだ。
0047没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 08:20:07.98
世の中には断られてもしつこく我を通す集団もあるが、自分は何事もかなり引くのが早い。悪徳人間に弟子入りしたいくらい。人の顔色を伺って迷惑にならないように気を付けるのは得意なんだ。神経質に振る舞う反面、全て途中で放ったらかしてしまう。
0048没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 08:30:41.28
最悪の状況を常に念頭に置き、石橋を叩いて渡る。相手は不快に思ってる可能性が高いが行動の前提。
0049没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 08:36:58.32
>>42

空を説くのは、日蓮系や浄土系以外だよ、連中は空を理解できないから。
あと小乗と呼ばれる南方仏教系もダメ。ワカンナイんだね。東西問わず哲学厨や
歴史オタでも我見に固執して理解不能者はいるがね。
0050没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 08:45:05.54
>>43-48

ここは、創価や如苑や変な団体とは関係がないマジスレだよ
カルト批判したいなら、たとえば以下のスレがお勧め

カルト・マインドコントロールの考察
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/4649/1598717403/
0051没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 08:52:23.32
ネット社会では常に訴訟リスクがある。配偶者が訴訟をけしかける危険は常に念頭に置いておく必要がある。
0052没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 09:00:18.90
(8) 二つの真理(二諦)に依存して、もろもろのブッダは法(教え)を説いた。
〔その二つの真理とは〕
世俗の覆われた立場での真理と、究極の立場から見た真理とである。
(9) この二つの真理の区別を知らない人々は、
ブッダの教えにおける深遠な真理を理解していないのである。
(10) 世俗の表現に依存しないでは究極の真理を説くことはできない。
究極の真理に到達しないならば、ニルヴァーナを体得することはできない。
(11) 不完全に見られた空は知慧の鈍いものを害する。
あたかも不完全に捕らえられた蛇あるいは未完成の咒術のごとくである。
(12) それ故にその法が鈍いものどもによってよく領解されえないことを考えて、
聖者(ブッダ)が教えを説示しようとする心はやんだ。
— 『中論』24:8-12
0053没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 11:42:55.48
「物惜しみする人々は天の神々の世界におもむかない。
愚かな人々は分かちあうことをたたえない。
しかし心ある人は分かちあうことを喜んで、そのゆえに来世には幸せとなる。」
(ダンマパダ 177)
0054没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 12:14:45.01
わたしという現象が、記憶でしか特定できないものだとしたら
記憶がリセットされた時点で、私というシリアルナンバーもリセットされて
全くの別人ではないか?という疑問あるね。

だがしかし、深層心理のおおよそたどり着けない部分に過去生からの記憶が残っていて
それが因となり影響してるってことも考えられる。

どこにそれが保存されてるのかと言ったら、肉体くちてるのだから、
物理的ではない知覚できない場所になにかあるのかな
0055没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 15:39:24.41
人の身体を開いて中いじる医者は、少なくとも
表面に見えるかたちの空はさとってると思う。大半はね。あと、受、
想、行の空も。ただ識の空まで悟れてるかは微妙で、だから古い知識に
縛られて誤診をやる時がある

邪見を抱えたまま眺めても、それじゃ何も理解できないのは何事も同じ
「阿含経を読めば誰でも分かる」等と居丈高に我見呟いて空の正しい解釈頑固に拒む御仁を前から見掛け
ましたが、つまり、阿含経への偏執は、空の見解育む上での妨げになり得る という事を示してるのかな?

不完全に見られた空は智慧の鈍いものを害する。恰も不完全に捕えられた蛇、或いは未完の咒術の如し

ここで不完全という語が出ましたが、全ては無常で不完全で確率的にしか予測
できないというのも、空像である世界の一つの性質といえるかも知れないですね。
ただ医学知識も無常で不完全なものと本当に気付いたら、或る種の正直すぎる人は、
医者などやっていられなくなる気はします。
0056没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 20:34:43.11
空大経は毒矢を抜くに、ためになる お経かも知れません
阿含経が毒矢になる場合も どうやらあるということでしょうか
どのような薬も、OD=過服用や禁忌には注意が
必要になります。

空である状態の心で、八正道に徹する者は、
もはや、欲に巻かされず、悪に負かされない。

〜「彼は、空である状態に、心を向かわせる。
心を内側に向けて、落ち着かせ、満ち足りる。
そして、心が治まり、そのように、自覚をする。

この状態の心で、経行する者は、
もはや、欲に巻かされず、悪に負かされない。
彼は、そのように心を見て、心を見とめている。」

「そして、この状態の心で、瞑想する者は、
もはや、欲に巻かされず、悪に負かされない。
彼は、そのように心を見て、心を見とめている。」
パーリ語聖典 空大経より〜
0057没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 21:20:34.59
仏紀2564?


>ミャンマーやスリランカでは、釈迦が入滅したその年の紀元前544年を仏滅紀元元年(=1年)とする。
一方で、タイ王国、カンボジア、ラオスでは、釈迦が入滅した翌年の紀元前543年を仏滅紀元元年としているため、双方の紀元には1年の違いが生じている。
0058没個性化されたレス↓
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2020/09/08(火) 21:46:17.51
しかしアーナンダよ、向上につとめた人が一切の相をこころにとどめることなく
一々の感受を滅したことによって、相の無い心の統一に入ってとどまるとき、
そのとき彼の身体は健全なのである
その故にアーナンダよ、この世で自らを島とし、自らをよりどころとして、他をよりどころとせず、
法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ
(マハーパリニッバーナスッタンタ)
0059没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/09(水) 04:39:43.47
龍樹の「大乗についての二十詩句篇」より


三宝を礼拝したてまつる
一 ことばでは言い表せない真理を、慈悲をもってことばで説き示された、その思慮は執著を離れ、不思議な威力ある、
ブッダを礼拝したてまつる。

二 それ自体(最高の真理の立場)から見るならば、生起するということもなく、真実には静まるということもない。
 虚空のように、もろもろのブッダも、もろもろの生きとし生けるものも、ただ一つの特質を持っているものである。

三 もろもろの形成する力によってつくられたものは、この世においても、かの世においても、生起したのではない。
それらは因縁によって生じたものであり、それらはすべてその本質については空である。
 【それらのものの真実相は】全智者(ブッダ)の智慧の領域(対象)である。

四 一切のものは、それ自体について言えば、彫像に等しいと考えられている。
 それらは清浄であり、本性の静まったものであり、不二であり、平等であり、あるがままの真如である。

一一 無なるものを存在と見なして、かれらは苦痛の感覚をうける。
 またもろもろの虚妄なる対象が疑いの毒をもって彼らを苦しめる。

一二 そこでたよりとするものをもたない人々を見て、慈悲をしっかりとたもっているもろもろのブッダは、人々のためをはかって、
人々を正しいさとりに向かっていざなう。

一三 かれらもまた、さとりのための資糧(かて)集めたならば、無上の智慧を体得して、妄想の網から解放されて、世の人々の親族である
ブッダとなるであろう。

一四 真理の意義を見る人々は、<世界は不生であり、生起せざるものであるから、空であって、始めと中間と終わりとを離れている。>と観じ、

一五 それゆえに、自己の輪廻をも見ない
0060没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/09(水) 04:43:27.69
【すべては】汚れなく、変化することもなく、始めと中間と終わりにわたっ清浄である、と見る。

一六 すでに目覚めた人は、夢の中で経験した対象をもはや見ることがない。
迷妄のまどろみから目ざめた人は、もはや輪廻を見ることがない。

一七 幻術師が幻を作りだして、次いで消し去ったときには、何ものも存在していない。
それが事物の本性(きまり)である。

一八 この一切のものは心のみ(唯心)より成り、幻の姿のように出現している。
 それ(心のみ)にもとづいて善と悪との業が起こり、それに基づいて善と悪との生存が起こる。

一九 人々が世界を妄想しているがごとくには、かれら自身は生起していない。
 この生起なるものは妄想であり、外界の対象(事物)は存在しない。

二〇 愚かな凡夫どもは、迷妄の闇に覆われて、真実にはそれ自体のない事物について常住であるとか、自己であるとか、
快適(楽)であるとかいう想いを起こし、この輪廻の【迷いの】
生存の海のうちにさまよう。

結びの詩句 大乗の船に乗らないならば、誰が、妄想の水に満ちている輪廻の広漠たる大海をわたって、彼岸に達しうるであろうか。

ナーガールジュナ


>三 もろもろの形成する力によってつくられたものは、この世においても、かの世においても、生起したのではない。それらは因縁によって生じたものであり、それらはすべてその本質については空である。

これが「不生の生」と呼ばれているもので
実相は不生不滅なのに生滅があるように見えるのは因縁に依る
0061没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/10(木) 12:04:19.50
>すべては心によって作り出されるとか、原始仏典にも説かれてますね。
しかし、釈尊は四諦や八正道について、きちんと分類したりしてゴリゴリ説いたわけではない。
オジャマムシの老害ノイズは、後世の教義学者らによる説で、それはそれで意味が無い訳でもないが、
老害ノイズの発信元が覚者でなさそうなとこからしても、我見ぽい

https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1598024409/747-748
のレスが処方せんになり得る気がします。
それ読んで、何かに気付ければ、左脳から悪魔をぶっとばしてしまえるかも
知れないですよ。そしたら五蘊皆空です

カルト信心→大石寺等への妄執こそが悪魔
なんでしょ、悪魔がずっと利己的自我の中心に住み着き、根拠の無い
自惚れや破壊衝動の因に転じていると動画で見えました

>これは、766さんの右脳の叫びです。
目を覚ませ!! と766さんの仏性へ法身佛が説法してるんです。
766さんの右脳と心臓にも法身佛の支店やエージェントがいるのですが、
賊に幽閉されてしまってる状態です

或いは、毒矢が刺さった状態とも言えるかもしれません。
矢ガモといいましたか、刺さったまま奇跡的に生き延びてるに等しい。それを抜く為に
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1598024409/747-748
を面倒がらずに全部読んでみて
ください
0062没個性化されたレス↓
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2020/09/11(金) 03:49:13.20
>一般的な仏教では神秘体験なんか聞いた事も無いんだが
原始仏典の沙門果経に、サキャ神賢(釈迦牟尼)が説かれた「仏道修行で得られる神通力」が列挙してあります。
神通力は仏道修行の過程で身に付く天界の神々以上の魂の知覚・能力であり、如来方・仏陀方が説かれる真理を実体験として如実に認識し理解するのに必要な要素です。
神通力を得なくても低次元の解脱・悟りに到達することは可能ですが、全ての衆生を救済する為には神通力を具足し本格的な解脱・悟りを得る必要が有ります。
975神も仏も名無しさん2020/09/11(金) 02:27:27.53ID:klEsz/C9
それ、言ってる事完全にオカルトだよね
釈迦は確かに神通力を持っていたかもしれない  でもね?
歴史的にみると、アイスマンという冷凍ミイラがアルプス山脈で発見されてるのは知ってる?
このアイスマンというミイラは5000年前に生きていた人のミイラなんだけど
刺青が入っていた
その刺青が入っていた場所は、東洋で言う、所謂ツボの位置
つまり、体が悪くて、そのツボを押せばある程度良くなるよ、という部分に、本人がその体の位置を忘れないようにツボに刺青を掘っていた形跡がある
釈迦は人を癒した神通力があったそうだけど、それも記録に残ってるんだけどね?
5000年前にはもうツボ治療の概念があったのだから
2500年前の釈迦がツボ治療を知っていて当然だし、悟りを得た上で、そのツボ治療も極めていたのではないの?
俺はオカルトを簡単には否定しないけど
安易なオカルトって、バカにしたいほと嫌いだよ

釈迦の神通力というのは
歴史的に見て、ツボ治療だった可能性が高いんだよ

神通力というから、なんか超能力みたいな感覚受けるんだろうけど

976神も仏も名無しさん2020/09/11(金) 02:29:50.80ID:klEsz/C9
ついでに言うが

イエスも病人を癒してるんだが

これも恐らくツボ治療でしょう
0063没個性化されたレス↓
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2020/09/11(金) 03:57:19.90
アーナンダ
「(女性を)見てしまった場合はどうすればよいでしょう?」

釈迦
「話すな」
「慎んでおれ」


見てしまった場合
大乗の菩薩は、
対象物の形なるもの や己の五蘊は空(幻影)と観ぜよ と説いた
のかも知れません
0064没個性化されたレス↓
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2020/09/11(金) 12:06:51.94
世俗における真理は無数にあるが、勝義においては涅槃であり、無為法の慧。
それは涅槃寂滅、涅槃寂静である。一方、色即是空や五蘊皆空の勝義は諸行無常に近く、
また凡夫からは一切皆苦と見え、聖者には諸法非我

と了知される。
0065没個性化されたレス↓
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2020/09/11(金) 14:23:10.39
人は想像出来ることは
実現可能である。

これは成功哲学や心理学でも言われている
0066没個性化されたレス↓
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2020/09/11(金) 17:30:26.41
本不生
(「本来不生」の意) 仏語。あらゆる存在がその根本・究極において不生であり、新しく生じてくるものは一つもないということ。
一切の事象の絶対性を明らかにする真言密教の説。
※秘蔵宝鑰(830頃)下「証二此性浄一時即能自覚二心本不生一」 〔大日経‐二〕
密教の根本思想の一。 一切諸法の本源が不生不滅である、すなわち空(くう)であること

>神秘体験と悟りは無関係
しかし、オウムは信者獲得のために、なにか説得力を持たなければいけない
その時にクンダリニーヨーガを使う
それ真面目にやればいろんな体験をするにはするんだけど

クンダリニーヨーガというのは
クンダリニー症候群と言って、統合失調症のような状況を発症する恐れもあるからね


Journey Into The Beyond 1977
https://youtu.be/yb20eeLMsmo?t=4280
0067没個性化されたレス↓
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2020/09/11(金) 21:55:45.40
空がわからん者にはこう言うしかない。確かに釈尊は、女の皮の下はカラだ
とは言わなかったよね。腐った皮の下には、表面に見えていた仮面とは別
な不浄なる本性があった、その不浄なる本性が、実は浄も不浄も無く、焼かれ
て宙に帰った後とも差別無き事を空と言ってるだけとね
0068没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/12(土) 06:53:27.79
>不浄なる本性をもった空なる幻は
幾つもの穴から不浄なる大小便や血を日夜
噴出させているのだ、そのような不浄なる物質に、どうして恋着など
できようか?
0069没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/14(月) 04:32:38.60
>無我なのに何が悟るんだよ

左脳の我執という妄想を「無」にして、本来悟ってる右脳を目覚めさせる。右脳を真の自己という者も
いる。またムガムガ言ってるスリランカの長老も、無我といいながら、話のオチで、結局は、
真の自己という言葉を出してしまう。お慰みかな
0070没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/14(月) 04:47:59.89
キミら中学生ぽいから中一の最初の頃を思い出すが、女子の身体に異変が起きてるのを感じ、女は
不浄というのを実感するよね。前の席の必ずしもキタナそうでもない子の下のほう
からスゴイ匂いがしてね。そういう経験せんかった?

統失者の五蘊を空にできるか?
現代版スッタニパータ4章を
編纂してみる。たとえば婦人科の病気やエイズや堕胎の現場に
ついて詳述する
0071没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/14(月) 05:11:35.27
>内観  自己の内部を見つめる

ダンマパタ やスッタニパータを読んでも
>とにかく自己の内面を観察するのが主なる教えだったらしい

紙は無かった、

>木の葉や、皮、石板、粘土板、等、古代文明世界は王の業績等を記録していた。
釈迦牟尼は、文字で残さなかった。
ただ語った。

人々の不要な食べ物を1日、1回、午前中に食した。

働かず自由を確保し、真理を探究することに没頭するための最低限、最小限度の生き方をした。
これならば、許されるであろう、と言う事である。

一日(あるひ)釈迦牟尼は炎天下、農作業に忙しい農民のそばの道を次の村へ足を急がれていた。
それを見た農民が、言う。
何もせず、ただ生きていると言うのは、理解できないなあ。
これを聞いた釈迦牟尼は言われる。
あなた方は 田を耕す、わたしはこころを耕す。

これらの事を、お弟子さんは、詞の覚えやすい形にして覚え、修行僧が出会えば、互いが覚えている詞を言いあって、確認し合った。

如是我聞
0072没個性化されたレス↓
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2020/09/14(月) 12:30:00.10
人の心には二つ、我があって
一つは小我とか個我とか我執とかエゴとか言い、もう一つは真我とか
仏性とか法性とか円成実性等と呼ばれる

梵我。至上我はどっちも右脳です。
五蘊は、凡夫の場合、ただの曇りであって
全部錯覚、テン倒夢想に支配されてる

さらに言うと五蘊は苦の因を集める器であり
悪魔の棲家と見做されるべきもの。
苦の因を集めるのが我執。それを晴らすのが
空=道諦
0073没個性化されたレス↓
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2020/09/15(火) 04:34:47.52
0074没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/15(火) 04:38:08.18
五蘊がさとるのではない
如来(我)が覚るのである
本来悟っている仏を自覚
するのだ
0075没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/15(火) 05:44:45.42
我を殺すことはできない。与えられた五蘊を破壊する者がいるが、それも錯覚である
空に還った未解脱者の五蘊は(輪廻が止まらぬから)再生する
五蘊を滅ぼしてるだけ どのみち五蘊が空になるのは必然
なのに
0077没個性化されたレス↓
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2020/09/15(火) 11:25:40.01
自殺は意味ない。我を殺すことはできない。与えられた五蘊を破壊する者がいるが、
それも錯覚である 空に還った未解脱者の五蘊は(輪廻が止まらぬから)再生する
仮初の五蘊を一時的に滅ぼしてるだけ どのみち五蘊が空になる
のは必然なのに
0078没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/15(火) 13:50:59.74
(梵語訳)
八 一切の執着を脱せんがために、勝者(仏)により空が説かれた。しかるに人がもしも空見をいだくならば、その人々を「何ともしようのない人」と読んだのである。

(中論第十三章)
0080没個性化されたレス↓
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2020/09/15(火) 21:48:54.10
色の解釈一つとっても
意識原理としての身体として捉えるか
只の物質としての肉体と捉えるかで、また変わってきますね。
受想行識というのは意識と心の原理ですが、その4個以外の身体的側面に含まれる意識の要素は当然あると思いますが、
その観点から解説した論書や解説本はあるのでしょうか?

というのも
五蘊は全部、意識原理なのに
仏教は五蘊の理解として
意識原理を識
心の原理を受、想、行
物質原理を色だと勘違いした
という人もいるのです。
0081没個性化されたレス↓
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2020/09/17(木) 02:11:22.72
自然現象の一切仏法を示す課題と見る時、
コロナ騒動は
どう観察できますか?

ただコロナ騒動も人為的に引き起こされた可能性もあり、まさにそうした指摘
通り、ユダヤ金融の一部である米国石油商等が企んだ計画の一端だった場合、そうした
謂わば人災も自然現象の一つと見るべきか、人類全体が抱えるカルマの清算なのか
という問いも生じます。
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1600090637/363-
0082没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/17(木) 02:13:24.39
〜〜ましょうという言葉によって
何ものかへの執着により苦が生じ、
執着を因とした苦であるが故に苦そのものに実体が無い事を思い起こし、
苦に実体が無い事で因である執着も実体が無くなり
執着そのものが消え去って
これを観察した因により、方便が生じる

この場合、一時的に煩悩障は消えますが
まだ所智障が残っているため、
また来てしまうという問題があります
また実体がないと
理解できていないからではないかと推測してはいる
0083没個性化されたレス↓
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2020/09/18(金) 20:47:55.91
筏喩経 筏の喩えは大乗経典じゃない

釈迦が言ったという記述はないが 「私はこのように聞いた」 と伝聞形式で始まるのは
仏教経典では普通で釈迦がこう言ってるのを聞いたという意味である

本当に言ったかどうかを確かめる手段はなく 釈迦の弟子達の伝承に頼る以外にない

筏の喩えは大乗経典には存在せず パーリ語聖典等の釈迦の言葉とされる経典においてのみである
0084没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/19(土) 06:01:05.17
 人の五蘊というのが
いかに空なるものか を解明するために
あの子供じみた「失われた30年」を象徴する存在が提示されている、と。この世界は
ソラリスの海だという人もいます。
0085没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/19(土) 22:24:48.50
>極無自性心を覚って、さらに上へと進みたい人は

「色即是空」と般若心経の深義9
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1599594934/

おまけ
誰が立てたか知りませんが、大乗の悪口やガス抜きの見物をしたいという方は下へ
寄ってみては如何でしょうか

大乗仏教は日本から滅亡する!
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1586793469/
0086没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/20(日) 10:19:02.59
0087没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/21(月) 12:15:44.25
>南伝<北伝は仏教じゃない
北伝<南伝では仏陀になれない

ただし
>北伝にも二種あり

チベット=インド大乗+(本家)上座部 > 現在の日本仏教や小乗寺(南伝 or シナ経由)どっちもどっち
ハイクオリティ > 負け組
0088没個性化されたレス↓
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2020/09/22(火) 05:52:13.43
>>17

不二
仏語。対立していて二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものである
といった意味。
0089没個性化されたレス↓
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2020/09/22(火) 10:20:51.14
おそらく、心経が完成した時点でも
分別説部や有部などで阿羅漢を称する者の中で(今のスリラ
ンカと同様、)実はマトモな仏弟子とは全然違うのじゃないかと気付いてしまうような
あやしげな長老とかがいたのでは?

仏滅後五百年も経過しているのだから当然、舎利子も死んでるし、
その期に及んで彼を批判してもしようもないし、その如く解釈しても無意味。
だからその時点での対象は、ぼちぼち出現し始めたニセ舎利子だったのでは?
と観察します。

>涅槃経 には計9種の異本があるが、それぞれに後世の脚色が加わっており、

多くの人々を真の安楽に導く仏陀の遺言である涅槃経を改竄し、
大乗涅槃経を捏造した罪業は重大だ
と思われる。

ただ心経にそれを言うのは的外れな気はします。というのも心経は偽経というよりも
お経ではない要約書かも知れないからです。というのは

>漢訳の題名には「経」が付されているが、サンスクリット典籍の題名は「Prajñā(般若)-pāramitā(波羅蜜多)-hṛdaya(心)」であり、
「経」に相当する「sūtra(スートラ)」の字句はない
0090没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/23(水) 15:04:29.94
頌に曰く、真言は不思議なり
観誦すれば無明を除く(本尊を観想しながら、真言を唱えたならば、根源的な無知の闇が除かれる)
一字に千理を含み(真言のわずか一字の中に、それぞれ千の理法がふくまれ)
即身に法如を証す(そうして、この身のままで真理をさとることができる)
行行として円寂に至り ぎょうぎょうとしてえんじゃくにいたり 去去として原初に入る
(「羯諦 羯諦」と行き行きて、静かな涅槃の境地に至り
「羯諦 羯諦」と去り去りて、根源的なさとりに入る。)
三界は客舎の如し さんがいはかくしゃのごとし 一心はこれ本居なり いっしんはこれほんこなり
(いまださとりを開いてないものにとっては、三種類の生存世界は、あたかも仮の宿である。
しかし、実際には、われら衆生がそなえて持っている、ただ一つの心が、本来の拠り所なのである。)

羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶  【秘蔵真言分】
0091没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/24(木) 21:29:50.99
分別説部や有部の中に
偏執病っぽい、
独裁者的な長老とかがいた
んやないか
0092没個性化されたレス↓
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2020/09/24(木) 21:31:20.62
>不完全に見られた空は智慧の鈍いものを害する。
恰も不完全に捕えられた蛇、或いは未完の咒術の如し

蛇は不完全に掴むぐらいなら 捕えずに放置
しとくべきだな
0093没個性化されたレス↓
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2020/09/26(土) 15:28:55.14
>女とは大小便製造機である。そう知れば 執着する者など出ない筈である。
正体は、おぞましい内臓や肉や血、不浄なる体液で満たされた内容物を
表皮で包んで、さらに外面を飾る化け物なり
とぞ知れ

>それで思い出すのがスッタニパータ835-847。
マーガンディヤというバラモンがブッダに自分の娘をさし出す。
するとブッダは「糞尿に満ちたこの女がなんだというのだ、足でさえも触れたくない」と言い放つ
>マーガンディヤがキレ気味に「じゃああなたはいったいどういう理を説くのですか」と詰め寄ると、
ブッダは「私には説くことがない」「教義では清らかにならない」みたいなことを言う。
するとマーガンディヤが言い返す「ばかばかしい」。

この後に続くブッダの返しは原始仏教の真髄

>病人のためだけじゃなく、観察で欲に囚われることは健康を害するという教訓を得、
また健康を害した状態は煩わしき悩みから解放される場合もあるようにも見え、
つまり本来プラスは二つ曳きあわんところ、健康を害さずとも空という方便を用いて、煩わしき悩みから解放
させようとしたものが本来の仏教かもだな


あと病人が煩悩から解放された
わかりやすい死亡体験者の例として木内鶴彦氏の例がある。彼は死亡体験時の
体外離脱を語るが、嘘臭さが微塵も感じられない。同じ元自衛官の元病人でも、全然違う。
その違い何なのか?
0094没個性化されたレス↓
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2020/09/28(月) 02:11:26.88
マハーパリニッバーナスッタンタで
阿羅漢でもなかったアーナンダがブッダの最後の九次第定の様子を
他心通で読みとった
って?
0095没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/28(月) 02:12:02.85
第七住心=覚心不生心−一切は空である
 あらゆる現象の実在を否定することによって、実在に対する迷妄を断ち切り、ひたすら空を観ずれば、心は静まって何らの相なく安楽である。
第八住心=一道無為心−すべてが真実である
 現象はわけへだてなく清浄であって、認識における主観も客観もともに合一している。そのような心の本性を知るものを称して、仏(大日如来)というのである。
第九住心=極無自性心−対立を超える
 水にはそれ自体の定まった性はない。風にあって波が立つだけである。さとりの世界はこの段階が究極ではないという戒めによって、さらに進む。
第十住心=秘密荘厳心−無限の展開
 密教以外の一般仏教は塵を払うだけで、真言密教は庫の扉を開く。そこで庫の中の宝はたちまちに現われて、あらゆる価値が実現されるのである。
0096没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/28(月) 12:30:50.25
 >中林大樹さんのWikipediaに、「許さない」と謎の書き込みがされていたことから、竹内結子さんの「他殺説」が浮上する事態となっている

>竹内結子さんの死因に他殺を疑う非常に多くの声 - NAVER

>コロナ社会経済危機?
三浦春馬に続き竹内結子さんがクローゼット内での不審死
>アベやスガ、そして自民党公明党朝鮮カルトと官僚機構と財界は近代日本の精神病理の歪んだ姿の産物であり、
日本人のそれへの無感覚による生産物であり、それらの悪へ天は必ず罰を下します

しかし本当は日本においてマジョリティである筈の
>政治なんかに関心すらなく放棄してまかせっぱなしにして
いる多くの有権者はマインドコントロールされてないにも拘わらず、不完全に捉えられた「空」の如き虚無主義風な達観の境地に埋没し、 
何ともしようのない骨抜き状態にされ、 また一方では
NHKや大新聞やカルトにマインドコントロールされた(ほぼ痴呆状態に陥らされた家畜状態にある)者らが自民公明に投票し、さらには
ブラックボックスであるところのハードソフトを用いた不正選挙システム(これも米国スパイ絡み)の誤魔化しも手伝って、
出鱈目な政治状況という仮初の危うい現象がつくり出されてしまっているわけだ。
0097没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/28(月) 14:24:48.59
つまり創価朝鮮カルトや自民党利権や家畜国家日本の進路操作に対する執着を抱いたものらが、
大多数の「執着をもたない生半な空の境地」にある大多数の無執着の人々を
利用して(それらを見越して創り上げた選挙のカラクリによって)日本を私物化し
支配してるというお話。
0098没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/30(水) 16:16:24.74
大変よい傾向だと思います。
膨大な般若経典、大般若経の要約と見る方も多く、また
説法者の観自在菩薩も実在者というより、匿名性の高い大乗の求道者との解釈が有力であることから、
聞き手も実在したシャーリプトラと見るよりは、今の南伝にも繋がる分別論者や有部の法有の仮の世界観に固執する方々と
捉えたほうが、より適確ではなかろうか と感じています。
無無明亦〜 の件は、十二縁起のさとりなるもの、つまり独覚乗以下や二乗未満で、縁起を知っただけで悟った気になっている者の妄分別や錯覚を
戒めてるのではないかな、と解釈しています。決して無明が無いとか否定してる訳でもなく、
しかし、とうに無明が無い段階の人には、もっと高い見地からの意味もあるかも知れないなとも考えたりはします。
そのように心経は、基本は修道以上の菩薩から、見道以下の阿羅漢への説法と見做せるのですが、各人の心の段階、さとりの水準に応じて
多様な解釈が可能になる大変汎用性の高いお経だと考えています。
https://plaza.rakuten.co.jp/brahmanbuddha/diary/202009020000/
0099没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/30(水) 16:21:29.59
テーラワーダは何故、空が理解できないか?
https://plaza.rakuten.co.jp/brahmanbuddha/diary/202009300000/

ウィキペディアによりますと
>大衆部によれば根本分裂によって上座部、大衆部、分別説部の三部派に分かれた
とありますが、心経の批判対象は分別説部へ向けられたものの可能性はないでしょうか
無論、分裂前から般若経典に相当する仏説があったとも考えられますし、
また上座部が滅ぶ前に出現したお経の可能性もありますが、分別論者が先々イニシアティヴをとる
危険を察知した大衆部による先見性のある喝破と見れる気もします。
実際、南伝こそ異端でチベットに本当の上座部も生きてると見る人もいます
0100没個性化されたレス↓
垢版 |
2020/09/30(水) 16:24:58.21
XML
テーラワーダや現代の分別論者への教化として、おそらく大変適切と言える言葉を見つけました。
カテゴリ:カテゴリ未分類
それは
「自分がそうだから他人もそうだろうとは思わない方がよい」
という言葉です。これは知恵袋の次の質問
諸法空相と色即是空の違いをわかりやすく教えてください。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10224252255
に対するsam********さんという方の回答(BA以外)です。
確かに、空について自分らがよくわからないからといって、誰しもがわからないと思い込むのは変
だと思いますし、それこそ妄分別です。龍樹も
「行為と煩悩を滅すれば解脱に到る。行為と煩悩は誤った認識から生じ、それらの妄分別は戯論から生じる。そして
戯論は空によって滅される」と
いうようなことを言っています。空を否定しようとして攻撃している分別論者らの妄分別さえもが空によって滅されてしまうのです。
また先に挙げたsamさんによれば、「正解が分かりにくい時、分かりやすく誤解するくらいなら、分からないままにしておいた方がよい」
とのことですが、しかし、それも一理はありそうではあるのですが、これまでに空について説かれた膨大な論書、
現代にいたる学術書や出版物等によるディスクールはどう扱えばよいのでしょうか? 近年でも
スマナサラ長老や苫米地氏による極めて粗雑な誤解に基づく本が出版されたり、あやしげな動画が氾濫しており
今更分からないままにしておける状況にあるとは思えません。
そこで、先の質問には他に大変示唆に富む回答やコメントが満載されているように思えますので
今後、引用させていただきたく存じます。
質問者さんは
(λ+涅槃寂静)÷ℏ➡零≒Λ×∞さん
というユニーウなHnの方で、まだそんなにQA数は多くないようですが、QAともに解決率が100パーセントで
刺激的なコメントを繰り出しておられる人のようなので、とても参考になります。
https://plaza.rakuten.co.jp/brahmanbuddha/diary/202009300001/
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