【落語激動の10年】1977年から1987年までの落語界
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
5代目三遊亭圓楽が笑点レギュラーを卒業し(その後1983年1月に笑点4代目司会者就任)落語協会分裂が翌年に迫った1977年から
その落語協会分裂の引き金を引いた三遊亭圓生の7番弟子三遊亭圓丈が著書『御乱心 落語協会分裂と、円生とその弟子たち』を発表した翌年の1987年まで
揺れに揺れた10年間を語れ >>850
長講は悪くないけど、全般的にかちゅぢぇちゅ悪い
寄席芸人としては、中の下 >>735
大泉の家が今は志らくか
談志は3つ家あったね
当時は妻子は根津、大久保、どこに住んでたんだろう >>738
代わりに全部歌える市馬が重用されたんだっけ
今や会長だもんな
何が幸いするかわからない >>854
かんけねーだろ、談志と市馬は
談志が市馬をかいちょーーに推薦したんか?
そうなら証拠見せろや禿げ野朗 いちばって歌上手いよーが出過ぎ
大分の田舎者だからしゃーないか
噺も歌も二流だよいちばは >>837前座なのはさく平とこぶの次男のぽん平だ。小駒は世代や入門年もぽん平の兄たま平と同じくらいだ。とうに二つ目だよ >>859
慌ててグリーン車に移動する姿が目に浮かぶw 芸協で二世は少ないか
先代文治と小痴楽
当代助六は先代の養子
米丸円右柳昇夢楽ら大正生まれの大看板たちの子息はあとを継がなかったんだな >>862
芸協は落協より二世ははるかに少ないのね。
美濃部小林海老名といったブランド家系がないのが特徴か。 林家九蔵の落語協会脱退は大きな...
大して大きくないか。
彦六門下からまさかの裏切り者。
生活苦で気が狂ったのか。
木久蔵あたりが止めなかったのかなあ。 >>865
本人はもともと圓楽ファンで、
圓楽に入門しようとしたら既に楽松(鳳楽)がいたから
「惣領弟子になれないなら・・・」ということで諦めた、という程の人
自分が真打ちになり、彦六の一周忌も終わって何の弊害もなくなったから移籍したんだろうと。
好楽が笑点に復帰したのは圓楽一門移籍した5年後(才賀降板の後任)だから、直接の関係はないし。 >>866
最初から五代目圓楽に弟子入り
すれば良かったのにな。
後から落語協会を裏切り円楽党に行った
ところで惣領弟子以前に外様だし、
元が「林家」の亭号だったから後年
海老名にいちゃもんつけられ散々だな。
この人からは「裏切り者」という汚名は
一生消えないなあ。 真打ちになってんのに、協会出て移籍とかダサすぎ 昔から憧れてましたーって、一生圓楽のポチ宣言して恥ずかしくなかったのかね 売れない時期の生活苦だろうな。
そうだったら木久蔵に付いて一緒に
ラーメン売ればいいんだし。 >>867
林家九蔵襲名の話は流石にちゃんとネゴしなかった好楽が悪いと思う
林家の亭号付けたいと思うならたい平や三平、兄弟子だった木久翁に相談すればいいものを >>871
木久扇には話し通してるぞ
彦六の遺族にも話し通している
まあ根岸に話もっていかなかったのはその通りだし、林家で行くのはどう考えても無理筋だったが 黄色がOK出したからと言って、彦六一門の総意ではないと思われる 香盤が上でも所詮外様だから黄色は
彦六一門の誰かが根岸に、ピンクの弟子に林家名乗らせるなと言った可能性もある 黄色も元は三木助だからな。直弟子で真打まで行ったのはは柳朝、文蔵、春輔だけ
藤兵衛、時蔵、正雀は二つ目で死別 >>854
その談志が通っていた中野の歌謡バーのレコードをマスター死後買い取ったのが市馬 ピンク自身は彦六一門でも
ピンクの弟子(と息子)は一門と
何の関係もないもんだな。 林家九蔵の名前継いでても売れてた未来が全く見えない
一生に一度レベルの注目を浴びたのにそれを全く活かせなかった その程度のセコ 好楽さんはもう五代目圓楽一門の人でしょ
彦六師匠が亡くなってから真打ちで他門に移籍してるんだし 林家彦六(八代目正蔵)改名の口上
https://youtu.be/93ZMnYs7Djc
気が違っていたら三遊亭圓朝になっていたらしい >>484
おお、すごい役者が仁左衛門の弟子にいるものだ
プロフィール見てめちゃくちゃ驚いた
英語のヴィジュアル的な歌舞伎入門書を文科省の助成金で
作ってくれないかな まともな本がいまだになくて残念に思っている
英語版から、独仏スペイン語に翻訳させればいいのだから >>832
けっきょく、あの兄弟や上方四天王の松鶴、春團治みたいなのが例外なんだろうな >>887
上方は使えない奴は容赦なく淘汰されるからな 小きん(先代文枝の孫)も名跡狙いできん枝に弟子入りしたんだろうけどダメなら松鶴の息子コース
多分吉本の先輩がもう〆てるから流石に増長する事は無いとは思うけど。 >>869
稲荷町と馬円楽は仲良かったからまああり得なくはない
稲荷町は三代目円楽だったし
馬円楽が五代目襲名してくれて喜んでくれたらしい
しかし柏木もよく惣領弟子がよりによって犬猿の仲の稲荷町の前名継ぐのを許可したな >>892
彦六の他の弟子は移籍してないので、ピンクの異常な行動が目立つだけだよな 彦六は師匠というより任侠の親分のイメージだわ
客分も多かったし一宿一飯の義理さえ守れば他所へ行くのも自由って感じ 五代小さん一門に比べれば少ない方だが好生→一柳の件も含めて面倒見はよかったしな 柏木も柳枝が亡くなって円窓円弥2人預かったんだよな
あの面倒見悪そうな人が
田端の三木助は弟子は散り散りになったな
芸協に置いてった円輔柳橋たちもいたし
亡くなったあとは扇橋は目白に木久扇は稲荷町
そもそも師匠に惚れ抜いて入門した弟子の一部を連れて出なかったのはよほど事情があったんだろう >>896
その割を食ったのがさん生(川柳)
芸の信念上の問題もあるが外様の圓窓、圓弥に真打先に抜かれるという
そういうことを普通にやるから圓生一門が空中分解したのも当然 弟子に、お前は色物でゲスから真打にはしやせんって言うのは酷いわな
好生も下手な頃の自分に似てるからって真打にさせなかった
ただ本人は御前落語もやったし、文楽志ん生亡き後は圧倒的なナンバーワンだったからな 人間性は置いといて >>897
芸協の2人とも三木助由来のネタ大事にやってたんだよな
柳橋は加賀の千代とか >>899
てめえは元は義太夫から成り上がった癖にと言いたいわな >>902
本人も売れるまでに30年くらいかかったんだから、弟子や他の落語家に対してもう少し優しさを持てたら戦後最高の噺家になれたと思うわ >>898
しかも圓生一門で最初に売れたのは圓楽じゃなくさん生で、小さんが圓楽より先に真打ちにあげようと圓生に打診したくらい。 >>904
黒門町もさん生好きだったんだよな
マラゲーニャやるの見に来たらしい >>904
その順番だったら談志を飛び越えてたかなりの抜擢だな 志ん朝に抜かれる前に更にデカいトラウマを抱えることになってたな、談志は 沈滞してた落語界が三平・円歌の昇進でバラエティ路線で盛り上がってた時期だからだろ
ノリだけで昇進させなくて正解だったよ >>908
雲助の息子と間違えられるくらいそっくりだった >>841
白酒は名前変わる前も全然うまかったから
実力の伸びってより人気が付いてきた印象
若いときは普通に素直にやってるほど見過ごされがちなんだけど
遊雀の印象とかもそんな感じ >>907
林家三平は落語協会に子供2人と言う負の遺産を残したけどな
名前を継いだ次男がテレビで醜態晒して協会の評判下げていると言う >>910
小さん見る目ある…昇進させてれば良かったのにな
プロフェッショナルで小三治に蕎麦食べてよってリクエストして落語ファンを微妙な感じにさせた茂木センセイも実は昔から川柳川柳は大好きだったらしい
追悼コメントで知った すまん。↓は間違いで
>>915
こっち宛↓
>>904 川柳は1960年代初めはマラゲーニャとかで結構売れてたらしいね
笑点の前の金曜夜席のレギュラーにも決まってたが初回に穴開けて一度も出ずクビに
笑点メンバーになればどうなってたのか >>917
そのころ既に酒好きだったから小圓遊師のようなことになっているかも
何しろ少年時代の酒屋奉公の時に酒覚えたっていうぐらいだし
>>904
馬圓楽が仕事がなくて、寄席すっぽかして雀荘に入りびっていたって話もあるしな 九蔵襲名騒動は傍から見ると根岸の暴走にしかみえないけど、常識を逸脱しすぎなので、実は裏があって、分裂騒動で迷惑をこうむった人たち、苦汁をなめることになった人たちの総意だったのでは、などど無用な勘繰りをしてしまう。 >>913息子どころが孫二人(たま平とぽん平)も負の遺産だからな >>918
小圓遊とちがってストレス溜まらない性格と言動だったから関係なかったりしてw
ただし笑点レギュラーは長続きしなかったろうな。 この時代の笑点といえば古今亭朝次
粗野な感じが子供心に強烈だった
久しぶりに番組見たら姿消してて寂しかったよ
にしても朝次の抜擢はどういう経緯だったんだろうね
そんなに注目されていたわけではないようだし(私が知らないだけかもだが) 先代圓楽のせいで伝統番組になっちゃったけど
昔は割とちょこちょこメンバーが入れ替わってた >>922
コワモテだけど
「水辺に咲く一輪のスウィートピー」がキャッチフレーズだったな 川柳は大喜利は合わないみたいなことを自分で言ってたな >>903
戦後最高レベルにあった一人なのは間違いない
談志と馬圓楽にそそのかされたのが残念 円生に優しさがあればあれほどの名人にはならなかっただろうね
ネタは無限にあったが意地悪な役がうますぎる。研ぎ澄まされた包丁みたいに >>927
包丁と言えば談志が「俺にはできないから本物呼んできました」と圓生にやらせた噺を 昔は円生くらい厳しいのが当たり前だよ
談志はずっと後年に弟子から上納金を巻き上げてたんだから
それに比べれば円生は優しいよ >>928
談志のわざとらしい嫌らしさが良く分かる心暖まるエピソード 馬生師匠と志ん朝師匠が
スペシウム光線とエメリウム光線で
談志を木っ端微塵にすれば良かったのに 性格の凄さで云えば先々代の金馬もお弟子さんは大変だったみたいだが、圓生共々、実力があるからこそだよな そういや朝ドラの夜放送のあとセブンやってるけど毒蝮三太夫ってどういう経緯で俳優からああなったの?
ウィキペディアは読んだよ 圓生は圓丈に厳しかったかというと
圓丈は大学に行ってたりして当時としてはインテリだったからなのか
圓丈を頭ごなしに叱ったりせず他の弟子とは特別扱いの面もあったんだよな
圓丈自身「圓生には可愛がられた」と何度も言ってる
人間は複雑なものだから単純に厳しい優しいとは決め付けられないよ 川柳は芸で嫌われたんじゃなくて酒癖で嫌われたんだろたぶん >>935
>圓丈自身「圓生には可愛がられた」と何度も言ってる
それ故に、
圓丈が落語協会を脱退したくないと言ったときに、
圓生夫妻に「せっかく目をかけていたのに恩知らず!」と罵られて、
それが大きなトラウマとして残ってしまった、「御乱心」を書いたのも、
そのトラウマの克服が最大理由と回想してるね。 >>936
ジャズ息子の時も義太夫指導してくれたとか言ってたしな
本気で嫌われ始めたのは酒の件+ラ・マラゲーニャ始めたこと 川柳の自伝で当時は少なかった自家用車を川柳が乗り回してるんで
圓生が「お前は酒好きだから酔っぱらい運転で事故したら大変」と
車の運転をやめさせた話が出てくる
「人を轢き殺したら人を笑わせる商売は出来ないよ」と
これも圓生のいい人エピソードかもな
単に「自分に迷惑をかけられたら困る」だったのかも知れないけどw >>939
後者のような気もするが、半々だろうな
新幹線の中で川柳が酒のんで仲間と騒いだのを圓生にチクられて圓生が激怒したってのも >>940
切れた
激怒したってのもあった
その時は圓生の会長就任直後でピリピリしてたとあったはず
圓生に世間体を気にし過ぎの面もあったけど、川柳が無神経過ぎたというのも大きいと思う マラゲーニャも余芸でやってるだけならよかったんだよ
あれで真打にしようなんて馬鹿なことを言い出す奴が出てきて本人もその気になって天狗になってたんだろどうせ
「あんなものは色物でげす」と円生が一蹴するのは当然 噺家の若い頃の酒の武勇伝はたまに聞くが、飲酒運転常習はまずいわ
しかも、目白警察からの釈放だかに小さんに口利き頼んでそれがバレて、圓生のおかみさんが小さんのとこ謝りに行くとか 普通なら破門だろ 隙自話だが、昔よりはモテない俺にやっと出来た彼女が飲酒運転する女だったんで気持ちはわかる 昔よりはじゃない、昔もてない俺だわ
二十代のときの彼女が飲酒運転するやつだった
今ほど厳しくないが、実際有り得んよ もし圓生6が急死せずに遺言残す余裕があったとしたら、圓生7は誰に継がすつもりだったんだろうか 常識的に馬圓楽だろうが、圓窓とかにしたかもしれんな >>941
不安になって泥酔したまま志ん朝に電話して、圓生一門の内部はバラバラだということをしゃべっちゃったんだよね。
で、志ん朝は疑心暗鬼になっちゃったことが御乱心に書かれてる。 >>949
あれは、圓生も圓楽も激怒するわ 脱退の是非は置いておいて、酒飲んでペラペラ余計なことしゃべる人間は下の下
圓生に一方的に嫌われてた訳ではなく、嫌われてたのにはそれなりの理由がある >>949
それで志ん朝が圓楽に文句付けてメンツ丸潰れの圓楽は激おこでさん生にクレーム
もっとも圓生一門の差別主義や圓楽がこそこそと圓生を利用して陰謀みたいな事やってたからだったが レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。