【落語激動の10年】1977年から1987年までの落語界
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5代目三遊亭圓楽が笑点レギュラーを卒業し(その後1983年1月に笑点4代目司会者就任)落語協会分裂が翌年に迫った1977年から
その落語協会分裂の引き金を引いた三遊亭圓生の7番弟子三遊亭圓丈が著書『御乱心 落語協会分裂と、円生とその弟子たち』を発表した翌年の1987年まで
揺れに揺れた10年間を語れ 圓丈は圓生一門と落語協会を脱退したが
圓生が亡くなったらまた落語協会へ出戻りした裏切り者
馬円楽は一生涯、圓丈を許さなかった てっきり落語協会から枝分かれして落語芸術協会になったと思ってたけど違うのね これリアタイしてるやつ最低何歳なのよ
いい歳してなんなのスレだわ 三遊亭圓生と三遊亭好生の関係って前山剛久と神田沙也加のそれに似ている
憧れ慕ってた者に徹底的に嫌われ冷遇されるっていうね ヨイショの天才・志ん駒が三遊協会に協会側のスパイみたいな感じで参加してたのが面白いよね。 小朝抜擢
権抜擢
柳朝5病に倒れる
談志脱退
圓生亡くなった後も目まぐるしいな 小朝が出てきたときは同年代のさんまと並び称されるような出てき方だったんだよな。今じゃ信じられんが 真打昇進試験って試験内容も採点基準もよく分からないけど1987年に廃止されたのは確かなんだよね 談志が国会議員辞めて普通の落語家に戻ったのが1977年 >>11
最後の試験合格者がこぶ平一人。
方々からクレームが来て、追試が実施されて一人追加昇進。 追加合格で真打昇進した人のほうが実力は格段に上だと評判だったんだっけ >>12
二期目出馬に際して全国区→東京選挙区に鞍替えを模索したが勝ち目がないので直前で出馬取り止めて政治家引退
その1年後に分裂騒動で、圓楽とともにそもそもの首謀者(圓生担いで志ん朝より上に立ちたかった)といわれてるんだからめまぐるしい罠。
逆算したら政治家辞めた理由がこれだったりして。 >>14
右朝ね。よりによって志ん八(右朝)とこぶを同時に試験としたのがそもそもまずい
右朝が今生きていればさん喬雲助一朝あたりより評価上になったかも 当時そんな変なことをしでかした老害審査員が誰なのか、ほとんど名前が出てないんだよな 初代が大物で何代にも渡って世襲してる家族が何家かあるからその辺が怪しい気がするけどね。 それにしても3人以上で昇進したケースでさん喬の代より豪華なの、たぶん無いだろうな 右朝は順当に行けば志ん朝辺りは貰えてたレベルの逸材だったとか そんなもんじゃないだろ
あの談志ですら「あいつはいつか天下を取る」とまで言ってたぐらいだし 高田先生今でも残念そうでなあ
高田先生にはまだ長生きしてほしいと思う いい加減志ん生、小さん、圓生は誰かに継がせりゃいいのにとは思う
上がりきったハードル一回下げようや >>24
志ん生も結局美濃部のモノになっちゃってるからな、正蔵に拘る海老名と同じ構図だよ スレタイ的にはちょうど右朝が見習い卒業してから真打昇進するまでの期間だな 単純に世襲じゃないから上手く行っただけな気もするが、好き嫌いはあるが昇進条件厳しくした立川流は少なくとも談志の直弟子までは育成成功したし
今の協会の世襲互助会はなんとかならんものかねぇ そもそもあそこは世襲の象徴である根岸を何とかしないと、もうどうしようも無いと思うけどね。
あと名跡を受け継ぐというのも正直古いのかなと思う。 右朝は酒乱に近いくらい酒癖悪かったらしいな
芸に文句はつけようないが
今の柳朝がブログに書いてたが、高田馬場の飲み屋で喜多八と壮絶な芸論バトルを繰り広げたらしい
扇遊が右朝を帰らせたらしいが、そのバトルは見てみたかった 笑点メンバー入れ替えが少しずつ進んでたのもこの10年 右朝は普段からずっと怒っていた 怒りを落語にぶつけるような
あれでは芸が良くてもダメ >>31
小三治が小さん継ぐもんだと思って勘違いしてたわスマン
昭和の名跡も世襲と抱え落ちばっかりなのね 前に右朝に入門してすぐクビになった人が色々書いていたな >>34
のりかず氏に捕まって飲んだ御仁と同一人物なのかな また俺の弟子になれと言われて人間を疑ったとね
>>28
売れた人は襲名したがらないね。イマイチな人が多い >>36
売れた人はブレイクした時の前座名がブランドになってるから名跡引き継いでもマイナスにしかならないからね
桂三枝(現文枝)が襲名で渋った話は有名 今度勇退する「新婚さんいらっしゃい!」の他に「国盗りゲーム」が始まったのが1977年
当初の日曜午後時代から通算8年半続いた
これで桂三枝という名前のブランドは決定的なものとなった つきのやえんきょうはえんぞうになったときよろこんでたけどな。
うたやっこだってえんかになるのしぶったりしてなかったろ。 >>10
小朝とさんま?
さんまなら林家しん平じゃないか
しん平がなんとなくフェードアウトした感じだけど >>36
また俺の弟子になれって、どういう状況で言ってたんだろうね 就職先で仕事とか人間関係上手くいかなかったら、あるいは次生まれ変わったら「また俺の弟子になれ」ってか >>45
高見恭子は堺正章から林家しん平から馳センセまで食ったからな 個人的にはあのちょっとの書き込みだけでもすっごい繊細な印象だったし、どの人が悪いとかではなく単に本当に人として合わなかったんだろうなと伺わせるものだった 円丈師匠がわりと人気が出始めたの、これ(スレタイ)以降なんだよね
意外だと思うか年齢的にはそうだよなと思うか >>52
圓丈は1979年頃から話題になってたが? >>53
そういう、昔から知ってたマウントも是非実例とともにどうぞ >>53
掛布とやったキンチョールのCMが1981年だったからな
落語界だけじゃなく一般層にもブレイクしてたわな >>57
新作落語で話題になったのが1979年くらいで1981に金長のコマーシャルだということは
圓丈のブレークはかなりはやかったんだよなあ
で、調子こいてご乱心をリリースしてやや失速と >>15
「公務と酒、どっちが大事なんですか!?」
「そんなの酒に決まっとる」
なんて言ってのけるぐらいだから、もともと政治への情熱もそこまではなかったんだろ >>58
金長マットのCMって80年代も半ばだと思ってた。
1981年とは俺の記憶より早いブレイクだね。
分裂騒動からすぐ売れたんだな。 円丈のご乱心は立派な代表作だろ。調子乗ってたのは恋のホワンホワン 78 落語協会分裂、三遊協会発足
79 圓生急死
80 圓窓圓丈ら落語協会復帰、圓楽一門独立 >>58
円丈は御乱心のせいでだいぶ仕事を失ったらしいからな
仕方なく徹底批判した談志に頭を下げて仕事をもらってるのを志らくが見ていて
後に書いた本の中で円丈を小ばかにして
円丈は意趣返しとばかりに落語家の通信簿で志らくを酷評したと >>63
仕事失ったのと、WIZや信長の野望などのパソコンゲームに嵌ってそっち系の仕事が増えたのと同じくらいの時期かねえ。
ちなみに円丈師匠は「天下統一」が嫌いでした。理由:大名家の隠しパラ「士気値」を知らなかったから。
(織田家でプレイし、終盤に士気値の高い島津や龍造寺にフルボッコされてブチ切れた) >>61
spotifyで聴けるんだよ
ちょっと嬉しいよな サバッシュのファンだという人が
落語もよくわからないままに追悼コメントしてんの見たけど
あれみてサバッシュやってみたいと思った >>63
志らくも著書で生意気な事を書き散らして嫌われまくってるだろ
談志も同じだったな >>67
談志の現代落語論は名著
圓丈の落語家の通信簿は駄本
志らくの本は全部生ゴミ >>63
圓丈が志らくを徹底批判したのはそういう流れがあったのか
志らくは確かに下手だと思うし偉そうなのも納得だったが 落語家の通信簿って、新作マンセーして若手イジって志らくをディスってるだけで浅いんだよな
雲助/権/一朝/志ん輔/扇遊/喜多八/市馬/花緑辺りからは完全に逃げてるし まあ正面から語ってたら、志らく炎上のレベルじゃ済まなかっただろうな 多分本当に寄席から消えてたよ、円丈
さん喬の女にモテたいから与太郎やらないってのだけは真理をついてた 仲良いから言えたんだろうけど 雲助/権/一朝あたりは一般的知名度が低いから外したともいえるけど
三平正蔵は明らかに逃げたな 上方は事務所対立をネタで弄っても良いくらいの緩さがあるけど、江戸落語は触れられないヤバさがある。 >>72
川柳、しん平、小ゑん、りしょー、文蔵、百栄辺りを取り上げてるので、それはない
さん喬と権だって世間的には似たような知名度 そうかな
笑点なんて年がら年中メンバー同士罵倒しまくりなのに 圓丈は新作ブームとご乱心で間違いなく落語の歴史に名が残るが
志らくは単なるテレビタレントとして消えていくだろうな 芸協の話が出ないね。俺はこの時代の出来事を全く知らないが当時の芸協は何の話題も無かったのかな? 芸協会長の米丸は分裂騒動の時「成田の学生を連れて来てでも戦う」と激怒していた
柳昇夢楽文治小南歌丸小圓遊あたりが看板だったが二流扱いだったんだな >>78
復刻版の「師匠、御乱心」の巻末座談会では、小遊三が「談志が落協芸協三遊の10日間持ち回り興行構想をぶちあげるまでは、芸協にとっては対岸の火事だった」と話してる。 鈴本は二つ目の小遊三にトリ取らせる取らせないが絶縁の発端らしいね 【当該期間中に死去した落語家】
1978.03.06 桂枝太郎(2) [芸]
1978.03.08 桂文治(9) [落]
1978.04.18 吉原朝馬(3) [落]
1979.05.16 春風亭柳橋(6) [芸]
1979.09.03 三遊亭圓生(6) [三]
1980.05.11 橘家圓蔵(7) [落]
1980.09.20 林家三平(初) [落]
1980.10.05 三遊亭小圓遊(4) [芸]
1981.07.09 春風亭一柳 [落]
1982.01.29 林家彦六 [落]
1982.06.16 鈴の家馬勇(5) [落]
1982.09.13 金原亭馬生(10) [落]
1984.01.09 三遊亭圓遊(4) [芸]
1984.01.25 春風亭梅橋(2) [芸]
1984.11.16 三遊亭圓馬(4) [芸]
1985.04.26 三遊亭圓之助(3) [落]
1987.06.03 蝶花楼馬楽(6) [落]
【その他】
1977 春風亭小柳枝(8) [芸] 廃業
1982 春風亭柳朝(5) [落] 病に倒れる 79年〜80年の圓生→圓蔵→三平→小圓遊の絶望感やばいな 底抜け脱線ゲームの罰ゲームでわきの下をくすぐるというのがあった。
七代目圓蔵だけがにこりともせず、顔色ひとつ変えなかった。
大変な強情爺さんだと感心したことがあるな。 >>89
いかりや長介が噺家役をやる映画なら見たよ
数年前にBSで放送してた時に >>89
アマゾンビデオにあるよ。いまprimeにあるかどうかわからんけど ドリフに圓生、落語協会脱退を宣言した「コント」回、プライムにあるってこと?
俺ウィキペディアでしか知らないから、観たいんだよ VHSなら売りに出されてたが、primeはないやろなあ >>28正蔵もたま平が継ぎそうだしね。三平は三平倅が継ぐんだろうか >>7こぶ平の息子達も単独真打Or抜擢真打とかするんだろうか? >>96
そりゃするでしょ
その頃にはこぶ平会長になってるだろうし >>94 >>93
いま『春だドリフだ〜』Primeに入ってる >>97
市馬63正蔵60か。
ちなみに小さんの後に会長やった三代目圓歌に言わせると、
落語協会では代々会長よりも副会長のほうが先にryk、らしい。 死ななかった人は彦六以外もれなく会長になってるけどね 小朝もこぶ平も真打にしたのは急落したイメージを一新させるための策略というか、スターを作りたかったんだろうな。もちろん小朝の場合は実力もあったわけだけど。
その反面、復帰組にはペナルティ、企業としては当然なわけで、談志の弟子が落とされたのもそれなんじゃないかな。ただ右朝の場合は試験前日に仲間から酒を飲まされてぐでんぐでんでどうしようもなかったということみたい。圓龍なんかはのちに小さんに謝罪されたらしいね。 談志の弟子でも里う馬やぜん馬、左談次は落とされてない
そもそも談志は(その時点では)出戻りでもなんでもない
談四楼が下手くそだっただけ 談志は小談志と談四楼が落とされた試験当日、ワキの仕事でいなかったらしい それもアカン
それにしても試験制度を小さんに進言したのは誰だ?興津要とかトシオカナントカとかあの辺か? >>95
嫁の離婚フラグがビンビン立ってるから分かんねえぞ >>103
ゴミクソ談志は分裂騒動の首謀者であるのが協会内でバレバレで
出戻り組の下っ端連中より立場がない状態だろw >>107
談志は圓生からの評価が志ん朝より下だったから離脱話から降りたというのが現代の通説だけど、当時からそういう噂はあったんだろうか? 談志の子分だった馬風が会長になったのはある意味凄い 談志と一緒に脱退するみたいな話もあったらしいし 桜の復帰の件でケンカ別れしたけど
現小さんも脱退考えてたとか 談志は協会分裂が表面化したらハワイに逃げたり姑息なことをして
協会員としても小さんの弟子としても全く居場所がなくなった >>110
けど師匠を闇討ちするような形で脱退したからこそ
キウイを真打にするという当初の目的は達成できた。 >>110
粋がっても根は小心者。
騙されている奴、沢山。 >>110
談志が死んだときテレビのワイドショーで木久扇が鋭く指摘していた
死人を礼賛する方向だったのに木久扇が「こういう事もあった」と話題に出して
談志の黒歴史をどんどん暴露してさ
口調は木久扇らしい柔らかいものだったけど内容は凄く手厳しかったな そういう意味で木久扇はエライ
たとえ故人でも、生前どんな功績残したとしても悪いところは悪いとキッチリ指摘すべきなのだ
死んだ人を悪く言うなとか美化したがるから日本の常識は世界の非常識と叩かれる一因でもある 元弟弟子が所属している円楽党には全力忖度してるけどな 談志「おいバカ!おいバカ!」
木久蔵「(エヘラエヘラ)」
勘九郎「師匠、怒るべきです!」 >>113,>>116
木久扇は絶対に談志を憎んでるよな
ワイドショー見てて確信したわ 木久蔵、扇、といえば笑点のドラマってウソや脚色が甚だしいんだけど
結構興味深い点がある
イエローから見た小さん、小円遊の扱いとか 仲悪いし彦六は共産党支持なのに
自民党から出た談志の応援演説したんだよな >>113
見た見た、思い出したw
談志をみんなで褒めてる所でさり気なく協会分裂の話に話題を変えてた記憶
「協会を飛び出した風雲児」ではなく「姑息な策士」と言う話をしたもんな
あれは見事だった >>122
へー、そうなんだ
当代の三木助は談志に気に入られてて、ネタをいくつか教わったと聞いた事あるから、意外だわ >>123
風雲児ではなく居場所が無くなって逃げたんだよな
元はと言えば楽協分裂で師匠を裏切り圓生らも裏切りだからな
談志は本当にクズだよ 談志は小三治からの小さん、会長就任の目がなくなって協会から出る口実を探してた 議員の任期も切れてたし、本人の存在感を出すために動くしかなかったんだろう
馬圓楽は悪企みのパートナー、圓生は半分は騙された被害者 松竹吉本の不仲なんて可愛いくらいのドロドロっぷりだな 協会脱退に起因する過酷なドサ回りのために圓生は旅先で死んだ。協会脱退がなければ圓生は彦六と同じくらいまでは生きた。
談志は六代目三遊亭圓生を殺した張本人。 >>121
応援してたのも本当は「一生議員やってろ!もう落語に戻ってくるな」っていうのが本音だったりして とはいえ、騒動で得した人もいたわけで、ライバルは減り、出戻りだって冷遇されたみたいだし、シメシメと思ってた人も多そうだ。 しかし理由はどうあれ、77歳にして圓丈の披露目に50日間ぶっ続けで出た直後に暴発した圓生のエネルギーは凄まじいわ 談志はその年齢の時には死んでたし、今のさん遊や今松の年齢のお爺ちゃんが暴発したのが信じられん >>131
圓歌とか小さん一門の一部、後は金馬くらいか 馬生円菊のところが伸びて志ん朝のところがさっぱりなのもその影響ある気がする >>135
志ん朝一門は右朝と先代志ん五の早世が痛かった >>127
談志はドクズ
>>131
そういう屁理屈をいくら言っても談志のクズさは変わらない >>125
まあ、あの企ては志ん朝に対する羨望と逆恨みだろね。
真打ち先に越されたのと、落語の芸も人望もどうしたって志ん朝にかなわない、という。
圓生没後は自分(と圓楽)が落語界を牛耳りたかったわけだから。 >>135
相次ぐ早逝でしんどいイメージついたのも痛いが、志ん朝が出ていくと揉めたのもちょっとあるんじゃないかなと思う
馬生一門なんか馬生が還暦も待たずに亡くなってるけど、みたいなのはある >>141
そこの因果関係は解釈次第だと思う
先代馬生本人は早世だけど、主だった弟子は長命 後は雲助一門の異様なレベルの高さと、現馬生一門のそこそこの繁栄ぶりも大きい 談志と木久扇が仲悪いというか。木久扇はリアリストだから亡くなった人を過度に持ち上げる事をしない性格なんだろ。
完全な子分気質で、一門内では柳朝の忠実な子分だったのは有名な話 >>129
談志は圓生だけじゃなくて志ん朝や馬生の寿命も縮めたと思う
本当に談志は許し難い >>142
全員芸事は一癖二癖細かそうだが根本がだいぶおおらかそう
いかにも長生きしそうなおじいちゃんたちよ 香葉子とか木久扇みたいな欲の塊みたいな人間は基本長生き。石原慎太郎も90近くまで生きたしな。 談志はケチだけど欲は深くないよね。還暦超えたら精魂尽きたのか80代のお爺ちゃんみたいになっちゃた。
たんまりある遺産は何の仕事してるか分からない娘と息子の生活費に消えてるのか? >>152
それ聞いたことだけはあるなあ
基本高座以外知らないからその印象なんだが、なんとなく全員面倒くさそう…と謎の大雑把さを両立させてる感がある >>153
酒だな
酒飲まないとわりと病気しても長生き >>156
弟子の面倒見悪いらしい
小三治が国宝になったのを枕でディスってたのは聞いたことある >>154
談志クラスになると大量のCDの印税があるからそれが遺産代わりじゃないの?前遺族が出てた時ぱっと見普通に働いてる感じはしたけどな。 >>154
死んでも何かと話題になるし
残された家族が片付けるぐらいが適度でいいと思うんだよな >>129
旅先っていってもたしか千葉か船橋だったような>御乱心より >>134
圓歌は前から常任理事だったよな
談志圓生が当時の3人の常任理事の解任を求めたが、小さんが若手理事の増員は認めたが、自分の側近3人の更迭は拒んだと。
圓丈の御乱心にも更迭を要求された圓歌らの評判はたしかによくなかったとあるが、
何が問題だったんだろうね>特に圓歌 >>158
たい平の独演会で枕に同郷ってことで川柳の話ししてたけど、酷い酒乱だったようだな。
真打ちになったときに地元の後援会ができたのでまだ若手の木久扇と二人会を開いたのはいいが、
川柳はに高座上がる前に酔いつぶれてつかいものにならなくなり、仕方ないから木久扇が三席やって場を持たせたとか。
そして後援会はその日限りで解散したとかなんとか。 >>158
川柳はたぶん歳とってからだと思うけど毎日は飲んでなかったらしい
馬鹿みたいに飲んでみんなに迷惑かけるけどそのあと2.3日は飲まずに過ごすみたいな感じらしい
まあ、単純にケチで自分で金出して飲みたくなかった説もあるけど >>164
当時の圓歌の立ち位置はイマイチ良く分からんのよね
圓丈の御乱心に、前座に二つ目にしてやる、とやたら声を掛けてた常任理事がいたと書いてあったが、あれは先代柳朝のこと 単なるリップ・サービスで人気取りではなかったらしいが 何にしろ圓丈は三悪人て呼ばれて評判悪かったたと書いてたが
事の真偽は分からんが、御乱心が出版された昭和61年の時点で柳朝は倒れて再起不能状態だったんだよな 物理的に反論出来ない人間のことをああいう形で書いた圓丈は、人間としてどんなもんかなと思うわ 柳朝は本物の江戸っ子なので
江戸っ子は 五月の鯉の吹き流し 口先ばかり はらわたはなし
ってやつです >>163
津田沼の後援会の余興仕事で小噺(桜鯛)の後に発作起こしてその日の夜に死亡だね
>>166
そこは彦六に仕込まれていたからな
古典なら鮑のしとか湯屋番とか松竹梅とか蛇含草辺りはできる >>166
川柳のwiki記事にもたい平の話が引用されてる。
当時木久扇は前座で当時その三席しかできなかったらしい。 >>171
黄色と川柳が真打になったのほぼ同時やで
時空歪んどるやんけ >>168
でも当時の圓丈の立場を思うと
今の誰ぐらいよってなる >>172
川柳は師匠に気に入られず真打まで20年かかったんでゲスよ 2年ぐらい前にYouTubeに彦六と談志が二人きりで話をしてる動画があった。当時の落語界の事は全く分からないが動画を観た限り仲が悪いようには見えなかったけど実際はどうだったのかな? >>174
>>165を読んでおかしいと思わないのか? 談志はあれだけ稼いだ金を何に使ったんだろ
選挙以外に大金使ったって話きいたことないし
カネがあるなら円楽みたく弟子のために寄席たててほしかった >>113
あの時は木久扇を見直したわ
「信念から協会を飛び出した」とか美談のように語られていた時に
分裂騒動で談志が酷い振る舞いだったことを語って話の方向性を変えて
談志の闇の部分を印象付けてさ 改めて思うけど志らくは談志の悪い所を煎じ詰めたような野郎だなあ >>181
すきあらば談志の擁護をすら連中があちこちにいるねえ >>174
実は円生の弟子で一番早く売れたのがさん生(川柳)
一時は円生より稼いでいたんだよな >>185
マラゲーニャで東宝に選ばれたんだっけ? 川戸貞吉は、分裂騒動は世代間のギャップが要因で、中間の世代、先代の馬の助などがリーダーシップをとってればまた違ってたんじゃないか、と云ってるけど、それも多少はあるのかな〜と。権太楼の師匠だったつばめなんかもさ(入門は遅いけど)。とはいえ、その辺を期待されたであろう圓歌は役に立たなかったどころか、不評だったわけだけど。 >>187
騒動の頃、すでに初代馬の助や、つばめって死んでいなかった? >>188
いなかった
つばめが亡くなった時、小さんは葬儀で号泣したのは有名
権も自伝でつばめ愛を語ってるし、色んなエピソードを読むと人格者だったのが分かる >>188
書き方が悪かった。その辺の人たちが元気でリーダーシップを取ってたら歴史は変わってたんじゃないか、ということです。 >>181
邪推も甚だしいけど
信者でもなんでもない
豆知識じゃんこんなの
分けたのかなその後…とかなるじゃん
返してるわけないし 残された音の少なさや芸のことは抜きにしても、小さんの懐刀と呼ばれ、落語界に今までなかった現代的、革新的なものの見方とインテリジェンスで数々の功績を残した五代目つばめ師匠の早世は落語協会にとって大きな痛手だったよな 御自身の著書も多いが、客観的な視点からつばめ師匠を解析した本だと、墨亭の御席亭を務められている瀧口雅仁氏の「落語の達人」が名著 それに引き換え談志の悪辣さは酷いね
師匠の小さんを裏切り名人の圓生をたぶらかして寿命を縮め
才能あふれる志ん朝や天才型の馬生の寿命も大幅に奪い
協会から逃げ出て弟子から金を搾りとる非情なやり口を押し通し
落語を破壊するために生まれた悪質エイリアンとしか表現のしようがない >>196
だから大阪でやられた。致命傷を与えればよかったのに。 談志が偉そうに志ん朝のことを語ったり
あまつさえ「志ん生と圓生」なんて語ったりしてたのには
本当に虫酸が走ったわ その内こぶ平副会長がまた落語協会分裂の引き金引きそうだな
今の協会員は協会に蔓延る世襲ヘタクソ連中をどう思ってるか気になる。 >>199
ねえよ、ウスラバカ
根岸にどこが付いていくんだ?黄色か?
根岸が独立して何のメリットあるんだ? 逆だろ、世襲連中に嫌気が差して他の噺家が協会を割るパターンだよ。 >>201
嫌気さすほど世襲連中に力あんのか?
それは驚愕だわ 鈴本の終焉が来たら柳家と林家で不満のぶつけ合い起こりそう >>203
鈴本だって商売なんだから、潰れる前に芸協に頭下げるでしょ 芸協と交互になったら儲かるようになるとは思えんがな
いよいよとなったら人気者のトリくり返すだけだろ >>196
さすがに志ん朝や馬生の早死まで談志のせいにするのは無茶だろw
二人とも大酒飲みで有名なのに 協会分裂騒動が志ん朝を精神的に追い詰め
後ろだてになっていた馬生も大いに苦しめた
その元凶が落語を破壊するため宇宙から送り込まれたクズ談志 >>110,>>113
談志の悪行には反吐が出るね
志らくを見ると談志を思い出して実に不愉快 >>199正蔵、三平,たま平、ぽん平、正蔵の弟子達、三平の弟子 付いてくるのはこれだけだと思う 分裂騒動は(本当の部分はわからんけど)自殺者まで出てるし我々外野が思ってる以上に
内部では壮絶な争いとかあったんだろうな こぶ平は落語協会の会長になる野望をもってる
あんなのが会長になったら落語協会はまた分裂騒動がおきるぞ >>212
市馬はじめ、取り巻きはそこまでバカではない。それは協会の終末を意味する。 >>212長男・たま平の抜擢真打ちや次男のぽっん平の抜擢真打ちを強行して総スカンかいそう >>212
一般論で考えて社団法人のトップが巨額脱税の前科者では色々まずかろうて そこは落語協会を仕切ってる香葉子が強引に話を進めるだろ
うちの息子こそが会長にふさわしい、とな >>216『うちの息子を会長に!』とか、『内の孫を早く真打に!』とか騒いでるだろうから ほっといても正蔵が会長になると思うよ 老害の大好きだった落語協会がどんどん壊れていって最高に面白いわ スレタイからどんどん離れてただのアンチ海老名とアンチ談志のじゃれ合いスレになっている件 それな
談志と分裂騒動は年代的にドンピシャだからまだしも
正蔵会長とかぽん平とかいつの話してるんだよ >>217
お前、落語に興味ないだろ?
単なる根岸というかカヨコアンチだろ
サンペースレに行け 落語協会はすでに自然崩壊が始まってる
市馬なんて何の権限もないただの飾りだもの
根岸の妖怪にはなにも逆らえない腰抜けだから >>219
談志信者もたいがいうざいと思ってたが、やつらも変わんないな 圓楽って84年まで鈴本で独演会やってんだな
芸協もまだ出てたし、その辺の縛りはまだ緩かったのか もしくは鈴本が圓楽に負い目みたいなものがあったのか Wikiによれば協会分裂のときに最初鈴本は賛成だったらしいね
ただ北村に押し切られ反対に回ったようけど
だから少なくともその頃は鈴本も独演会とかでは良いにしたんだろう
ちなみに芸協は新協会に強く反対していたみたいでもしかしたら芸協が鈴本と縁を切ることになった一因かもしれんね あっ北村というのは新宿末広亭のね
ここの住民なら言わずもがなだろうが 芸協が反対するのは当たり前
二回に一回使えてた寄席が三回に一回になるから >>226
協会(小さんらグループ):新協会(圓生らグループ):芸術協会でやればちょうどいいと考えたわけか
で、それがおじゃんになったからこんどは協会:協会&芸術協会:芸術協会でやろうとして芸協とこじれたんだっけ 芸協と鈴本の件は分かるが、芸協だって池袋にはかなり酷いことしてるぞ 77-87からはズレるけど 改装前では20年以上落協単独だったよ、池袋は
因みに池袋の存続に関しては、当時の圓生会長の功績は滅茶苦茶大きい
圓生も談志も寄席は好きだったし、圓生は若い頃席亭までやってる その二人が最後は寄席から離れたのは皮肉 >>229
芸協の客が薄いんで、落協の噺家を顔付けしろと鈴本
芸協は落協の幹部クラスならOK出す
落協は若手クラスを出そうとする
それで拗れて絶縁 芸協の誰だったかが、小さんの裏切りは絶対に許さんと言ってた記憶 絶縁時の当事者だった米丸師がまだ存命だからな
鈴本との関係修復とすれば没後という感じかもしれん >>233
そうすると落協との関係が壊れる
鈴本は手詰まり >>211
当時を知ってる落語協会のベテランの中には、未だに円楽一門会や立川流を蛇蝎のごとく嫌ってる人がいるらしいね
林家九蔵問題の時は、協会内部からも当代正蔵に対して「お前は正蔵であり副会長なのにアレを放っておくのか」と突き上げがあったと言うし
外野が思う以上に、当時の事を根に持ってる協会の噺家は多いのかもな さんざん芸協を見下していた鈴本、落協がいまでは芸協に差をつけられて
苦虫を噛みつぶしてる現状だもんな
相手をバカにすると必ずしっぺ返しがくるもんだ 好楽は元々三遊亭とはなんの関係もなかったのに
自分から円楽のところへ寝返った人だから
自分の意思とは関係なく師匠に振り回された円生一門よりずっと罪深いでしょ >>236
芸協にもそのうちしっぺ返し来るぞ(笑) >>236
こういう奴って一体どういう世界に生きてるんだ? >>237
同意
こないだ好楽の本立ち読みしたけど、色々と言い訳を連ねてた
根岸との件も書いてたけど、何だかねって感じだった その円楽党も今は好楽の一門でもってるようなもんだから皮肉 >>243
5代目圓楽の弟子で、稼げる落語家って結局は当代円楽だけだもんな 批判されてぶち切れるらっきょ贔屓のバカには哀れみを感じる
事実を受け入れられない時代遅れの低能なんだなw >>245
批判というより怨念しか感じない
何かあったのか? >>231
確か米丸、分裂騒動の時には協力したのにうんぬんという感じだったかな。
そういえば晩年の歌丸と圓歌の対談で、「孤立してる談志を何とかしたい」なんて言ってたっけ。発言したのは歌丸で、笑点へ起用してくれた大恩人だから違和感なく聞いてたけど、話を合わせてた圓歌は実際どう思ってたのかな〜と。演歌の立ち位置がよくわからないのでそんなことを考えてしまった。 圓歌って勝手な印象だけど、若い頃にテレビでブレイクして大ヒットの新作ネタもあって
勲章も貰ったし、長生きもしてここまで悠々自適だった落語家はあまりいない気がする。 柳昇も裏切りを許さないと激怒していたはず
柳昇は温厚そうだがそういう面は厳しかった。徴兵経験も影響してるか 今さらだけど協会:協会&芸術協会:芸術協会だったらこじれんよな
協会:芸術協会+協会てことか 芸協は今もそうだけど、落語協会に比べて噺家少ないんだよ。
三平門下に10人とか小さん門下に20人とかマンモス一門がいて、さらにその弟子が…
ってなると10年後にはパンクするのが目に見えてた。今でも寄席出たくても出れない人多いし 70年代の初頭は真打の数だけで言えば
どちらも30人ぐらいで大差なかった
落語協会の大量昇進以後差がついた 談志は嫌われてたけど、脱退時点で敵とまで言える存在はいなかったんじゃないか
敢えて言うなら、小さん一門全体が敵だったような気がする それでも脱退するほどのことだったかは分からない
どこかで読んだが、落とされた二人のうち、談四楼はまだしも小談志は酷いもんだったと小さんが談志に直接言ったとか 談四楼だけでも合格してたら談志はどうしてたんだろうか? 圓生は弟子が少ないけど弟子の人生を考えたら簡単に弟子入りさせる訳にはいかない
その点で圓生は優しかったと言える
みしろ弟子を大量に取って無能な真打ちを大量に作った小さんの方が残酷
圓生の弟子は売れた割合は結構高いしな
さん生(川柳)だって若い時にはテレビのレギュラー司会やってたし 圓歌は、分裂騒動時には批判の対象だったのに、副会長のみならず会長まで任されてしまったのも興味深いですね。批判理由も気になるところ。知名度と幅広い人脈が選任された理由の一つだと思うけど、人望も高かったんだろうな。 >>256
言わんとすることは分かるが、さん生と好生がどのような扱いを受けたかを考えると同意は出来ない
アレは色物でゲスから、という理由でさん生の真打昇進を断り続けてたし、下手な時の自分に似てるからと好生を毛嫌いしてた >>252
そう考えると真打の無い上方の方がよく出来てるよな
完全実力主義でキャリア浅い奴でも人気実力があればベテランへ下克上も可能で、さんまみたいに喋りに特化させてタレント転向もワンチャンあるみたいな。 上方も「年季」という謎ルールがあって事実上の前座期間だよな。
上下もハッキリしてるし江戸とあまり変わらない気もするけど襲名とか真打披露にあまり興味がない人なら
良い環境なのかな 芸協は今は弟子取ってる真打が結構いるけど以前は柳昇文治米丸夢楽あたりがほとんどだった
柳昇なんか兵隊と同じでまずは数を増やすという考えで増やしてたらしいが
>>255
小談志って寿楽か。確かにイマイチ >>260
一つの団体で真打披露公演が無い分面倒くさいしがらみは少なそう。弟子入りした後は他事務所の師匠にも稽古つけてもらう事も可能みたいだしな。 >>255
首謀者の一人であったのは伝え聞いてみんな知ってただろうから、処罰されないことに憤りを感じてる人は多かったのでは? 特に古今亭の人たち。多くの人が白い目で見てただろうから、出て行った時には、追い出されたと解釈した人もいただろうし、これでようやく騒動のケリが付いたと思った人もいたんじゃあるまいか。 >>260
上方の年季明けが2、3年と考えれば江戸で前座として修業するよりも早く開放されるけど
その分早めに自分で収入経つようにしなければならないしな
忙しい師匠だと年季明けが来てもずっと付き人仕事やらされた例もあるし >>256
言われて見ればそうだよな
落語家になって真打ちになっても全く食えない人はたくさんいるんだしさ
そう考えたら小さんは罪作りなのかも知れない >>264
処罰されたのって、香盤下げられた圓窓だけだろ?志ん朝と圓蔵がお咎めなしだった時点で談志に何かしらのペナルティってありえんまろ
志ん朝だって力失ったし、金原亭は馬生亡くなってたし、圓菊レベルじゃ談志とは比較にすらならん
結局、一門内での居心地の悪さというか孤立化が一番の原因のような気がする 悪いのは全部談志だけどね >>266
その代わり芸能事務所が江戸より大手なだけあって事務所のバックアップがある程度期待出来るのは大きい、事務所の大御所との人脈も作りやすいしな。上方のフリーの一門は人脈を1から構築しなくちゃ行けないからその辺大変だと思うけどね それでも小さんは人数多いとは言っても売れっ子は排出してる一門だぞ。
特に本寸法の小三治や扇橋、マスコミで売れた談志、馬風、ほかにも新作派もいるし育成能力は評価されていい。
志ん朝は圓生並に厳しいけど弟子が育ってない。これが一番悪い。 >>256
少ない弟子の中から馬圓楽、圓丈、さん生、圓窓あたりまでは売れっ子だし
だいたい5割近く成功してるんじゃないかな
そう考えると小さんは成功した弟子の割合が少ないかもね 先代小さん師は面倒見よかったからな
一門を離れたのが談志師ぐらしかいないかと
志ん朝師は右朝師が早世したのが大きいな 騒動がなければ、あるいはずれてれば順当に行けば圓生は圓窓が継いでたのかね 小さんはてを取るだけ取って大量に真打ちにした挙げ句
売れなくて食えない人間を大量につくりだしたからな
ありゃ罪な話だった >>275
まずは円楽(馬)でしょ
いずれにせよ詰まらない円生だこと 馬圓楽はそれを上回るペースで真打濫造したからな
結果一門会入門以降(小圓楽)で直弟子で使い物になったのが殆どいないという惨状 >>272
小せん、さん助、つばめ辺りもマスコマ的に売れた部類に入るんじゃないか?もちろんリアルタイムでは知らない >>274
どう考えても自分も死んでるのが一番きついけどな >>278
割と本気で筋が通ってなくて酷い話だと思う >>278
移籍組の好楽円橘は別として純粋に主力級に育ったのは黒円楽とギリ王楽くらいか? >>274
志ん朝自体これからというときだったからな…
>>277
圓窓と言う名前から6代目圓生は圓窓を7代目圓生にしたかったのでは?とも思うがな 小圓楽以降が殆ど使い物にならなってないってこと
鳳楽や黒円楽は曲がりなりに協会で修業しているし、好楽、圓橘は外様
一門会が出来て以降の弟子で直弟子では辛うじて竜楽と王楽くらい 小さんも、小三治を引き立てるために圓窓の香盤下げるし、親友のバカ息子抜擢するし、おまけにバカ孫まで抜擢 身内贔屓がかなり酷いんだよな
真打試験制度導入廃止含めて、会長として優秀かと言うと、決してそうは言えない >>285
王楽も好楽の血縁者だから直弟子ではあるが少しカテゴリは外れそう ていうか馬圓楽は真打昇進の考え自体は小さん寄りあるいはもっと簡単にだったからな 形式上兄弟弟子でも実質好楽の内輪だからな
円楽以外で今は芸協で定期的に顔付けされているのが兼好、萬橘、王楽で
代演でも馬圓楽一門はお呼びでないというのも(あるのが愛楽くらい) 小さんや圓生の弟子に比べて志ん朝の弟子ってマジで落語以外の雑務が多かったみたいだしね
三平一門もそういう意味ではひどいもんだな 円楽党って入門から4〜5年で真打にしちゃってたんだよね? 粗製濫造時代以降は大体10年〜13年くらいで真打上がってるな
最短の萬橘でも7年なのに4、5年はやり過ぎ。 愛楽辺りは4年半で真打になってるな
万が一にも芸協合流成功してたらどうなってたんだろうね? まあ4〜5年で真打になってたのがいるからこそ芸協無理だったんだろうな >>290
そこはやらせてもきカネ次第だろうよ
5代目文枝は弟子に雑務させてたけどその分小遣い払いは良かったと聞くし。タダ働き同然なら割に合わんだろうけどな。 円楽党は立川を破門になった前座を2年の修行で真打にしたりとやりたい放題だからな。 そういうこともあるし馬・腹黒両圓楽との縁があったとは言え正直怪鳥とお尻を拭く会長はよく賛成したなとは思うが(他の役員は「笑点」の同僚の昇太含め?反対だったが) 結論は談志は強烈に悪辣で
談志を止められなかった小さんは間抜け 円楽党は92年の同時真打から数年入門者がいなくて真打が10年止まってる
さすがに同時真打はやり過ぎたと思ったのかね 今円楽一門会自体身分制度が崩壊しているから
前座が3人しかいないので完全に頭でっかちの状態になってるし
しゅりけんが3月に二ツ目になるので、その後は前座が2人に
立川流ですら前座は9人いる 10人真打の後の真打が立川破門の全楽
10人真打の後も神楽上楽が入門するまで前座ゼロでどうやってたのか
いろいろカオスだな。こういう団体の芸人をよそで引き受けるのは無理だろうね 今のコロナ禍で余興や営業専門の円楽党は新規入門者は厳しいよね。
円楽は協会と違って年齢制限がないから「収まってから門を叩く」という香具師も多いだろう 今は落語家の数が多すぎるんだよ
もっと少なくて良いよ
たくさん入れても食えない落語家が増えるだけだ
その意味で圓生は正しかった 落語家が多いのは高齢化が原因で今後少子化も進めば前座不足とかもありそうだけどな >>272
古今亭一門は圓菊が人材残したから救われているね。菊丸菊之丞菊志ん文菊・・ >>284
圓生本人が真打ちと認めて昇進した人だからね。 >>286
四代目三木助と柳家花禄のこと?
>>304
いまは志願者が増えて40代入門者もちらほら出てきたので、
年齢制限と定員制を設けてるほど>前座 >>303
そうかもしれん
落研のヲタク連中を弟子に取り過ぎだろう
45年経って圓生の考えが正しかったのかもと云う気がしてきた >>303
全員が食える世界だと競争にならないから全体のレベル上げようと思ったら増やし続けて実力主義にしていくのは正解だけどな
今は中途半端な規模だから全然実力主義って感じではないし >>308
明治20年代には三遊だけで200 人以上芸人がいた
落語という芸能が衰退し寄席も4つになり、他のエンタメ全盛の現在、確かに噺家は多過ぎる 半分くらいでも多い >>308
悪い意味で落語家が高学歴になりすぎているのかもね
落語家というのは芸人なのに最近の落語家は変なプライドを振りかざす感じ
笑いの瞬発力は吉本のヤンキー芸人に明らかに劣るもんな >>256
圓生も正論、小さんも正論
談志は私利私欲だけのクズ野郎 誰か、圓生からの葉書だったか手紙だったかに書いてあった強行スケジュールの事、知ってる人いない?
何かの本に載ってたのを見たんだけど、その書名を忘れてしまって探せない
大阪・神戸の帰りに大垣とか云々みたいな記憶があるんだけど・・・ >>300
>完全に頭でっかちの状態になってるし
これは落協も芸協もおなじ てか日本社会の縮図 円楽一門会は大楽や朝橘みたいにローカルタレントで活動する噺家も多いイメージ 円楽党は落語より講演メインが多い
真打ちと聞けば凄いと思うような客相手に笑いの健康法とかそんな話題ばかりで >>314
しかしある程度の人数の弟子取らないと良い噺家も出てこない
確率の問題もあるから難しい いつも寄席では先頭バッターのとむが真ん中後半任されてるな
そろそろ真打に上げるフラグかな? >>315
五九楽が落語しているところみたことないな 笑点で(古今亭朝次→)桂才賀というのが居たが、あの人が降板したのが馬圓楽が嫌ってたからというのもあるらしいが、
だとして「裏切った」志ん朝門下だったからというのがあるんかね? >>311
悪い意味で伝統芸能だもんな
今お笑いの才能がある奴らは落語界なんか来ない 落語界は人生で失敗したような人が多いな。上手く作用することもあるけど
昔は漫才も師弟関係あって落語と同じだったけど今は養成学校
わざわざきつい修行したい人間は少ない どう考えても人生うまくいってたけど落語家なってみましたみたいなやつの方がつまらない奴多いけどな 少なくとも当時会長だった米丸がご健在のうちは芸協と円楽一門会の合流や鈴本復帰はないだろうかね
前者に関しては香盤(特に4〜5年真打組をどう扱うか?)
も寄席修行の問題もあるからたぶん無理だろうが >>326
談幸のように客分として別枠に載せ、正会員になったら真打ち最下位に載せるんじゃないの? 京楽さんって最近見ないな〜
最短真打だっけか? まあその米丸師も3年半くらいで真打になってるけどあれは戦後混乱期というのもあったしなあ… >>330
横浜のボンでお付きが楽屋まで来てたらしい
それが鬱陶しいので、さっさと真打にしたらしい
花緑も周囲が気を使うのが面倒なので、さっさと抜擢さたらしい 芸協は粗製濫造真打世代をすっ飛ばして、すぐ下の世代をゲストに呼んでるのが全てでしょ >>327
談幸師の場合、準会員→2年後正会員(ただし香盤別枠)→2年後2016年昇進組の下に香盤組み入れ
仮に円楽一門会合流をやるとなると流石に膨れ上がり過ぎるから、現実的に数名を客員(王楽、萬橘、兼好辺り)で受け入れるって感じかもな
真打になっている連中は難しいだろうから、二ツ目以下の連中は吉幸師のように前座修業やり直し条件(ただし年数を考慮)で受け入れてもいいのだろうけど
実際に吉幸師の場合は前座1年、二ツ目3年で立川流の期間も算入された形で真打昇進が配慮されているし >>328
まあ鈴本もそうだけど、自分達のしょぼさを棚に上げてキレた芸協も大概だけどな。 米丸とか柳昇とか文治とか変にプライド高そうな頑固親父どもが牛耳ってたからな >>335そう言う米丸みたいなのに限り異常に長生きなんだよな 米丸と歌奴は新作落語の双璧だった
ほんとうに最盛期の二人は面白かった https://img.aucfree.com/b522359188.3.jpg
>>1の騒動があったからこそ生み出された円楽党の根拠地・若竹。
これ見ると各局にも使ってもらってて、うまく行きそうな雰囲気なんだけど。 >>338
常打ちの夜席が月10回、定例のイベントが月7.5回
の合間にそれらの貸席だから
稼働率はあんまり高くない気がする
昼席はないっぽいじゃん? 一つの寄席で真打6人じゃ、他協会の力借りなきゃ無理だろうにな
早めに芸協辺りと組んでればよかったのに 圓楽は身銭切って寄席やったのは凄いことだと思う ただ一門の面子がなあ
談志も昭和45年頃、目黒で名人会的な寄席やってたらしいけど、これなんか凄い顔付けらしかってけど客来なくて2年で閉じたらしい >>341
だからキャリア5年とかの奴らを大量昇進させたんだよ >>338
快楽亭ブラックが何回目かの改名披露を若竹でやって、その様子が写真週刊誌に載ったことがあった希ガス 前座にいる楽大が伊集院光か
この頃の圓楽一門会だとまともに客呼べるの先代圓楽だけでしょ
その圓楽が定席にトリで顔出してないんだからそりゃ潰れるわ >>341
今の立川流だって、メンツによってはガラガラだしな>広小路 助っ人+鳳楽円橘あたりが頑張れば違ったんだろうが
笑点メンバーは出ないんじゃ意味がなかった
鳳楽も酒蔵巡りで楽してるだけだからな >>338
三遊亭金也の真打ち昇進披露、笑点でもやってたのを覚えてる。
たしか楽太郎が「若竹を立てるときに圓楽が出した借用書に書かれてる”金〇〇圓也”から肖りました」ってギャグを言ってた記憶が。 あ、今の円丈門下の「三遊亭金也」とは別人か・・・
じゃ>>338にある昭和61年当時の「三遊亭金也」って今は誰だろ? 当時の金也はいまの楽之介
今の金也は金馬(金翁)門下 >>351
とんくす。調べたら数年で真打ちにした一人で、圓楽入れてやっと真打6人・・・
好楽が笑点復帰前だから、知名度の高いのは圓楽と楽太郎だけか・・・ 円楽は「富士の山は周りに低い山があるから目立つんだ。底辺を広げろ」とよく言ってたらしい
だから物凄い勢いで弟子を取ったのだろうが
若竹ももう少し辛抱していれば何人かものになったんじゃないかね 好楽ってなんで彦六一門から圓楽一問に鞍替えしたの?
二つ目ならまだしも林家九蔵で真打ちだったのに こうして歴史を振り返るたびに談志の卑劣さが浮き彫りになるな 談志の落語は好きだけど分裂騒動での立ち振る舞いはクズだなとは思う
文庫版の「師匠、御乱心!」がamazonでプレミア付いてる
圓丈、当代圓楽、小遊三の鼎談が「戦い済んで日は暮れて」で面白い >>357
その対談ついてKindle版が出てるけどな
プレミアとかすげえな >>359
kindle版安いから購読したよ。面白かった。
特に圓生が倒れたとき、梅生に圓生が遺した言葉を確認したとこ。
事実ではなくギャグとはわかるがメチャクチャ笑えた。 若竹は場所的に結果は最初から見えてたような気がする。金額的に仕方がなかったのだろうけど。弟子たちは営業に盛んで番組表もぺらぺらだったというけど、真打乱造もその穴埋めが発端か? 芸協や立川流も出演してたらしいけど、どんなラインナップだったのか気になるな。 私利私欲で稀代の名人である三遊亭圓生の寿命を縮めたクソ談志とクズ円楽
地獄の底まで堕ちて苦しめ 紫は落協が若竹の邪魔したみたいなことを御乱心の文庫の対談で言ってたな
自分たちの実力不足を棚に上げて、とんでもない間抜けだわ
あいつの協会の垣根をなくす云々の綺麗事は本当にムカつく 馬圓楽の一門に円生の名が渡るのはなんしても防がねば成らない 楽太郎は中間管理職とかイベントプロデュースは大得意だけどトップには成れない人 >>367圓生どころか、このままでは圓楽も止め名になりそう 継承できるのいないもんなぁ…どっちも
円楽一門会は緩慢な安楽死状態になっていくのか 鳳楽、圓楽、好楽が逝ったら一門としての訴求力無くなるだろうしね
兼好、萬橘、王楽で支えていけると思えないし
一門会の名前だけ残して両国寄席を根城にやっとて行くのか
全員芸協客分として入会するなんてムリだろう 大きい名前どころか、そこそこの名前も地味の人やゆかりの薄い人が継いじゃうようになったからな〜。圓生もしがらみのある連中がほぼ亡くなったし、ギョッとする奴が継ぐんじゃないか。
扇橋も、扇遊、もしくは扇辰が継ぐもんだと思ってたら、あれもギョッとした。 そこで川柳つくし師匠が三遊亭圓生を襲名するんでげすよ 地方タレント、講演中心なのは今でも結構多い
両国寄席の割りなんかろくにないだろうし解散でも変わらないんじゃ
あの円楽の弟子というだけである程度集まるんだろうな こぶ平が正蔵継いだ時にはパレードで盛り上がったしな。
落語に興味のない人にとってはうまい噺家よりテレビに出てる噺家の方がありがたい。 >>378
好青年結構大使館とか講演系の仕事来てるらしいからどうかな >>377
パレードで盛り上がったっていうか、
お練りだから
人出の多いところにわざわざ行って… >>374
5ちゃんじゃ小辰有力視されてたけど
かなりの冗談だったんだよな 冗談でもなかったよ
小辰以外に思いつかないし放置するとまた名跡塩漬けになりそうだから >>372
萬橘、兼好=外様の惣領弟子
王楽=直系だが外様の実子
この時点でなあ >>380
日本にスウェーデン芸人他にいないから需要があるか。 外人ってだけでは需要ないよ
上方に桂三輝(サンシャイン)っているけど別に売れてないでしょ
パックンや厚切りも芸人以外のプラスアルファで売れてる アメリカの日本人スタンダップコメディアンよりは多少需要あるだろ
色物として >>388
それは流石に言い過ぎかな
東西1,000人のうち需要があるのが10人なんてことはない 三輝は故郷に帰ったぞ。好青年も日本にいるより故郷で落語を広めた方が金になるかもしれない。 >>391
故郷というよりヨーロッパを市場と考えたら、ポテンシャルは無限 漫才協会の真打制度をさらに強化させて、真打の中でも実力の認められたものしか弟子をとれないとかにすればいいんじゃないか。年齢制限よりはいいかと〜 >>395
日本で需要ないのにヨーロッパで需要あるわけないわな
だからキモヲタは困るんだよ ないとは思うけど
日本でないから海外でもない
っていうのは理由にならん気がする
そればかりは分からん >>396
キョンとか文蔵がヨーロッパ公演行ってただろ?
ああいうのと上手に絡めば日本よりは需要あるよ
因みに外人のやる落語には全く興味ない キモヲタ「可能性はある」
政治家「検討します」
つまり「全く見込みがない」 >>401
お前の人生は可能性すらないじゃん、キモヲタ 俺は小太り長髪カッパハゲ、メガネにチェックシャツをチノパンにタックインしてるオサレさんだよ リュックはいつもパンパンで、スニーカーも蛍光色だぞ!
文句あるなら、いつでも相手するから、ABABの前に来いや! >>374
入船亭の場合は、扇橋の名前を孫弟子の小辰に継がせたのは正解だったのかどうか
直弟子で売れてる人が二人いるから、どちらが継いでも角が立つ、みたいな判断だったのかね? >>405
筆頭は年齢的に継ぐことはないと、枕で常々行っていた
肥辰は兄弟子差し置いてはない
孫弟子世代で一番売れてるし、一門に異論はないんじゃない? 兄弟子差し置いてはない、のが普通だよなぁ
当代馬生はすごいと思う つまり>>392が馬鹿なキモオタなんでげすね
了解でげす >>407
当代馬生は自薦らしいね ある意味すげえわ
小三治の時は、小さん5から直々にお前は小三治だと言われたらしいが、兄弟子は穏やかじゃなかったろうな 若くてこれからのやつが引き継いだほうがいいという判断だろう
あとは
小はぜが小三治になると嬉しい 柳朝も入船亭と同じく孫弟子に渡ったわけだが、あそこは複雑そうだな。人気者の小朝に一朝が遠慮したけど、小朝はもっと大きい名前を狙ってたとか、ワイドショー的な妄想が膨らんでしまう。
入門準的に選ばれてしまったといえば現文楽だけど、席亭から出た話ってことだから将来は化けそうという期待もあったんだろうねえ。 当代文楽は名前が大きすぎて過小評価されてると思う
淀みないメロディアスな口跡は俺は好きだよ >>412
小はぜ、そこまで良いか?
下手ではないけど、クドくて長い >>415
当初は批判あったけど襲名してしまえば形になるもんだなと
当代はテレビ・CMの仕事をすっぱり切って寄席に専念したのも功を奏している感じ 曲者だった三遊派宗家もいいかげん死んでそうだから、跡を継いだ子供だか親戚が普通の奴ならすんなり復活できるかもしれない
小朝は断ったらしいけど、周りに配慮してだろうか
あまりに大きな名前過ぎて名乗りをあげにくそうだが、それだけの逸材が出てきて欲しいな。 >>420
他と比べてちょっと良いだけで小三治継ぐとか、随分安い名跡だな 逆の考え方もあるけど
早いうちに値打ち下げておかないと誰も継げなくなってしまう >>421
あまりに居なかったらそうなると思う
いまいる二つ目を振り返ればなんとなく 小はぜの真打、3-4年後だろ?
その時どんな噺家になってるか次第だな
ただ国宝の名前になったから、そう簡単にはいかないだろうな
そう言えば談志も欲しがってたが、貰えなかった名前でもある 名前を継げない理由に、遺族との交渉が巧くいかなかったってのがあるけど、どんな難題吹っ掛けてくるんだろうな。
柳枝は遺族が代替わりしたので継げたんだろう。
小八は娘ともめてるから継げないんだろうな。 小さんは血統のものになった今柳家で一番の名跡が小三治になってしまう可能性はあるな どうせ遺族だと揉めるんだから上方みたいに所属事務所が管理すりゃ良いのに >>425
小辰が扇橋になるのが前提っていうか
それなら
言ってみるだけでも、って感じなのでは? 寿命があがった事もあって名跡は孫弟子世代か末弟子のどちらかしか継げないのも
なんだかなという気はする。
当代小さんも80過ぎまでは現役だろうし、花緑が継げるとしたら還暦過ぎちまうわ 小三治はさすがに直弟子が黙ってないだろ。柳家栗之助が空いてるから花緑は栗之助でいいよ 当代小さんも今年75歳だから10年もあれば空くだろうに さん遊に改名したのは市弥に譲るためだったんだろうか
柳家の人たちってやさしいよね >>372
もしかしたらだけど...
円楽の今際の際はそう遠くない。
芸協はそのタイミングで、好楽一門のみ
圓楽党から引き抜くんじゃないのかねえ。 精々準会員か客員が限界じゃないかと思う
確実に末廣亭に上がっている3人には手を付けると思うが 立川流と同じ処遇でいいのでは。
(来るなら、当人達も承知済だろい)
好楽一門を引込めば、芸協としては
大きいと思うのだが。 円楽いなくなれば(療養専念としても)話題にも上がらなくなり自然消滅だろうね
両国寄席とかよく行くいわゆる円楽党の客ってどれぐらいいるんだろう 定員30人とか50人くらいって聞いてるから、広小路亭や日本橋亭、好楽邸併設の池之端しのぶ亭と同じくらいじゃないの。 http://ryougokuyose.html.xdomain.jp/
>また、場内の最大収容人数は平常時の50%の50人までとさせていただきます
両国亭は定員100人のようね
池袋演芸場と同じ規模かな 60名近くを受け入れるつもりだった歌丸は凄いな
それに賛成した小遊三も
どうせ反対ばかりだからと投票したのかもしれんが 両国はあの柱が鬱陶しいし、部屋の作りがいびつ 傾斜がなく高座も低いので見にくい
池袋はある意味完璧な作り 夜席寒いけど 両国寄席もチープすぎてな。パイプ椅子置いてるだけだし
もう少し寄席らしさあれば円楽党も違ったかも 木戸銭安い割に芸協や協会の昼より面子が良いから俺はよく行くけどな
末廣みたいに若いの女もいないから落ち着いて観れるし >>445
会長と副会長以外の理事全員反対とは。ある意味民主的運営だな。 稀代の名人である三遊亭圓生の寿命を縮めたクソ談志とクソ圓楽
その一味は永遠に路頭に迷うべきだ >>452
当時は副会長ではないが理事の一人で
あったであろう、昇太は反対側か? 反対だったと思う
賛成だったのが歌丸と小遊三だけだったという話だし 小心者の自分だったら
反対派多数になることはわかってたんだし、
今後の付き合いを考えて賛成票投じてるわ。
昇太がそんな奴だったら会長には選ばれてないだろうが。 円楽が遂にとなったら、歌丸は既に鬼籍。
小遊三も既に相談役?だし、芸協会長の
昇太は円楽党としがらみはない。
円楽党外様でかつ戦力になり得る、
好楽一門のみ引き抜くのでは。
顔はニコニコしているが、目は笑って
いないからな。 >顔はニコニコしているが、目は笑って
いないからな。
おまえいつも同じこと言ってるな、この低能野郎 >顔はニコニコしているが、目は笑っていないからな。
それは落語家の全員がそう
特に笑点なんかに出てる奴らはそう 笑点メンバーは裏表激しいな
好楽は一番いい方だと思う 九蔵襲名騒動も分裂騒動の余波みたいなもんだな
三平一門にしたら巻き込まれるし、
直後には三平死んで不遇時代到来
根深く恨んでそうな気がする
あれだけの騒動後に平然と出てった好楽にしたら
意外過ぎる反応だっただろう >>461
好楽の近著「いまだから語りたい昭和の落語家 楽屋話」読んだけど
この人好き嫌いを隠さないね
嫌いなのが山田、(意外だが)大師匠圓生、名前は書いてないが多分志らく
意外なのが一番好きだったのが彦六でも馬円楽でもなく志ん朝だったこと この時代には文治という大名跡を芸協へくれてやるなんて事件もあるね。
何代目かの文治の弟子であった小文治の門下だから無縁な人ではないけど、気前が良すぎる。
養子だった翁家さん馬にしたら、そりゃねーよだったろうな。 色んな書籍を読むと、圓丈が書いてた常任理事の三悪人ってのがどうも納得いかない 特に柳朝
柳朝を悪く言ってるの談志くらいだし、圓丈の人物評は何か歪んでる気がする 若い頃イジメられでもしたのか? 彦六の名代的な位置付けじゃないの
当人は難しいことを企めそうな感じがしないけど >>467
これも彦六の差し金らしいけど誰も反対しなかったのかな
たしかに落協には初代文治の系譜の人は皆無なんだけど
それ言うなら上方に返せって話だよな >>468
柳朝はけっこうイジメが酷かったらしいね。
まぁ、陰湿ではなかったんだろうが…… 柳朝に虐められたって言ってるの談志だけでしょ
原因はどっちにあるのかと思うよね ジァイアンキャラだったと思うわ、柳朝5
ただ圓丈は、分裂以降は志ん朝にもウザがられたっぽいし、御乱心は圓楽や一門以外にも大量に敵を作ったと思う 柳朝は、人としてと云うより、理事としての立ち振る舞いが最悪だったってことじゃないのかな。若手の意を汲む存在を期待されてただけに失望も大きかったとかさ。
評判の悪かったもう一人、圓歌はその後、副会長、会長と昇りつめちゃうわけだけど、あの時代をうまく肥やしにしたのかもしれない。 理事としての柳朝は駄目だったろうな
香盤の関係もあったんだろうけど、理事にしちゃ駄目なタイプ
先代馬の助や先代つばめが中堅や若手のまとめ役だったんだろうけど、一番タイミングが悪い時に亡くなってしまった >>477
戦争の影響もあってベテランと若手ばかりになってしまったというか、ジェネレーションギャップが生まれて、押さえつける人たちもいないから談志たちが図にのってしまったって感じだろうか。その二人が元気で長生きしてくれたらずいぶん違う方向に行ってたんだろうなぁ。 談志クソも飽きた
上納金未納で破門にでもされたんか? >>476
先代圓歌は弟子を沢山育て、慕われたよね。
圓楽談志に常任理事解任迫られた頃から人柄が変わっていったということなんかな? 金馬は外様ということで談志からはいじめられたおしたというし、
協会内では苦労人、気を使ってたイメージ
三悪人と呼ばれたのも理事として無能すぎた(人が良すぎた)からだったんじゃねえか >>484
弟子はたくさん取ったが、育てたか、と言われると?だな。古今亭や柳家に比べると、あまり大看板レベルはいないと思うな。 圓歌って一門以外には嫌な奴なイメージ
某後輩に、お前の芝居客入りが少ないから、昼トリの俺の割が減るみたいなことを言ったそうな
その話聞いたとき器ちーせーと思った 大看板って何?っていう話はあるが
コンスタントにトリ取れるレベルで円歌(歌之介)、歌る多、歌武蔵、歌奴がいて
ご隠居クラスに歌司がいて
色物に橘之助がいて
ラジオスターに鬼丸がいる
ってそこそこじゃない? >>490
孫の事? ホンキートンクの新しいボケ役 三朝の声を2オクターブくらい高くして、更に金属的響きを足したような声のあいつか
よくあんなのとコンビ組む気になったとある意味感心 新協会には小南にも声がかかっていたというが、いろいろ憶測してしまうな
のちには弟子たちが移籍してしまうのだが、本人も芸協には思うところがあったのではとか、それが弟子たちに影響したのではとか
芸協幹部の怒りは収まらなかったらしいから文朝が長生きしても名前を継ぐことはなかったろうが、小南は望んでた気がする >>492
単純に人違いしてるんだろ
置き土産は… 歌丸、小南「ら」の部分がどういった面子に声かけていたのだろうかね?
笑点関係で小円遊も誘っていたんだろうか? 小南は芸協の幹部ではあったけど上方風落語をやるから協会内では浮いてたのかもね
文朝らが移籍する時もあっさり了承したというし米丸柳昇文治らの落協への態度と全然違う
芸協は先代柳好、華柳、はち好の脱退、先代可楽の休業とか内部の軋轢が昔から結構ある 売れっ子の四代目痴楽は妬まれて楽屋に居場所がなくてほとんど寄席に出なかったとか
もっと古くは三木助が落協に移ったとか
色々ある 四代痴楽師はそれもあるけど、大阪の愛人という要素も大きかった
米朝師の番組のお笑い知恵袋を作ったのも痴楽が客演していたから
福團治・枝雀・枝鶴トリプル襲名の時に倒れて以降はよいよいだったけど
その愛人が結局後妻に収まることに(痴楽よりも先に死去) 田端の三木助は師匠の柳橋先生と仲悪かったんだっけ
目白と仲良しだったから移籍したのかな 落協より規模が小さいわりにいろいろあるんだよな
可楽三木助の頃なんて色物あわせても50人ぐらいじゃないか? よく言われるのが、新作派が牛耳ってて、古典派は肩身が狭い、疎んじられてるってやつだが、さすがに今はそんなこと…あるのか…な? >>504
会長が米丸、副が柳昇だった時代があるから、確かに新作派が幹部だけれど
別に古典派を軽んじてはいないだろう。 どうだろうね
今輔、米丸ラインはそんな感じはあるけど
柳昇のところは小柳枝とかいるし
文治だって古典の人だし
そもそも柳橋先生も新作はやらない気がする 先代可楽はその話になると愚痴って涙をこぼしてたらしい
移籍も画策したけどうまくいかなかったんだよね >>507
可楽は柳橋と喧嘩したから干されたんだろ。 >>508
笑三はそれでしばらく先々代円歌門下に預かってもらってたね
そのおかげで笑三師は円歌譲りの呼び出し電話持ってたりした 何にしてももめごと多いよ
落協より頑固爺が多い印象。歌丸も抜擢のことで意地になってたし まぁでも分裂騒動のような大事件にまで発展してないんだからねえ 小遊三を抜擢真打にしなかったのが、鈴本絶縁の原因の一つでもあるし
今、抜擢真打が客呼んでるのは皮肉 >>511
その代わり一門同士の垣根は協会より低い印象
協会は一門同士がギスギスしすぎ >>497
声がかかってたのは、芸協に不満を持つであろう実力のある古典派という感じだろうか。
小円遊は談志が声をかけたかもだが、酒癖の酷さは広まってたろうから関係者は勘弁してくれだったろうな。 小三治扇橋と三人会やってた文朝には声かけてそうだ
>>514
柳家、三遊、古今亭、林家といがみ合いが多い
芸協は元をたどればほとんど小文治か柳橋かの2派だからな 芸協は不人気だからこその結束があったような感じがした
みんな横並びみたいな
今はそれがだんだんと崩れてきてるのかもしれない 先代小文治がクビになった弟子たくさん引き受けたり
米丸柳昇文治もたくさん弟子取ったり一門より全体の事考えてただろうね
とにかく数で劣ってるからまずは増やせという感じで 柳橋は君臨したけど弟子を必要以上に取り立てたりもせず、
小文治に全て任せてたってのも大きいんじゃないかな
不平を押さえることもできるし、信頼関係も築ける
弟子の柳昇にしたら不満だったみたいけど役職についてなるほどと思ったらしい
今でもそれが続いてんじゃないか その後の紫の続報聞かないけど、どうなんかな?
個人的には嫌いだが、存在感や発信力はそれなりにあったと改めて思う
合掌 >>516
いがみあってても、聴く側にはぶっちゃけ実害ないからな
ただ、柳家のぺーペーの二つ目が勉強会でネタ出しして火焔太鼓やるのは?だと思う あくまで一例だが 志ん朝は火焔太鼓を柳朝と円蔵にしか教えなかった
この二人にも「大事な話だから誰にでも教えちゃダメだよ」と釘を刺したのに
この二人がどんどん広めちゃった 昔は真打格の噺とか〜一門の噺とかかなりうるさかったはず
今は何でもありだからな
稽古をつけてもらわず勝手にやってるのも相当いるんじゃないかと思う >>525
独演会でも蘊蓄と前座噺だけで済ませることが多かった誰かさん >>524
柳朝に教えた時に一朝も一緒に習ったそうな
つべに若い頃の一朝の火焔太鼓がある 口調がかなり志ん朝だが、今の口調で聴いてみたい 同系統の話はやらないなんてのも気にしなくなってきてるしね
昔ながらのファンとしてはそんなしきたりにも面白味を感じる、伝統の一部として楽しんでるわけだが、今の若手たちにはその部分がないのかもね
ぞんぶんに後押ししてくれそうだから、売れてるからと、打算で師匠を選んでる人も多い気がする。 昔の録音と比べると、今の噺家は全体的にレパートリーが狭くなった気がする
昔はそこそこの頻度で寄席にかかってたのに今はほとんど聞かなくなったネタって、結構あるよね? 種類減ったは凄い思うよ
落語会行けとか以前の問題よねちょっと 替り目、時そば、道灌、子ほめ、粗忽の釘、紙入れ多すぎ >>529
粗忽、花見、鰻系の噺は減ってる印象
大ネタも飛びぬけて多いのは20〜30ぐらいじゃないかな 井戸茶、子別れ、妾馬でトリ取った場合は全額返金にして欲しい
寝床、明烏、抜け雀も多いがまだ許せる
花見の仇討ちは、去年の池袋で市馬で聴いた 小満ん つるつる
一朝 黄金餅
正蔵 景清
龍玉 首提灯
小里ん 木乃伊取り
出来の良し悪しは置いといて、ここ2-3年で聴いたレア目の寄席トリ ネタ出しは除く
後は、志ん輔の高田馬場と水屋の富は仲入り前で聴いたが、これもレアだと思う 桂文楽のネタのほとんどが掛ける機会が減ってる
廓系・盲ろう・若旦那系 以前に、同じ演目だと帰っちゃう若者が多くて困ったもんだみたく矢野誠一が言ってたけど、逆転したか
昔の寄席は同じ演目ばっかやる人だらけだったらしいな >>539
俺は1月と2月、2ヶ月連続で正蔵の一眼国を聞いてしまった。
枕もほぼおなじ。 談志も「文楽が酢豆腐やって、竜光さんがいつも同じ手品やって、美蝶がいつも同じ皿回しても」みたいに寄席の事評してた
年中同じような芸やってるイメージはあるんだろうね >>542
某師匠は稀に勘定板とかかけることがあるな
あとは龍馬伝かやかん工事中のどちらか高確率
元相撲取りの師匠も、もはや寄席では支度部屋外伝のみ
>>540
今日は一応鼓が滝かけたみたいだけど
流石に一眼国ばかりってのも 小三治もひところは小言念仏ばっかだったと聞いたことが
志ん生や可楽は雨の日は冷やかしがないので普段と違うネタをやったみたいね >>540
龍玉なら毎日聴きたいけどなあ
実は個人的にはまだ正蔵のが扇辰より好み >>544
ひところとかじゃなくてまじで毎日だったが、始めたころはなんか毎日来るやつが気に入らなかったとか 国宝も人間だし80歳近くなると絶句するリスクも高いだろうからネタの固定化はしょうがない。
ネタ数の多い一朝でも10年経ったらある程度、固定化するとは思う >>545
俺も辰聴くくらいなら正蔵のほうがいいわ
あの新潟的鯔背のドブ臭さは無理 >>547
枝雀みたいに悩んで自殺なんてされても堪らんしな 扇辰は総じてクサいんだよ。
あの全身から漂う「俺って一筋縄じゃいかないひねくれ者で頑固でシャイな男なんだぜ、粋だろ?」感が,たまらなく鼻について癇に障るわ。 先代の圓歌師匠は
姿を見たら中沢家までがセットなので むしろ毎日やってるぐらいが健全というか 臭いという点では自分は志ん輔が苦手
志ん朝が臭くやれって言ってことが頭にあるんだろうな
まぁこの辺の好みは人それぞれ
正蔵は襲名した頃が悲惨だった
焦りが見ててビンビン伝わって来るし、こいつ自殺しちゃうんじゃないかと心配したぐらいだ
あの頃に比べると驚くべき進歩を遂げた
小三治が指摘した「うまくやろうとしてる」というのを乗り越えられたら化けるかもしれい 協会は二世のボンクラ連中(三平、木久蔵、花緑)を放置してるから嫌いだわ
他の団体なら淘汰されてる連中だから 木久蔵はいいよ
あれをボンクラというやつはそもそも見てないか目が腐ってる 志ん輔は好きだが、苦手という人の気持ちも分かる
辰と文菊は臭いというより、ナルシズム臭を撒き散らしていて不快
木久蔵は偏差値45くらいの噺家 >>562
先週浅草で聞いた。
枕は面白かったんだけどな、噺のほうは・・・演目は素人鰻
本人のブログ、当日の記事に「もっと稽古しなくては」と書かれてた。 扇辰も文菊も87年には、まだ入門していないのに、ここに登場するとはすごい! 談志は志ん朝へのコンプレックスやさん治が小三治を継いだわだかまりが要因だと思うけど、円楽はよくわからん。
のうのうとしてても圓生を継げて行くは協会幹部間違いなし(世代交代後には易々と牛耳ることができただろう)、考え方だって小さん正蔵に近かった。博打を打つ必要はなかった。圓生をなだめてりゃすべてが手に入ったのに、不思議だ。 >>567
元凶は談志だよ。焚き付けておいて、ハワイに逃げて、だらしない奴。最後は教祖気取りになって、地獄でも圓生、馬圓楽に恨み言言われているはず。 三つ巴になってそのうち一つの旗頭に談志と一緒に収まりたかっとんだろうな、馬は
談志も馬も、協会に残ってても会長まではなれなかったんじゃないか? >>567
とはいえ、落語協会にいたままでは志ん朝の後塵を拝すことになって、トップ(会長)にはなれなかったろうから。
(まさかあの当時から志ん朝が早死にすることは読んでなかったろうし(圓楽自身が子供のころから病弱だった) >>571
だとすると、新協会で圓生が志ん朝を次期会長にと言った時は談志以上のショックだったろうな 圓楽は談志が志ん朝の上になりさえすればそれでよかった(盟友の談志がトップに立てば、実務(実権)を仕切れるので)
しかしそうじゃなかったので談志が離脱し、計画は頓挫⇒三遊協会よりも自分の会社(星企画)に重きを置いたために圓生とも衝突。 三遊協会会長 立川談志
副会長 古今亭志ん朝
副会長 三遊亭圓落
何か意味が分からんわ
何にせよ志ん朝は協会に戻って良かったよ 志ん朝が戻った理由は「三遊協会が寄席から締め出された(弟子が定席寄席に出られない⇒弟子の成長に支障をきたす)からだったな。
一方圓楽は「なーに、これからは地方の時代、ホール落語でいくらでも稼げる」と責任転嫁・・・と「御乱心」には書かれている(圓丈著だけに割り引いて受け取らないといかんけど) 圓生は若い頃、親父と寄席を経営して痛い目見て、著書でも大看板が独立して寄席興行打ってもうまくいかないみたいなことを書いてた
御前公演をした自分は例外だと思い上がったのか
ただ立川流のホール商法の元祖は圓生だと思う
芸のレベルは全然違うけど >>578
ホール商法って米朝もかなり早くなかった? >>576
談志は協会にも小さん門下にも居場所が無くなって氏ねばよかったのに
大名人圓生の寿命を縮めた極悪人だぞ >>579
それは席亭が芸能事務所も経営してたような形態の上方だから出来た荒技であって、席亭と完全分離してる形態の江戸落語じゃ無理ゲー
上方は上記の理由でメディア進出も簡単だしな >>580
しつこいからお前がさっさと談志の元へ行ってくれ 死んでもこれだけ叩かれる談志って、どういう奴なんだろう。絶対、地獄の門番しているな。 談志は落語を滅ぼすため宇宙から来た侵略インベーダー 談志が落語を滅亡させるため名人の圓生を苦しめ師匠の小さんも悩ませた
チフスやペストよりも悪質 円楽も談志にのせられた一人とするなら納得するところも多いな
恥を忍んで出戻ればよかったのに、そこは江戸っ子の意地が働いたか
結果、志ん朝は協会内での力を失うわけだが、
その分、落語に力を注いで素晴らしい名演を残してくれるわけだし、
悪いことばかりではないね >>584
お前、絶望的に頭悪そう
浅草演芸ホールの便所虫並のIQ 志ん朝、協会で力失ったって説も?だけどな
少なくとも亡くなった時は副会長だったし、次期会長候補筆頭だったし 馬風とは同期の親友だったし、敵はいない状態だった
そもそも脱退騒動あった時点で、どれほどの影響力持ってたかよく分からんわ >>588
志ん朝の全盛期って、二つ目から真打に上がる時分だったんじゃないか?ってこの頃思うわ。 志ん朝 父兄とも酒に持ってかれたのが
悔しい。
志ん朝は虫垂炎を自己判断で前日食べた
サバの寄生虫のせいと医者にかからず
仙台で独演会強行したのもあとに響いて
いる、それで入院して療養したんだからね。 >>593
少食だった前座時代の小三治に、無理やり丼飯を食べさせた鬼の馬風
晩年は対談とかやってたけど、仲は良くなかったと思われる 目に見える形でのペナルティは圓窓の香盤が下がったくらいだけど、圓龍のように昇進を遅らされたりで、実質はいろいろあったような気がするけどな。まじめな志ん朝の事だから政治には口を出さないスタンスを守ってだろうし、しばらくはそんな空気が漂ってたんでないかい。ただ小さんのイメージからしてそんなに長くなかったのではって感じもする。志ん朝が副会長になったのは事件から15年後だもんな。 圓生は会長時代は独裁者、やめてからも口出ししまくりで嫌われるトップの典型
ただ会長時代に池袋存続に尽力した功績ははもっと評価されても良い 圓生は圧倒的な実力があったから無理が通った
それはそれで憧れる部分がある
文楽、志ん生もそんな感じがするけど、
実質的には裏方になった八代目小三治や二代目小せんが処理してたという話
落語界に君臨してたという左楽は芸の方はぜんぜんだったというのも面白い 談志は行き場がなくなって協会から逃げて
弟子から上納金を取るという鬼畜道に堕ちたクズ中のクズ 談志は赤めだかの前後だけ一瞬盛り返したけど
基本的には21世紀の人ではなかった 志ん朝は死んで、談志は生きてたって違いはあるけど、落語家、噺家としては10年長く生きたからどうということもなかったんだよ
生で見れましたよ。時々良かったです。
それって余韻だったりおまけだったりなわけで、バリバリの現役としては
志ん朝が亡くなる前後にはすでにちゃんとやれない人になってた 小三治は政治に関わんなく気ままだったからあそこまで昇りつめられた気がするわ。
最後には会長やらされたけど調子崩して、喉をやられて声は出なくなるは大変だった。
先代今輔も疲労困憊してそれが死期をはやめたともいうし、向き不向きがある。
志ん朝が会長になってたとしたらどうだっただろうか 小三治が人間国宝って違和感アリアリ
志ん朝が生きてたら間違いなく志ん朝だろ 気持ちはわかるがあの時点ではベストな選択と思った
歌丸とかが選ばれなくてよかったとホッとしたな(歌丸は嫌いではないが)
ファン的にはチケット争奪戦が激化して迷惑な話だったろうよ >>600
左楽がそこまで君臨できたのはなぜなのかね。高座は日露戦争の体験談が評判だった程度
戦後の柳橋も芸がダメになってしまったが似た感じか >>606
あの時点で人間国宝を作らなきゃいけなかったわけではない
くだらねえなあとしか思えない 人間国宝なんて国の気まぐれでやってんだからそんなもんだよ >>608
人間国宝は 全体での人数枠が決まっている
その中でどの芸能ジャンルが何人分の枠を取れるか?というのは『伝統芸能同士の競争』という面では意味がある
もちろん、 そうした狭い世界での競争自体がくだらない、という意見もわかるけどね >>607
人望と人脈、そして先を見る目がずば抜けてたという話だから、商才の長けたプロデューサー、文楽、柳橋を売り出したのも左楽だったか、裏方で地位を確立した感じですかね。観客に受け入れられ続けたのはよくわからんけど
全く人望がなく寄席でもひどい扱いを受けていた八代目文治が会長を務めていたのもよくわからんが、終戦直後の人手不足からだろうか >>607
あの黒門町が「私の芸の師匠は橋本の圓馬師匠、人間としての師匠は左楽師匠です」といったくらいだから、やはりその人心掌握術と帝王学によるところだろうね。若手は粒ぞろいだけど大御所の層が薄かった睦会を、あそこまでもたせたのも左楽師匠の働きが大きいと思う。 >>605
しかも嬉しそうでイラッとしたよな
もうすでにほぼ毎日小言念仏だったんで >>610
柳が2人続いてもう政治案件だってのがはっきりした
マジつまらん 圓生は文楽を八方美人って言ってたな
噺家がまだ少なかった時代だったから、文楽会長の時はわりかし波風少なかった印象 >>606
むしろ歌丸のが該当するけどな
演芸なんだぞ >>611 >>612
晩年の左楽を見た人の体験をどこかで見たけど高座で喋っていても何も聞こえなかったとか
でもみな黙って聞いて拍手していたらしい
晩年の歌丸みたいな地位・存在感かね 柳派客分の弟子筋が圓生襲名して
三遊派に戻るのがいいな >>620
落語界の実情をあまり知らないライターネットでネタを拾って書いた記事、なんだろな。 >>620
本当に現実を見れていない提灯記事だわな
圓生を封じざるを得なくなった理由も知らないんじゃないのかと 紫って発想が代理店なんだよな
小手先ってゆーか、注目浴びれば何でも良いってゆーか とにかく品がない
企画した江戸東京落語会が良い追善になりそうなんで、本人も本望だろうよ 落語家というよりプロモーター。顔は知れてるからそこそこ集まる
円楽が音頭取って誰かに襲名させるならわかるが 馬も紫も芸を疎かにして弟子をキチンと育てられなかったのが、致命的だった
本人たちと笑点関係者以外は潤ったが、一門は滅亡へまっしぐら 舞台至上主義者の鳳楽や円橘とソリが合わなそうなのに分裂が無かったのが奇跡 >>596
圓窓の場合は香盤が一枚下がって小三治と入れ替わっただけか。 圓橘と好楽が移籍してなかったら、今の圓楽一門会は悲惨を通り越して臨終だったろうな
圓生も圓窓と圓弥が移籍してなかったら、直弟子で売れたのは圓楽、川柳、圓丈だけ
芸の質は代々下がるし、育成力は伝統的に弱い トップが売れるだけじゃ駄目だな 外様外様というが好楽はともかく円橘は入門翌年に元の師匠が脳の病気で倒れてる状況から見ても
五代目円楽の弟子でいいと思うんだけどな。圓窓・圓弥にしても前座の内に師匠が亡くなっての移籍だし、ずっと外様扱いは可哀そうだと思う。
木久扇を今更、彦六一門の外様とは言わないでしょう 円橘は小円朝倒れてから師匠の世話でもしてたのかね
実質円楽あたりが面倒見てたのかも >>617
米朝は納得
小さんが「本当は私より上の先輩が大勢いた」というのも素晴らしい言葉
小三治は疑問 >>630
分裂しようがないくらい弱小グループだからね。 >>620
楽太郎が「圓窓アニさんを圓生に!」と言ったら素晴らしいが
自分がなりたがっているのは万死に値する >>641
お前他スレで荒らしてたキモヲタだろ?
ウザいから消えろ つくし師匠が「圓窓さんの後なら継ぎます」と謙虚なお言葉 海老名家がのさばっているのも、三木助花緑小駒の母親たちがでかい顔しているのも、
大体小三治のせいだろ もとをただせば談志が悪い
談志は落語を破壊するために宇宙から送り込まれた悪質生物 >>644
女は関わらせちゃダメをルールにした円楽は正しかったんだな >>649
圓生はしょっちゅう楽屋に妾を連れてきていた。もう少し可愛けりゃいいけど、不細工な女でさ。と談志が言っていた。関係ないかな? 5代目つばめが生きていれば、談志は自分が小さんの後継者と己惚れることも無かったはず 小さんの後継者は小三治だったんじゃね?
それを受け入れられなくて捻くれて、政治に手を出したり新協会作ろうとしたり 談志はシ毛コが弟子の嫁だった時期に「俺の妾になれ!」とほざいたゲス >>654
四代目三木助の姉ね。
弟子はぜん馬師。
ぜん馬師のwikiには離婚歴は書いてないんだよな。今の嫁(さこみちよ)のだけ。 ぜん馬にシゲコ紹介したのって、目白のおかみさんらしいな イケメン好きだったらしい
ぜん馬、扇遊、喜多八は可愛がられた
小里ん、はん治辺りには冷たかったらしい 小里ん、はん治... さん喬、さん遊、金車とかはどうだったのか その辺は知らんけど、イケメンには生卵やトンカツ一切れをあげてたらしい
一番可愛がってたのは、談志みたいだけど 談志が「お前はゼン歯じゃ物足りないはずだ。俺の女になれ」って言ったんだとか
それをブログに書いちゃうシ毛コも凄い 客前で談志と何人かが集まって高田も中尾彬もいて、みたいな状況で中尾彬が居るから池波志乃の話題になってちょっと失礼な冗談も飛んだんだよ
中尾彬が亭主の余裕で笑い飛ばしてる横で談志がひとりでじっとうつむいていた… しげこの話はどこまで信じていいんだろうな。
父・兄・息子と3人の三木助を見てきた、というのは朝ドラにもなりそうな人生だけど
ブログを読む限りフィクションも多そうで… >>650
どこまで図々しいんだろうね
円窓も健在だと云うのにさ みどりもだけど、なかなか冴えた言葉遣いするんだよね
女芸人の地位が今ぐらいなら一人は芸人に欲しかったが当時は難しいよな でも三木助四代目は落語はそんな悪くなかったんだよな >>662
残念ながら孫が立派じゃなきゃドラマにならないんだよな
今の甥っ子の方の三木助は下手過ぎて話にならないけどな
協会は名跡を腐らせるのが得意 >>666
バブル期の粋な遊び人て感じで中々よかったんだよな
甥っ子はそういう天性の華がない 現存している協会の二世連中はみんな親にやらされて嫌々落語になったような奴しか居ないな
どいつもこいつも真剣に落語やってると言うものが感じられない だからダメなんだよ
本人にその気もないのに無理矢理やらせても真剣になるわけない 地味な二世では円窓の息子窓輝、つば女の息子小きん、金翁の息子金馬もいる
入門動機がよく分からないが 甥っ子だけど歌笑とかね。「俺が遺志を継がなきゃ」という動機は嫌いじゃない 他の団体の二世は協会ほど悪目立ちしてないのにな、少なくとも聞くに耐えないって感じなのは殆ど居ない。協会のは親の政治力を示すだけの玩具になっていて例に漏れず抜擢真打になって二世がつけ上がってでかい顔しだすからタチが悪い。 木久蔵の抜擢はいつかの真打関連の記事でなかったことにされてたな >>674
ドロップキックボーイが一番悪目立ちしとるで 二世の話ではほとんど名前があがらない林家あんこ……
まあ、あがらない理由もわかるけど 時蔵、無名だが曲者すぎるからな
仲間内でも知らない人いるかも 四代目の三木助は西の米團治に似た雰囲気
こぶ蔵にあの手の空気は出せない >>672
小きんに関しては、つばめの名を塩漬けにしたり何がしたいのか分からん
(何か以前誰かに譲れと言われて断ったとか、誰だか知らんが、馬風一門とかならともかく権とかが言ったならかなりまずいのでは) 権太楼がこみちにつば女はどうかって打診したの断ったってやつね >>682
柳亭燕路が弟子のこみちが真打ち昇進したときに七代目つば女を襲名させたいと小きんに手紙を書いたけど
小きんは拒否した、という話だよな。
いずれは自分が名乗りたいからだろうけど、いつになるか。 権太楼と夢月亭の師匠のつばめは談志と真打同期だっけ?
早世されたのは惜しかった 前の三木助は小さんに下駄履かされて、小朝とつるんで調子に乗ってたから自業自得としか思えん
小朝企画の池袋の前座との三題噺対決に全敗したとか つるむ相手間違えたな >>686
胃潰瘍にもなる位だから、小心者だったんだよ。 三木助正蔵三平ぴっかり
小朝プロデュースは悉く失敗
センスがズレてんだよね、小朝
特に何もしなかった圓太郎が一番まともという 小朝に師匠としての器量は感じない
所詮プレイヤー止まりの人 小朝プロデュースかどうか関係なく
成功した落語家なんて今も昔もごく少数
三木助にこぶ平みたいな図太さがあればよかった
てか茂子が男ならよかった >>673
あれ息子じゃないんだ。
歌笑って三十代かそこらで亡くなって爆笑系で凄かったらしいね >>694
当人は高座では弟だと言ってて何が本当か分からん >>698
言われてみりゃそうだな
柳枝の披露目の口上の時に言ってたことはなるほどなと思ったよ あんたのしょーもない袈裟御前はどうなの?と思ったけど ちょうど貞鵬と談志が参院選全国区で自民党から出て初当選した頃だな 芸人は権力をからかうものなのにクズな談志は権力に擦り寄った
そりゃあ彦六の正蔵師匠から見下されるわな >>681
いかにもボンボンらしい、欲が薄くがっつかない雰囲気は、確かにその二人に共通してたね
今の現役でそういう雰囲気のある世襲落語家は花緑あたりかな >>703
談志の権力欲は醜いね
しかも権力奪取にことごとく失敗してるし
権力を得られないぶん弟子から金を取る金銭欲になったしさ >>704
前座時代、外車乗り回してイキってたバカボン
一門では嫌われまくってたらしいな >>705
女流食ってるとかやっぱ協会の二世はクズばっかだな
正蔵(三平)、花緑、三木助、木久蔵の四馬鹿 >>706
談志を「家元」と呼ぶ奴にろくな人間はいない >>709
同業の女流に手を出したら他の団体なら破門だわ 流石にそれは言い過ぎ
職場結婚なんていくらでもあるし同じ競技のアスリート同士付き合ってたなんてめちゃくちゃあるじゃん >>710
さすがに最近は減ってないかな? >家元呼び
良い傾向だと思うw 普通の職場なら分かるが同業(噺家)に恋愛感情抱くとか普通はあり得んよ
社内恋愛で干される会社もあるしな なんで噺家でもないのにそこまで言えるんだ?
現に噺家同士とか噺家とお囃子さんで夫婦になってる人もいるのに >>710
凄くウザかった
協会にも小さん門下にも居場所がなくて逃げた奴がなぜ家元? >>654
女流に手を出すくらいで騒ぎなさんなだよな
談志はクズ中のクズ >>681
三木助は芸事やってるときは上品なボンボンだったけど、本人が世間に適応できずに生きづらそうだったエピソードがたくさん出てくるんでいちいち痛ましい
芸人としては本当に華やかでスタイリッシュだったポップすぎずちゃんと洒落ていたからいまでも古臭くならなかったと思う
本当に勿体なかったなー >>718
実力不相応に前座二つ目8年で真打ちにさせた小さんが悪い 賞も下駄履かせて取らせてたし
俺なら恥ずかしくて辞退するけど、家族は嬉しかったんだろうな
ポップな爺って単に痛いだけの気がするけど、どんな 協会としても円楽談志に出て行かれた後で
小朝に続くスターが欲しかったんだろうとは想像する >>717
これは酷い…と思いつつ…
これぐらい狂ってないと芸の世界で伸していけないのかも
志らくが嫁を弟子に寝取られたのも同じようなことかな あれは嫁がパンクだなと思った
ロックじゃなくてパンク
コメントではこしらが僕じゃありませんとか言ってて良かった 弟子のヨメを寝取るクソ談志
弟子にヨメを寝取られる無能死らく >>724
糟糠の妻と子供を捨てて気違い嫁と一緒になり
弟子からntrされるという一世一代の笑いのチャンスを全く活かせない
しら苦のボンクラぶりには失笑しちまったぜ >>700
見出しが全部後世からみりゃどうでもいいのがグッとくるな 圓丈は新作ブームと御乱心で落語史に名を残した
談志はクズな人間性とクソな言動で嫌われゴミ
志らくは寝取られ騒動くらいしかないな >>729
今日ラジオである某噺家(まあわかるわなw)が
先代圓歌・・地方の落語会に行ったら、連れてきた弟子の食事代も払う
談志・・弟子の分は弟子もちで自分は払うことはない
だと その代わり談志は他の落語家にありがちな、師匠の家族の私用に弟子を使ったりとかはしなかったらしいが 志らくが住んでる元談志の邸宅も談志の仕事部屋って感じで遺族の方は特に思い入れが無いらしい >>734
志らくは自作の詰まらない芝居に弟子を無理やり出演させる
ちなみに出演は自分のバカ嫁
挙げ句に嫁を弟子にntrて慌ててる笑えないオチ >>734
談志は自分が好きだった通俗歌謡を若い弟子が知らないと憤激するクソ野郎 >>736
すぐに擁護擁護と噛み付くクソバカよりはマシだよ >>733
弟子に飲み食いさせるのは師匠として当たり前
弟子から上納金を取ってたクズ談志 ご乱心はどちらかというと圓楽のが酷いよね
気持ち悪くすらなる >>743
こんなものが擁護に見えるほうがどうかしてる >>733
もう1題 今日の某ラジオで
・先代圓歌 ・・・ 地方の落語会で先方から贈られたJRチケット。グリーン車チケットだったら弟子とそのままグリーン車にそのまま乗車
・某人気咄家 ・・・ 同じシチュの場合、弟子のチケットも併せて換金して普通車の指定席のチケット買い直し。
ただし先方が駅に出迎えにくる場合は降車直前にグリーン車両に移動してグリーン車のドアから降車。
※某人気咄家 ・・・ 故人です。ただし談志ではありません。正解は明日。 >>721
三木助・正蔵・そして花禄とこの3人が忖度スピード昇進組か。
ただし正蔵は三平存命時は日々ボコられてたし、普通に前座の仕事をやらされていたけど。
(前座時代のやらかしぶりは、よく先代圓歌にネタにされてたな) 稀代の名人三遊亭圓生の寿命を縮め
志ん朝と馬生の寿命までも縮め
師匠小さんの顔に泥を塗り
居場所が無くなってカルトを構成し子分から上納金を取り
落語を破壊しまくってくたばったクソ談志 >>750
志らくは馬生に弟子入りするつもりだったらしいが
馬生が死んだ時に談志が寄席で思い出話をしていたのを聞いて
談志に入門したんだそうだが
馬生を苦しめた一因が談志だったんだから困ったね 先代の馬生さんが生きていたら落語界はどうなっていたのかねぇ
戦前からの落語家と戦後からの落語家を結ぶキーパーソンに成っていたはずと言われているけど
談志は落語協会脱退する事も無かったかもしれないし
志ん朝が志ん生を継いでいたんだろうし つばめ
馬の助
馬生
柳朝
この人たちがそれぞれ後10年お元気だったら、落語界はかなり変わってたと思う 馬生と志ん朝の名人兄弟で談志を成敗してくれていたらなあ 俺は志ん朝もいいがむしろ馬生が好きだったな
志ん朝は努力の人だが馬生は志ん生に似た天才型だよね >>755
先代馬生さんは別格だけど
他の3人はメディアが変わる端境期なのか
映像も音源もあまり出てこないね
You Tubeでも出てこない
先代柳朝さんの今では聴けないガチの江戸弁(東京弁?)は聴き惚れちゃう 小さん一門に可朝みたいな筆頭弟子がいたらなあ、談志も馬風も小三治も自然と抑えつけていただろう
先代の小せんとさん助って良くも悪くも空気 >>761小駒母は第二のジケコになりかねない存在だからな 息子に馬生と志ん生継がせる気マンマンだし >>765
言いなりって、何があったの?中尾彬でも使ったのかよ。 シゲコにしろ小駒のかーちゃんにしろ、何か問題か?局地的に騒いでるだけで、大勢に何の影響もないんだが
あー、変な人いますねーくらいにしか思わんわ そりゃ客側には影響ないだろ
小三治のマネージャーだって一門を粉々にしてたけど客には影響ないわけだし じゃあどうすんだ?ババア強制排除でもすんのか?三木助にしろ5代目だってイキったとこで、せいぜい10年に一回池袋トリ取るくらいだろ
ある意味馬生一門がゴミの受け皿になってくれて良いじゃないか あ、馬治と馬玉は好きだよ、俺 10年に一回がまさに今週なのか?w
そりゃ見に行かなくてはww 談志って、大阪で頭をやられた時、どういう対応したのかな?大声を出して逃げ出したのだろうな。詳しいことは言わなかったよね。 談志は「落語は業の肯定」とか抜かしたらしいが
自分の私利私欲は他人に全開で押し付けるのに
他人の私利私欲は全否定するという文字どおりの人間のクズ 駅のホームで毒蝮から電車に向かってドンと押され
「危ないじゃないか!」と慌てて言った談志
毒蝮は「シャレだよ、シャレ」とニンマリ >>770
志ん生と志ん朝の名前を鈴本に預けたという、志ん朝のやり方が正解なんじゃない? 談志は悪辣そのもの
師匠の小さんを裏切り名人の圓生をたぶらかして寿命を縮め
才能あふれる志ん朝や天才型の馬生の寿命も大幅に奪い
協会から逃げ出て弟子から金を搾りとる非情なやり口を押し通し
落語を破壊するために生まれた悪質エイリアンとしか表現のしようがない >>778
家族に渡ってしまったものはどーしょーもない
正蔵もオカーチャンがあの世に行ったら、寄席トリの回数一気に減るかもね 俺はそこまで嫌いじゃないから二之席と8下池袋は毎年行ってる 良いと思ったことはほとんどないけど こぶ蔵は海老名家の呪いにも似た宿願を背負ったのだからもう赦してやってくれ
このスレ的な話をすれば先代三平さんは落語協会分裂騒動の時にどうして師匠の先代圓蔵について行かなかったのだろう >>651
談志がそう云う事をしゃべるのは虫酸が走る
談志が「志ん朝の野郎が」だの「馬生師匠がねえ」とかしゃべってるのも
てめえが偉そうに云えた義理かと思う 圓生は先代三平を落語家として全く評価しなかった。そしてそれを日頃から公言していた。
いくら兄弟子や友人が誘っても、そんな人に付いて行く訳がない。 弟子の川柳の扱い見てると、圓生は一貫してる
良いとは言わないが 正蔵は海老名家の業を背負ったからそろそろ許してやれよ。だいぶ老けこんじゃって本当に心配な感じだ。もし正蔵が責められたストレスで早死にしたらたま平が代わりに海老名家の業というか、宿願を背負うのだろうか 60手前で既に板付き使ってるけど、若い頃の不摂生も影響してるんだろうな
三木助4もそうだったらしいが、バブルの頃は夜な夜な六本木あたりを飲み歩いてたみたいね
その頃のツケが色んなとこに出てきてる あれは合曳きと言います
板付きというのは高座に座ってから幕を上げることで意味がちがう 正蔵はまだ59だろう。にしちゃ老けてるよな。たま平が真打ちになるまではとよく言ってるが難しいかも知れない。 >>788
久々に見たらゲッソリ痩せてて、脳梗塞でもやってんじゃないかと言う喋り方になってたな。公表してない大病でもやったのか心配になった。 昨日まで「ヒロミしゃん、しゅいましぇ〜ん!」ってやってた奴が
名籍継いだ途端「落語というのはねぇ」なんて偉そうな態度に変わったのは
あまりにも違和感が大きかったな
しかもご祝儀を脱税とは 名跡を継いだ後はしばらく鬱っぽくて元気なかったけどな
むしろ最近元気で安心してるぐらいだわ >>790祖父55,親父54の所を59まで来たから頑張って欲しいわ >>792息子(二つ目の方)もネタにしている位だから海老名家的には脱税もネタの一つでしか無いと思う 正蔵老けたのは分かる。心配になる老け方だよな。香葉子より先に逝きそうで怖い 香葉子より正蔵が先になんて、、って成ったら香葉子の「正蔵」の名跡への執念が強くなりそう。それこそたま平以外には渡さないみたいな 誰が何を言わなくても次の正蔵はハプニングがない限りたま平だろ
何かあってもぽん平という第二候補までいるんだから海老名家は安泰よ
なんなら三平亡き後三平の弟子じゃなくぽん平が三平回収まである 仕事も流転してるんだよな
タレント俳優声優たかじんのカバン持ちとか
堤大二郎が死亡事故やった時の同乗者の一人で怪我もしてるし >>796
そうかな。風貌が少し先代圓歌に似てきたような
まだ声は若々しいし。 市馬の高座上がる時の姿、年老いたゴリラみたいなんだよな
雲助一朝は高座の上がり下りの姿は若々しい
雲助はトリの時以外はサッサと現れて消えるが 先代の三平さんは人気者だった割に残ってる映像や音源が少ないね
それでいてよく使われるNHKでの「源平盛衰記」がThis Is The 林家三平って感じの落語だから凄い
あれを落語と呼ぶのかはマヂカルラブリーの「あれを漫才と呼ぶのか」に通じる所があるのも不思議 雲助一朝って一人ではなく
弟子もいるからね
大師匠になるには弟子ってめちゃくちゃ大事だなってなる >>809
それは円楽見りゃ分かるからな
宮治の師匠とか好楽みたいに本人は噺家としてそこそこでも弟子でエース級育てたら師匠の評価も爆上がりする >>810
好楽は兼好ひとりで
好青年やとむまでよく見えるからな 白酒一之輔は変に干渉しない師匠で良かった
33はみたいに弟子に過干渉する師匠持つとなあ >>802
堤大二郎の事故ではAV上がりの女優も乗ってたはず
事故直後にこぶ平が「いい加減にしろよ!」て怒鳴ってる映像を見た記憶がある 講談の方の分裂騒動はアホすぎて笑えるが、人が少なすぎての人間関係ももつれみたいなもんか
芸協の場合は一致団結に繋がったんだが、更に人数ないからな 年表
1969年11月 談志、レギュラー陣の造反により笑点降板
1969年12月 談志、総選挙に出馬し落選
1971年07月 談志、参議院選挙に出馬、当選
1977年06月 談志、参議院選挙に出馬断念、引退
1977年09月 三遊亭圓楽・圓窓が笑点を降板
1978年05月 三遊協会発足、圓生・圓楽・圓窓・圓丈・古今亭志ん朝・橘家円蔵・月の家圓鏡ら落語協会を脱会、
仕掛人の一人とされる談志は参加せず
定席席亭会議は「三遊協会を不支持、離脱者の落語協会復帰の仲介役を果たす」と宣言。
1978年06月 金原亭馬生、落語協会副会長に就任(小さん唯一の策謀と言われる)
志ん朝・圓蔵・圓鏡ら落語協会に復帰
1979年09月 三遊協会会長圓生急死
1979年12月 三遊協会解散、圓楽一門以外の圓生一門は落語協会に復帰
1983年01月 圓楽、笑点に四代目司会者として復帰
1983年??月 立川談志一門が落語協会脱会、立川流を創設
こうしてみると、1969年・・・ 談志が政治家転身を図ったのは笑点でメンバーの造反にあったことがきっかけ
1977年… 談志が政治家引退、歩調を合わせるように盟友の圓楽と子分の圓窓が笑点降板⇒三遊協会設立工作開始?
1983年・・・ 新団体を立ち上げた圓楽が笑点司会者就任、談志も新団体設立へ
談志・圓楽・笑点 動向が見事にリンクしてる、というのは偶然かねえ? 1969年9月 柳家さん治、10代目小三治襲名
笑点追放と欲しかった小三治を弟弟子に持っていかれたの、どっちがダメージでかかったんだろうか >>817
小さんになれない、落語協会の会長にもなれそうもない ⇒ ならば・・・
というのも理由の一つになるだろうね。 1977年6月の参院選不出馬の会見、同席したのは圓生
この頃から三遊協会プランの下地はあったものと思われる 根岸がしゃしゃり出てきたのも笑点だしな
こん平が遠因で三平と言う負の遺産を生み出したから立ち上げ時にこん平を入れたのは間違いだったな たい平がいい気になって息子を弟子にしたのもきれいじゃないね >>823
バカ談志の始末が悪いのは負けたと思っていないこと。 >>824
周りがイエスマンばかりだしな
クソ志らくが「談志は時代の最先端を走ってる」とか書いてるのを見て呆れたわw 協会の二世は漏れない地雷、近年の二世の最高傑作が花緑な時点で終わってるわ 師匠としてはそこそこの器量なんだよな
やっぱ優しい師匠のが伸びるんだな いうほどか?
おさん、カンノスケあたりはいいかもしれないけど下に行けば行くほど死屍累々で…… >>827他が
正蔵
三平
たま平
ぽん平
木久蔵
三木助
さく平
円菊
金馬
小駒
これだもんな >>830
ギリ戦力となったと言えるのは花緑とタレントとして少し活躍したこぶ平くらいで他はカスしか居ないな
他の団体は二世で戦力になってるのは居るのに協会二世が軒並みダメなのは協会の連中が二世を甘やかしてる環境なんだろうな >>830
小ゑん (六代目つば女の子)
窓輝 (圓窓の子)
あん子 (時蔵の子) 三木助、円菊、金馬は親がそこそこ知れてるのに空気だもんな
小ゑん窓輝あん子は親もそれ程でもないから(圓窓は昔は凄かったが)納得できるが >>830
さく平と小駒、まだ前座でしょ?まだ将来性までわからんでしょ >>837
そもそも上手かったらゲストで呼ばれるからな
評判も聞かないという事はそれまでの腕前って事、入って8年もやってる癖に賞レースの実績皆無な時点で論外 >>829
おさんって育てようと思ってもああは育たないよなw 上手いのは若い頃から上手い
若い頃目立たず中年以降評価上がったのは一朝、小里ん、扇辰、白酒ぐらいのような 扇遊は志ん輔と並んで10人真打だったが抜擢っぽい扱いだったような
逆に正雀とか9年で真打だが今はダメだな 協会は二世をガキの頃から周りがチヤホヤして、忖度で抜擢真打に上げるから実力不足の態度だけは一流の二世が生まれるんだよね。
笑点クビになった林家三平なんてその最たる例じゃん >>844
扇遊は抜擢試験に落ちた
試験監督の見る目がなかったんだよ
>>845
お前は浅いwwwwwww
二世はウンコ多いけど、お前もウンコ
サンペーを熱く語るお前は蛆虫以下
落語あんまり知らないでしょ、お前? 辰はくどいけどそれで目立ったのは事実だろう
若い頃どうだったのか知らないが 人それぞれだが辰は生ゴミだな
保健所に通報したくなる5類レベルのウンコ
好きな奴は勝手に聴いとけ
うわっ、どぶくさっっ
あふぅー
たつくせー >>850
長講は悪くないけど、全般的にかちゅぢぇちゅ悪い
寄席芸人としては、中の下 >>735
大泉の家が今は志らくか
談志は3つ家あったね
当時は妻子は根津、大久保、どこに住んでたんだろう >>738
代わりに全部歌える市馬が重用されたんだっけ
今や会長だもんな
何が幸いするかわからない >>854
かんけねーだろ、談志と市馬は
談志が市馬をかいちょーーに推薦したんか?
そうなら証拠見せろや禿げ野朗 いちばって歌上手いよーが出過ぎ
大分の田舎者だからしゃーないか
噺も歌も二流だよいちばは >>837前座なのはさく平とこぶの次男のぽん平だ。小駒は世代や入門年もぽん平の兄たま平と同じくらいだ。とうに二つ目だよ >>859
慌ててグリーン車に移動する姿が目に浮かぶw 芸協で二世は少ないか
先代文治と小痴楽
当代助六は先代の養子
米丸円右柳昇夢楽ら大正生まれの大看板たちの子息はあとを継がなかったんだな >>862
芸協は落協より二世ははるかに少ないのね。
美濃部小林海老名といったブランド家系がないのが特徴か。 林家九蔵の落語協会脱退は大きな...
大して大きくないか。
彦六門下からまさかの裏切り者。
生活苦で気が狂ったのか。
木久蔵あたりが止めなかったのかなあ。 >>865
本人はもともと圓楽ファンで、
圓楽に入門しようとしたら既に楽松(鳳楽)がいたから
「惣領弟子になれないなら・・・」ということで諦めた、という程の人
自分が真打ちになり、彦六の一周忌も終わって何の弊害もなくなったから移籍したんだろうと。
好楽が笑点に復帰したのは圓楽一門移籍した5年後(才賀降板の後任)だから、直接の関係はないし。 >>866
最初から五代目圓楽に弟子入り
すれば良かったのにな。
後から落語協会を裏切り円楽党に行った
ところで惣領弟子以前に外様だし、
元が「林家」の亭号だったから後年
海老名にいちゃもんつけられ散々だな。
この人からは「裏切り者」という汚名は
一生消えないなあ。 真打ちになってんのに、協会出て移籍とかダサすぎ 昔から憧れてましたーって、一生圓楽のポチ宣言して恥ずかしくなかったのかね 売れない時期の生活苦だろうな。
そうだったら木久蔵に付いて一緒に
ラーメン売ればいいんだし。 >>867
林家九蔵襲名の話は流石にちゃんとネゴしなかった好楽が悪いと思う
林家の亭号付けたいと思うならたい平や三平、兄弟子だった木久翁に相談すればいいものを >>871
木久扇には話し通してるぞ
彦六の遺族にも話し通している
まあ根岸に話もっていかなかったのはその通りだし、林家で行くのはどう考えても無理筋だったが 黄色がOK出したからと言って、彦六一門の総意ではないと思われる 香盤が上でも所詮外様だから黄色は
彦六一門の誰かが根岸に、ピンクの弟子に林家名乗らせるなと言った可能性もある 黄色も元は三木助だからな。直弟子で真打まで行ったのはは柳朝、文蔵、春輔だけ
藤兵衛、時蔵、正雀は二つ目で死別 >>854
その談志が通っていた中野の歌謡バーのレコードをマスター死後買い取ったのが市馬 ピンク自身は彦六一門でも
ピンクの弟子(と息子)は一門と
何の関係もないもんだな。 林家九蔵の名前継いでても売れてた未来が全く見えない
一生に一度レベルの注目を浴びたのにそれを全く活かせなかった その程度のセコ 好楽さんはもう五代目圓楽一門の人でしょ
彦六師匠が亡くなってから真打ちで他門に移籍してるんだし 林家彦六(八代目正蔵)改名の口上
https://youtu.be/93ZMnYs7Djc
気が違っていたら三遊亭圓朝になっていたらしい >>484
おお、すごい役者が仁左衛門の弟子にいるものだ
プロフィール見てめちゃくちゃ驚いた
英語のヴィジュアル的な歌舞伎入門書を文科省の助成金で
作ってくれないかな まともな本がいまだになくて残念に思っている
英語版から、独仏スペイン語に翻訳させればいいのだから >>832
けっきょく、あの兄弟や上方四天王の松鶴、春團治みたいなのが例外なんだろうな >>887
上方は使えない奴は容赦なく淘汰されるからな 小きん(先代文枝の孫)も名跡狙いできん枝に弟子入りしたんだろうけどダメなら松鶴の息子コース
多分吉本の先輩がもう〆てるから流石に増長する事は無いとは思うけど。 >>869
稲荷町と馬円楽は仲良かったからまああり得なくはない
稲荷町は三代目円楽だったし
馬円楽が五代目襲名してくれて喜んでくれたらしい
しかし柏木もよく惣領弟子がよりによって犬猿の仲の稲荷町の前名継ぐのを許可したな >>892
彦六の他の弟子は移籍してないので、ピンクの異常な行動が目立つだけだよな 彦六は師匠というより任侠の親分のイメージだわ
客分も多かったし一宿一飯の義理さえ守れば他所へ行くのも自由って感じ 五代小さん一門に比べれば少ない方だが好生→一柳の件も含めて面倒見はよかったしな 柏木も柳枝が亡くなって円窓円弥2人預かったんだよな
あの面倒見悪そうな人が
田端の三木助は弟子は散り散りになったな
芸協に置いてった円輔柳橋たちもいたし
亡くなったあとは扇橋は目白に木久扇は稲荷町
そもそも師匠に惚れ抜いて入門した弟子の一部を連れて出なかったのはよほど事情があったんだろう >>896
その割を食ったのがさん生(川柳)
芸の信念上の問題もあるが外様の圓窓、圓弥に真打先に抜かれるという
そういうことを普通にやるから圓生一門が空中分解したのも当然 弟子に、お前は色物でゲスから真打にはしやせんって言うのは酷いわな
好生も下手な頃の自分に似てるからって真打にさせなかった
ただ本人は御前落語もやったし、文楽志ん生亡き後は圧倒的なナンバーワンだったからな 人間性は置いといて >>897
芸協の2人とも三木助由来のネタ大事にやってたんだよな
柳橋は加賀の千代とか >>899
てめえは元は義太夫から成り上がった癖にと言いたいわな >>902
本人も売れるまでに30年くらいかかったんだから、弟子や他の落語家に対してもう少し優しさを持てたら戦後最高の噺家になれたと思うわ >>898
しかも圓生一門で最初に売れたのは圓楽じゃなくさん生で、小さんが圓楽より先に真打ちにあげようと圓生に打診したくらい。 >>904
黒門町もさん生好きだったんだよな
マラゲーニャやるの見に来たらしい >>904
その順番だったら談志を飛び越えてたかなりの抜擢だな 志ん朝に抜かれる前に更にデカいトラウマを抱えることになってたな、談志は 沈滞してた落語界が三平・円歌の昇進でバラエティ路線で盛り上がってた時期だからだろ
ノリだけで昇進させなくて正解だったよ >>908
雲助の息子と間違えられるくらいそっくりだった >>841
白酒は名前変わる前も全然うまかったから
実力の伸びってより人気が付いてきた印象
若いときは普通に素直にやってるほど見過ごされがちなんだけど
遊雀の印象とかもそんな感じ >>907
林家三平は落語協会に子供2人と言う負の遺産を残したけどな
名前を継いだ次男がテレビで醜態晒して協会の評判下げていると言う >>910
小さん見る目ある…昇進させてれば良かったのにな
プロフェッショナルで小三治に蕎麦食べてよってリクエストして落語ファンを微妙な感じにさせた茂木センセイも実は昔から川柳川柳は大好きだったらしい
追悼コメントで知った すまん。↓は間違いで
>>915
こっち宛↓
>>904 川柳は1960年代初めはマラゲーニャとかで結構売れてたらしいね
笑点の前の金曜夜席のレギュラーにも決まってたが初回に穴開けて一度も出ずクビに
笑点メンバーになればどうなってたのか >>917
そのころ既に酒好きだったから小圓遊師のようなことになっているかも
何しろ少年時代の酒屋奉公の時に酒覚えたっていうぐらいだし
>>904
馬圓楽が仕事がなくて、寄席すっぽかして雀荘に入りびっていたって話もあるしな 九蔵襲名騒動は傍から見ると根岸の暴走にしかみえないけど、常識を逸脱しすぎなので、実は裏があって、分裂騒動で迷惑をこうむった人たち、苦汁をなめることになった人たちの総意だったのでは、などど無用な勘繰りをしてしまう。 >>913息子どころが孫二人(たま平とぽん平)も負の遺産だからな >>918
小圓遊とちがってストレス溜まらない性格と言動だったから関係なかったりしてw
ただし笑点レギュラーは長続きしなかったろうな。 この時代の笑点といえば古今亭朝次
粗野な感じが子供心に強烈だった
久しぶりに番組見たら姿消してて寂しかったよ
にしても朝次の抜擢はどういう経緯だったんだろうね
そんなに注目されていたわけではないようだし(私が知らないだけかもだが) 先代圓楽のせいで伝統番組になっちゃったけど
昔は割とちょこちょこメンバーが入れ替わってた >>922
コワモテだけど
「水辺に咲く一輪のスウィートピー」がキャッチフレーズだったな 川柳は大喜利は合わないみたいなことを自分で言ってたな >>903
戦後最高レベルにあった一人なのは間違いない
談志と馬圓楽にそそのかされたのが残念 円生に優しさがあればあれほどの名人にはならなかっただろうね
ネタは無限にあったが意地悪な役がうますぎる。研ぎ澄まされた包丁みたいに >>927
包丁と言えば談志が「俺にはできないから本物呼んできました」と圓生にやらせた噺を 昔は円生くらい厳しいのが当たり前だよ
談志はずっと後年に弟子から上納金を巻き上げてたんだから
それに比べれば円生は優しいよ >>928
談志のわざとらしい嫌らしさが良く分かる心暖まるエピソード 馬生師匠と志ん朝師匠が
スペシウム光線とエメリウム光線で
談志を木っ端微塵にすれば良かったのに 性格の凄さで云えば先々代の金馬もお弟子さんは大変だったみたいだが、圓生共々、実力があるからこそだよな そういや朝ドラの夜放送のあとセブンやってるけど毒蝮三太夫ってどういう経緯で俳優からああなったの?
ウィキペディアは読んだよ 圓生は圓丈に厳しかったかというと
圓丈は大学に行ってたりして当時としてはインテリだったからなのか
圓丈を頭ごなしに叱ったりせず他の弟子とは特別扱いの面もあったんだよな
圓丈自身「圓生には可愛がられた」と何度も言ってる
人間は複雑なものだから単純に厳しい優しいとは決め付けられないよ 川柳は芸で嫌われたんじゃなくて酒癖で嫌われたんだろたぶん >>935
>圓丈自身「圓生には可愛がられた」と何度も言ってる
それ故に、
圓丈が落語協会を脱退したくないと言ったときに、
圓生夫妻に「せっかく目をかけていたのに恩知らず!」と罵られて、
それが大きなトラウマとして残ってしまった、「御乱心」を書いたのも、
そのトラウマの克服が最大理由と回想してるね。 >>936
ジャズ息子の時も義太夫指導してくれたとか言ってたしな
本気で嫌われ始めたのは酒の件+ラ・マラゲーニャ始めたこと 川柳の自伝で当時は少なかった自家用車を川柳が乗り回してるんで
圓生が「お前は酒好きだから酔っぱらい運転で事故したら大変」と
車の運転をやめさせた話が出てくる
「人を轢き殺したら人を笑わせる商売は出来ないよ」と
これも圓生のいい人エピソードかもな
単に「自分に迷惑をかけられたら困る」だったのかも知れないけどw >>939
後者のような気もするが、半々だろうな
新幹線の中で川柳が酒のんで仲間と騒いだのを圓生にチクられて圓生が激怒したってのも >>940
切れた
激怒したってのもあった
その時は圓生の会長就任直後でピリピリしてたとあったはず
圓生に世間体を気にし過ぎの面もあったけど、川柳が無神経過ぎたというのも大きいと思う マラゲーニャも余芸でやってるだけならよかったんだよ
あれで真打にしようなんて馬鹿なことを言い出す奴が出てきて本人もその気になって天狗になってたんだろどうせ
「あんなものは色物でげす」と円生が一蹴するのは当然 噺家の若い頃の酒の武勇伝はたまに聞くが、飲酒運転常習はまずいわ
しかも、目白警察からの釈放だかに小さんに口利き頼んでそれがバレて、圓生のおかみさんが小さんのとこ謝りに行くとか 普通なら破門だろ 隙自話だが、昔よりはモテない俺にやっと出来た彼女が飲酒運転する女だったんで気持ちはわかる 昔よりはじゃない、昔もてない俺だわ
二十代のときの彼女が飲酒運転するやつだった
今ほど厳しくないが、実際有り得んよ もし圓生6が急死せずに遺言残す余裕があったとしたら、圓生7は誰に継がすつもりだったんだろうか 常識的に馬圓楽だろうが、圓窓とかにしたかもしれんな >>941
不安になって泥酔したまま志ん朝に電話して、圓生一門の内部はバラバラだということをしゃべっちゃったんだよね。
で、志ん朝は疑心暗鬼になっちゃったことが御乱心に書かれてる。 >>949
あれは、圓生も圓楽も激怒するわ 脱退の是非は置いておいて、酒飲んでペラペラ余計なことしゃべる人間は下の下
圓生に一方的に嫌われてた訳ではなく、嫌われてたのにはそれなりの理由がある >>949
それで志ん朝が圓楽に文句付けてメンツ丸潰れの圓楽は激おこでさん生にクレーム
もっとも圓生一門の差別主義や圓楽がこそこそと圓生を利用して陰謀みたいな事やってたからだったが 名前的には圓窓→圓生が一応順当といえば順当(柏木もその前も圓窓→生) 圓生7ではなく、圓生500と呼ばれてた可能性が高いな
で圓生8は窓輝 止め名で良かったよ 自称24代目の先代桃太郎を大きく越し500代目圓生ってか? 圓窓の500は持ちネタの数だろ。ただし圓窓が創作した話も100ネタ近くある。 量より質ということをおおいにわからせてくれる
それが圓窓500席 玄関にウンコしてもクビにしないのだから
圓生は実は物凄く優しいのでは 冷静に考えると、落語家と言うより犯罪者に近いわ談志 >>935
だから「御乱心」は冷静に読まないといけないんだよな
あれはあくまでも特別扱いだった圓丈の視点だから
他の弟子や関係者がどう思っていたかは判らない
圓丈は「御乱心」で落語界に相当多くの敵を作ったし
パソコンなど他分野に活動の場を求めたのはその影響も有りそう 柳の客分の系譜に連なる幾多の者たちに
こそ「圓生」襲名の道理がある
円橘てなんで円楽に移籍したんだろう >>963
じゃあついでに立川こはるに八代目立川談志を 談志なんて志らくに継がせて「色物タレント」の名前として認識させて
ロケットで宇宙に打ち上げて事故で木っ端微塵に爆発させて
永久に忌み名にしちまえばいいじゃん >>965
権限は松岡ゆみこが持ってるのかな 談志のネーミングライツ 小せん(惣領・空気)
さん助(空気)
つばめ(早世)
談志(暴走する)
燕路(早世)
馬風(腹黒・黒幕)
小のぶ(空気)
さん吉(ほぼ空気)
小三治(良きにはからえ、て現場滅茶苦茶)
こうして見ると、小さん一門の上の方って小さんのように安心して見ていられるって人いないね… 本当はさん喬みたいなのが惣領弟子〜三番弟子くらいにいたら安定するんだろうけど…
5代目つばめは、長生きしていたら現文枝みたいになったのかな >>935
松鶴の弟子の松枝が書いた「ためいき坂くちぶえ坂」と「御乱心」ではだいぶ内容に差がある
なんだかんだで松鶴と圓生では弟子との関係に差があったんだろうな、育てた弟子の数も3倍は違うし
仁鶴と圓楽の師に対する思いは正直似ているような気がするが 松鶴一門も松鶴襲名で一門が揉めて
亡くなった松葉さんに追善襲名って事で事を納めたんだっけか
上方落語は東京と違って所属事務所の力が強いからそれはそれで面倒くさいな でも、松鶴襲名については松竹も仁鶴でいいよと言っていたのに
仁鶴が無理に松葉襲名をごり押ししたので拗れた
結果的に松葉が早世したのもこの件で寿命が縮んだのではないかとも
自分では師の名前を継がなかったという点で仁鶴と圓楽は似ている
ただし、松竹だの吉本だの言う前に松鶴の場合は息子枝鶴の逃亡が先にあるわけだけども >>974
名跡に遺族が滅多にしゃしゃってこないからそこはある意味メリットだけどな 遺族との話がうまくいかなかったってのは、金がらみなんだろうけど(もしくはそれに近いもの)、どれだけ要求されるんだろうか 死後の映像使用料や音声使用料の取り分じゃないかね、江戸は事務所を介さないケースが殆どだからがめつい遺族が総取りしようとして一門と揉める。名跡もそれ絡みかもね。
吉本の先代文枝の孫が小文枝に弟子入りさせたのも孫に名跡(小文枝)をあげるのを裏約束してんだろうな。 昔は遺族の面倒を見たとかの流れで高額を要求したりもするんだろうが、貨幣価値もずいぶんと変わって長屋住まいとは違うもんな。
ただそんな要求するをするのも古い世代で、代替わりをすれば仕舞。柳枝襲名がそんな感じ。今時の遺族は話が分かるというか、こだわりがないというか、簡単にまとまる場合も多いね。 落語家の名称を引き継ぐのは相撲の親方株で揉めるのと同じだな 小三治の名跡を返す返さないで揉めた挙句
妥協案として正蔵をもらったのが7代目正蔵 先代枝鶴は、松鶴の最後の夫人にとっては継子だったから、仁鶴が名跡差配する時に特に何も言わなかったんだろうね
あとはやっぱり時代か
実子で、それも今の東京なら絶対「今ビビってるだけ!あの子に継がせなさい!」となって余計に拗れていただろう
特に松鶴は5→6の時世襲でしたからね
シゲコとかカヨコとかなら「6代目の命日が貴方の御誕生日と同じ、5代目の御誕生日とも同じ、これは運命ですよ絶対継ぎなさい」とかなり、
傍で聞いていた天ぷら屋だかそば屋の主人だかが相槌を打つんだろう >>981
まったく、海老名一族ってのは根っからの名跡乞食だな。
早く滅びろよwww >>983
でも小三治だったんだよ?すごくない?w >>982
上方は階級無いから実力不足は普通に淘汰されるからな >>982たま平は天丼屋だか、蕎麦屋の店主が「たまたま」言わせたんだけ? >>983真面目な話。滅びないと思う。二代目三平の子供は一人なのでどっかで途切れそうだが、兄の正蔵は本妻との間に三人居るし、その上、日本各地に隠し子が居るという説もある。人類滅亡まではとぎれんだろ、そもそも初代三平が隠し子多い人間だったし。たま平とかも作ってそうだし(これは偏見) >>982
枝鶴は追放されてて発言権なんかなかったろ >>988
なので、当代枝鶴はとっても真面目。
しかし、弟子は逃げた WWW >>990
はん治が継げばいいと思う
次代が継ぎやすくするという意味で >>992
訂正
実質二番弟子の小里んの孫弟子のり助 >>991
はん治も70代でしょたしか
あと得意が文枝新作噺だよな。 このスレッドは1000を超えました。
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