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退団3年以上のOGを語りましょう
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退団3年以上のスレ [無断転載禁止]
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前スレが埋め立てられたので、こちらでどうぞ! 「長い間、それは小さい時から片時もお離れしませんでお世話になりました御主人ににわか にお別れいたしまして、私は生きて帰ろうと思う所がございません。
奥様がどうおなりになっ たかということを、どうほかの人に話ができましょう。 奥様をお亡くししましたほかに、私は また皆にどう言われるかということも悲しゅうございます」
こう言って右近は泣きやまない。私も奥様の煙といっしょにあの世へ参りとうございます」 「もっともだがしかし、人世とはこんなものだ。別れというものに悲しくないものはないの だ。どんなことがあっても寿命のある間には死ねないのだよ。
気を静めて私を信頼してくれ」と言う源氏が、また、「しかしそういう私も、この悲しみでどうなってしまうかわからない」 と言うのであるから心細い。「もう明け方に近いころだと思われます。早くお帰りにならなければいけません」
惟光がこう促すので、源氏は顧みばかりがされて、胸も悲しみにふさがらせたまま帰途につ いた。 露の多い路に厚い朝霧が立っていて、このままこの世でない国へ行くような寂しさが味 わわれた。某院の閨にいたままのふうで夕顔が寝ていたこと、
その夜上に掛けて寝た源氏自身 の紅の単衣にまだ巻かれていたこと、などを思って 全体あの人と自分はどんな前生の因縁が あったのであろうと、こんなことを途々源氏は思った。馬をはかばかしく
御して行けるふうでもなかったから、惟光が横に添って行った。加茂川堤に来てとうとう源氏は落馬したのである。 失心したふうで 「家の中でもないこんな所で自分は死ぬ運命なんだろう。二条の院まではとうてい行けない 気がする」と言った。
惟光の頭も混乱状態にならざるをえない。自分が確とした人間だったら、あんなことを源氏がお言いになっても 麻子はやっぱり太ってるけどヒロインやら綺麗どころの役やらないんならいいんじゃない?
母親役とか似合いそうだし 軽率にこんな案内はしなかったはずだと思うと悲しかった。 川の水で手を洗って清水の観音を拝みながらも、どんな処置をとるべきだろうと煩悶した。
源 氏もしいて自身を励まして、心の中で御仏を念じ、そして惟光たちの助けも借りて二条の院へ 行き着いた。 毎夜続いて不規則な時間の出入りを女房たちが、「見苦しいことですね、近ごろは平生よりもよく微行をなさる中でも昨日はたいへんお加減 が悪いふうだったでしょう。
そんなでおありになってまたお出かけになったりなさるのですか ら、困ったことですね」 こんなふうに歎息をしていた。源氏白身が予言をしたとおりに、それきり床について煩ったのである。重い容体が二、三日 続いたあとはまた甚しい衰弱が見えた。
源氏の病気を聞こし召した帝も非常に御心痛あそばさ れてあちらでもこちらでも間断なく祈祷が行なわれた。 特別な神の祭り、祓い、修法などである。何にもすぐれた源氏のような人はあるいは短命で
終わるのではないかといって、一天下の人がこの病気に関心を持つようにさえなった。 病床にいながら源氏は右近を二条の院へ伴わせて、部屋なども近い所へ与えて、手もとで使 う女房の一人にした。惟光は源氏の病の重いことに顛倒するほどの心配をしながら、
じっとその気持ちをおさえて、馴染のない女房たちの中へはいった右近のたよりなさそうなのに同情してよく世話をしてやった。 源氏の病の少し楽に感ぜられる時などには、右近を呼び出して居ま の用などをさせていたから、右近はそのうち二条の院の生活に馴れてきた。
濃い色の喪服を着 た右近は、容貌などはよくもないが、見苦しくも思われぬ若い女房の一人と見られた。 「運命があの人に授けた短い夫婦の縁から、その片割れの私ももう長くは生きていないのだ ろう。
長い間たよりにしてきた主人に別れたおまえが、さぞ心細いだろうと思うと、せめて私 に命があれば、あの人の代わりの世話をしたいと思ったこともあったが 私もあの人のあとを 追うらしいので、おまえには気の毒だね」と、ほかの者へは聞かせぬ声で言って、
弱々しく泣く源氏を見る右近は、女主人に別れた悲 しみは別として、源氏にもしまたそんなことがあれば悲しいことだろうと思った。 二条の院の 男女はだれも静かな心を失って主人の病を悲しんでいるのである。御所のお使いは雨の脚より もしげく参入した。
帝の御心痛が非常なものであることを聞く源氏は、もったいなくて、その ことによって病から脱しようとみずから励むようになった。 左大臣も徹底的に世話をした、大 臣自身が二条の院を見舞わない日もないのである。そしていろいろな医療や祈祷をしたせいで か、
二十日ほど重態だったあとに余病も起こらないで、源氏の病気は次第に回復していくように見えた。 行触れの遠慮の正規の日数もこの日で終わる夜であったから、源氏は逢いたく思召 す帝の御心中を察して、御所の宿直所にまで出かけた。
退出の時は左大臣が自身の車へ乗せて 邸へ伴った。病後の人の謹慎のしかたなども大臣がきびしく監督したのである。 この世界でな い所へ蘇生した人間のように当分源氏は思った。九月の二十日ごろに源氏はまったく回復して、
痩せるには痩せたがかえって艶な趣の添った 源氏は、今も思いをよくして、またよく泣いた。 この世界でな い所へ蘇生した人間のように当分源氏は思った。九月の二十日ごろに源氏はまったく回復して、
痩せるには痩せたがかえって艶な趣の添った 源氏は、今も思いをよくして、またよく泣いた。 その様子に不審を抱く人もあって、物怪が憑 いているのであろうとも言っていた。源氏は右近を呼び出して、
ひまな静かな日の夕方に話をして、「今でも私にはわからぬ。なぜだれの娘であるということをどこまでも私に隠したのだろう。 たとえどんな身分でも、私があれほどの熱情で思っていたのだから、打ち明けてくれていいわ けだと思って恨めしかった」
とも言った。「そんなにどこまでも隠そうなどとあそばすわけはございません。 そうしたお話をなさいま す機会がなかったのじゃございませんか。最初があんなふうでございましたから、
現実の関係 のように思われないとお言いになって、それでもまじめな方ならいつまでもこのふうで進んで 行くものでもないから 自分は一時的な対象にされているにすぎないのだとお言いになっては 寂しがっていらっしゃいました」右近がこう言う。
「つまらない隠し合いをしたものだ。私の本心ではそんなにまで隠そうとは思っていなかった。 ああいった関係は私に経験のないことだったから、ばかに世間がこわかったのだ。御所の 御注意もあるし、そのほかいろんな所に遠慮があってね。
ちょっとした恋をしても、それを大問題のように扱われるうるさい私が、あの夕顔の花の白かった日の夕方か 退出の時は左大臣が自身の車へ乗せて 邸へ伴った。病後の人の謹慎のしかたなども大臣がきびしく監督したのである。
この世界でな い所へ蘇生した人間のように当分源氏は思った。 九月の二十日ごろに源氏はまったく回復して、痩せるには痩せたがかえって艶な趣の添った 源氏は、今も思いをよくして、またよく泣いた。
その様子に不審を抱く人もあって、物怪が憑 いているのであろうとも言っていた。源氏は右近を呼び出して、ひまな静かな日の夕方に話をして 「今でも私にはわからぬ。なぜだれの娘であるということをどこまでも私に隠したのだろう。 たとえどんな身分でも、
私があれほどの熱情で思っていたのだから、打ち明けてくれていいわ けだと思って恨めしかった」とも言った。 「そんなにどこまでも隠そうなどとあそばすわけはございません。そうしたお話をなさいま す機会がなかったのじゃございませんか。
最初があんなふうでございましたから、現実の関係 のように思われないとお言いになって それでもまじめな方ならいつまでもこのふうで進んで 行くものでもないから、自分は一時的な対象にされているにすぎないのだとお言いになっては
寂しがっていらっしゃいました」右近がこう言う。「つまらない隠し合いをしたものだ。私の本心ではそんなにまで隠そうとは思っていなかっ た。 ああいった関係は私に経験のないことだったから、ばかに世間がこわかったのだ。御所の 御注意もあるし、そのほかいろんな所に遠慮があってね。
ちよっとした恋をしても、それを大 問題のように扱われるうるさい私が、あの夕顔の花の白かった日の夕方から むやみに私の心 はあの人へ惹かれていくようになって、無理な関係を作るようになったのもしばらくしかない 二人の縁だったからだと思われる。
しかしまた恨めしくも思うよ。こんなに短い縁よりないの なら、あれほどにも私の心を惹いてくれなければよかったとね。 まあ今でもよいから詳しく話 してくれ、何も隠す必要はなかろう。七日七日に仏像を描かせて寺へ納めても、名を知らない ではね。
それを表に出さないでも、せめて心の中でだれの菩提のためにと思いたいじゃない か」と源氏が言った。 「お隠しなど決してしようとは思っておりません。ただ御自分のお口からお言いにならなか ったことを、お亡れになってからおしゃべりするのは
済まないような気がしただけでございま す。御両親はずっと前にお亡くなりになったのでございます。 殿様は三位中将でいらっしゃい ました。非常にかわいがっていらっしゃいまして、それにつけても御自身の不遇をもどかしく 思召したでしょうが、
その上寿命にも恵まれていらっしゃいませんで、お若くてお亡くなりに なりましたあとで ちょっとしたことが初めで頭中将がまだ少将でいらっしったころに通っ ておいでになるようになったのでございます。
三年間ほどは御愛情があるふうで御関係が続いていましたが、昨年の秋ごろに、あの方の奥様のお父様の右大臣の所からおどすようなことを 言ってまいりましたのを、気の弱い方でございましたから、むやみに恐ろしがっておしまいに なりまして、
西の右京のほうに奥様の乳母が住んでおりました家へ隠れて行っていらっしゃい ましたが、その家もかなりひどい家でございましたからお困りになって 郊外へ移ろうとお思 いになりましたが、今年は方角が悪いので、方角避けにあの五条の小さい家へ行っておいでになりましたことから、
あなた様がおいでになるようなことになりまして、あの家があの家でご ざいますから侘しがっておいでになったようでございます。 普通の人とはまるで違うほど内気 で、物思いをしていると人から見られるだけでも恥ずかしくてならないようにお思いになりまして、
どんな苦しいことも寂しいことも心に納めていらしったようでございます」 右近のこの話で源氏は自身の想像が当たったことで満足ができたとともに、その優しい人が ますます恋しく思われた。
「小さい子を一人行方不明にしたと言って中将が憂鬱になっていたが、そんな小さい人があったのか」と問うてみた。 「さようでございます。一昨年の春お生まれになりました。お嬢様で、とてもおかわいらし い方でございます」
「で、その子はどこにいるの、人には私が引き取ったと知らせないようにして私にその子をくれないか。形見も何もなくて寂しくばかり思われるのだから、それが実現できたらいいね」 源氏はこう言って、また、「頭中将にもいずれは話をするが、あの人をああした所で死なせてしまったのが私だから、
当分は恨みを言われるのがつらい。私の従兄の中将の子である点からいっても、私の恋人だっ た人の子である点からいっても 私の養女にして育てていいわけだから、その西の京の乳母に も何かほかのことにして、お嬢さんを私の所へつれて来てくれないか」
と言った。「そうなりましたらどんなに結構なことでございましょう。 あの西の京でお育ちになっては あまりにお気の毒でございます。私ども若い者ばかりでしたから、行き届いたお世話ができな いということであっちへお預けになったのでございます」
と右近は言っていた。静かな夕方の空の色も身にしむ九月だった。 庭の植え込みの草などが うら枯れて、もう虫の声もかすかにしかしなかった。
そしてもう少しずつ紅葉の色づいた絵の ような景色を右近はながめながら、思いもよらぬ貴族の家の女房になっていることを感じた。 五条のタ顔の花の咲きかかった家は思い出すだけでも恥ずかしいのである。竹の中で家鳩とい う鳥が調子はずれに鳴くのを聞いて源氏は、
あの某院でこの鳥の鳴いた時に夕顔のこわがった 顔が今も可憐に思い出されてならない。 「年は幾つだったの、なんだか普通の若い人よりもずっと若いようなふうに見えたのも短命 の人だったからだね」
「たしか十九におなりになったのでございましょう。私は奥様のもう一人のほうの乳母の忘れ形見でございましたので、三位様がかわいがってくださいまして お嬢様といっしょに育て てくださいましたものでございます。そんなことを思いますと、あの方のお亡くなりになりましたあとで、
平気でよくも生きているものだと恥ずかしくなるのでございます。弱々しいあの 方をただ一人のたよりになる御主人と思って右近は参りました」 「弱々しい女が私はいちばん好きだ。自分が賢くないせいか、あまり聡明で、人の感情に動かされないような女はいやなものだ。
どうかすれば人の誘惑にもかかりそうな人でありながら、さすがに慎ましくて恋人になった男に全生命を任せているというような人が私は好きで あの西の京でお育ちになっては あまりにお気の毒でございます。私ども若い者ばかりでしたから、行き届いたお世話ができない
ということであっちへお預けになったのでございます」と右近は言っていた。 静かな夕方の空の色も身にしむ九月だった。庭の植え込みの草などが うら枯れて、もう虫の声もかすかにしかしなかった。
そしてもう少しずつ紅葉の色づいた絵のような景色を右近はながめながら、思いもよらぬ貴族の家の女房になっていることを感じた。 五条のタ顔の花の咲きかかった家は思い出すだけでも恥ずかしいのである。竹の中で家鳩という鳥が調子はずれに鳴くのを
聞いて源氏は、あの某院でこの鳥の鳴いた時に夕顔のこわがった 顔が今も可憐に思い出されてならない。 「年は幾つだったの、なんだか普通の若い人よりもずっと若いようなふうに見えたのも短命 の人だったからだね」
「たしか十九におなりになったのでございましょう。私は奥様のもう一人のほうの乳母の忘れ形見でございましたので、三位様がかわいがってくださいまして お嬢様といっしょに育ててくださいましたものでございます。そんなことを思いますと、あの方のお亡くなりになりましたあとで、
平気でよくも生きているものだと恥ずかしくなるのでございます。弱々しいあの 方をただ一人のたよりになる御主人と思って右近は参りました」 おとなしいそうした人を自分の思うように教えて成長させていげればよいと思う」源氏がこう言うと、
「そのお好みには遠いように思われません方の、お亡れになったことが残念で」 と右近は言いながら泣いていた。空は曇って冷ややかな風が通っていた。 寂しそうに見えた源氏は、見し人の煙を雲とながむれば夕の空もむつまじきかなと独言のように言っていても、
返しの歌は言い出されないで、右近は、こんな時に二人そろっておいでになったらという思いで胸の詰まる気がした。 源氏はうるさかった砧の音を思い出 してもその夜が恋しくて、「八月九月正長夜、千声万声無止時」と歌っていた。
今も伊予介の家の小君は時々源氏の所へ行ったが、以前のように源氏から手紙を託されて来るようなことがなかった。 自分の冷淡さに懲りておしまいになったのかと思って、空蝉は心苦しかったが、源氏の病気をしていることを聞いた時には
さすがに歎かれた。それに良人の任国へ伴われる日が近づいてくるのも心細くて、自分を忘れておしまいになったかと試みる気で このごろの御様子を承り、お案じ申し上げてはおりますが、それを私がどうしてお知らせすることができましょう。
問はぬをもなどかと問はで程ふるにいかばかりかは思ひ乱るる苦しかるらん君よりもわれぞ益田のいける甲斐なきという歌が思われます。 こんな手紙を書いた。思いがけぬあちらからの手紙を見て源氏は珍しくもうれしくも思った。この人を思う熱情も決して
醒めていたのではないのである。生きがいがないとはだれが言いたい言葉でしょう。 うつせみの世はうきものと知りにしをまた言の葉にかかる命よはかないことです。病後の慄えの見える手で乱れ書きをした消息は
美しかった。蝉の脱殻が忘れずに歌われてあるのを、女は気の毒にも思い、うれしくも思えた。 こんなふうに手紙などでは好意を見せながらも、これより深い交渉に進もうという意思は空蝉になかった。
理解のある優しい女であったという思い出だけは源氏の心に留めておきたいと願っているのである。もう一人の女は蔵人少 将と結婚したという噂を源氏は聞いた。 それはおかしい、処女でない新妻を少将はどう思うだ ろうと、その良人に同情もされたし、またあの空蝉の継娘は
どんな気持ちでいるのだろうと、それも知りたさに小君を使いにして手紙を送った。死ぬほど煩悶している私の心はわかりますか。 その手紙を枝の長い荻につけて、そっと見せるようにとは言ったが、源氏の内心では粗相して少将に見つかった時、
妻の以前の情人の自分であることを知ったら、その人の気持ちは慰められるであろうという高ぶった考えもあった。 しかし小君は少将の来ていないひまをみて手紙 の添った荻の枝を女に見せたのである。恨めしい人ではあるが自分を思い出して
情人らしい手紙を送って来た点では憎くも女は思わなかった。悪い歌でも早いのが取柄であろうと書いて小君に返事を渡した。 ほのめかす風につけても下荻の半は霜にむすぼほれつつ下手であるのを酒落れた書き方で紛らしてある字の品の悪いものだった。
灯の前にいた夜の 顔も連想されるのである。碁盤を中にして慎み深く向かい合ったほうの人の姿態にはどんなに 悪い顔だちであるにもせよ それによって男の恋の減じるものでないよさがあった。一方は何の深味もなく、自身の若い容貌に誇ったふうだったと
源氏は思い出して、やはりそれにも心の 惹かれるのを覚えた。まだ軒端の荻との情事は清算されたものではなさそうである。 源氏はタ顔の四十九日の法要をそっと叡山の法華堂で行なわせることにした。それはかなり大層なもので、
上流の家の法会としてあるべきものは皆用意させたのである。寺へ納める故人の服も新調したし寄進のものも大きかった。 おめでとう
今夏出産なら杏ちゃんところと双子出産同じだね 書写の経巻にも、新しい仏像の装飾にも費用は惜しまれてなかった。惟光の兄の阿闍梨は人格者だといわれている僧で、
その人が皆引き受けてしたのである。源氏の詩文の師をしている親しい某文章博士を呼んで源氏は故人を仏に頼む願文を書かせた。 普通の例と違って故人の名は現わさずに、死んだ愛人を阿弥陀仏にお託しするという意味を、愛のこもった文章で下書きをして源氏は見せた。
「このままで結構でございます。これに筆を入れるところはございません」博士はこう言った。 激情はおさえているがやはり源氏の目からは涙がこぼれ落ちて堪えがた いように見えた。その博士は、「何という人なのだろう、
そんな方のお亡くなりになったことなど話も聞かないほどの人だのに、源氏の君があんなに悲しまれるほど 愛されていた人というのはよほど運のいい人だ」とのちに言った。作らせた故人の衣裳を源氏は取り寄せて、袴の腰に、
泣く泣くも今日はわが結ふ下紐をいづれの世にか解けて見るべきと書いた。四十九日の間はなおこの世界にさまよっているという霊魂は 支配者によって未来のどの道へ赴かせられるのであろうと、こんなことをいろいろと想像しながら般若心経の章句を唱えること
ばかりを源氏はしていた。頭中将に逢うといつも胸騒ぎがして、あの故人が撫 子にたとえたという子供の近ごろの様子などを 知らせてやりたく思ったが、恋人を死なせた恨 みを聞くのがつらくて打ちいでにくかった。あの五条の家では
女主人の行くえが知れないのを捜す方法もなかった。右近までもそれきり便りをして来ないことを不思議に 思いながら絶えず心配をしていた。確かなことではないが通 って来る人は源氏の君ではないかといわれて
いたことから、惟光になんらかの消息を得ようと もしたが、まったく知らぬふうで、続いて今も 女房の所へ恋の手紙が送られるのであったから、人々は絶望を感じて、主人を奪われたことを夢のように
ばかりやるのをつらくも思っていたし、源氏も今になって故人の情人が自分であった秘密を人に知らせたくない と思うふうであったから、そんなことで小さいお嬢さんの消息も聞けないままになって不本意な月日が
両方の間にたっていった。源氏はせめて夢にでも夕顔を見たいと、長く願っていたが比叡で法事をした次の晩 ほのかではあったが、やはりその人のいた場所は某の院で、源氏が枕もとにすわった姿を見た女もそこに添った夢を見た。
このことで、荒廃した家などに住む妖怪が、美しい源氏に恋をしたがために、愛人を取り殺したのであると 不思議が解決されたのである。源氏は自身もずいぶん危険 だったことを知って恐ろしかった。
伊予介が十月の初めに四国へ立つことになった。細君をつれて行くことになっていたから、 普通の場合よりも 多くの餞別品が源氏から贈られた。またそのほかにも秘密な贈り物があった。ついでに空蝉の脱殼と
言った夏の薄衣も返してやった。逢ふまでの形見ばかりと見しほどにひたすら袖の朽ちにけるかな 細々しい手紙の内容は省略する。贈り物の使いは帰ってしまったが、そのあとで空蝉は小君を
使いにして
小袿の返歌だけをした。蝉の羽もたち変へてける夏ごろもかへすを見ても音は泣かれけり 源氏は空蝉を思うと、普通の女性のとりえない態度をとり続けた女ともこれで別れてしまう のだと歎かれて、
運命の冷たさというようなものが感ぜられた。今日から冬の季にはいる日は、いかにもそれらしく 時雨がこぼれたりして、空の色も身に沁んだ。終日源氏は物思いをしていて、過ぎにしも今日別るるも
二みちに行く方知らぬ秋の暮かななどと思っていた。秘密な恋をする者の苦しさが源氏にわかったであろうと思われる。 こうした空蝉とか夕顔とかいうようなはなやかでない女と源氏のした恋の話は、源氏自身が 非常に隠して
いたことがあるからと思って、最初は書かなかったのであるが、帝王の子だからといって その恋人までが皆完全に近い女性で、いいことばかりが書かれているではないかと いって、仮作した
もののように言う人があったから、これらを補って書いた。なんだか源氏に 済まない気がする。 源氏は瘧病にかかっていた。いろいろとまじないもし、僧の加持も受けていたが効験がなく て、この病の特徴で
発作的にたびたび起こってくるのをある人が、「北山の某という寺に非常に上手な修験僧がおります 去年の夏この病気がはやりました時など、まじないも効果がなく困っていた人がずいぶん救われました。
病気をこじらせますと癒りにくくなりますから、早くためしてごらんになったらいいでしょう」 こんなことを言って勧めたので、源氏はその山から修験者を自邸へ招こうとした。「老体になって
おりまして、岩窟を一歩出ることもむずかしいのですから」僧の返辞はこんなだった。「それではしかたがない そっと微行で行ってみよう」こう言っていた源氏は、親しい家司四、五人だけを伴って、夜明けに京を
立って出かけたのである。郊外のやや遠い山である。これは三月の三十日だった。京の桜はもう散っていたが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています