アーティスト・インタビュー
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翻訳されない海外のサイトでのアーティスト・インタビューをお送ります。 「MEDELLINSTYLE」 JANUARY 13, 2020 DJインタビュー〜タカアキ・イトウ https://medellinstyle.com/entrevista-a-takaaki-itoh-ms/ 「場所が大きくても小さくても気にしない。雰囲気をもっと大切にしている」 90年代初期、世界的なテクノブームは日本にもおよび、ジャパニーズ・テクノのパイオニアの一人でもあるタカアキ・イトウもその影響を受けている。 ジェフ・ミルズ、デリック・メイ、そしてもはや生きる伝説ともいうべきアンダーグラウンド・レジスタンスらのデトロイト・テクノや、 その他多くのプロデューサー、「ワープ」や「ライジング・ハイ」などのレーベルのサウンドにインスピレーションを受けながら、パーティーのオーガナイザーとして彼は活躍している。 レーベル「Wols」の創設者でもあるイトウは、数週間後にFREEDOM 2020フェスティバルでのコロンビア・デビューをひかえている。この機会に、我々は彼にいくつかの質問を送った。 インタビュアー Mauricio Atencia ―日本はアンダーグラウンド・エレクトロニック・ミュージック・シーンで世界的に知られています。 現在ほど豊かな音楽的な歴史が無かった街で育ったことは、どのような感じでしたか? エレクトロニック・ミュージックは、ヨーロッパとアメリカなど海外から持ち込まれました。 その後、すべてを組み合わせてオリジナルとして作られています。 ―なぜ日本では踊ることができないのでしょうか? 専門外の人たちのためにもう少し詳しく教えてください。 踊ってはいけないという法律(風営法)がありますが、とてもグレーで曖昧です。 警察がクラブに来たら私たちはダンスをやめなければなりませんが、 実を言うと誰も気にしていません。 ―あなたの音楽的キャリアはイタロ・ディスコとハウスから始まったと聞いています。 テクノのようなインダストリアル・サウンドに移った時、 このジャンルに対するあなたのアプローチとメロディックなリズムがどのように役立ちましたか? 音楽のジャンルが何であっても、柔らかいか硬く聞こえるかに関係なく、自分は主にドラムが好きです。 非常にシンプルな音で作られたハーモニーは「鍵」ですね。 自分にとって、メロディー、シンセサイザーとベースラインは、すべて重要となってきます。 実を言うと、テクノには大きな可能性があると感じました。 ―あなたが最初に買ったテクノレコードは何だったか覚えていますか? Polygon Windowの「Quoth」です。 ―若い頃に音楽を手に入れるのはどのくらい簡単でしたか? 自分のおこづかいでバイナルを買ったりもしていましたか? 輸入盤を探して買うのはこの世のこととは思えないほどのミラクルな体験でした。 若いころはアルバイトをしてバイナル盤を買っていましたね。 ―テクノへの音楽的移行の中で、ジェフ・ミルズはどれくらい助けになったでしょうか? かなり大きな影響でしたね。 ジェフ・ミルズは1990年代にテクノを日本にもたらし、誰もが彼のプレイに感銘を受けました。 ―あなたのホームタウンで行なわれた様々なパーティーについては、 長いエピソードがありますね。現在ほどシーンが開かれていなかった時代に パーティーを開催するのはどのくらい難しかったですか? クラビングは輸入文化なので、とても難しいところがあります。 日本にはオリジナルと言えるクラブがありません。 そこで自分はゼロからすべてを知ってもらおうとパーティーを始めました。 ―一般的にエレクトロミュージックはどのように見られていますか? 非常に注意深く聴かれていて、とてもシリアスに受け止められていますね。 ―あなた自身がパーティーをオーガナイズする以前に、 様々なパーティーに行ったことと思います。 若い頃のクレイジーでエキサイティングだったパーティーについて教えてください。 すべてがとてもエキサイティングでした、誰にとっても新しかったので。 ―ダーク、ハード、ゆがみ、空間的、環境音楽的、インテリジェンス等、 これらはあなたのトラックやDJセットを定義するために使われる言葉の一部です。 あなたが音楽でリスナーにもたらそうとしている精神状態について、 日々どのような方法でアプローチしているのか知りたいです。 難解か深遠かというだけではなく、自分自身を表現する方が好きです。 複雑とは言えませんが、新しいリズムを作り、一つの方向に向かうことのないよ うにしたいと思っています。 ―他アーティストとのコラボレーションが好きだとのことですが、 コラボレーションがクリエイティブなプロセスに何をもたらすと感じていますか? プロジェクトがスムーズに進んで、比較的早くにアイデアを提示できる 特定のアーティストはいますか? コラボレーションは素晴らしいですね。 互いにデータを交換することですが、共に同じ問題に直面していません、 それぞれ別の視点に立っているので新鮮な気分になります。 ―あなたは世界でも有名なクラブのいくつかでプレイしています。 「ベルグハイン」でのセットと比較して、なじみのあるクラブでプレイしている時には、 どのようにフォーカスを変更しますか? 違いはありません。場所が大きくても小さくても気にしない。 雰囲気をもっと大切にしています。 ―まもなくFREEDOMフェスティバルでデビューし、 初めてコロンビアを目の当たりにすることになりますが、 フェスティバルの哲学や観客について何か聞きましたか? まだ見当もつかないですが、エキサイティングしていますね。 ―ラテンアメリカやスペイン語圏の文化についてどう思いますか? スペイン語の発音は日本語によく似ています。親しみを感じますね。 ―最後に、次の言葉から浮かんだ言葉を書いてください。 南アメリカ:オープン アジア:湿気 来世:透明 UFO:友人 過去:経験 未来:フューチャーラマ 時間:流れ 戦争:ビジネス 愛:雪 罪:本質 創造性:水 グルーヴ:個性 テクノ:コミュニケーション https://blog.native-instruments.com/meet-sama-ramallahs-world-class-techno-export/ September 25, 2019 by Native Instruments 『サマとの邂逅―ラマッラーが生んだワールドクラスのテクノアーティスト』 今、世界で最もフレッシュでエキサイティングなDJは、パレスチナのアンダーグラウンドシーンの重要人物である。 キープレイヤーであるDJサマは、―予想に反して―サブカルチャーに背を向けながらも、 世界で注目される新人の一人として頭角を現している。 パレスチナの都市ラマッラーでのパーティから始まり、今や世界中を駆け巡るサマ。 楽観的かつストレートで緊張感をも抱合するテクノサウンドは、 国境や境界も超えて人々が一体化する力を持つとも言われている。 ―小さいころからDJを始められたそうですね。 13歳のころからDJを始めたの―私の父は「9歳だった」って言うけど。 ラジオ番組をなんでもよく聴いていたのね。アラブ音楽とか、誕生日パーティとかでかかるような 誰もが聴きたくなるようなポップミュージックとか…なんでも聴いていました。 当時はDJの人たちがかけていたなんて気づかなかったけれど。 結婚式なんかのDJのギャラは本当に高くて、パーティーとかお祝い事でDJなんてとても呼べないくらいだったから、 代わりにラジオをつけるか誰かの持っているCDを流すために先を争ったりしていました。 始めの頃はいつもラジオばかり聴いていたけれど、問題だったのは当時、 蜂起が起こるたびに「ニュース速報:何が起きたか神は御存じだ!」と 臨時ニュースが入って、曲が途切れてしまうことでした。 だから私たちはCDに曲を焼いてパーティに持って行ったの、 当時はトラックをプレイする間にも紛争が絶えなかった。 私が好きだったことの一つに「サウンドをチョイスする」っていうのがあってね。 父はイベントのマネージメント会社にいて司会や演奏の仕事をしていたから、 いろいろ教えてもらいながら、セットアップをしたり友人のためにプレイしていました。 ―つまり当時からイコライジングやミキシングをしていたわけですね? そういうことを勉強したのは19歳の時ですね。 当時を振り返ると実際にスピーカーや音楽が身の回りにあって、自分にとってとても大切なものだった。 演奏家にはなりたかったけれど、DJをやったりトラック制作をしたりするということは考えませんでした。 フロアで踊って、ブース越しに手を伸ばしてスイッチを押したりフェーダーを動かして、また躍りだしたり・・・。 始めてクラブに行った時からDJについて学び始めたの。パレスチナにはクラブが無かったけれど、 ベイルートで勉強していたのでクラブにも行き始めました。 「ああー、私はDJじゃないし、あの人のやっていることとか分かんない! でも自分でもプレイできたしフェーダーも切り替えられた!」 ―そしてベイルートでクラビングして、パレスチナに戻ったわけですね。 何の曲をかけましたか?初めてのパーティの夜はどうでしたか? ハハハ、すっごくひどかった! いくつか曲を持ち帰ったんだけど、誰も私がかけた曲を分かってくれなかったし好きになってくれなかった。 私が音楽制作やエンジニアの勉強を始めた後、パレスチナではなくて ヨルダンですでにプレイを始めていたんだけど、みんなと本当にその気持ちを分かち合いたくなったの。 お金は減っていくし、ラマッラーで知り合ったある女の人からは 怒られちゃったりもしたけれど、しばらく頑張ってやっていました。 その人はちょうどハイファ(イスラエルの都市)から引っ越してきて、バーを引き継いで経営していたの。 「プレイしに来てよ、私いい仕事するわよ」って言ってくれたんだけど。 彼女がハイファに戻った時に、そこからDJとか集客してくれたりしてね、 ラマッラーでは結構いいパーティだったの。だいたい80人くらいが踊っていて、運営もできていた。 それにハイファとラマッラーの間にコネクションもできました。 ―ハイファからラマッラーにお客さんを連れてきたことがすべての始まりだったというわけですね。 ある意味、ハイファではエレクトリックミュージックが知られていたのね ―みんな私たち以上にヨーロッパへ行ったり旅行していたから。私たちが聴いていなかっただけだった。 初めて自分がテクノを聞いたのが2008年なんて、どうかしてるわよね。 私が彼女に会った時「こういうの聴いている人って大勢いるわよね」みたいな感じだった。 だからハイファからラマッラーまでバスを手配したのね。 それでラマッラーの人たちもパーティに来るようになって、 テクノのバイブを感じたり、分かってくれるようになりました。 彼女が他のパーティをするようになってから―その別のパーティって連日フェスだったんだけど、 それが大きくなって他のオーガナイザーも活気づいて、ついにシーンができたんです! パーティにいつでも行けるってわけね! ―あなたのサウンドをどのようにしていきたいですか? 私はずっとオンラインにいる人間の一人でした。 ベイルートでは多くのDJと友人になれたし、音楽を教えてくれたヨルダンの先生や、 サウンドを手に入れることができた「Beatport」―みんなが私に音楽へ導いてくれたし、 みんなでその気持ちを分かち合いたいですね。 始めのうちはコンピューターを通してオンライン上でお互いのCDを交換したりリッピングをしていました。 ベイルートでマイケル・ジャクソンのCDを見つけることはできても、 テクノミュージックは見つけられなかった。 ベルリンやデトロイトのテクノを実感するのには、長い時間がかかりました。 「あなたってクールなベルリンテクノをかけるわね」ってみんな言うけど、私はこんな風に言うの。 「ええ?クールって、私分かんない!」 なぜかっていうと「Beatport」は好きだし、よく購入もするけれどそればかり聴いているわけじゃないから。 そういう音楽を聴いてからベルリンに行ってみようって決めました。 なので、私のヨーロッパ初のギグの―フランスだったんだけど―プレイの後でベルリンに行きました。 「ヨーロッパでプレイした後で、自分が何をプレイするべきか知る必要がある」って感じでね。 どうも自分はベルリンにいるわけじゃないのに、ベルリンテクノをプレイしているようだって。 ジャンルの難しさという問題は未だにありますね。 知ってるぜって、ミックス違いを自慢することって好きじゃないんです。 ―ジャンルといえば、ラマッラーでは現在独自のサウンドが確立しつつありますか? 様々な独自の個性を持ったとても良いプロデューサーが大勢いますね。 例えば、独自のノイズやグリッチサウンドを作り出しているMuquata’aとか。 彼はハイスクールでラップを始めたんですけれど、今はストリートで録音したものを落とし込んだ、 信じられないほど素晴らしいグリッチサウンドを作っています。 同じようにBruno Cruzはdub-keyをやっていましたが、舞台で民族舞踊も踊っています。 Zenobia,は歌謡曲風のShaabiやクレイジーなエレクトロも作っています。 歴史あるサウンドと、どこか他の世界で聴いたことのあるサウンドのミックスなのね。 私の個性を形作っているもの―クラッシックピアノとか―西欧の音楽を聴いて育ったから、 アラブ音楽やアラブの楽器には夢中にはならなかった。 だから自分にそういうものが付け加えることはないですね。 パーカッションは少し関係しているかな…。 決まりきったステレオタイプなものを壊すにはいいと思うけど、アラブ風を演じることはないと思う。 誰しも自分の背負ってきたものを捨ててまで、完全に西欧風になりたくない。 でも2つの間で何か見つけられたらと思います。 ―一つのシーンではなく「パレスチナ人」という具体的な定義を されていると考えたことがありますか? 他のシーンみたいなものですよ―交流したり楽しんだりしたい人たちのコミュニティのような。 けれど、何か逃げ出すことに挑戦するために団結もしていますね。 パレスチナは御存知のように生活することに少々混乱がともなうので、 だからこそ私たちはクレイジーになることなく正規に滞在できるためにトライしています。 ダンスはいつでも多くのパレスチナ人の生活の一部で―長い長い間ずっと。 だからいつも、すべての戦争にも関連しているのね。 音楽だけで抵抗ができるよう願っています…。 ―なるほど、それでアンダーグラウンドカルチャーと、 政治的、社会的なソーシャルなイベント―ベルリンの壁、ウクライナの独立運動― とも常に関係を持っているのですね… 音楽産業は戦争ともに大きくなってきました。第一次世界大戦中にはバイナルが生まれ、 ジャズは戦争中に始まって、戦争のたびにジャンルが変わっていった。 テクノはベルリンで生まれましたし。 私いつも冗談でこう言うの。 第三次世界大戦が始まったら、終戦後にものすごい音楽のブームが来るわよって ―だから、すべてが馬鹿げた方向に向かえばアートは繁栄する…エキサイティングよねって。 全ての戦争がアートを盛り上げるし、何もかも壊してしまうのって、本当よね。 抑圧されると人間って別の表現様式を良く思えるってところがあるけれど。 これらの観点から、問題を表現するのにアートって健全な方法であることが分かるし、 そうでなければ世界中で互いに殺しあうことになってしまう。 それって本当に悲しいことよ! ―今のシーンにおいて、あなたは自分の役割をどのように認識していますか? 実は昨日メールでインタビューに答えたの。 「パレスチナ初のフィメールDJとなった気持ちは?」ってたずねられて。 意図的ではなかったにしろ、そうなってしまったのね。 シーンと大勢の人たちが私に与えてくれたものはとても大きかった ―インタビュアーは、何も分かっていないんだなって。 全く新しいコミュニティができあがったから、還元していきたいですね。 私はそこへ戻ってヘルプすることが自分の役割だと考えているし、 パーティやワークショップを開いたりとか、どんなことでも自分ができることに挑戦したい。 みんないつも自分にフィードバックしてくれる。 時には返信するのに1ヶ月かかる時もあるけれど、でも返信するわ! 私、時間はあるはずなのに、なぜかしらね? ―フィードバックする際にどんなことに注目しますか? 場合によります。私にデータを送ってくれる新人の子がいたら、 ミキシングのヒントを与えて、その人のプレイをチェックしたり。 ある人の場合、全部のエフェクトやイコライジングの合わせ方とか、 本当にそれを知り尽くして忘れないようにって、話したことがあるの… あなたがそうする前に、何がどんなふうに聞こえるのか知るためにって。 難しいツールを与えたのね―耳のトレーニングになるサイトなんだけど …イコライザーやフィルターなんかで完璧なセットを作ってくれました。 これって、パーティを愛していて、DJすることを愛していて、 本当にパーティが好きってことよね! パレスチナで8時間とか一晩中プレイしたりするのもそうだし。 それでみんな踊ってくれるし、私も仕事しながら、 ある意味一緒になって腰を振って踊っているってことだけど、 まだまだ集中してプレイをやらなきゃいけないわけでもあるしね。 ―あなたのサウンドはかなり細密ですがセットをどのように組み立てていますか? 来ている人の雰囲気だとかオープニングを特に重視しています。 どこからスタートして盛り上げて、フィニッシュまでどんな風に持っていくか、 自分とフロアの間でどうやって移行させるか、自分がしたいことをイメージしていますね。 毎週サウンドを購入してプレイのために選曲してプレイリストを作るけれど、 それ以外のものも一緒に持っていきます。 フロアって本当にいろんなものと関係しているから、 時々持ってきたものが全然使えないってことがあるって 分かると思うんだけど、それで他の物をとりに行かないといけなくなっちゃうっていう。 だから自分はアウトラインを作ってはいくけど、何が起こるかは聴き手は分からない。 少なくとも最初の2つのトラックは好きなものを持っていきたい、 なぜかっていうと自分がパニックになってしまっても 「これをプレイしよう」と考えたら、全部機能してくれるから。 あと、いろいろ考えてトラックを止めることもよくあります ―音楽を物語みたいにするのが好きなの。 だから自分はDJはそうするために何をすべきかって、集中してます。 それでも細かいことにも夢中になっちゃうんだけどね。 ―DJコントローラ 「TRAKTOR KONTROL F1」を使用していますが サンプルも使用していますか? ええ、私のニューアルバムからのサンプルね。 半年前の去年「the new album」を作ったの!順調にいけば近いうちに発表できるわ。 ある意味アコースティックなサウンドがたくさん使われていて…、いろんな楽器やボーカル、 アンビエントサウンドや自動車や飛行機みたいな効果音だったり。 面白かったのは自動車や飛行機や鳥の鳴き声ね。 車が近くを通り過ぎる音だって、セットになるし。 これってすべて映画のサウンドデザインが背景にあるの。 効果音ってすごく面白いものの一つですね。 ―どのくらい頻度で使用しているんですか? もう、全部に使ったわよ!鳥の鳴き声なんて特にね―時々それを使って演奏したりします。 轟音みたいな自動車や飛行機の音は…フィルターを全開にして…ぶっ飛べるわよ。 ―デッキは常に4台使用しているのですか? そうね、間違いなく3台はね。4台目は使ったり使わなかったり、 何が起きるかとか必要な要素に応じてね。 もしくは2番目のトラックがダメで ―本当に急いで他のもので埋め合わせる必要があるときにね、ハハハッ! ―エフェクター同士も組み合わせて使用してもいますね… 私が一番使っているのはディレイとゲイターで、いまだに勉強中です。 メロディックなテクノとかインダストリアルテクノでもよく使うんだけど、 プロデューサーには負担をかけてるわよね。 もし何か足りないな、と思えばサインして手に入れられるし、 購入した時点で、もうそれは良いものに決まっているのよ−お金を払っちゃったら、 それを台無しにできる?その製作に数か月も費やした人たちがいるんだもの、もっと使おうよ! 私は製作には干渉しないけど―トラックの一部をスキップすることって、 誰かのトラックを飛ばして聴くことだし、トラック全体をスキップすることよね! ―では古典的な質問で締めくくりましょうか。 あなたにとってDJとは何ですか? オオーッ、自由なパーティよね!みんなと共有して結びつきが生まれて …音楽を自由にプレイすることで、自分の持っているものを手放して解放することですね。 https://soundcloud.com/nativeinstruments/sets/sama Sama’@vent Guidance × Sleeping Bag And more DATE: 3/19 (THU) OPEN: 23:00 http://vent-tokyo.net/schedule/sama-2020/ https://www.theguardian.com/music/2017/mar/28/transgender-dj-octo-octa-where-are-we-going-album- interview トランスジェンダーとカミングアウトしたDJオクトオクタ 「誰もが混乱したけれど、それでも良かった」 The Guardian Interview by Will Coldwell Tue 28 Mar 2017 13.40 BST マヤ・ボールドリ−モリソンのファーストアルバムは自信にあふれ―過去の不安から現在の明るい現在形の彼 女をー映し出している。 ブルックリンを拠点に活動するDJプロデューサーのオクトオクタことマヤ・ボールドリ−モリソンは、 ニューアルバムのカバーショットで、25ドルのドレスにストッキングを身に着け、サンフランシスコのホテル のベッド上にひざまづいている。 眼鏡をかけたその表情は、まるでとぼけたヴァージョンのモナ・リザのようだ。 解読してみると面白い。ポップチャートソングをひねらせたような遊び心、自慢そうな気取り屋にも、 まるで撮影を終わらせたいかのようにも見えてくる。 彼女は嫌そうに見えるが、リリースのイメージを決定づけるためにボールドリー・モリソン本人を 前面に押し出している−男性優位の中で表現のために扮装することはありきたりなものではあるが ―エレクトロニック・ミュージック界では珍しく、単に耽美的であること以上に深い意味がある。 トランスジェンダーとカミングアウトしてから制作した初のアルバムについて「感動的な内容」と彼女は表現する。 「長い間、自分の写真を撮らなかった。なぜなら自分の身体が好きじゃなかったから」彼女はそう話す。 「まだ数年しか経っていないけど、特に人前に出るようになってから、 やっとこのままの自分で良いんだと思えるようになりました」 2017年3月、サンフランシスコのクイアDJグループ「ハニー・サウンドシステム」の レーベル「HNYTRX」から、ボールドリーモリソンの人生の物語を総括した「Where Are We Going?」をリリースした。 収録されているトラック「ノー・モア・ペイン」(若かった自分への約束)は、流れるようなドリーミーなデジタルサウンドから始まり、上昇するドラムブレイクと高揚するボーカルのループに、 7分以上ものシンセサイザー音が丁寧に重ねられている。 「フリーティング・モーメンツ・オブ・フリーダム(Woo)」はシャッフルされたパーカッションが DJプレイの快楽を内包し、低音と脈打つドラムのキックは深い恐怖と闇の感覚を作り出している。 いくつかのトラックは人生や自己についての長引く不安を反映しているが、このアルバムは自身と満足感に満ちている。 彼女の以前のアルバムは違うものだった。2013年にリリースされた「ビトゥィーン・トゥ・セルブス」は アーティストとして不確実だった頃のものだ。 「プリーズ・ドント・リーヴ・アンド・フェア」のようなトラックは、 ボールドリーモリソンの当時の圧倒的な不安の問題―彼女のパートナーが去ってしまったことや、自分が今後どうしていきたいか ―にフォーカスしており、製作中に葛藤していたことが明らかである。 「もともと私はそのアルバムを『トランス』と名付けたかった」と彼女は語る。 「でも自分には怖すぎることでした。そんなことができる時ではなかったから」 その時が来たのは昨年だった。「レジデント・アドバイザー」で公表するという、 エレクトロニック・アーティストにふさわしい方法でカミングアウトした後、ボールドリーモリソンはついに両親に話したのである 。 彼女は家族に知らせる前に、すでにインタビューを受けていた。 「このことがオンラインでアップされてから『ああ!そうなのよ』って感じで、 すぐに家族に知らせなければいけないように感じたのよ」と彼女は笑う。 「みんな平気だった。あなたが良いのならそれでOKよって、普段と変わらずにね。 そういうわけにはいかない人たちもいたことは分かっていた。でも自分にとって良かったと思います」 ちょうど30歳の誕生日を迎えたボールドリーモリソンは、その時以来人生が変わった。 不安との戦いを制した彼女に、倉庫の照明の下でマッチョな男たちと共に働く必要は、もはや無くなった。 (「みんな魅力的だったけど、遠い存在だったわね」と社交辞令的に語った) 一方で彼女のDJとしてのキャリアは、より豊かで洗練されたサウンドとともに成長し続けている。 一貫性があることも彼女の特徴だ。 ボードリーモリソンには15年近く付き添っている妻のブルックがいる。 ニューハンプシャーで12歳のころから共に育ち、ハイスクールではラジオでドラムン・ベースを2人で聴きあさった。 ボールドリ−モリソンは実験的なブレイクコアやIDMを制作する一方で、 パワーポップを必要最小限までそぎ落としたデュオ「ホーニー・バンパイア」でも活動する間、 ブルックは指南役となっていった。 ボールドリ−モリソンの大きなブレイクは2011年にレーベル「100%Silk」からリリースされた 初のEP「レット・ミー・シー・ユー」だった。 ノイズやアンビエントの流れを汲むLA拠点のレーベル「NotNotFun」の主宰ブラウン夫妻の熱心な後押しで、 レトロでローファイなDIYハウスサウンドクリエイターとしてオクトオクタは瞬く間に (時には痛い目に遭いながらも)知られるようになったのである。 当時、ボールドリ−モリソンは2つのプロジェクトのアイデアを取り交ぜていた ―「ホーニー・バンパイア」でのIDMやパーティ寄りのものと ―よりアッパーなフロア向けの4つ打ちのダンスミュージックとを。 「エレクトロニックサウンドをリリースするレーベルに、知り合いがいなかったんです」彼女は語る。 「どこもパンクやハードコアバンド向けのものばかりでしたね。 リリースするにあたって良いアイデアが無かったのですが、『100%Silk』はちょうど始動したばかりで 受け入れてもらったんです。彼らがいなければ、自分もどうなっていたか分かりません」 2016年12月カリフォルニア州オークランドにて、 従来のスタイルにフィットしないアーティストをサポートすることで知られる 「100%Silk」のパーティが、3アーティストをフューチャーして行われた。 しかしその結果「ゴーストシップ」と呼ばれるアーティストの住居兼スタジオ倉庫で火災が発生し、36人が亡くなった。 この火災で「100%Silk」のアーティスト、 ナクトことジョニー・イガズとチェルシーことチェルシー・ファイス・ドランの2名が焼死した。 火災直後に友人たちを見つけた時のことを「とても残酷なことだった」と彼女は話す。 「最近、サンフランシスコでの火災に遭遇した人たちに会いましたが、 誰もがいまだにその影響で悲惨なことになっていました。当然のことです、ただただ残酷で悲しいことだから」 ボードリーモリソンや彼女のようなアーティストたちにとって、 DIYカルチャーや、時には過激なクイアーカルチャーが交差する、活動の発展の場だった。 助かった若者たちについて、自身からレイブパーティーに出かけたがために 不必要に危険な目に遭ったかのようにあつかう世間の浅はかな見解を知り、彼女は激怒した。 そこは、従来のクラブでは歓迎されなかったり、安全ではないと感じる人々のためのプラットフォームとして、 草の根的な音楽コミュニティの育成のスペースとして、重要な役割を果たしていたからだ。 「みんな『ゴーストシップ』のような場所や、そこでできることについて本当に理解していない」と彼女は語る。 「ブルックリンには自分が出入りしないクラブがたくさんあります。 仮にそこに行ったとしても、しばらく過ごしてから外へ出ます。 全てのクラブに魅力的なコミュニティがあるというわけではないですから」 クイアやアンダーグラウンドなナイトライフを守るため必然的に、 音楽を信じるボードリーモリソンと「ハニー・サウンドシステム」は結びついた。 このグループは10年以上メインストリームから離れながら、ゲイのためのパーティを運営しており、 忘れられていたパトリック・カウリーの宝石のように輝くゲイ・ディスコなど、 信念に基づいた音楽をリリースしている。 オクトオクタはここ10年間で生存しているアーティストとしてファーストLPをリリースしている。 そのアルバムの中心には自信がみなぎっている。 LPの最後のトラックである「ウェアー・アー・ウィー・ゴーイング?」では、 トランスジェンダーとしてカミングアウトした後に繰り返したずねられたある質問が、 ボードリーモリソンのボーカルでループされている。 『元気にしてる?元気にしてる?』―彼女の仕事の集大成のような、 彼女を救ってきた「思考と感情を動かす」という過程を作り上げてきたかのようなトラックである。 この時の新しい精神状態の象徴だったカバー写真は、「ハニー・サウンドシステム」の一人である ヤコブ・スパーバーによるアイデアであり、彼女もとても励まされたという。 「このカバー写真を必ず使おうというマヤの決心を嬉しく思ったし、 アルバムを分かってくれるリスナーたちをとても救ってくれた」とスパーバーは語る。 「このアルバムはとても素直で、輝くマヤと一緒に走り出すことができると思う。 このアルバムは人生や愛という息づかいだけでなく、日々の心臓の鼓動も伝えているんだ」 Octo Octa Boiler Room x ADE Amsterdam DJ Set https://www.youtube.com/watch?v=Aj0ZxhSYpmM >>34 >乳もみもみインタビュー 乳もみもみインタビュー >>1 ◆◆◆「創,価,学,会,」の集団ストーカーに注意◆◆◆ 札幌の悪徳ライブハウスSound Lab Moleの大嶋(オオシマ)店長は集団ストーカー ・卑猥投稿、誹謗中傷、ファン叩き、アーティスト、バンド潰し、自殺泣き寝入りに追い込む集ストネット工作 (ソース http://imgur.com/a/2EqB0YU ) ・配信ライブ詐欺で卑怯にお金を巻き上げる (ソース→ http://imgur.com/a/nktaiRM ) ・杜撰なコロナ対策で35人感染者のクラスターを発生させた (ソース http://imgur.com/a/j1tKDPM ) 大嶋の顔画像5枚↓ @ohshima0040 http://imgur.com/a/1ScFLYc 詳細は↓ 専用スレで 大嶋智洋の悪事を一挙暴露! 大嶋智洋 は集団ストーカー http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/4649/1590645255/l50 「 大嶋智洋 5ちゃんねる 」で検索 ◆東京の無名DJ 「なんちゃらロック」ことウメロック(本名:木村正敏)は集団ストーカー ◆ 顔画像集↓ @ume_rock http://imgur.com/a/GVJAjI8 (ゴミ漁りして個人情報収集やストーキング) (女性に卑猥スカトロ投稿嫌がらせをやる変質者) ウメロックの悪事を一挙大暴露↓ ume-rock は悪質な集団ストーカー! http://medaka.5ch.net/test/read.cgi/4649/1591070603/l50 hesjks 「 ume_rock 5ちゃんねる 」で検索 ありのままの姿で:K-Handへのオマージュ ハウスミュージックを体現したデトロイトのファースト・レディー、ケリー・ハンドを偲んで―RAライター:マット・ウニコム 2021/8/13 ハウス:テクノ・プロデューサーとして知られるK-ハンドのEメールはよく真夜中に届いたものだった。 メールの大半は、彼女のレーベル「アカシア・レコード」のホットメールアカウントで毎月届き、大抵はいくつかのリクエストがあった。 ある時はRAのウェブ管理人に直接コンタクトを取りたいという丁寧なものだったり、ある時は数十曲以上ある視聴可能なトラックのサムネールや、プロフィールの目立たない変更だったりと、ほとんどのアーティストが気づかない子細なものにまで、メールをしてくることは言うまでもなかった。 それはアーティストとしての自身についての言及が、いわゆる「紹介の見出し」ではなく「中身」であることを確認するためのものだったのだろう。 「デトロイトのファーストレディー」と称えられた数々のDJ現場の写真を誇らしくメールで送ってくることもあったハンドは、トラック製作にも細心のエネルギーを注ぎこんでいた。 彼女は1990〜2021年までの間、いつも素晴らしいトラックを300曲以上もリリースしてきたのである。 その才能はアシッドテクノからディープハウス、創世期のハウスミュージックの黄金時代までも網羅していた。 ハンズの作り出すサウンドは実に時代を超越したアメリカのエレクトロミュージックの頂点であった。その彼女は8血3日デトロイトの自宅で心血管疾患により亡くなった。56年の早すぎる人生である。 MPC(AKAIのシーケンサー)を使い始めたハウスミュージックの功労者の一人であるにも関わらず、彼女のスキルが十分に認識されることはなかったし、人種差別や性差別がからんでいるとしか言いようがないだろう。 彼女は公にそれらの問題を取り上げたことはなかったが、キャリアをスタートさせた時にはすでに気づいており、性別による役割認識にとらわれない「K-ハンド」というアーティスト名を選択したのである。 もし彼女のデビューが現代であったなら、魅力あふれるDJセットとその大らかな笑顔で旋風を巻き起こしたであろうことは間違いない。 90年代のサウンドを作り上げてきたグレン・アンダーワールド、ムーディーマン、マスターズ・アット・ワークたちのようなビッグネームとも肩を並べるものである。 彼女のリズミカルかつジャッキングなスタイルはNYやシカゴ、流麗なデトロイトのハウスサウンドでもあり、若かりし頃に踊り明かしたNYの「パラダイス・ガラージ」の影響がうかがえる。 比較的アンダーグラウンドな経歴にも関わらず(Spotifyで最も再生されたトラックは4.5万ストリームだった。ちなみにアムステルダムの人気ハウス・デュオ、デトロイト・スウィンドルは700万ストリーム) ベン・クロックやZip、ニーナ・クラビッツ、デイヴ・クラークやローラン・ガルニエ、スヴェン・ベースのようなスタープレイヤーたちも90年代から彼女のトラックを回している。 Kハンドのトラックになじみが無くても、そのDJプレイは必ず聞く者の心をとらえるだろう。 彼女の旧友であるグレン・アンダーグラウンドは、彼女の死後フェイスブックで「ハウス・ミュージックにおいて最も偉大な人物の一人を失った」と追悼している。 ハンドの最高傑作は1997年リリースのEP「プロジェクト5」だろう。幾度となく再プレスされ、売り上げを更新し続けている。 目玉はB1のトラックで、アメリカのネオ・ソウル・シンガー、ミシェル・ンデゲオチェロが歌う「Who Is He And What Is He To You」をサンプリングした、叩きつけるようなハウス・サウンドは時代を超えてフロアを揺さぶり続けている。 それは普遍的なサウンドであふれた彼女の作品のほんの1曲に過ぎない。同じく「プロジェクト5」収録の「Candle Light」のようなトラックや、「Touchin Me,」 「Clap Yo Hands」や「Ba Da Bing」なども、90年代ハウス−ファットかつスウィンギンなドラム、選び抜かれたサンプリング、そしてあふれるばかりの情感が込められている−を反映しているのである。 いつもよく笑っていた彼女は、自分のトラックについてまるでバスの運転手が午後の運転ルートについて話すかのように、笑顔で肩をすくめながら語ったものだった。 「私はただ曲を作っているだけよ」 それでもサウンドについての彼女との会話のすべては、その後も「ケリー語録」として思い出されるだろう。 「バイナルじゃないなんて、ファイナルじゃないわよ」 かつてベルリンのミッテ地区でタパスのランチを食べながら、彼女はこう話したことがある。 「音ってのは、太くなくっちゃね」 その数時間後、彼女はSMSにこう書き記していた。 「フィルターなんて必要ないわよ!」 ハンドの最高傑作は1997年リリースのEP「プロジェクト5」だろう。幾度となく再プレスされ、売り上げを更新し続けている。 目玉はB1のトラックで、アメリカのネオ・ソウル・シンガー、ミシェル・ンデゲオチェロが歌う「Who Is He And What Is He To You」をサンプリングした、叩きつけるようなハウス・サウンドは時代を超えてフロアを揺さぶり続けている。 それは普遍的なサウンドであふれた彼女の作品のほんの1曲に過ぎない。同じく「プロジェクト5」収録の「Candle Light」のようなトラックや、「Touchin Me,」 「Clap Yo Hands」や「Ba Da Bing」なども、90年代ハウス−ファットかつスウィンギンなドラム、選び抜かれたサンプリング、そしてあふれるばかりの情感が込められている−を反映しているのである。 いつもよく笑っていた彼女は、自分のトラックについてまるでバスの運転手が午後の運転ルートについて話すかのように、笑顔で肩をすくめながら語ったものだった。 「私はただ曲を作っているだけよ」 それでもサウンドについての彼女との会話のすべては、その後も「ケリー語録」として思い出されるだろう。 「バイナルじゃないなんて、ファイナルじゃないわよ」 かつてベルリンのミッテ地区でタパスのランチを食べながら、彼女はこう話したことがある。 「音ってのは、太くなくっちゃね」 その数時間後、彼女はSMSにこう書き記していた。 「フィルターなんて必要ないわよ!」 その2年後「RA Exchange485 DJ-MIX」のインタビューの際、マイクを前にして、彼女は自身の音楽のルーツについて深く考えながら語ってくれた。 「アメリカの低所得者層地域のことを知るべきよね」と彼女は説明してくれた。(筆者はドイツ出身) 「私はミドルクラスだけど、まだロークラスの人間でもあるのよ。私たちってアイスクリームやホイップクリームのトッピングの飾りみたいに上品じゃないの。野暮ったさがなければ、本当のソウルなんて見つけられないわ」 ハンドの生み出したサウンドは、ほとんどのアーティストが生涯をかけて探し求めようとしてもとらえようのない「ソウル」を持ち合わせていた。 彼女がプロデューサーに対して伝えた製作のアドバイスはシンプルなものだった。 −あなたにとってなるようになる時が来るわよ。物真似なんかしないで、でも、あなたの経験から生み出された、あなた自身のトレードマークともいえるサウンドを作ってね。 そのサウンドはあなたの内側から生まれるべきものだから、と。 ハンズのベスト・ハウス・チューンは、パンチの聴いたドラムやファンキーなベースラインのみならず、選び抜かれたサンプリングと、幾重にも重ねられたループサウンドがフロアに最大限に強くインパクトをもたらしている。 「ダンスが好きなのよ」彼女はにっこり笑って言った。「以上!それでおしまい!」 音楽について語る彼女は純真そのもので、いまだ変わらずパーカッションに夢中で、列に並び入場を待つ、あたかも21歳の「パラダイス・ガラージ」の音大生の様だった−一晩中踊り明かした後に眠ることなく、そのままレコードを買いに行ってしまうような。 評価を高めたりセールスを上げるためではない、多くの偉大なアーティストが持ち得る性分なのだろう。 ハンズはRAに深夜メールを送り続けていたように、自身のトラックをオンライン上にアップするようになった。 現在「アカシア・レコード」のバンドキャンプで、ハウス好きなら数時間もかけてディグするほどの数百以上ものトラックと60以上のリリース作品が視聴、購入可能である。 ハンドはコロナ禍においてもオンライン上でアクティブに活動し、SMSへの投稿やトラックのアップロードの他に、7月にはDJギグも数回行っていた。 私が彼女の最後の言葉を聞いたのは去年のちょうど今頃だった。DJツアーがまた復活できれば、ヨーロッパに拠点を置くことを考えていたという。 「いつかまた会いましょう、ありのままの姿でいてね」 そして、この言葉で締めくくられていた。 「すべてにおいて悲しみがありませんように」 Acacia Records website ttps://www.k-handmusic.com/ RAfeatures:注目されることへの障壁〜ダンスフロアで交差する年齢差別と性差別 年齢を重ねたフィメールDJたちは、自分たちを追い出そうとする業界で存在を維持できるのか? Kamila Rymajdo 2021/10/27 イギリスの8月のバンクホリデーの週末、スコットランド北東部アバディーンのナイトクラブで、54歳の保守党議員マイケル・ゴーブ氏がテクノで踊っている姿が目撃された。 その光景に「彼の年齢でクラブに行くのはふさわしくない」というコメントが数多く寄せられた。 イギリスの朝の情報番組「Good Morning Britain」はこのニュースを取り上げ、1998年生まれのスコットランド人歌手/タレントのタリア・ストームにインタビューし、意見を求めた。 彼女は、40歳以上の人はナイトクラブに入るべきではないと述べ、もし自分の父親やその友人がクラブに行くところを見たら愕然とするだろうと語った。 ストームは、クラブやフェスとは、そもそも年輩の人々とは違う20代の客が占める場所であり、日常のわずらわしさから自由になって深夜から早朝まで踊り明かすところである、と強調した。 しかし、DJやプロモーターが30代後半、40代と年齢を重ねていくとどうなるのだろう?彼らの何十年もの経験は、若者が占有する場所では意味がないのだろうか? 「Good Morning Britain」のインタビューをツイッターで見た、マンチェスターを本拠地とする54歳のDJポーレットはこれに"Fuck Off" と二言で返信した。 しかし、このコメントスレッドに参加したDJや音楽業界関係者はほとんどいなかった ---1990年代ハシェンダで活躍し、ロンドンの有名クラブMinistry of Soundでレジデントになり、2004年にパリに拠点を移し、2013年からイビサでキャリアを継続しているベテランのDJポーレットを除いては。 エレクトロニック・ミュージック界では、年齢差別(以下エイジズム)は他の差別と異なり、特に意識されていない。 ライターのハロルド・ヒースhは2019年の「DJ Mag」の記事にこう書いている。 "有名なDJやプロデューサーが人種差別や同性愛嫌悪の『ジョーク』を言ったなら、ダンスミュージック界は概してすぐに反応するが、年齢に関するジョークは同じように注目されることなく、有害とも考えられない"。 世界保健機関(WHO)の「エイジズムに関する2021年版グローバルレポート」などの研究では、エイジズムは "人々の健康、幸福、人権に深刻かつ広範囲な影響を与える "と断言している。 この研究によるとエイジズムの及ぼす影響は、 ●制度的なもの…法律・規則・政策・慣行など、年齢を理由とした様々な機会の制限や、組織的に個人を不利にすること ●対人面において…個人間の相互の関係 ●自己管理面において…高齢者に対する世間一般の持つ、好ましくない認識が内在化されてしまう などが挙げられている。 このように、エイジズムは「蔓延し、いたるところに存在し、陰湿」であるにもかかわらず、憂慮すべきことに、ほとんど認識されず改善も試みられていないとハロルドは主張している。 WHOの報告書では、ライフコース全体で、「エイジズムが能力主義、性差別、人種差別と相互に作用し、既存の不利な状況を悪化させている」と指摘している。 ダンスミュージック界におけるエイジズムは、男性よりも女性に偏って批判的に見られている。 『The Evolution of Electronic Dance Music』(2021年Bloomsbury Publishing刊)で、マンチェスターのクラブシーンにおけるエイジズムと性差別(以下セクシズム)についての章でのインタビューで、 DJポーレットは「ピート・トン、カール・コックス、デビッド・ゲッタが歳をとったとは誰も言わないが、女性DJが40歳になると歳をとりすぎていると見られる」と指摘している。 音楽産業について研究しているロイヤルメルボルン工科大学タミ・ガディール教授も、2017年に発表した論文「Forty-Seven DJs, Four Women: Meritocracy, Talent and Postfeminist Politics」(47人のDJ、4人の女性:その功績・才能・ポストフェミニズムの政治)」で、 エイジズムとセクシズムの交差を強調している。これは電子音楽専門誌「Dancecult」に寄稿したもので、年齢主義がジェンダーの規律に組み込まれており、それを "女性に課せられる「賞味期限」"と表現している。 さらに「40代以上のダンスミュージック界の著名な女性が業界に参入しているにもかかわらず、年配の女性がDJをするということは、まだ理想的なモデルではない」と主張している。 同じ章では、マンチェスターを拠点とする女性DJ集団「Disco Mums」のメンバー、ジュリー・ウィルズも同様の見解を示し、「40歳を過ぎると、あなたは母親であり、すでに過去の人、というイメージを持たれてしまう」とコメントしている。 彼女によると、Disco Mumsは当初は、目新しいプロジェクトと認識されもしたが、子供向けのパーティーでのプレイを依頼されたり、イビサのナイトクラブ「Pikes」では名称の変更を求められたこともあったという。 また、2000年代初頭にマンチェスターのシーンでDJを始め、イズリントン・ミルの「Club Brenda」のレジデントとなったジャーナリストのルース・アランは、40歳を目前にして母親になると、同じように「過去の人」あつかいされることを感じるようになったと告白している。 ウェールズのカーディフを拠点とするDJサラ・スウィーニーに、10月にリバプールの「インヴィジブル・ウィンド・ファクトリー」にて行われたパーティENRGで、フローティング・ポインツやアンズとのプレイ前にこの問題点についてインタビューを行った。 育児という問題が加わることで、エレクトロニック・ミュージック・シーンにおける高齢化の難しさをさらに悪化させるという。 「『育児』は片方の親だけがするものとばかり想定しているのね」その一方で「シングルマザーやシングルファーザーにとって、それがどういう意味を持つのか、自分には分からないわ」と付け加えました。 また、『DJ Mag』が毎年行っている「Top 100 DJs」の読者投票では、クラブカルチャーのメインストリームが、年配の女性DJをラインナップに入れたがらないという事実が指摘されている。 このランキングには過去にも女性がほとんど含まれておらず、2010年代に入っても女性の割合はわずかにしか増えていない。 一方、53歳のデビッド・ゲッタは、2011年以降3回、直近では2021年にトップになっている。 その他の40歳以上の男性も、例年この投票では大きく取り上げられ、しばしばトップ10に入っている。今年は、44歳のアーミン・ヴァン・ブーレンが3位にランクインし、一方、43歳のスティーブ・アオキが10位にランクインしている。 ガディール教授が言う「賞味期限」とは、DJポーレットがパリを拠点にして、デビッド・ゲッタらと同様EDMシーンでプレイしていたときに、髪が白髪になった頃と重なっている。 「2008年にある重要なミーティングで、イビザ島、イギリス、アムステルダムのプロモーター3人とディナーをしたのだけれど、3人とも『白髪の黒人女性DJを雇ってくれるプロモーターは世界中にいない』と言ったのね」 彼女は当時を思い出して話した。「それは私にとって転機となったわ。何としてでも自分がやっていることを続けようと思うのなら、これから何年も何年も『年齢』という亡霊と付き合っていかなくちゃならないっていうことだったから」 また、自分の年齢が、若いプロモーターやブッカーにいわゆる「注目される=見てもらう」ための障壁になっているとも話した。彼女によると、若いプロモーターやブッカーにとっての望ましいDJの基準というものは、狭いのだという。 これは、DJの音楽メディアでの経験やスキル、メディアでの掲載よりもソーシャルメディア上でのフォロワー数やBeatportのチャート順位が、重要だと考えているからだと、彼女は述べた。 「Twitterだと2万人のフォロワーが必要、Instagramでは10万人のフォロワーが必要、Facebookなら15万人のフォロワーが必要、そうでなければ忘れさられる "ということね」 オークランド大学教授レベッカ・ファルジアは、2012年に出版され現在も強い影響を持つ書籍『Beyond the Dance Floor Female DJs、Technology and Electronic Dance MusicCulture』の中で、この点を強調している。 エレクトロニック・ミュージックにおけるソーシャルメディアの影響が不当なまでに大きい理由は、業界が新自由主義の利益追求の基盤と一致するようになったからだとし、 「1990年代や2000年代初頭とは異なり(中略)今日、クラブ側は、貴重な経験やスキルが必要とされているにもかかわらず、音楽的な能力を無視して、若い(25歳以下の)有名人やモデルをDJとして雇うことが増えている」と書いている。 特徴的な3ターンテーブルスタイルと予測不可能なセレクションで、最も先進的なDJの一人として評価されているオランダのDJ マルセルは、 概してアーティストはブッカーの意見を重視しすぎており「DJはただのサービス提供者なのか、それともブッカー自身がアーティストなのか」という疑問を投げかけている。 さらに「ブッカーの大半は、そしておそらくアーティストも、"観客を喜ばせる "ことで頭がいっぱいになり、その結果、"一面的なテクニック、格好の良さや気持ち良さ "の追求のみになってしまう」と詳しく説明している。 彼女は、このことは女性にとって危険であると強く訴える。「男性的なDJ形式」の影響から、一面的な紋切り型にされてしまう。つまり、自身の能力を発揮する機会が圧倒的に少ない性差別的な現場では、持続的なキャリアを育むのに十分な個性を持てなくなるのだ、と。 ブッカーに力があることは認めるものの、「こんな考えのブッカーに頼りたいですか?」とも加えた。 しかし、エイジズムは、LGBTQ+のイベントのような、オープンな空間でさえにも蔓延している。 58歳のキャロル・ブシェル(通称BB)は、娘が大学進学で家を出たことをきっかけにDJを始め、6年前に夫のリチャード・ワードとマンチェスターでクラブナイト「Supernature Disco」を立ち上げた。 マンチェスターのクラブRefugeで毎年開催されるイベント「Come As You Are」などのクィアパーティーで、DJとしての立場を問われた例を紹介している。 「『あなた、ここで何をしているの?清掃員?』みたいなことを言われたわ。ほかにも、男性クラバーから「君が出てきたときは本当に驚いたよ。だっておばあちゃんみたいな見た目なのに、すごくダーティーでセクシーな曲をかけていたからさ、ショックを受けたよ」と言われたこともあるしね」という。 DJ マルセルは、このような年齢の偏見に基づくレーベルに対してはゼロ・トレランス(寛容ゼロ)のポリシーを持っているという。 「ブッカーが私を "年配の女性"、さらには "おばあちゃん "としてブランド化したり表現しようとした場合、そのイベントには出ないとはっきり伝えるか、仮にすでにオファーを受けていたならキャンセルする。私はモノとして扱われることを拒否するわ」。 また、世界各国から自分にオファーがあるからこそ、ギグを断る余裕があるのだとも彼女は付け加えた。 DJ マルセルは、自分のプレイに妥協しないことに加えて、フロアから長く愛されている理由の一つとして、自信を持っていることを挙げている。 「私の年齢は長年の経験が自信を深めてくれたことの証でもあるのよね」と彼女は語る。「この年のおかげで、多くの若い女性たちが私をロールモデルとしてくれているのよ」と語っている。 アムステルダムのフェスティバル「Dekmantel」でのセットを終えたばかりのDJ ポーレットも、DJ マルセルの自信に満ちあふれた発言に同意し 「私は他の人よりもたくさんの音楽を知っているし、他の人よりも多くのクラブや国でDJをしてきた。だから、年を重ねたことでDJプレイに大きな違いが出てきているのよ」と語った。 クラブカルチャーに造詣の深い、カナダの社会学者サラ・ソーントンは、高齢クラバーにとってナイトライフに投資することは自らの老化への抵抗であり、高齢のDJにとってクラブカルチャーの中での活動は苦しい戦いになると説明している。 また、ナイトクラブでは、職場での男女差別に対する法的保護が難しく、DJは自営業者であることが多いため、高齢の女性DJが最も強い差別を受けていると言えるかもしれない。 前出のDJスウィーニーは、年配女性に対するブッカーやレイバーの意識を変えるために、男性DJが果たすべき役割があると主張する。 「次の進化は、同じ境遇のベテランも含めて、男性DJの味方が増えることね 」と語っている。 「もし出演DJが(年齢的に)公平にラインアップされていなければプレイしない、と言えるくらいにね」 また彼女は、男性DJが参加すべきものとして、スコットランドの労働組合で重要な役割を担う女性の採用をうながすために開始された2018年の「Step Aside, Brother」キャンペーンを挙げている。 「もし、日々の生活や聴いている音楽が私たちの価値観を作り上げているのであれば、なぜこれらの分野が伝統的に差別されてきた多くの人々によって作られてきたのか?これからもせめぎあうのか? 理解をすることが本当に正しいことだと思うのよ」と彼女は語る。 一方で、Covid-19のパンデミックによる状況の変化は、多くのナイトクラブが地元のアーティストに今まで以上に目を向けるようになったことで、高齢女性DJに対するブッカーの態度を前進させる可能性がある。 そのようなスペースのひとつがマンチェスターのWarehouse Projectである。2021年のラインナップには、市内のローカルシーン出身の年配女性が多く含まれている(DJ ポーレットやBBもその一人)。 Warehouse Projectの創設者であるサム・カンデル氏は、メールで次のように説明している。 「若手からベテランまで個性的なアーティストをラインナップすることで、ひとつのイベントをよりインパクトのあるものにすることができるのです」 しかし、彼はクラブカルチャーにおいてエイジズムは避けられないと認めている。 「エレクトロニック・ミュージックを楽しんできた人々や、それを生業としてきた人々が年を重ねるごとに徐々に排除されていくという考えは、明らかに受け入れがたいものです。しかし残念ながらダンス・ミュージックのように、常にユースカルチャーと密接に関わってきたナイトクラブ業界では、それが頭をもたげてくるのです」 BBは、Supernature社が自分たちを今シーズンのWarehouse Projectに起用したのは、ビジネス上経費節減のためであると考えているが、その一方でパンデミックの間にファンを増やすために費やしてきた自分たちの努力を認めてくれたものだと語っている。 "Supernatureはギグに人を呼ぶ方法を見つけなくちゃいけないから、インターネットで騒いでいる私たちなんて、彼らにとっては都合の良い存在になるわよね "と彼女は言った。 Supernature社は、ロックダウン期間中に、オンラインでの存在感を高めるために投資したことが功を奏したと言えるだろう。 ポッドキャストやラジオ番組でギグを知った人々が、マンチェスターの内外から訪れている。 エレクトロニック・ダンス・ミュージックの年配のファンの中には、パンデミック前にはクラビングをあきらめていたかもしれないが、人生を満喫したいという気持ちが再び芽生え、ナイトクラブの素晴らしさを再発見した人もいるのだろう。 「8月の1回目のイベントでは、泊りがけで遠くから来たという人たちもいたの」とBBは語る。「かなり年齢の女性も何人かいたわ」 イギリス以外では、世代を超えたクラブシーンの存在が可能であることを示している。 例えば、ナイトクラブが文化施設として認識されているベルリンでは、クラビングは、演劇を見たり、アートギャラリーを訪れることと同等と考えられており、若いレイバーたちは、90年代のナイトクラブの黄金時代を経験した人々とも共にパーティーを楽しみたいと考えている。 ライターのジョー・マグスが「Mixmag」で紹介しているように、サウンドシステム文化には、ノッティングヒル・カーニバルでよく見られるような、世代を超えたコラボレーション精神がある。 また、今年のWarehouse Projectでは、Special RequestがChloé Robinson(元Barely Legal)と共演するなど、ベテランDJが若いDJと共演するケースが増えている。 エレクトロニック・ダンス・ミュージックの年配ファンの間でクラブへの関心が高まっていることや、年配の女性DJのブッキングが増えていることなどの変化が起きているが、これらの変化が長期的に続くかどうかは不明である。 また、ジェネレーションZ(1990年代後半から2010年の間に生まれた世代)がベビーブーマー世代(1965-1976頃)やミレニアル世代(1977-1995頃)を非難するなど、社会全体で世代間の緊張が高まってもいる。 しかしダンスフロアとは、そのような断絶を癒す場所であり、我々を隔てるものよりも繋ぐものの方が多いということに気づくことができるかもしれないのである。 ra.co/features/3930 >>1 【全スレ注意連絡】 ※ カクサン希望 コピー自由 長谷川唯は集団ストーカー ↓ご尊顔 写真 7枚 https://imgur.com/a/RCkNcK9 長谷川は、↓にアクセスする人のアカウント情報など探ってくるので注意してください http://pbs.twimg.com/profile_images/1455733006933831680/v8_SVpgy_400x400.jpg Twitter @yuihash https://mobile.twitter.com/yuihash facebook 長谷川 唯(ゆいぽよ) https://ja-jp.facebook.com/yuihash Instagram @yuihash https://www.instagram.com/yuihash/ ・正体は闇探偵または創.価.のネット工作員のどちらかと考えられている ・神奈川県川崎市中原区宮内出身 ・左翼活動家 ・事実無根の誹謗中傷、卑猥投稿嫌がらせや、セクハラAA画像の投稿、セカンドレイプ投稿、監視を告げる投稿を大量にやり、ネットストーキングをやっている ・私立大学職員関係のスレで嘘のテンプレを貼り情報操作。職員志願者を騙す ・佐賀県の小児科医S.Iの悪事を隠蔽ネット工作 詳細は↓ ⚠ 長谷川唯【SEALDs】【左翼】 https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/police/1638086870/l50 no,v.flf 「 長谷川唯 写真家 SEALDs 」にて検索 https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) RA『ウクライナ情勢:支援、情報資源、そしてエレクトロニック・ミュージック・コミュニティからのメッセージ』 2022/2/27 16:55 Carlos Hawthorn 2/24木曜日からのロシアによるウクライナへの全面的な侵攻を受け、RAでは有用なリソース、情報、エレクトロニック・ミュージック・コミュニティからのメッセージを集めている。 ◆最新情報 ・ロシア軍がウクライナ第2の都市ハリコフに侵攻。 ・首都キエフをはじめ、ウクライナ全土で戦闘が続いており、いまだに陥落していない。 ・ウクライナ保健省によると、少なくとも198人が死亡している。 ・数万人のウクライナ人難民が、ポーランドやルーマニアなどの近隣諸国に流入している 新しい情報が公表され次第、記事を更新予定。 最終更新日 日本時間2月27日午前8時10分 ◆支援方法について ※2/26更新 ・世界中の難民を支援する英国の慈善団体「Choose Love」は、ウクライナの人々のために40万ポンドの寄付を予定。 ・ベルリンのOur Societyのクルーが、日本時間の2月27日(日)午後2時からOonaでJASSS、Palms Traxらと共に資金調達(以下ファインドレイザー)イベントを開催。すべてVostok SOSとウクライナの赤十字に寄付される。また、地元のラジオ局Refuge Worldwideを通じてライブストリーミングも行われる。 ・ロシアのレーベルGost Zvukは、PerilaやHoaviなどの楽曲を収録したコンピレーション『STOP THE WAR』をリリース。収益金はすべて「困っている人を助ける人道的基金」に寄付されると、同レーベルは発表している。 ・ロンドンのウクライナ学校「ウクライナ・インスティテュート・ロンドン」はHPにて、ウクライナと国民を支援するための情報を公開。 ・米サンフランシスコのレーベル「ダークエントリーズレコーズ」はテストプレスの売上の100%をハリコフにあるLGBTIと女性の権利擁護団体Sphereに寄付するとツイート。 ・ウクライナのDJナスティアはインスタグラムに投稿し支援を募っている。 「ウクライナ軍への支援、寄付と再投稿をお願いします。 ウクライナと海外の友人たちへ ウクライナ国立銀行が、ウクライナ軍への募金を行うための特別口座を開設しました。どの国の方でも寄付が可能です! この口座はマルチカレンシー(多通貨)です。国際的なパートナーやドナー、あらゆる人、ウクライナの企業や市民からの資金移動のために開設されています。」 https://www.instagram.com/nastia.dj/ For donations in USD:米ドル 国際銀行間通信協会(以下SWIFT) Code NBU: NBUA UA UX JP MORGAN CHASE BANK, New York SWIFT Code: CHASUS33 Account: 400807238 383 Madison Avenue, New York, NY 10179, USA Bank account: UA843000010000000047330992708 For donations in GBP:英ポンド SWIFT Code NBU: NBUA UA UX Bank of England, London SWIFT Code: BKENGB2L Account: 40000982 Threadneedle Street, London EC2R 8AH, UK Bank account: UA843000010000000047330992708 For donations in EUR:ユーロ SWIFT Code NBU: NBUA UA UX DEUTSCHE BUNDESBANK, Frankfurt SWIFT Code: MARKDEFF Account: 5040040066 IBAN DE05504000005040040066 Wilhelm-Epsteinn-Strabe 14, 60431 Frankfurt Am Main,Germany Bank account: UA843000010000000047330992708 ※2/25更新 ・ウクライナのクィアコミュニティとLGBTIQはヘルメットの寄付を切実に必要としているとのこと。 ・キエフのクラブ「クローザー」は、インスタグラムを通じて呼びかけを行った。 https://www.instagram.com/closerkiev/ ・ベルリンのラジオ局HöRが昨日、資金調達(以下ファインドレイザー)のためUKRAINE EMERGENCY FUNDRAISERを開催。セットバックの様子はこちらから。https://www.youtube.com/channel/UCmfF7JZv26UUKyRedViGIlw ・ドイツ、ルーマニア、その他の国々の危機を支援する様々な方法を紹介するリンク集。交通手段の手配、難民の受け入れ、ビザ情報など。 https://linktr.ee/ukrainehelpberlin ・世界中で起きているすべての抗議活動のリスト。 https://www.stopputin.net/ ※2/24更新 • Google Docにて、寄付や危機を支援するためのさまざまな方法が掲載。 https://docs.google.com/document/d/15eTsCgyH8T3OJSka3UFnw5-XgMu40E74d6Sqg4IxRHw/mobilebasic ・ブッキングエージェントのMinor AMが、ジョブス、キャリスタ、DJボーンなどが出演するファンドレイザー配信を開催。2/27(日)15時〜Twitchで視聴可。詳細はこちら https://www.instagram.com/p/CaW8GxgA_sI/ ・キエフのクラブ ∄は、People In Need、Caritas Ukraine、Ukraine Crisis Media Centreなど、様々な団体への寄付のリンクを含むこの投稿をInstagram Storiesでシェア中。 ・また、∄の所属レーベルであるStandard Deviationは、迫り来る人道的危機を支援する基金や組織のリストを公開中。 https://www.instagram.com/_standard_deviation/?hl=en ◆情報資源 ※2/27更新 ・キエフのクラブ「クロ−ザー」は、ウクライナの報道機関、政府の公式サイト、寄付の方法へのリンクを掲載したGoogle Docを共有。 https://docs.google.com/document/d/1fqGfWoCJlkSXsFMX3lzNzMzRufHPhXZqVtZcyo5BMdw/mobilebasic ※2/25更新 •信頼できるウクライナのニュースソース「Babel」。英語版もあり。 https://babel.ua/ru ※2/24更新 ・グーグルマップによるキエフの防空壕の地図を掲載。 https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1nv3QreO1QS5_AmRRNLHXu7u99sKJ6JRR& ;ll=50.364516118496184%2C30.749041696555572&z=10 ・米在住ウクライナ系カナダ人記者Jane Lytvynenkoはツイッターにて、海外からウクライナを支援するための支援団体やリソースのリストをまとめ、拡散を訴えている。 ◆エレクトロニック・ミュージック・コミュニティからのメッセージ ※2/27更新 ・ベルリンのマルセル・デットマン、アムステルダムのSergeらが、インスタグラムにて抗議を表明。 ※2/26更新 ・ダブリンのSunil Sharpe、キエフのcall_super、ベルリンのSallyCやMichail aka Opium Hum、スペインのOscar Mulero、ブリストルのクラブ「モーション」、オランダのDARKO ESSER、 シカゴのDerrick Carter、ロンドンのルーク・スレイターらがインスタグラムやツイッターにて抗議を表明。 ・ロシアのDJダーシャ・ラッシュも、インスタグラムにてメッセージを投稿している。 「すぐに停戦を!多くのロシア国民がこの戦争には反対だ!と言っているのに、プーチン大統領が率いるロシアはその意思を無視しているように見えます。なぜ、そのような声が政府に届かないのでしょうか。プーチンは去らなければならない。彼の政治は建設的というより、むしろ損害を与えています。誰か、狂人とその仲間を止めてください。 p.s ここで付け加えたいのは、どうかお互いを憎み合わないでほしいということです。私たちが受け取る情報はそれぞれ違いますし、考え方も違うかもしれませんが、心の底ではみんなウクライナやロシア、そしてその先の平和を願っているのだと思います。」 https://www.instagram.com/dasha_rush_official/ 2月初旬、この戦争が現実のものとなる前に、ウクライナのクラブ・コミュニティのメンバーは、状況やナイトライフへの影響についての考えをRAにて述べていた。 「冷静な判断と情報提供を〜ロシアとの国境危機とウクライナのクラブ・コミュニティ」 ://ra.co/news/76748 「エレクトロミュージックシーンの分断〜ウクライナ侵攻に対する、ロシア人DJの沈黙」 2022年5月13日TIME誌 アンドリュー・R・チョウ ロシア軍がウクライナに侵攻して以来、ロシアのアーティストに対する文化的ボイコットが欧米で広がっている。 「ユーロビジョン」(欧州放送連合の加盟放送局が開催する毎年恒例の音楽コンテスト)はロシアのアーティストの出演を禁止し、 カンヌ映画祭はロシアの公式代表団を歓迎しないことを発表した。 また、メトロポリタン歌劇場は、スターの一人でもあるロシアのソプラノ歌手アンナ・ネトレプコとの契約を解消し、 同じくロシアの指揮者ヴァレリー・ゲルギエフはヨーロッパとアメリカでの複数の公演から降板させられている。 ウクライナのゼレンスキー大統領は、このような文化的ボイコットは有意義な戦術だとまで賞賛している。 しかし、他の人々にとっては、マッカーシズム的(1950年代にアメリカ合衆国で発生した反共産主義に基づく社会・政治的運動)な ナショナリズムが感じられたり、問題のある人々をターゲットとしたパフォーマンス的な演出とも受けとられている。 このように議論が激化する中、劇場オーケストラの役員や映画祭のディレクターや会場のブッカーは、 現実的な戦争に対する「文化的代理戦争」として、難しい決断を迫られているのである。 その渦中にいるのが、ロシア出身のDJニーナ・クラヴィッツである。 彼女が世界的に最も有名なロシア人ポップミュージシャンであることは間違いない。 この10年間で180万人もの熱烈なインスタグラム・フォロワーを生み出し、「コーチェラ」(世界屈指のアメリカの野外フェス)の メインステージでパフォーマンスを行い、グライムスやセント・ヴィンセントといったアーティストたちとコラボレートしてきた。 常に世界のエレクトロミュージックシーンの中心に位置し、2017年には「Mixmag」のDJ オブ・ジ・イヤーにも選出されている。 そして彼女は長年にわたり、ロシアのプーチン大統領を支持するソーシャル・メディアの痕跡も残している。 2月の開戦後、彼女はインスタグラムに『PEACE』という曖昧な投稿をした後、数ヶ月間SNS上で沈黙を通した。 そのため「ロシアが誇る文化発信の代表格として、自身のSNSをもっと活用すべきではないか」という批判もあった。 5月にはロッテルダムの音楽会社「クローン・ディストリビューション」が、 クラヴィッツのレーベル「トリップ・レコーディングス」との契約を打ち切った。 『倫理的・道徳的な問題に対する見解の相違が原因』だという。 TIME誌は、ウクライナとロシアのエレクトロミュージックシーンの著名なメンバー数名に取材を行った。 ウクライナのDJナスティアやロシアのDJ Buttechnoらは、クラヴィッツの沈黙を批判し、 プーチンとの関係を明らかにして、公的に戦争に反論するよう求めた。 それにもかかわらずクラヴィッツはこの春から夏にかけてヨーロッパと北米で開催される多くの音楽フェスティバルへの出演が決定している。 しかし彼女の擁護派は、彼女は戦争とは無関係であり、言論の自由には「何も言わない自由」も含まれると主張する。 クラビッツのオフィス代表者は、この記事が最初に掲載された5月13日の時点では、この一連の件についてコメントの要請に応じなかった。 この記事の公開後の5月17日、クラヴィッツはインスタグラムにてこの論争に対する声明を発表した。 「一人の人間として、ミュージシャンとして、アーティストとして、今世界で起きていることに深く心を動かされています。 私の母国がどうなってしまったのか、愕然とします」 と7行にわたり書かれていた。 「私はあらゆる暴力に反対します。平和のために祈っています。罪のない人々が死ぬのを見るのはつらいことです」 ・ロシアのアーティストと戦争 3月、ゼレンスキー大統領はロシアのジャーナリストから、世界中でロシアの文化人がボイコットされていることについて質問を受けた。 「本人たちはそれほど感じていないかもしれないが、自分たちがロシアの国際的なイメージの道具であることを理解しなければならない…、 ウクライナで多くの人々が死んでいる中、我々が苦しんでいることは理解できるはずだ」 またゼレンスキー大統領は5月にTIME誌に寄せた独占声明で、女優リヤ・アケジャコワやコメディアンのマキシム・ガルキンなど、 戦争を批判するロシアのアーティストを称賛し、クラヴィッツら他アーティストにも賛同するよう呼びかけた。 「彼らの母国のことであるから黙っているわけにはいかない。彼らが思い口にしたことが正しいことだと、私は信じている」と語った。 「私は社会の分断を提唱しているのではありません。彼らがヨーロッパの普通の市民と団結することを提唱しているのです。 彼らは現実を見すえています。真実を見ようとし、何が起きているかを理解し、分析し判断しようとしているのです」 ここ数年、飛躍的に成長しているウクライナのエレクトリックミュージックシーンのメンバーも、ゼレンスキー大統領と同じ思いでいる。 3月には、レーベル・フェスティバル主催者・アーティストなど100以上の団体が、世界の音楽業界に対し、 プーチン政権に積極的に抵抗しないロシアのアーティストとの関係を断つよう求める公開書簡に署名した。 「ロシアのアーティストのためのスペースを作れば、多くの残虐行為を行っている侵略国を支持することになる」と、 署名活動に尽力したウクライナの音楽ジャーナリスト、マヤ・バクラーノワはTIME誌に語っている。 「ロシアのアーティストたちは無知と沈黙を示しました。 しかし、人々から賛同を得ているのであれば、自分たちのメッセージについて責任を持つべきでしょう」 ウクライナ人DJナスティアは、エレクトロミュージック・カルチャーは特に政治的なルーツがあり、 ロシアのウクライナ侵攻とは相容れられない価値観を支持していると付け加えている。 「レイブカルチャーは常に自由や人権をテーマにしていました。 デトロイトのシーンが、アメリカで起こっていることへの抗議であり、 ベルリンの壁でアーティストがプレイしていたことからも、それが分かります」と、彼女はTIME誌に語っている。 「罪のない人たちが死んでいく。しかし、人々はその責任を負いたくないし、関わりたくないのです」 ・ウクライナのために活動する多くのロシア人アーティストたち ロシア人DJのButtechno、ラッパーのOxxxymironなど多くのアーティストが、 情報ソースにアクセスできないロシアのオーディエンスに対して、 ウクライナへの寄金先や侵攻での残虐行為を伝えるため、自身のプラットフォームを活用している。 しかし、ロシアで声を上げることには高いリスクもともなっている… 例えば、サンクトペテルブルクのアーティスト、アレクサンドラ・スコチレンコは、戦争に抗議したことで最高10年の禁固刑に直面している。 そして、アーティストたちが直面しているのは、ロシア政府からの脅威だけではない。 実際問題、反ロシア・ボイコット運動は、より広範で邪悪な形となり『ロシア恐怖症』に変化しつつあると懸念する人もいる。 ロサンゼルスでは、レコード店のオーナーでもあるDJのEd Karapetyanが、 ロシア人アーティストのレコードの販売を全面的に止めるよう要求され、 LA Times誌に「大家が自分の国籍を理由に立ち退かせようとしている」と語っている。 また2月にはワシントンD.C.のロシア料理店が破壊される事件が発生した。 ・クラビッツのプーチン関連のSNSでの履歴 これらに対してクラヴィツは、思想だけでなく政治的な経緯も含めて批判を浴びている。 スポットライトを浴びている間、彼女はほとんど政治的なものを避けようとしてきた。 2013年にはインタビューで「自分がどうしても黙っていられないテーマに対してのみ、発言すべきだと思う」と語っている。 「ロシア情勢やプッシーライオットの事件についてコメントを求められることが多いのですが、いつも断っています」 (バンド「プッシー・ライオット」のメンバーは2012年にロシアで抗議活動を行ったとして投獄され、 メンバーの一人であるマリア・アリョーヒナは先月、食糧宅配員に変装して国外に脱出) しかし、クラビッツは長年にわたってプーチンを暗黙のうちに支持してきたこともある。 ロシアによるクリミア併合の1カ月後の2014年4月には、銃身から花が咲く銃を持ったプーチンの段ボールの切り抜きを持って、 笑顔で写っている写真をインスタグラムに投稿(現在は削除済み)している。 (クラヴィッツの代理人はこの記事の掲載後、TIME誌に対し、銃に咲く花は平和の象徴であると述べ 「なぜこの切り抜きを作ったのか、フェスティバルに問い合わせることをお勧めします」と付け加えた)。 2016年には、あるレイブにてプーチンのミームをツイートし、 「Don't underestimate a Russki」(露助を甘く見るなよ)と書き込んだ。 (クラヴィツの代理人は「このツイートの文章とインターネット・ミームは何の関係もない」と書いている)。 また、ロシアの実業家でプーチンのライバルの一人であるミハイル・ホドルコフスキーのドキュメンタリーについて、 2011年に映画監督が対象に同情することを彼女は「犯罪者の異常なPR行動 」と批判した。 さらにクラビッツはかつてTwitterで、スターリンがソ連人を2000万人殺したという説を 「この数字は『宣伝者』のwiki情報で、多くの歴史家によって支持されている」と断じたこともあった。 2月下旬にロシアがウクライナに侵攻した際、クラヴィッツはロシア語で「平和を!」と書いた動画をインスタグラムに投稿している。 しかし、この短く曖昧なメッセージは、一部の人から批判を浴び、 特にウクライナ人DJのナスティアは、このメッセージが彼女のプーチン支持を強調したに過ぎないと感じたようだった。 ・エレクトリックミュージック・コミュニティーの反応 クラヴィッツが公の場で沈黙を続けることに(普段は頻繁に投稿している)ナスティアらは激昂し、 エレクトロミュージックフェスティバルに彼女を起用しないように働きかけ始めた。 (ナスティアはクラヴィッツとかつて友人であったが、数年前に個人的な理由で仲違いしたという) 「音楽とは、常に性差別・人種差別・人権などの危機と隣り合わせの政治でもある… 私たちがそんなこととは何の関係もないなんて言わないでね"」とナスティアはインスタグラムに書き込んだ。 「彼女は公の人間であり、これほどメディアに影響を与えながら、2ヶ月間沈黙し、 何事もなかったかのように仕事をこなすなんてことはできない。皆があなたに与えたその影響力に対して、あなたは責任があるのよ。 ウクライナの音楽ジャーナリストであるバクラーノワも、ドイツのポーラーヴィーゼン・フェスティバルなどのフェスや コンサートのプロモーターにメールを送り、クラヴィツのように戦争について沈黙を守っているロシアのアーティストの出演を ウクライナ・シリア・パレスチナなど戦争で荒廃した地域のアーティストに置き換えるよう呼びかけを始めた。 「音楽とクラブは団結の場であり…同時に過激な思想と抗議の場でもある」と彼女は書いている。 「だからこそ、ロシアのアーティストを切り捨てることは、ロシアとその国民にその犯罪を直視させ、 責任を取らせる最も小さな方法の一つなのです」 5月上旬、ロッテルダムの音楽会社クローン・ディストリビューションは、 クラビッツの運営するレーベル「トリップ・レコーディングス」との契約を終了することを発表した。 創設者のセルジュ・ヴェルシュールはTIME誌へメールでその決断を説明し、こう書いている。 「ロシアの名の下に殺人、略奪、強姦、破壊が続いているのに、ニーナは何事もなかったかのように生活を続けようとし、 親プーチンの立場と『ソビエト連邦共和国』に媚びたことを全く反省していない…。 この件へのハウス/テクノ・シーンの無関心と有害なポジティブさは、私たちクローン・レコーディングスが表現するものではありません。 ハウス/テクノ・シーンは、マイノリティのため、恵まれない人々のため、虐げられた人々のために立ち上がりました。 マイノリティや抑圧された人々によって作られたものなのです」 Buttecnhoとして知られ、2019年にクラヴィツのレーベル「トリップ」から楽曲をリリースしたこともある ロシア出身のDJパヴェル・ミリヤコフは、TIME誌に送ったメールでクラヴィツの沈黙を批判した。 「ロシアのアーティスト(特に多くの観客を持つアーティスト)は、自分たちの集団的責任を受け入れ、 歴史を通じてロシアの文化と政治が帝国主義的・植民地主義的なアプローチをとってきたことを認めるべきだ。 黙っていたり『PEACE 』という言葉だけの中立的な投稿をすることは、ロシア政権を支持することと同じで、 ロシアの侵略を支持し、ウクライナの人々を殺すことを支持することになる」 彼はウクライナ人の妻とともに、開戦と同時にロシアの自宅を出たという。 イギリス人DJのデイブ・クラークもインスタグラムでクラヴィッツに対して発言している。 TIME誌に寄せたメールでは、不買運動と、過去の見解に対する責任を問うこととは違うと強調した。 「政治的スタンスを表明していないアーティストを排除することは、危険な前例となる」と書いている。 「しかし、このような戦争を支持する人は、その信念に対して責任を負う必要がある。 クリミアの 『併合』を利用しようとした者も、その傘の中に入ってくるはずだ」 ・クラビッツへの批判への反発 クラヴィッツは現在、米国と欧州でフェスティバルを予定しており、長いツアー中である。 一方、ナスティアの発言は独自の反発を呼び、ソーシャルメディア上ではクラヴィズを擁護する声も聞かれている。 イギリスのDJレベッカは「ニーナを特別扱いするのは非常に不公平だと思う」と書いている。 「言論の自由は、気が進まなければ使わない自由でもある」 また、アメリカのDJダニー・テナグリアは、クラヴィッツが発言することのリスクについて言及した。 「ニーナのような知名度の高い人物がプーチンに反対することを表明することがどれほど難しいことか、自分には想像もつかない。 なぜなら、彼女は間違いなく標的になり、彼女や彼女の無実の親族に何が起きるかは神のみぞ知るからだ」と書いている。 (クラヴィツが2018年末のように現在もモスクワ在住かは不明だが、パンデミックの際にはモスクワからライブ配信を行い、 トリップ・レコーディングスは今もモスクワを拠点としている) ナスティアは、エレクトロミュージックシーンが経済的な理由でクラヴィッツを保護していると主張している。 「誰もが自分の領域で快適に過ごしたい、ビジネスを継続させたいと思うものです」 また、他のジャンルに比べてこのシーンのオーディエンスは若者が多いため、 このような問題に関心を持ってもらうことが難しいとも語っている。 「クラシック音楽なら、どちらかというと自分の立場や意見を持った大人向け。 エレクトロニック・ダンス・ミュージックは、どちらかというと楽しむためのものです。 何も考えたくない、こういう話題から遠ざかりたい、ということなのでしょう」 ナスティアとクラヴィッツは共に、5/28にデトロイトで開催されるMovement Music Festivalにブッキングされている。 当初ナスティアは、このフェスティバルの主催者に対し『ウクライナ侵攻について声明を出していないロシアのアーティスト』が出演する 他のフェスティバルと同様に、辞退を申し出たという。 しかし、最終的に彼女は、ウクライナを代表するためにフェスに参加することを決意した。 「このフェスティバルで国を代表するのは私一人。DJブースでウクライナの旗を掲げることが重要なのです」とメッセージを寄せた。 フェスティバルの担当者は、現在コメントの要請に応じていない。 RA 2022/05/22, 07:30 Carlos Hawthorn ニーナ・クラヴィッツが、今後数週間に予定されていた3つのフェスティバルに出演しないことが分かった。 ハーグのThe Crave、デトロイトのMovement、ドルトムントのPollerWiesenが、この2日間にそれぞれ公表している。 ヨーロッパのフェス側は自分たちが決定したと発表、Movementはロシアのアーティストに責任を負わせたとしている。 いずれも理由は明らかにしていない。 『ライフ・イズ・ワンダー 〜レンズマン&レッドアイズ/インタビュー』 By SAM YATES / 28 SEPTEMBER 2022 今作は二人の共同作業である。 The North Quarterの最新作では、リキッドドラムンベースのスタンダードとなった2人のプロデューサー、 レンズマン(以下テイエ)とレッドアイズ(以下ジュリアン)によるチームワークが披露されている。 この2人は過去にも何度かコラボレーションを行っており、90年代後半のジャングルや2000年代初頭のリキッドファンクから 影響を受けた「High & Low」「Gotta Change」「Hold Tight Girl」といったトラックを発表している。 そして今回、さらに大きなプロジェクトが始動した。4曲(+インストゥルメンタル1曲)のトラックは、 リキッドサウンドが最初に爆発した頃のワンダーイヤーズを思い起こさせるというコンセプトに基づいている。 当時のサウンドを実現するために、テイジとジュリアンは、サンプルをカットして新しいメロディーを作りブレイクビーツを重ねながらも、 複雑過ぎず感情を出し過ぎないという、かつてマスターしたテクニックにこだわっている。 このように長く活動してきた二人は、ループと回転を繰り返す魅惑的なサウンドを作り続けているのである。 たとえば「Wet Like Water」や「Busters」では、繰り返されるリフを何時間でも楽しめるほか、 DJセットにも最適なバリエーションに富んだトラックが収録されている。 ファーストシングルの「Playing It Off」はインストゥルメンタルの「Ohrwurm」と同じ原理で構成され レーベルからのデビューとなるPrivate Joyが素晴らしいボーカルパフォーマンスで盛り上げている。 テイエはライデン(オランダ南ホラント州の都市)で、ジュリアンはトゥールーズ(フランス南部の都市)で ジャングル・サウンドにそれぞれ出会った。その2人がめぐりあい、互いを刺激しあって最高のドラムンベースを生み出したというこの偶然を 評価しないわけにはいかないだろう。 UKFは、2人の関係がどのように発展してきたのか、そして長年にわたる切磋琢磨について、さらに詳しく迫った。 ―2009年にIntegralからリリースされた「High & Low / Thieves In The Night」で、 二人は初めてリンクしたことになりますね。どんな経緯で出会いましたか? テイエ:最初に会ったのは、俺がジュリアンをブッキングしたときだったと思う。 前に地元のライデンでダン・ステツォとスカーっていうDJと一緒にパーティをやっていたんだ。 その夜はFeverというパーティで、ソウルフルなドラムンベースをやるつもりだった。 そこである日、ジュリアンとクラッグス&パラレルフォースをブックしたのさ。 その日はFIFAワールドカップ2006初日で、その夏で初の猛暑日だった。俺の家でみんなでサッカーを観たのを覚えてるよ。 ジュリアン:そうだったよな。イングランドかどこかの、無得点みたいなダルい試合だった。 テイエ:みんな外で飲んだりサッカーを観たりしてたんで、誰もクラブに来なかった。ハコの中は本当に静かだったよ。 ―記憶に残る夜というものは、必ずしもビッグイベントである必要がないのですね。 では、Integralのリリースのかなり前から連絡を取り合っていた…。 テイエ:そうだな、ジュリアンと俺は自分たちの好きな音楽について、ただクリックしあうだけだった。 当時、俺はすでに曲を作っていて、NookieのレーベルStrictly Digitalとちょっと契約していたかもしれなかったけど、 ジュリアンはそういうのも本当に受け入れてくれて、助けてくれたね。 Integralのリリースの前にも曲を出そうとしたんだけど、その時はリリースされなかった。 その後も連絡を取り合ってトラックを作り続けて、SpearheadやIntegralからリリースされるようになってね、 それで「High & Low / Thieves In The Night」みたいなことが起こったってわけさ。 ―いいですねえ。それ以来、二人で多くのコラボレーションを行ってきました。 そのコラボレーション・プロセスは、どのように発展してきたのでしょうか? ジュリアン:バージョン数を少なくするのは、だんだんうまくなってきたと思うんだ。 最初の数曲は20バージョンくらいあったような気がするけど、ここ最近は4、5バージョンで釘付けになるし。 年齢を重ねるごとに良くなっているのかもしれないな。 テイエ:それに自信もついた。 ジュリアン:そうだよな、自信マンマンだし、よりシンプルにしているつもりだよ。 曲を作るのに時間をかければかけるほど、その曲の持つエネルギーが失われていくことがよくあるんだ。 今は時間が無いから効率よくやらないといけないし。 テイエ:そうだ、確かに作業時間は少なくなった。でも「Wonder Years EP」では、最近書いた曲をベースに、 自分たちが何をしたいかという明確なアイデアがあったと思うんだ。 特に「High & Low」はソウルフルなドラムンベースにジャングルのエネルギーを再び取り込もうとしたもので、 その延長線上にあるようなものだったし。「Hold Tight Girl」や「Gotta Change」も同じだね。 ―作業入るときに、それぞれ得意なことはありますか? テイエ:いろいろあると思うけど、今回のリリースではジュリアンがたくさんのアイデアを持っていて、それを俺が作って、 そのうちのいくつかは別のものになったね。でも、それはプロジェクト次第ということだな。 音楽的に気が合うから、一緒に仕事をするのはとても簡単なんだ。曲の方向性で大きな意見の違いはまず無いし。 どちらかというと、そのときどきの気分やインスピレーションで決めることが多いね。 音楽的なドラムンベースでは、パズルみたいにフィットするピースを探そうとすることが時々あるな。 長い時間をかけてピースを探すこともあれば、すぐにピースがはまることもある。 だから、その部分で誰がツキを持っているかってことだよな。 ―そういう意味ではコラボレーションとは効果的?二人でパズルのピースを探しているようなものですよね。 テイエ:ああ、その通りだね。 ジュリアン:このEPの時もそうだったけど、すべてがかなり早く進んだな。テイエは4週間で4つのトラックを完成させたし。 能力やクリエイティヴィティが無いと、何ヶ月もかかることさえあるし。 テイエ:ああ、あっという間だったよ。それまでは話すばかりで、あまり動かなかったけれど、 ある時突然すべてが一つになったような感じだった。 俺が思うにクリエイティビティってものは、ちょっと予測不可能だよな。 でもインスピレーションを感じたら、すぐに何かを変えることができる。 ―「ワンダー・イヤーズ」というコンセプトが、お二人にとってプロジェクトを完成させるために役立ったと思うのですが、 そのことについてもう少し詳しく教えてください。 テイエ:音楽的なコンセプトは、ジャングルのエネルギーを注入することだった。 90年代後半から00年代前半のファンキーでソウルフルなエネルギーさ。 EPにはいろんな時代やコンセプトがあるけど、重なるのは、レコードを買ってDJを始めてプロデュースをしようとした、 俺たちの「ワンダー・イヤー」なんだ。アーティストとして強く印象に残っているものって、あるだろう? ジュリアン:90年代後半はジャングル、2000年代前半はCalibreやTotal Scienceみたいなソウルフルなドラムンベースにも出会えて 俺たちにとっては本当に「ワンダー・イヤーズ」だったんだ。 テイエ:そうだよな。最近のソウルフルなドラムンベースは、かなり冷静で感傷的で、内省的ですらあるように思う。 俺たちがやりたかったのは、もうちょっと剥き出しで、パーカッシブで、エネルギッシュなものだったんだ・・・。 ジュリアン:そして、DJとしてプレイできるもの。 ―特に「Busters」と「Wet Like Water」はそうですね。シンプルでソリッドなループです。 2000年代初期の「シンプルな時代」の雰囲気をうまく再現していると思います。 テイエ:サンキュー。 ―そんなダスティなループはサンプルから取り出しているんですか?それとも自分たちでエンジニアリングしているのでしょうか? テイエ:サンプルはいくつか使っているね。例えば「Busters」と「Playing It Off」のコードは、最初はサンプルだったけれど、 俺とジュリアンがリフになるように弾いて、プラグインなんかを使っていろんな音にレイヤーしたんだ。 俺たちはサンプリング出身だけど、最近はすべて合法的にやろうと思っていて、 サウンドパックやセッションミュージシャンを使っているんだ。 ジュリアン:そうなんだ、シンプルなキーを切り刻んで遊んだだけだよ。コンセプト通り、グルーヴを作るだけだった。 90年代のソウルフルなディープ・ハウスに似てるね、キック、ハット、キーっていう基本的なやつ。 「ワンダー・イヤーズ」の曲を聴いていると、このころの古いハウスを思い出すよ。 ―そのシンプルさを保ちつつ、いかに面白くするか、ということですね。 テイエ: フィルタリングやオートメーションで、例えばコードに動きが出るように、音でたくさん遊んでみたんだ。 そうすれば、オリジナルのリフは繰り返しが多いけれど、生き生きとしたものになるね。 ジュリアン:ああ、そうだ。フィルターで遊んで、曲の動きを常に保つことで、ジャズみたいな雰囲気を出すこともできるし、 生の演奏に近い音にすることもできるしな。 テイエ: ジャングルの場合、必ずしも複雑なリフを作ろうとする必要はないんだよ。 というのも、狙い通りにしようとしてもエネルギーが散漫になってしまうから。 それは、ヒプノティックなリズムになるようなトライバルなものだよ。 パーカッションを重ねることで、コードと一緒にまるで催眠術みたいなドラムループを作り続けることができるんだ。 ―つまり、気に入ったループがあったら、それをできるだけ長く引き伸ばし、 動きをつけながらヒプノティックのようなリズムを実現するということですか? テイエ:そうだね、元のリフから離れすぎず、プログレッシブになるような動きやレイヤリング。 あまりにも多く違う方向へ行くことなく、それを拡張していくっていう。 ジュリアン:これが、サンプルを使って曲を作るときの問題なんだけど、サンプルの長さに制限されるんだよな。 ゼロから何かを作るのとは違って、終わりが無くてどんな方向にも行ける。 ―ある種の知恵ですね。 テイエ:そうだな、音楽を作る方法ってたくさんあるよ。でも、このプロジェクトではこうしてやりたかったことだった。 ジュリアン:あと、俺たちはヒップホップ出身でループやサンプリングが身についてるから、今さら違うことをするのは難しいよ。 ―これだけ長く続けていますが、お二人はどのようにして、その変わらない姿勢を保っているのですか? インスピレーションはどこから来るのですか? ジュリアン:DJからプロデュース、そしてレーベルのオーナーまで、もう20年近く続けている。いろいろな形で忙しいんだ。 家では親父だし、仕事にレーベル運営、その他のこともやっているから、クリエイティブな時間は少なくなっているな。 それでもクリエイティブな時間があれば、それを最大限に活かせるようにできる限りのことをしてるつもりだよ。 このモードなら2週間で10曲は作れるし、たくさんのアイデアやスケッチで仕上げることもできる。 それでも、3、4ヶ月かけても何も生まれないこともある。だから、もう無理はしないな。 前はそんな時には頭の中で「もう音楽を作るのは無理だ」っていう小さな声がして、 悲しくなったこともあったけれど、今は無視することにしているよ。 その間にレーベルの管理業務をやったりさ、DJの仕事も増えているしね。 テイエ:俺もジュリアンと同じで、クリエイティブウィンドウがあるな。 Satlのように、24時間365日絶え間なく機械のように書き続けている人間もいるけどな。 俺の場合、1年のうち何度かインスピレーションが湧く時があってね、その後にはあまり湧かなくなることがある。 電池のみたいなもので、たくさん曲を書いたら、またインスピレーションが湧くまで充電する必要があるんだな。 でも、それは常にあるものだと思うんだ。 プロデューサーとして、いつもモチベーションを保つために新しいチャレンジをするようにしてきた。 例えばレーベルを立ち上げたことは、自分にとって長い間に大きなモチベーションになったし。 あとは…自分がここにいたんだぜってことをみんなに知ってもらいたい、という感じかな。 それが長いキャリアでの原動力の一つ。自分がこの世にいる間に、何らかの形でインパクトを残して 「俺はここにいたんだぜ」と言えるようなことをしたいんだ。 ―では、いったんそこから離れた時に、クリエイティブなタンクを再び満たすものは何でしょうか? テイエ:俺の場合、他の音楽を聴いたり映画を見たりして、そんな気になることって滅多にないな。 ちょっと休んだり、充電する時間があったりすると、また意欲が湧いてくるという感じだよ。 どう表現していいのかうまく言えないけれど、時間の問題かな。その時々で変わっていくっていう。 ジュリアン:20代とか30前半の若い頃は、とにかく毎日やっていたけど、実は無理をしていたから、 あまり良いトラックじゃないのも多かったな。 歳をとって、曲作りのプロセスとか無理にやらないということとか少しずつ分かってきた。 テイエが言っていたように、 Satlなんかは毎日曲を作っていて、しかもそれが全部良いんだ。 俺の場合はいつも、ひとつ良いやつができたら、次は数カ月後という感じでね。 でも、そこまでの間でもまだ勉強中なんだよな。 テイエ:その点は、人それぞれだと思うね。 でも、あまりに曲を書きすぎると、気持ちがこもっていない時でも、自分を出しすぎてしまうような気がするんだ。 俺は心の底から書いてるから…誰でもそうだと思うけど…、俺は自分の内側で感じたことを書くようにしているし、 そのことであまり消耗したくないんだよ。 ―場所や環境がプロデューサーにどのような影響を与えるのか、いつも興味があります。 トゥールーズとマンチェスターは、素晴らしいドラムンベースを生み出す街としてとても有名です。 これらの都市がなぜそのようにアウトプットできるのでしょうか? テイエ:実はマンチェスターって住んだことないんだよ。 大勢のみんなが、ドラムンベースをやってる俺たちとつながりがあると思っているようだけどさ。 マンチェスターの「The Northern Quarter」(以下TNQ)と俺たちのレーベル「The North Quarter」は全くの偶然なんだ。 ―ああ!「あそこでステマしてたのかー」と何かで読んだことがありましたが!これは記事に残しておくとスッキリしますね…。 テイエ:レーベルはね、俺が音楽に目覚めた場所であり熱狂的で情熱的だった初期の頃を表していると思ったので、この名前にしたのさ。 でも、残念ながらマンチェスターとは何の関係もないんだよな! それでも、マンチェスターとうちのレーベルの間には、これまでに参加したアーティストを通して、本当に強いつながりがあるんだ。 それ以前にもMarcus IntalexがFoxやDRSのようなマンチェスター出身のアーティストをたくさん紹介してくれたよ。 Children of ZeusからはIAMDDB、KinKai、Akemi Foxを紹介されたし。 レーベルで何本かビデオを撮ったFaroは、Abnormal Sleepzを紹介してくれた。 Abnormal Sleepzは、HMDを紹介してくれたってわけ。 ジュリアン:終わりがないんだよ。常に新しくてクリエイティブな人材が集まってくる。 テイエ:そう、あそこの「水」には何かあるよな。あいつらはいつも仲間が来るのを助けてくれる。 ジュリアン:誰よりも自分が成功しようとする奴もいる。 でも、あいつらにとっては、新しい奴をステージに立たせることが目的なんだよ。 テイエ:ああ、あいつら本当に自分の損得じゃなく、みんなに勝ってほしいと思っているんだ。 それがマンチェスターとのつながりなんだ。 ―ではトゥールーズについて…そこの「水」はどうなっているんですか? ジュリアン:それは、あるクラブと、ある男から始まるな。 Le Lutin…そいつはトゥールーズにある「ル・ビキニ」っていう有名なクラブで、 ロンドンから買ってきたレゲエとダブをプレイしてたんだ。 その後、そいつはジャングルに出会ってそれを持ち帰って俺たちのためにプレイしてくれたのさ。 よそではロック系の音楽が多かったけど、そこでジャングルを流し始めたらパーティーが熱狂的に盛り上がってね。 フランスでジャングルやレイブが流行っていたのはここだけだったんだけど客が1000人くらい入って、みんなハマっていったんだ。 でも、9.11のNYテロの直後に、近くの化学工場の事故で「ル・ビキニ」が壊れちまってさ。 その後に若い奴らがまたこのクラブに来るようになるまで、ずいぶん時間がかかったな。 そこでMontyやVisagesがドラムンベースを見つけて、さらにそれを押し進めたんだ。 このクラブがあって、たくさんの良いプロデューサーが来てくれたのはラッキーだったと思う。 テイエも何度もブッキングされたし、CalibreやIvy Labもそうだね。 ―トゥールーズにはドラムンベースの特別なフレーバーがあって、その歴史と背景はとても興味深いですね。 The North Quarterのフレーバーも同じく独特で特別なものです。今後のレーベルの方向性について、どのように感じていますか? テイエ:レーベルと今の状況には本当に満足しているよ。 レーベルを始めたころは、もっとおごそかでソウルフルなものをイメージしていたけれど、 今はもっとバリエーションが広がったと感じるね。 例えばFDの場合、あいつは最初に契約したアーティストの一人だったんだ。 今思えば、あいつのソウルフルな曲を中心に契約していたんだけど、あいつはそういうのも好きだけど 「クリエイティブな自由」や「アーティスティックな自由」という意味では、もっとヘビーなものもやりたかったんだろうね。 そんなあいつの一面を受け入れる必要があったんだよ。 その点では、多様でオープンマインドであることが重要だと、時間をかけて学んだね。 ピアノローラーだけではつまらない。多様性も重要だけど、同時にクオリティも徹底したいと思ったのさ。 それも想像をはるかに超える成功だったよ。初めはどうなることかと思ったけれど期待以上だった。 レーベルに所属するアーティストたちとは本当にハッピーな関係で、家族のような雰囲気でさ、 みんな仲良く互いのサウンドを応援し合っている。 これ以上望むことはないよ。 ―1年目を迎えたレーベルに少し触れてください。これまでの歩みを振り返って、いかがですか? ジュリアン:遅いんだよな、本当に遅いんだよ。EP2枚とシングル1枚の計3枚をリリースした。 でも、今、たくさんのアーティストがEPとかを作っていて、ほぼみんな同時に出来上がるだろうね。 だから、来年はもう少しアクティブになれると良いよな。 でもファミリーだからさ、The North Quarterに関わり続けたい。 だから、そのバランスを取りながら、TNQとは違うものを作ろうと思っているんだ… それは簡単なことじゃないよ。TNQは自分とって素晴らしい場所であり、完璧なんだよ。 でも、俺には友人が何人かいてさ、俺たちでFive Alleyレーベルを社会正義を中心にしたものにしようと思っているんだ。 ―レンズマンとTNQは、あなたにとってアドバイスやインスピレーションの源泉になりましたか? ジュリアン:こいつの成長ぶりは素晴らしいよ。俺に大きなインスピレーションを与えてくれたし、 最初から最後までクオリティが高くて、良いお手本さ。 テイエはプロデューサーの能力を最大限に引き出すことも上手くてね、その点でも、アドバイスで刺激を受けるしね。 最初は自信がなかったけれど、今じゃ俺が周りにアドバイスしたりしてさ、みんな本当に喜んでくれて、 良いフィードバックをくれるようになったと思うよ。 ―いいですね。もうすぐFive Alleyの続きを聴けるのが楽しみです。お二人はもっと一緒にやるんですか? テイエ:ああ、やるよ。俺たちが作っていた曲のいくつかはEPには入らなかったけど、それでも満足しているんだ。 これからも一緒に仕事を続けていけたらと思うね…。 ジュリアン:俺たち死ぬまでな! ―最後に、今後の予定についてお聞かせください。 テイエ:ジュリアンと俺とFoxと一緒にバーミンガムの「Hare & Hounds」でプレイして、 その次の週の10月7日には「Village Underground」で今までで一番大きなライブをやるんだ。 10月20日にはアムステルダムのADEに参加する予定だね。音楽に関しては、自分のカードは胸にしまっておきたいんだけど、 近々エキサイティングなことがたくさんあるんだよ。 tps://ukf.com/words/life-in-wonder-an-interview-with-lenzman-redeyes/34537 GRACE presents LENZMAN JAPAN TOUR @CIRCUS TOKYO 2022/10/15 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる