ヴァイキングの歴史
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ヨーロッパを震撼させたヴァイキングについて語りましょう >>98
北に行くと農耕ができないので、自然と略奪が増えるだけだろ。
>>98
ヴァイキングも海戦ではスペイン人に歯が立たなかったらしいよ。
イギリスで虐殺されたヴァイキングの骨が発見されたって 腕力だけで征服に行けるなんてこと、世界は甘くなーんだよww >>103
漁業は無視?
酪農も無視?
それらを使った交易も無視?
そうですか。
一から世界史勉強し直せ。 >>104
スペインというとゴート人?
ムスリム? ロシア人はスウェーデン人の事を蔑称で
ダーティヴァイキングと呼ぶ スヴェーア族はデーン族のように大海原へ航海に行く事はなかった
川を小舟で行き来したり歩いたりして
スラブ人を従わせて国を作ったりグルジアに傭兵として雇われたりしただけだった >>111
ダーティもヴァイキングも英語発音なんだがねぇ?w >>113
しょうがねえだろ
youtubeでロシア人ども
スウェーデン人と罵りあうときいつもそう言ってんだから
多分ロシア語の罵りもあるんだろうけど >>115
まっとうな朝鮮人なら「倭奴(ウェノム)」という立派な侮蔑語を使うもの。w
俺は取引先でいわれたことがある。 >>114
ロシア人が作ったらしい、プーチンが北欧のスキー選手を狙撃しようとするネタ動画では
「あのニェーメツを殺るぞ!」とか言ってたような
ロシア語のサイトとか見ると英語の語彙を結構そのまま取り入れてるよね >>117
ニェーメツって元は「つんぼ」の意味だっけ?言葉が通じない外人に広く適用できる蔑称だな。
それにしても、ロシア人って恨まれこそすれスウェーデン人を憎むような立場にあったっけか?
グスタフ3世に手酷くやられただけで、その仕返しはちゃん済ませてんじゃんよ。 >>118
スウェーデンとは歴史上何度も戦争している
仕返しはしているが
多くの場合、スウェーデンより多くの兵力を持っていながら
スウェーデンより多くの死者を出していたりもする。
だから仲が悪い
日本と中国韓国並み、もしくはそれ以上 >>118
ロシアの起源自体、スウェーデンヴァイキングと深いつながりにあるし、
スムータの時にポーランドと並んでロシアを引っ掻き回した国でもある。
スウェーデン・バルト帝国時代もロシアと何度か戦争してるから割りと、
因縁深いかもね。それにピョートル1世が散々苦戦した相手でもあるし。
まぁ、ピョートル1世の時は勝てたけどね。ナポレオン戦争以降はあまり、
目立った対立はなかったけど、前近代は結構色々関わってるんだよね。
>>115
>中国人や韓国人だって普通にJAPていうよ
これは「略語だと思ってた」なんて言い訳はできんね。
スラブ人にとってはゲルマン人は最も身近な
言葉のわからない異民族だったんだな
語族が違うフィンウラル語族やバルト人だって
ニェーメツと呼ばれてもいいようなのに ゲルマン→ヴァイキング→北欧・スラブ
同じ系列なのになぜ仲が悪いのか 中世のノヴゴロド公国の兵士たちなんかもネヴァ河やチュード湖の氷の上で
「ニェムツィ死ね」とか叫びながら戦ってたんだろうか スラブは明らかに
ゲルマンノルマンとは系統が違うだろう スラブ人だって侵略者として入ったんだから、歴史は順繰りだよ。 ヴァイキング共はクール人に略奪を受けてたんだってよ ムロム、メリャ等フィン系の種族は東スラブ人の植民の波に飲まれて消え
その東スラヴ人はヴァイキングの王朝にずっと支配され
ヴァイキングの本拠地のスウェーデンはフィン系のエストニア人の海賊に略奪され・・・ 熊野 聰氏がばんばん本を出してくれるとうれしいんだが >>131
去年は「続・サガから歴史へ」だね。
年だから弟子に期待したい(いればだが)。 谷口幸男のエッダとサガを今読んでいるが面白いなこれ。
むかしから首を斬られた後に瞬きできるか確認してくれなんてやりとりあったんだな ヴァイキングの船って高さがないから、背の高い船に飛び移れないので
海戦に不向きだよね。でも、日本語だとヴァイキング=海賊になるね。
言葉だけ聞くと海賊ってイメージがすぐに沸くけど、戦闘に関しては地上の覇者ってイメージ
あんな船で北海を渡るような狂った戦士達だから海での襲撃でも何か思いもよらない手を使ってたのかもな・・ 強襲揚陸艇によるゲリラ戦法だから、遠洋航海とか海戦とか無理だろ。触角ないし。
>>142
弓で射られているけど、盾を使用しない。お茶目さん。 もしもソクラテス一派がヴァイキングだったら
アイスランドは哲学の島になっていたのかな >>72
wikiを見てみたら、スウェーデンヴァイキングってロシアの河川を利用してカフカス・ペルシャ方面と交易してたとか。すげえな。
ヴァイキングやルーシ諸国を調べると、ものすごく風の谷の辺境諸国の雰囲気がする。
宮崎駿はこのあたりの民俗や景観が好きだったのかな。 バイキングが北米大陸まで行ったと言うのは本当かな。
ポリネシアンがハワイまで丸木舟で渡っているから有り得んこともないけど。 >>146
一応証拠発掘されてるんじゃね?
イギリスではデーン人の支配地域だったイングランド北東部の住民は他地方の人間から「あいつらヴァイキング」と呼ばれてるんだよな。なんかド田舎もんみたいにw
いや、アングロサクソン人もローマ様から見れば同じ北の蛮族ですからww ニューファンドランドのランス・オ・メドーで
当時アメリカには存在しえない金属片が出てるらしいね イギリスは意外と、南部のワイト島もデーン人の定住地で、ノルマンディーと交流があったみたいだね。
で、ノルマンディーのノルマン人はイングランド征服するまでどの程度フランス化してたのか疑問なんだよ。
程度に関しては説が分かれるようだから。 ミクロ的にみると現地人との通婚がフランス化の程度を決める罠。
自分らの中だけで結婚出産をくりかえしていたら他集団の風習が入りにくく、
言語も親のをうけつぐからそのままになる。
ノルマンディーに住み着いたバイキングは大規模に家族ごとやってきたというよりは、
男衆が比率的に多いだろうから、現地のフランスの農民の嫁もらうだろう。
で大雑把に900年-1070年で80年ほど、20才で子どもうむとして定住4代目ですわ。
この間 北欧からの女の供給<<現地の女の供給 なわけで
毎世代フランス人と混血するのだからイングランド征服の時点で
ほぼフランス化してるんでないの。
バイキングの側に異民族との結婚を忌避する観念があれば
それもある程度抑えられるが、農民兼商人兼盗賊の野郎どもに
そういうの高尚なもんはないでしょ。 初期のキエフ公国とかノヴゴロド公国とかも指導者はヴァイキング系なんだな。 割合、他の人種も受け入れてたみたいね。
過去、明らかに東アジア出身(中国か日本?)と見られる族長とその家族の墓が発見されてる。家族は、当然ながら東アジア人との混血。 川をさかのぼることについてだけど、
当時の川って蛇行がすごい、よくあんなにジグザグに進み続けたなと思う、
遡行だし精神的にきつい感じがするけど、
パリに侵攻したっていうけどあの辺の蛇行は今でもすさまじい、 >>151
イギリス王室
フランス王室
ナポリ王室
キエフ公国
EUの列強はすべてヴァイキングの派生国? キエフやノヴゴロドの指導層がヴァイキングだったというのは非常に眉唾。
ヴァリャーグやリューリクについては、2つのパターンのどちらか、あるいは両方だと思う。
1.ヴァリャーグはスカンジナヴィア出身の部族ではなく、バルト・スラヴ系の人々で、スカンジナヴィアのヴァイキングなどと交易は行っていたため習俗の一部を採りいれた。
2.リューリクは、実権を持つ地元の指導者たちに便利な御神輿として担がれた。これはスラヴ人の諸国ではよくある。 156からさらに進んで、個人的にはヴァリャーグはバルト語派の系統の部族ではないかと思っている。
バルト語派の部族は、東スラヴであるルーシ諸部族と直接利害対立がなかったため、その長のリューリクが御神輿として担がれた。
この現象はのちのリトアニア大公国でもみられた。
リトアニアの大公家はバルト系だが、政治の実権は圧倒的多数派である東スラヴのルーシ人たちがガッチリと握り、公用語も教会スラヴ語だった。
キエフ・ルーシの状況はこれと同じだったと思っている。 ビザンツ以外ではルーン石碑が主な史料なんだから
ほとんど疑いの余地はないんだが。 >>153
案外、ミクラガルドとか。
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イル・ド・フランスあたりのセーヌ川って、蛇行が厳しいの? ルーン石碑は資料として使えない。
というのも6世紀のヨルダネスの時代にすでに北欧関連の歴史捏造がおおっぴらに行われていて、
考古遺物の発掘状況と矛盾しまくりで、
ルーン石碑はその後の時代に盛んに建てられていたものだから何をかいわんやの状態。 いまどきルーン石碑の内容を史料扱いしているのはウィキペディアぐらい。
あそこの英語版の北欧・ゲルマン関連の記事の政治運動化ぶりはひどすぎる。 俺はこんな業績を上げたぜ、とか刻むようだが
スラブはあんま刻まなかったのか? >>161
ヘアピンカーブの連続だよ、
ほっといたら三日月湖がいっぱいできちゃいそう。 >>164
スラブ系社会は長く日本の稗田阿礼のような誦習の習慣があった。
それは文字を使うようになった後もしばらく続いた。
またモラヴィア王国時代までの古い時代の文書は教会によって破棄されてしまった。 >>155
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/ ヽ そうでない国もある
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ヽ____)ノ \ ■/ / ヽ、 卑しく醜いslavにとって麗しきvikingは羨望の対象。ゴキブリと白鳥。 >>155
フランスのどこがヴァイキング系列なん?
あとナポリは列強と言えるのか?
仮に国家としては19世紀まで長く続いたことを評価しても途中でブルボン家系に乗っ取られてるからヴァイキングとは言えないでしょ
まあ中世ではヴァイキングの血統は確かに強かったけどね >>156,157 男系子孫から導き出されたリューリクのY-DNAはウラル系やシベリアに多いN
ウラルでもパンノニアに行ったマジャールには少なく、むしろ現在バルト系の方がハンガリーより割合が高い
やっぱりリューリクはバイキングではなかったかな。少なくとも父系では。 勿論サービスするよ!?♪。
当然応援するよ!?♪。 スラヴ人の他民族同化力は異常。
しかも注意して見ると、同化は武力や脅しでもって強制していないのがわかる。
スラヴ諸民族の政治史に共通しているのは、支配層が閉鎖的でないこと。
そういう、ある意味非常にリベラルな社会的伝統のためだろうと思う。 >>172
どこのスレにも同じような書込みするなバカ! 基本農民で、出稼ぎ商人兼ヴァイキング。
この形態だと、
強い騎兵を作れない。
ギルドを形成できない。
都市を造れない。
から、ヨーロッパの歴史発展から考えると中世で脱落するのは
必然だよね。 >>168
あれ?皆はルーシ=ヴァイキングではないと言ってるのだから
同列視すること自体に意味がなくないか?
そもそもソ連では認めてない風潮が合ったらしいく
その後継であるロシアもスラヴを重視しているのだから
ゴキブリか白鳥かはさておきヴァイキングとは違うという論調は願ったり叶ったりだろうな ヴァイキングの要塞は4つ発見されていて、
シェラン島のトレレボー
北ユトランドのアガースボー
東ユトランドのフィルカート
フュン島のノンネバケン
これら合計で4000人を収容とされる。
ということは、ヴァイキングの襲撃は、1000人程度の規模? カール大帝がイスラム教徒と戦った時
3000人くらい集めて史上空前の大軍団とかいう話になってたから
1000人規模でヴァイキング襲撃したらえらいことだな トレレボーは、多くが倉庫で、居住の形跡がないから、
要塞説は疑問視されているみたいだね。
残りの3つも同じで、実は穀物貯蔵拠点だったという落ちだったりして。 >>178
1隻で60から80人だから20隻ないね。 スヴェン王から始まるイングランド征服だと、どれくらいの規模だったんだろうね
もし万人レベルまでいってたら、到底ふせげるものじゃなかったって感じになるねぇ ライン川の奥まで進んでるジャン
あえて言えば、エルベ川には全く手をつけてないね
あのへんは、地元に近いから以前から友誼関係にあったりしたのかな 北欧だと結構な数のイスラム銀貨が出土してるからエジプトじゃなくてシリアとかバグダット方面行ってると思われ ビルカの墓の埋蔵貨幣
800−820年が最多、その後減少、10世紀末に皆無。
フィンランド湾からキエフ、ヴォルガ・ドン川流域でも同様。
ディルハム貨の出土量の減少は、イスラム世界の造幣力の変化
だけとは思えず、ヴァイキング側との交流がなくなったと理解されてきた。 奴隷しか取れないような儲からない所はあんまり深入りしないのかな >>186
ディルハム貨に対してビザンツ貨は少量しか発見されていない
ところが疑問に残る ハザール王国との交易が盛んだったからそっから流通したものが多いんだろう
あそこはムスリム商人も活動してたし、黒海東岸〜カスピ海西岸だから行きやすい
ヴォルガ川とドン川を下れば着いちゃうからね ビルカの貨幣は、死者の路銀「カローン貨幣」など副葬品で、
商業用・交易としての貨幣だったのか、貴重品としての貨幣だったのかは不明。 >>181
ヴァイキング自体が万単位の都市など存在しなかった。
ビルカですら1000人程度。
どうやって大軍を集めたんだか。 万単位の都市と兵数はあまり関係ないだろう
中世前期の西欧なんてどこも農場主が主な兵士の供給元だったんだし バイキング船って何トンぐらい何だろう。
軽いとは言え、みんなで担いでも結構ありそうな気がするけど。 >>190
メインルートがヴォルガ抜けてアストラハンに出るコースだったんかもな キエフ・ルーシを建国したというリューリクは本当にバイキングだったの?
バルト語派(リトアニア語など)の社会の人物という説もあるが。 そのへんは前身のルーシ・カガン国(といっても都市国家群)をどう分析するかによるだろう
いくつかの可能性はあるが、そこではヴァリャーグ人(ノルマン人)が一つの中心的役割を担っていたことは疑いない
それをリューリクという実像が曖昧な人物にまで還元させるかどうかは、人や立場によりけり デーン人半万年の歴史をうたったサイトをみつけたw
古代ギリシア文明に於けるデーン人の足跡: http://empirex.web.fc2.com/2greekdane.html
100行にもなろうかという年表まで作ってるが、いったい何が彼をここまで駆り立てたのか・・・ >>197 リューリクのY-DNAはフィン系やバルト系に多いNだそうだな
バイキングならIかR1bになってしかるべきだろうけど。バイキングの社会は混血児や異民族でも上層に登り得る開かれたものだったのかな
一方文豪トルストイはI。少なくとも父方の遠い先祖のひとりがヴァリャーグ人だったか ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています