フランスの歴史
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古代から現代に至るまでのフランスの歴史について語るスレです シャハトの計画の34年までなら33年は総予算に対し31%、34年は45%で
軍事費は大したことは無いが。
隣国のポーランドでは34年44.3%で、原料費の削減を受けて33年より減少しての事だし。
確かに国民所得に対する割合は15%と極めて高いものの、結局はフランスとソ連、日本の
二年分に満たない。
ヴェルサイユの欠点は賠償総額にあるのではなく、工業力の喪失と支払い方法にある。
ドーズ案では喪失した工業力の低下を補うため、鉄道の利権を基にした国際企業によって
ドイツの貿易の促進と定期的な支払いを確保するはずが、現実には結局外国勢はやる気をなくし、
企業経営も悪化、28年2.5倍になるとドイツは対処できなくなった。
総額に対する負担ではなく、この倍加に対する不可能が不履行の原因。
とはいっても、ドーズ案が生きている間は支払いに協力する義務が外国にも存在したが、
ヤング案によってそれが無効化される。ローザンヌ会議中の英仏間のヤング案復帰協定は
会議を幾らでも後から無実化できるものだったし、免除を求めた企てはすべて失敗したと
いっていい。
結局ヤング案における返済の脱ドイツ化が各国の様々な政策を引き出すに至った。 どっちみちヒトラーに経済の仕組みがマトモに理解できるとは思えない。
奴の行動理由は主観的感情的なユダヤ人嫌悪、共産党嫌悪、ソ連嫌悪、フランス憎悪で、
経済の悪化とか好転とかはあまり関係がない。 神のため戦ったフランス騎士の十字軍は偉大ってことだな。
まあ、商業流通だけでなく交通開発なんかもあるしね。
交通といえば南仏はとことん遅れたなあ。
南北戦争とかやっても良かったように思うけど。 創元社の知の再発見シリーズのヴァイキングを読んでいたら、
ヴァイキングのパリ包囲の部分で
”当時のパリ城は河に浮かぶ島のようなもので、ヴァイキングは昼夜攻撃を加えた“
とあった
驚きだね
地形も今とはだいぶ違ったのだろうか >>115
埋め立てたのはずっと後かね?
面白いよねえ ルテティア=パリでもないのかい?
誤差はあるだろうけど
誤差っていうか・・・数学的にいや、「ルテティア ∈ パリ」でしょう。
現代のパリはダダ広い。中心部のさらにごく一部がルテティア領域。 ルテティアはフランク人にとってどの程度価値があったのだろうか
ユーグカペーも辺境伯扱いだよね
これはローマ時代のルテティアの存在価値という意味と同義ですが… >>120
ローマ側ではなく、フランク王国側からみると、
王国枢要部というのは、実は長兄が相続した帯状の地域なんだよね(ロタリンギア)。
長兄の王国は、地理的版図としては大変に評判が悪く、「だからすぐに崩壊した」と書かれることが多いが、
実はこの地域、その後もずっと人口稠密で経済力の強い地域で、
今では、「青いバナナ」と言われ、
米国北東回廊(ボストンからワシントンまで)、日本の太平洋ベルト地帯と並ぶ、
「世界三大帯状メガロポリス」という扱いになっている。
そこからみると、パリというのは、枢要から外れた平原の真ん中の中州にぽつねんとある、謎の辺境都市。
そういうところだったからこそ、弱いながらも王権が持続して生き延びたのかもしれない。 >>121
ああ、「ロタールの国」ってやつね
なるほど…
大河沿いに街を造るのはローマ式の流通形式で、
ルテティアも単なる多くの町の一つだったのかな
>>104
ナポ軍によるベルリン陥落と神聖ローマ帝国消滅も外せないでしょう フランスの歴史教科書ではラスコー壁画とか石器時代からちゃんと教えているのだろうか?
>>121
遅レスだが、その後もブルゴーニュ公国やベネルクス・アルザス・ラインラント(北イタリア)など西欧の経済中枢になっているね。 日本だと戦後になって神話教育をやらなくなったて、
その穴埋めとして考古学を教え始めたんだよな http://www.clair.or.jp/j/forum/c_report/pdf/094-1.pdf
これを見るとフランスでは自国史・他国史を中等教育で区分せずに教えているようだ。
ちゃんと人類出現から教えているのはさすがだな。 http://www.sponichi.co.jp/society/news/2012/05/17/kiji/K20120517003264240.html
アンリ4世王妃のダイヤ 7億7000万円円で落札
フランスの「良王」と呼ばれたアンリ4世の2番目の王妃が所有していた
34・98カラットのダイヤモンドが15日、ジュネーブで競売にかけられ、
904万2500スイスフラン(約7億7000万円)で落札された。
共同電によると、予想落札価格は185万〜365万スイスフランだった。
競売大手サザビーズによると、西洋ナシのような形をした美しいダイヤはインド南部産とみられる。
アンリ4世が最初の所有者から買い取り、17世紀初めに王妃となった
中世イタリアの名門メディチ家出身のマリー・ド・メディシスに贈った。
[ 2012年5月17日 06:00 ] フランスの歴史の裏?
・仏と露とのクリミア戦争では、仏が勝つために
わざと昼飯の時間に露を襲った。
・100年戦争中で、ナポレオン軍がイギリスの落とし穴に
引っ掛かる。
いつの戦争かとか、忘れたけど仏って
結構、漁夫の利なの多いよね
そんでもって、他の国が似たようなことすると、
すごく怒るw
>>129
そんなことだからベトナムやアルジェリアで完敗するんだよ。 フランス王の「ルイ○世」は
カロリング朝のルートヴィヒ敬虔王を1世として起算するけど
クローヴィス=ルートヴィヒ=ルイだから
メロヴィング朝のクローヴィス1世から起算して
敬虔王はルートヴィヒ5世、聖王ルイはルイ13世、太陽王はルイ18世、
ナポレオン失脚後の最後のルイ王はルイ22世、
としないと計算が合わなくない?
>>31
子爵とか言っちゃうと、ベルサイユに寄生するチャラい近世の宮廷貴族みたいに聞こえてダメだわ。
副伯の方が中世の大物っぽくていいな。 フランスに子爵なんかそんなにいたのか?
中世も副伯よりも辺境伯の方が一般的な気がする フランク王国はヴェルダン条約、メルセン条約を経て3分割されたとありますが、何故ヴェルダン条約で広大な領域を得たロタール王国は、メルセン条約で北部ロタールを西フランク・東フランク王国に割譲してしまったのでしょうか?
その辺りの流れに詳しい人がいたら教えて欲しいです。 スレ違いですが教えてください。
マリー・アントワネットや貴婦人たちがヴェルサイユ宮殿からトリアノンまで行くためには、
馬車で行ったのでしょうか?それとも歩き?
宮殿からトリアノンまでかなり距離がありますが…。
映画とか見てもわからないのですみません。 不思議で不思議で仕方ないのだが、第二次大戦でフランスはなんで戦勝国気取ってるの?すべての戦いで負けてるし最終的に負けたドイツにもさらに負けてるから
戦勝国どころか敗北国だろ。ヴィシー政府はナチスに恭順してたわけだからイタリアと同様に枢軸陣営の一部に数えられてもおかしくないのだが。
英米様の慈悲に助けられただけの惨めな国だよね。 戦勝国と敗戦国を決めるのは戦闘での勝利ではなく所属してる陣営だから
連合国に所属してればどんな状態でも勝ち、そうでなければ負け 第二次大戦で一二を争う惨めな結末を迎えたのは間違いないね。戦後も無能な国民のせいで勝ったはずのドイツにまで経済的に突き放されてEUの主導権取られたりして、本当はもう一度戦争起こしたいと一番願ってるのはフランスに違いない。 >>140
英米様の慈悲に助けられた国なら日本初め数えきれないほどあるよ。現代世界は英米の慈悲の上に成り立ってるといっていい。アメリカが本気だしたらアングロサクソン系以外の全人類を数世代の内に消滅させることも容易い事だ。 >>145
惨めじゃないフランスの歴史を示してほしい。 リシュリューの当たりが全盛期
ハプスブルクとガチやり合い ルイ16世のあたりが全盛期
英海軍を破り、貧弱なアメリカ植民地を助けて独立させた フランスとドイツは戦争ばっかして人類の進歩を邪魔するガン国家。世界史に不要。 アメリカとイギリスと日本は戦争ばっかして人類の進歩を邪魔するガン国家。世界史に不要。 60年も戦争しない国に行けばいいよ
びびって戦争起こさない平和国家(笑)だし 動力船や鉄道が発達する前のヨーロッパでは
きっとフランスは交通上そして商業でも極めて
有利な位置だったんだろうな。
19世紀半ば以降は凋落していってるけどそれも
関係あるのだろうか。 http://www4.nhk.or.jp/P2434/x/2013-08-17/07/88407/
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草笛光子 片山杜秀
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(歌)草笛光子 <vap VPCB-84435>
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ポール・クローデル作詞、オネゲル作曲 (1時間27分15秒)
ジャンヌ・ダルク…草笛光子 修道士ドミニク…永井智雄 先ぶれ…江幡高志 騾馬…小池明義 ベッドフォード…前田昌明
リュクサンブール…宗近晴見 ウールドビーズ…西田昭一 リュクサンブール…露口茂 フラヴィ…山本耕一
酒樽おばさん…富田恵子 聖女マリア…(ソプラノ)戸田政子 マルグリット…(ソプラノ)滝沢三重子 カテリーヌ…(アルト)戸田敏子
豚ポリュクス…(テノール)布施隆治 先ぶれ…(テノール)島田恒輔 先ぶれ…(バリトン)佐々木行綱 司祭…(テノール)中村健
(合唱)二期会合唱団 (管弦楽)東京フィルハーモニー交響楽団 (指揮)岩城宏之
〜東京・日比谷公会堂で収録〜 (1959年11月5日 ラジオ第2放送 “第9回東京芸術祭オペラ公演”から提供)
「映画“ナポレオン”の伴奏音楽から“子供たちのダンス”」
オネゲル作曲 (1分54秒)(管弦楽)ドゥエ青少年交響楽団 (指揮)アンリ・バシー <SOLSTICE SOCD 141>
「小組曲から“小舟で”」 ドビュッシー作曲 (3分23秒) (バイオリン)巌本真理 (ピアノ)坪田昭三
(1962年3月3日 ラジオ第1放送 “ラジオリサイタル”から提供) もあね、正直百年戦争だフランスなんか全土をイギリスに征服された方が幸せだったんじゃないかって思うんだ。 フランスは結局のところイギリスが無けりゃ存在出来ないし、今も昔もイギリスに救われっぱなしで惨めすぎる国だろう。 全土を征服した場合その帝国の中心は何処になるのか、また統合はいつまで維持されるのか
が問題だ そもそもイギリスはフランス貴族に占領されてできた国だからな。 日本と同じで、左翼が国を滅ぼすフランス
って言う人が一定数いそう >>149
まじでヨーロッパは世界に災いをふりまく元凶だね。
宗教の紛争で殺戮をくりかえし
アフリカとアジアを植民地支配し
アメリカ大陸の民族を殲滅。
中東を紛争の絶えない地域に仕向ける。
ヨーロッパが存在しなかったら世界は幸せに暮らせるのに。 >>149
イギリス「フランスの戦争相手といえばこの私。百年戦争を忘れないでくれたまえ」 植民地代理戦争もしてた英仏がいまや仲良くシリアを攻めて儲けようとしてるからな >>161
イギリス以外のヨーロッパは本当に最悪だ。 >>162
俺は今一度英仏代理戦争を中東で起こしてもう一度世界史をフランスの手元に取り戻させるべきだと思っている。フランス史はこんなに惨めなままでいいはずがない。 >>165
フランスは過去(中世)の栄光にすがりついてる惨めな馬鹿。 中世なんて猿でも無能でも池沼でも王になれる暗黒時代だからな。 イタリアが統一される過程は歴史のトピックでよく取り上げられる。
ドイツが統一される過程も歴史のトピックで取り上げられる。
でもフランスの統一される過程というのはスルーされている。
百年戦争はイギリスとフランスの戦いと説明されているが、
その頃フランスはまだ統一されていない。
ブルゴーニュ公国やナバラ王国はいつどのようにフランスに組み込まれていったのでしょうか?
なぜ中世のフランスはひとつの国として世界史の教科書に載っているのでしょう? 神聖ローマは領邦国家の集合体でしかなかったけど、
教科書ではひとつの国として扱われてるのと同じ理由では? 百年戦争でだいたい統一と見なされているからじゃないか。 ナバラ王国
古代ローマ時代、バスクとガスコン(ガスコーニュ)などのヴァスコン族がいた。
西ゴート族・フランク王国や後ウマイヤ朝がゆるく支配
メロヴィング朝時代ヴァスコニア公国となる
カール・マルテルによりヴァスコニア公国はフランク王国に統合。
ピレネー山脈南はパンプローナ周辺にまとまる。
パンプローナが独立、パンプローナ王国成立のち、ナバラ王国と名乗る
ブロワ家が継承、ブロワ家がフランス王を継承
ナバラ内戦
フォワ家が継承、フランス王女が摂政
カスティーリャがナバラの領土を侵食
1512−21年ピレネー南部をカスティーリャが奪取し分割。
のちスペイン成立後、副王領となり、1833年にスペイン王国に併合
ピレネー北部(ナヴァール王国)
マルグリット・ド・ナヴァールがナバラ王アンリ・ダルブレと結婚。
1589年にマルグリット経由でフランス王アンリ4世がナバラ王
ユグノー戦争ではユグノーの勢力圏になる
1620年フランスに吸収(ナバラ王の称号は残る) >>171
神聖ローマは1648年ウエストファリア条約で「神聖ローマ帝国の死亡診断書」ってケジメをつけさせられるけど
フランスにはそういったケジメを教わらないですよね。
>>172
百年戦争の解説で「フランスの統一がうながされた」的なことってあんまり見かけないです。
このときブルゴーニュ公国がジャンヌダルクの命運を左右するはずなんですが
不思議なほどブルゴーニュは無視されてる気がします。 >>173
ナバラはスペイン史の一部なのか、それともフランス史の一部なのか難しいですね ・プロヴァンスのフランス統合
411年ゲルマン系ブルグント族が建国
534年フランク王国により滅亡
879年ボソが反乱して独立(キスユラブルグント王国)
882年西フランク王国領になる
884年カール3世が西フランク王位を獲得してフランク王国領
887年カール3世の死去で、2つに分かれて復活。ユーラブルグント・キスユラブルグント(プロヴァンス王国)王国
911年キスユラブルグント王国は、アルルに遷都したので、アルル王国とも呼ばれる。
933年キスユラブルグントは、ユーラブルグントの吸収される。
975年プロヴァンス辺境伯領を設置
1032年年神聖ローマ帝国皇帝が王位を相続して神聖ローマ帝国領
1062年トゥールーズ伯がプロヴァンス辺境伯を相続。
11世紀終わりに、プロヴァンス伯領からフォルカルキエ伯領分離。
1112年バルセロナ伯が、プロヴァンス伯領を相続。
バルセロナ伯とトゥールーズ伯が対立
1125年デュランス川で分割。川の北をトゥールーズ伯、南をバルセロナ伯が所有。
1229年モー条約で、トゥールーズ伯・プロヴァンス辺境伯領(ナルボンヌ公領も)がフランス王家のものとなる。
1246年バルセロナ女伯ベアトリスがアンジュー・シチリア家のシチリア王シャルル1世と結婚、
プロヴァンス伯領は、アンジュー・シチリア王家が所有
1382年ヴァロア・アンジュー家の所有になる
1481年プロヴァンス伯領をルイ11世が相続
1484年にフランス王がプロヴァンス伯を世襲
プロヴァンス伯領よりも、プロヴァンス辺境伯領の方がフランスの内側に
あるのは経緯を知らないと難しい。 ・消滅した国は、教科書では記述が省かれやすい。
・複数の地域や国に分かれている場合、記述も分割されていて、
自分で総合しないといけないので記憶に残りにくい。
最悪、なかった扱いされる。
・フランス「統一」という言葉は、まず記述としては出てこない。
王権伸張・中央集権化のほうがより適しているとはいえ、
イタリアとかと表記を合わせたいなら、統一になるし、
フランスが統一されたのはいつかと聞かれて、一言の回答は(解答ではない)、百年戦争が多いと思う。
・百年戦争を簡潔に説明するとブルゴーニュは省く。 ・ブルゴーニュ公国
411年ブルグント族がブルグント王国建国
534年フランク王国に組み込まれる
843年ヴェルダン条約でロタールの国
855年ロタール1世の死後、分割相続でロタリンギア
870年メルセン条約で分割
922年東フランク王国に組み込まれる
1031年ブルゴーニュ公設置
1361年バロア家に吸収
1363年バロア家フィリップ剛胆公で復活。
1384年ブルゴーニュ伯領を受領、妻経由でフランドル伯領・アルトワ伯領を取得
1419年ジャン無怖公暗殺
1430年フィリップ善良公ブラバント、ロタリンギア、リンブルク3公領
ホラント、ゼーラント、エノー3伯領取得。
1443年ルクセンブルク公領を支配下に置く、
シャルル突進公がアルザス、ロレーヌを一時保有、ヘルレ侯領を支配。
1474年ブルゴーニュ戦争開始
1476年ロレーヌ公国のナンシーを奪回される
1477年ナンシーの戦いで突進公戦死。
ブルゴーニュ公領フランスへ
ネーデルラントとブルゴーニュ伯領は、突進公の娘マリー経由でハプスブルク家へ イングランドとバロア家のフランス王位を巡る争い。
バロア家って何?となるから、
イングランドとフランスのフランス王位を巡る争い。
現在の国境を考慮すると、完全にイングランドが悪っぽい。
しかもジャンヌが正義ぽいから、悪役決定。 リュック・ベッソンの映画とかでも省略されている。
いきなりブルゴーニュ派というよくわからない謎の親イングランド王派らしき存在が出てくる。
パリ攻撃が失敗したら、いきなり、謎のブルゴーニュ派を攻撃してしまう。 ま、そこんとこ省略せずに文科省が指導要綱つくったら世界史嫌いが量産されるだろうけどw 突進公の死後、ブルゴーニュにフランスが侵攻をするのは、
百年戦争の恨みからだろうか?
完全に別国扱いだよね。 アルマニャック派vsブルゴーニュ派だから、ブルゴーニュ派を出してるんだろうけど。
唐突だよね。
ただ、この対立も、説明すると複雑だし、
シャルル6世が、精神異常となる。
叔父のブルゴーニュ公と王弟オルレアン公ルイの主導権争い。
裏で介入する姑息なイングランド。
1407年にオルレアン公ルイが暗殺される。
アルマニャック派に近づき、拒否されると。
1415年に、イングランドがフランスへ侵攻を開始。
1419年アルマニャック派が和平の場で、ジャン無怖公を暗殺。
これによりフィリップ善良公はイングランドと同盟。
ジャンヌが刺客ではという恐れも、
オルレアン公ルイやジャン無怖公の暗殺を受けてのことだろうし。 1415年ジャックリーヌ・ド・エノーは、シャルル(後の7世)の兄ジャンと結婚。
ジャンの兄ルイが死んで、王太子となる。
1417年にジャンも死亡する
1430年にフィリップ善良公が、ジャックリーヌ・ド・エノーから
ホラント、ゼーラント、エノー3伯領取得。
ジャンが生きていれば、3伯領はフランスとして確定していただろう。
こういった複雑なのが面白いと思うか覚えにくいと思うか アルマニャック派という割には、トップは、オルレアン公ルイ。
オルレアン派ではないか。 王が倒れる、叔父と王弟(幼き王子)が争うって定番だよね。 昔の世界史の資料集は、イギリス軍に捕まり魔女裁判で処刑。
最近の世界史の資料集は、イギリス側に捕まり異端裁判で処刑。
イギリス側にブルゴーニュが含まれる扱い。図にはブルゴーニュ公国
を載っけるが説明には登場しない。 ブルゴーニュって、百年戦争とフランドル絵画(絵画史)ぐらいしか登場しないから
印象が薄い。 百年戦争を描いた映画でも無きがごとくの扱いのブルゴーニュ、かわいそう。
バスク人とかカタロニア人みたいに執念ぶかく恨みをアピールするほうが記憶してもらえるんだな。 フランスはインドベトナムアフリカヨーロッパの領土なくしてもう衰退
ドゴールの政治は失敗だった。 >>190
ドゴールの失敗とは具体的にどのようなものなんですか? 何が何でも独立を認めずに戦い続けろと? 史実よりボロボロになったと思うなあ ブルターニュはブルゴーニュ以上に語られないよな。
ブルターニュ継承戦争とか、イギリス側にいるのに公弟のリッシュモン伯が
フランス軍司令官になってることとか、色々あると思うんだが フランスって何してもイギリスにが歯が立たない、頭が上がらない。惨め国家だね。 アルマニャック派にブルターニュ公がいたりするけど、普通は知らない。
ブリトン人・ケルト文化・フクロウ党・・・・
一般人は知らん。 >>185
元々オルレアン派って言ってたけど、
オルレアン公が暗殺された後は
アルマニャック伯が王太子の後見人になったから
アルマニャック派に名前がかわった なるほど、王太子の後見人がアルマニャック伯だからか、でも、
公爵勢を差し置いて伯爵が後見人なのか。 >>198
ごめん、アルマニャック伯は王太子の後見人じゃなくて、
暗殺されたオルレアン公の息子の後見人(舅)だったわ。
派閥の第一人者であることには変わりないけど。
>>193のリッシュモン伯みたいに、血筋とか家格によっては伯でも影響力持つ人は結構いる 公爵位よりも伯爵位のほうが歴史的に古い。
だから、うちの伯爵位は名誉ある伯爵位とかあるんだろうね。 ブルターニュ公やブルゴーニュ公は、分王国の名を引っ張ってきているから
由緒あるように思える。 >>202
百年戦争期のその二国はほぼ独立国家だな。
自国の権益を守るためならフランスにもイングランドにもつく。
トロワ条約やアラスの和約に見られるように、
両公国がどちら側につくかによって後の大勢も決まる。 貿易の関係で、フランスの大西洋側は、イングランドと結びつきが強いから
なんだろうけど。ブルゴーニュは何でだろう。 当時のブルゴーニュ公はフランドル伯(オランダ、ベルギーあたり)を兼任してて、
羊毛と毛織物の貿易でイングランドとは切っても切り離せない関係だった。 フランドルとの関係がなければ、イングランドと結びつかなかったのなら、
結構、現金だよね。 リュックベッソンのジャンヌでも守銭奴みたいに描写されてるし、現金なイメージはあるね。弱い王権の下での封建領主なんてそんなもんなのなんだろう。 >>202
分王国ってやっぱりステータスなの?
そもそもパリ伯つーかイル・ド・フランスがフランス王としてフランス諸国に君臨する経緯がよくわからんのですが、
それも歴史的経緯による、いわゆる「由緒正しき」ってことなんですかね? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています