フランスの歴史
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古代から現代に至るまでのフランスの歴史について語るスレです >>574
シラクは一回目の投票でルペンに負けたが決戦投票でルペンに勝った
シラクよりルペンを嫌った左翼票が流れたと言われてる >>574
ドゴールは英雄だから左右なんか関係無く支持されて当然 767:名無しさん@1周年 2017/05/08(月) 20:55:10.11 ID:B0vGNwMx0
未だに竹中ガァーとか言ってる人いるんだな
派遣は窓際族や追い出し部屋みたいな非生産的従業員を切って
バイトやパートにチャンスと身分保障与えましょうって話だぞ
820:名無しさん@1周年 2017/05/08(月) 21:01:51.12 ID:Nb9fTaoA0
>>767
少数派だと思うが竹中の考えは賛成出来る部分が多いわ。
基本解雇規制緩和して雇用を流動化、セーフティネットの整備は大体賛成出来る。 843:名無しさん@1周年 2017/05/08(月) 21:05:05.31 ID:VEGviMBm0
マクロンは社会自由主義で新自由主義ではないし、
マクロンが経済相になって経済政策進めてからのフランスは、
経済成長率割とマシ。
http://ecodb.net/country/FR/imf_growth.html
マクロンは2014年8月入閣、12月に通称マクロン法成立、
2015年からマクロンによる経済体制。
2012 0.18 オランド政権
2013 0.58
2014 0.64
2015 1.27 ここからがマクロン
2016 1.21
上記のような流れなので、マクロンは経済政策に関しては評価高い。
851:名無しさん@1周年 2017/05/08(月) 21:07:14.78 ID:cyMh6znE0
>>843
でも失業しまくってんだろ?
単に格差広げてその上澄みを金持ちが啜っただけじゃない
862:名無しさん@1周年 2017/05/08(月) 21:09:15.06 ID:fDqA7Adx0
>>851
フランスの失業率が高いのは同一労働同一賃金で若者が就職できないからだよ
移民が少なかった頃から変わらない 814:名無しさん@1周年 2017/05/08(月) 21:01:09.32 ID:cyMh6znE0
失業率増加の根本たる移民については放置で
ばら撒きに飛びつくとか、余程のミスリードでもされてんの?
単にアホしかいないだけなの?
864:名無しさん@1周年 2017/05/08(月) 21:09:54.44 ID:igCH6dBT0
>>814
移民のやっている下層労働はフランス人のやりたい仕事じゃないから
逆に移民が居なくなって、介護とか建設、農場下働きのような
移民用下層労働をやるのはイヤなんだよ
858:名無しさん@1周年 2017/05/08(月) 21:08:56.14 ID:j1GE+wAS0
マジで分かんないわ
正直言ってさ
ルペンが勝つと思ってたんだよね…
メディアも必要以上にルペン叩いてたし…
いやぁ
それはそうとマクロンの女はスタイルいいわ
878:名無しさん@1周年 2017/05/08(月) 21:12:10.15 ID:igCH6dBT0
>>858
庶民もベビーシッターやメイド、農家小作人などで
移民を使ってんだよ
移民が居なくなったら子育ても農業も介護も成り立たない
農業国も移民のおかげ
989:名無しさん@1周年 2017/05/08(月) 21:29:39.20 ID:igCH6dBT0
フランス人は、下層労働は移民にさせて
自分たちは楽に暮らしたいからね >>575 その前のミッテランが見ってらんない状態で終わったから右対決になったのか >>575
違うよ
シラクが1位でルペンが2位
泡沫だと思われたルペンが決選投票まで残ったので大騒ぎになった 日本とちがって国民に優しい右派なら別にいいんじゃないの マクロンが生徒、妻となる25才年上の地元チョコレート会社経営者の娘が
教師として働いていたフランス北部アミアン市のラ・プロビンス高校は、
カトリック内部の国際金融資本直系とされるイエズス会系列。
夫婦ともイエズス会でマクロンはロスチャイルド銀行の幹部としての勤務歴もある。
まさに国際金融資本直系の人物と言える。彼の新自由主義政策は、その経歴を
考えれば実に当然だ。しかし、限界に達した新自由主義や金融バブル、移民問題
を考えると、近未来にマクロン新大統領は火達磨になる可能性が高い。 おフランスは大革命が原点だから
右翼といえども大革命まで否定するわけではない >>585
左翼のほうが「ブルジョワ革命」と呼んで嫌ってないか? モスクワの長女だちはフランス革命に一定の価値を与えど
諸手を上げて賛成するわけにはいかないんだよな >>563
それは日本の左翼と同じだな。
「敵の敵は味方」ということなんだろうが、日本の左翼は中国・朝鮮が大好き。
おかげで、ますます自国の一般人から嫌われる(笑) >>586
左翼の言う「ブルジョワ革命」だって蔑称ではないんぞ
左翼の理論では
封建社会→(ブルジョワ革命)→資本主義社会→(社会主義革命)→社会主義社会→(共産革命)→共産制社会
だからブルジョワ革命は封建社会から一つ社会を進歩させる革命なので フランス革命が後世の史観である左翼に革命ならアメリカ独立戦争や明治維新なんて全部左翼による革命になっちゃうだろ。 近代国民国家を生み出したのは左翼って事になって明治維新で日本は左翼国家を取り入れて左翼国家を建設した事になるんだけど大丈夫か? 維新は革命ではない
「維新」の意味を知らないのか?
「維新」とは衰えた古いものを復興することだからむしろ革命とは逆だ
西洋で言えばルネッサンスが維新だ 明治維新で建設した近代国民国家とはフランス革命で誕生した近代国民国家をモデルにしてるんだが?
それは革命でないと作れないものなのかね? 大政奉還がなくても、江戸幕府を中心に近代国民国家を建設することは可能だった しかし、近代化するには、伝統主義の呪縛から解放されることが必要不可欠
「廃仏毀釈」みたいに古いものを破壊するプロセスを、
どこかで必ず通らなければければならない 現代人が維新って漢字でどう遊ぼうが廃藩置県後に明治維新に参加して近代国家建設をした日本の初代総理大臣伊藤博文が
渡米した際に米議会で我々日本は一滴も血を流さずに無血革命を成し遂げましたと演説してるけどな 民衆が支配者を倒したわけじゃないから革命じゃない
理屈としては成り立つけど民衆がってのは夢見すぎだよな >>585
旧ド・ゴール派のような右翼はフランス革命まんせーだけど対独協力派やブルボン派、カトリック右翼は革命否定 >>589
文脈によるけどフランス革命の位置付けについては、マルクス主義者の側が「あれはブルジョア革命だった」と言いたがり、
反マルクス主義(左翼の反マルクス主義者もいるが)の側が「そもそもフランス革命のころは産業革命もまだで資本家なんてそんなにいなかった。
革命は官僚とか弁護士とか知識人が中央集権的な統一国家を作るために起こした」と言いたがる。 フランス革命というのが単なる左翼による共産主義革命で、それによって生み出されたのが社会主義的な国家なら
国民軍なるものは社会主義的国家でないと生み出せないという事になる
そんなわけないだろうよ。 >>602
フランス革命時の「左翼」は共産主義ではない
国民公会の左翼に陣取ったのはジャコバン派
これが元祖左翼 >>603
そうだよな。
フランス革命というのが左翼革命なら近代国家というのは左翼革命で生み出されたのが事になる
そんなわけないからな。
例えるならアメリカ独立戦争の内戦版だよな。 >>604
左翼革命だって言ってるだろ阿呆
ジャコバン派が左翼なんてよ 明治時代には神仏分離、国家神道は、進歩的な意識高い系の宗教だった。
島崎藤村の「夜明け前」では、国学者の主人公は維新になると寺から位牌を引き取って神式に変えようとする。で、
寺の住職は主人公たちと前から親しい「村のインテリ」なので「残念ですけど、当然ですよねえ」と穏やかに位牌を引き渡す。
江戸時代には成田山に帰依していた市川團十郎家の明治期の中興の祖の九代目団十郎は、
演劇改良、活歴ものに熱心な近代派で、団十郎家の宗教を神道に切り替えた。
もっとも団十郎家=成田屋で、成田山との関係を断ち切るわけにはいかなかったけど、団十郎家の私的な宗教は12代目までは神道。
だから先代団十郎の葬儀も神式だった。もっとも海老蔵の代になったら仏教に戻るかも。 >>607
フランス革命はジャコバン派が起こして社会主義的左翼国家を作ったのか? まさかロシア革命でソビエト連邦ができる前に左翼による革命で社会主義国家があったとは知らなかった。 https://www.youtube.com/watch?v=Afj1muIIHPo
これの0:06あたりに映っているのが神式の祭壇。
九代目団十郎は、ファンからは「江戸歌舞伎の伝統を明治に引き継いだ人」ということで人気があったんだけど
本人は演劇改良で欧米人に馬鹿にされないような歌舞伎を作ることに努力しているつもりだった。曽我兄弟をやるときに歌舞伎風の派手な衣装を止めて
史実に忠実な貧乏武士の衣装で舞台に上がろうとして関係者と大喧嘩になったこともあったそうだ(w。
そんな革命派の九代目団十郎だからこそ古来の宗教を捨てて「最高存在の祭典」をやったんだよ。
団十郎家の葬儀のニュースを見て俺は「明治維新というのはフランス革命だったんだなあ」とシミジミと思った。 フランス革命でも、明治の日本の「廃仏毀釈」みたいなのはあった。
ナポレオンが、ライン川に沿ったドイツの古城を「封建主義の象徴だ」といって
壊しまくったおかげで、イスラム教徒に破壊されたインドの古都みたいになってしまった。 フランス革命を主導した層と明治維新を主導した層は似てそう
新興の貴族という点で ナポレオンは主義主張より実用とか自分の趣味に合わせるからなー
廃仏毀釈ってのはイデオロギー的面もあったけど、
ナポレオンの城破壊はこの中にいちいち立てこもられたら厄介だって判断だろう 革命のイデオロギーなしでは、あれだけの数のフランス人を熱狂的に動員するのは無理。
あまりにも大勢が戦争に行ったおかげで、フランスの男性人口は大幅に減少した。 ドイツやイタリアは、まだ思いっきり封建領主の時代だったからな >>617
日本でも明治維新の時に、お城を壊して、桜の木を植えたな。 壊さないで残した熊本城は西郷軍を撃退したな。逆に反政府組織に籠られたらやばかった。 >あまりにも大勢が戦争に行ったおかげで、フランスの男性人口は大幅に減少した。
実際には男性人口のわずか3%しか徴兵されておらず
これは志願制をとっていた第一次世界大戦時のイギリス(5%)より低い
人口が減少したのは別の要因 >>625
ただのグローバリストだよ
サルコジ時代へ逆戻り
フランス国民もバカな選択をしたもんだ
一生移民問題で苦労しとけ >>628
じゃぁルペンが勝ってフランスはEUを離脱。求心力を失ったEUは崩壊。
その先のフランスはどうなるの? >>628 イタリアの五つ星運動も、ギリシャの黄金の夜明け党も、言ってることはともかく、その国の国民から湧いてきた政党だなって思えるけど、
マクロンのはそれを感じさせなくて逆になんか不気味。二十世紀少年の「ともだち」に近いものを感じるのは気のせいかな....
日本の偽民進党が党名を決めてる最中に、「いみんの党」とか揶揄されてたけど、まさにリアル「いみんの党」がフランスにできるのか >>573
間接的に竹中を支持したことになるんだよ ルペンが大統領になっても議会の反対で結局何も出来ずに任期終了だろうな >>631
日本にもルペンみたいな奴が出てきて欲しいね ルペンはフランス人の感覚では極右ってだけで
保守的な日本人の目から見ると思想は相当左寄りだぞ >>634
>思想は相当左寄りだぞ
社会主義者なのか? 「女帝」マリア・テレジア生誕300年、オーストリアで祝賀行事 写真17枚 国際ニュース:AFPBB News
http://www.afpbb.com/articles/-/3128144?cx_tag=sp_photo&cx_position=2#cxrecs_s
マリアテレジアは仮想敵国をフランスからイギリスに乗り換えた人。
そのために娘のマリーアントワネットはルイ16世に嫁いだ。
それを許せない英国=国際金融資本がフランス革命を実行し、
最終的に第一次世界大戦でオーストリア帝国も滅亡させたのだと思われる。
16人の子供を産んで、子供の婚姻により平和を目指した彼女は偉大な指導者。
虐殺と戦争で覇権を維持する英国とは対照的。 その英国も最後はアメリカに身売り
少なくともドイツよりはマシと 身売りしたかに見せてアメリカを操っているではないか
21世紀後半は新大英帝国が地球を支配する時代であろう >>637
>仮想敵国をイギリスに乗り換えた
イギリスじゃなくて、プロイセンだろう。
マリア・テレジアの宿敵といったら、どう見てもフリードリヒ2世 >>637
大英帝国も、第一次大戦で崩壊してるんですが 戦間期の英仏は既に実力無き幻影大国
最終的にはナチスによって暴露されるが 英仏って、なんだかんだ言って昔から一体だよな
分けるほうが無理 既得権層として新興には手を組んで対抗なんだよな
但しアメリカに対してはイコールではない >>640
フリードリヒ2世って、イギリスが雇ったやくざ者でしょ? フランスの地域ごとの違いについてだけどさ、
プロヴァンスには黒髪が、
フラマン地方やアルザス地方には金髪が多かったりする おなじ地中海に面したリビエラ海岸でも、南仏のフレンチリビエラは、
なぜか隣のイタリア側と比べてずっと洗練された雰囲気 しかし南仏は、夏しか人がいない
冬はミストラルが吹き荒れ、北極なみの酷寒地獄らしい
冬の南仏に行ったことある人が知り合いにもいないから真偽は不明だが ミストラルというのは、アルプス山脈から吹き下ろす冷たい風
群馬県の空っ風みたいなやつ フランス料理も、大西洋岸ではシーフード、アルザス地方はビールとソーセージ、
中央部ではワインとパン、南部では地中海料理だったり。 大西洋岸は海洋民族だな
中世から、イギリスとのつながりが深い
大統領選でも、支持率の傾向がまったく違っていた 南仏はもともと完全に異民族だったのに、いつのまにか統合された 南仏とイタリアは同じ海岸に並ぶ横並びの国だが、
アルプス山脈が海岸近くまで続いているおかげで、
自然国境により完全に分かれている
サルデーニャ王国のカヴール首相がニースをフランスに割譲したおかげで、
さらに国境がはっきり分かれた フランスの地方は、従来の諸侯領の境界をそのまま使ったようなフランス革命前の区分に代わって、
革命後は、県の数は1789年の83県から96県プラス4つの海外県に整理され、それらの県には、
川や山(アルプス、ピレネーなど)の自然的・地理的な特徴を示す名前が与えられた。
こうして、それまで特権階級の都合で人工的に作られてきた国家や地方の区分を自然化し、
また各県のアイデンティティーを土地に根付かせるようにしたのである。 >>658
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%B7%9E_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%9D%A9%E5%91%BD%E4%BB%A5%E5%89%8D)
フランスの州 (フランス革命以前)
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%9C%B0%E6%96%B9%E8%A1%8C%E6%94%BF%E5%8C%BA%E7%94%BB
フランスの地方行政区画 日本でも有名なマドレーヌって、ありゃもともとロレーヌ地方のお菓子だったんだよな
それが鉄道網の整備により、地方と中央が結ばれると、地方の名産品がパリに集まり、
そこでブレークするようになる。
マドレーヌのほか、ボルドー地方のカヌレ、エクス・アン・プロヴァンスのカリッソン、
北ノルマンディーのブルドロ、リムーザン地方のフロニャルド、ブルターニュのクイニー・アマン、
アンジュー地方のプラム・パイ、ナンシーのマカロンなどもそうした地方菓子。
ttp://stundenbirne.jugem.jp/?eid=628
コメルシー駅のマドレーヌ売り、20世紀初めの絵葉書 オック語文学はこのころ発展し隆盛を極めた。12世紀から13世紀、
トルバドゥール達が宮廷恋愛を詠うようになり、
オック語はヨーロッパ全土に広まった。
オック語やオクシタニアの語が現れだしたのもこの頃である。
1102年にはトゥールーズ伯レーモン4世が第1回十字軍の際にトリポリ伯国を建てている。
トリポリ伯国にはオクシタニアやイタリアから住民が集まってオック語が話され、
オクシタニアの植民地とも呼べるものであった。 13世紀のアルビジョア十字軍の後、フランス王の支配力が及ぶようになったが、
完全にフランス王権下に入るのは17世紀である。
こうした流れのなか、住民は依然オック語を話してはいたものの
貴族やブルジョワジーがフランス語を学ぶようになり、
1539年、フランソワ1世はヴィレル=コトレの勅令で
行政上での言語をフランス語に限定するまでになった。
1789年のフランス革命では地中海地域の自治とオック語の復権が図られた。
しかしこの試みはジャコバン派の反対で挫折してしまう。
一方19世紀になるとオック語文学の巻き返しが始まり、
フレデリック・ミストラルがノーベル文学賞を受賞するなどしている。 しかし1881年、ジュール・フェリー内閣の時代から学校でのオック語の使用は禁止され、
結果オック語の地位は次第に低下していく。
フランス語によるマスメディアの影響もあってこの傾向はさらに顕著である。
1999年の統計によればオクシタニアの1400万から1500万人の人口のうち
オック語を母語とするのは600万人とされるものの、
その多くが高齢化を迎えており、オック語の維持発展を求める試みがなされている。 イギリス、ドイツ、イタリア、スペインなどと同じく、
フランスも、本当は北と南では別の国だったのを、
強引にくっつけて1つにしてしまった国家。
強力な中央集権が早くから進んだおかげで、南北対立は目立たないが。
南のオクシタニアは、中世においては一大勢力であった。 それにしても、ルアーヴルにマルセイユと、欧州でも最大級の港湾都市を
北と南にそれぞれ持つフランスだが、両方とも歴史には存在感ゼロ。
隣のドイツとイタリアには、ハンブルクとか、ヴェネチア・ジェノヴァ・アマルフィとかがあって
中世から海運の中心だったのに、やはりフランス人は、
近代になるまでは陸の民たったか。 しかし、マルセイユが発展したのは18世紀の後半
歴史の長さでは、ジェノヴァとは比べものにならない マルセイユの歴史は浅いが、近郊のエクス・アン・プロヴァンスは南仏の古都 コート・ダジュールといえば現在では観光地として有名だが、中世から18世紀末まではイスラーム海賊が、
またときにはスペイン海軍が出没していた。
この脅威に対抗するため、サン・トロペは強力な海軍を保持して、フレジュスやアンティーブへ
応援に駆け付けたりした。
観光産業が起こるまで、コート・ダジュールは辺境地帯だったのである。 全世界の風光明媚なところって大体辺境だったところじゃない?
人が多いところって近代〜現代でもれなく工業化してそう ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています