地名の世界史
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はじめに、「民族史的に」語る例を示してくれんと・・・・ ソ連で
「岸辺の小舟」っていう詩的な名前の都市がブレジネフ市に
改名されてロシアのインテリが怒ったという話がある
ちなみに今は元のナーベレジヌイェ・チェルヌイ市に戻ってる ロンドンの由来はケルト語で「川のあるところ」(Llyn-din)といわれている
Londinium → Lundenwic → London アメリカのフィラデルフィア市はギリシャ語で「愛しあう兄妹」
ま、愛姉弟でも愛姉妹でも愛兄弟でもいいんだけど コローニア・アグリピーナがどうなればケルンと変わってしまうのか・・・ Wikipediaより
ブリテン (Britain) はウェールズ語の Ynys Prydein(ブリテンの島)に由来し、
これはQケルト語の Cruithne のアイルランド語での語 Cruithen-tuath(ピクト人の土地)の
Pケルト語での異音である。元になっているスコットランド/アイルランドの単語は cruth、
ウェールズ語では pryd で「姿形 (form)」を意味する。つまりブリテンとは「姿形の人々」を意味し、
刺青をしていた民族を指している。ローマではそれをピクト人 (Picti) と呼び「描かれた」を意味する。
このような語源の考察が正しいなら、ピュテアスがPケルト語の言葉を持ち帰ったということになり、
アイルランドを訪れていないか、Qケルト語を話すアイルランドの原住民と話をしていないことになる。
また当時既にウェールズ祖語がブリテン各地で使われており、ケルト語派は既に分裂していたことになる。
興味深い グレート・ブリテンは「偉大なブリテン」ではなくて「大きい方のブリテン」の意味。
「小さい方のブリテン」もあり、これは現在のフランスのブルーターニュ地方。 ギリシャ本土を小ヘラス、シチリアや南伊を大ヘラスと呼び、
キエフ・ルーシを小ロシア、モスクワ・ルーシを大ロシアと呼び、
チベットの中央部を小チベット、東部を大チベットと呼ぶ。
これは面積や繁栄の大小ではなく、本土が「小」で辺境が「大」なのである。
ブリタニア属州の住民・ブリトン人が、アングロサクソンに追われて逃げ込んだアルモリカ半島は、
フランク人からブルターニュ(ブリトン人の地)と呼ばれ、その対岸の島は「グラン・ブルターニュ」と呼ばれた。
なのでグレートブリテンとは、本来は「辺境の方のブルターニュ」という意味。 >>9
パリのラテン語名ルテティアLutetiaは、ラテン語lutus(泥、沼地)から来ている。
ガリア系パリッシー族の拠点で、セーヌ川のほとりの渡し場にあったことから。 ロシア最古級の都市ノヴゴロドは
「新しい町」という意味 エロマンガ、スケベニンゲン、キンタマーニ、オマン、マラ ちょっとスレちだけど、ポーランド語でイタリアの事をヴォアヘとか
いうんだってな。ルーマニア人の母体となったヴラフ人が語源らしいが。。。
ドイツをフランス語でアルマーニ(語源アレマン人)と言ったり、
デンマーク語でチュシュクランド(語源はドイツと同じ)、
ロシア、英語、イタリアではゲルマニアが語源、ロシア語以外のスラブ諸語では
ネムスカだったり。なぜイタリア語はロマンス語なのにアルマーニじゃ
ないのだろう。なぜロシアはスラブ系言語なのにネムスカじゃないんだろう。
なぜイタリアはスラブ諸語でイタリアなのに、ポーランドだけヴラフ人が
語源なのだろう。 ポンメルン(ドイツ語:Pommern)はポーランド語でポモージェ(Pomorze)というが
これは po(〜に沿って) + morze(海) で海沿いの土地という意味 むかしゲルマン系諸語では、ケルト・ローマ系の連中をみな「walha(よそもの)」と呼んでいた。
ウェールズWaels、ワロンWalon、ヴラフVlachやワラキアWalachiaはここから来ている。
ポーランド人はゲルマン人を介してイタリアをWlochyと呼ぶようになり、マジャル語でもOlaszと呼んだ。
のちゲルマン系諸族は「ローマ化」していき、walhaという呼び方は「野蛮だ」というんで廃れたが、
ポーランド語やマジャル語にはなぜか古い語彙が残ったらしい。
イタリア語やルーマニア語でドイツをゲルマニアと呼ぶのは、古来ラテン語でそう呼んでいたから。
アレマンからアレマーニュと呼ぶのは、フランク人がそう呼んだのが広まった。
ロシア語でも、ドイツという国は「西欧風に」ゲルマニヤと呼ぶが、ドイツ人やドイツ語は今もネムツキーと呼ぶ。 スラヴ語とゲルマン語って語彙がかなり共通しているらしいね ドイツ人の自称「ドイッチュラントDeutschland」は「テウトニTeutoni人/テウトネスTeutones人」から バルセロナはカルタゴの名将ハンニバル・バルカの父によって建設された。
バルセロナとは「バルカの家」の意。
バルカ家がヒスパニア支配の拠点としたカルタヘナは、
ラテン語名「カルタゴ・ノヴァ(新しいカルタゴ)」が訛ったもの。
しかしカルタゴはフェニキア語名「カルト・ハダシュト(新しい町)」がラテン語で訛ったもの。
なのでカルタゴ・ノヴァだと、フェニキア人からしたら「ニュー新町」って感じの地名になってしまう。
どうもバルカ家が町を建設した当時は「カルト・ハダシュト」だったので、
もとのカルタゴと区別するためローマ人が「ノヴァ」をつけたらしい。 ウラジオ・ストックではなくてウラジ・オストック
プエル・トリコではなくてプエルト・リコ
キリマン・ジャロではなくてキリマ・ンジャロ
コス・タリカではなくてコスタ・リカ
ラプ・ラタではなくてラ・プラタ
クアラルン・プールではなくてクアラ・ルンプール
ハノ・イではなくてハ・ノイ
ペンシル・バニアではなくてペン・シルバニア
スリジャヤワルダナ・プラコッテではなくてスリ・ジャヤワルダナプラ・コーッテ
ついでに地名じゃないけど
ドンキ・ホーテではなくてドン・キホーテ
カメ・ハメハではなくてカ・メハメハ
ジャンバル・ジャンではなくてジャン・バルジャン
ペレスト・ロイカではなくてペレ・ストロイカ ニュー・ヨークという地名は、イングランド北部の古都ヨーク(York)から来ている。
ローマ人はこの地をエボラクム(Eboracum)と呼んだが、
これはケルト系先住民ブリトン人の言葉で「イチイの木(ebor)がある所(akon)」を意味する。
後から来たアングロサクソン人は、この地名を訛ってエォフォルウィク(Eoforwic)と発音し、
彼らの言語で「イノシシ(eofor)がいる村(wic)」という意味だろうと考えた。
またデーン人がやってきてこの辺を占領すると、さらに訛ってヨルヴィーク(Jorvik)となり、
「イノシシ(jor)のいる入り江(vik)」という意味だろうと考えた。
これが訛ってヨーク(York)という形になったのは13世紀以後で、
その後もYerk、Yarke、Yourkeなど、いろんな綴りで書かれた。 日経落ちてきたね
節分天井で、下の窓を埋めに行くかな モンゴルの首都ウランバートルはモンゴル語で「赤い英雄」という意味らしいね。
社会主義時代に付けられた名前なのに、社会主義政権が崩壊した今でも使われてる。 ロシアの「赤の広場」の赤は社会主義と関係なく、それ以前からそう呼ばれていたそうだが、
同じように社会主義と関係ない地名である可能性はないの? 漬けられたのは社会主義時代だけど、「赤」に社会主義と違う意味があるのでは、って意味で >>34-35
でも、ウランバートルという名が付けられたのはモンゴル人民共和国が成立した年と同じだし、
旧称のフレーは全く語源が違うから(こっちは移動単位を意味するクリエンが変化したもの)、
普通に社会主義を意味する「赤」としか考えられないと思うよ。 赤の広場ってのは、その周囲に赤い色の宮殿や教会が並んでるから、と聞いたが? >>37
ウィキペディア情報だけど、現在ロシア語で「赤」を意味する「クラスナヤ」は、
古代スラヴ語では「美しい」を意味したらしく、原義は単に「美しい広場」ということらしい。 奈良は韓国語のナラ(国)が語源という説がある。
土地を均す(平らにする)のナラから来てる説もあるが、他で使われていないので
賛否が分かれるところ。
ちなみに百済をクダラ(クンナラ)と読むのはクンは大きいという意味があるから。
古代に来朝した百済人は自らを大国と自称したことによる。
ちなみに百済をクダラと読ませるのは日本だけ。
当の韓国ではペクチェという。
新羅の方はシルラだが、日本ではシラギという。
この用法では憎しみを込めた意味になるという。
百済と新羅の扱い方が日本ではここまで違うのは
白村江の戦いに起因することが大いに関係しているのだろう。 >>39
んなこたない
俺の出身地は小字を「奈良原」といい、戦国の頃に山を崩して沢を埋めて開墾したらしい あれ・・・
楢崎、楢原など「楢」のつく地名も開墾地の可能性有り 全部韓国語が起源に決まっている
ビッグバンは韓国を中心にして起きた 韓国起源主張主義にはパクリ王国の中国さえ呆れ返り怒ってる 韓という地名は中国が起源。陝西省渭南市韓城県が本来の韓。
この文字は戦車に軍旗を立て(幹)、都市の周囲を巡り守る(韋)ことを意味する。
周が殷を滅ぼしたのち、今の北京あたりに姫姓の韓氏を封建した。
しばらくして燕国が封建されると、韓氏は燕に仕えて名族となったが、
燕が朝鮮半島に進出すると多くの韓氏が移住植民し、半島南部の土着民である真番と混血した。
彼らは韓人と自称するようになり、その居住地も韓と呼ばれるようになっていった。
西暦44年、初めて「韓人」の蘇馬是が楽浪郡に朝貢したので、
後漢の光武帝は彼を「漢廉斯邑君」に封じ、韓人諸部族の対外代表に任じて自治と交易を任せた。
これは10数年後に金印を授かった「漢委(倭)奴国王」や、郡県化される前の朝鮮国王と同じ役割。 奈良がチョンコ起源というのはよくあるウリナラ認定。万葉集がちょん語で読めるとかというのと同じデムパ
http://fetia.blog34.fc2.com/blog-entry-1020.html ウクライナってどういう意味か知ってるひといますか? 古代ギリシアのころから、エウロパ(ヨーロッパ)とアジア、アフリカの
区分けはあったと思うんだけど、クレタ島とかはヨーロッパとアジア、
どちらの区分に入るのだろう。19世紀末までクレタはオスマン治下だったけど、
その頃のクレタはヨーロッパとアジアどちらの所属だったのだろう。 ヘロドトスの『歴史』冒頭にこうある。
「フェニキア人がヘラス(ギリシア)の都市アルゴスに来て、王女イオを連れ去った。
その後、クレタ島のギリシア人がフェニキアの都市テュロスに来て、王女エウロペを連れ去った」
一応クレタ島はアナトリア半島の西端より西に位置し、ヨーロッパとするにやぶさかでない。
オスマン帝国はヨーロッパ・アジア・アフリカにまたがる帝国であり、全部アジアでまとめることはない。
ローマ帝国を「ヨーロッパ(だけ)の国」とするなら、シリアやアルジェリアがヨーロッパであったことになる。
問題はキプロス。今はギリシア系住民の国でEUにすら加盟しているが、
トルコ系住民が北キプロスを建てており、どちらともつかない。 >>52 キプロスの首都ってトルコ人もギリシャ人もレフコシアと呼んでるのに、なんで対外的にはニコシアなんだろう
十字軍に由来するそうだけど、今更そんな過去の遺物、しかもよそ者の付けた名前を持ち続けなくてもいいと思うけど。しかもレフコシアより歴史も浅いみたいだし。
別にニコシアでもリューコシアやロイコジアでもイギリス人やドイツ人が覚える労力に大差はないと思うけど 語源すらよくわからない古い都市にロマンを感じる
ダマスカスとか >>55
養父や阿漕のように有名な詐欺師のふるさとだったんだろう。 ヘロドトスで有名なハリカルナッソス(Halikarnassos)は古名をAlos karnosといい、前11世紀にドーリス人が建設した。
現代トルコ語ではボドルム(Bodrum)というが、これは1404年にロードス騎士団により建設された「聖ペトロ城」に由来し、
Petroniumが訛ってBodrumになったのである。 スケベニンゲン
チンゲンシュタット
ヤキマンコ
エロマンガ島
鰻湖 Scheveningenは、実際には「スヘーフェニンゲン」と発音するらしい。
ゲルマン系の言語で-ingは「人、住人」を意味し、vik-ingは「入江の住人」。
-ingの住む場所が-ingi/-ingen「集落、村」で、ドイツのニーダーザクセン州にはゲッティンゲン(ゴーテ川の傍の集落)という都市がある。
scheveは「傾いた、曲がった、湾曲した」という意味のようだ。
なお、オランダにはフローニンゲン、ビューニンゲン、ヴァーヘニンゲンなどの地名もある。 vikと同根の英語の単語ってあるのかな。まさかbayじゃないよな
英語圏でドイツ人のことをテデスキ、テディと通称するけど、
この事を知らない日本人は多いね
そんな通称どころか、フランスやスペインからはアラマンニ族由来のアルマーニュ・アレマニアと
正式に呼ばれてることも知らない人が世間では大半でしょうな。
テデスキについては、おそらくイタリアで使用される「テデスコ(=ドイツ人)」から借用されたものでしょう。
ブリテンでの異称はテウトニ族由来のチュートンが有名。ドイツ本国でのドイッチェと同じ由来。
ただ、テウトニもテデスコも「人々」という意味の同語から派生したものという話も聞きますが、詳細知りません。 日本の小中高で教わらない国名
スオミラント
バーラト
ポルスカ
ミスル
ヘルヴェティア ドゥクユル
シュチパリセ
グルジアなんかロシア語形のグルジアという表記をやめ、英語のジョージアにしてほしいと日本に要請するくらいだもんな
自称はどうでもいいのかよ 英国の日本語表記もエゲレス由来のイギリスよりUK(連合王国)かブリテンにするべきじゃないの?
ソ連をロシアと呼ぶくらいに強引ではあるが。 ボウリング条約
1855年4月,タイがイギリスの全権代表ボウリング卿John Bowring(1792‐1872)と
バンコクで締結した最初の修好通商条約。12条の修好条規,通商章程および
税率表よりなり,自由貿易の原則,一律3%の関税,外国人の居住ならびに
土地購入の条件,領事館の開設などが定められた。この条約,およびこれに
引き続きタイと先進資本主義諸国との間で次々に結ばれた同種の条約によって,
タイは近代国際法秩序を前提とする世界貿易体制に編入されることとなった。 タイのマレー人地域の地名が、ウィキの英語版でもマレー語形が併記されてるのがほとんどないのが気になる
今の行政区画が、そもそもタイに併合されてから伝統的な区割りを無視してできた人工的な物なので、多くは相当するマレー語の地名がないということなのかな
ポーランドの首都ワルシャワの語源は、ここに住んでいたワルス(Wars)と、その妻のサワ(Zawa)が
狩りに出て道に迷った領主を、親切に一晩泊めてあげた故事からついた。
なお、wikiによると古代スラブ語においてZawaは男性名だそうで、つまり男の夫婦……
これなんてポーランドジョーク? インカ帝国の首都クスコはケチュア語で「へそ」という意味 >>73
そういえば、数年前に「オーストリア」が「オーストリー」に名称を変えてほしい、
って言ってたけど、定着しなかったみたいだね ナイジェリアやカメルーンのアダマワ州は19世紀にアダマさんが国を建てた
ことに由来するが、人名地名となるとどんながあるかな
新大陸であると主張したことでアメリカの由来となったアメリゴさんもすごいな 発見者から
コロンブス→コロンビア
オラニエ公マウリッツ→モーリシャス
ジャン・モロー・ドゥ・セシェル→セーシェル
ジョン・マーシャル→マーシャル諸島
ジョン・クック→クック諸島
アベル・タスマン→タスマニア島
ヘンリー・ハドソン→ハドソン川、ハドソン海峡、ハドソン湾
建国者から
シモン・ボリバル→ボリビア
聖マリヌス→サンマリノ
植民元の王名から
ルイ14世→ルイジアナ
エリザベス1世処女王→ヴァージニア
ジェームズ1世→ジェームズタウン
山ほどあるな… 幕末に来たペリー艦隊は、日本の土地に勝手に自分たちで名前をつけていった。
たとえば根岸湾をミシシッピ湾、長浦湾をポーハタン湾、浦賀沖をサスケハナ湾、久里浜湾をレセプション(応接)湾と名づけ、
猿島にはペリー島、夏島には当時の国務長官の名前を取ってウェブスター島と名づけた。
本牧岬はトリーティー(条約)岬、旗山崎はルビコン岬で、本牧の崖はマンダリンオレンジの色だったのでマンダリン崖と命名された。
また途中では小笠原諸島にボニン(無人)諸島と名づけ、父島をピール島、母島をヒルボロー島と命名してもいる。 いやボニン(無人)は日本語でしょ。小笠原のほうが人名地名ですが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E8%B2%9E%E4%BB%BB
なんでもまあ詐欺師と断ぜられた小笠原貞任の名がついちゃったとか
ハジケてますねえ。ちょっと"アメリカ"の由来とノリが近い? 樺太と沿海州の間の海峡は、日本では間宮海峡として知られるが、
諸外国ではタタール海峡と呼び、ロシアでは最狭部をネヴェリスコイ海峡と呼ぶ。
シーボルトは海峡最狭部を「間宮の瀬戸」と記したが、海峡全体はタタール海峡とした。
テュルク・モンゴル・ツングース諸族は、西洋人からはタタールと総称され、
清朝の本土たる満洲も「シナのタタール部分」に含められていた。 34 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2011/01/26(水) 02:21:53 0
朝鮮半島に存在した高句麗・百済・新羅の史料にも、倭国・日本の古史料にも「朝鮮」という文字は全く見えず、
もっぱら中国史料にのみ「朝鮮」の地名・国名がある。だから朝鮮とは自称ではなく、中国からの他称である。
韓国や北朝鮮では「朝鮮(チョソン)は粛慎・女真(ジュルチェン)と同じで、ツングース語で『同族』を意味する」などというが、
前漢の『尚書大伝』では「朝日鮮明」の意とする。1481年に李氏朝鮮が作った『東国與地勝覧』では「朝光鮮麗」とする。
つまり「朝日が鮮やかな東方の国」を意味する漢語で、朝鮮・韓国の土着語ではなく、ましてやツングース語ではない。
また劉宋の張晏『史記集解』、唐の『通典』などには、
「朝鮮に湿水、洌水、汕水があり、三水が合流して洌水となる。定かではないが楽浪朝鮮はここから名を取ったものという」とある。
「朝」は「潮」のもとの字で、左側は「草叢の間から日が昇る」さまを表す。
右側は月であるが、古い字体では水が流れるさまを描いており、日の出とともに潮が干満することを指す。
「鮮」は汕水のことで、またその河口部の「潮流鮮明な地」が「朝鮮」なのである。これもまた漢語であって、朝鮮・韓国の土着語ではない。
楽浪朝鮮とは平壌(王険城・楽浪)で、大同江のほとりに開けており、この川が列水で、河口部は列口と呼ばれた。
漢代の朝鮮討伐では「渤海から列口を船で遡って王険城の南に至った」とあり、大同江の主な支流には普通江・載寧江がある。
考古学的にも、平壌周辺からは「楽浪」の漢字を記した瓦や漢〜晋代の遺跡・遺物が豊富に見つかるので、ここが楽浪郡であることは疑いない。 ソビエトとはロシア語で会議という意味だというけど、
こういう人々が集まって行う行為を国名にした国は
人類史上、ソ連だけと考えていいのかな? >>93
民族や土地の名称は付いてないからねえ。
そうかも。 テュルク諸語では、氏族や部族をオグズ、オグル、ウイグルと呼んだ。
西突厥はオン・オグズ(10の部族)、ウイグル可汗国はトクズ・オグズ(9の部族)と称し、
キルギスはクルク・オグズ(40の部族)が訛ったものという。
ハンガリーはドイツ語でウンガルンというが、これもオン・オグル(10の部族)から来ている。 アジアとヨーロッパの語源は、メソポタミアのアッカド語までさかのぼる。
彼らは自分たちから見て、
東方を イルシトゥ・シャ・シャマシュ・アス 「太陽が出る地」
西方を イルシトゥ・シャ・ シャマシュ・エレブ 「太陽が入る地」と呼んでいた。
この2つの呼び方の末尾にあるアス(出る)とエレブ(入る)がそれぞれ、多分アラム語を経由して、
ギリシア語に入ったものらしい。 北アフリカをマグリブないしマグレブというが、これはアラビア語の「日没の地、西」で、ヨーロッパと同じ語源。
「西の果ての地(Maghrib al-aqsa)」が訛ってマラケシュ、モロッコになったとの説もある。
そのアラビアはアッシリアの碑文にarbaiとして見えるが、どうもメソポタミアから見て「西」だからのようだ。
エジプトの西のリビアは古代エジプトではLBWと記されたが、これもおそらくエレブから来ている。 バルト海のBaltは、バルト諸語で「白い」を意味するとも、デンマーク語で「海峡」を意味するともいう。
しかしデンマークやスウェーデン、ドイツやオランダでは、この海をオステル・ショーン、オスト・ゼー(東の海)と呼ぶ。
バルト海の東岸にあるエストニア(東の国)では、バルト海をラーネ・メリ(西の海)と呼ぶが、
エストニアと同系統の言語を話すフィンランドでは、西にあるのにイータ・メリ(東の海)と呼ぶ。
これはフィンランドが長くスウェーデンの支配下にあったためという。 北海は英仏独蘭からの名称だろけど、他の国ではなんと呼んでいるのかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています