アラブ世界がキリスト教を受容していたら
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多分産業革命が中東まで浸透して、日本、清はすぐに植民地 コーカソイド至上主義な世界になっただろうな
キリスト教徒への襲撃相次ぐ、町を捨てて避難 エジプト http://www.cnn.co.jp/world/35097828.html 2017.03.09 Thu posted at 12:53 JST エジプト・イスマイリア(CNN) エジプトのシナイ半島北部の町アリシュではこの1カ月ほど、過激派組織 「イラク・シリア・イスラム国(ISIS)」の分派によるキリスト教徒の殺害が相次いでいる。 2月21日に起きた事件では、銃を持った「ウィラヤット・シナイ」 というISIS分派の男らが民家を襲い、キリスト教徒か確認してから男性住民を殺害、略奪したあげく家に放火したという。 この事件以降、アリシュから200キロ離れたイスマリアの町には、500人を超える避難民が到着している。 教会によればエジプト国内の別の県に逃げた家族も多く、どのくらいのキリスト教徒住民がアリシュに残っているかは不明だ。 政府の公式な統計はないが、研究者や人権団体によればキリスト教徒はエジプトの総人口の10%を占める。 エジプトの農村部では、イスラム教徒住民とキリスト教徒住民の流血の争いがしばしば起きている。 たいていはキリスト教徒側が村を追い出され、争いの中で起きた犯罪が罪に問われることはめったにない。 だがアリシュで起きた暴力事件はこれとは異質のものだ。 「宗派対立による暴力事件には普通、教会の建設とか(異なる宗教の信者間の)恋愛ざたといったきっかけがある。 だが最近の事件では単にキリスト教徒だからという理由で標的にされている」と、人権団体の関係者は言う。 エジプト軍はシナイ半島北部における対テロ戦を優位に運んでいると主張している。 2月には、過激派が逃げ場所にしていたシナイ半島中部の山を占領したという。 だが住民の中には、守ることはできないから逃げろと警察からアドバイスされたと語る人もいる。 >>265 まずキリスト教化(コプト文字化)に伴う古代エジプト文字文明の蓄積の全喪失 次に、狂信的なアレクサンドリア教会の主教によって ギリシア系異教徒哲学者ヒュパティアが虐殺され、ギリシア系知識人が多数亡命した この時もうエジプトでは中世的閉塞が始まっていた エジプトにとってのギリシア・ローマ化の歴史は科学や民主制と全く無縁の 偏狭なキリスト教党派闘争の歴史でしかなかった キリスト教がローマの国教となってからは教会は穀物の収奪装置でしかなく 何百年も苦しめられていた民衆はアラブのジハード軍を歓迎したという カイロでは新たにコプト教徒がイスラムに入信するたびに深夜に太鼓とラッパで祝福した それが千年以上続き、いつしかコプト教徒は辺鄙な農村か都市の被差別者の一角にしか残らなくなっていた >>267 シリアやレバノンのキリスト教徒は立場がよりマシな状態で推移したように見えるが、どこが違ったんだろう 正教とかに比べてコプトのほうが嫌われやすい宗派だったということかい? >>268 コプトも「正教」なのでそれはない 単性論者だという決めつけもローマ側によるもので教義に大差はない 地理的位置関係と風土、それに政治的地位の違いだろうか シリアは地中海に開けていてギリシア・ローマ・エジプト・メソポタミアすべてと行き来が頻繁 貿易商人が多く視野が広く、行く先々に同族や親戚がいて情報が集まりやすい 広大なローマの属州であることが商売にはプラスにはたらく 異端騒動で紛糾しても誰かが学問を守るくらいの余裕はあったのだろう エジプトは地中海を除けばアフリカの奥地のどん詰まりに行くしかなく、 沿岸部のギリシャ系住民が全ての情報と学識と文化の「窓」 彼らが有識者を追い出して迷妄に陥ったらコプト教徒は一緒に馬鹿になるしかない またローマ時代エジプトは属州ではなく皇帝の「私領」だった (皇帝をファラオと同等の地位にしてエジプトの政治風土に合わせるため) のでローマ法が適用されず、暗愚な穀倉地帯として収奪され放題だった 重い課税に窮屈な教会に情報の閉塞状態 >>269 詳しい説明ありがとう そうだよな、非カルケドン派であることではシリア正教会も同じだもんなぁ 辺境の農村民にかぎれば確かに理解もしやすいのよ、シリア方面だとそういう領域あまりなさそうだしね ただカイロやアレクサンドリアでもゴミ収集などを生業とする階層になってるのがね、けっこう差があるなぁと 豚の飼料にできることからそうなったらしいが、シリアじゃそういう階層ないからそれも被差別の結果だろうしね エジプトのほうではイスラム化以前より、中上流の都市商人層の比率が少なかったからってのは可能性あるかもね >>270 事実は別として推移の理由付けには多少想像もあったのだが、都市階層がそんなふうだということは 大体合ってたのかな 現代アラム語のネイティブ話者にムスリムが多くいる一方で(>>209 参照) 正教会信徒の大多数はすでにアラビア語使用者であり、都市部にいて高い地位を得ている者も多い (これはたぶんいま激変中) エジプトにおける「コプト語話者∈コプト教徒≒被差別民」という状況とはまるで違う またシリア人はウマイヤ朝の首都ダマスクスにいて、入信した者もそうでない者もどちらも 初期のイスラム帝国の形成に多大な影響を与えたと思われる >>271 大体合ってたのかどうかが分かる知識はないねー残念ながら ただファーティマ朝の第5代アズィーズの時代でも、キリスト教徒とユダヤ教徒が宮廷の要職を占めてたりする そこだけ見るとシリアと状況は変わらないようにも見える、もっともコプト以外の宗徒なのかもしれないけどね ちなみに次代の息子は、母がキリスト教徒出身なのに教会やシナゴーグの破壊に励んだっていうから世の中わからん コプト信徒のエジプト人といえばガリ元国連事務総長。 この人の祖父は20世紀初頭にエジプトの首相をやってたんですね。 en.wikipedia.org/wiki/Boutros_Ghali >>272 ファーティマ朝の時代はイランではスンニー派のセルジューク朝が立ち どちらも人民の多数派と支配者の宗派に捻れがあったが イスラム史を通して見ても少数者が統治したほうが安定するようだ しかしそれは逆説的なあやういバランスの上に成り立っていて 民や家臣の特定の別の宗教にえこひいきしているのではないかという 疑念を晴らすためには異教弾圧もやむを得なかったのかもしれない >>273 ブトロスというギリシア風の名前からして、コプト教徒の中でもギリシアに近い層なのだろう それは南部の農民とは違うエリート層なのかもしれない ただそういう格差が宗教によって生まれるのは大帝国時代ではなく むしろ民主化や国民国家化が進んだ現代の特徴かもしれない 親日「サウジ」恐怖の“勧善懲悪委員会” 鞭打ち、斬首刑… http://www.dailyshincho.jp/article/2017/03260558/?all=1 「ある女子高で火事が発生し、肌を露出した女子高生が校舎から命からがら 逃げだしたところ、『委員会』のメンバーが“規則違反”を理由に押しとどめ た。更に悪いことに、消火活動にやってきた消防士が全員男だったので学校 に入ることを許されず、結果、15人が死亡したのです」 イスラム教が登場する以前は、シリアもエジプトもローマ帝国でキリスト教だっただろ? 問題の設定が間違ってるんじゃないか? 既出かもしれないが、フセインを補佐してた アジズ副首相はキリスト教徒だったよな。 自分で改めて調べてみる。 >>276 いやそれはさすがに違う だがアラブ人がキリスト教徒だったことがないはずもない アラブ人の故地であるアラビア半島には偶像崇拝の諸部族と ユダヤ教徒とキリスト教徒がいた ムハンマドは初期のジハードで彼らを倒し、啓示の通りならズィンミーとして庇護下に置いたはず ジハードはやがてメソポタミアやイラン、レバント、エジプトへと広がったが、 行った先にはアラブ人はいない イスラム帝国の拡大とともにアラブ人が移住し、また現地人と通婚しアラビア語を普及させてアラブ化したのだ 布教と言語の普及は同時進行だったので、アラビア半島以外のアラブ人のムスリム率は結果的に高い しかし中には言語はアラブ化したが宗教はキリスト教のままだったり、 イスラム化はしたが土着言語のままという例も出てくる アラビア半島を離れるほど後者は多いが、逆に前者はシリアやエジプトなどの比較的近い地域にいる 「アラブ世界」の定義が君ら二人で食い違ってるんじゃね? >>276 は現代の領域を想定していて>>278 はムハンマド前夜のことを言っている >>1 無理 動力革命は水力で、ナイル川など大河に限定される。ナイル川工業地帯ぐらいはできただろう。 しかし、二番目は石炭による火力で、ヨーロッパでも石炭がない地域がここで脱落する。 石炭を運ぶ鉄道も不要。積出し港もできない。製鉄・金属精錬・金属加工などにつながらない。 >>279 シリアやエジプトは非アラブのキリスト教徒が後からアラブ化した例で アラビア半島にはイスラム以前からキリスト教徒のアラブ人がすでにいた スレタイ通りなのは後者だけで前者は違うと>>278 で言いたかった コーランでは、キリスト教の知識を前提とした上で、多少改編されたエピソードや異なった教義を唱えている イスラム教はキリスト教を土台とし、これを否定し踏み越えるように発達した宗教だ >>1 の間違いは1)アラブ世界にキリスト教がなく、イスラム教がいきなり単独で生まれたと思っている所、 2)アラブ世界がキリスト教化しさえすればイスラム教は生まれず広まらず、 アラブは西欧と歩調をともにした筈だと思っている所 預言者ムハンマドが活躍した時代、エジプトの言語はアラビア語ではなかったのでアラブに含まない。 “無明時代”のエジプトにはキリスト教のみならず仏教も伝わっていた。 この板には肌の色と顔だけで民族を決める顔バカがいるからな 中央アジアの話になるとドルジ顔ドルジ顔コーカソイドモンゴロイド白人白人白人様ぁとうるせえうるせえ >>287 いやここではそれ関係ないと思う、たぶん>>280-281 の流れで恥かいたのを誤魔化そうとしてるだけだな >>267 >キリスト教がローマの国教となってからは教会は穀物の収奪装置でしかなく >何百年も苦しめられていた民衆はアラブのジハード軍を歓迎したという 19世紀にフランスがアルジェリアを植民地化したとき、北アフリカはかつて 聖アウグスティヌスを生んだ土地だというので、「北アフリカの再キリスト教化」を もくろんだらしいが、結局エジプトを含めた北アフリカにとって、ギリシア・ローマ時代は あまり地元にメリットがなかったということかな。 >>284 確か、アレキサンドリアが「アラサッダ」として出てくるんだっけ?でもアレキサンダー大王が征服した土地にたくさんアレキサンドリアが作られてるはずだから、 バクトリアかその辺のことじゃないの?本当にエジプトまで仏教が伝播? 中東がキリスト教のままで、アナトリアに侵入してきたトルコ民族が東方正教に 改宗して、トルコ人とギリシャ人が同じキリスト教徒なら、近現代のトルコと ギリシャが同じ国になって、首都がコンスタンティノープル(イスタンブール) なんて可能性もあったのだろうか。 トルコってあのあたりに一番最後にやってきたグループなのに、トルコ語で「人」をさす語はアダム(adam) もちろんあのアダムとイブのアダムと同じ語源 日本語や朝鮮語や英語といった借用語だらけの言語ですら、人という普通名詞は固有語を用いるのに、 なんでトルコ人はイスラム化して人という単語を外来語に取り換えてしまったんだ 中東がキリスト教世界だったら、ビザンツ帝国の歴史がかなり変わってくるだろうな 十字軍も起こらなかっただろうから、第4回十字軍でコンスタンティノープルが陥落することもなくなる >>293 知らんけど抽象的な言葉なんじゃないの? >>293 >日本語や朝鮮語や英語といった借用語だらけの言語ですら、人という普通名詞は固有語を用いるのに、 ヒト ←→ 人間 사람 ←→ 人間 man ←→ human それぞれ固有語と借用語とを使い分けてる トルコ語は使い分け全く無しで固有語の人は完全に死語なのか? とりあえずアラブって最初だけでダメダメじゃん アラブ人って騎馬民族やイラン人に支配されてないとダメな人たちだし >>269 さらっとでたらめなこと書いてるなコイツ >沿岸部のギリシャ系住民が全ての情報と学識と文化の「窓」 ギリシャ人なんてエジプト全土に無数にいたぞ最南端のエレファンティネ島にも居たぐらいだし >またローマ時代エジプトは属州ではなく皇帝の「私領」だった >(皇帝をファラオと同等の地位にしてエジプトの政治風土に合わせるため) >のでローマ法が適用されず、暗愚な穀倉地帯として収奪され放題だった 皇帝の私領だから属州でないとかローマ法が適用されないとかイミフ 属州の代官を皇帝が直に任命する以外は属州法廷を開く権利や不法行為を働いたローマの役人をローマ騎士を代理人に立てて訴追する権利を有していたり 他の属州と変わらんぞ スレチだけど アルゼンチンのメネム元大統領がアラブ系なのは知ってたけど, キリスト教徒ではなくイスラム教徒の家に生まれてて後に キリスト教へ改宗した事は後で知りますた。 中南米のアラブ系って元からキリスト教徒だった移民が多いイメージ があるけど,キリスト教に改宗したイスラム移民も少なくない? ムハンマドはイスラム教を興そうとしてたけどキリストは別にキリスト教を作ろうとはしてないんだよな アラブ世界がキリスト教を受容したとしても、ピョートル大帝みたいな西欧に 目を向ける支配者が出てこなければ、発展なんて無理じゃね? イスラム教が発足しない状態でキリスト教が広く受け入れられても今度は キリスト教各派での激しい抗争がおこってたんかなあ。 >>275 エルドアンのトルコもこんな感じになりそうな気がするけどサウジの勧善懲罰委員会みたいな 宗教警察とかイランの革命防衛隊みたいな親衛隊組織(エルドアンならいずれ作るはず)って エルドアンの狂信者から選りすぐった連中から構成されるんだろうなぁ・・ >>260 若い頃の明の朱元璋も幹部だった、中国の明教はマニ教の流れをくむ教え いまや、「中東で唯一の安全な国」と言われるレバノン やはり、キリスト教じゃないとダメなのか? 非合理的な三位一体論をギリシャ的理論で糊塗してゴチャゴチャしたキリスト教はギリシャ文化の影響圏外では流行らない アッシリア教会だって中国モンゴルにまで宣教したけど結局消滅してアッシリア教会本体も三分の二がカトリックと合同して風前の灯火 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と 生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの 導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。 ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆ 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』 BS3TH 何だかんだ言って、キリスト教大国としての東ローマ帝国が今も存続していた可能性がある。 トルコ民族が流入しても、すぐにキリスト教化・ギリシャ化していたと思われる。 やがて元トルコ系の「オスマン朝」ならぬ「オスマノス朝」がパラオロゴス朝と覇を競っていただろう。 >>312 そうなると米英仏としては再巨大化した東ローマ帝国解体の為に アラビアのキリスト教ワッハーブ派やエジプトのキリスト教サラフィー派、 シオニズム運動、クルド独立派を支援せざるを得ない >>312 その世界だとイスラム教が育ってないんだからオスマンという名前自体がないような クトゥルゴス(トルコ系本来の人名の1つクトゥルグから)朝とかになるかな アラビア語が無くなって、コプト語圏とアッシリア語圏に分かれる。 アラブ連合共和国も無い。 >>312 東ローマ帝国の滅亡が200年早まってたよ。 バイバルスという楯が無くなって、モンゴル帝国がガチで獲りにくるよ。 北からバトゥ公勢、東からフレグ公勢に攻められて、あっちゅうまに滅亡するよ。 金庫に閉じ込めれて大好きな黄金に囲まれて餓死するのは、ムスタアスィムでなくて、 東ローマの皇帝だろうよ。 >>315 ベルベル諸語・ヌビア語・南アラビア諸語のエリアは確実に今よりも広そう 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方 興味がある人はどうぞ 検索してみよう『立木のボボトイテテレ』 IVA アラブ人がキリスト教徒になったとしても 正教かカソリックで工業化を満足にできない。 スペインやポルトガル・ギリシャような国になったと思う。 ルネサンス以前のアラビア科学の最盛期を担ったのはイランやスペインのイスラム教徒であり、アラブ人ではなかった。 ほど変わってないか 旧約聖書由来とアラブ固有の 影響があるとすればムハンマドの故事にちなむような名前くらいか あとアラブ以外のイスラム名で塗りつぶされたところ(マレー半島など)は、イスラムがなければ固有の名前が残りやすい? 東南アジアのチャンパからジャワにかけては 仏教化→ヒンドゥー化→イスラム化 という変化が起こった どれもインド商人がもたらした変化だ 仏教化で殺生戒が広まり、殺生戒と在家肉食可能との両立のために屠殺階級が生まれ、 カースト制付きのヒンドゥー化が同時に進行するという本末転倒が起こり、 それら全てを押し流すようにイスラム化した IFでイスラム化が何らかの理由で起こらないのなら、ジャワやバリのようにヒンドゥー化が進行し、そのままだったろう 現実のジャワ島は大半がイスラム化しているが、ヒンドゥー教徒とその文化が根強く、 バリ島は観光資源としてバリ特有のヒンドゥー文化が有名だが、島の西半分をはじめ今もイスラム化が進行中 言語的に非常に近くても、マレー半島のマレー人とスマトラのミナンカバウ人だと、ミナンカバウ人の方がインド系の名前をよく残してるみたいだな というかマレー人でもスマトラ側にいる方はそう マレーシアでは比較的最近に人名のイスラム化が急速に浸透したのかな どうも法律でマレーシアのマレー人ではイスラム系以外の名前がつけにくい状況みたい。不可能ではないにしても https://en.wikipedia.org/wiki/Malaysian_names#Malay_names >Malaysia's National Registration Department doesn't allow names which they deem have negative or obscene meanings, such as Pendek which means short. The Department additionally bans names with the meaning of colors, animals and natural phenomena. This effectively renders many traditional names illegal including Puteh or Putih (white), Wulan or Bulan (moon), Suria (sun), Rimau (tiger) and Awan (cloud). 国立登録局?というところが色や動物や自然現象や悪い意味の語に由来する名前を禁止してるらしい インドが分裂せずにすんだ キプロス島が分裂せずにすんだ スーダンがが分裂せずにすんだ エチオピアとエリトリアが分裂せずにすんだ ギリシャが発展していた。 ムスリムとクリスチャンが共生できたシチリアの文明度は欧州本土より高かったと言える 中世ヨーロッパよりイスラム世界のほうが文明的に上だったのは事実だが それは古代ギリシャの学問を保存していたからに過ぎない。 それはキリスト教以前の多神教時代のヨーロッパの遺産だ。 それを言い出したら多神教世界のままだったらという話になりかねんな。 それ楽しそう 各国の宗教で各国の神々が入り混じって、神社でエロスやペルーンやアヌビスやオーディンが祭られたりw キリスト教徒はよくギリシャ哲学による高度な論理を自慢するが それが多神教時代の柔軟な思考の産物だということを無視する ぶっちゃけヘブライズムだけだったら硬直して頑迷で野蛮な思考で終わっている ユダヤ教だって発展したのはバビロン捕囚以後に多神教文明に触れたから 故地ではただのカルト集団(同じカナン言語圏の中で浮いていたという意味で) >>327 ゲルマン人とかヴァンダル人とかフン人が文明破壊したんだから多神教のままでも暗黒だわ 文明を破壊した野蛮人はやがて文明社会と同化してその一部になる そこに宗教の違いはない キリスト教世界がギリシャ哲学を逆輸入→ルネッサンス→宗教改革→プロテスタンティズム →近代資本主義→産業革命→帝国主義って感じで 支流に進化論発生→人種論(帝国主義正当化)→ナチズム失敗→多文化主義かな アラブ社会が古代の学問を保存してなかったら産業革命どころか啓蒙主義もなかった。 アラブ人じゃなくてキリスト教徒やユダヤ教徒が保存していただけなので問題ない >>328 実際、キリスト教の「聖人」の中には、 多神教時代からの神々が「聖人」化されてかなり入り込んでいるというぞ。 ちがくない? 聖人に土田舎の神観が与えられたのであって神々が聖人化したわけじゃないだろ キリスト教化なりイスラム教化したときって、従来の呪術師とかシャーマンがしれっと新しい宗教の聖職者に横滑りで転職ということもあったんだろうか それとも頑として自らの信条を譲らず、迫害されるばっかりだったのかな ムハンマドの時代にムスリムになった詩人がいたな ムスリム陣営のために詩を作って活躍したらしいが クルアーン自体が「アラビア語の詩として優れている」っていうのが大前提だからな 散文として読むからいろいろ見当違いトンチンカンな批判が生れる 司祭を表すヘブライ語コーヘンはアラビア語ではカーヒンに対応する ジャーヒリーヤ時代カーヒンは神懸かり的に託宣を述べるような異形者だった >>264 1年半後の遅レスになりますが,イベリア半島のキリスト教徒が仮にローマカトリックを 奉じたまま民族的・言語的にアラブ化されて現在に至った場合,アラビア語がローマ字で 表記されてたのかなと思いましたが、それはそれで興味深いような。 (ついでながらキリスト教徒の名前として用いられているぺトルスもスペイン/ポルトガル語形の ペドロではなくアラビア語形のブトロスが現地のキリスト教徒の間で使われてるんでしょうかね) イエス→ヤスーウ キリスト→マスィーフ ヨハネ→ユーハンナー パウロ→ブールス マリヤ→マルヤム >>345 アラビア語ではイエスはイーサー、ヨハネはヤーフヤ、パウロはバーウールだったと思うが >>346 キリスト教徒の使うアラビア語だとヤスーウなど イーサー→ギリシャ語イエースースのアラビア語化 ヤスーウ→アラム語イェシュアのアラビア語化 どのみち今がヘススなんだから、大して変わらなくね? というか、むしろイーサーやヤスーウのほうがイエスに近いと言える >>344 口語アラビア語の一種で ラテン文字表記正書法に則り ローマ典礼カトリック教が思想基盤 マルタ語だね >>344 政治的にイスラム圏統治のままだったら、ローマ字は使われないかも知れない あるいはアラビア文字のスペイン語やバスク語が生まれて別の名前で呼ばれている 言語を2つに割って、一方にはムスリム用のアラビア文字表記の別言語を作る、 というかそういう言語が生まれているのがイスラム圏でよくあることだから >>348 そういう話はしていない ただ、スペインで男児にヘススと気軽に名付けるのは他所では無いことだと思う これは「イーサー(イエス)は神ではなく預言者であって単に人」というイスラム圏の感覚が イベリア半島に残していった習慣だろう ムスリムにもイーサーという名の人ならいるし、神扱いするような人名ではない アラブではないですが,イスラム教徒のキリスト教改宗といえばロシアでの タタールが頭に浮かびました。 >>351 スペインではイエスがヘススという形で用いられてるそうですが,お隣 ポルトガルでもイエスが人名として使われてるんでしょうか >>352 スペイン人がイエスをヘススと呼ぶことと、その名を人名によく使うということは、別の話 文面では混乱しているようなので一応確認のために その上でポルトガルについてだが、 「why do the spaniards use Jesus as given name?」 で検索したら、「スペイン人とポルトガル人はJesusを人名として使う」という意味の文面が出てきた ポルトガルでもやはりあるらしい(ということはブラジルでもあるだろう) レコンキスタ後に帰還ではなく残留を選んだイスラム教徒(アラブ人やベルベル人)が そのための条件としてキリスト教に改宗するときに選んだ名前にJesusがあったという説があった ただ私の考えでは、同じように残留のため改宗したユダヤ人(マラーノ)にもヘススを選んだ人がいたと思う 特に元の名前がヨシュアだった場合 ちなみにポルトガル語ではJesusはアクセント符号なしで「ジェズス」と発音し、 これが日本のキリシタンのゼズスという発音の元になる 洪水伝説の再来 : アラビア半島を中心とした中東地域の過去1ヶ月の雨量と洪水発生数が観測史上最大に。そこからふたたび思う「黙示録の時代」 https://indeep.jp/apocalypse-now-arabia-is-under-water-2018/amp/ @さんから アラビアもアフ同様緑を取り戻す為の洪水。 あまりにも雨の量が多いのはこの世の酷さでもある。 黙示録には、ないこと。 赤土なのは、赤い豆が大量に生えていた土地だから。 他の土地も例外なくそう。 中東のキリスト教の中心となる都市は やはりアンティオキアだろうか 北アフリカ・シリア・レバノン・アナトリア辺りはいったんキリスト教を 受容したのに、その後イスラーム化してしまった やはりこの地域にはキリスト教は向いていなかったのだろうか イスラム以前に中東で盛んだったキリスト教はシリア正教やエジプトコプト教会みたいな単性論派とムハンマドの叔父が信仰しムハンマドやイスラム教にも影響したネストリウス派。 多分この二つが中東二大教派になってただろう。 両派とも東西分裂以前のローマ教会と見解の相違で分かれた宗派。 アラビア半島に興ったイスラームとその拡大の波は、七世紀末から八世紀初頭には モロッコにも到来した。 そして多くのベルベル部族がイスラームに改宗したが、それは711年に始まる アンダルス(イベリア半島)征服に参加することで戦利品収入が期待できたことと 無縁ではない。 >>278 ムハンマドの叔父にネストリウス派キリスト教徒がいてムハンマドも影響受けてる。 >>363 十分の一税のどこが重いw 日本のお百姓さんが聞いたら ローマ帝国に移住希望殺到だろうww >>364 十分の一税は法的な定めで、法律外の重税があった 徴税請負人が着服する「税金」が多い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる