【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】
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一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。
基本はsage進行。バルバロイによる荒し、煽りは適当に無視して下さい。
現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。
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【栄光の】トレビゾンド帝国総合スレ【東ローマ】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284293895/ >>136 願望では?
東ローマは周囲のブルガール、ノルマン、トルコ、アラブ、スラブなどの蛮族に
領土を奪われながら奪還できず、侵略され続けているのに内ゲバもひどいな
自分が皇帝になりたい軍人ばかり
東ローマ 南宋 カルタゴ オランダ 負けに不思議の負けなし >>136
あの時代には、封建化が進んでいた訳で
貴族の重層騎兵はイスラム世界の兵士には脅威だったでしょう
イスラム圏も高度な文化と武力を誇っていた時代ですから、お金もかかりますし
現実的軍事行動だったと言えると思います ニケフォロス2世の頃まで、イスラームに負けっぱなしという反動もあるかも
実際には、ニケフォロス2世以前からイスラームには勝利し始めてるんだけど
アンティオキアの回復というわかりやすい功績で名声を獲得した、という感じ ニケフォロスといえば、1世のほうの年代記での書かれっぷりにはわろた
年代記作者 「非道の為政者、その十大悪政を非難する!」
現代の研究者 「いずれも国情をよく観察した上での理に適った政策で、しっかり成果を残した」
・・・ビザンツ官僚ェ('A`) 皇帝はいつからラテン語しゃべれなくなったのだろうか 皇帝は神の代理人ってフレーズすき
帝国は神の国の代行者ってフレーズもっとすき
こんなに中二病を擽る国なんだからもっと創作の題材になってもいい いくら過去の栄光があっても滅んで500年で後継者もいないからマイナーなのもやむなし。ロシア?知らない子ですね
子孫がイギリスだかにいるんだから、西欧に亡命政府立てておけばマルタ騎士団みたいに現在まで残ってたかもしれんが 奈良県橿原(かしはら)市の新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群(国史跡)の126号墳(5世紀後
半)で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国(前27〜395年)領内で見つかったローマ・ガラス
とほぼ一致した。東京理科大の阿部善也助教(分析化学)らの蛍光X線分析で分かった。国内の古墳
出土品のガラス器がローマ伝来と科学的に裏付けられたのは初めて。
(記事の続きや関連情報はリンク先で)
引用元:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASGCD3C6RGCDPOMB001.html ユダヤ人は何回蛮族に攻撃・破壊されてもヘブライ人と呼ばれた頃から一貫してユダヤ人性を感じるのに
ギリシャ人はアカデメイア閉鎖、キリスト教改宗の辺りから既に精彩を欠くようになり
古代ギリシャ科学ですらユダヤ人から教わらないといけなくなったような感じがする
ラテン人なんてラテン風の名前すら消滅したし、今のイタリア人とは断絶がある感 >>146
個人差も強いとは思いますが、ギリシャ正教徒の右派気味の方は
今もコンスタンチノープルが日本でいう京都の感覚である事に驚いたことが
近代のバルカン戦争でもギリシャ軍がかつての都を目指して惨敗
日本人が思うよりはギリシャ人に東ローマ帝国の臣民の末裔の意識が強いかと >>147
まあなんやかんやでみんなまだ正教信者だからな >>141
中世のビザンツ官僚は、イスラム社会の力も現実的に把握していた
ラテン圏はからすれば、異教徒は潰せと考える人間が多かったから
その老獪さが、いやだったのでしょう
>>145
海のシルクロードや、商売、文化交流が今考えられている範囲が狭い気がします
もっと、広く捉えなおすべきかと ニケフォロス1世は、東ローマ版のヴェスパシアヌス帝だな。
いわゆる財政再建屋で、世間の評判が悪くなろうと国家の基礎体力を滋養するタイプ。
その恩恵で花開いたのが五賢帝時代と、アモリア朝後期〜マケドニア朝前期の東ローマ再興時代。 >>150
ニケフォロス1世は優秀な文官タイプ
皇帝には、惰性的な人間も、軍人型の人間もいて
適度な新陳代謝が帝国を長続きさせたのだと思う パレオロゴス朝の海軍とかマニアックすぎるわw
Byzantine Naval Forces 1261-1461 (Men-at-Arms)
ttp://www.amazon.co.jp/Byzantine-Naval-Forces-1261-1461-Men-at-Arms/dp/1472807286/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1416791274&sr=1-1&keywords=Ottoman そのテーマで300ページとか書かれてたらどうしようと思ったけど、48ページで安心したw >>154
皇位が血縁で継承されていない場合が多い(臣民が皇帝を変えたりしている)
そのことが、逆に帝国を長続きさせたのだと思う
>>152
中世のビザンツの重層騎兵もイメージが湧かないけれども、オリエンタルな要素があったのではと外国の本や模型からは感じる コンスタン略は飛行機が出来るまでは、
世界の要の都市だったからな。 1800年代後半までトップクラス
大コケは20世紀から。
今でもwikiでは市域人口なら世界7位だそう。一千万都市 コンスタンティヌスの建都から数えて1600年の歴史の中で
1300年くらい大帝国の都だった都市なんだから
大帝国の都おして世界最長記録かもしれぬ
長安やローマより長いはず 全然長い。正直怪物レベル
思いつく都市を挙げても匹敵者は無い
ロンドンパリベルリンモスクワ北京東京N.Y.
ローマカルタゴバグダッドエルサレムカイロ杭州... 東京は短いが京都千年の歴史
20世紀に首都で無くなったので良い形で残った そのダマスカスも例のシリア内戦で目茶目茶になり
観光名所のサラディンやバイバルスの墓廟も見学できなくなっている。 正直ブハラでもサマルカンドでも紀元前都市なんてたくさん残ってる。
京都なんて新米都市レベル。
東京への対抗心で歴史の長さを売りにするが、
東京は東国でも最終開拓都市で、
どの都市でも古代以前。多分京都は新しい方。 3500年前の城壁を修繕しながらつい最近まで使ってた鄭州市なんてのもある。
黄河の大氾濫で定期的に埋め立てられてるからめぼしいものは残ってないけれども。 >>166
>つい最近まで使ってた鄭州市
ということは今はもう使ってないのか >>167
一応史跡として保存されてるがドタバタしてるみたい。
>>166で言ったのは近年まで市街の境界として機能していた、という意味ね。
20世紀になって市街が拡大して狭い旧城壁が邪魔になったので調査してところ
(これはヨーロッパでもよくあった話)、
基盤部分が3500年前のものと判明した、という経緯。 日本は奈良が最古だから(現在まで続いている中では)、
なぜか古い都市が全然ない こういってはなんだが、出雲国造のような明々白々な古代都市は、
ちゃんと数えれば数多あるのだが、
親分の大和が初期に消息不明なため、
その他地域は全て遠慮して前に出れない状態。
二千年レベルは探せばあるだろう。 日本は木造建築が多いから古い家が残らない
古い都市がないのは当然
でも無かったということではない 初歩的な誤解をしていた 第四次十字軍は決してギリシャ人=正教徒 ラテン人=カトリックだから異端の首都を攻撃した訳ではなく
皇位継承争いで東ローマの皇子によって招かれた オスマン帝国が東ローマを滅ぼす時にはベネチア傭兵が守備についていた
ギリシャ人が弱兵の為、西欧人はしばしば傭兵になっていた
カトリックと正教徒の関係自体は、別に対イスラム、ユダヤ、プロテスタントほど悪くなかったのどころか
皇子は東西両教会統一の提案までやっているし、なりゆきいかんで再統一できる雰囲気があるのが同じ一神教でも回猶新と違うな フランク族の要求した軍資金を出し渋ったら帝都を占領された。
西の辺境の熊男たちの攘夷思想が疎ましかっただけだ。 フィレンツェ公会で合同が可決されたけど、使節団が帰った後、本国で神品と民衆の大反対で合同なかったことにされたし、合同が成功する可能性は低かったな >>173
いや、探しても現在まで続いている都市はなかった ラテン帝国建国で滅んだのに、二ケア帝国が勝手にローマ帝国僭称したんだよなぁ
二ケア帝国をローマ帝国と認める程度は神聖ローマ帝国をローマ帝国と認める程度と同じに過ぎない 世界最古の都市とかあるあたりは乾燥地帯で都市以外に人が住めないような場所なんだよなあ
だから井戸を掘って灌漑して日差しを防ぐ建物を建てて都市をわざわざ作らなくても豊富に食料が調達できたし日射病で死にもしなかった縄文時代の日本ではどう考えても分が悪い このご時世だけどトルコ行くことになった
イスタンブールの有名所は抑えておくとして、これはという所ある? 夏ならトラブゾンはじめ黒海沿岸をお勧めするが・・・
寒い時期ならエーゲ海側も空いてるだろうから、エフェソスとか廻ればいいんじゃね トラブゾン(スメラ僧院、アヤソフィア、博物館)
カイセリ(城壁、博物館)
カッパドキア(キリスト教遺跡)
コンヤ(ビザンツ時代の遺構あったっけ?)
イズニク(アヤソフィア、城壁)
こんなところか
トラブゾンは寒さは内陸部よりもマシみたいだけど、天候が悪いらしいね ありゃ、トラブゾンといってもトラブゾン県の山奥にある処分場の話
観光客が港湾都市トラブゾンの市街地を回ってるかぎりは関係なし 最後のパレオゴロス朝は悲惨な
衰退振りで記録を見たくないな イスタンブールにもハンマームがあるようだけれど、ビザンツ時代から続く施設は無いのかね? ビザンツ皇女の降嫁についての質問です
ビザンツ研究者根津由喜夫氏の「二人のピザンツ皇女の運命. 「ジラール・ド・ルシヨン」を読み解く」
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/3854/1/AA11131902-27-nezu.pdf
のp3に、
「西方で復活したローマ皇帝権の継承者とピザンツ宮廷との間で成立した婚姻関係は3例のみ、
しかもビザンツ皇帝の実子が対象となったのはその中の2例にすぎないのである」
と記載があります。この2例の皇女と夫の名前を知っているかた、教えてください。
また、1204年以前のビザンツ帝国において、皇帝の実子である、
いわゆる「緋産室生まれ」の皇女の降嫁は、キエフ大公のウラジーミルに嫁いだ
アンナ以外の皇女(上記2例を含む。オットー二世に嫁いだテオファノは姪との説が
あるので除外)には誰がいたのか、ご存知の方がおられましたら、教えてください。 ビザンツ皇女なんて野蛮なモンゴル人にまで嫁ぐくらいだからな
娼婦と何が違うのか、教えていただきたい チプラスを見てたらこいつらを思い出したんだが
政治家の兄弟とかおらんのかな?
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_) >>196
舌先三寸でバルバロイを手玉に取ってるんだろ。 アマゾンの「旅に出よう、Kindleと」という広告の背景がアヤソフィアだったけど
あそこでギボンの「ローマ帝国衰亡史」でも読めというのか? >>196
チプラスは国民の意向をバックに外債を踏み倒そうとしてるのだから
寧ろブラザースの兄の息子の失敗の逆をやってるように見える
どちらにしても詰みではあるが >>196
おったwww
ツィプラス首相の兄弟、ギオルゴス・ツィプラス外務省国際経済問題担当「合意なければギリシャのみならず国際経済にも害」
http://jp.sputniknews.com/business/20150708/550970.html 196です
よう見つけてくれた!ありがとう!!!
俺ら極悪非道のチプラスブラザーズ!
今日も金がないからEUにタカってやるからな
 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
∧_∧ ∧_∧
(・∀・∩)(∩・∀・)
(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_) >>200
アヤはトルコ語、ハギアは古典ギリシャ語 ギリシャが国有の港を民営化
東ローマ帝国にとって港は手放す物らしい 今回のギリシャ債務危機ではドイツとの関係ばかり問題視されて、終戦直後みたいな
米英の動きがないのは何故なんだろう ギリシャ・キプロスが経済危機に陥れば
ロシアが間違いなく地中海に出てくる だからそろそろ米英仏が顔を出してきてもいいはずだが
欧米西側にとって冷戦期に比べ著しくギリシャの戦略的価値が下がったのかも知れない
ユーゴ内戦も終結した事だし 冷戦期にギリシャが港売りに出したら米英は気が気じゃないはずよ
未だってロシアの金持ちが買うかも知れんでしょ ギリシャ救済案の一つとして三分割はどうだろう ペロポネソスとエーゲ諸島が中露の勢力圏になるのはあきらめる
隣のトルコとクルディスタンに欧米の草が強力な動きをしているので妥協する
その代わりマケドニアは米英仏イスラエルの勢力圏とし、歴史的には古代マケドニアとあまり関係ないけど
古代マケドニアとの連続性をつけたがるスラブ系のマケドニアとくっつける
首都はユダヤ人が多いテサロニキとする
最後の西トラキアはブルガリアかトルコに引き取ってもらう・・両方とも嫌がるか・・ ユダヤ人の王国はローマによって完全に滅ぼされた その後ユダヤ人は自前の国家をあえて持たない戦略を長く続けた
これが勝利の秘訣だったのだ イスラエルなんかユダヤ人の為にはならないよ
東ローマ帝国はギリシャ語圏の帝国で変に長続きしたせいでギリシャ人は変革できなかった
っていうか国が滅んだ事を理解して180度思考回路を変えた民族はユダヤしかいない
後の民族は帰属国家がどれだけ落ち目になっても、それにしがみつく事しか考えない
既存の王朝は新手にとって代わられていずれ衰退する 力をなくした皇帝より無冠の帝王になる事を目指すべき ビザンツ帝国の宦官について書かれた英書で
最も参考になる作品は、何という書物でしょうか?
何冊か教えて下さい。
よろしく >>212
uploadに失敗し失礼しました。
Wikipediaの英語版で「宦官」を検索し、内容を読み、最後のNotes上の
山ほどある引用文献を調べれば良いのでは?あえて英書で推奨本と書いて
あるので探すのは問題はないと思いますが・・・。 リビアはカダフィ政権崩壊後、東部トブルク政府(世俗派・カダフィ派)と
西部トリポリ政府(イスラム派・反カダフィ派)の二大勢力を中心に国が分裂しているが、
この東部と西部の境界が東西ローマ帝国の国境線だったんだよな
今のイラン・イラク国境は大体ローマ帝国とパルティア、東ローマ帝国とササーン朝、
オスマン帝国とサファービー朝の国境付近だわな 中東史には時々時空を超えるものを感じる セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの境界も東西ローマ帝国の国境線 >>201
>>208
経済わからんアホはギリシャ問題はわからんよ。
ギリシャ経済救済の最右翼はフランスだったろ。
当初からフランスが根回ししてドイツとプロレス演じてた
だけだ。じゃなけりゃ25兆円程度しかGDPが無い国が13
兆円もの支援なんか得られるわけない。
ラテン諸国は緊縮財政に反対してたからな。
それよりトルコだ。今のトルコはビザンチン時代の遺産たる
戦略的要衝としての国家の地位に執着しているからクルド人の
台頭を警戒する。
トルコの国力の低下は正教徒にとっては悲願だろうけどなw >>109>>65
コンスタンチノープルはその皇帝の権威にキリスト教会の
権威が支えられていた。相互補完的とも言えるけどな。
人口とかどうでもいいんだよ。ローマ教会の権威は政治力で
決定されていたから当然皇帝が居るコンスタンチノープルの
権威が都市としても教会としてもキリスト教世界で最高位。
だからイスラム社会でも後のカトリック世界でもコンスタンチノープルを
支配する価値があった。政治とは政治的な権威で動くものだ。
そして宗教はそれに利用されることが多い。
コンスタンチノープルが征服されてからは正教ではモスクワのクレムリンだな。
>>97
イスラム社会やロシアを通じて現代にも影響を及ぼしている点。
特に法典と宗教と政治地理的特異性。歴史で面白いのその連続性だ。
馬鹿にはなかなかここがわからないけどなww
>>90
ラテン語話していた時代からローマ人はギリシャかぶれだったんだよ。
古代ギリシャ風の象等で残存しているものの殆どは古代ローマ時代の
リメイクだよ。
>>87
イスラム社会でもローマ帝国と呼ばれているしコーランにもそう
出ている。 >>44
関係ないよw帝国というからには皇帝の権威で決まる。
ローマ皇帝の権威に基づいて成立している帝国なんだから
ビザンチンでも東ローマでもなくローマ帝国としか
言いようが無い。当時は自他共にローマ皇帝と称されていた
わけで誰も東ローマ皇帝だのビザンチン皇帝なんて言っていない。
むしろ古代の方がローマは市民の国で古代以降の方が帝国だろww
共和制ローマの方が時代も長いだろ。
オクタビアヌスがプリンスみたいなふざけたこと抜かしていたのはまだ
ローマの下民に媚びないとならない時代だからだよ。
帝政が定着して以来はそういう傾向は減っていく。形式化形骸化して
行くんだよ。元老院なんてものも単なる皇帝の諮問機関程度になっていくだろ。
むしろ古代の帝政こそ揺り篭期の発展途上の帝政だよ。それが完成するのが2-4世紀だろうな。
だから正しくビザンチンと称されている時代こそ帝政ローマ。
つまりローマ帝国とは古代以上にビザンチンそのままだよ。
エンペラーなんて当初は単なる命令権で個人的な称号だ。
これが明確な政治的な権威と役職にまで発展するのは3世紀前後だろ。
つまり共和制のローマはその限界から前王政の権原により帝政に
発展させたんだよ。その際により求心的な政権を確保するために
キリスト教を利用した。それが完成したのがビザンチン時代の初期だな。
つまり帝権は法典と信仰により完成するんだよ。
古代ローマ法典が共和政時代の判例法や慣習法に近いものが
帝政時代に皇帝の命令と共に法典化されたと言うのはここでは常識でいいな。
それが完成した時代こそ帝政と帝権の時代だ。その恩恵は現在の我々も受けている。
本やサイトを鵜呑みにしないで少しは自分の頭で考えろ。
シーザーからコンスタンチンまでの連続性が見えないアホには
帝権の発展と完成は永遠に見えて来ないよ。
共和制好きなんて如何にも馬鹿面下げた現代的価値観による曲解だなw みんな分かってる前提で議論してるのに、一人大上段から大威張りで説教してるのが面白い 古代ローマ帝国の正統な継承国としては、15世紀中期まで東ローマ帝国(中世ローマ帝国)が存続していた。
当然のことながら、東ローマ帝国側は神聖ローマ帝国が「ローマ帝国」であることを認めず、
その君主がローマ皇帝であることも承認しなかった(二帝問題)。
一方、神聖ローマ帝国側でも、東ローマ皇帝のことをローマ帝国であると認めず、
「コンスタンティノープルの皇帝」「ギリシア人の王」などと呼ぶようになっていた。 >>224
「継承国」でもなんでもなくローマそのもの
コンスタンティノポリスのローマをローマと認めると
西欧文明はローマの正統後継者ではなく傍流になってしまうから
西欧人が「あんなのローマじゃない」とダダこねてるだけ 中世の終わりにはイスラム教徒のものになっちまったしな。 支配層がギリシャ人で国教がキリスト教の国をローマと言っていいのか問題 >>227
別の国だと言い張るならいつ革命があったのかはっきりしてもらおうじゃないか
コンスタンティヌスの遷都のときか? ディオクレティアヌスの遷都の時かな?
帝国本土がイタリアからオリエントに変わった
以後ロマノス4世までオリエントを重視し続けた アホな質問だなあと思ってたら、それ以上にヒステリックな反応で笑ってしまった 革命がなければ同じ国というのは革命的な理論だわ
あるいは「革命」の語義の革命的転換か だから別の国だというなら前にあった国が滅びてるはずだろ ガッリエヌスがクラウディウス・ゴティクスらに暗殺されてからは
バルカン出身者ばかり皇帝になるようになったけど
父ウァレリアヌスが東方担当でガッリエヌスが西方担当だから
既に東が優位で東ローマが始まりつつあった
ウァレンティニアヌス1世とウァレンスの兄弟では兄が西皇帝で
西が優位とされた例外だった 支配層ってギリシャ人だっけ?
アルメニア人とかイサウリア人とか色々な連中の寄せ集めだろ クラウディウス・ゴティクスからユスティニアヌス朝はバルカン出身者が
軍の主力で軍出身の皇帝の多くもラテン語話者だった
ギリシャ語話者は文官や聖職者として支配層だった
バルカンがスラブ化してからは東ローマ領内からラテン語話者が消滅
アルメニア人やイサウリア人とかアナトリア出身者が軍の主力になり
文官や聖職者だけでなく皇帝らもギリシャ語話者になった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています