【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】
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一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。
基本はsage進行。バルバロイによる荒し、煽りは適当に無視して下さい。
現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。
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【栄光の】トレビゾンド帝国総合スレ【東ローマ】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284293895/ トラブゾン(スメラ僧院、アヤソフィア、博物館)
カイセリ(城壁、博物館)
カッパドキア(キリスト教遺跡)
コンヤ(ビザンツ時代の遺構あったっけ?)
イズニク(アヤソフィア、城壁)
こんなところか
トラブゾンは寒さは内陸部よりもマシみたいだけど、天候が悪いらしいね ありゃ、トラブゾンといってもトラブゾン県の山奥にある処分場の話
観光客が港湾都市トラブゾンの市街地を回ってるかぎりは関係なし 最後のパレオゴロス朝は悲惨な
衰退振りで記録を見たくないな イスタンブールにもハンマームがあるようだけれど、ビザンツ時代から続く施設は無いのかね? ビザンツ皇女の降嫁についての質問です
ビザンツ研究者根津由喜夫氏の「二人のピザンツ皇女の運命. 「ジラール・ド・ルシヨン」を読み解く」
http://dspace.lib.kanazawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/2297/3854/1/AA11131902-27-nezu.pdf
のp3に、
「西方で復活したローマ皇帝権の継承者とピザンツ宮廷との間で成立した婚姻関係は3例のみ、
しかもビザンツ皇帝の実子が対象となったのはその中の2例にすぎないのである」
と記載があります。この2例の皇女と夫の名前を知っているかた、教えてください。
また、1204年以前のビザンツ帝国において、皇帝の実子である、
いわゆる「緋産室生まれ」の皇女の降嫁は、キエフ大公のウラジーミルに嫁いだ
アンナ以外の皇女(上記2例を含む。オットー二世に嫁いだテオファノは姪との説が
あるので除外)には誰がいたのか、ご存知の方がおられましたら、教えてください。 ビザンツ皇女なんて野蛮なモンゴル人にまで嫁ぐくらいだからな
娼婦と何が違うのか、教えていただきたい チプラスを見てたらこいつらを思い出したんだが
政治家の兄弟とかおらんのかな?
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(つ 丿 ( ⊂)
( ヽノ ヽ/ ノ
し(_) (_) >>196
舌先三寸でバルバロイを手玉に取ってるんだろ。 アマゾンの「旅に出よう、Kindleと」という広告の背景がアヤソフィアだったけど
あそこでギボンの「ローマ帝国衰亡史」でも読めというのか? >>196
チプラスは国民の意向をバックに外債を踏み倒そうとしてるのだから
寧ろブラザースの兄の息子の失敗の逆をやってるように見える
どちらにしても詰みではあるが >>196
おったwww
ツィプラス首相の兄弟、ギオルゴス・ツィプラス外務省国際経済問題担当「合意なければギリシャのみならず国際経済にも害」
http://jp.sputniknews.com/business/20150708/550970.html 196です
よう見つけてくれた!ありがとう!!!
俺ら極悪非道のチプラスブラザーズ!
今日も金がないからEUにタカってやるからな
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し(_) (_) >>200
アヤはトルコ語、ハギアは古典ギリシャ語 ギリシャが国有の港を民営化
東ローマ帝国にとって港は手放す物らしい 今回のギリシャ債務危機ではドイツとの関係ばかり問題視されて、終戦直後みたいな
米英の動きがないのは何故なんだろう ギリシャ・キプロスが経済危機に陥れば
ロシアが間違いなく地中海に出てくる だからそろそろ米英仏が顔を出してきてもいいはずだが
欧米西側にとって冷戦期に比べ著しくギリシャの戦略的価値が下がったのかも知れない
ユーゴ内戦も終結した事だし 冷戦期にギリシャが港売りに出したら米英は気が気じゃないはずよ
未だってロシアの金持ちが買うかも知れんでしょ ギリシャ救済案の一つとして三分割はどうだろう ペロポネソスとエーゲ諸島が中露の勢力圏になるのはあきらめる
隣のトルコとクルディスタンに欧米の草が強力な動きをしているので妥協する
その代わりマケドニアは米英仏イスラエルの勢力圏とし、歴史的には古代マケドニアとあまり関係ないけど
古代マケドニアとの連続性をつけたがるスラブ系のマケドニアとくっつける
首都はユダヤ人が多いテサロニキとする
最後の西トラキアはブルガリアかトルコに引き取ってもらう・・両方とも嫌がるか・・ ユダヤ人の王国はローマによって完全に滅ぼされた その後ユダヤ人は自前の国家をあえて持たない戦略を長く続けた
これが勝利の秘訣だったのだ イスラエルなんかユダヤ人の為にはならないよ
東ローマ帝国はギリシャ語圏の帝国で変に長続きしたせいでギリシャ人は変革できなかった
っていうか国が滅んだ事を理解して180度思考回路を変えた民族はユダヤしかいない
後の民族は帰属国家がどれだけ落ち目になっても、それにしがみつく事しか考えない
既存の王朝は新手にとって代わられていずれ衰退する 力をなくした皇帝より無冠の帝王になる事を目指すべき ビザンツ帝国の宦官について書かれた英書で
最も参考になる作品は、何という書物でしょうか?
何冊か教えて下さい。
よろしく >>212
uploadに失敗し失礼しました。
Wikipediaの英語版で「宦官」を検索し、内容を読み、最後のNotes上の
山ほどある引用文献を調べれば良いのでは?あえて英書で推奨本と書いて
あるので探すのは問題はないと思いますが・・・。 リビアはカダフィ政権崩壊後、東部トブルク政府(世俗派・カダフィ派)と
西部トリポリ政府(イスラム派・反カダフィ派)の二大勢力を中心に国が分裂しているが、
この東部と西部の境界が東西ローマ帝国の国境線だったんだよな
今のイラン・イラク国境は大体ローマ帝国とパルティア、東ローマ帝国とササーン朝、
オスマン帝国とサファービー朝の国境付近だわな 中東史には時々時空を超えるものを感じる セルビアとボスニア・ヘルツェゴビナの境界も東西ローマ帝国の国境線 >>201
>>208
経済わからんアホはギリシャ問題はわからんよ。
ギリシャ経済救済の最右翼はフランスだったろ。
当初からフランスが根回ししてドイツとプロレス演じてた
だけだ。じゃなけりゃ25兆円程度しかGDPが無い国が13
兆円もの支援なんか得られるわけない。
ラテン諸国は緊縮財政に反対してたからな。
それよりトルコだ。今のトルコはビザンチン時代の遺産たる
戦略的要衝としての国家の地位に執着しているからクルド人の
台頭を警戒する。
トルコの国力の低下は正教徒にとっては悲願だろうけどなw >>109>>65
コンスタンチノープルはその皇帝の権威にキリスト教会の
権威が支えられていた。相互補完的とも言えるけどな。
人口とかどうでもいいんだよ。ローマ教会の権威は政治力で
決定されていたから当然皇帝が居るコンスタンチノープルの
権威が都市としても教会としてもキリスト教世界で最高位。
だからイスラム社会でも後のカトリック世界でもコンスタンチノープルを
支配する価値があった。政治とは政治的な権威で動くものだ。
そして宗教はそれに利用されることが多い。
コンスタンチノープルが征服されてからは正教ではモスクワのクレムリンだな。
>>97
イスラム社会やロシアを通じて現代にも影響を及ぼしている点。
特に法典と宗教と政治地理的特異性。歴史で面白いのその連続性だ。
馬鹿にはなかなかここがわからないけどなww
>>90
ラテン語話していた時代からローマ人はギリシャかぶれだったんだよ。
古代ギリシャ風の象等で残存しているものの殆どは古代ローマ時代の
リメイクだよ。
>>87
イスラム社会でもローマ帝国と呼ばれているしコーランにもそう
出ている。 >>44
関係ないよw帝国というからには皇帝の権威で決まる。
ローマ皇帝の権威に基づいて成立している帝国なんだから
ビザンチンでも東ローマでもなくローマ帝国としか
言いようが無い。当時は自他共にローマ皇帝と称されていた
わけで誰も東ローマ皇帝だのビザンチン皇帝なんて言っていない。
むしろ古代の方がローマは市民の国で古代以降の方が帝国だろww
共和制ローマの方が時代も長いだろ。
オクタビアヌスがプリンスみたいなふざけたこと抜かしていたのはまだ
ローマの下民に媚びないとならない時代だからだよ。
帝政が定着して以来はそういう傾向は減っていく。形式化形骸化して
行くんだよ。元老院なんてものも単なる皇帝の諮問機関程度になっていくだろ。
むしろ古代の帝政こそ揺り篭期の発展途上の帝政だよ。それが完成するのが2-4世紀だろうな。
だから正しくビザンチンと称されている時代こそ帝政ローマ。
つまりローマ帝国とは古代以上にビザンチンそのままだよ。
エンペラーなんて当初は単なる命令権で個人的な称号だ。
これが明確な政治的な権威と役職にまで発展するのは3世紀前後だろ。
つまり共和制のローマはその限界から前王政の権原により帝政に
発展させたんだよ。その際により求心的な政権を確保するために
キリスト教を利用した。それが完成したのがビザンチン時代の初期だな。
つまり帝権は法典と信仰により完成するんだよ。
古代ローマ法典が共和政時代の判例法や慣習法に近いものが
帝政時代に皇帝の命令と共に法典化されたと言うのはここでは常識でいいな。
それが完成した時代こそ帝政と帝権の時代だ。その恩恵は現在の我々も受けている。
本やサイトを鵜呑みにしないで少しは自分の頭で考えろ。
シーザーからコンスタンチンまでの連続性が見えないアホには
帝権の発展と完成は永遠に見えて来ないよ。
共和制好きなんて如何にも馬鹿面下げた現代的価値観による曲解だなw みんな分かってる前提で議論してるのに、一人大上段から大威張りで説教してるのが面白い 古代ローマ帝国の正統な継承国としては、15世紀中期まで東ローマ帝国(中世ローマ帝国)が存続していた。
当然のことながら、東ローマ帝国側は神聖ローマ帝国が「ローマ帝国」であることを認めず、
その君主がローマ皇帝であることも承認しなかった(二帝問題)。
一方、神聖ローマ帝国側でも、東ローマ皇帝のことをローマ帝国であると認めず、
「コンスタンティノープルの皇帝」「ギリシア人の王」などと呼ぶようになっていた。 >>224
「継承国」でもなんでもなくローマそのもの
コンスタンティノポリスのローマをローマと認めると
西欧文明はローマの正統後継者ではなく傍流になってしまうから
西欧人が「あんなのローマじゃない」とダダこねてるだけ 中世の終わりにはイスラム教徒のものになっちまったしな。 支配層がギリシャ人で国教がキリスト教の国をローマと言っていいのか問題 >>227
別の国だと言い張るならいつ革命があったのかはっきりしてもらおうじゃないか
コンスタンティヌスの遷都のときか? ディオクレティアヌスの遷都の時かな?
帝国本土がイタリアからオリエントに変わった
以後ロマノス4世までオリエントを重視し続けた アホな質問だなあと思ってたら、それ以上にヒステリックな反応で笑ってしまった 革命がなければ同じ国というのは革命的な理論だわ
あるいは「革命」の語義の革命的転換か だから別の国だというなら前にあった国が滅びてるはずだろ ガッリエヌスがクラウディウス・ゴティクスらに暗殺されてからは
バルカン出身者ばかり皇帝になるようになったけど
父ウァレリアヌスが東方担当でガッリエヌスが西方担当だから
既に東が優位で東ローマが始まりつつあった
ウァレンティニアヌス1世とウァレンスの兄弟では兄が西皇帝で
西が優位とされた例外だった 支配層ってギリシャ人だっけ?
アルメニア人とかイサウリア人とか色々な連中の寄せ集めだろ クラウディウス・ゴティクスからユスティニアヌス朝はバルカン出身者が
軍の主力で軍出身の皇帝の多くもラテン語話者だった
ギリシャ語話者は文官や聖職者として支配層だった
バルカンがスラブ化してからは東ローマ領内からラテン語話者が消滅
アルメニア人やイサウリア人とかアナトリア出身者が軍の主力になり
文官や聖職者だけでなく皇帝らもギリシャ語話者になった 7世紀頃には公用語がラテン語からギリシャ語に変わり、政治的社会的に従来のローマとは様々な意味で変遷していたのは事実。
ただし、それでも当の本人たちは滅亡間際まで自分たちが「ローマ帝国」であるという建前を崩さなかった。
そういうところこそがビザンツ帝国史の面白いところだと自分は思うんだがな。 ラテン語を話していたイリュリア人やトラキア人が滅んでしまった ササン朝のシャープール1世にウァレリアヌスが敗れたけど
この戦いの敗北で重装歩兵は主役の座を降りたようだね
息子のガッリエヌスは騎兵を主力とする軍の改革をして
その騎兵を率いる将軍らに帝位を奪われてしまった
以後ローマは騎兵出身者に支配され続ける事になる
ウァレリアヌスとガッリエヌス親子はエトルリア出身で
最後のローマ人らしいローマ皇帝だった ガッリエヌスの息子サロニヌスを殺したガリア帝ポストゥムスと
ガッリエヌスを殺したクラウディウス・ゴティクスらは同類だな もしコンスタンティノス11世が、オスマントルコの降伏勧告を受け入れたら
現代まで東ローマ皇帝が存続しローマ教皇みたいな存在になってたかも まあ20世紀までは、オスマントルコの影響下で細々と生きていても
第一次大戦で独立しても都市国家の皇帝程度で
世界平和を訴えるくらいしかないだろうけど 現代まで残っていたらビザンツ帝国などと呼ばれなかったかもしれん
ところで西欧でビザンツ、ビザンティンという名称が発生したのはいつ頃なんだろう? 残ってたらコンスタチノープルでじゃなくて
ギリシャのどこかだな 東ローマ結構強くね?
ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
サラセン人をギリシャ火で撃破
ブルガリア帝国を滅ぼす 東ローマ結構強くね?
ユスティニアヌスによる大征服
ササン朝とのガチバトル
サラセン人をギリシャ火で撃破
ブルガリア帝国を滅ぼす 東ローマやイスラムが古代ギリシア・ローマの知識を温存できたのに
ゲルマン諸国にはそれが出来なかったのはやはり文化程度が低かったから ユスティニアヌスの大出費で帝国財政ガタガタ
以下下り坂
そして第四回十字軍で一旦滅亡
回復後もトルコに圧迫されトドメ ラテン帝国の建国の時点でローマ帝国滅亡だと思うんだが
ニケーヤ帝国が取り返したけどここからは自称ローマ帝国でしょ 首都を奪われたら別の国扱いなんてやり出したら世界史がメチャクチャになるな 日本にも外国軍に占領されて主権が停止されてた時期があるけど、その前後で別の国だというのだろうか 財宝と貿易による経済力を根こそぎ無くしたからなあ
ローマ帝国としては1204年に終わったと解釈することはできる
>>256
別の国だろう
大日本「帝国」ではなくなった
日清戦争前の姿に戻ったってとこか ミカエル8世なんてなんの正統性もないのにたまたまコンスタンティノープルを取り戻しただけだからな
王もう倒したのが劉姓でも王族でもなかったって感じ それを言ったらローマ帝国の軍人皇帝乱立時代なんか1つの国家と言えない もう自称ローマなだけになってたんだな
神聖ローマ帝国と同じ 王朝が変わってもイギリスはイギリスなんだから
1つの国扱いでいいんじゃないか 内乱で王朝が変わることと他国に占領されることは全く違う
中国だと宋が金に開封を占領された後も南宋として存続していたが、
盛り返して開封を奪い返したような感じ
まあそうはならなかったのだが ラテン帝国の周辺にギリシャ人の国がいくつもできたからな
その中の一つすぎなかったニケーヤ帝国がコンスタンティノープルを奪取しただけ プレートアーマーの騎士って弱点なさそうだな
オスマン帝国の兵士たちはあんなのとどうやって戦ったんだろう 倒したら自分で起き上がれないのが強いとは思えんな
捕らえられても殺されない貴族だから怪我しないこと優先で身を固めてるだけ そういや西ローマ帝国崩壊から絶対王政までヨーロッパでは常備軍がないんだよな
(オスマン帝国は除くけど)
戦の時は諸侯の騎士を召集したり、傭兵を雇ったりしていた 常備軍がないのは経済力が無いってことさ
中世ヨーロッパじゃ麦は植えた量の2倍から5倍くらいの収穫量だったし
奴隷くらいしか売り物がなかった ローマ帝国も後半はゲルマン傭兵に頼りまくりだけどな しかし無敵のローマ軍団がウホウホいってロクな武器を持たないバルバロイに蹂躙されたってのは不思議だよな
文明レベル圧倒的に上なんだ軍事技術も圧倒的に上なんじゃないの >>269
ガリアとかはローマ支配下に文明化して
勇猛な蛮族だったケルト人やイベリア人が
臆病な農民になってしまった
ローマ領内の蛮族が減ったので
ローマ領外のゲルマン人を傭兵にした 東ローマの歴史は長いが、ユスティニアヌスの征服活動以降ブルガリア帝国撃破くらいしか見せ場がないな。
数々の外敵に攻められまくってるのによく千年も続いたもんだよと感心するわ。 >>273
アルメニアやアンティオキアは無かったことに 寛大な降伏勧告はねつけて被害甚大で国家終了って日本みたいだな 東ローマの美少年はオスマン兵の餌食になったようだ
まさにケツマン帝国 古代マケドニアと今のマケドニア共和国は完全に別物
羊頭狗肉もいいところだわ
ローマ人とダキア人の混血の末裔であるルーマニア人は認めてもいいけど 首都スコピエにでかいアレクサンドロス大王像があるけど、今のマケドニア共和国領に滞在したことあんのかな
大征服前の領土においても只の北西部辺境だから、あまり用はないよね >>279
そそ、国名が同じなだけ、、
マザーテレサとアレクサンドロスが同じ民族だとは思えない 「マケドニア」は民族名でも国名でもなく地名だと思えばええ
マケドニアという場所にあるからマケドニア共和国 そのわりにはヴェルギナの太陽を国旗に採用しようと試みたり、偽装する気マンマンなわけで
王都ペラをはじめマケドニア王国の中心は現ギリシャ領にあったわけだし連続性も間違いなくギリシャのほうが上
いくらギリシャ人にとってマケドニアはサブ・アイデンティティに過ぎないとはいえ、そら怒りますわ ローマどころかイタリア半島にすら関わりなくなったビザンツがローマ帝国
名乗ってたのも偽装だな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています