マケドニア共和国はたしかに民族的にみて西ブルガリアにすぎないが、実は笑い話以上のものを含んでいる。
かつての王都ペラの周辺一帯(現テッサロニキの近場)ですら必ずしも近代ギリシャ国家のものになると限ったわけではなかったからね。
港町テッサロニキを除いては、長い歴史の中でスラブ系が定住してしまっていてオスマン衰亡後どこに帰属するかは微妙な情勢だった。
二度のバルカン戦争を経てブルガリアがマケドニア地域の大半から手を引き、セルビアが現マケドニア共和国領を、ギリシャが残りを得た。
ただ大ブルガリア主義はずっとくすぶり続け、内部マケドニア革命組織などに見られるように歴史の節目で姿を現してくる。
ギリシャが真に警戒するのはマケドニア共和国が大ブルガリア主義に走ることで、ギリシャ領への野心がないことを憲法に明記させるなどしている。