【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】
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一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。 基本はsage進行。バルバロイによる荒し、煽りは適当に無視して下さい。 現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。 前スレ 【栄光の】トレビゾンド帝国総合スレ【東ローマ】 http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284293895/ >>308 そうですよ。 皇帝の息子たちで分割統治なんてほかの皇帝もやってた。 例えばコンスタンティヌス帝は三人の子供にそれぞれ領地を与えてた。 副帝のユリアヌスにひっくり返されたけど。 >>308 再統一も何も、帝国本店がイスタンブールに移り、 支店だったローマが窓際になり、リストラで部署廃止みたいな流れ。 >>311 カールの帝国も神聖ローマ帝国も自称 血統は必要条件ではないからまあいいとしても 元老院が存在しないのにローマ皇帝もあったもんじゃない >>308 軍人皇帝時代のウァレリアヌスから東が中心になりだした 父ウァレリアヌスがオリエント担当で息子ガッリエヌスがドナウ担当 孫サロニヌスがライン担当で帝国三分割統治だった ウァレリアヌスがペルシャの捕虜になるとサロニヌスはガリア人に殺され ガッリエヌスもイリュリア人に殺された この一家はエトルリア出身で最後のローマ人らしいローマ皇帝であった >>309 コンスタンティヌス1世はクリスプスの死後ディオクレティアヌスのように 配下の将軍らに帝国を分配しようとせず残された3人の息子だけを後継者にした 同じ母から産まれた兄弟ならば共存し続けるだろうと期待したのだろうけど 息子達は殺し合い結局コンスタンティヌス朝は断絶してしまった コンスタンティヌス1世以降は再統一しては再分割を繰り返す事になったけど 一人で帝国全土を統治し続ける事はウァレリアヌス帝以来不可能になっており 再統一の為の戦闘で兵を失う事を繰り返して軍が消耗しただけだった 東もかなり早い段階で元老院や民衆の歓呼なんかお飾りなんで別に必須とも 結局ローマの正当性って前任者から称号と首都を含む領土を引き継いだってことにつきるから、本来何の権限も無い教皇の任命して以降の西の皇帝より、 何かやたら正当性を攻撃してる奴がいる首都奪還後の東の方が空位期間があっただけで先例は実力主義なんだからよっぽど正当なローマ >>310 そもそもローマ帝国は東西に分裂していなかった 西の皇帝は多くが東の皇帝の臣下にすぎなかったよね 例外的なのは自ら即位したマクセンティウスとコンスタンティヌス1世らで 東に対して西が敵対しておりコンスタンティヌス1世が東を滅ぼして再統一した 次にウァレンティニアヌス1世とウァレンスの兄弟皇帝では 兄が西の皇帝なので東の皇帝が西の皇帝の臣下だった 最後に西の将軍アルボガステスが東のテオドシウス1世に反抗したけど 敗北したので西は東から自立出来なかった もしアルボガステスが勝利したのならばローマ帝国は本当に東西分裂したはず いくら息子同士が仲良くても担いでる連中の派閥が違えば対立せざる得ないだろう アルカディウスとホノリウスも担いでる連中がバルカン北部を巡って争った フランク族出身のアルボガステスの敗死後にテオドシウス1世に後任に任ぜられた ヴァンダル族出身のスティリコは西の現地人をあてに出来ないので古巣の兵で 西ローマの戦力を強化しようと東ローマからバルカン北部を奪おうとした >>315 お飾りでもやることに意味があったのでは どうやら『西洋古典学事典』(京都大学出版)を見ながら 書き込んだようだね。 よく暗黒の中世と言われるけど あれはあくまで西ヨーロッパにおいてであって ビザンツ帝国ではギリシャ・ローマ時代のクオリティで 学問・建築・美術が維持されていたのだろうか 少なくとも美術の分野は衰退したな イコノクラスム前後でイコンの質落ちすぎ >>322 西と違って壊滅はしてないが 東だって全盛期と比べて色々と劣化してる ヘラクレイオスのあとからニケフォロス1世が始まる迄くらいだな、暗黒時代 ユスティニアヌス1世に起因する混沌という見方にまで拡張することもできる そしてロマノス一世くらいの時から技術の面でも西欧に抜かれていった 暗黒時代といえば東にも歴史がほとんど記録されてない暗黒時代があるんだな ユスティニアヌスの大帝国が瓦解してイスラムが勃興してエジプト、シリアあたりを奪われて コンスタンティノポリスまで圧迫されるようになって そのあと二百年ほどローマの内情がどうなってるか史料が無くて全く不明 >>304 ただの僭称だから ローマ皇帝がモスクワに行ったわけでの譲ったわけでもない ペテルブルクならまだしもモスクワの田吾作がローマ皇帝って >>304 君府陥落後、ビザンツラストエンペラーの姪っ子ソフィヤはロシアへ落ち、イワン3世と再婚した これなら正統後継国家名乗る資格を有するんじゃまいか!? いくら田吾作土人でも皇帝の姪と結婚できたら名乗る絶好機 栃木土人の足利尊氏や群馬土人の新田義貞でも栄光の源氏の正統後継者名乗ったようなもんだな ロマノフ王朝ならまだしも、ソビエトや、今のロシアは東ローマと関係ないだろ、王族いないし ソ連で断絶しちゃったからな プーチン王朝開始するとかせんとw >>335 ロマノフ家ですら足利や新田と比べるのもアレなくらい無理矢理な繋がりだからな ロシア人は自分達で皇帝を虐殺したんだから未練がましく双頭の鷲なんて使わなきゃいいのに 国歌はソ連の替え歌で国章は双頭の鷲だなんて不思議な話だ 八幡太郎義家の男系子孫なんだから、河内源氏であることに疑いの余地はない 宗家が消滅した後、残るうちで一番の有力御家人という立場を有していた足利が後継者として名乗りをあげたのはおかしくない 問題は河内源氏自体の価値が尊氏の時点でだいぶ低減していたことで、あそこで盛り返せてなかったら後世は源氏もくそもない 信長だって平信長、家康だって源家康と名乗ろうと思えばできたかも 武田信玄は確実に源晴信と名乗ることは可能 なんたって頼朝を援けた強豪甲斐源氏・武田信義直系だからね >>340 実際名乗っている 源朝臣武田大膳大夫晴信が正式 でも、欧州最大のメガロポリス・モスクワの偉容といい、あの広大な"版図"といい 東ローマの後継候補ってロシアでいい、ロシア以外見当たらない気も駿河 東ローマの後継国家なんて無いよ ロシアはどちらかといとモンゴル帝国の後継国家だろ ロシア・・・東ローマの正統後継国家かつ欽察(金帳)汗国の正統後継国家 どっちかっていえばロシア帝国だろう、だって完全に「東ローマ(トルコとの運命感がっつり)の双頭の鷲国章」って揃えてる。 しかもたしか妃かなんか亡命しなかったっけ、伊スタンブルに替わる時にさ、キリル文字(グレ後る文字発祥地ギリシャ地域)もその時に正教会と一緒に兄弟かなんかが伝統を継承したのではないか。 だからコンスタンティノス11世の姪だってばよ その程度なら、オスマンは第2代の時点でヨハネス6世の娘を娶っとるわ ・オスマン朝の後代の王はヨハネス6世の娘の血は引いていない ・リューリク朝の後代の王はコンスタンティノス11世の姪の血は引いている でもコンスタンティノス11世の姪はローマで育って多分カトリックに改宗したとある また、イタリアから先進文化を持ち込んだ(とwikipediaに書いてある) 後世の東ローマを象徴する言葉として「パンとサーカスの化石」というのがある。 「サーカス」の方は最初民衆の娯楽だった戦車レースを儀式として再現したことらしいが、 パンを配ることも儀式として行っていたんだろうか? >>346 後半デタラメすぎて池沼っぽくなってるぞ >>345 欽察汗国 金帳汗国 キプチャク・ハン(カン・汗)国 ジュチ(ジョチ)・ウルス ゴールデン・ホールド アルタン・オルド ゾロタヤ・アルダ どれが一番妥当なんだよ?w 試験に出たらどれ書いても正解なのかな? >>350 リューリク朝のほうもどのみち後続三代、曾孫で断絶やろうが そもそも東ローマの皇女ってどれくらい周辺国に嫁いでるの? ミカエル8世あたりは姉妹や娘を使って方々と政略結婚させたはずだけど、全体像がよく分からん ミカエル8世は血迷ってバリバリ蒙古のイルハン朝にまで娘嫁がせてるからな 東ローマの皇女の価値なんて、所詮その程度 ミカエル8世なんて運良くコンスタンティノープルを奪取できただけだからなぁ 血統的にはその辺の人代わらんし 俺ら極悪非道のアンゲロスブラザーズ! その男は弟のほうの孫娘から生まれた高貴な血筋だからな  ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ∧_∧ ∧_∧ (・∀・∩)(∩・∀・) (つ 丿 ( ⊂) ( ヽノ ヽ/ ノ し(_) (_) ウィキペのヘラクレイオスの記事にササン朝に勝利したあと 「ソグディアナを支配下に収めて」と書いてあるけど、これは本当なんでしょうか? ビザンツ帝国が一時的にでもソグディアナを支配下に収めていたのなら、そういう地図があっても よさそうですが、あるのでしょうか? どっかの地名と書き間違えてんじゃね? その時期はソグディアナの大部分を西突厥が支配下においてるから、仮に意図した記述だとすればそのへん絡み。 ただ東ローマと西突厥は同盟してササン朝を攻撃したんであって、西突厥が東ローマの支配下にあったとは言い難い。 ノブゴロド対スウェーデンも、 セルビア対クロアチアも東西ローマ分裂が原因 初心者なんですが 神聖ローマ帝国がなんちゃってローマ帝国で ビザンツ帝国が本家ローマ帝国ということですが 似非ローマのゲルマン蛮族にとってキリスト教が唯一のローマ的な存在なので あんなにキリスト教の権威が強いんですか? またローマカトリックの聖職者はゲルマン社会の中に入っててもローマ人が多かったのですか? ラテン語でミサをやってたのも聖書を現地語に訳すのを禁じてたのもローマ人の「知の独占」で 「下賤な蛮族信者は高貴なローマ人の言うことを聞いとけばいいんだ。聖書を直接知る必要はない」という意図・意識だったからですか? 北ではスウェーデンとノブゴロドが対立していたが 南でも東西協会が対立してたら面白かったのに リビアを東西に分けるとか >>327 まさかと思うが東ローマも一時断絶とかしてないだろうな >>364 歴史空白時代も皇帝の名前程度は分かってるからそれは無いと思うが グラディウスやスパタから中世の剣に進化したのっていつ頃? ローマ帝国の繁栄の曲線はトラヤヌス・ハドリアヌス期がピークで それ以降はゆっくり下降して衰退開始 それでも二世紀中はまだまだ「最盛期」の範疇だったけど 三世紀から本格的にごまかしが利かなくなっていく チート無双状態が200年も続いただけでも上出来だわ アウグストゥスが即位してから東西分裂までの400年間もあれだけ広大な領土を維持できただけでもすごい 東ローマ帝国もユスティニアヌスの死後はどんどん領土を削り取られていくけど バシレイオスによる中興もあったし、一度滅亡してもまた復活したりで、なんだかんだで1000年も続いたのはすごい トルコ・スペイン・ポルトガル ↓ フランス・イギリス ↓ イギリス・ロシア・ドイツ ↓ アメリカ・ソ連・ドイツ・日本 ↓ アメリカ・ソ連 ↓ アメリカ アメリカの覇権が続くのか、それとも・・・ ビザンツが滅んですぐ北東でロシアが勃興したんだよね ロシアに継承されたと思いたい Rise and fall of Byzantine Empire Simulation https://www.youtube.com/watch?v=f6WYSHy-jyg >>370 トルコ・スペイン・ポルトガル ↓ フランス・イギリス ↓ イギリス・ロシア・ドイツ ↓ アメリカ・ソ連・ドイツ・日本 ↓ アメリカ・ソ連 ↓ アメリカ ↓ イスラム共同体 >>371 ルーシもモスクワ大公国も東ローマ滅亡の前からあるのでは 古本店でUbooks「ビザンツ皇妃列伝」てのを見つけて買ってきた。 8人にほとんどなじみが無いのと行動内容がネガティブなのとで 最後まで読む気が失せかけ・・・ コンスタンチノープル陥落前のロシア・・・田舎のスラヴ土人国 陥落後姪っ子落ち延び後のロシア・・・東ローマの正統?後継国 >>356 そうかな?東ローマにおいて東方遊牧王国って愛憎の感情は抜きにして外交上わりと尊重されてたと思う キエフ・ルーシが調子こいたとき、お前らはハザールのカガンやイスラムのカリフじゃないって諭した話があった バルカンのスラブ系王朝や西欧のフランク勢と比べても、伝統的に悪くない位置づけがなされてきた感じだよ モンゴルはそれら地域の覇者になってるわけだから、嫁がせるのにさほど抵抗がない相手だったんじゃないかな 逆にモンゴルから見れば、周辺弱小勢力にすぎないけど伝統国らしいから縁戚結んでやるかといった程度だろうね ローマとカルタゴ ビザンツとササン朝 武田信玄と上杉謙信 宮本武蔵と佐々木小次郎 早稲田と慶應義塾 ヒトラーとスターリン 日本航空と全日空 ドラクエとFF アムロとシャア イチローと松井秀喜 小倉唯と水瀬いのり ササン朝とバトルアンドバトル 終わりなき戦い ユスティニアヌスが西ローマの旧領を大征服するが その後がランゴバルド、アヴァール、イスラムに領土を取られまくって 停滞の時代が続き、しばらくするとようやく安定して バシレイオスの活躍で再び大国になるが、その後は暗君が続き トルコ人にアナトリアを奪われる 更に十字軍によって一回滅ぼされる なんとか復活するが、ふるわずオスマン帝国に滅ぼされる 色々あったけどよく1000年も続いたもんだよ >>107 東ローマ皇帝でパルティア王族の末裔がいるよね マケドニア朝初代がアルサケス朝の子孫ということになってたんだっけ。 箔付けのために自分たちで流した噂だろあれ アルメニア系農民が600年以上も前に滅んだパルティア王族の末裔だとか嘘くささしか感じねぇ 確かアルメニアのアルサケス家はパルティア滅亡後も存続してたはず そういえば王朝の起源ならパレオロゴス家はコンスタンティヌス大帝時代にイタリアから新都に入植してきた人の末裔を称していたらしい こっちは可能性的にどうなんだろ そっちは普通にありえるんじゃないの 詐称にしちゃ地味な内容だし、代々コンスタンティノポリスにいましたって話なわけだからその事実がなければ怪しまれそうだし イタリアと周囲の島のビザンツ領っていつごろまで存在したんだ? >>383 ラストエンペラーの姪ともにロシアに落ち延びたビザンツ貴族は多くなかったの? 皇帝の姪にどんだけ権威あんだよw みんなイタリアに逃げたわwwww 安徳天皇の権威を擁していた平家の落人は壇ノ浦陥落以降、どこに逃げたのか・・ イスラムの興隆はビザンツ帝国とササン朝の抗争という絶妙なタイミングも大きい これが全盛期のローマなら返り討ちにされ、ムハンマドが磔刑にされ第二のキリストになっていただろう ビザンツ帝国では、ギリシア・ポリスの歴史は「無神論と恥ずべき政体(=民主政)の証明」 であって、叙述に値しないと考えられていたが、中世の西欧で共和政ローマが どう評価されていたのか気になるな。 やっぱりビザンツと同じようにトロイアから逃れてきたアエネアス、ロムルスとレムスの 建国神話、王制時代の歴代の王の後はカエサル、アウグストゥス以下の帝政に 移って、ローマの共和政時代にはほとんど関心がなかったんだろうか。 >>394 平家と南宋とビザンツの最期ってなんでかくも似ているのか! >>387 まさかイタリアへ移住した後に言い出したんじゃあるまいな >>398 そっちかい!それなら詐称も十分考えられるな Evaluation: Good! 西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパはカトリックの力が強くて、 全てbノおいて宗教が覧D先され、科学bヘ神の教えを冒涛タしていると 糾弾されて破壊され顧みられなくなり、 折角ギリシア・ローマと繋がった科学と医学は、著しく後退してしまった。 それが再び注目を集めたのが、聖地奪回を目論んで始めた十字軍遠征。、 ここで科学とは縁遠い信仰一辺倒の生活をしていたヨーロッパのド田舎の騎士や従者は 進んだビザンツ・イスラームの文化に目を奪われた。彼等は ビザンツ・イスラームが保存していた古代ギリシア・ローマの文物に触れて新しいインスピレーションを得ることになる。 それがルネサンスの始まりで文芸復興と訳される由縁。 産み出したのではなくてヨーロッパはビザンツとの接触やイスラームとの戦争により再発見したということ。 西ローマ帝国崩壊後の北斗の拳っぷり ゲルマン人の侵入で都市・経済秩序・流通網が破壊されまくった上に ローマカトリックによる科学軽視で文明もどんどん衰退 日本に大量の中国人・ムスリム・アフリカ人が押し寄せて国内が滅茶苦茶にされ カルト宗教団体が天下を取った場合を想像してもらえば分かりやすいと思う 教会「ケルト神話?北欧神話?スラブ神話?邪教は禁止です」 教会「ギリシャ・ローマ神話?まあ、いいんじゃないの」 なぜ容認されてるんだろうね 1月 January ローマ神話で"物事の始まりと終わり"をつかさどる神ヤヌス(Janus) 2月 February 古代イタリアの清めの神Februus 3月 March ローマ神話の軍神マルス(Mars) 4月 April ギリシア神話の女神アフロディテ(Aphrodite) 5月 May ローマ神話の豊穣の女神マイアス(Maius) 6月 June 古代ローマの結婚や出産の女神ジュノー(Juno) 7月 July カエサル(Julius Caesar) 8月 August 初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus) 9月 September ラテン語でseptem「7番目の月」の意味(3月を初月として) 10月 October ラテン語でocto「8番目の月」の意味(3月を初月として) 11月 November ラテン語でnovem「9番目の月」の意味(3月を初月として) 12月 December ラテン語でdecem「10番目の月」の意味(3月を初月として) >>402 Tuesday、Wednesday、Thursday「俺らは!?」 すまんFridayが抜けてた にしてもなんで今日はローマ神が由来なんだ? >>379 なんでアテネとスパルタがはいっとらんのじゃ テーベはいつからテーバイになったんだよw 俺が学生の頃は、テーバイなんて誰も言ってなかったど >>402 キリスト教教会もローマ神道を受け継いでるという考えなんだろうか? >>406 テーバイが古典ラテン語読みで テーベが中世ラテン語読み ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.0 2024/04/24 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる