【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】
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一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。
基本はsage進行。バルバロイによる荒し、煽りは適当に無視して下さい。
現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。
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【栄光の】トレビゾンド帝国総合スレ【東ローマ】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284293895/ あの〜双頭の鷲ってビザンツの象徴じゃないですか?
ロシア、アルバニア、セルビアはビザンツの実質的な正当後継国ということですか? アラブは乾燥地帯なのに、どうやって軍船用の木材を調達したんだ?
レバノン杉でも使ったのか? 全部自称だけどね
ブルガリア君主とかも双頭の鷲じゃないけど、
シメオン1世はギリシャ語の『バシレウス』と名乗っていた
ビザンツ帝国を圧倒しコンスタンティノープル総主教にバシレウス(皇帝)だと認めさせた
『ローマ人とブルガリア人の皇帝にして専制君主』とも自称している
とはいえ、もちろんビザンツ皇帝からしてみればただの僭称に過ぎなかったわけだが。
東欧・南欧世界においてビザンツ皇帝というのは憧れの象徴だったのは間違いない そうなんですか・・
双頭の鷲は左右に向いてますよね?
意味は西も支配者、東も支配者としての意味なんでしょ?
支配者としての憧れの象徴にはなりえますね まあ古今東西、君主の称号やら紋章やらってのは僭称だったり
新しく創設したけど当時の人らには「自称でしょ?」程度の認識だったりする場合が多い
それでも年月が立つと権威ある称号だと認識されたり、
あるいは”ホントは縁もゆかりもないけど自身の権威付けに・・・”って理由で利用される
神聖ローマ帝国も双頭の鷲を国章としてるだろ?
あれもローマ帝国(皇帝)の権威にあやかってるだけ
ヨーロッパの西も東も支配する権利を持つ唯一の皇帝ですよ〜ってこと
もちろんローマを保有したことはないし、ラテン語も公用語でもないし、ローマ人は中世後期にはもういない
それでも「カール1世がローマ教皇からローマ皇帝としての戴冠を受けたから!」
これだけでローマ帝国を名乗っちゃうんだから、まあ面の皮厚いよね(笑) >>737
ギリシアの火は何度かあちこちで研究者による再現実験がされている
例えば greek fire byzantine national geographic で検索すると再現実験の動画が出てくる
原料は推測らしいが、将来ギリシアの火で焼かれた船の残骸が見つかって、残骸に残る物質の成分分析をして
成分が判明する時がくるかもしれないね >>754
神聖ローマ皇帝はしばしば都市ローマの支配者でもあったし、公文書もラテン語のものが多いだろ? カール大帝の西ローマ皇帝戴冠を知ったビザンツ側の反応は、
カールがコンスタンティノープルめざして進軍してくるのではないかという
懸念だったとか
この時期ビザンツでは皇妃イレーネが君臨しており、女性の支配者を認めない
フランク王国では、皇帝は空位であるという認識だった 中近東は産油地帯だから、やはりギリシャ火には石油が使われていたのか? http://www.modelshipmaster.com/products/ancient/dromon/Dromon.JPG
ビザンツ主力戦艦ドロモンの模型
ビザンツ海軍は二段階の戦術を取った
第一段階では、「ギリシアの火」で敵艦を破壊する。
この際、微妙な操艦を行う漕ぎ手の腕がものを言った
第二段階は敵艦に接舷し、重装兵が乗り込む。 メディーバルトータルウォー(ゲーム)で東ローマに興味もったんだけど
西欧資本のせいであんまりなくない?
東欧も含めて東ローマ題材の映画とかドラマとか
地味という感じもするな
日本語付きの大河ドラマみたいなものがあればわかりやすいんだけどな
いろんな宗教や考え方が入り混じって翻訳難しそうだな ビザンツが地味なのは後継者のギリシャが今しょぼいからなのかな
人口も1000万人しかいないみたいだし ギリシャだけでなく、他の東方正教の国々も、西欧諸国に比べればイマイチだよな
世界を制したのは西欧文明のほうだったし オスマン帝国統治下のギリシャ人は、自分たちがヘレネス(古代ギリシャ人、異教徒)
の子孫だということをすっかり忘れ去っていた
西欧からの旅行者が古代ギリシャの遺跡を訪れるのを見て、
「彼らはヘレネスの子孫で、祖先が残した遺物を見に来ているのだ」
と考えていたという ビザンツのドラマとか映画がないから何が分からないかって、
当時の一般的な人々の服装や街並みとかがいまいち想像つかないんだよな
ビザンツ時代の絵画みても支配階級か宗教的人物のモザイク画ばかりで良く分からんし
オスマン帝国の時代のイスタンブールの街並みのほうが絵的にイメージ沸く
ビザンツ時代のコンスタンティノープルの映像は頭に浮かばない ビザンツが登場する映画なら、Fetih 1453 というトルコの映画がある
検索するとようつべのは日本語字幕もある
コンスタンティノープルの民衆も少しでてくる ビザンツ 映画 で検索したら、
ビザンツ歴史関連映画「コンスタンティン・フィロソフ」(1983年作)
というのも見つけた。テッサロニキや当時の小学校が登場しているらしい 枢軸側と連合国側の違いとして
過去の古い制度への復活が枢軸側で
新しい制度への切り替えが連合国だった
連合国が西欧だな
ソ連は例外だが、枢軸側は東欧に多い
東欧は過去の古い制度への復活を目指すから
地味で西洋より時代遅れで、映画ドラマも
古臭くて敬遠されがちなんだろう 東ローマは西ローマに比べて皇帝政府の権力が強かったけれど、これはやはり
専制政治の伝統が強いオリエントを統治していたからなのかな
西ローマの場合、在地の有力者が強い力を持っていたので、
皇帝政府が地域を把握していなかった すいやせん
十字軍とビザンツはなぜ対立してたのですか?
同じキリストでしょ?
ビザンツは十字軍を編成したことはあるのでしょうか? >>769
そもそもキリスト教でもカトリックと正教の違いがあることも知らない人? ビザンツ「聖地をムスリムの手から取り戻してくれ。ただし取り戻した後はうちの領地にしてくれ」
十字軍「はい」
占領後
十字軍「なわけないだろ。占領地は俺らのものだわ」
ビザンツ「約束を破りおって許さん」
こんな感じだったような というか高校の世界史教科書に載ってそうな話をここで聞くのか >>771
どこから語ろうか・・・
正直解説動画とかサイトとか見てほしいレベル
ビザンツは中世半ば頃まではヨーロッパの先進国家、オリエントを支配下に入れてた
宗教はキリスト教の内の(東方)正教、その本拠地(ホントはそうではないが、わかりすく説明する)は
キリスト教がローマ帝国で公認された当初は正教会とカトリックという区別はなかったが、
11世紀に入るまでには正教会とカトリックという形に分裂、対立関係にあった
それでも「完全な異教徒よりはマシ程度」の考えは持っていたが・・・
そんな状況下で、ビザンツ帝国を圧迫していたセルジューク朝(イスラム王朝)がアナトリアを征服し、
ビザンツ側は「異教徒共がエルサレムを占拠した!全キリスト教徒の危機!」と西欧に宣伝、
エルサレムの奪還を目的とする救援を求めた。
(これは当時の皇帝アレクシオス1世によるプロパガンダでしかない。
実際はセルジューク朝以前からエルサレム周辺はイスラム勢力の支配下にあり、キリスト教徒の巡礼も許されていた
エルサレムはアラビア半島の一部なので、アナトリア征服とは何の関係もない。
アレクシオス1世が自国の征服版図を取り戻すための宣伝活動だった)
しかしビザンツ側はあくまで傭兵団程度の規模の派兵を求めていただけったのに対し、
西欧側はローマ・カトリック教会の呼びかけにより、西欧連合軍規模の軍団を派遣した。
なお、この時エルサレム及び周辺地域はスンナ派のセルジューク朝とシーア派のファーティマ朝で取り合いをしていた
そこに十字軍が殴り込みをかけて・・・
あとは解説動画でも見てくれ 解説に抜けてた点があった
>宗教はキリスト教の内の(東方)正教、その本拠地(ホントはそうではないが、わかりすく説明する)は
の後に
>ビザンツの首都と同じコンスタンティノープル
が入る >>772
だいたい合ってるが、ビザンツ側も都合の良いことを言い過ぎなんだよな
実際に聖地奪還の努力をしているのは十字軍騎士たちなんだから、
そりゃ報酬ナシで動いてくれなんてムシの良いことを言って聞いてくれるはずがない
そもそも十字軍に参加している騎士たちは本国では出世ルートを外れた嫡男ではない連中ばかりで、
十字軍に参加して領土を獲得しなきゃ後がない。
まあそんな事情こそビザンツ側の知ったこっちゃないだろうが、
少なくとも”聖地奪還”という宗教的な目的だけではるばる西欧からやってきてくれるはずもない
しかしアレクシオス1世コムネノスはちゃっかり戦後利権は確保する策士である。
少なくとも自分の治世の間は十字軍が獲得した領土に影響を及ぼすことができた 皆さん
教えてくれてありがとうございました。
m(_ _)m ビザンツでは西欧のように修道会が組織されるということもなかったな
隠修士の伝統を色濃く残していた東方の修道院は、それぞれが独立した
施設であるという傾向を持っていた >>777
もう遅いかも知れないが、上の解説は細部で違うところがある
まずビザンツは、援軍を要請したが、聖地奪回とか、宗教戦争という意味合いはなかった
ビザンツ皇帝の依頼を拡大解釈したウルバヌス達が十字軍にしてしまった
だからビザンツ側は、宗教的情熱に燃えて聖地奪回のための大軍がやってきてびっくりした
また、征服地の宗主権はビザンツだと誓約させたが、ビザンツも軍を出すという前提だった
問題のひとつは、ビザンツ軍は途中で手を引いてしまったこと
ビザンツ軍とすれば、当時の国境線をすこし押し返す程度でよかったのでほどほどで軍を返してしまった
その後の多くの征服地は十字軍だけで征服したので、その部分まで宗主権を主張するのは十字軍側としてはムシがいいだろうと不満を持った
当時「同じキリストでしょ」という考えはあまりなくて、カトリックと正教は仲が悪かった
→15世紀、滅亡直前でも「枢機卿のマントよりターバンの方がまし」といって、オスマン征服を受け入れる人々も多かった >>779
すまん。
その細部で間違った解説をしたヤツが俺だが、あんたにも一つ間違いがあるぞ
>→15世紀、滅亡直前でも「枢機卿のマントよりターバンの方がまし」といって
これを言ったのはビザンツの住民ではなく、大臣兼軍司令官のルカス・ノタラス大公だよ
しかも内容は「枢機卿の四角帽を見るくらいなら、スルタンのターバンの方がマシだ」のはず
まあニュアンスは伝わるのであんたのでも大して間違っていないが >>780
実は、俺もそれ書いた後調べてみたら、尚樹啓太郎『ビザンツ帝国史』には
「私は市内にラテン人の司教冠を見るよりは、イスラム教徒のカフタン(毛皮付マント)を見る方がよい」
とあった
マントは、カトリックではなく、イスラム教徒の方で、更にターバンではなく、カフタンだったわww 初歩の質問から新しい発見へとつながるのはいいことだ。
意外にもわかっていてもしらんかったことってある >>781
それは全然知らんかった
カフタンって調べたらあんまり定義のない、
ゆったりとした長袖・袷仕立ての長い前開きのガウンだそうだ
トルコでは近代化政策の影響であんまり見ないけど、
イスラム圏では広く一般的に男性の服として定着している
しかも最近はワンピースの一種として非イスラム圏の諸外国の女性が着ていることが多いみたい
カフタンで検索したら日本のファッション関係のサイトばっかり出てビックリ ニカイア帝国ってのがあるのか
亡命政権だって
社会主義の国に住んでいる政治家が資本主義の国に逃げて政権樹立をイメージするけど
こんな時期に近代国家的なものがあったなんて
なんて日本よりも進んでいるんだと思う
中世の日本なら亡命は許さんから降伏か滅亡どちらかを選べだろ 大体がローマと言えば温泉だろ、クリチョンって風呂入るイメージないんだけどw
やっぱコンスタンティヌスのせいだな、ローマの荒廃と滅亡は >>784
近代国家とは関係ない。
滅亡したり領国を失った武将や大名の一族が御家再興を期して他家の客分になることはよくあっただろ?それも亡命政権だよ。足利義昭の鞆幕府も亡命幕府。 ビザンツの関わりを抜きにして語ると
亡命とは政治的理由がないと亡命にはならない
家臣や他大名の庇護のみなら
単純に守られただけで亡命にはならない バカジャネーノ、亡命なんかに定義はない
相手側の情報を知りたいとか、権威として利用できるかとか、受け入れ側の理由があるだけだろ。
そういう事例が古今東西で多いから「亡命」という言葉の定義が出来ただけだ。
終身雇用の侍お役人社会では、主の失態で数百もの家族や家来が露頭に迷うと社会問題になるから亡命ではなく切腹が出てきた。守るものも無いのに腹を切るのはタダの自刃。
やっぱ温泉無いと頭が悪くなるんだろうな
温泉こそローマやで >>787
ビザンツ帝国の亡命政権もその「亡命」なのか?
ニカイア帝国やトレビゾンド帝国が亡命政権なら、鞆幕府だって亡命幕府だろ? 建前は日本中が室町幕府のもので全員臣下だから、鞆幕府って自分の中の臣下間の移動にすぎない
信長も毛利に将軍を預けとくぞといっていたらしいしな
ビザンツは首都が別格すぎるというのがまずあるな 国家権力の迫害からの避難所を求めるって意味は「亡命政権」「亡命国家」にはもともとないでしょ。 ド=ゴールは?
ナチスの犬のヴィシー政権の迫害からロンドンへ避難所を求め
自由フランスを樹立した >>791
現代人の思考で行くと
コンスタンティノープルが占領されて、同じ宗教でもやり方が違うので
受け入れられないから別の国へ避難したのなら亡命になる
単純に攻略されて逃げて別領土で新たに国つくっただけなら亡命にはならない
ニカイア帝国は亡命政権じゃないってことだな >>798 ベスト10は当たり前
ロマノス4世ディオゲネスはワースト5当確 ベスト1位はやっぱりバシレイオス2世かユスティニアヌス1世かのどちらかになるんか? ベスト1位は初代皇帝
コンスタンティヌス1世だろ?
よくビュザンティオンを見つけたよな
チートすぎるから除外か? >>802
東方のサーサーン朝ペルシア国境と、北方のドナウ河国境の二方面へ
必要に応じて移動するのに最適な場所が、ビュザンティオンだったんだよな オスマンが首都にするくらい
今でも首都になるくらいのものを見つけたのはすごい 黒海北岸に移住したゴート族が海峡を通って
エーゲ海を荒らすようになったので
海峡の防衛が必要になった
ゴート族以前のスキタイやサルマタイは
遊牧民なので海賊行為をしなかった コンスタンティヌス4世は?
初めて実戦でギリシャの火を使ったのは功績として大きい
で、ワースト1はコンスタンティノス11世なの? コンスタンティノス10世の方がワーストだな
コンスタンティノス10世の息子ミカエル7世がワースト1かな
ミカエル7世はアンカラで自立したノルマン人傭兵の反乱鎮圧を
セルジューク朝に依頼した 十字軍に一時滅ぼされたことが衰退の決定的要因になったことを
考えるとアレクシオス1世もワースト10位以内もありうる
いくらイスラムの脅威とはいえ、領内に外国の軍隊をいれるなんてアホ コンスタンティヌス1世もローマ帝国的にはワーストだな
持ち場を放棄して友軍を攻撃した
ガリアを防衛する為の軍でイタリアを防衛する為の軍と
オリエントを防衛する為の軍に大きな被害を与えた ワーストというとユスティニアノス2世は?
ウマイヤ朝への遠征の失敗、ユスティニアヌス1世に倣った建築活動で国民を疲弊させ、
加えて宦官であるペルシアのステファノスの専横もあって
ヘラスの長官レオンティオスのクーデターにより捕縛、鼻を削がれ廃位にされる。
しかし、その後黄金製の付け鼻を付けて復帰を表明。
レオンティオスを廃して帝位に付いたティベリオス3世を打倒し、
投獄されていたレオンティオスと共に処刑する
しかしその後復位したユスティニアノス2世は懐疑心の権化となり、
少しでも怪しい行動を起こした人間・勢力を全て粛清する暴君に。
自身の流刑地だったケルソンにまで復讐を行おうとして艦隊を派遣したが、
これに対し怒ったケルソン市民の反乱に艦隊が同調。
艦隊に同乗していた有力者フィリピコス・バルダネスを皇帝に推戴し、
これに更にハザールの支援を受けた反乱軍が首都コンスタンティノープルに迫ると、あっけなく首都は開城。
ユスティニアノス2世は小アジアに亡命したが間もなく捕らえられ処刑された。
首都に与えたダメージというよりは、まあ普通の暗君と言った感じだが。 コンスタンティヌス11世はオスマンに滅ぼされない選択肢もあり得たのだろうか 難しいな
ギリシャ方面に船で脱出するしかない
あるとすれば、イェニチェリを買収する手はどうだ?
メフィスト2世が困ったのは彼らの扱いだった
あとゲリラ戦に持ち込んで伸びきった補給路を夜襲でつくとか
いずれにせよ、風前の灯の状況でコンスタンティヌス11世は責められん たとえコンスタンティノス11世の時代に滅亡を免れたとしても遅かれ早かれビザンツは滅んでたと思うがな
長くはもたない状況だった ミカエル8世はベスト5に入れてもいいかな
コンスタンティノープルを奪回したし、
シャルル・ダンジューの野望も打ち砕いた >>814
逆によくそこまで持ったな 室町幕府みたいな
状態で滅びそうでなかなか滅びなかった
超高齢でガタガタのお爺さんみたいだ 滅亡直前のコンスタンティノープルは衰退と人口減少が進み、
テオドシウスの城壁内の市街地にはいくつかの集落が散在し、
皇帝はなかば廃墟と化した宮殿の一角で生活するありさまだったとか
逆にジェノヴァ人居留区ペラは繁栄していた アレクシオス1世がワースト2?
十字軍を呼ぶなど衰退の決定的要因作ったから ミカエル8世自体はなかなかの名君なんだが、
肝心のビザンツ帝国自体がもう彼の治世にはボロボロに衰退しきってて、
輝きをあまり感じられないのが残念だ パライオロゴス朝ルネサンス期には、西欧の影響のためか、立体的な浮彫が
製作されている
ビザンツ帝国が滅亡しなければ、正教美術にも別の発展があったかもしれない >>818
アレクシオスは十字軍など読んでいないよ、傭兵に依頼をしただけ
それをウルバヌスが勝手に十字軍に仕立て上げただけ
要請の内容は、西欧側とビザンツ側では食い違っていて
「十字軍の依頼」と主張しているのは教皇側
十字軍派遣の伏線は、むしろ1054年の教会の東西分裂にある
そもそも西欧の傭兵はバシレイオス二世も雇っていたから
傭兵の要請が衰退の要因になるのならバシレオイス二世もワースト入りだろう 第一回十字軍の頃はまだ中東に行ってたし、あまりビザンツ衰退の決定打っぽさは感じないな 第四回十字軍は、最初エジプトのカイロを攻撃する予定だったんだよな
だけどヴェネツィアに対して契約金を支払うことができなくなったので、
エンリコ・ダンドロは、ザラの奪還に協力すれば支払いの延期を認めるという
提案をした
コンスタンティノープルに十字軍を導き入れたのはビザンツ帝国の内紛 セルジューク朝のアルプ・アルスラーンも
ファーティマ朝を倒す為にエジプト遠征の途上だった
ファーティマ朝はきっかり百年も延命した 十字軍は、最初はセルジューク朝に征服されたパレスチナに向かったはずなのに、
到着してみたらファーティマ朝の支配下に戻っててファーティマ朝を攻撃することになってしまった
殴り合いの喧嘩の助っ人に入ったら、間違って庇う方を殴ってしまったみたいな
ファーティマ朝が統治していたころは、聖地巡礼旅行が普通にできていたから
第一回十字軍でも後のフリードリニ二世のような人が指揮していたら、ファーティマ朝との
間で無血交渉ができたかも知れない どっかの本で、ラテン帝国作られて、滅ぼしたけど失ったものも
大きかったとあったな 10世紀初め、コンスタンティノープル総主教のニコラス・ミスティコスは、
イスラムのあるアミールにこう書き送っている
「この世界には二つの最高権威があります。ひとつはイスラム教徒のもの、
もうひとつはローマ人のもので、世界はこれらの権威から放たれる輝かしい
光で満ち満ちています」
一方、ビザンツ帝国は、西欧に対し常に優越感、軽蔑、不信感をもって接してきた
この意識の差は、ローマ教会に対するコンスタンティノープル教会の高飛車な
態度となって現れ、1054年、これに不満を抱いたローマ教皇の使節は、
コンスタンティノープル総主教に破門状を叩きつけた そんなビザンツも15世紀に入る頃には西欧に文明力も追い越されてしまうんだよなぁ
建築様式ですら一部西欧式のものを取り入れる始末
歴史ってものはホントどう動くか分からない >>828
このスレとは直接関係がないけど、前近代に、日本がいずれ中国を追い越すと
考えた者はいなかっただろうな 東ローマとササン朝ペルシャではどちらの方が文化水準が上だったの?
まあどちらとも軍事力ではイスラムに敵わなかったわけだけど古代ローマとゲルマンを見ても分かる通り文化水準と軍事力は別だからな シミュレーションゲームがあるとするやん?
信長の野望みたいなさ
自分が君主としたら
どこの時代が一番簡単?
反対に1453年は無理ゲーだけどどの時代が
やりごたえありそう?
(こんなん聞いても分かってくれるかな?) >>831
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E5%B8%9D%E5%9B%BD%E3%81%AE%E7%9A%87%E5%B8%9D%E4%B8%80%E8%A6%A7
東ローマ帝国の皇帝一覧
このスレに来る他の方が遥かに知識も豊富で詳しいと思うけど・・・
私見では「一番ラクチン」って言うならコンスタンティヌス大帝とかユスティニアヌス大帝とかじゃないの?
難易度考慮せず「やりごたえ」っていうなら
ユリアヌス、ヘラクレイオス、バシレイオス2世あたりでは 逆になりたくない皇帝といえば、アンドロニコス1世とかユスティニアノス2世
とかかな アレクシオス1世がやりごたえありそう
ロマノフ率いる主力中の主力が壊滅し、
移民族の侵略が続き、政治は乱れ
財政は破綻しつつあった状況から開始だな
それにしても24歳で将軍はすごいな
コムネノス系は有能な人物多い ビザンツには両眼をえぐり取る、舌を切断する、鼻削ぎの刑に処す、去勢する、
などの残酷な刑罰が途中から出てくるけど、あれはオリエントの影響なのかな 残虐さで1000年ももったのかな?
始皇帝の秦は15年しかもってないけど残虐さは同じくらい >>836
オリエントの影響もあるらしいけど、それまでなら処刑だったのを命までとらなくなった
というのはキリスト教の影響らしい 命まで取らなくなったから反乱が増えた、という側面もあるが 目を潰すのは基本的に反乱だっけ?
普通は殺さないとまた反乱されるから殺されても仕方ないところを、あえて生かすとなると目を潰さないと反乱を防げないからってことだろうか グロい話はええわ。
この帝国はどこまで儲かってたん?東西交易の中心に都があったから
それなりに関税収入も入ってたんやろ? 絹織物も、最初はビザンツでしか作れなかったんじゃなかったっけ? 西欧で作れなかったが西アジアでは普通に作れてた
イスラム帝国でもマシュリクでは作れてた
アンダルシアとかマグリブではどうだったか知らんが ビザンツ帝国には、それなりの輸出産業があった。
コンスタンティノープルは絹織物や工芸品、バルカン半島のトラキアは農産品、
マケドニアは鉄・刺繍・ベーコン・チーズ、ギリシアはラコニアの大理石、
小アジア西部はワイン・油・米・紫衣・スペルト小麦(家畜の飼料)、
その他の小アジア沿岸部は農産品、内陸部は織物や動物の皮を生産していた。 ビザンツ帝国は、外国人の交易をコンスタンティノープルに限って行わせ、
彼らの滞在期間は3か月以内とし、輸出入とも10%という高い関税を支払うことを
義務づけていた
この原則を、アレクシオス1世が放棄した なるほどな、かなり儲かってるな
輸出にあたって、海上ルートがエーゲ海と黒海だけというのがコンスタンティノープルの弱点だな。
アナトリア半島は確保したいよな。道理で遠征繰り返すわけだ。 バシレイオス2世は、死後に何万もの金貨からなる財宝を残した
ノミスマ金貨は品位が安定していたのでバルト海から紅海にいたる
広大な地域で本位通貨になっていた
この時期のコンスタンティノープルは世界一の市場だった >>8
西欧主義の身勝手かと思ってたが
ビザンツをローマと認めちゃうと、そのローマを倒した共同体(イスラム)がダニエル書の予言の成就と重なるから
ローマと関係なくする動きや東ローマ帝国の過小評価につながってるのかなとおもた ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています