【栄光の】ビザンツ帝国総合スレ11【東ローマ】
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一千年に及ぶ繁栄・衰退を誇ったビザンツ帝国史について語りましょう。
基本はsage進行。バルバロイによる荒し、煽りは適当に無視して下さい。
現代トルコ・ギリシャの話はできるだけ他所でやってください。
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【栄光の】トレビゾンド帝国総合スレ【東ローマ】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1284293895/ ダキア人の末裔ワラキア人の先祖は今のマケドニアあたりの山中にいて、
その後移住したという説があったと思う
マケドニアの北西のイリュリアはラテン語圏だったから、そのへんを継承しているのかも知れない アルバニアが存在するのが謎だな
バスクやウェールズはまさに辺境だけど
アルバニアはイタリアからギリシャへの玄関口 不思議な事に古代文明の起源は
辺境や山地に有るんだよ それ不思議でもなんでもないけど。
平坦な平野部を切り拓くには大規模な土木工事が必要だから、
文明が十分に発展するまでは平野部に進出できないってだけだ。 >>90
保持してたんじゃなくて近代に人工的に復活させたんだよ
イスラエルと同じ みなさんは、ビザンツ帝国のどんなところに魅力を感じているのですか
教えてください
私は聖歌やイコン、教会壁画などです
ttps://www.youtube.com/watch?v=711DKJm80CI ローマ帝国が分裂してなお千年以上存続していたことに興味をそそられた >>96
キリル文字を止めてラテン文字にしたり、抽象概念表すギリシア・スラブ系の単語をフランス語・イタリア語で大々的に置き換えたり、とは聞いた。
だけど文法とか基本語彙とかは一貫してラテン系だったとも聞いたぞ。 ロジャー・ベーコンに匹敵するような学者はいないの?
イスラム帝国に近い割にはアラビア科学の成果をほとんど吸収しなかったようだけど フォティオスに代表されるマケドニア朝ルネサンスや
プレトンに代表され、ルネサンスに多大な影響を及ぼしたパレオロゴス朝ルネサンスがないことにされるとは解せぬ >>102
トリボリ??
そいつは時代的に違うだろ フォティオスってカトリックとの政争の原因になったこととキリルのこと以外に何かしたの? フォティオスは、総主教になる前は聖職者ではなく俗人の官僚で、その時代を代表する学者でもあった
ギリシャの古典についての「図書総覧」を編纂している >>97
・皇帝に忠誠誓えば誰でも帝国臣民、どこの国の何系だろうと問題にならない
というか皇帝自身が何系の血がどこまで混ざってるのかわかりゃしない
・中世西欧にあった十字軍思想や異端審問、魔女裁判の類が極端に少なかった
・運と実力に恵まれればパンピーから大臣や将軍、場合によっては皇帝にもなれる
・新しい技術の発明や進展は少ないけれど、過去から受け継いできたものをやりくりしながら時に発展させ、
あの厄介な立地で千年保った
こんな所かな ローマ帝国こそ世界の中心ですから。
ローマといったらアジア。ボスボラスの東だよ BC2世紀 6位:ローマ
1世紀 1位:ローマ
4世紀 1位:コンスタンティノポリス 4位:ローマ
6世紀 1位:コンスタンティノポリス 8位:ローマ
8世紀 4位:コンスタンティノポリス 圏外:ローマ
9世紀 3位:コンスタンティノポリス 圏外:ローマ
10世紀 4位:コンスタンティノポリス
11世紀 2位:コンスタンティノポリス
12世紀 2位:コンスタンティノポリス
13世紀 7位:コンスタンティノポリス 約1万人:ローマ
14世紀 12位:コンスタンティノポリス
15世紀 圏外:コンスタンティノポリス
16世紀 2位:イスタンブール
17世紀 1位:イスタンブール
18世紀 1位:イスタンブール 24位:ローマ
19世紀 5位:イスタンブール 多分都市人口のことだろうが、説明も出典も不明で荒らしのコピペかよ >>109
>17世紀 1位:イスタンブール
ここイスタンブールが一位だったことになってんの?
この時代の世界最大都市は江戸だったり北京だったりイスタンブールだったり
場所によってコロコロ変わるな、 江戸はちょっとよくわからないが、
西欧中心の歴史人口や歴史GDPとかは、
よく中東西アジア北アフリカを飛ばす。 ビザンツ帝国とかビザンチン帝国と言うより
東ローマ帝国と言った方がかっこいいと思うのは俺だけ? でも、一応東西兼任のローマ皇帝なはずなので
東がつくのにも個人的に違和感を覚える
でも、中世ローマ帝国というのも東欧世界の中世って何やねんって思っちゃうし 個人的には、ビザンティン帝国という呼び方が好きだなあ
もちろん、後世の呼称であることは百も承知だが ローマ東西分裂後を東ローマとして、完全にギリシャ化以降をビザンツなりビザンチンなりとすればすっきりする 当時、そこに住んでいた方は単にローマ帝国の意識
近代西欧人の方からするとビザンチン
西欧人の方にはコンプレックスがあるんだと思う
特に中世は ローマ帝国であることを認めようとしない
コンプレックスの西欧人の生み出したプロパガンタビザンツという名を
断じて使うべきではない
公用語鮮卑語から漢語になって漢化した北魏も依然と以後でも名前は変わらん >>115
ローマが分裂して出来た国なのでそれが正しい
東ローマが正しい
すくなくともビザンツなどというよりはよほど正しい
このスレも次が立つことがあれば名前を正すように そもそも栄光のとかいうスレタイが気に入らない
栄光の時代とかどれぐらいあったのか
ニケフォロス2世は敵のアラブ勢力が分裂していたから勝てただけだし
バシレイオス2世はブルガリアの僻地の反乱者にバルカン側を大部分盗られ
鎮圧に30年以上かかっている
しかも外国人傭兵のおかげで勝っているし
はっきり言おう栄光などと値する歴史はない 地政学的に百年もてばいい場所で、千年「ローマ帝国」と正しい継続性がある帝国が続いたこと
それ自体が「栄光」に思います
時代に合わせて、政治の中身を変える力こそ「ローマ帝国」であり「東ローマ帝国」の凄味でしょう >>122
スレタイをどうするかは置いといてだ
仮に外国人傭兵の力で勝ったとして、だから何で評価に値しないの?
あと、30年っていう時間を言うなら、まずその時間が「かかりすぎ」だと断定する根拠を示してくれない?
ブルガリアなんて大した驚異ではなかった、もっと早く鎮圧できたと言える根拠を
ついでにニケフォロス2世の勝利はイスラム側の分裂ももちろん勝因の一つではあるだろうけど、
「分裂していたから」勝てた、なんて言うというのはつまり、分裂してなければ負けていたと?
何を根拠にそんな風に言えるんだか 東ローマ帝国では皇帝は神の代理としての全世界の主、という意識があったため、
多くの外国人傭兵を従えることは一種の誇りであり富を表すステータスとして歓迎された
あらゆる国・地域の人々を兵として配下とすることは「世界の主たる皇帝」という理念を視覚化できたのだ
したがって「外国人傭兵のおかげだから云々」などという批判は筋違いである そういや、ユスティニアヌス1世の時点でフンの亡命貴族が率いる部隊とかいたな ムンドゥスのことならゲピダエの王族だったと思うけど そもそも東西分裂前のローマ帝国末期には異民族の傭兵なんて大勢いたわけで…。 >>127
あれ、そうなの?
「東ゴート興亡史」にフン出身と紹介されてたからずっとそう思ってたわ >>94
メソポタミアもインダスもエジプトも黄河も長江もみな平野起源の文明だろうに >>130
調べたのが大分前なんで正確性の保証はできないけど
たしか母方を通してアッティラの血を引いてるから、それでフン族の亡命貴族ということになったのかもしれんね
一応、叔父がテオドリック大王のイタリア遠征時にちょっかい出して撃退されたゲピダエ王トラウスティラだったと思う >>132
なるほど、詳しい情報THX
そういやアッティラの孫云々の話もあったな、母方が婚姻政策でゲピダエ王族に嫁いだってわけか ローマの名を世界に広めたのはアナトリアの帝国。
これが無ければ"ローマ"などという言葉は歴史の中に残らなかった。
せいぜいアステカかアトランティスくらいの秘密の文明名。
イタリア半島の中部に昔、古代の文明がありました。
今でも遺跡付近に宗教団体が居を構えています。キリスト教の一派だそうです。
と本来このくらいのところであるはずのところを、
世界史に燦然と輝くローマを作り出したのは、
紛うことなくコンスタンチノープルローマ。 >>120
そうや!東ローマ帝国の首都は旧名ビザンチニウムじゃなくてコンスタンチノープルだっちゅーねん!
ベネチアの野郎、部下だったくせにいちびり腐ってペスト菌バラまきやがって何がラテン王国じゃ
大体、カナン人は根性がひねくれとる。いい加減新名コンスタンチノープルを認めよ!
ビザンチニウムというのはローマの支配に入る前の地名でしょうが!分かっている癖に!
執念深い嫌味カナンはくそハザールと心中しろよ。ウクライナ人ぶっ殺したのも本当はロシア人じゃなくてお前らだろうが ニケフォロス2世って「アラブ人の青ざめた死」なんてたいそうな名前ついてるのに
あんまりアラブの領土とれてないんだな
アナトリアの領土は拡大させたけど >>136 願望では?
東ローマは周囲のブルガール、ノルマン、トルコ、アラブ、スラブなどの蛮族に
領土を奪われながら奪還できず、侵略され続けているのに内ゲバもひどいな
自分が皇帝になりたい軍人ばかり
東ローマ 南宋 カルタゴ オランダ 負けに不思議の負けなし >>136
あの時代には、封建化が進んでいた訳で
貴族の重層騎兵はイスラム世界の兵士には脅威だったでしょう
イスラム圏も高度な文化と武力を誇っていた時代ですから、お金もかかりますし
現実的軍事行動だったと言えると思います ニケフォロス2世の頃まで、イスラームに負けっぱなしという反動もあるかも
実際には、ニケフォロス2世以前からイスラームには勝利し始めてるんだけど
アンティオキアの回復というわかりやすい功績で名声を獲得した、という感じ ニケフォロスといえば、1世のほうの年代記での書かれっぷりにはわろた
年代記作者 「非道の為政者、その十大悪政を非難する!」
現代の研究者 「いずれも国情をよく観察した上での理に適った政策で、しっかり成果を残した」
・・・ビザンツ官僚ェ('A`) 皇帝はいつからラテン語しゃべれなくなったのだろうか 皇帝は神の代理人ってフレーズすき
帝国は神の国の代行者ってフレーズもっとすき
こんなに中二病を擽る国なんだからもっと創作の題材になってもいい いくら過去の栄光があっても滅んで500年で後継者もいないからマイナーなのもやむなし。ロシア?知らない子ですね
子孫がイギリスだかにいるんだから、西欧に亡命政府立てておけばマルタ騎士団みたいに現在まで残ってたかもしれんが 奈良県橿原(かしはら)市の新沢千塚(にいざわせんづか)古墳群(国史跡)の126号墳(5世紀後
半)で出土したガラス皿の化学組成が、ローマ帝国(前27〜395年)領内で見つかったローマ・ガラス
とほぼ一致した。東京理科大の阿部善也助教(分析化学)らの蛍光X線分析で分かった。国内の古墳
出土品のガラス器がローマ伝来と科学的に裏付けられたのは初めて。
(記事の続きや関連情報はリンク先で)
引用元:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/ASGCD3C6RGCDPOMB001.html ユダヤ人は何回蛮族に攻撃・破壊されてもヘブライ人と呼ばれた頃から一貫してユダヤ人性を感じるのに
ギリシャ人はアカデメイア閉鎖、キリスト教改宗の辺りから既に精彩を欠くようになり
古代ギリシャ科学ですらユダヤ人から教わらないといけなくなったような感じがする
ラテン人なんてラテン風の名前すら消滅したし、今のイタリア人とは断絶がある感 >>146
個人差も強いとは思いますが、ギリシャ正教徒の右派気味の方は
今もコンスタンチノープルが日本でいう京都の感覚である事に驚いたことが
近代のバルカン戦争でもギリシャ軍がかつての都を目指して惨敗
日本人が思うよりはギリシャ人に東ローマ帝国の臣民の末裔の意識が強いかと >>147
まあなんやかんやでみんなまだ正教信者だからな >>141
中世のビザンツ官僚は、イスラム社会の力も現実的に把握していた
ラテン圏はからすれば、異教徒は潰せと考える人間が多かったから
その老獪さが、いやだったのでしょう
>>145
海のシルクロードや、商売、文化交流が今考えられている範囲が狭い気がします
もっと、広く捉えなおすべきかと ニケフォロス1世は、東ローマ版のヴェスパシアヌス帝だな。
いわゆる財政再建屋で、世間の評判が悪くなろうと国家の基礎体力を滋養するタイプ。
その恩恵で花開いたのが五賢帝時代と、アモリア朝後期〜マケドニア朝前期の東ローマ再興時代。 >>150
ニケフォロス1世は優秀な文官タイプ
皇帝には、惰性的な人間も、軍人型の人間もいて
適度な新陳代謝が帝国を長続きさせたのだと思う パレオロゴス朝の海軍とかマニアックすぎるわw
Byzantine Naval Forces 1261-1461 (Men-at-Arms)
ttp://www.amazon.co.jp/Byzantine-Naval-Forces-1261-1461-Men-at-Arms/dp/1472807286/ref=sr_1_1?s=english-books&ie=UTF8&qid=1416791274&sr=1-1&keywords=Ottoman そのテーマで300ページとか書かれてたらどうしようと思ったけど、48ページで安心したw >>154
皇位が血縁で継承されていない場合が多い(臣民が皇帝を変えたりしている)
そのことが、逆に帝国を長続きさせたのだと思う
>>152
中世のビザンツの重層騎兵もイメージが湧かないけれども、オリエンタルな要素があったのではと外国の本や模型からは感じる コンスタン略は飛行機が出来るまでは、
世界の要の都市だったからな。 1800年代後半までトップクラス
大コケは20世紀から。
今でもwikiでは市域人口なら世界7位だそう。一千万都市 コンスタンティヌスの建都から数えて1600年の歴史の中で
1300年くらい大帝国の都だった都市なんだから
大帝国の都おして世界最長記録かもしれぬ
長安やローマより長いはず 全然長い。正直怪物レベル
思いつく都市を挙げても匹敵者は無い
ロンドンパリベルリンモスクワ北京東京N.Y.
ローマカルタゴバグダッドエルサレムカイロ杭州... 東京は短いが京都千年の歴史
20世紀に首都で無くなったので良い形で残った そのダマスカスも例のシリア内戦で目茶目茶になり
観光名所のサラディンやバイバルスの墓廟も見学できなくなっている。 正直ブハラでもサマルカンドでも紀元前都市なんてたくさん残ってる。
京都なんて新米都市レベル。
東京への対抗心で歴史の長さを売りにするが、
東京は東国でも最終開拓都市で、
どの都市でも古代以前。多分京都は新しい方。 3500年前の城壁を修繕しながらつい最近まで使ってた鄭州市なんてのもある。
黄河の大氾濫で定期的に埋め立てられてるからめぼしいものは残ってないけれども。 >>166
>つい最近まで使ってた鄭州市
ということは今はもう使ってないのか >>167
一応史跡として保存されてるがドタバタしてるみたい。
>>166で言ったのは近年まで市街の境界として機能していた、という意味ね。
20世紀になって市街が拡大して狭い旧城壁が邪魔になったので調査してところ
(これはヨーロッパでもよくあった話)、
基盤部分が3500年前のものと判明した、という経緯。 日本は奈良が最古だから(現在まで続いている中では)、
なぜか古い都市が全然ない こういってはなんだが、出雲国造のような明々白々な古代都市は、
ちゃんと数えれば数多あるのだが、
親分の大和が初期に消息不明なため、
その他地域は全て遠慮して前に出れない状態。
二千年レベルは探せばあるだろう。 日本は木造建築が多いから古い家が残らない
古い都市がないのは当然
でも無かったということではない 初歩的な誤解をしていた 第四次十字軍は決してギリシャ人=正教徒 ラテン人=カトリックだから異端の首都を攻撃した訳ではなく
皇位継承争いで東ローマの皇子によって招かれた オスマン帝国が東ローマを滅ぼす時にはベネチア傭兵が守備についていた
ギリシャ人が弱兵の為、西欧人はしばしば傭兵になっていた
カトリックと正教徒の関係自体は、別に対イスラム、ユダヤ、プロテスタントほど悪くなかったのどころか
皇子は東西両教会統一の提案までやっているし、なりゆきいかんで再統一できる雰囲気があるのが同じ一神教でも回猶新と違うな フランク族の要求した軍資金を出し渋ったら帝都を占領された。
西の辺境の熊男たちの攘夷思想が疎ましかっただけだ。 フィレンツェ公会で合同が可決されたけど、使節団が帰った後、本国で神品と民衆の大反対で合同なかったことにされたし、合同が成功する可能性は低かったな >>173
いや、探しても現在まで続いている都市はなかった ラテン帝国建国で滅んだのに、二ケア帝国が勝手にローマ帝国僭称したんだよなぁ
二ケア帝国をローマ帝国と認める程度は神聖ローマ帝国をローマ帝国と認める程度と同じに過ぎない 世界最古の都市とかあるあたりは乾燥地帯で都市以外に人が住めないような場所なんだよなあ
だから井戸を掘って灌漑して日差しを防ぐ建物を建てて都市をわざわざ作らなくても豊富に食料が調達できたし日射病で死にもしなかった縄文時代の日本ではどう考えても分が悪い このご時世だけどトルコ行くことになった
イスタンブールの有名所は抑えておくとして、これはという所ある? 夏ならトラブゾンはじめ黒海沿岸をお勧めするが・・・
寒い時期ならエーゲ海側も空いてるだろうから、エフェソスとか廻ればいいんじゃね トラブゾン(スメラ僧院、アヤソフィア、博物館)
カイセリ(城壁、博物館)
カッパドキア(キリスト教遺跡)
コンヤ(ビザンツ時代の遺構あったっけ?)
イズニク(アヤソフィア、城壁)
こんなところか
トラブゾンは寒さは内陸部よりもマシみたいだけど、天候が悪いらしいね ありゃ、トラブゾンといってもトラブゾン県の山奥にある処分場の話
観光客が港湾都市トラブゾンの市街地を回ってるかぎりは関係なし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています