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数・記号の文明史 [転載禁止]©2ch.net
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0001世界@名無史さん
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2015/01/16(金) 02:45:02.170
数字や記号に関する歴史や文化について話すスレです。
数や記号の認識に始まり、その表記や計算法、記録法の発展と
応用分野、社会的影響力の拡大、度量衡の標準化などなど。

数学、論理学、記号論や、自然科学・社会科学への数値化、
質的説明から量的証明への移り変わり。

計測器の発達やメーター・文字盤の発達、
そろばん、算木、計算尺、電卓などの計算機具の発達など、
自由に話してください。
0332ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/06/03(水) 02:57:23.800
>>39>>46
>>65>>81

どうやら方位は
8方位
12方位
16方位
の歴史的な系統があるらしい
0333ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/06/22(月) 23:05:22.650
さて、通貨単位もやりたいのでお
とりあえずのおさらい

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%93
圓(えん、げん、ウォン、ドル、パタカ、トゥグルク)は、東アジアの各国において使用されている通貨の単位である。
なお「圓」は元来、「まる」を意味する文字で、日本における「円」の旧字体である。


メキシコドルの流入

中国においては古来から銅銭が通貨として広く用いられてきたが、
経済の拡大、あるいは産銅不足から銅銭のみによる取引に限界が生ずるようになった。
宋・元以後には紙幣や銀(銀地金や銀製品)が通貨の代わりに用いられるようになり、
明・清においても銅銭は引続き併行流通したものの、銀錠と呼ばれる秤量貨幣が通貨の主導的な地位を占めるようになった。
18世紀になると絹織物や茶の代価として、
スペインおよびその植民地であったメキシコから多量のメキシコドルなどの大型銀貨が流入するようになり、
「銀圓」と呼ばれて中国国内でも広く流通した。銀圓は従来の銀錠に対し、メキシコドルが円形の銀貨であったことに由来する[1]。
メキシコは漢字で「墨西哥」と表記され、メキシコドルは「墨銀」とも呼ばれた。
また当初は南蛮から流入したことを意味する「番銀/蕃銀」や、デザインおよび英(イン)と同じ発音である「鷹」から「鷹洋」の呼称もあった。


圓とドル

ドルの起源はターラーであるとされるが、アメリカの1ドル銀貨はメキシコドルに基づくもので、量目、銀品位もほぼ等しくつくられた。
また東アジアにおいてはドルを漢字「圓」で表記したのであり、圓、ドル共に元をたどれば起源を同じくするもので、
19世紀後半において圓、ドルは国際通貨であった。
しかし300年以上に亘る流通と、圧倒的な鋳造量を誇るメキシコドルに対し、
歴史の浅いアメリカ、香港および日本などの銀貨は市民権が容易には得られず市場において若干の増歩を要求される始末で、
アメリカおよび日本は量目を420グレーン(27.216グラム)と若干増量した貿易銀を発行して対抗したが成功には至らなかった。
0334ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/06/23(火) 21:05:21.740
うーん、該当するサイトが見つからないから
自分でなんとかするしかないのかな


大モンゴル→スペイン(メキシコドル)への
機軸通貨の移行について話をしたいのだが、、、
0337ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/06/24(水) 17:43:11.170
>>334

モンゴルが採用した三段階の銀の重量単位の呼び名

左は漢語、右はウイグル

(小) 銭=スティル
(中) 両=バクル
(大) 錠=ヤストゥク

ちなみに主要なボンゴル語とペルシャ語では、
(大)についての呼び名しか伝わってないそうで

モンゴル語ではスケ(斧)
ペルシャ語ではバーリッシュ(枕)

という意味だそうな
0338ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/06/24(水) 18:16:44.110
>>337

この重量基準は

(小) 約4g  →1(基準)
(中) 約40g →10倍
(大) 約2kg →500倍

となっているが、
(小)(中)に関してはササン朝で流通していた銀コインが起源で
(大)に関しては金朝のインゴット ? (てい:ディン)からきているらしい。
これは50両と交換されたが、モンゴル時代に同じ呼び名の「錠」になったとのこと。
0339世界@名無史さん
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2015/06/24(水) 18:40:36.180
でも東アジアには資本主義を発見できる知性はなかったね。
0340ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/06/24(水) 20:32:45.390
>>339

資本主義ってどんなものですか?
0341ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/06/27(土) 13:29:40.130
>>338

つまりモンゴル帝国の通貨重量単位は全てパクリで
オリジナルな発見はなかったということですね

このあたり他の世界帝国とも通ずるものがある気がします
0342世界@名無史さん
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2015/07/02(木) 07:17:53.080
上にある講義でライプニッツが如何に天才かが分かりました。
まさか、20歳を超えてから数学を始めたとは思いませんでした。
そして、数学が得意な人は簡単に見抜けるのかもしれませんが、
部分分数分解に幾何を混ぜて、あの有名なπの級数が出来てるとは思いませんでした。

経緯は分からないのですが、テーラー展開等、この時代は級数がはやってますね。
(Wikiで見ると、同時期の和算も一部のテーラー展開が発生した様ですから、日本も条件があれば、参加できたかも!?)
0343世界@名無史さん
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2015/07/02(木) 08:21:32.670
参加できたかどうか、どころか、無限級数の取り扱いについては、和算は世界トップクラスだったようです。代数的に一般化して積分の発明に至らなかったのが残念なところ。
0344世界@名無史さん
垢版 |
2015/07/02(木) 11:27:44.450
和算にしろ中国やローマの数学にしろ、
漢数字やローマ数字で数学なんて気が狂いそうだ
0345世界@名無史さん
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2015/07/02(木) 12:34:43.200
記数法はあれだが、計算は算盤使うのでアラビア数字と同じ。
0346ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/07/02(木) 20:01:58.700
>>342

有名なπの級数ってオイラーのやつじゃなくて?
0347世界@名無史さん
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2015/07/02(木) 20:09:34.470
連分数使うマクローリン展開のやつだろ
0349ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/07/02(木) 21:55:50.810
>>347
ぉー、ありがとうございます

おかげさまで
ラマヌジャンの方法が負けてたり
ケーララ学派や祖親子なんかが頑張ってたりと
おもしろかったですww
0350世界@名無史さん
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2015/07/06(月) 02:20:49.840
>>344-345
というか、高度な計算には算木とか碁石を使ってたんだが
0352世界@名無史さん
垢版 |
2015/07/06(月) 11:00:20.790
算木と碁石でググると情報見つかるはず
0353ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/09/21(月) 03:26:08.190
>>332
地中海世界における方位に関して

>8方位
アテネのアゴラに「風の塔」と呼ばれる8角形の塔が立っていて
それぞれ東西南北とその中間に方位を象徴する男性の像があるらしい。
前二世紀までに天文学者のアンドロニコスによって建設された

>12方位
風配図で12方位を考案したのは、
前250年ころの海軍軍人で学者のアリストテレス・ティモシテネスと言われている。
エジプトのプトレマイオス2世によってエジプト海軍の操舵長に任命された人物である。
彼の書いた海のガイドラインである水路誌には方位は風向きで
「キオス島からレスボス島までノトス(南風)とともに200ステディア進む」
といった形で表現されている。

>16方位
コンパスの普及以降はこの形に統一されたらしい
0354ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/09/25(金) 20:15:44.350
>>353

コンパスローズは32方位で
海図への配置は16方位毎らしい

ウィキペディアによると以下のようにあるけど
おいら調べでは16方位はエトルリア占いに通じるそうな


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%85%E9%87%9D%E5%9B%B3

初期の羅針図(ウィンドローズ)は30°ごとの12方位を描いており、特に古代ローマ人がこの形式を好んだ。
中世になると船員の教育レベルが低いため30°と言われてもピンと来なかったことから、16方位の羅針図が描かれるようになった。
16方位になると22.5°ごとという半端な数値になるが、一周を360°と考えずに4方位の半分の半分と考えれば直観的にわかりやすい。
また、グラードという単位を使えば、25グラードごとというキリのよい値になる。
0355世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/25(金) 20:20:44.500
円周の6等分はコンパスで簡単にできるが、4等分はふた手間ほど余計にかかる。16方位より12方位の方が実用的には手軽なのだ。
0358世界@名無史さん
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2015/09/29(火) 08:35:35.590
いまだに円の面積の求め方に円周率を使うことがわからん。
半径×半径×円周率・・
円を中心点から三十二分割して、三角錐を互いにまとめて直線をとるまではわかる。
でもなんで円周率なのか?
0359世界@名無史さん
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2015/09/29(火) 09:14:45.400
感覚でいいなら

大きな円形のピザがある
一切れは、三角形に近い≒三角形=縦*横*1/2

r=縦
2rπ=円周の長さ=横の合計

ピザの全切れ
円形のピザ≒Σ三角形=r×横の合計×1/2=r×rxπ

ピザの分割数が増加するにつれて三角形にどんどん近づく。
無限分割すると
円形のピザ=r×rxπ
0360世界@名無史さん
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2015/09/29(火) 10:09:51.740
>>358
円周率を単に直径と円周の比と捉えるからおかしくなるので、「円(を含めたn次元の球)に関する数値を半径と関係付ける時に必ず出てくる係数」と考えれば不思議はなくなる。
別の考え方として、円周の公式を積分すると円の面積が求められる。係数の円周率がそのまま保存されるのは計算上当然のこと。
0361世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/29(火) 12:49:56.190
うーむ・・直径を基準に求めることはできないのかな
0362世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/29(火) 12:54:10.660
その直径と円周の比を表す基本的な係数が円周率なのだから、これは欠かせない。
0363世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/29(火) 15:27:39.590
1111=14
134=1114=111111=16
795=777=73
0364世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/30(水) 01:17:52.680
「円周率」という名でなければ、直観的に受け入れやすいのでは。
例えば、「アルキメデス数(π)」に変える。

すると円の面積は、半径×半径×アルキメデス数(π)だから、
1辺を半径とする正方形の面積のアルキメデス数(π)倍。
その円を外接する正方形の面積は4倍。
0365ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/04(日) 23:19:49.320
>>333

トロイオンス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%B9

トロイオンス(troy ounce)は、貴金属や宝石の原石の計量に用いられるヤード・ポンド法の質量の単位であり、
1トロイオンス = 正確に 31.103 4768グラムである。金衡オンス(きんこうオンス)ともいう。
日本では、特殊の計量である「金貨の質量の計量」にのみ限定して使用できる単位であり、その定義値がわずかに異なる


トロイポンド

トロイポンド(金衡ポンド)は12トロイオンスに等しく、5760グレーンに等しい。よって、正確に 373.241 7216グラムとなる。
常衡では1ポンドは16オンス、7000グレーンに等しく、正確に 453.592 37グラムである。

かつては、1トロイポンドの銀をそのまま通貨として使用していた。これが通貨単位としてのポンドの由来である。



トロイ衡は、ウィリアム1世によるイングランド征服の時代にまで遡る。
その名前は、中世において重要な商都であったフランス・シャンパーニュ地方の町トロワに由来する。

という説があるが、
とりあえずいわく付きっぽいので追ってみたいと思います
0367ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/05(月) 01:44:10.030
>>366

おぉ、日本の誇る世界単位ですね。
おいらもそれと、あと一つあったような気がするんですが
ど忘れしてしまいましたww
0368ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/05(月) 01:48:41.020
>>365

ちなみにこれら他のものがあるのですが、、、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%B9


ヤード・ポンド法の質量の単位には3種類の系統(常衡、トロイ衡、薬衡)があり、
それぞれに「オンス」という名称の単位がある。


薬用オンス

薬衡(apothecaries' system)におけるオンスは薬用オンス(apothecaries' ounce, 記号:oz ap, ? (Unicode 0x2125))という。
薬衡は、その名の通り薬品の計量に用いられる。成り立ちは異なるが、薬衡は今日ではトロイ衡と同じ値となっている。
薬用オンスの8分の1が薬用ドラムである。


体積の単位

体積の単位として使用されるオンスは液量オンス(fluid ounce, fl oz)という。
イギリスでは28.41ミリリットル、アメリカでは29.57ミリリットルである。
0369ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/05(月) 02:01:59.720
>>368
これはやはり麦でした
しかし、、、


グレーン
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%B3


古くは、ポンドとグレーンとは別々の単位であり、その換算値は様々であったが、
1574年に商人と金細工職人からなる委員会が調査して、1常用ポンドがほぼ7000グレーンに等しいことが確認された[2]。
その後、1758年の法令によって1常用ポンド = 正確に7000グレーンと定められた[3]。


当初は、メソポタミア地方において大麦の穂の中央からとれた種1粒の重さとして定義された。
今日でも"grain"には穀物という意味がある。
0370ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/05(月) 02:14:01.650
>>369

ついでにこれも、、、

イナゴマメ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%82%B4%E3%83%9E%E3%83%A1



イナゴマメの乾燥種子の重さは約0.2 gほどで均一なため、重さの単位カラットの語源ともなったとされる。
しかし、実際にイナゴマメを個別に電子天秤はかりで計量すると、0.10gから0.25gの間でかなりのばらつきがあり均一ではない。
このことから、イナゴマメが宝石の取引に用いる分銅として機能したかどうかは疑わしい。
しかし、何らかの理由により取引の道具に利用されたことは推察できる。


ちなみにアッカド語で"kharubu"とあるらしい。
木の名前はギルガメッシュ叙事詩にも登場するとか
これはもしかすると、あれに繋がる可能性が、、、
0372ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/08(木) 23:58:13.120
これは聞いたことない単位でした
コインにステュムパリデスの鳥が描かれてたりしておもしろい


オボルス
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%B9

オボルス(obolus)はドラクマの1/6の価値があるギリシアの銀貨である。
プルタルコスによると、スパルタ人は4チャルコイの鉄製のオボルスを持っていた。

また、オボルスは重さの単位でもある。

古代ギリシアでは、1オボルスはドラクマの1/6、およそ0.5グラムとされていた。
古代ローマでは1オボルス、1/48オンス、またはおよそ0.57グラムとされていたがローマ共和国のコインとしては決して発行されなかった。
現代のギリシアでは、1オボルス、0.1グラムと決められている。

古代ギリシアでは葬儀の際、死者の口の中に1オボルス入れるという習慣があった。
これは、死者が冥界の川を渡る時、船の渡し守のカローンに渡し賃として1オボルス払わなければならないと考えられたためである。
0373ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/09(金) 01:08:06.640
>>369
たぶんこれなんだろうけど、、、

メソポタミアの銀は、秤量貨幣にあたる。
メソポタミアは銀を産出しないため、アナトリア半島のトロス山脈などから銀が運ばれた。
シェケルという単位が紀元前30世紀頃から用いられ、シュメル語ではギンと呼ばれた。

紀元前22世紀のウル・ナンム王の時代には銀1ギン(約8.3グラム)=大麦1グル(約300リットル)と公定比率を定めた[36]。
0374ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/09(金) 01:41:53.510
>>373

http://metatron.la.coocan.jp/zone-62/numb206.htm

■シケル(shekel)は多数ある古代の重さと通貨の単位の1つである。
紀元前3000年頃メソポタミア地域で用いられていたことが知られている。
この重さの単位シケルは180粒の大麦が標準だった。
この単語の最初の音節「シ」はアッカド語で大麦を意味していた。

■シュメールの地アッシリアから出土した、1シケルに相当する重さを表わしている分銅石の平均値は8.36gである。
この重さの単位シケルは180粒の大麦(8.33g)が標準だった。
古代オリエントを通じて、この1シケルが60個集まると
1ミナ501.6g(8.33gだと499.8g)相当の重さの単位になっていた(※2)。
0375ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/09(金) 02:02:44.280
>>372

貨幣史
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E5%8F%B2


アテナイは紀元前483年からラウレイオン銀山をもとに銀貨を発行して経済力を持ち、ポリス内にも貨幣が普及する。
公共事業や民会、陪審に参加する市民にオボルス銀貨を支給する制度が始まると、
貧しい市民もポリスの市場で食料を買えるようになり、富裕市民の公共奉仕も貨幣化されていった。

アテナイの通貨単位は、1タラントン=60ムナ、1ムナ=100ドラクマ、1ドラクマ=6オボルスとされ、
タラントンやムナは計算用の貨幣で実物は存在しなかった。
0376ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2015/10/09(金) 02:20:31.330
とりあえず、おいらの記憶とは繋がった

>>372

スタテル
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%86%E3%83%AB

その名称は古代ギリシア語で「重さ」を意味する。

西ヨーロッパでは、ギリシア北部で傭兵として働いていたケルト人を経由してもたらされたため、マケドニア起源だと思われていた。
紀元前8世紀から紀元50年ごろまで流通していた。

ロビン・レイン・フォックスによれば、
元々はエウボイア島でフェニキアのシェケルを重量単位として使っていたのが起源であり、
重さもほぼ同じで1シェケル(8.33グラム)は1ミナの50分の1である[1]。
0377ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/16(金) 08:27:20.120
>>257

全員のポジションと守備位置が
確認できたのでご連絡いたします

やはり大御所はベンチ要員でした、、、

No12_d60 天神アン(アヌ)
No11_d55 妻アントゥウ
No10_d50 大気神エンリル(マルドゥク?)
No09_d45 妻ニンリル
No08_d40 深淵エンキ(水神エア?)
No07_d35 妻ニンキ
No06_d30 月神ナンナ(シン)
No05_d25 妻ニンガル
No04_d20 太陽神うつぅ(シャマシュ)
No03_d15 金星神イナンナ(イシュタル)
No02_d10 嵐神イシュクル(アダド、後にマルドゥク?)
No01_d05 ニンフルサグ
No0x_d01 天神アン(アヌ)
0378ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/17(土) 09:24:54.260
>>367

絹か生糸の輸出に関するものだった気がするのだが、、、

https://kotobank.jp/word/%E7%B5%B9%E7%B9%94%E7%89%A9-51247

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説
絹織物 きぬおりもの
より抜粋

 絹織物の寸法は、綿織物と同じく広幅と小幅物がある。
輸出向けはすべて広幅で、91.4センチメートル(36インチ)幅のものが多く、
内地向けは帯地などの場合を除いて一般に小幅で、着尺地は産地事情により幾分異なるが、
約36センチメートル(鯨尺9寸5分)を標準としている。

また長さでは、輸出向けは1反(一般的には50ヤード、約45.7メートル、品種により30ヤード)で、
内地向けは1反(鯨尺3丈、約11.4メートル)、または1匹(約22.8メートル)を単位としている。

絹織物の厚薄を表すときに、匁付(もんめづけ)(あるいは目付ともいう)が使われるが、
これは精練したのちも幅1寸、長さ60尺の重量を匁(1匁=3.75グラム)で示し、たとえば4匁であれば四匁付という。
0379ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/17(土) 14:52:34.600
やはり天秤による3進数システムがみられるな
このとき分銅を使ったのかどうなのか、、、


1.髪を剃り落とすように命じられる預言者エゼキエル

http://shinozaki-baptist.jp/modules/kyuyaku/index.php?content_id=520

・エゼキエルはエルサレム包囲を預言する象徴行為をするように命じられる。
最初に命じられたのが左脇を下にして390日間横たわり、次に右脇を下にして40日間横たわる行為である(4:4-8)。
エルサレムが包囲され、身動きがつかなくなるさまを行為で示せと命じられる。

次にエゼキエルは雑穀を用いてパンを焼き、パンの量は20シュケル(230g)、水が1/6ヒン(0.5L)で暮らせと命じられる(4:9-12)。
包囲に伴って食糧・水が枯渇する様を演じよとの命令だ。

・三番目の命令は、髪の毛と髭を剃り、その1/3を火で燃やし、1/3を剣で切り刻み、1/3を風に散らせというものだった。
-エゼキエル5:1-2「人の子よ、あなたは鋭い剣を取って理髪師のかみそりのようにそれを手に持ち、
あなたの髪の毛とひげをそり、その毛を秤にかけて分けなさい。

その三分の一は包囲の期間が終わったときに都の中で火で燃やし、
ほかの三分の一は都の周りで剣で打ち、残り三分の一は風に乗せて散らしなさい。
私は剣を抜いてその後を追う」。

・その意味が後半で示される。
エルサレムの住民の1/3は包囲戦の中で疫病や飢餓で死に、
他の1/3は侵略してきた敵兵の剣で切り殺され、残りの1/3は捕えられ捕囚にされるとの意味である。
0381ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/18(日) 09:02:07.150
おいらもアルキメデスがどうやって
合金を特定したのか気になっていたのだが、、、


ガリレオの最初の論文「小天秤(La Bilancetta ラ・ビランチェッタ)」

http://homepage3.nifty.com/kuebiko/science/freestdy/Gbalance.htm

 世界の名著 第21巻「ガリレオ」責任編集・豊田利幸、中央公論社、1973年6月25日初版発行、¥650−

上記の本の「ガリレオの生涯と科学的業績」という項を豊田氏が書いておられて、
その中で、37ページから41ページにかけて「小天秤」の豊田氏による全訳が載っています。
訳は、国家版「ガリレオ・ガリレイ全集」をもとにした全訳であり、( )内に原語を記入したのは豊田氏です。

原文はラテン語ではなくイタリア語だそうです。
「小天秤」は1586年22歳の時の、ガリレオ最初の論文ですが、
公刊されたのは、1638年に最後の著作になる「新科学対話」の付録として、でした。

そこから訳文を引用しながら、私の議論を進めていきましょう。



 まずガリレオは、アルキメデスについてのよく知られた逸話について批判し、粗雑に過ぎる、としています。
そしてアルキメデスははるかに精密な方法を使ったに違いなく、自分はそれと同じ方法を発見したと考える、と述べています。
0382ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2015/10/18(日) 09:13:10.140
>>380

けっこう不思議ですよねww
まぁ、三角天秤ってことはないと思うんですが
0383ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/18(日) 15:35:44.610
>>374>>365>>379

ポンド (質量)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%89_%28%E8%B3%AA%E9%87%8F%29

代表的な言語での呼び名は以下のとおり。

英語: pound(パウンド)
オランダ語: pond(ポンド)
ドイツ語: Pfund(プフント)
フランス語: livre(リーヴル)
スペイン語: libra(リーブラ)
イタリア語: libbra(リッブラ)

起源

歴史的には、メソポタミア地方で大麦1粒の重さを元にグレーンが定められ、その倍量単位としてポンドが定められた。
使用法としては、人間が1日に消費する食糧としての単位であり、1ポンドの製粉によって焼かれたパンが1日分の主食量に相当する。

古代ローマではこの単位を天秤の意味の「リブラ (libra)」と呼んでおり、これがポンドを表す記号“lb”の由来である。
また、通貨の単位のポンドの略号“£”もlibraに由来する。
「○○リブラの重さ」を“○○ libra pondus”と言い、このことから“pondus”がリブラの別名となった。
0384ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/18(日) 15:38:27.820
さてさて、どれ一つ合ってないんだが
どうしたもんんかww
0385世界@名無史さん
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2015/10/18(日) 17:05:30.590
古代ローマでは、一日消費麦単位は天秤よりリブラと呼ばれるようになった。

ローマからイングランドに一日消費麦単位が伝わった。
一日消費麦単位=5000麦単位程度だった。
リブラ・ポンドゥスと呼んでいたが、いつのまにかポンドになっていった。
一方で記号としてリブラの痕跡が残った。

他国・他の地域では
リブラの重さは、
前半(リブラ)が残ったのがフランス・スペイン・イタリアで、
後半(重さ)が残ったのが英語・ドイツ・オランダ。

本当かどうかは知らない。
0386ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/18(日) 18:00:09.660
>>385
ふむふむ、勉強になります
ちょうどローマ軍のサラリーを調べようと思っていたところなので

さすがに包囲戦のときは食べる量も減るんですね
0387世界@名無史さん
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2015/10/18(日) 18:34:20.570
家族7人が一年間に食べる穀物の量を「俵」であらわす。
それが収穫できる田の広さは「一反」。
0389ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/19(月) 21:26:26.660
>>387
子供は何人計算なんでしょうか?


しかし、こんだけ見てくと
東西を貫くシュメール起源のギンと
60進法のマナがあるだけで、
その先に進めてない気がする

ただ西に進んだシェケルはおそらく銀の単位として残ったが
東ではダレイオス大王の下でいったん金の単位になってそうなのだが、、、
素人が踏み込んでも碌な解はなさそうなので参考書でも探すかww
0390ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/22(木) 02:58:10.560
>>389
そしてこの構造は繰り返す、、、

ディナール
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB

ディナール(dinar, ?????)は、アラブ地域などの多くの国で使われている通貨である。
アラビア語では「ディーナール」と発音される。
ディナールの名称は、ローマ帝国の銀貨、デナリウスに由来する。

歴史

693年、ウマイヤ朝のカリフであるアブドゥルマリクがダマスカスでイスラーム帝国初の金貨を打刻させた。
これがディナールの起源である。イスラーム世界の硬貨はこの時以来近代になって初めて鋳造硬貨が製造されるまで打刻硬貨だった。
当初はディンナールと呼ばれ、主に旧東ローマ帝国領で流通した(それまでは、東ローマ帝国が鋳造したノミスマ金貨が流通していた)。

8世紀半ばに成立したアッバース朝の時代になるとディルハム銀貨による銀経済であった
旧サーサーン朝ペルシア領でもディナールが流通するようになり、9世紀には金銀二本位制へと移行した。

ガーナ王国の金を、ムスリム商人が岩塩と交換するサハラ交易が行われていた。
またディナールとディルハムの法定換算比率は
1ディナール=20ディルハムであったが時代や地域とともに変化していき
アッバース朝5代のハールーン・アッ=ラシード時代には1ディナール:22ディルハム、
時代により1ディナール=30ディルハムの比率も発生した。

そして現在、、、
http://www.huffingtonpost.jp/takahiko-tsubouchi/islam-dinar_b_6389268.html

金の品位96〜98%のディナール重量は4・25グラム、ディルハム重量は2・97グラム。
ディナール・ディルハムの換算比率は、1ディナール=10ディルハムが標準とされた。
現在のディナール・ディルハム構想も、かつての貨幣に準拠しようとしている。
0391ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/22(木) 03:37:17.820
デナリウス銀貨
デナリウスは共和政ローマ時代の紀元前211年ごろ、第二次ポエニ戦争の最中に造幣され始めた。
当初の重さは平均で4.5グラム、当時の単位でいうと1?72ローマンポンドである。


アントニニアヌス銀貨
カラカラが最初に発行したことと、その本名に「アントニヌス」と付くことから、それに結び付けてこのように命名された。
2デナリウス相当の価値があるとされていた。当初は銀貨だったが改鋳と共に青銅成分が徐々に増えていった。
最初に導入したのはカラカラ帝で、215年のことである。


ソリドゥス金貨 
4世紀前半にコンスタンティヌス1世が通貨の安定を図って鋳造した金貨がソリドゥス金貨の起源である。
金保有量は4.48g。東ローマ帝国の時代にも同様の金貨が流通した。
東ローマ帝国では「ノミスマ」と称された。
0392世界@名無史さん
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2015/10/22(木) 05:46:38.060
>>388そうだった。一か月の間違いだ。訂正してお詫びします。
一反はすると何か月分の収穫量だっけ?
0393世界@名無史さん
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2015/10/22(木) 05:52:15.990
ということで調べてみると
一反とは一辺が30mほどで1000uほどの耕作地。
ここで上がる収穫量は「大人一人が年間に食べられる量」で
1000合だそうだ。
俵で換算すると?
わからん。
0394世界@名無史さん
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2015/10/22(木) 07:01:56.890
一食一合弱か
おかずが無いときついな
0395世界@名無史さん
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2015/10/22(木) 08:28:22.510
ディナールとディルハムは同じ単位から派生した方言みたいなものと思ってた。現在の中東では、国によってどっちかが通貨単位になってるね。
0396ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/22(木) 20:01:30.540
>>394
おいらもおかずは大事だと思います

>>395
恥ずかしながらおいらも同じ様なものだと思っておりました
昨日寝る前に、何かに繋がると思いついて寝たのだが
夢のお告げはありませんでした
0397ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/22(木) 21:18:37.850
>>390>>391

ちなみに東西に渡るこの通貨単位
実はアレクサンドロス3世による東征がベースにある模様

この伝統はテトラドラクマを継承したものっぽいです

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%9E

アテナイでは1ドラクマあたり4.3グラムという基準に基づいてテトラドラクマ貨を造幣していた。
アレクサンドロス3世の軍がテトラドラクマ貨を通貨としてヘレニズム世界に広めたため、イランやインドでも通貨として流通するようになった。
0398ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/23(金) 02:59:48.450
>>395

調べていくと実はあなたの見解は正しいみたいですww
そしてやっと>>338へと繋がる訳ですね
0399世界@名無史さん
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2015/10/23(金) 04:37:36.870
インドやイランはギリシャ文明が造ったからな。
ギリシャの先進文明を学ぶために集団結婚式(マンコが原住民)を挙げたらしいよ
0401世界@名無史さん
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2015/10/24(土) 19:17:14.060
質量を物量で定義しようとすると、力や長さとの組み合わせでトートロジーになっちゃうんだよ。
0402ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/24(土) 22:31:22.360
>>400
とみせかけて、

その基本単位のうちの一つは歴史的に流れに乗って制定された後
慣習により使われていて特別必要ないものなんだけど
廃止が検討された際には強い抵抗にあい
現在も生きながらえている、という感じじゃなかったっけか
0403ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/25(日) 07:51:58.010
376 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2015/08/15(土) 17:15:23.81 0
天国に来てもブドウ72粒しかくれないとかアッラーさんは随分ケチな神さんなんだな

377 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2015/08/15(土) 18:16:07.12 0
なんで72粒なんだろう、アラビア語だと72という数に特別な意味が含まれるのかな?

378 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2015/08/15(土) 18:18:26.32 0
あいや、じつは72とかいう数字も後世の追加設定なので、
実際はブドウは食べ放題サービスかもしれない。
それぐらいは天国に期待したい。

379 名前:山野野衾 ◆qDubHAi3S/a/ [sage] 投稿日:2015/08/15(土) 19:08:06.02 0
中国だと天の数が36、地の数が72。
孫悟空が使える術は地の数の72通りで、天界出身の猪八戒の術は天の36通り。
『平妖伝』にも、それぞれ同数の天地の術が登場している。

『水滸伝』の元ネタの人数は三分の一の36人。しかし中国史上では他にも36人でやった
という記事がたまに見られるのは、意図したのか後世の付会か。
兵法は三十六計。

ゾロアスター教でも72は神聖視されるそうで、分布は広いかもしれません。

380 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2015/08/15(土) 20:59:27.28 0
中野美代子が西遊記に出てくる様々な数字の意味合いを考察してた本がでてたね

381 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2015/08/15(土) 22:33:55.18 0
カバラの72天使とかソロモンが使役する72柱の悪魔とか
由来は12宮の5分割とかもっともらしいが後付けっぽくもある

382 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2015/08/15(土) 22:37:30.68 0
>>381 は6分割の間違いスマソ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:9368c25c0e1fcb4c3420acd807713d27)
0405ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/25(日) 22:51:57.520
>>403

天の数36はあきらかに旬で10日と十干だろうなぁ
このあたりエジプトとそっくりなんだが
0406世界@名無史さん
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2015/10/26(月) 20:13:40.270
戦後アメリカ文化が流入してきた日本においてヤード法が普及
しなかったのは何故でしょうか?
0408世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/26(月) 20:44:23.620
アメリカだって面倒で古臭いヤード・ポンド法なんて本当は使わせたかないわ!
0409世界@名無史さん
垢版 |
2015/10/26(月) 21:10:05.770
アメリカの若いもんの間では、グラムは急速に普及しているらしい。
南米から来るブツは グラム単位で売ってるから。
0410世界@名無史さん
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2015/10/26(月) 21:46:46.000
10年ほど前、アメリカ旅行であちこち行ったけど
キロミータで通じないことは一度もなかったよ
0411ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/27(火) 21:20:08.900
なんとなくスポーツは最後まで残りそうな感じですね

ゴルフとかボクシングとか
0412ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/27(火) 22:27:25.180
>>390

「 カワユイ(^◇^)カリフ道」論邦訳Wiki
「イスラームのディーナール金貨とディルハム銀貨の紹介」 ウマル・バディロ(Achnagairn House, Scotland 1995)

http://www22.atwiki.jp/kawaii_khalifa/pages/13.html

イスラームにおけるディナール金貨とディルハム銀貨とは何か?

イスラーム法によると、イスラームの1枚のディナール金貨は4.25グラムと同等の明確な金の質量をもつ。
イスラームの1枚のディルハム銀貨は2.975グラムと同等の銀の重さをもつ。
ウマル・イブン・アル・ハッターブはディナールとディルハムの関係をその質量に基づく有名な基準で制定した。
それは、7ディナールが10ディルハムと同質量になる、というものである。

ディナール金貨とディルハム銀貨の使い方

それ自体が富なので蓄えることが出来る。
イスラーム法で必須とされている通りザカート(所謂救貧税)を支払うことが出来る。
結婚持参金として使うことが出来る。
それが合法的な交換媒体であるので、売買が出来る。

ミスカールに対するイジュマー

神の啓示はディナールとディルハムについて言及しており、啓示にはそれについての多くの法判断が載っている。
例えば、ザカート(救貧税)、結婚、ハッド刑などである。
したがって、啓示内部で、ディナールとディルハムはリアリティや(ザカートなどの)評価に対する具体的な手段を持つことになる。
その法判断は、イスラーム法に反するもの(他の硬貨や物品)に対してよりも、むしろ前述の啓示における基準に基づくはずである。

イスラーム草創期および教友と支持者の時代から、
シャリーアのディルハムは10枚で金7ミスカール(ディナールの質量)分の重さにになるという合意(イジュマー)があることを知っておこう。
金の1ミスカールの重さは大麦72粒分であり、
そのため、1ミスカールの10分の7の重さとなる1ディルハムは大麦50粒に50分の2粒を加えた重さと同等になるである。
0413ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/10/28(水) 19:54:21.100
>>379

まず、天秤でカミを半分に別けます
次に、天秤でカミをさらに半分に別けます

1/2カミと1/4カミができたので
これが釣り合うように天秤の支点をズラします

この状態でどちらにもズラなくなったらカミを取って
次に全てのヒゲを乗せて釣り合わせます

すると、片側に1/3ヒゲと
もう片側に、2/3ヒゲが現れます。
0414世界@名無史さん
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2015/11/03(火) 17:31:37.710
>>411
アメリカンフットボールは今更メートルで、というわけにはいかんし。
0415ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/03(火) 20:36:16.360
こんなのがあるらしい、、、
字が小さくて全部は見えない、、、

【友の会講演会】
「古代オリエントのコイン(1):サーサーン朝ペルシアとその境界域のコイン」

http://aom-tokyo.com/event/151212coin.html
http://aom-tokyo.com/event/images/151212coin.jpg

コイン(金属貨幣)は小さいながら、多くの情報(発行者、文字、宗教、美術表現、経済など)を持っています。
こうしたコインを丹念に調査研究することで、どのようなことがわかるのでしょうか。
 今回は、3?7世紀に西アジアの広大な地域を支配したサーサーン朝ペルシアとその「境界域」のコインに焦点をあてます。
サーサーン朝ペルシアのコインがどのように後の時代、または周辺地域において利用されていたのか。
出土資料、国内外の美術館所蔵資料などを調査した最新の成果を中心に紹介します。
0416ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/03(火) 20:41:24.660
>>414
そういえば単位が根本的にスポーツと結びついている
そんなのってあるんでしょうかね

9ボールとかちょっとそれっぽい感じですが
0419ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/06(金) 00:09:58.010
>>418
この右下の絵はみたことある気がするのだが
なんだったっけかなぁ
0420ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/06(金) 00:22:08.830
>>415
よく見えないのだが、誰か内容教えてくれないのかなぁ

『西方の部』

マケドニア
アレクサンドロス
4ドラクマ銀貨

ギリシア、当てない
ふくろう
4ドラクマ銀貨

プトレマイオス朝エジプト
クレオパトラ、アントニウス
ドラクマ銀貨
0421ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/06(金) 00:27:36.130
>>415

『中央の部』

ササン朝ペルシア
ゾロアスタ教
ドラクマ銀貨


アケメネス朝ペルシア
金貨

アルサケス朝パルティア
ドラクマ銀貨
0422ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/06(金) 00:42:56.710
>>415

『東方の部』

グレコバクトリア朝
4ドラクマ銀貨


クシャノササン朝
金貨

クシャーノ・サーサーン朝は様々なコインを鋳造した。
通常、コインの表には精巧な頭飾りを付けた君主が描かれ、裏にはゾロアスター教の火の祭壇か、シヴァ神と雄牛ナンディが描かれた。


クシャン朝
金貨

クシャーナ朝にとってローマとの貿易がいかに重要なものであったかは、彼らが発行した金貨の単位からもわかる。
クシャーナ朝は金貨の単位をローマの金貨単位にリンクさせており、その金貨は正確にローマの2アウレウス分の重量を持っていた。
さらにローマのデナリウスはディーナーラとして、その通貨単位がクシャーナ朝に取り入れられた。

※参考:オクタヴィアヌス時代のローマの通貨交換レート
1アウレウス(金貨) = 25デナリウス(銀貨)
1デナリウス(銀貨) = 4セステルティウス(黄銅貨)
1セステルティウス(黄銅貨) = 4アス(青銅貨)
0423ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/06(金) 00:48:21.860
>>422

経済[編集]

クシャーナ朝の領土は、同時代に中央インドで繁栄を迎えてきたサータヴァーハナ朝などと同じく交易によって繁栄を迎えていた。
かつてクシャーナ朝が北西インドを征服する以前、この地域の貨幣経済は衰退期を迎えていた。

原因は知られていないが、北西インドでは銀が不足し、
インド・パルティア人やサカ人の諸王朝が発行する銀貨は極度に品質の悪いものとなっていた。
しかし、クシャーナ朝が北西インドを支配した時代、すなわちヴィマ・タクトとヴィマ・カドフィセスの治世以降、
彼らは盛んに金貨と銅貨を発行し、特に北西インドで作られた金貨は質・流通量ともに向上した。

ローマやインドの商人によってローマやインドへ向けて絹・香料・宝石・染料などが輸出された。
これらの商品はローマでは原価の百倍もの価格で売れ、代金として金がクシャーナ朝にもたらされた。
0424ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/07(土) 16:47:43.210
海のシルクロード、、、

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/ff/Periplous_of_the_Erythraean_Sea.svg/1280px-Periplous_of_the_Erythraean_Sea.svg.png

プラーナ文献では、アーンドラ朝(Andhras)とよばれる。
サータヴァーハナが王家名で、アーンドラが族名である。
デカン高原を中心とした中央インドの広い範囲を統治した。

パックス・ロマーナ期のローマ帝国と盛んに海上交易を行い、商業が発達した。
この時期の遺跡からは、ローマの貨幣が出土することで有名である。
王たちは、バラモン教を信仰したが、仏教やジャイナ教も発展した。
0427ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/10(火) 21:37:18.250
>>422

クラウディウス帝の発行したコインが
ブリタンニアから南インドまで見つかっているらしい、、、
0429ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/17(火) 23:10:05.360
コインの散歩道から


戦国の七雄
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/C003.htm

  中国の戦国時代(BC403−BC221)は、周王室の他に有力な諸侯が7つありました。
燕・斉・趙・韓・魏・秦・楚の諸侯です。各国は、独自の貨幣を鋳造しました。
わずか200年の間ですが、この時代ほど多種多様な通貨が作成されたことはありません。

  この時代の貨幣はおおきく次の4種類に分類されます。
  @刀幣 刀をモデルにしたもので、斉・燕・趙など東方の諸国で作成されました。
  A布幣 農具のスキ・クワをモデルにしたもので、趙・韓・魏で作成されました。
  B円形 紡輪をモデルにしたとも、刀幣の一部をとったともいわれていますが、 やはり抽象的な形として貨幣にふさわしかったのでしょう。
   戦国の中期以降に秦で発達し、その後他の国でも採用されました。
  C貝形 貝貨をモデルにしたもので、長江を支配した楚で作成されました。

当時の貨幣単位:
 青銅の重量そのものでした。
 斉燕の単位は、1環(かん)=10鈞(きん)で、1鈞はおよそ11g。
 三晋の単位は、1鎰(いつ)=32釿(きん)で、1釿はおよそ12g。
 秦楚の単位は、1斤(きん)=16両(りょう)、1両=24銖(しゅ)で、1両はおよそ16g。

当時の人口:
 春秋時代は5〜600万人くらいだった人口は、鉄の農具が普及し、戦国時代には2000万人くらいに増加しました。国ごとの内訳は、
   燕200万,斉200万,趙500万,韓100万,魏200万,秦500万,楚500万 計2200万
   (斉と趙の数字は逆かもしれません)。
 一つの国が、今の日本の県と同じくらいです。
0430ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/17(火) 23:24:44.500
詐欺学生が気にかかるww

メソポタミアだったかレヴァントでは
シェケルは3種類あったようだが
同じものなんだろうか

http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/E012.htm

● マウリア王朝時代のコイン

  インドで貨幣が最初に発行されたのは、紀元前600年ころだといわれています。 
ガンジス川流域に16の国が並立していたころで、釈迦が仏教を始めた頃でもあります。

  当時の貨幣の多くは、銀の板を四角に切り取ったような貨幣でした。重さには二つの基準があり、メソポタミアとの交易に適したようになっていました。 
 (1)重い基準 1サタマナ=11g
    これは、バビロニアのシェケル(10.9g)に対応し、主に陸上交易で使用されました。
 (2)軽い基準 1カルシャパナ=3.52g
    これは、バビロニアの軽量シェケル(7.27g)の2分の1に対応し、主に海上交易で使用されました。
0431ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
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2015/11/18(水) 02:16:48.770
>>86

売り切れ、品切れ、お断り、とのこと
ニューヨークウェストビレッヂのチャムリーズ (Chumley's) という
表玄関からは入れない店に行く必要がありそうです、、、
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