数・記号の文明史 [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
数字や記号に関する歴史や文化について話すスレです。 数や記号の認識に始まり、その表記や計算法、記録法の発展と 応用分野、社会的影響力の拡大、度量衡の標準化などなど。 数学、論理学、記号論や、自然科学・社会科学への数値化、 質的説明から量的証明への移り変わり。 計測器の発達やメーター・文字盤の発達、 そろばん、算木、計算尺、電卓などの計算機具の発達など、 自由に話してください。 >>403 天の数36はあきらかに旬で10日と十干だろうなぁ このあたりエジプトとそっくりなんだが 戦後アメリカ文化が流入してきた日本においてヤード法が普及 しなかったのは何故でしょうか? アメリカだって面倒で古臭いヤード・ポンド法なんて本当は使わせたかないわ! アメリカの若いもんの間では、グラムは急速に普及しているらしい。 南米から来るブツは グラム単位で売ってるから。 10年ほど前、アメリカ旅行であちこち行ったけど キロミータで通じないことは一度もなかったよ なんとなくスポーツは最後まで残りそうな感じですね ゴルフとかボクシングとか >>390 「 カワユイ(^◇^)カリフ道」論邦訳Wiki 「イスラームのディーナール金貨とディルハム銀貨の紹介」 ウマル・バディロ(Achnagairn House, Scotland 1995) http://www22.atwiki.jp/kawaii_khalifa/pages/13.html イスラームにおけるディナール金貨とディルハム銀貨とは何か? イスラーム法によると、イスラームの1枚のディナール金貨は4.25グラムと同等の明確な金の質量をもつ。 イスラームの1枚のディルハム銀貨は2.975グラムと同等の銀の重さをもつ。 ウマル・イブン・アル・ハッターブはディナールとディルハムの関係をその質量に基づく有名な基準で制定した。 それは、7ディナールが10ディルハムと同質量になる、というものである。 ディナール金貨とディルハム銀貨の使い方 それ自体が富なので蓄えることが出来る。 イスラーム法で必須とされている通りザカート(所謂救貧税)を支払うことが出来る。 結婚持参金として使うことが出来る。 それが合法的な交換媒体であるので、売買が出来る。 ミスカールに対するイジュマー 神の啓示はディナールとディルハムについて言及しており、啓示にはそれについての多くの法判断が載っている。 例えば、ザカート(救貧税)、結婚、ハッド刑などである。 したがって、啓示内部で、ディナールとディルハムはリアリティや(ザカートなどの)評価に対する具体的な手段を持つことになる。 その法判断は、イスラーム法に反するもの(他の硬貨や物品)に対してよりも、むしろ前述の啓示における基準に基づくはずである。 イスラーム草創期および教友と支持者の時代から、 シャリーアのディルハムは10枚で金7ミスカール(ディナールの質量)分の重さにになるという合意(イジュマー)があることを知っておこう。 金の1ミスカールの重さは大麦72粒分であり、 そのため、1ミスカールの10分の7の重さとなる1ディルハムは大麦50粒に50分の2粒を加えた重さと同等になるである。 >>379 まず、天秤でカミを半分に別けます 次に、天秤でカミをさらに半分に別けます 1/2カミと1/4カミができたので これが釣り合うように天秤の支点をズラします この状態でどちらにもズラなくなったらカミを取って 次に全てのヒゲを乗せて釣り合わせます すると、片側に1/3ヒゲと もう片側に、2/3ヒゲが現れます。 >>411 アメリカンフットボールは今更メートルで、というわけにはいかんし。 こんなのがあるらしい、、、 字が小さくて全部は見えない、、、 【友の会講演会】 「古代オリエントのコイン(1):サーサーン朝ペルシアとその境界域のコイン」 http://aom-tokyo.com/event/151212coin.html http://aom-tokyo.com/event/images/151212coin.jpg コイン(金属貨幣)は小さいながら、多くの情報(発行者、文字、宗教、美術表現、経済など)を持っています。 こうしたコインを丹念に調査研究することで、どのようなことがわかるのでしょうか。 今回は、3?7世紀に西アジアの広大な地域を支配したサーサーン朝ペルシアとその「境界域」のコインに焦点をあてます。 サーサーン朝ペルシアのコインがどのように後の時代、または周辺地域において利用されていたのか。 出土資料、国内外の美術館所蔵資料などを調査した最新の成果を中心に紹介します。 >>414 そういえば単位が根本的にスポーツと結びついている そんなのってあるんでしょうかね 9ボールとかちょっとそれっぽい感じですが >>418 この右下の絵はみたことある気がするのだが なんだったっけかなぁ >>415 よく見えないのだが、誰か内容教えてくれないのかなぁ 『西方の部』 マケドニア アレクサンドロス 4ドラクマ銀貨 ギリシア、当てない ふくろう 4ドラクマ銀貨 プトレマイオス朝エジプト クレオパトラ、アントニウス ドラクマ銀貨 >>415 『中央の部』 ササン朝ペルシア ゾロアスタ教 ドラクマ銀貨 アケメネス朝ペルシア 金貨 アルサケス朝パルティア ドラクマ銀貨 >>415 『東方の部』 グレコバクトリア朝 4ドラクマ銀貨 クシャノササン朝 金貨 クシャーノ・サーサーン朝は様々なコインを鋳造した。 通常、コインの表には精巧な頭飾りを付けた君主が描かれ、裏にはゾロアスター教の火の祭壇か、シヴァ神と雄牛ナンディが描かれた。 クシャン朝 金貨 クシャーナ朝にとってローマとの貿易がいかに重要なものであったかは、彼らが発行した金貨の単位からもわかる。 クシャーナ朝は金貨の単位をローマの金貨単位にリンクさせており、その金貨は正確にローマの2アウレウス分の重量を持っていた。 さらにローマのデナリウスはディーナーラとして、その通貨単位がクシャーナ朝に取り入れられた。 ※参考:オクタヴィアヌス時代のローマの通貨交換レート 1アウレウス(金貨) = 25デナリウス(銀貨) 1デナリウス(銀貨) = 4セステルティウス(黄銅貨) 1セステルティウス(黄銅貨) = 4アス(青銅貨) >>422 経済[編集] クシャーナ朝の領土は、同時代に中央インドで繁栄を迎えてきたサータヴァーハナ朝などと同じく交易によって繁栄を迎えていた。 かつてクシャーナ朝が北西インドを征服する以前、この地域の貨幣経済は衰退期を迎えていた。 原因は知られていないが、北西インドでは銀が不足し、 インド・パルティア人やサカ人の諸王朝が発行する銀貨は極度に品質の悪いものとなっていた。 しかし、クシャーナ朝が北西インドを支配した時代、すなわちヴィマ・タクトとヴィマ・カドフィセスの治世以降、 彼らは盛んに金貨と銅貨を発行し、特に北西インドで作られた金貨は質・流通量ともに向上した。 ローマやインドの商人によってローマやインドへ向けて絹・香料・宝石・染料などが輸出された。 これらの商品はローマでは原価の百倍もの価格で売れ、代金として金がクシャーナ朝にもたらされた。 海のシルクロード、、、 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/ff/Periplous_of_the_Erythraean_Sea.svg/1280px-Periplous_of_the_Erythraean_Sea.svg.png プラーナ文献では、アーンドラ朝(Andhras)とよばれる。 サータヴァーハナが王家名で、アーンドラが族名である。 デカン高原を中心とした中央インドの広い範囲を統治した。 パックス・ロマーナ期のローマ帝国と盛んに海上交易を行い、商業が発達した。 この時期の遺跡からは、ローマの貨幣が出土することで有名である。 王たちは、バラモン教を信仰したが、仏教やジャイナ教も発展した。 >>419 もしかして:カドゥケウス https://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%AB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%B1%E3%82%A6%E3%82%B9& ;source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0CAcQ_AUoAWoVChMIv8iI67L-yAIVwiiUCh1a7gsH&biw=1366&bih=651#tbm=isch&q=Caduceus >>422 クラウディウス帝の発行したコインが ブリタンニアから南インドまで見つかっているらしい、、、 コインの散歩道から 戦国の七雄 http://homepage3.nifty.com/ ~sirakawa/Coin/C003.htm 中国の戦国時代(BC403−BC221)は、周王室の他に有力な諸侯が7つありました。 燕・斉・趙・韓・魏・秦・楚の諸侯です。各国は、独自の貨幣を鋳造しました。 わずか200年の間ですが、この時代ほど多種多様な通貨が作成されたことはありません。 この時代の貨幣はおおきく次の4種類に分類されます。 @刀幣 刀をモデルにしたもので、斉・燕・趙など東方の諸国で作成されました。 A布幣 農具のスキ・クワをモデルにしたもので、趙・韓・魏で作成されました。 B円形 紡輪をモデルにしたとも、刀幣の一部をとったともいわれていますが、 やはり抽象的な形として貨幣にふさわしかったのでしょう。 戦国の中期以降に秦で発達し、その後他の国でも採用されました。 C貝形 貝貨をモデルにしたもので、長江を支配した楚で作成されました。 当時の貨幣単位: 青銅の重量そのものでした。 斉燕の単位は、1環(かん)=10鈞(きん)で、1鈞はおよそ11g。 三晋の単位は、1鎰(いつ)=32釿(きん)で、1釿はおよそ12g。 秦楚の単位は、1斤(きん)=16両(りょう)、1両=24銖(しゅ)で、1両はおよそ16g。 当時の人口: 春秋時代は5〜600万人くらいだった人口は、鉄の農具が普及し、戦国時代には2000万人くらいに増加しました。国ごとの内訳は、 燕200万,斉200万,趙500万,韓100万,魏200万,秦500万,楚500万 計2200万 (斉と趙の数字は逆かもしれません)。 一つの国が、今の日本の県と同じくらいです。 詐欺学生が気にかかるww メソポタミアだったかレヴァントでは シェケルは3種類あったようだが 同じものなんだろうか http://homepage3.nifty.com/ ~sirakawa/Coin/E012.htm ● マウリア王朝時代のコイン インドで貨幣が最初に発行されたのは、紀元前600年ころだといわれています。 ガンジス川流域に16の国が並立していたころで、釈迦が仏教を始めた頃でもあります。 当時の貨幣の多くは、銀の板を四角に切り取ったような貨幣でした。重さには二つの基準があり、メソポタミアとの交易に適したようになっていました。 (1)重い基準 1サタマナ=11g これは、バビロニアのシェケル(10.9g)に対応し、主に陸上交易で使用されました。 (2)軽い基準 1カルシャパナ=3.52g これは、バビロニアの軽量シェケル(7.27g)の2分の1に対応し、主に海上交易で使用されました。 >>86 は 売り切れ、品切れ、お断り、とのこと ニューヨークウェストビレッヂのチャムリーズ (Chumley's) という 表玄関からは入れない店に行く必要がありそうです、、、 。・゚・(ノ∀`)・゚・。 日本じゃこっちの方がしっくりくるなあw >>429 > 一つの国が、今の日本の県と同じくらいです。 しれっと嘘を言うなカス >>435 北海道と福岡で戦争するぐらいの感じなんですねぇ 前漢・武帝の時代で5000万人台だったっけ? 始皇帝以降でシナ領域自体も広がってるし、戦国時代の全体2200万人というのはそう変じゃない それで各国ごとを計算すると平均300万人ってことで、静岡県・茨城県・広島県くらいの人口だな >>403 ローマ起源かと思っていたが それよりは遡るっぽい、、、 七十人訳聖書 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%8D%81%E4%BA%BA%E8%A8%B3%E8%81%96%E6%9B%B8 七十人訳聖書(しちじゅうにんやくせいしょ、羅:Septuaginta, 「70」の意。LXXと略す)は、現存する最古の旧約聖書の 翻訳の一つである。 キリスト教ではほぼ旧約聖書と同義(厳密には宗派で定義が異なる。本項の#構成とテキストを参照)、ユダヤ教では外典とされる。 概要[編集] ファラオの命でヘブライ人の経典(旧約聖書)をギリシア語に翻訳した聖書であると伝えられ、 紀元前3世紀中頃から前1世紀間に、徐々に翻訳・改訂された集成の総称を言う。 ラテン語読みであるセプトゥアギンタとも呼ばれる。 Septuaginta の由来については諸説あるが、旧約偽典のアリステアスの手紙の伝える、 エジプトのファラオ・プトレマイオス2世フィラデルフォスの命で、72の訳者が72日間で「律法」(モーセ五書)の翻訳をなした という伝説によるという説が有力である(その構成については旧約聖書の項を参照のこと)。 伝統的に七十人訳とされているものには、ヘブライ語並びにアラム語で書かれた旧約聖書のギリシャ語訳のみならず、 旧約聖書からは除外された文書で、これも同じくユダヤ人によって著作された文書で紀元前2世紀から紀元1世紀の間に完成した、 経外書、外典、偽典などの名で知られる文書群も含まれる。 >>430 ほむほむ 【メートル法】度量衡の歴史【尺貫法】 http://blog.livedoor.jp/waruneko00326-002/archives/31057781.html 117: hage 2010/08/23 21:13:24 旧約聖書の記述 1ミナ=575gram(通俗換算),650gram(王家換算),500gram(聖書換算),(パレスチナ,ウガリット近辺の質量単位) 貨幣1mna(ミナ,mina(english))=100denarius(デナリ)=50shekels(シュケル) シュケル自体が小麦180粒の重さの単位起源だから換算数字なんて時代と場所でバラバラ うーん、この交わりはどこで行われたのか、、、 そして錯綜しすぎているのだが、、、 >>367 日本ではないかもしれないのだが Satoshi という単位があるらしい しかし残念ながら1サトシでは ポケモンGetだぜ!とはいかないようです、、、 パソコンのマウスの移動単位:ミッキー ミッキーマウスに因む 100ミッキー/ドットは、マウスを1インチ動かすと画面上1ドット動く 1ミッキー/ドットは、マウスを1インチ動かすと画面上100ドット動く >>444 なるほどぉ エレクトリカルパレードとかやってるので 前から怪しいと睨んでたんですが やっぱり電気ネズミの一族だったのですね そーいえばフリーメイソンのマークは コンパスと定規なんけれど 日本で発掘された有名な物品にも コンパスと定規が刻まれているものがある これは長い伝統の末に反対側の島に流れ着いたのだろうか、、、 あなたは40代新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか? それともいくつですか? それともいくつですか? それともいくつですか? >>446 メイソンさんはGなのだが 日本で見つかったやつはTLVという、 なんか列車名みたいな感じらしい、、、 中国人は片手で10まで相手に報せることができる TVでやっているのを見て関心した やっぱり文化の多様性は大切だなあ 2進数表現すれば10本の指で1024まで数えられるぜ >コンパス 「ぶんまわし」と言え、「ぶんまわし」と 舌を使えば2047まで数えられる。 下も使えば4095まで可能だが、それだけ持続できるかは別問題だ。 手の指10本+足の指10本+腕2本+脚2本+舌1本+ちんちん1本 計26ビット、67108864まで数えられる 若林商店の開発した 「アラバスター単位」(Au) というものがあるらしい この装置の開発にも関わった発酵学者小泉武夫が、 臭い食べ物の臭さを比較するための計測に用いてるとのこと ふむぅ、他にニュートンも出てきます https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E5%8F%B2 二つ目は、中国文明に高い評価を下しつつ普遍史との整合性をひとまず考慮しない態度を取った一派である。 ゴットフリート・ライプニッツは執筆した『最新中国情報』の序文[2- 14]にて中国のとりわけ実践哲学や道徳性が優れている点を認め、交流の必要性を説いた。 また、「0と1の数だけを使用する二進法算術の解説、 並びにこの算術の効用と中国古代から伝わる伏羲の図の解読に対するこの算術の貢献について」(1703年)という論文を発表し、 中国易の六十四卦は二進法で解読可能な事を論説し、そして八卦を創始した伏羲を絶賛した。 ライプニッツは伏羲を4000年以上前の人物と紹介しているが、これはマルティニの『中国古代史』を意識した書き方である。 >>462 先天図 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E5%A4%A9%E5%9B%B3 先天図(せんてんず)とは、北宋の儒学者邵雍が考えた易卦の生変に関する学説にもとづく次序や方位によって八卦および六十四卦を配した図である。 邵雍はこの図の原作者を天地自然に象って八卦を創り出した伏羲とし、それを復元したと考えた。 一方、現行『周易』における卦の配列、 すなわち従来の易伝によって示された次序や方位によって卦を配列した図は後天図(こうてんず)と呼ばれ、 その作者は周の文王とされる。 魔方陣らしい、、、 河図洛書 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%9B%B3%E6%B4%9B%E6%9B%B8 河図洛書(かとらくしょ)は、古代中国における伝説上の瑞祥である河図(かと)と洛書(らくしょ)を総称したもの。略して図書(としょ)ともいう。 「河」は黄河、「洛」は洛水を表す。儒教において、八卦や洪範九疇の起源と考えられて重視された。 1 歴史 2 十数図・九数図 2.1 河図 = 十数図 2.2 洛書 = 九数図 2.3 河図と先天図 2.4 洛書と後天図 マヤの天上世界は13層 マヤの地下世界は9層 天井の方が結びついているものはわかるのだが 地下の法も何かと結合しているんだろうか、、、 >>465 これなんか壁画あったきがするなぁ 気のせいなんだろうか >>171 >>177 『ビージャガニタ』(代数学)は12章からなる。正の数に(正と負の)2つの平方根があることを初めて示した文書である。次のような内容を含む。 バースカラ2世 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%A92%E4%B8%96 バースカラ(Bh?skara、カンナダ語: ????????????、1114年 - 1185年)は、インドの数学者で天文学者。 7世紀の数学者バースカラ1世と区別するためバースカラ2世 (Bhaskara II) またはバースカラチャリア(Bhaskara Ach?rya、バースカラ先生の意)とも呼ばれる。 南インドの現在のカルナータカ州ビジャープラ県 (Bijapur district, Karnataka) にあたる Bijjada Bida でバラモン階級の家に生まれる。 当時のインド数学の中心地であったウッジャイン (Ujjain) の天文台の天文台長を務めた。 前任者には、ブラーマグプタ(598年 - 665年)やヴァラーハミヒラがいる。西ガーツ山脈地方に住んでいた。 バースカラは、12世紀の数学および天文学の発展に大きな業績を残した。 主な著書として、『リーラーヴァティ』 (Lilavati) (主に算術を扱っている)、『ビージャガニタ』 (Bijaganita) (代数学)、 『シッダーンタ・シロマーニ』 (Siddh?nta Shiromani) (1150年)がある。 『シッダーンタ・シロマーニ』は Goladhyaya(球面)と Grahaganita(惑星の数学)の2部構成になっている。 >>467 おいら『リーラーヴァティ』の記述から 彼がネイピア数の概念に到達していた可能性を予想してみたのだが どうなんだろうか >>3 おいら調べによると その記号に関与した人間の中の人は 30年間ほど時の狭間を彷徨う罰を与えられたらしい、、、 しかし、このリトマス試験紙はなかなかのニオイがしますね >>465 ふむぅ、マニ教だから何かのパクリっぽいのだが、、、 10層の天と8層の大地からなるという独自の宇宙観 【マニ教】グノーシス主義総合スレ【ソフィア】 [無断転載禁止]©2ch.net http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1452183566/146 146 名前:世界@名無史さん[] 投稿日:2016/03/21(月) 03:56:11.71 0 マニ教「宇宙図」確認 国内現存、謎解きに期待 朝日新聞 2010年10月19日10時42分 http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201010190109.html 明(善)と暗(悪)の二元的世界観で知られるマニ教の宇宙観を描いたとみられる絵画が国内に現存していることが、 京大大学院文学研究科の吉田豊教授(言語学)らの調査でわかった。 吉田教授によれば、10層の天と8層の大地からなるという独自の宇宙観がほぼ完全な形で絵画で確認されたのは世界初という。 吉田教授が「宇宙図」と呼ぶ絵画は、国内で個人が所蔵している。縦137.1センチ、横56.6センチで、絹布に描かれている。 仏教絵画との比較などから、中国の元(1271〜1368)の時代かその前後に、江南地方(浙江省、福建省など)の絵師が制作したとみられるという。 マニ教は布教に、教義を図解した絵画も使っていたとされる。「宇宙図」では最上部が天国とみられ、その右下に太陽、左下に月が描かれている。 さらにその下には円弧で10層に分かれた「天」があり、天使や悪魔、かに座や天秤(てんびん)座、さそり座など十二星座も確認できるという。 「天」の下は人間が住む地上で、須弥山(しゅみせん)があり、最下部は地獄と解釈されている。 吉田教授は「この絵画と文献資料を突き合わせることで、文献研究では分からなかった謎を解く手がかりを得ることが期待される」と話している。(大村治郎) 税金メーターというものがあるらしい、、、 【考古学】古代エジプトの「税を決める井戸」が見つかる ナイル川の水位を計測する井戸「ナイロメーター」の大切な役割とは [無断転載禁止]©2ch.net http://potato.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1463956608/1 同じツングースでもエベンキ族と女真族では、かなり民族的性質が異なる エベンキは沿海州オロチョン族に非常に近く、基本的に狩猟民族であるのに対し、女真族は満州(扶余=高句麗)を本拠地として養豚農耕を営む珍しい騎馬民族だった 日本でいう醤油顔、もちろん秦氏=天皇家が典型例である https://twitter.com/tok aiama/status/735605476981768192 女真族は、日本人の支配階級をなしている 天皇をはじめ産業界のトップの大半は女真族だ その根拠地は福井県と山口県山陰地方である この地域で馬と豚を扱う人が多いのは偶然ではない 満州養豚農耕の騎馬民族だった女真の血なのだ https://twitter.com/tok aiama/status/735605988712009728 女真は百済から日本海を経由して福井県や山口県、島根県などに上陸し「一所懸命」思想の下に拠点を築いた 大半が「武家」で秦氏末裔、源平藤橘の武家氏姓は女真族であることを意味する 彼らは拠り所とする帰属氏族への忠誠が非常に強く、土豪として氏姓を守り続けた 織田信長は福井の典型女真族だ https://twitter.com/tok aiama/status/735606818911576064 我が家は昔「マムシが原」という地名だったと近所の古い住人に聞いてすくみ上がった マムシの多寡を見分ける目印はトビの数だそうだ 鳶巣などトビという地名がついていれば必ず、そこはマムシの大量生息地とのこと もうひとつ、マムシを大好物にしている動物がいる 猪だ 見つけ次第喜んで食べる https://twitter.com/tok aiama/status/735601153036013568 >>707 うーん、どおっすかねぇ 世界の半分で開催されたのとかはあった気がします まぁこれ>>704 は、おいらが次ぎにくるビッグウェーブは 北京のチャイナかリオの南米なんだろうなって考えてたので ロンドンが先に爆破スイッチ押すとは思わんかったww /(^o^)\ナンテコッタイ しょうがないからこれ貼っておきますね 【国際】新パナマ運河が開通、従来の運河を通れなかったコンテナ1万3000個クラスの船舶も通過可能に [無断転載禁止]©2ch.net http://potato.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1466903722/1 世間は文章で賑わってますが パナマックスという単位がネオパナマックスに更新されるらしい、、、 そのうち逆襲のパナマ文書とか出てくる予感 ふむぅ http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/whis/1038211373/ 216 :世界@名無史さん:04/10/16 01:04:56 ここに誘導したので少し。 コイン商のサイトらしい。すさまじいボリュームを誇る。 http://www.cgb.fr/ 西洋各国貨幣の換算表 http://www.personal.utulsa.edu/ ~marc-carlson/history/coin.html 217 :アクィラ ◆0fUIPC892c :04/10/16 01:13:18 類似スレが立ったので挙げます。 そちらに出したデータ、 折角ですので、こちらに張ります。 以下、キケロー選集の巻末資料の度量衡表より加工 ローマ初期は1asを単位とした青銅の鋳塊。 1asは10uncia(=272.88g)の重量 前269年、銀貨(denarius, sestertius)導入。 1den.=4ses.=10as 1asは4uncia(=109.152g)の重量 その後、青銅貨の価値下落。 前217年時は、 1den.=4ses.=16as 1asは1uncia(=27.288g)の重量 前84年、スッラが金貨導入、 前46年、カエサルが金貨を大量に鋳造。 1aureus=25den.=100ses.=400as ラテン語の単複は、チェックしてないのは、ご勘弁を。 今日は計量記念日らしい、、、 体重を量るとボーナスがつくかも >>476 ちなみにスエズマックスというのも存在していて 歴史的にかなり重大な影響があったぽい 幅に合わせて新船建造が盛んになったらしい >>468 これは調べた結果 これは全然関係なかった でもインドは順列組合せはかなりやってたっぽい 電話のアイコンが謎らしい、、、 最近の若いもんは巻き戻しもできないらしい、、、 >>482 おぉ、たしかおいらもTEDみましたよ たしかクリプト一家でした またアフガニスタンで赤十字職員が襲撃され、死者が出た。 なぜイスラム地域の紛争地で危険極まりない十字章をこれ見よがしに晒すのだろうか。 赤十字が現地に入っている理由に関係無くイスラム過激派に「さあどうぞ攻撃しなされ」 と言ってるようなもの。 支援行動を安全にやりたいのなら十字章では無く赤新月章を使うなど 方法が他にあると思うのだが。 赤十字職員らに銃撃、6人死亡 ISの犯行か アフガン http://news.livedoor.com/article/detail/12649436/ ん〜ん、このサイトを最初に読んでいたときには赤十字章のトラックの 写真があったのだが、今は削除されているようだ。 「ナンバー3」同性愛者 「ナンバー8」ユダヤ人 「ナンバー12」ジプシー 全部で何通りかは良く分からんけど ファイナルソリューションらしい、、、 http://bylines.news.yahoo.co.jp/satohitoshi/20150816-00048525/ >>429 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E5%88%B6%E5%BA%A6%E5%8F%B2 半両銭と五銖銭 秦の始皇帝が中国をはじめて統一すると、各地でばらばらの貨幣が使われていた状況を改め、 秦で用いられていた環銭の形に銭貨を統一することになった。 秦で用いていた半両銭という環銭は中心の穴が正方形であった。以降東アジアでは基本的に銭貨というと、この円形で中心の穴が正方形のものとなった。 半両銭には、半両という漢字が刻まれている。 半両の両とは、重さの単位である。当時、1両は24銖(しゅ、1銖は約0.67グラム)であったので、 半両銭の重さは12銖、すなわち約8グラムとなる。 金貨は1斤(20両)と1両(約16グラム)を単位として楕円形と方形の物が造られ、 銀貨は1流(8両)を単位とする物が造られた[4]。 前漢呂后の時代、秦の半両銭が重く不便なため軽薄な銭貨を造るようにした。 これは、楡莢銭と呼ばれ、その重さは1銖のものもあった。 文帝代になると銭の私鋳を禁ずる法律を廃止したが、これにより資産家による大量の軽薄な私鋳銭の濫造が行われ、 銭の価値は暴落した。併せて、文帝は四銖銭の鋳造を開始した。 このとき、呉王劉?とケ通が四銖銭を大量に鋳造し、銭貨の流通が拡大した。 紀元前175年に書かれた賈誼の上奏文によれば、 当時四銖半両(四銖銭の半両銭)100銭の重さが1斤16銖(=400銖)が基準とされ、 それより軽い場合にはそれに何枚か足して1斤16銖分にしてそれを100銭分としたこと、 反対にそれよりも重い場合には100枚に満たないことを理由に通用しなかったことが書かれている(『漢書』食貨志)[5]。 >>484 いちいち塗装を変更していられないだろう 赤十字を赤新月に塗り直すのと、ISの攻撃を受けるのとどっちがいい? どこかの国が世界的アニメにペイントしなおしてましたよ トラックが痛車になってましたww >>490 真っ当な国際条約としては赤十字と赤新月は同じ実体の別のシンボルなので、赤十字なら攻撃していいと言うものではない。 ISの主張がむちゃくちゃすぎるので、わざわざ赤新月に塗り替えると言う発想は当事者からは出て来にくいのは仕方ないと思う。 現場はそんなこと言ってられないし、100年を超える実績を頭から否定されて混乱してるだろうな。 >>489 実際はいちいち塗りなおすのが一般的なんだよ だから最初から宗教中立なものにしておけばよかったのに >赤十字なら攻撃していいと言うものではない。 常識人ならそうだろうけど、十字マーク自体を憎悪の対象である連中に通じる理屈ではない。 >>488 度量衡理論 『三統暦』にある度量衡理論、黄鍾秬黍説が後の中国の度量衡を規定することになった。 長さの単位(度)は秬黍(きょしょ、くろきび)の一粒の幅の長さを一分とし、九十分にすると、 黄鍾の音律を出す管の長さ(九寸)にあたるとした。 容量の単位(量)は、秬黍が1200粒入る黄鍾の管の容積(810立方分)を一龠とした。 重さの単位(権)は、一龠に入る秬黍1,200粒の重さを12銖とした。 新で度量衡改正時に配られた枡形の標準器「嘉量」はこの理論を実践したものであり、 その優秀さから新が滅亡した後も参考資料として清朝滅亡時まで朝廷内で保存されていた。 度 - 分・寸(10分)・尺(10寸)・丈(10尺)・引(10丈) 量 - 龠・合(2龠)・升(10合)・斗(10升)・斛(10斗) 権 - 銖・両(24銖)・斤(16両)・鈞(30斤)・石(4鈞) >>496 三分損益法 三分損益法(さんぶそんえきほう)とは、三分損一、および三分益一と呼ばれる方法を組み合わせて音階を得る方法をいう。 古代の中国で考案された。『史記』25巻「律書第三[1]」に 「律數 九九八十一以為宮 三分去一 五十四以為? 三分益一 七十二以為商 三分去一 四十八以為羽 三分益一 六十四以為角」とあり、 『管子』「第58篇地員[2]」[3]の中にも解説がある。 蔡元定は三分損益法を元に『律呂新書[4]』で十八律をまとめ、朱熹の『儀礼経伝通解』では、その内容が『律呂新書』と重なる[5]。 近代邦楽では、順八逆六(じゅんぱちぎゃくろく)の法とも呼ばれる。 弦楽器または管楽器の基本となる管(律管)または弦の長さを、 (弦ならその張力を一定に保ちながら)その三分の一の長さだけ短くすると、 最初の音より完全五度高い音(属音)が得られる。 これを、三分損一と(近代邦楽では、三分一損とも、順八とも)言う。 逆に三分の一の長さを足した場合、完全四度低い音が得られる。 これを三分益一と言う(近代邦楽で言うところでは逆六)。 この二つを組み合わせて音階を得る方法を三分損益法と言い、ピタゴラス音律と同じものである。 前漢時代の京房は、この方法を五十九回も繰り返し適用することで、六十律をつくり、南北朝時代の宋の銭楽之はこれを推進して三六〇律を作った。 >>498 これはなかなかおもしろそうですね このスレにぴったり感があります >>429 >>488>>496 あってるのかなぁ、、、 1鈞(秦)=20鎰(三晋)=72環(斉燕) 30*16*16 = 20*32*12 = 72*10*11 7680 = 7680 = 7920 ちょっと違うらしい、、、きんいつです 秦制⇒ 銖・両(24銖)・斤(16両)・鈞(30斤)・石(4鈞) 斤→250g 楚制⇒ 銖・両(24銖)・鎰(16両) 鎰→251.3〜255g >>334 キーワード大事 http://pichori.net/Philippines/philippine_trade_dollar.html 貿易銀(Trade Dollar)は、メキシコ・ドルなど世界市場において流通した1ドル銀貨と同サイズの、 貿易取引専用に発行された大型銀貨で、基本的にこれらは量目420グレーン、品位.900、直径38ミリ前後の銀貨です。 ピース・オブ・エイト(piece of eight) 1497年のスペイン通貨改革の後に鋳造された8レアル(Reales)銀貨を、ピース・オブ・エイト(piece of eight)と言い、 メキシコを中心とする、スペイン系の中南米諸国で鋳造されて長く国際決済で用いられてきました。 8レアル銀貨はアメリカ合衆国の建国当初の米ドル・コインとして認められていて、1857年の造幣法が廃止されるまで米国の法定貨幣でした。 主な貿易銀貨 アメリカの「フィリピン・ペソ」 アメリカの「トレード・ダラー」 イギリスの「海峡植民地ドル」 イギリスの「香港ドル」 オーストリアの「マリア・テレジア・ターラー」 スペインの「ピラー・ダラー」 スペインの「カルロス・ドル」 フランスの「貿易ピアストル」 メキシコの「メキシコ・ドル」 中華民国の「壹圓」 清国の「光緒元寶 七銭二分」 日本の「貿易銀」 >>500 ふむふむ、おフランスのがピアストルになってるなぁ 19世紀にイギリスはピース・オブ・エイトを輸入して 5シリングに加工して通用させたらしい、、、 国旗デザインの盗用を27年間主張し続ける国 http://blogos.com/article/214798/ ルーマニアの首都ブカレストでは先月、抗議デモの参加者が街の中心部に集まり、 ルーマニア国旗を掲げた。 ソーシャルメディアには、このデモの様子を写した色鮮やかな写真が並んだ。 このニュースはこうしてサハラ砂漠にまで伝わった。 これを見たアフリカ中部の国、チャドの人たちは、ある問題を改めて指摘した。 ルーマニアの国旗は、同国の独占物ではない。チャドに所有権があるというのだ。 >微妙に色が違う 比べてみて「ああ、なんとなく」だけど、各々単独ではどっちがどっちだかわからない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
read.cgi ver 07.5.1 2024/04/28 Walang Kapalit ★ | Donguri System Team 5ちゃんねる