【侵略者】アンドロノブォ文化【原アーリア人】 [転載禁止]©2ch.net
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
紀元前2300年から1000年頃、騎馬と戦車で中央アジア・ステップ地帯から南シベリアまでの広大な領域の覇者となり
家父長制で好戦的であり天の神と火を崇拝しソーマを使用し殺戮と侵略により
あるグループはBMACを滅亡させインド、イランに侵入し現地民族を支配し
また別のグループはクルガン仮説によると東欧やバルカンにまで侵入して支配者階層を形成した
印欧祖語の話者=アンドロノブォ文化人を大いに語って下さい 広義のアンドロノヴォ・ホライズンと考えた場合
ミタンニを建国したフルリ人との関連も考えられるし
後にアンドロノヴォ文化はウクライナでキンメリア人やスキタイに受け継がれ
ヨーロッパに移動してトラキア人やシギュンナイ人となった可能性があるね どうして戦後、アーリアン学説は否定され封殺されたの? 残念ながら現在の学問の世界には「人種差別」「ホロコースト」などの極度の反省から妙なバイアスが懸けられて
歪められてアーリアン学説はタブー視(へたをすると偽学問扱い)されているのが現状なんだよね
ユダヤ批判をするのは恐いけど学問の自由を奪ってることは事実
だからインド・ヨーロッパ語族というヘンテコな呼称しか許されない訳だ
あとは分子人類学のハプログループ指標で専門的に論じて大衆には敢えて分かり辛くするしかないんだよね・・・ 今の教科書はシオニストに検閲されてるからしょうがないね 世界史板アーリア人過去スレを覗いてみたら
馬鹿が二輪戦車(チャリオット)は南ロシアの湿地帯は進撃不可能とほざいていたけど憤飯物w
真冬の凍結した湿地帯はアウトバーン真っ青の速度無制限ハイウエイだぞ
ヒャッハーw 凍結してたら馬の餌がないし
凍っていようと落差や地形の凹凸がなくなるわけではない上、
馬車の重みや車輪の摩擦熱や雪で硬いわだちやぬかるみができて同じことになるのでは 真冬のロシアの湿地帯を新潟や秋田のド田舎雪国と勘違いしててワロタw
湿地帯には冬枯れした葦が自生してて馬の餌には無問題
湿原沼沢地は水平面で凍結すればコンクリートよりも強固で雪はパウダースノーで基本内陸ステップ気候なので降雪量も多くない
摩擦熱?
アホかw
ぬかるみ?
マイナス30度だぜw ソーマを服用して興奮状態で目が血走った屈強な男達が二輪戦車に乗って
戦闘斧を振り回しながら突進して来る光景ははまさしく恐怖!! いわゆるアナトリア仮説は宗教的バイアスが加えられて歪んでるな
印欧語族(ハプロタイプR1a)の原郷がアナトリアで
農業の発祥の地(麦作、羊飼い)もアナトリアで
鉄器の発明もアナトリアで
旧約聖書のノアの方舟の漂着地はアナトリアのアララト山(爆笑) 以前、モンゴルを旅行した友人から聞いた話だけど
あちらでは冬季、洗濯物を屋外で凍結させて乾かすそうだ
あと蒙古種の馬は忍耐強くて寒さに相当強いらしい
夏の草原は逆に炎天下になり活動が制限されるとのこと 以前、モンゴルを旅行した友人から聞いた話だけど
あちらでは冬季、洗濯物を屋外で凍結させて乾かすそうだ
あと蒙古種の馬は忍耐強くて寒さに相当強いらしい
夏の草原は逆に炎天下になり活動が制限されるとのこと ずっと後の時代だけど同じR1aのイラン・アーリア人と言われるスキタイ人の風貌はこれ
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/PazyrikHorseman.JPG
しかしアンドロノブォ文化の原アーリア人のmtDNAが同じとは限らない
分子人類学で形質はmtDNAで大きく影響されるからね アーリア人のスレが復活した
とききましてやってまいりました >凍結してたら馬の餌がない
モンゴルの馬は雪の下のコケとか食えば持つらしい。 >>11
天日干しで1週間近くかかるとかだった気がしますね
ちなみにおいらが見た映像では水が配給でした
水道管は凍って役にたたないかららしいww 原アーリア人の文化について考える時に忘れてはいけないことは車輪である
車輪の源流についてはシュメール文明以前の紀元前5000年紀のウバイド文化に遡るそうだ
7000年前と言えば完新世の最温暖期にあたる
温暖化と海水面上昇、洪水はヤンガードリアス寒冷期にペルシャ湾などの温暖地域に押し込められていた人々の北上を促した
荷車を引き家族を連れザクロス山地を越えてかつての先祖達の土地である中央アジアステップ地帯の新天地を目指したのではないだろうか?
そして彼等は中央アジアのステップで馬と出会い荷車の動力を手に入れてチャリオットを発明したのだと思う この仮説では二つの北上ルートが想定される
カスピ海東岸のアルメニア経由のルートとカフカース山脈を迂回する西岸のアゼルバイジャン経由のルート
発掘考古学では北カフカースでヤムナ文化の直前時代の車輪と青銅器が発掘されているので
西回りでの北上ルートが有力だと思われる
原アーリア人の勢力圏の拡大には或る法則があるんだよね
必ず銅と錫の産地がカバーされている
そう青銅器の生産地とそれを司る民を征服すること カスピ海東岸ルートだとイラン−トルクメニスタンーカザフスタンでアルメニアは通らないんじゃないの? ゴメン勘違い訂正します
西回りがアルメニアorアゼルバイジャン〜ポントス=ステップ経由でのルートで東回りがトルクメニスタン〜カザフスタンのルート ドイツ人というかゲルマン民族はクルガン仮説のアーラリ人の子孫ですか? カスピ海の西回り北上ルートと東回り北上ルートはどちらも正解じゃないかな
西周り北上の集団は完新世の最温暖期に北上を開始して紀元前4000年頃に黒海北岸〜南ロシアに到達した農耕牧畜のケントゥム語話者になり
東回り北上の集団はイラン高原に暫く留まり小氷期を挟んで1000年以上遅れて北カフカースからウ南ロシア・ウクライナ東部にサテム語話者として出現した
中央部を占めたイラン・アーリア系のサテム語話者は遊牧民となり
青銅器の武器と馬とチャリオットを駆使してケントゥム語話者を東西に分断してヤムナ文化からアンドロノブォ文化を創ったのではないだろうか? ヤムナ文化は先行するヴォルガ川中流域のクヴァリンスク文化やドニエプル川中流域のスレドニ・ストグ文化と断絶してる訳ではないみたいだな
家畜の大半は羊と荷車を引かせる牛は共通しているが馬とカザフスタンステップ由来のラクダの飼育とが特徴的である
埋葬方法は膝立屈伸仰向け葬で西側では横穴墓で東部は後のクルガンと共通する竪穴墓であり時代を降りるに従って竪穴墓が主流となっている
また身分階層の未分化もヤムナ文化の特徴であり明確な農耕牧畜民と戦士階級の差異は確認されていない
ヤムナ文化の元来の基層民はケントゥム語話者であり縄目文土器文化や球状アンフォラ文化を基層文化に持つことが推定される
次代のアンドロノブォ文化の担い手(サテム語話者イラン・アーリア人)侵略拡大のクルガン仮説を裏付けるものである
サテム語話者化した後期ヤムナ文化の基層民はスラブ語派やバルト語派の後の農耕スキタイを形成することになる
そしてケントゥム語話者はヤムナ文化の変質により北進ルートを逆進してロシア南部からカフカースのマイコープ文化の地域に取り残された
アナトリア仮説の誤りはマイコープ文化は印欧語族第二の原郷への途上の文化とすることであり、正確には原アーリア人に駆逐された文化のかつての中継地文化 ヒッタイトは北進第一世代の印欧語族が黒海北岸からカフカースを経てアナトリア東部、レバントへ回帰した出戻り組
民族的には原八ティを基層民族とし印欧語族が支配する構造
ケントゥム語というよりはややサテム語化の兆候がみられ黒海北岸で遭遇した原アーリア人(イラン・アーリア人)の
二輪戦車を導入している
また回帰途上のカフカースにはおびただしい青銅器遺跡を遺しているので冶金技術は高度であったと思われるが製鉄技術の獲得過程は未解明
アナトリアの原八ティの発明の可能性もある アンドロノブォ文化って
暴れ馬に引かせた二輪戦車に革と金属(レザー&メタル)で武装した屈強な男達が
ソーマ(大麻?)を吸引しハオマ(ケシの実ジュース?)をあおりキメまくって狂暴化して
へらへら笑いながら殺人、レイプ、略奪を繰り広げる古代のマッドマックスの世界だなw 印欧祖語話者の根本的原郷はペルシャ湾(エデンの園?)で
完新世の最温暖期(BC5000年頃)に灌漑農耕と車輪(ろくろ)を発明したウバイド文化の人々が家畜を連れて北上を開始した
ザグロス山地を越えてカスピ海西岸をアルメニアを通過してBC4000年紀にポントス=ステップに到達した先発組がケントゥム語派(R1b)
イラン高原に暫く留まりカスピ海南岸を東進し東廻りでトルクメニスタンを経由してBC2500年頃、遅れてポントス=ステップに
馬と二輪戦車と共に出現したのがサテム語派(R1a)「原アーリア人」 この仮説は人類にとって犬に続いて家畜化された羊(BC6000年頃メソポタミアで)で検証可能である
その中で欧州を中心とする家畜羊の原種は
イラク北東部イラン北西部からコーカサスに生息するアジアムフロン(BC5000年頃に家畜化)
カザフスタンなど中央アジアから南ロシアに生息し遊牧民により家畜化されたアルガリ(家畜化年代は不明であるが遊牧民はBC3000年頃に農耕牧畜民から分離成立) >>29
関係者にはモヒカン頭の方々も多数いらっしゃいますね アンドロノブォ文化の話題からは随分逸れてしまうが
印欧祖語話者のプロトタイプを先・印欧祖語話者とすると、彼等はヤンガードリアス寒冷期の終了後
しばらくはペルシャ湾(エデンの園?)で初期農耕を営んでいたが完新世の温暖化によって
ペルシャ湾が水没し紀元前6000年頃イラク東部のザグロス山麓に移住した
しかし温暖化は西アジア地域の乾燥化を招き住民達は一定の収穫量の確保の為に灌漑農耕を発明した
この住民達は東地中海人にカテゴライズ(勿論便宜的に後世の括りで)される
彼等はシュメール文明以前の住民でセム語族との関係は希薄であったと思われる
その先・印欧祖語は膠着語であったと推定されるが数詞が安定しており豊富な事など
後の印欧語族の特徴と一致している点が挙げられる
数詞の発達は移住、流通活動に促されたものだと推定される 完新世温暖化により水没したペルシャ湾(エデンの園?)から逃れた人々はザグロス南西山麓に移住した
彼等は初めて「高い所」を意味するジグラットを建造(紀元前5000年頃)した人々(原エラン人)である
ジグラットは神殿であると同時に天水農耕に適した低地を襲う洪水から避難する為の建造物であったのだ
しかし度重なる水との戦いで彼等はイラン高原へ逃れ灌漑農耕の技術の獲得により安定した収穫量を得ることになる
原エラン語は古シュメール語と同様に傾倒不明の「孤立した言語」とされる
最近の研究では膠着語能格言語に分類されているようだ
原エラン語を先・印欧祖語と同定するにはかなり困難であるが北コーカサスまで北上した彼等は交易を通じて
カスピ海北方のウラル諸語族(膠着語対格言語)と接触したのではないだろうか?
移住と交易は数詞を発達させ対格言語化を促し、共通語としての屈折語の利便性の要求により
北コーカサスの地で印欧祖語が誕生したのだと思う たしかに屈折語対格言語は正確な意思の伝達、理解・把握には便利だね
それに動詞や名詞の語尾変化で基本語彙数を減らしているし文法もスマートだ
法則さえ掴めばマスターし易い言語だと謂えるね
蛇足ながらよく日本人の気配り?で
主語を省略したり目的語を曖昧にする会話がされるけど印欧語族からは奇異に見られているだろう インド・ヨーロッパ語族は軍事・ビジネス言語としては優秀だ
日本にもかつて武家言葉があったけど明治以降、帝国陸海軍でヘンテコな使われ方をして
状況判断が混迷してたけどなw 今でも自民党の国会議員は何を言っているのか分からない 今でこそ文明の十字路、民族の交差点と言われる中央アジア・アムダリヤ川流域であるが
紀元前3000年紀の青銅器時代の住民構成は意外とシンプルだったことが発掘考古学の調査で明らかになって来ている
従来の学説ではインダス文明との関連でドラヴィダ人の勢力圏との考えが主流であったが
人類学者達の地道な発掘調査によるとハラッパー人と共通する遺跡はアムダリヤ川上流部のショルトゥガイを北限として他には認められず
それ以外は東部地中海人(具体的にはアラム人とフルリ人)に属する人々の遺跡、遺骨、碑文であった
トルクメニスタン側ではアラム人で北東部のアムダリヤ川流域ではフルリ人が圧倒的多数であったのだ
ホラズムとは「フルリ人の土地」を意味し、アフガニスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの「〜スタン」はミタンニに由来している
例えばブハラ・オアシスにある地名フルミタン(ペルシャ語)は「フルリ人の土地」を意味する
紀元前1500年に西アジア・オリエントの地でミタンニ王国を建国したフルリ人はその1000年前は中央アジアで勢力を張っていたのである
しかもイラン・アーリア人(R1a)の母体集団(原アーリア人)との深い関わりが示唆されている >>34
シュメルはなんで印欧語族じゃないんですか?
その設定だとエラム人は印欧語族なんですか? シュメール文明の担い手をインダス文明の担い手(ハラッパー人)と同系統と仮定した場合
シュメール語はエラム・ドラヴィダ語派と近縁ということになる
シュメール滅亡後、メソポタミアに覇権を確立したのはアフロ・アジア大語族に属するアッカド人などのセム語族である
以上の事からシュメール語は印欧語族とは直接の関係は無いが屈折語であるアッカド語の影響を受けたイラン高原のエラム語は共通語化(リングワ・フランカ)したのだろう
中央アジア南部においてエラム・ドラヴィダ語派と北方のウラル語族との長期に亘る接触により印欧語族との関連が指摘されるフルリ語・カッシート語が醸成されたのではないだろうか? 最新の研究では印欧祖語は語幹内の母音交替を伴う屈折が起こっていた可能性があり、アッカド語などのセム祖語との接近関係が
極めて高かったことが指摘されている
地理的にはセム祖語はアラビア半島で紀元前3000年以上前には存在していたとされ、原エラム語(紀元前4000年紀)の故地はスーサなどザグロス南西山麓である
その中間地点はペルシャ湾である さて本題に入るとしよう
紀元前4000年紀に急速に発展拡大した原エラムは人類史上で重大な副作用をもたらした
それは印欧祖語話者の拡散である
イラン高原にはフルリ人以外に印欧祖語話者である原ヒッタイト・原トハラとも呼べる人々が居住していたのである
原エラムの拡大により東西に分裂した印欧祖語話者達は一方は後のヒッタイト人にもう一方はトハラ人になるのである
当時の印欧祖語はセム祖語と同じ屈折語であり、文法はS+O+V型であったと推定される
原エラムの灌漑農耕の技術を伝播され東遷したトハラ人はフルリ人を巻き込み紀元前4000年から3000年紀にはカスピ海南岸から
中央アジアを経由して現在の東トルキスタンまで移住しているのだ
そして北方のウラル語派との接触により対格言語化していくのである >>42
すいません、下の>>35に書いてありましたね
ちゃんと読めてなかったです >>27
ヤムナハジメさんがCLな感じで
アンドゥノブォさんがSLな感じですか
ふへぇ、、、 >>35
エランさんが北上したのはカスピ海の西岸なんでしょうか?
そんで北コーカサスで印欧祖語ができた後に>>22
さらに南に下ってからカスピ海の南から東西に別れたのかぁ
ちなみにウラルトゥさんは、出身地もご存知なんですか? >>44
トハラがイラン高原から東進したという学説でもあるのか? ミタンニとアッシリアがアーリア系とアフロアジア系の境目か? >>48
V・イワノフとT・ガムクレリゼの仮説として
エドヴァルド・ルトヴェラゼ著「考古学が騙るシルクロード史〜中央アジアの文明・国家・文化」(日本語版2011年平凡社刊)で紹介されている
またL・S・トルストワの仮説によると
フルリ人の領域はイラン北西部のウルミエ湖からカスピ海南岸の地域で
中央アジア南部からアラル海沿岸地方と西アジアにおけるフルリ人の伝承、地名、部族名などの類似性を指摘している
また原アーリア人の移動経路については「カフカース〜イラン〜アフガニスタン」であり
イラン北西部に暫く在留していたことがミタンニ国起源の碑文(紀元前2000年紀後半)によって確認出来るとしている 変換ミス
×「考古学が騙る〜」
↓
○「考古学が語る〜」 地球の気候変動はヤンガードリアスの急激な寒冷化以降、紀元前5000年紀の完新世の最温暖期をピークとして約1500年周期で寒冷期と温暖期を繰り返して
18世紀まで徐々に寒冷化していた
ユーラシア内部では気候変動に伴う民族移動が度重なり引き起こされている
紀元前4000年紀前半の一次的な寒冷化は印欧祖語話者をカフカースからイランまで南下させた
紀元前3000紀年までの温暖化は印欧祖語話者(トハラ人)を東トルキスタンにまで東進させている
また紀元前2000年紀後半サテム語化した原アーリア人は(アンドロノブォ文化の担い手)は中央アジア・ステップで
馬の家畜化とチャリオットを発明し周辺を席巻したが紀元前1000年紀の寒冷化に伴い南下しBMACを滅亡させインドを侵略することになる >>50
サンクス!
しかし、原アーリア人はいまでも簡単ではないルートを通って、よくインド亜大陸へ侵入できたものだ。
やはり牛・馬を多数伴っての移動だろう。 現在の発掘考古学は科学的なんだよね
人骨の形質的分類やDNA抽出で得られるハプロタイプマーカーの分析に留まらず
土器、石器、青銅器、骨製品はもとより手工業製品、冶金に使われている技術の分析
住居、灌漑農耕・牧畜の遺構の具体的な構造調査や家畜(羊)と穀物(麦)の品種から原産地から現在地までの移動ルートの割り出している
例えば漁労から推測される気候変動の事実(中央アジア・オクサス川下流域での漁獲の中心が本来北方種であるはずのノーザンパイク)など・・・ >>54
おそらく西トルキスタンも現在ほどは砂漠化していなかったとは思うけど。
女性・子供も引き連れての長距離移動は困難を極めただろうね。 トハラ人の苦難の移動の旅を美少女を主人公にしてRPGかアニメ化したらいいかも
誰かシナリオ書いてよ 誰がなに書いてるのかいまいちわからんのだけど
長い文を書いてる人は全部同じ人なの? 分子人類学の研究成果により、クルガン仮説がかなり有力になっているね。
ほぼそれに沿って古代史を理解していけば良いと思う。
もちろん細かい点は違うところもあるだろうけど。 トハラ人の少女がタカラを求めてトカラ列島に辿り着いてオカラ造りを覚えるお話し。 >>40
セム系のアラム人はホラサンのマルギアナにまで分布しており
アッシリアがアーリア系とセム系の境目ではなかったという事か
ホラズムからエトルリアと似た土器が出土したけど
紀元前にはアラル海とカスピ海は河でつながっていて
カスピ海からはヴォルガ河とドン河を経由すれば
黒海に出られるのでホラズムに海の民は来ていたようだ >>44
ミヌシンスク盆地で紀元前3500年から2500年頃に存続した
アファナシェヴォ文化がトハラ人だとされる。
紀元前2500年頃にトハラ人はミヌシンスク盆地から
タリム盆地へ移住したとされ、おそらくこの民族移動は
中国の夏・殷・周の成立に影響を与えたと思われる。 >>63
紀元前2500年頃の寒冷期が原因かもね
ミヌシンスク盆地のアファナシェヴォ文化は新モンゴロイド?のオクネフ文化に取って代られている
寒冷地対応した新モンゴロイドの勢力が拡大したことは中国王朝の勃興にも関係しているね
それまで中原にまで進出していたコーカソイド系住民(太公望で有名な山東半島の斉は末裔か?)は衰退している
次の寒冷期は紀元前1000年紀でありタリム盆地は乾燥化しトハラ人は衰退しアーリア人のインド侵入の時期に当たる >>63
>>64
紀元前2500年頃とすれば夏王朝成立との関係か。
東アジアから中央アジアにかけてのコーカソイドは、
結局新モンゴロイドに圧倒されてしまったのは何故かということについて興味がある。
なお、寒冷化すると東トルキスタンのタリム河・ホータン河は流域が広くなり、
ロブノールは拡大することが知られている。一概に乾燥化するとは言い切れない。 >>62
おいらもどっかでそんな話を見かけたんだけど
それって古代ギリシャのエウボイア島(エヴィア島)にある
「エレトリア」の土器じゃなかった? 中国最古の夏王朝ってコーカソイドが築いたの?
じゃあ中国人はコーカソイドの文明を自分達の文明と信じて誇りにしてるの?
ちょっと哀れすぎるよ >>65
トハラ人がタリム盆地に南下移住したわけだが
言うまでもなくタリム盆地にも先住民がいたはずで
追い出された先住民どうしの民族移動の玉突きで
黄河流域には多くの民族が逃げ込んだはず 太公望コーカソイド説はまだ固まっていないはずだけど。 先史時代の中国でコーカソイドとの関係性が注目されるのは夏王朝に先行する龍山文化(紀元前3000年〜2000年)で
中でも陝西龍山文化はシルクロードの東の起点と目されている
中国古代文明最初期での青銅器使用と牧畜が発達(中央アジア原産の羊の飼育)、階層分化が進んだ家父長制社会であったと推定される >>62
完新世の最温暖期の黒海とカスピ海の水面シミュレーションです(+30メートル)
http://flood.firetree.net/?ll=45.5679,43.5059&z=10&m=30
確かに繋がってますね! 地中海〜黒海〜アラル海〜太平洋まで赤道付近で貫通してたのが白亜紀の「テチス海」で
オーストラリア大陸を南北に縦貫してたのが「エロマンガ海」 >>54
ヤンガードリアス寒冷期後の完新世の温暖期は氷河が融けて黒海、カスピ海、アラル海が巨大な淡水(汽水?)湖に成っていたと仮定すれば
アラル海を河口に持つオクサス(アムダリヤ)河には紀元前4000年紀にノーザンパイクやチョウザメやサケが大量に獲れてても不思議は無い訳だ
そして広大な平原には家畜の原種であるムフロン(羊)もオーロックス(牛)もターパン(馬)も生息するとても豊かな土地だったんだろう
困難を乗り越えて集団で移住する価値は有っただろうね >>73の地図を見て、アラル海の湖面と海面上昇に何の関係が?と思ったけど、そういうことか
湖周辺の降水量自体も違ってたのかな。でもアラル海の島は,仮に湖面が今から数十年前と比べても高かったとしたら、あんなに大きくないと思うw >>73
へー、クロポトキンっていう都市があるのか
ソチも近いなぁ セム語族は印欧語族とどうしてここまで区別(差別?)されてるのだろう?
自分なりに考察するにローマ・キリスト教原理主義が大きく影響してると思う
出アフリカ後、四万年に亘ってアラビア半島北部、ペルシャ湾で歴史を共有してるし
言語的にも語彙の違いは有れども屈折語、S+O+V型文法である共通する事実に関わらずである
さらにイエス。キリスト自身がアラム語話者であった事実も敢えて語られることも憚れている
アーリア優性説など政治宗教的臭いがプンプンしてると思う 補足
言語的にも印欧祖語の古型(アナトリア語派のヒッタイト語、トハラ語など)と語彙の違いが有れども共に屈折語、S+O+V型文法である事実にも関わらずである アケメネス朝からササン朝にいたる1000年以上もイラン人は
イラクを支配したがイラクはイラン化しなかった
その後こんどはアラブ人がイランを征服してイスラム化したが
アラブ化はせずペルシャ語やクルド語とアフガン語とかが健在 地中海でもシリアとエジプトは完全にギリシャ化しなかったが
アラブに征服されるとアラブ化していった
一方スペインはアラブ征服されたが完全にアラブ化しなかった >>78
イエスは世間的にはヘブライ語話者と思われてると思う >>80>>81
君はイスラームとアラブを混同してないかね?
イスラームは当然、宗教でアラブは宗教でも民族でもなくサダトさん達が提唱した概念
そしてアラビアは言語(正確にに言えばリングワ・フランカ)であり文化 >>78
1.キリスト教から見た異端 ユダヤ・イスラムがイエスをただの人間として絶対的救世主と見ていない点
2.何となく先進国から見た途上国の汚いイメージ
3.ヤペテの子孫こそが中東地域を支配するという方向性に持っていく為
フランク王国の聖杯伝説、後代の中世に作られたロンギヌスの槍の偽物の保管など スレの皆様方に暑中お見舞い申し上げます
お盆も近いのでお盆ネタをひとつ
お盆が仏教の盂蘭盆に由来していることは広く知られている
語源はサンスクリット語の「ウランバナ」とも古代イラン語(アヴェスター語)で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」とも言われている
印欧祖語(原アーリア語)話者ではあらゆる自然現象を起こす霊的存在である「フラワシ」が信仰され、祖先の「フラワシ」即ち「祖霊」を迎え入れて祀る宗教行事が行われていた
この「祖霊」を迎えて祀る宗教行事は紀元前1000年紀後半に気候変動により南下したイラン・アーリア人達が真夏の一時期に豊かな大地として蘇る遥か北方のステップ地帯を訪れ
かつてそこで暮らした先祖達(アンドロノブォ文化人)を偲んでいたのが源流であったのだ >>56 北極圏にほど近いとある場所で、少女が野生のトナカイを手なずけて、土地の住民がトナカイを家畜化するきっかけになるというエピソードもぜひ
「大地の子エイラ」は旧石器時代を舞台の、一人の旧人に育てられた新人の少女がクリミアからフランスに行く話だけど、ちょうどその東進版だな >>75
黒海とカスピ海とは繋がっていなかったけど、
カスピ海とアラル海とは可能性があることはある。 >>86
ミニスカの少女が旅をする物語らしい、、、
【考古学】青銅器時代の若い女性のグローバルな生き方が判明 旅人や客人を手厚くもてなす風習が広がった影響か [転載禁止](c)2ch.net
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1432591927/1 タハラ聡一郎に仕込まれたトハラ人の美少女が産み落としたのがタハラ俊彦で
その赤子はBIGに成ることを夢見て砂利風呂に入るが間違ってトカラ馬の種馬になってしまうお話し >>89
いいところに目をつけましたね
ちなみに「エクトヴィズ・ガール」を英語で検索すると
綺麗どころから残念なのも含めて
北欧女子のコスプレが見れるらしいですよ >>67
よくわかんないですけど
昔のクルガンに葬られてた人たちは
肌は白くなかったそうですよ >>70
太公望チベット出身説ってあるんでしょうか? 昔姜姓はチベット語派言語を話していたんで、拉薩出身という意味ではありませんよ。 (^^) 中国語とチベット語・ミャマー語は兄弟言語だからね。 >>85
ご先祖様が帰ってくるんじゃなくて
ご先祖様のところに帰っていくんですね
なるほどぉ 毎年数百キロ、いや1000キロを超えるような大移動をしてたのか?
まあ馬という飛び道具があったけど 現在、ユーラシアの東西交通路をシルクロードと称して「オアシスの道」ばかりが喧伝されている
知見としては貧しくて悲しい限りだ
西域南道は、たかだか紀元前2世紀頃に天山北路、天山南路は紀元前後に開かれたに過ぎない
人類史にとって重要かつ大きな意味を持つのは「草原の道」に他ならないのに・・・
はるか紀元前2000年紀には機能していたし人種、文明の伝播経路として一番注目されなければいけないにも関わらずである
紀元前5世紀頃からの匈奴の隆盛、突厥にはばまれた漢人側の主観(西洋人ヘディングらによる偏向研究)により人類史上の重要度の比重が捻じ曲げられていることは誠に悲しい 19世紀、20世紀には科学的な人類史の概念が皆無だからね
つい最近まで歴史=文化史、まあ気が利いて民族史だったからね もともと匈奴はオルドスで月氏が甘粛でこれらはオアシスルートに並んでいた
冒頓単于がはじめてゴビ砂漠を越えて丁零を征服して高原を統一した
匈奴の配下となる事を拒んだ大月氏は天山北路で西へ移動して
サカ族らを南へ追い払った
大月氏とサカ族はカスピ海北岸と黒海北岸には移住しなかった 紀元前2000年紀に内モンゴルから中国東北部に起こった紅山文化後期〜夏家店下層文化には家畜、青銅器などが同時期の
アンドロノブォ文化と類似することが指摘されている
しかし紀元前1000年紀の後半に発生した気候変動(南シベリアやモンゴル高原の寒冷化と乾燥化、ゴビ砂漠の形成)は
遊牧民族の南下移住を促すことになる
イラン・アーリア系について言えば月氏(匈奴以前の月氏は強大)、スキタイ(サカ族も含む広義での)の勃興である
南シベリア・ロシア領トゥバ近郊アルジャン古墳(紀元前800年頃)の発掘の成果により先スキタイとも呼べるカラスク文化が確認されている
そして2005年、モンゴル西部オラーン=オーシグ遺跡の発掘によりヘレクスルの構造(スポーク型)、動物文様の使用、馬頭骨の出土例など両者が
極めて類似していることが指摘されている
さらにアルジャン古墳から出土した武具と馬具の青銅製品の多くが、黒海北岸・北カフカスにスキタイが出現する直前の先スキタイ時代の青銅製品と
極めて似ている点(先スキタイ文化の広範囲分布)
馬の機動力は古代におけるトラフィック・イノベーションである マッサゲタイに追い払われたスキタイはキンメリア人を
オリエントに追い払って黒海北岸に移住したとされるが
スキタイを追い払う以前のマッサゲタイはどこにいたのだろうか?
大月氏に追われたサカ族らは南のインド方面へ逃げたが
スキタイは南ではなく西へ逃げたからマッサゲタイは
大月氏と違う方角から攻めてきたようだ
キンメリア人は東からスキタイに攻め込まれたとされるが
西のパンノニアとかへ逃げずに南のオリエントへ逃げた
キンメリアの西にスキタイに匹敵する勢力が存在したようだ キンメリア人の逃避行経路と理由については諸説あるけど
有力な説とオモシロ説を3つ程
@黒海西岸からルーマニア、バルカン半島北部にトラキア人(ダキア人を含む)が強大な勢力を張っていたので
黒海東岸ルートでオリエントに逃れたという説
Aスキタイに攻められたキンメリア内部でクーデターが発生し、徹底抗戦を主張する支配者階級はスキタイに全滅させられて
被支配者階級のキンメリア人達が船で黒海東岸伝いでアナトリアへ逃れたという説
Bスキタイに攻められたキンメリアが正面衝突を避けようとしてコーカサス独特の地形に錯誤してカスピ海東岸に出てしまい
南下してオリエントに迷い込んでしまった説 キンメリア人はスキタイが西へ移住してくる以前から
カフカス山脈を越えてオリエントで略奪していたので
手薄になった本国をスキタイに攻め込まれたという説もあるね
サカ族もグレコ・バクトリア王国を滅ぼしてバクトリアに軍の大部分を
駐留させていたので本国が手薄になりそこに大月氏が攻め込んだとされる
この奇遇がなければ大月氏はサカ族と匈奴の挟み撃ちになって滅んでいたか
移住を諦めて匈奴の配下となっただろうから匈奴の戦力が増強されて
漢が短期間で滅んだかもしれないし漢と大月氏が同盟したかもしれない キンメリア→スキタイの交代は空き巣狙いっぽい
周りの部族からは「スキタイは信用できない」とハブられてるし。 ダレイオス1世の黒海北岸遠征の時にスキタイに敵対していた
アガテュルソイは移住しなかったキンメリア人みたいだな
黒海北岸に移住せずに中央アジアに残ったサカ族みたいだ クリミアに割拠していたタウロイは騎馬民族と言うより海洋民族っぽいがキンメリア直系だという。
ダレイオスの遠征の記述にはタウロイは登場するが、ギリシャ植民者が築いたとされるボスポロス王国の記述が無い。
まだこの頃はギリシャ人の黒海における活動は本格化する前だったのか? 昔から高校世界史の教科書で黒海沿岸のギリシャ植民都市の存在がしきりに記載されてきたけど
その意図は何だったんだろうね?たぶんお察しかな・ ボスポロス王国は紀元前438年建国でダレイオス1世当時にはまだない イソップ物語の「オオカミ少年(嘘つき少年)」の原型はカフカス地方に有るらしいね >>105
マッサゲタイ=大月氏説を念頭においてると混乱を誘うだけ
最近では論拠が乏しくかなり劣勢な説である
第一にマッサゲタイの元々の居住地はヘロドトスの記述に基づくと「カスピ海に注ぐアラクセス河の東のかなた」とされているが
ヴォルガ河とするかオクサス河(アムダリヤ河)とするかで位置関係で南北に大きく相違が出てくる
近年の調査でカスピ海東部に河口を持つ古いアムダリヤ河の川床跡が確認されているからである
ゆえにこの問い掛けはナンセンス マッサゲタイはアケメネス朝時代にアラル海周辺にいたけど
そこがおそらくスキタイの原住地だったのだろう
スキタイがインドに南下しなかったということは
マッサゲタイは南から北上したのかもしれない トラウト・フィッシングを趣味に持つ者としてはアムダリヤ・トラウトは幻の魚である
分類すると大西洋サケ属のブラウントラウトの地中海・黒海型亜種と同定されている
アラル海に河口を持つアムダリヤ河がこの種のトラウトの東限とされているのである
ブラウントラウトは大西洋サケ属の陸封型の種として5万年前に分岐している(現在生息するのトラウトとしてはかなり古い種)
最終氷期の頃に地中海まで南下して完新世の海面上昇で黒海、カスピ海にまで生息域を広げたのであろう
そして重要なことはアムダリヤ河の本流がウズボイ水路としてカスピ海に注いでいた事実が内陸の河川にアムダリヤ・トラウトを残した最大の理由である ホラズムはアムダリヤ河下流デルタ地帯に位置している
古代ホラズムは中央アジア河間地域であり豊かな水の恩恵を受け新石器時代にはケルテミナル文化(紀元前5000年から2000年紀)
があり、漁労・狩猟文化であったとされている
そして時代は降るがS・P・トルストフの研究によりヌクス近郊ベシュトベ摩崖の岩面画に描かれている船は紀元前1000年の西アジア・
フェニキアの船と酷似していると指摘されていることは興味深い >>115
イソップ物語の原型は新石器時代から青銅器時代にかけての黒海沿岸(バルカン半島、アナトリア、コーカサス)
に有るみたいだね >>118 カスピ海のアザラシもアムダリヤ川をさかのぼってアラル海まで到達してた可能性はあるのかな アケメネス朝のカンビュセス2世はキレナイカのバルカ出身者を
バクトリアに入植させて州都をバルフと命名したとされるけど
バルフの人は船でアムダリアとカスピ海とヴォルガ河とドン河を
経由して黒海に出て故郷と連絡出来たのだろうか?
セレウコス朝のセレウコス1世はヴォルガ河とドン河の間に運河を
構想したとされるので当時この水路は利用されていたようだ 紀元前1000年頃のオクサスがいくら豊かな土地であったとしてもフェニキア人がはるばるやって来てたかと言うと
理由はラピスラズリにあるらしい
ラピスラズリは準貴石としてオリエント世界では高値で取引され莫大な利益をもたらした
さすが貿易商社の元祖フェニキア商人は商魂逞しいw >>123
感慨深いな
1980年代、世界中の秘境に足を踏み入れるのは探検隊か日本の商社マンかと言われていた・・・
七三分けの髪型で銀ブチ眼鏡にスーツを着込みアタッシュケースに現ナマを詰め込んで世界を又にかけていたな フェニキア人は血の気が多くて狂暴なイラン・アーリア(ヒャッハー)系民族とも交易してたけど
どんな交渉術を使ってたのだろう? >>111
タウロイの正体はトロイア(イリオスのドーリア語名)の残党(末裔)だろ
アガメムノンを信仰するミケーネ文明に連なるイリオスは紀元前1150年頃「海の民」ドーリア人(ギリシャ)によって滅ぼされた
タウロイはドーリア側のミケーネ人の末裔に対する呼び名であろう
タウロイはアガメムノンの娘イーピゲネイアを崇拝し海賊団を組織して黒海上で捕えたギリシャ人を生贄にしてたという >>128
どういう根拠で?
自分の妄想が多いんだよこのスレは。 どういう論拠でキンメリア人直系なんだ?
>>129 それはお前の妄想だろ? 2ちゃんの落書きの文末に「。」を付けるお前は恥ずかしい ホラズム=コラズムのようにトロイ=タウロイということですね
タウロイはペリシテ人とかの同類でおそらく彼らが船でホラズムと
交易していたわけですね スキタイが押し寄せてきた時、クリミアに逃込んだキンメリアの子孫がタウロイだ、という説 ダレイオスが攻めてきた時に、スキタイの同盟申し入れにタウロイが冷淡な態度を取ったのは
キンメリアとしての遺恨があったからだろうと考えた。 その意見はタウロイをキンメリアの子孫とすることを前提としているので説得力が無い >>123
その頃にフェニキア人が来てた履歴って残ってるんですか?
旧大陸ほぼ唯一のラピスラズリ産地なんですよね。
だから古くから交易関係が確認できるというww 正解はキンメリアとは無関係とは言わないが
トロイアの末裔を中心にや東部地中海人系とキンメリア遺民などの混合体が黒海で海賊化した連中だろ
ギリシャ系を目の敵にしてたことは間違いない たしかウルク辺りのシュメル関係の土器なんかは見つかってるし
古いエジプトの遺品なんかにもラピスラズリの飾りがある
古アッシリアの錫なんかもこの辺りが産地として想定されてたり
その中でフェニキアっていうのが気になるなぁ
彼らは錫の産地には目がない >>137
サルゴン2世の王宮の高浮彫に紀元前8世紀のフェニキア商船が描かれている
これはベシュトベ(紀元前1000年)の岩面画と同様に、1本マストの1枚帆と船首・船尾に固定したロープが特徴である
フェニキア船は船首が馬の首のように高く、船尾は馬の尾のように低くなっていた すいません、これですね>>119
岩絵の船の形式か、なるほどぉ
フェニキア船のヒッポイの由来はなんとなく想定できているのですが
気になるのはその年代
実はおいらは逆方向の伝播を仮説として持っているわけです これは面白い仮説かもしれませんね
フェニキア人の原郷が中央アジアにあったとすれば後のソグド人(商人)と同根!
それにフェニキア文字がアラム文字よりも印欧語の表記に適していたことを考えると
フェニキア人の謎は深まるばかり >>143
だから、それ(フェニキア人の原郷が中央アジアにあった)が妄想なんだよ。
どういう歴史的根拠があって言っているわけ? フェニキア人が古代中央アジアと交易していて
中央アジアの人がフェニキア船を知っていたという話 >>145
答えになってない。
フェニキア人の原郷が中央アジアなんだろ?
早く説明してくださいな。 結局マッサゲタイって何なの?ゲタイ人と一緒?それとも王族スキタイ人から離反したスキタイ人の一派?大月氏ではないよな >>144
おいらアホだから歴史的根拠っていうのがよくわからないのですが
何があれば歴史的根拠になるんですか? >>146
レス内容を良く読め
だれも「フェニキア人の原郷が中央アジアにあった」説を支持していない
面白がっているだけだぞ(笑)
それを鬼の首を獲ったようにはしゃぐ姿は先程みんなにコテンパにされて余程口惜しかったと見える 力関係は
マッサゲタイ>スキタイだろう
キュロスを返り討ちにするほどだし >>146
コイツは誰かの冗談交じりのアザラシの件でも自分自身が理解もしていない「環境考古学」を振りかざしてたっけ
難しい言葉に酔う権威主義者丸出しだぞ >>151
お前ほどいい加減な人間ではないよ、ニート君。 コイツこんなカキコしてんだね(笑)
>291 :世界@名無史さん:2014/05/11(日) 20:57:59.09 0
>フェニキア人は地中海全域に自分たちの遺伝子をばらまいたようだ。
> 例えばマラリア耐性のある遺伝子とか。 >>152
何にせよ京都大学学術出版会『西洋古典学事典』を買って
きちんと読みこなすことだ。
通常の知能があれば、誰にでも出来ることだ。
よいな。 >>153
そのほかには?
さすがニート、御苦労なことだな。
>>154
いつもそれを書いているな。
少し古くないか?
松原先生たちには悪いが。
「SCIENCE」や「NATURE」は日々新しい研究成果を発表しているぞ。 >>159
ジキルとハイドを演じなくてもいいよ。
そもそもこんなスレはよほど興味がないと書きこまないから。
よく知っていることは認めるが、発想が飛んでいる面があるから気をつけて欲しい。 >>128
つらつらウイィキペディアをみていたら
トロイの始祖ダルダノスが、ハルモニアの兄弟という説もあるみたいだ
ということはカドモスさんとも兄弟なのかぁ トロイの形跡がクリミアのタウロイの遺跡で見つかっているのか?
黒海北岸の遺跡からアカイアやヒッタイトの文物が出てきた話は聞かない。
トロイにアマゾネスの援軍が来た、と言うのはあくまでも伝承だろう。 >>147
おそらくmass-sugdaで「大ソグド(スキタイ、サカ)」の意。
ベヒストゥン碑文のうち「海/川の彼方の(para-draya)サカ」「尖り帽子の(tigra-xauda)サカ」
「麻薬を飲む(hauma-varga,Amyrgioi)サカ」「ソグドの彼方の(para-sugdam)サカ」のどれか。
彼らがその彼方に住むという「アラクセス川」は、ヴォルガ川やアラス川ではなく、
10世紀頃までカスピ海へ注いでいたアム川の支流をいう。スキタイが西へ渡った方はヴォルガ川。
アレクサンドロスが来た頃にもいたが、前2世紀には衰えてアラン人やパルティアに合流した。 >>162
タウロイ=キンメリア直系説は学術的に証明されていない
「京都大学学術出版会:悲劇全集3 エウリピデス/丹下和彦 訳」収録『トロイアの女たち』、
『タウロイ人の地のイピゲネイア』で示されているトロイとタウロイの連続性を否定する根拠にはならない
また、タウロイ=トロイ後裔説の物的傍証としては
クリミア半島東部のクル・オバ遺跡で発掘されたスキタイの金製品はアカイア人の一部であるイオニア人による彫金であること
これら金製品は黒海沿岸のアカイア遺民(ミレトスから入植したイオニア人)により生産され、スキタイとの交易でスキタイの王侯貴族のもとに移った品物である >10世紀頃までカスピ海へ注いでいたアム川の支流
記述は正確に!
○16世紀頃までカスピ海に注いでいたアムダリヤ河(オクサス河)の本下流部であるウズボイ河 ギリシャの文物が黒海北岸に出てくるのはスキタイの時代になってからで
先スキタイ・キンメリアの遺跡からはヒッタイトやアカイアとの交流・交易の痕跡は見つかっていないと思ったが
トロイの後裔ならアカイアよりもヒッタイトに近いはずだし。 トロイ戦争を正しく理解しよう
トロイ戦争は異民族間での戦争ではなく、広義としてののギリシャ人同士(先発南下組アカイア人と後発南下組のドーリア人)
の戦争であり、地理的にはダーダネルス海峡のエーゲ海に面したアナトリア半島西端部
同時代のヒッタイトは「紀元前1200年のカタストロフィ」の原因とも言える地震と気候変動で衰退期に入っていた
飢饉によるミケーネ難民の暴動ははヒッタイト滅亡の要因のひとつであり「海の民」は天変地異や暴動の象徴に過ぎない
その証左としてアッシリアは無傷でありエジプトの被害は軽微であった 黒海沿岸の北カフカスの通称:シュルツの3号墳から出土した金製のディアデム(紀元前7世紀)には
ギリシャ・アルカイック期初期の典型的造形モチーフである鷲グリフィンの飾りが施されている
また通称:シュルツの4号墳から出土した銀鏡(紀元前7世紀)にはエレクトラム(金と銀の合金)で
ギリシャ風のスフィンクスと鷲グリフィンそして二頭のライオンを従えた有翼の女神アルテミスの文様装飾が施されている トロイの遺跡からはヒッタイトからの命令文が発掘されていて
トロイはヒッタイト傘下にあってアカイアと敵対していた、という話だと思ったが。 どの層のことだ?
ちなみに素人馬鹿のシュリーマンが不覚にも第Z層Aを破壊しちまったからな 臨死体験の代名詞と成ってしまっている「走馬灯」なんだけど
イラン・アーリア系遊牧民が恍惚感・幻覚を求めて服用した「ソーマ」と関係あるのかな? >>169
ちなみにスキタイのグリフィン図像には二系統あって
ギリシャ系とペルシア系の二つがそれぞれ伝承された後
なんと獣神合体して別の生物に生まれ変わるというイベントが発生したらしいです ウラル川中流域にあるフィリッポフカ近郊で、黒海北岸のグレコ・スキタイ文化と同時代の初期サルマタイ(紀元前4世紀)の大型古墳から
鉄剣やアケメネス朝ペルシア製の金の壺や銀のリュトンとともに奇妙なグリフィンが出土している
それは初期スキタイの装飾法である鷲グリフィンと後期スキタイ美術の特徴である大きな鹿の枝角を持った奇妙なグリフィンである
研究者によると再生への願いが込められているとのこと >>172
イラン・アーリア系遊牧民はフェルトで覆った三角屋根のテントの中に焼けた石を置き、その上に大麻の実を敷き詰め
サウナ風呂にしていたそうだ
恍惚の表情で大声をあげてたらしい 北米インディアンのスウェットロッジとそっくりだ。
まああちらは大麻でなくセージブッシュの葉だけど。 北米人たちがお金を丸めてヤクを吸うのは
スキタイの伝統なんだろうか、、、
しかもカクテルドラッグときたもんだww
【考古学】スキタイの黄金の埋葬品を発掘、「世紀の大発見」 服の縫い目までわかる装飾に、麻薬の儀式の痕跡も。ロシア南部 [転載禁止](c)2ch.net
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1432768677/1 いや、地中海をヒャッハーした海の民はアフロアジア系が主体だろ >>177
>埋蔵品が最初に発見されたのは2013年の夏のことだった。略奪を防ぐため、これまで情報が伏せられていたのだ。
これは賢明な判断だったね
>>169で紹介した「シュルツの古墳群」では何と発掘したシュルツ本人(ドイツ系測量士)によって盗掘され大半は金のインゴットに鋳つぶされて売られてしまっている ●改造サイドカーにモヒカン頭
●戦闘チャリオットに尖がり帽子
なんか似ている >>178>>181
エジプトに侵入してヒャッハーしたヒクソスは
一般的にアフロだったとされていますね 「シルクロード=オアシスの道の」イメージは漢族史観が恣意的に植えつけたもの
5000年の昔からユーラシアを東西に繋ぐ快適なハイウェイは「草原の道」であつたにも関わらず
軍事的、政治的理由により困難な「オアシスの道」を利用せざるを得なかった漢族の苦渋が読み取れる
さらに紀元前1000年にはインドと黒海を経由して地中海世界とを結ぶ「インドの道」があった
インダス河を遡りバクトリアを経由しオクサス河からカスピ海へ抜け黒海を渡る水上交通を最大限に利用するルートであり
権益は海洋民族(フェニキア人?)とアッシリアからそれに続くアケメネス朝ペルシアに握られていた
アレクサンドロスの狙いは経済物流のパラダイムシフトであったのだ >>182
ヒクソスの正体はアフロ・アジア語族北西セム語話者のアムル人(古バビロニアを建国した民族)で異論はない
文化的にはクレタ島ミノア文明の影響と軍事的には戦車と複合弓の使用が気になるところ
総合的に考えれば、ヒクソスはエジプト第2中間期初頭第13王朝頃のエジプト内部のアジア人傭兵集団ではないかと思う
故地がフルリ人のミタンニに圧迫された(この時、戦車と複合弓の技術を取得)アムル人が主体だったのだろう アファナシェヴォ文化ではトカラ語を話していたという説は証明されていない
印欧祖語がサテム化する前のヒッタイト語派、トカラ語派に続く消えた第3の語派の可能性もある
アファナシェヴォ文化はモンゴロイドを主体とするオクネフ文化により断絶している >>186はコイツのこと
カキコの時系列が証明している
>71 :世界@名無史さん:2015/08/09(日) 09:03:10.19 0
>アファナシェヴォ文化ではトカラ語を話していたという説は証明されていない
>印欧祖語がサテム化する前のヒッタイト語派、トカラ語派に続く消えた第3の語派の可能性もある
> アファナシェヴォ文化はモンゴロイドを主体とするオクネフ文化により断絶している
低レベルなあちらの巣(スレ)に引き籠っててください
お願いします(笑) ヒッタイトは古バビロニアを滅ぼしたが、その古バビロニアの遺民が海の民となって
ヒッタイトを襲撃し滅亡させた、ってことになるのか? >>188
あれ、なにしに行ったんでしょうねww
しばらく前に確か「狛犬の道」みたいな展示を
どっかの美術館がやってたんだけど
あれどういった内容だったんだろうなぁ
ペルシャとの繋がりがポスターにしてあった気がするんだけど 微妙にひとつもあってなかったww
獅子と狛犬―神獣が来たはるかな道
http://www.seigensha.com/newbook/2014/08/08110512
おおくの神社の鳥居の先で参拝者を出迎えてくれる「狛犬」。
本書ではわが国の特徴的な獅子、狛犬像とともに、エジプト、中央アジア〜中国などの神獣も紹介し、
ユーラシア大陸から日本まで、日常の中にひそむ文明の交流の一端を明らかに。
デザイン:大西和重、大西未生
MIHO MUSEUM展覧会公式カタログ兼書籍 >>168
ゲロノイ(ギリシャ由来の)、ゲロノス人に関してはヘロドトスの記述によるとギリシャ人の子孫とされているが
逆に南下移住前のギリシャ人のルーツ民族である可能性も考えられる
紀元前4900年から前3500年頃、ロシア西南部のヴォルガ川中流域に存在したクヴァリンスク文化の遺跡から出土した腕輪や首輪の類は
同時代のバルカン半島からの輸入品であり、ステップ地帯からバルカン半島東北部にかけて広く発掘されている上部が馬の頭の形をした笏も出土している
ゲロノイはギリシャ人とルーツを同じくする人々の末裔であろうと思う ヒッタイトの末期の遺跡は人為的な破壊が酷いというから
ヒッタイトを滅ぼした勢力はヒッタイトにかなりの恨みを抱いていたのではないか? >>191
1000年前までライオンはバルカン半島やコーカサス、中央アジア南部にまで生息してたみたいだし
旧石器時代にはより北方種のホラアナライオンがロシアにまで生息していたし
ギリシャ神話に出て来るネメアの獅子はその生態からヨーロッパホラアナライオンに比定されてるみたいだよ あちらの低レベルな巣にはどうしてもスレ伸ばししたい奴が居ると見た
レスの盗用は止めなw ヒッタイトの崩壊に乗じてアナトリア東部から中央部で勢力を拡大したのがフリギアとされる
印欧語族・サテム語派に分類されるフリギア語の話者であり紀元前12世紀頃、ヨーロッパ方面から
アナトリアに侵入したと考えられている
ケントゥム語派のヒッタイトがかつて東から西へ移動して来たのに対して逆の移動方向である
失われた言語フリギア語は同じサテム語派に属するバルカン諸語、ギリシャ語派と近縁なのかもしれない >>192
おぉお、これは勉強になりました
銅器時代の文化的繋がりがあるのかぁ
他が有名すぎて気づかなかった
>>194
どうやらヘラクレスさんのカブリ物は伝統芸らしいです ホメロスの「イーリアス」はトロイ戦争の実態が暗澹たる同士討ちであった事実を巧みに隠している
トロイ側アイオリス人はヒッタイトでアヒヤワ(海の民を構成していた)とされるアカイア人の一派であり
同じ広義のギリシャ人(ドーリア人?)に攻撃されたのである
「イーリアス」はホメロスの創作物語であり同じアカイア系であるイオニア人のアテナイによる鎮魂贖罪に他ならない
なおトロイ戦争の年代は同時代のエジプトの編年法の重複問題があり従来の紀元前1250年頃から最大で200年新しくなる可能性も有る ヒッタイトがアカイア人の一派だったなんて初耳だが。
アカイア連合とヒッタイト帝国の局地戦として
トロイの町の攻防戦があったと思った。 >>199
>>198のどこをどう読んだらそんな解釈になるのか?
トロイ戦争が「アカイア連合とヒッタイト帝国の局地戦」なんて誰の寝言だ? トロイ戦争を正しく理解しよう
トロイ戦争は異民族間での戦争ではなく、広義としてののギリシャ人同士(先発南下組アカイア系アイオリス人と後発南下組のドーリア人)の戦争 トロイ戦争:アナトリア西部におけるアカイア連合とヒッタイト帝国の戦いの内の一つ トロイ戦争は異民族間での戦争ではなく、広義としてののギリシャ人同士(先発南下組アカイア系アイオリス人と後発南下組のドーリア人)の戦争 「トロイ」とはアイオリス人に対するドーリア人のドーリア方言での呼び名 ドーリア人がギリシャ半島に到達した時点で既にアカイア文明は滅亡していた。 >>196
世界最古のことばフリギア語はサテム語なのかぁ
やつら、なんであんなにパンが好きなんだろう、、、 滅亡したミケーネ文明の担い手はアカイア人の一部であり、アカイア人とはギリシャ本土への先発南下組の総称である
正確にはギリシャ人はアイリオス人、イオニア人、そして後発南下組のドーリアの三派に大別される トロイ戦争は異民族間での戦争ではなくアカイア人同士の戦争なのでは? >>206
フリギア語はへレニック語派と最も近い関係にあったと考えられる
またヘレニック語派に含まれサテム語派に分類される古代マケドニア語、トラキア語、ダキア語などはフリギア語と近縁であったと指摘されている >>209
カタストロフでヒッタイト帝国とアカイア連合は崩壊した。
ドーリア人がギリシャ半島を南下してきたのはその後。 イオニアとドーリスの音楽文化(音階)についての差異
アイオニアン・スケール:C D E F G A B(いわゆるメジャー音階で明るい印象)
ドリアン・スケール:C D Eb F G A Bb(マイナー7th音階で憂いを漂わせる印象)
同じギリシャ民族の音楽文化とは思えない程、異質である トロイ戦争はアカイア人同士の戦争なので「アカイア連合」は有り得ない トロイ戦争
アカイア連合VSトロイ&ヒッタイト帝国
ギリシャ半島の諸都市を糾合したアカイア連合が
アナトリア半島のヒッタイト帝国の西端に位置するトロイの街に襲い掛かった ギリシャ人はアイリオス人、イオニア人、そして後発南下組のドーリア人の三派に大別される
トロイ戦争は
異民族間での戦争ではなく、広義としてののギリシャ人同士(先発南下組アカイア系アイオリス人と後発南下組のドーリア人)の戦争 三派?
ドーリア人・アイオリス人・アカイア人・イオニア人でしょ
合わせて四派ではなくて? アカイア系(ギリシャ領域への先発南下組)はアイオリス人とイオニア人で構成されるから
三派でよろしい(ミケーネ文明の担い手は先発南下組アカイア系と推測されるが不明)
ミケーネ文明は「海の民」により壊滅しその空白地帯にアイリオス人、イオニア人が勢力を伸ばした
そこに後発南下組のドーリア人が侵攻して来てトロイ戦争が勃発した
トロイはアイオリス人の都市トローアスのことであり、トロイ戦争以前の時代即ちアイオリス人入植の更にもっと前の時代であるヒッタイト支配下ではヒッタイト側からウィルサと呼ばれていた 吉川廣文館の世界史地図では
アイオリス人とアカイア人が同じ色分けながら別集団のような動きになってるけど
しかもイオニア人はその二集団とは別の色分け。
あなたの解説とは整合してないように思われるけど…? >>206
この話のネタはプサムテク1世(プサメティコス1世)らしいが
「青銅の人間」は実はアンドロイドだった説みたいのはないのかな、、、
ちょっとだけアトムも出てくるんだが その時代設定は?
ミケーネ文明期、暗黒時代、初期アルカイック期、後期アルカイック期とでは勢力分布が大きく異なる 初期青銅器時代後期にあたる初期ヘラディックII末からIII末まで(紀元前2200年頃)にギリシャ本土およびエーゲ海の村落が
破壊活動により悉く壊滅消失し、この時点で現代につながる『ギリシャ人』がギリシャに到達したと推定されている
仮に現代につながる『ギリシャ人』を原ギリシャ語話者とするならば
原ギリシャ語話者からミケーネ文明を担った人々の方言、アカイア方言、アイリオス方言、イオニア方言と次々に分化していったのだろう
そしてドーリア方言話者の侵入によってギリシャの暗黒時代は始まったと言える 平均観客動員数(8/9)
01巨人 41,758人
02阪神 39,934人
03福岡 34,752人
04広島 29,024人
05中日 28,097人
06日公 26,995人
07横浜 25,102人
08大阪 24,883人
09楽天 22,505人
10西武 21,997人
11東京 21,629人
12干葉 17,852人 >>222
文明の鏡といえるギリシャのご先祖様までもがヒャッハーしていたのか・・・ クレタ島はミノア文明→ミケナイ→ペリシテ→ドーリア 今でもギリシャはスゴイでしょ
働かないけどカネ貸してくんない?
借りたカネ?何それ??? >>220は>>216への問いかな?
それなら「ミケーネ文明の時代」と表題があるだけで詳細不明
ただしドーリア人の動きを示す矢印には「12cころ」
アカイア人の動きを示す矢印には2ヶ所「14cころ」と「11cころ」とあり
アイオリア人とイオニア人の動きを示す矢印には何も付記がないから
これがミケーネ文明の時代と同時期という意味かな? 【2015年上半期・経常収支(速報値)】
・2015年上半期…+8兆1835億円
<内訳>
・貿易収支…ー4220億円
・サービス収支…ー8723億円
・第一次所得収支(所得収支)…+10兆5114億円
・第二次所得収支(経常移転収支)…ー1兆336億円 >>222
古代ギリシャ語を含むヘレニック語派が古代バルカン諸語から分岐したのが遅くとも紀元前2000年頃と考えられている
(ちょうど原ギリシャ語話者のギリシャ侵入の時期)
古代バルカン諸語がバルト・スラブ語派を含む印欧祖語(先イラン・アーリア語)から分岐したのが紀元前4900年頃が推定されている
クヴァリンスク文化(紀元前4900年頃)→スレドニ・ストグ文化(紀元前4500年〜3500年頃)→ヤムナ文化(紀元前3600年〜2200年)
とヴォルガ川流域からドナウ川河口域までというように黒海を西廻りで徐々に南下して来ているのだ
そしてヘレニック語派の原ギリシャ語話者が突如ギリシャ領域に破壊的侵入をしたのが紀元前2200年頃とされている アイコちゃんちゃんとまったりネコ状態になりたいな(゚∀゚)
(´∇`)♪v(*'-^*)^☆(n‘∀‘)η
(*´-`)(*´-`)(*´-`) >>221 マケドニアがギリシャ語圏に入ってないな トロイ戦争はカタストロフ末期、アカイア連合とヒッタイト帝国の末期の頃に起きた。
ドーリア人のギリシャ半島への南下はカタストロフの後で時期的に合わない。 >>235
トロイ戦争の年代は同時代のエジプトの編年法の重複問題があり従来の紀元前1250年頃から最大で200年新しくなる可能性も有る 「アカイア連合」て何だ?
その根拠が有れば示してくれ その根拠として
ギリシャ至上主義を謳い上げたいホメロスの妄想願望は無しだぞw ミュケナイ王アガメムノーンを盟主とする
ギリシャ半島の諸都市を糾合したアカイア連合軍が
アナトリア西部のトロイの町を攻撃した。 >>239
考古学上、古代ギリシャにおいて初めてポリスが出現するのは紀元前700年代になってからである
アテナイやスパルタのように市民が3万から4万に達したのは特別であり、通常は数千人規模であった
複数のポリスが統一というにはあまりにも緩やかな枠組みを形成した例もあるがこれは「エトノス」と呼ばれていた程度である
歴史上確認出来る最古のギリシャ全土をカバーする同盟は紀元前7世紀に始まる隣保同盟(Amphictyonic League)であった 221の古典期(紀元前6世紀頃)のギリシャ語派各方言の分布によればトロイは
ドーリア方言ではないからトロイを征服したのはドーリア人ではなさそう 僕は兵役を拒否した代わりの仕事として、フランクフルトの老人ホームで働いた。
ドイツの兵役代替社会奉仕義務は、給料は日本企業のフリーターより低いが、老人や病人、
障害者に対する本物の責任があり、お客に熱いコーヒーを出すような責任だけではない。
それでもそのとき僕たち奉仕勤務者は話しあった。これ以上搾取されるのは嫌だ。給料を
増やしてもらうか(食費になる)、ストライキをするかだ。もちろん要求は無視された。
そこで、一日ストライキをした。老人は横になったまま、障害者は座ったまま、病人は
病気であるままほっておいた。
カタストロフ以降におけるアナトリアはフリギュアやリュディアの支配下にあり、
アッシリアの勢力が拡大しつつある形勢でトロイ戦争のような戦争が起きる環境は無い >>210
フリギアの有名な王様ミタさんは
トラキア部屋出身という噂もあるようですね
ウィキペディアを見ていたら
髪結いの方がみたロバ耳は
こんな説もあるようでしたが意味がよくわかりません。
サラ・モリスは、ロバの耳はミラのTarkasnawa(ギリシア語でTarkondemos)王によって設けられた
ヒッタイトの楔形文字とルウィ語(Luwian)の象形文字の両方で刻まれた印章にある青銅器時代の王族の象徴だったと論証した。
この関連では、その神話は異国風の象徴をギリシア人に対して正当化しているように見える。 歴史の教訓:
ヒャッハーに成功した者にだけ未来は約束される
しかしそれが永遠に続くとは限らない >>244
君の説明は不十分で誤解を招く
紀元前1200年のカタストロフ以降、アナトリア半島西岸一帯はエーゲ海東岸を来たから
アイオリス人、イオニア人、ドーリア人が入植していたが紀元前700年頃ヒッタイトの後継国家
であるシリア・ヒッタイトの衰亡に乗じてアナトリア中西部にリュディアが勃興する
リュディアは東西貿易の中継地として当初はギリシャ諸ポリスと友好的でありアポローン神を信仰し
首都サルディスにはアクロポリスが建設されていた
またギュゲス王はフリギアのミダス王と同様にアポローンの聖城デルポイに奉幣しギリシャ文化圏に属していたのだ
考古学的物証として世界最古のリュディア貨幣(紀元前6世紀頃)このエレクトロン製貨幣の鋳造にはギリシャの冶金術
が使われギリシャの強い影響が見られる
最後のリュディア王クロイソスはイオニア人ポリスとは敵対したがスパルタとは最後まで同盟を維持していたがリュディア・スパルタ連合軍は
アケメネス朝ペルシアに敗れ滅亡したのであった
以上より考察するに親スパルタであるリュディアはドーリア系であった可能性すらある 訂正
×アナトリア半島西岸一帯はエーゲ海東岸を来たから
↓
○アナトリア半島西岸一帯のエーゲ海東岸を北から 将来、結婚する相手は候補者の中から政略的な面も含めて決めているのでしょう?
結婚と恋愛は別物という考え方があるようで、世の中ではそういう人をチャラ付いた人というんですよ。
将来、結婚する相手が居るならば、その人とのみ付き合って結婚というのが筋でしょう。
貴方は結婚する相手であって、恋愛する相手ではない。と言っている様なもの。
手垢まみれの女で、しかも結婚までは御相手の事は頭に無く、自分の好きな人と付き合ってきた女と結婚するほど奇特な人は居ないでしょう。
いわば、お相手に対して極めて失礼な考え方で過ごしていますよね?
結婚相手として候補に上げられている方々は馬鹿にされているよ。
お相手の家に嫁ぐのだから、自由恋愛意外だと、馬鹿にしているというほか無いでしょう。
周りが自由恋愛のように環境を意図的に作って結婚に持ち込むとか、よくやっているけれど、相手を馬鹿にしすぎ。 紀元前1200年のカタストロフ以降、アナトリア半島西岸一帯のエーゲ海東岸を北からアイオリス人、
イオニア人、ドーリア人が入植していたが紀元前700年頃ヒッタイトの後継国家であるシリア・ヒッタイト
の衰亡に乗じてアナトリア中西部にリュディアが勃興している
リュディアは東西貿易の中継地として当初はギリシャ諸ポリスと友好的でありアポローン神を信仰し
首都サルディスにはアクロポリスが建設されていた
またギュゲス王はフリギアのミダス王と同様にアポローン神託の聖城デルポイに奉幣しギリシャ文化圏に属していたのだ
考古学的物証として世界最古のリュディア貨幣(紀元前6世紀頃)このエレクトロン製貨幣の鋳造にはギリシャの冶金術
が使われギリシャの強い影響が見られる
最後のリュディア王クロイソスはイオニア人ポリスとは敵対したがスパルタとは最後まで同盟を維持していたがリュディア・スパルタ連合軍は
アケメネス朝ペルシアに敗れ滅亡したのであった
以上より考察するに親スパルタであるリュディアはドーリア系であった可能性すらある >>226
伝統芸らしいです
外国から守ってあげるから神殿にお金を納めなさい
↓
このお金は有効に活用してあげます
↓
お金を払わないポリスは制裁します
↓
内戦でうちわ揉める フリギュアやリュディアは東からのアッシリアの攻撃に晒されていて
従属関係を結ばされたりしている記録はあるが、
西側のギリシャ諸都市からの攻撃を受けていたという話は聞いたことが無い。 >>252
その従属関係はどことどことの従属関係なんだ?
明記せよ
君のカキコはいつも曖昧で不十分過ぎるぞ >>254
IDが表示されていないのに何故「君のカキコ」と特定出来るんだ? >>255
共通して学部生のレポートにすら達していない不可評価せざるを得ないレベルだから 8世紀になるとアナトリア東部ではキンメリアとアッシリアの攻防が始まり、
リュディアやフリギュアは両者に攻め立てられており、
西部のギリシャ半島諸都市と対立する余裕なんか無い。 >>257
>従属関係を結ばされたりしている記録はあるが
※この件の説明がなされていない
>8世紀になると
※単なる凡ミスであろう ただし減点対象
可哀そうだが評価は不可 古代ギリシャの冶金技術が進歩していた理由のひとつとしてギリシャの地で乏しかった金属資源の有効活用が挙げられる
青銅製品は武器、農具としては優れていたが古代ギリシャでは高価であり、その結果リサイクル技術として
冶金技術が進歩したというものである
革新的な農具として金属断面犂(クルックド・プラウ)の発明により古代ギリシャでは農業生産性が高まった反面
青銅製の武器が不足が問題となり、それを解消する方策として有事にはクルックド・プラウを鋳潰して武器に鍛え直し
平和時にはその逆を臨機応変に行うことが講じられた
この事績は、聖書の一節「汝の刀をプラウ・シェアに打ち直した(en:swords_to_ploughshares)」の元となったと考えられている トロイ戦争の時代はカタストロフ前でアカイア・ヒッタイト末期だと思う。
ガデシュの戦いでエジプトとヒッタイト両軍が5万にも満たなかった時代で
アカイア軍10万というのは誇張だろう。 西洋音楽の基本音階として:
☆アイオニアン・スケール (Ionian) C D E F G A B
※いわゆるメジャースケール、長音階 明るい印象でイオニア由来
☆エオリアン・スケール (Aeolian) C D Eb F G Ab Bb
※ナチュラル・マイナー・スケール、自然短音階 憂いを秘めた印象でアイオリス由来
☆ドリアン・スケール (Dorian) C D Eb F G A Bb
※一般的なマイナー・セブンス・スケール、短音階 暗くて影がある印象でドーリア由来
☆フリジアン・スケール (Phrigian) C Db Eb F G Ab Bb
※エスニックなマイナー・セブンス・スケール、短音階 情熱的で憂いを感じさせる印象でフリギュア由来
☆リディアン・スケール (Lydian) C D E F# G A B
※おしゃれなメジャー・セブンス・スケール、長音階 ゴージャス・リッチで快楽的な印象でリュディア由来
いずれの名称もギリシャ文化圏に由来している
グループ分けすると
A群 イオニア、リュディア
B群 ドーリア、アイオリス、フリギュア A群 青銅器時代に定住完了
B群 青銅器時代末期に移動
221の古典期(紀元前6世紀頃)のギリシャ語派各方言の分布によれば
トロイはアイオリス方言なのでアイオリス人に征服されたようだ 紀元前1200年のカタストロフの破壊活動は「海の民」の仕業だと長らく信じられてきたけど
犯罪捜査の基本として、「結果的に得をした人間が真犯人の可能性が高い」に従うと
アテナイ、テーベ、コリントス、スパルタなどのポリスとアッシリア帝国のみが繁栄している
この中に「海の民」の黒幕が居るはずだ アッシリアは商業国家として青銅器の急激な普及に伴い需要が拡大した錫の交易でバクトリア産の錫を錫を産しないが金、銅に恵まれたアナトリア地方に
供給することで莫大な利益を得て、アッシリア商人達はアナトリアにカールムと呼ばれる商業基地建設していた
しかし紀元前16世紀頃、古アッシリア時代末期に急激に台頭してきたヒッタイトにアムル人アッシリア商人のカールムは悉く破壊されてしまったのである 「海の民」の黒幕としてアムル人アッシリア商人には動機がある
仇敵ヒッタイトへの復讐と製鉄技術の入手、そして環東地中海貿易での商売敵ミケーネ人を葬り去ること
紀元前1200年のカタストロフの地震、異常気象災害での暴動でアムル人アッシリア商人達は「海の民」を扇動したのだと思う 製鉄は、そのずっと前にアッシリア商人を通じてヒッタイトが入手した技術でしょ
ソースはその分野の第一人者である大村幸弘 紀元前2000年紀のアッシリア商人のカールムと同定されるカマン・カレホユック遺跡から発掘された金属が
セメンタイトという鉄と炭素が結合した鋼特有の組織が検出されたんだっけ? アッシリア・海の民はアフロ・アジア系
ヒッタイト・アカイアはアーリア系 ヒッタイトは当初、アッシリア商人から鉄を金の5倍、銀の40倍の高値で買ってたらしい
それでブチ切れてアッシリア商人を殺戮して口封じをしてその製鉄技術を独占したみたいだ >>268
うん、あそこのVc層だから紀元前2000年紀の前半だね >>245
大相撲の第15代年寄:鳴戸親方(元琴欧洲関)はブルガリア出身だからトラキア人の末裔の可能性が高いな
ご先祖様も巨体と腕力でバルカン半島を征服したのだろう 古代ギリシャでは聖獣は鷲、聖木はオークとされていた
益獣とみなされ鷹狩で使われるイヌワシの現在の分布図
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/ec/Aquila_chrysaetos_dis%28Aiger%29.png
オーク(ヨーロッパ・ナラ)の現在の分布図
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b6/QuercusRobur_ZasiegGatunku01.png
ご覧の通りギリシャ本土には鷲は生息せずオークも自生していない
原ギリシャ人の南下ルート通過点をバルカン半島(紀元前2500年頃)と想定して、移動の起点を紀元前3000年頃と設定すると
クルガン仮説もあわせて考えると原ギリシャ人の故地はヴォルガ川流域以西のロシア、ベラルーシ、ウクライナ北部あたり
即ち木造建築と狩猟農耕が主体だったヤムナ文化北部森林地帯だと推測される >>270
なるほど参考になるわ
その意趣返しがBC1200頃の「海の民」による襲撃というわけだね ヒッタイトがミタンニを攻撃したことでアッシリアはミタンニの属国から脱したんだが。 >>274
紀元前2500年頃のバルカン半島に居た原ギリシャ人は球状アンフォラ文化に属する訳だね >>277
もうちょっと詳しく
アカイア人かドーリア人か、マケドニア人も含むのか 印欧語族の原ギリシャ人はヘレニック語派話者だったのだろうか?
地中海沿岸に移住してから先住民の影響でヘレニック語派に変質して
いったのではないのだろうか? >>280
申し訳ないが
ヘレニック語派話者(人)とヘレニック語派(言語)を混同してないか? >>274
鷲はゼウスの化身とみなされていた
ゼウスは原アーリア人が信仰する天空の神が起源とされる バルカン半島居住時代 ギリシャ本土へ南下移住 ヘレニズム期以降
(紀元前2500年) ⇒ (紀元前2000年〜1100年頃) ⇒ (紀元前3世紀頃)
ヘレニック祖語 ヘレニック祖語が各地方で方言化 再統合が進みヘレニック語派成立 ギリシャ語のゼウス(主神を指す固有名詞)とラテン語のデウス(神を指す一般名詞)って印欧比較言語学的に見て同源なの?
同源ならゼウスという神の起源は相当古く遡ることになりそうだけど >>285
ザラスシュトラ以前のインド・イラン語派話者の侵攻は
叡智の神アフラ・マズダー、火の神ミスラ、水の神ヴァルナなんだが 最新の研究では
印欧語族、ウラル語族、アルタイ語族の原郷は仲石器時代のヴォルガ・ベントからウラル山脈の地域に
お互いに隣接していたことが分かってきている
氷河期のシベリアのマンモス・ハンター達に何が起こったのだろう? ヴュルム氷期のシベリアは意外と過酷な環境ではなかったみたいだ
ステップ地帯が広がりシベリア氷床が融解して巨大な湖沼、淡水を形成していた
むしろ大型動物の狩猟に適していたみたいだね
参考として最終氷期最寒冷期の気候分布図
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e4/Last_glacial_vegetation_map.png >>270
なんかアッシリア商人とユダヤ商人は似ている
ガメツさや陰謀で儲けようとする根性が
ヒッタイトも我慢の限界を超えたのだろう
そしたら「紀元前のカタストロフ」に便乗して「海の民」を使って意趣返しをするとこなんか
最近の「カラー革命」を扇動しているユダヤ勢力とその手法が酷似しているw 海の民の発生は当時の寒冷化による作物の不作が原因で
ヒッタイトでも食料不足に悩まされ、エジプトに援助を要請している 国際宇宙ステーションに乗組員を運んでいるソユーズ・ロケットはバイコヌール宇宙基地から
打ち上げられてるんだよな
奇しくも同地域は天空の神を信仰する原アーリア人の原郷なんだよな 古代ではドーリア人に支配されたマケドニアですら異民族の扱いであった
というか元々ドーリア侵入以前は先住マケドニア人は異民族だったが、とにかく
アカイア人にとって後からギリシャに侵入して文明をメチャメチャにして
自分達を奴隷化したドーリア人は同じギリシャ系というよりは敵そのものだった
ポリス時代は、だから先住アカイア人が奴隷化されたドーリア系の地域とアカイア人の地域は明確に分かれていた
スパルタ支配層にとっては軍国化しないと奴隷化したアカイア人が反乱を起こしそうで怖かった
ポリス時代は負けたら殲滅か奴隷である メチャクチャストレスが高い時代だったんだ
東ローマ時代はそんな意識はもうない ギリシャ系の中で誰がアカイア人で誰がドーリア人なのか分かるもんか
もうその頃にはギリシャ系でない人間まで大量にギリシャ系と同化しているだろう
人間の精神の有り様がポリス時代と東ローマ時代では全然違うだろう かつてはエジプトの傭兵として戦っていた民族が
傭兵に頼るようになった ギスギスしたポリス時代は集団で攻撃を仕掛けなくてもよそ者が入れる雰囲気じゃなかったと思う
東ローマ時代の人は戦争は自分達がしなくても外国人にやらせればいいと言う事が分かった
ギリシャ兵は弱兵なので戦に強いベネチア人やジェノバ人、ノルマン人に砦を守ってもらう事にした >>295
そういえば一ヶ月ぐらいまえ
9匹の隼によって
天翔る龍が打ち堕とされた
という伝説を聞きました、、、 >>272
なんとなくモンゴル相撲の系譜かと思ってましたww
アンドォカロヤンさんトラキア族の系統なんですか
調べたらレスリング出身なのでそうみたいですね
旧名カロヤン・ステファノフ・マハリャノフで
愛称は「カロやん」らしい、、、 中石器時代ヴュルム氷期の西シベリア大平原(西はウラル山脈から東はエニセイ川まで)で育まれた「ツランの地」は
印欧祖語話者、ウラル・フィン祖語話者、アルタイ祖語話者共通の祖先の土地であった
現在はチュルク系とされているアルタイ人も、モンゴロイドのキルギス人も、発掘調査の結果により当時は白い肌で赤髪碧眼の
コーカソイド的形質であったことが分かってきている
印欧祖語話者も古代ウラル人も古代キルギス人も共通の祖先(ツランの住人)から分岐していたのだ ヤンガードリアス寒冷期は高湿度で急激な気温降下により降雪量が極端に多い大規模な気候変動であった
豊かであった西シベリア大平原は気候変動と乱獲により大型哺乳類は減少し狩猟民も拡散移住を余儀なくされた
印欧祖語話者は一時的にイラン高原まで南下避難することになる
その後、完新世の温暖期に洪水に見舞われペルシャ湾から移住して来た原エラム人と接触し青銅器と灌漑農耕と牧畜と車輪の技術を
獲得することになるのである
やがて彼ら印欧祖語話者は牧草地と青銅の原料である錫石を求めて北上し、シベリア南部から中央アジアにかけてのミヌシンスク盆地にに新天地を見つけたのである
彼らは紀元前3500年頃アファナシェヴォ文化を、紀元前2300年頃アンドロノヴォ文化を創出し原アーリア人となるのである
紀元前 そしてこの話のオチは
5000年ぶりに南シベリアの地でかつての同胞であるウラル人やキルギス人と再会した時
かつての同胞達は何故かチュルク系やモンゴロイドに変身していたでござる フリージア人とフリギア人が仮に遥か昔に中央アジアの同じ印欧語族から分かれた民族だとしよう
しかし、小アジアとオランダの直接の接点は何?トルコとオランダの関係は近世になってからは見出されるが、
古代の段階ではオランダのフリージア地方と小アジアのフリギア地方の関係について何も書かれてないのではないか?
語源は明らかに同じに見えるが、古代で交流していたようにはあまり見えない 世界史の大きな謎
オランダ人やトルコ人で「我々は同じ先祖だ」とか言っている奴の話も聞いた事はない・・ 青銅器時代初期の錫の産地はブリテン島のコーンウォールと中央アジアのバクトリア
それに南シベリアのアルタイ山地が有名
印欧語族は錫の鉱山と縁が深い >>274
ふむふむ、なるほどぉ
そしたら、このサイトの3番に書いてあるのはその話なのかぁ
オリュムポスの創世神話
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/antiGM/genesis3.html
またガラマンテース人たちが入植していたアモン地域と北部ギリシアのドードーナ地方とは
ある種の宗教上の盟約を結んでいたが、
サー・フリンダース・ピートリの説にしたがえば、
この信仰上の結びつきは、早くも前第三千年紀にははじまっていただろうといわれる。
この二つの地域には古くから樫の木をめぐる神託というべきものがあった >>306
これらの神話はあのヒッタイトやミケナイを滅ぼした
「紀元前1200年のカタストロフ」に由来するらしいね >>266>>304
カタストロフ以降、錫の利権を握ったのはフェニキア人で
秘密の島にこっそり錫を隠したらしいという噂が、、、
ちなみにこのフェニキア人は帝国アッシリアとは仲がよくないとのこと >>274
ケルトのドルイドは「オークの賢者」という意味らしいね
ケルト語派については非印欧語族の鐘状ビーカー文化を基層として印欧語族の縄目文土器文化や
ゲルマン語派、スラヴ語派、バルト語派の基層文化と推定される球状アンフォラ文化を担った人々との
接触により言語交代が起きてほぼ全体がケルト語派となったと推測される
民族のほぼ全体が言語交代するということは一体どういうことが起きたのか? ゲルマン・・・寒冷な欧州北部に追いやられた敗残部族
スキタイ・・・肥沃な黒海北岸を支配しペルシャとガチバトル 現在のイギリス人及び英語は
ストーン・ヘンジのイベリア人侵入以来、ブリトン人、ケルト人、アングロ=サクソン人、ローマ人
デーン人、ノルマン人らの肉体的、文化的レイプを受け続けて成立してるんだよな
イギリス人はしつこく粘り強く我慢強い
いわゆるジョンブル魂ってやつw イランとインドで善神と悪神が正反対というのが面白い。
イスラムとヒンズーの対立以前から両者は価値観の相違があったと思う。 インド人の祖先がイラン人の祖先に
イランからインドへ追い払われたのだろうな
いわゆる民族移動の玉突きが原因なんだろうな >>297 >>305
古代インドの占星術で「ナヴァグラハ (नवग्रह, navagraha)=9つの天体」(サンスクリット語)だね
サンスクリットで神を意味するデーヴァはギリシャ神話のゼウスと同じ語源である
時代を降りるに従って本来の天空神ヴァルナの眷属アスラは悪魔の神となってしまう
リグ・ヴェーダの時代ではヴァルナはミトラとならぶ最高神でありヒッタイトとミタンニの条約文にも
ヴァルナ神の名があげられている
ちなみにヒッタイト王の称号はラバルナである >>314
ぉぉおお、これはもの凄くいい話ですねぇ
ちなみにおいらが一月前に聞いた伝説というのはこれ
http://gigazine.net/news/20150629-spacex-falcon-9-destroyed/
ちたまでは「メテオ」にやられたのではと噂されていますww ミタンニ王国は紀元前16世紀頃フルり人をインド・アーリア系の戦士支配階級が統一して建国されたとしている
フルリ人は北東コーカサス方面との繋がりが指摘されていて馬を用いる技術に長けていてヒッタイトやエジプト第18王朝に馬の調教技術を伝えている ミタンニはカタストロフの頃にアッシリアに制圧されていたような >>306
しかしパエトーンさん
いろいろとやらかしているが、あきらかに宇宙出身
天体名として挙げられることもある。
マルクス・トゥッリウス・キケロ『神々の本性について』は12年で天球を一周する惑星としてパエトーンを挙げており、明らかに木星を指している。
またヒュギーヌス『天文詩』はエラトステネスの説として、土星をパエトーンと呼ぶとする。
アリストテレス『メテオロロギア』はピタゴラス教団の説として、パエトーンは地上に落ちた星であり、天の川が落下の痕跡であるとする。 >>312
紀元前15世紀頃の印欧語族サテム語派に属するイランとインドとの言語比較において
印欧語族で「神」を意味する単語を例にとれば
アヴェスター語:deva (デーヴァ神族)⇔ ヴェーダ語:daēva (悪神)
さらにケントゥム語派内での比較においては
ギリシア神話のゼウス (Ζεύς)⇔ローマ神話のユーピテル(Jou-pater、原型はDieu pater )⇔ゲルマン祖語のティワズ (*Tiwaz)
さらにケントゥム語派古代ギリシア語のゼウス (Ζεύς)はサテム語派ヴェーダ語でのディヤウス(dyaus)に相当する
ゆえに「天空神」ゼウスは
サテム語派古代インドのヴェーダ語では「父なるデャウス」を意味するデャウシュ・ピター(dyauṣpitā)であり
印欧祖語として「父なるディェーウス〔天空神〕」ディェーウ=パテ(Dyēu-pəter)が再構築される へー。
じゃゲルマン神話のアース神族とインドイランのアスラも同語源? アース神族については
9世紀頃、古ノルド語で書かれたユングリンガ・サガ(Ynglinga saga)によると
アース神族はタナイスと呼ばれたドン川の東方(アゾフ海沿岸)にアシーアがありタナイスの東の土地はアーサヘイムと呼ばれた
アスラについては
古代インドのリグ・ヴェーダにおいてはデーヴァ神族の王インドラに敵対することもある天空神ヴァルナとその眷属を指していたが
ヒンズー教では魔族として扱われるようになる
双方の時代は大きく違い(約2000年の相違)相関関係も不明 本当のことを言えばインド・ヨーロッパ語族とのカテゴライズは噴飯モノで
イラン・ヨーロッパ語族とするのが正しい
インドに侵入した原アーリア人は大多数の土着ドラヴィダに飲み込まれ
リグ・ヴェーダ→バラモン→ヒンズーへと独自性が顕在化されていく
一方イランではザラスシュトラ(Zaraθuštra)により創始されたゾロアスター教の
「数多くの神々の中から、崇拝に値する神をアフラ・マズダーだけとした」唯一神の教義が
旧約聖書、新約聖書、クルアーンの成立に大きな影響を与えている
イランとヨーロッパは文化的にも親和性を有する >>319
Tuesdayが木曜日(Jupiterの日)にあらず、Marsの日とされたのはいかに? アスラとヴァルナでは対応関係がおかしい、デーヴァがヴァン神族に対応 >324 >
英語で火星を意味する「マーズ」(Mars)はローマ神話における戦と農耕の神マールス(ラテン語:Mārs)に由来する
「マールス」は本来軍神であり、三機能イデオロギーの第二機能(戦闘)を担っていたと考えられている
また、「マールス」はギリシア神話のゼウスとヘーラーの子アレース(戦場での狂乱と破壊の側面を表す荒ぶる神)に相当するが
古代ギリシアにおいても忌避され、ローマ神話に至っては非印欧語族話者エトルリア人に崇拝された神マリスを原型とする
勇敢な戦士、青年の理想像「マールス」に置き換わることになる
ゆえに現在、印欧語族イタリック語派ラテン・ファリスク語群に属すロマンス諸語においても火曜日は「マールス(火星)」の日である
英語での火曜日を指すTuesdayは北欧神話の神テュールから来ている
ローマ帝国滅亡以降、イギリスはデーン人、アングロサクソン人、ノルマン人の侵入を受けドイツ神話や北欧神話における軍神「テュール」が持ち込まれた
古ノルド語で「神」をあらわす一般名詞「テュール」はギリシア神話のゼウス (Ζεύς) 、ローマ神話のユーピテル (Jupiter: 原型はDieu pater)などの
印欧語族ケントゥム語派話者が信仰する神々と同語源と考えられ、テュールも本来は天空神であったとされる >>324
英語で火星を意味する「マーズ」(Mars)はローマ神話における戦と農耕の神マールス(ラテン語:Mārs)に由来する
「マールス」は本来軍神であり、三機能イデオロギーの第二機能(戦闘)を担っていたと考えられている
また、「マールス」はギリシア神話のゼウスとヘーラーの子アレース(戦場での狂乱と破壊の側面を表す荒ぶる神)に相当するが
古代ギリシアにおいても忌避され、ローマ神話に至っては非印欧語族話者エトルリア人に崇拝された神マリスを原型とする
勇敢な戦士、青年の理想像「マールス」に置き換わることになる
ゆえに現在、印欧語族イタリック語派ラテン・ファリスク語群に属すロマンス諸語においても火曜日は「マールス(火星)」の日である
英語での火曜日を指すTuesdayは北欧神話の神「テュール」から来ている
ローマ帝国滅亡以降、イギリスはデーン人、アングロサクソン人、ノルマン人の侵入を受けドイツ神話や北欧神話における軍神「テュール」が持ち込まれた
古ノルド語で「神」をあらわす一般名詞「テュール」はギリシア神話のゼウス (Ζεύς) 、ローマ神話のユーピテル (Jupiter: 原型はDieu pater)などの
印欧語族ケントゥム語派話者が信仰する神々と同語源と考えられ、テュールも本来は天空神であったとされる >>327
ありがとう。
*Tiwazさんは退屈な天空神業に飽きて、軍神に天下りしたわけだ むしろ天空神業を解任されたのかな。
我々の土地はすぐに日が沈む、*Tiwazが無能だからだ。天空神をやめさせろ >>329
余談だけど今朝のNHKBS国際ニュースのスペインの放送局で日没についての話題があった
ヨーロッパ大陸で春分の日と秋分の日の日の入りが一番遅いのがポルトガルのロカ岬
ちなみに夏至の日の入りが一番遅い(白夜)のがノルウェーのノールキューン岬 リグ・ヴェーダを読むと、アーリア人のその昔の
姿が分かったりしないの? リグ・ヴェーダとアヴェスターを摺り合わせる作業は行われているらしい
というか、代々守ってきたアヴェスターを解読した結果
そこに記された内容を見て衝撃を受けた人たちもいたんだろうなぁ >>333
アヴェスタじゃないけど似たような話はたくさんある アッシリアを滅ぼし、メディアを属国化させ
オリエント各地でヒャッハーしていたスキタイの王マデュエスは
軍神マルスの原型かもしれない。
最後は酒に溺れて暗殺されるが。
後年アッティラがスキタイの正統な王である、と宣言した根拠とされる
「マルスの剣」はこのマデュエスに由来があるのではないか。 メディアとカルデアがアッシリアを滅ぼしたはず
スキタイやキンメリオイもメディア側に加勢したけど おかしな奴が粘着してるけど
コレの悪影響だろw
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B9_(%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%83%A0%E3%83%96%E3%83%AC%E3%83%A0)
ゲームやアニメはあくまでもファンタジーの世界なんで学問板では脳を切り替えて欲しいものだ
それとも既に脳が侵食されて手遅れなのか? >>335
その与太話の出所はヨルダネスだろ?
歴史学的にも考古学的にも証明されていない 比較考古学の陥り易い危険性を指摘しておきたい
例えば雪嶋宏一は自身の研究ノートで先スキタイ文化分布について青銅製袋型両翼鏃を手掛かりに
論じようと試みているが、東はアルジャン古墳から西はアナトリアまでをカバーするには余りに広範囲であり荒唐無稽である
所属学会を贔屓にしたい気持ちは分からなくもないが歴史の本質と乖離してると言わざるを得ない 例にとれば長年の論争「印欧語族の原郷」について
クルガン仮説VSアナトリア仮説
どちらも間違いではなく源流はひとつとは限らない
個別に発生した萌芽がある時期の偶然の接触によって爆発的に発展するケースも可能性ゼロではない ちょい話かわるけど、クルガン仮説とアナトリア仮説の他にもいくつかあったよね?
他にどんな諸説がありましたか? スキタイとサカ、サウロマタイ、キンメリオイの関係は
今日で言うと米軍とNATO軍の関係みたいなものでしょ
国家?としては個別だけど軍事装備品は共通だという サウロマタイは鎧を着た重装騎兵が多かったという
鱗状の鎧で人も馬も覆われていてトカゲみたいなので
サウルスのようなのでサウロマタイと呼ばれたそうな >>336
メディアはアッシリアに対して集団的自衛権の行使をしたというのか?
平たく言えば「侵略」だよな メディアとアッシリアが戦っている時にスキタイが
火事場泥棒よろしくヒャッハーと奇襲攻撃、
アッシリアは滅亡、メディアはスキタイの属国にさせられた。
メディア王がスキタイ王を酒宴の席で暗殺するまでの28年間、
メディアはスキタイの勝手気ままな税の取立てに苦しめられたという。 スキタイのキンメリアの空き巣狙いの乗っ取りや、
オリエントの戦乱に乗じた火事場泥棒などの手口は
近代のロシア・ソ連にも受け継がれている。 >>348
キンメリオイが黒海北岸に居たという学術的証明はされていない
ヘロドトスの受け売りは止めたら? 最新の研究ではキンメリオイはフルり人と同系統で原郷はコーカサス南部 タウリカ周辺がボスポロス・キンメリオスと呼ばれていたから
キンメリオイは黒海北岸に居たのでは? >>352
あの辺りサバ族はいるんだけど
キンメもいるのかなぁ
黒海は流入する河川の関係で
深いところは死の海なんだが、、、 以下は早稲田大学 雪嶋宏一氏の文章の引用
>そして、アレクセエフ氏は黒海北岸におけるキンメリオイの存在についても疑問を投げかけている。
>というのは、キンメリオイの活動が史料に確実に記録された小アジアで は黒海北岸の先スキタイ時代の遺物は全く検出されておらず、
>発見される資料はいずれも初期スキタイに特徴的な遺物ばかりであるからである。
>もし、独立したキンメリオイの集団を小アジアに認めたならば、彼らが残した遺物はスキタイのものと極めて類似したもので、両者を区別することは事実上困難であるとする。
>それが正しければ、黒海北岸地方でも両者を資料的に区別することはできず、その地でのキンメリオイの存在を独自に証明することは不可能である。
>本来、黒海北岸におけるキンメリオイへのギリシア語史料の言及はいずれも伝説的であり、確実にそこに居住したという史料的根拠はないのである。
>つまり、先スキタイ時代の文化の担い手をキンメイオイとみなすことは不可能ということになるのである(12)。 http://www.amazon.co.jp/スキタイ騎馬遊牧国家の歴史と考古-ユーラシア考古学選書-雪嶋-宏一/dp/4639020368 >最新の研究ではキンメリオイはフルリ人と同系統で原郷はコーカサス南部
キンメリオイ=ウラルトゥなのか? キンメリオイ=マンナエ説
マンナエはスキタイのようなインド=イラン語族との共通性が多く見られるという歴史家もいるが
マンナエはインド=ヨーロッパ語族ではないフルリの一派であったのではないのかとも考えられている
アッシリアの印刷物によればキンメリオス人(Gimirru)はこの頃マンナエの中心である彼らの本拠地
のガミール(Gamir)やウィシュデシュ(Uishdish)から進出してきたとされている
年代記に始めてキンメリオス人が登場するのは紀元前714年であり、彼らはアッシリアがウラルトゥを負かすのに手助けしたとされる キリキア地方のフブシュナ出土の紀元前679年〜676年頃の碑文に
「はるか遠方に居住する蛮族ギミッラの王テウシュバをアッシリア軍が打ち破った」と記録されている
注)ギミッラ=キンメリオイ どうしてヘロドトスは黒海北岸のクリミア半島をキンメリア人の土地と記したのだろう?
そして小アジアのキンメリオイがはるばる黒海北岸からやって来たという伝説を流布したのだろう? ヘロドトスの「歴史」の当時(紀元前400年代半ば)の小アジアを巡る国際情勢に留意する必要があ
ギリシャ世界とアケメネス朝ペルシアの情報戦が背景にあることは明白である
ヘロドトス自身が小アジアのハリカルナッソス出身であることを見落としてはならない ウラルトゥがキンメリアに敗れた、
という情報を受けてアッシリアはウラルトゥへの攻撃を開始し、滅亡させている。
ウラルトゥは南北の挟み討ちにあって抵抗しようが無くなったのだろう。 ガメラ強すぎてワラタww
ギュゲスさんも裸覗いてる場合じゃないですね ちなみにおいらの説でエナレスは
アッティス信仰にかぶれたんじゃないかと思っています コーカサス山脈以北のチェルケス人の祖先はキンメリオイなのだろうか? >>364
すべてはヘロドトスのデマが誤認錯誤の元凶だ
黒海北岸の先スキタイ民族を「キンメリオス」と別種扱いしたところからの齟齬である
北コーカサスでそのスキタイに取って代わったのがマッサゲタイの後裔のアラン人である
チェルケス人の祖先はアラン人とされているのでキンメリオイとは何の関係も無い
そもそも黒海北岸の「キンメリオイ」はヘロドトスの「歴史」から流布した伝説 1860年代のコーカサス戦争の結果、ロシア帝国の征服によりチェルケス人が虐殺され、オスマン帝国領内に追放された事案を
ヘロドトスの「歴史」からの、「スキタイに追われてアナトリアのシノベに逃れたキンメリオイ」の故事になぞらえた政治的プロパガンダなんだよ >>366
「その可能性はゼロではない」としか言えない その可能性は充分高いけど分子人類学的に証明されてはいない アルメニアと言えば
紀元前3700年頃、クラ・アラクセス文化草創期に車輪が使用されていた痕跡が発見されたことで有名であるが
2005年にH.ファヒミ(Fahimi)らによる考古発掘資料調査によりクラ・アラクセス文化の分布がシリアからトル
コ、コーカサス地方、イランまでの広範囲に及ぶ事が明らかになった
イランのタッペ・コリ・ダルビッシュ遺跡を東限としてザグロス山脈をほぼ収める広域に及び原エラムやウバイ
ド文化との繋がりの可能性も指摘されている
言語的には非印欧語族・非セム語族であり、シュメール語、エラム語と母音調和が存在する膠着語能格言語とし
ての共通性も考えられる もしかしたらアルメニアとシュメール文明がつながるかもしれない ウラルトゥと言えば
紀元前3700年頃、クラ・アラクセス文化草創期に車輪が使用されていた痕跡が発見されたことで有名であるが
2005年にH.ファヒミ(Fahimi)らによる考古発掘資料調査によりクラ・アラクセス文化の分布がシリアから
アナトリア、コーカサス地方、イランまでの広範囲に及ぶ事が明らかになった
イランのタッペ・コリ・ダルビッシュ遺跡を東限としてザグロス山脈をほぼ収める広域に及び
原エラムやウバイド文化との繋がりの可能性も指摘されている
言語的には非印欧語族・非セム語族であり、シュメール語、エラム語と母音調和が存在する
膠着語能格言語としての共通性も考えられる
もしかしたらウラルトゥとシュメール文明がつながるかもしれない 孤立した言語といわれるコーカサス諸語北東コーカサス語派に属するラク語は
膠着語能格言語に分類され、日本語との親和性も指摘されている
安土桃山時代にわが国に伝来し落語として庶民に親しまれ今日に至っている >>375
♪そんなの〜常〜識〜♪パッパパラリラ♪ピーヒャラピーヒャラ〜 原アーリア人の中でもギリシャやイタリアに行ったヤツらは相当
早くから移動したんじゃないの? 紀元前3400年頃、中央ヨーロッパに侵入した球状アンフォラ文化の担い手である印欧祖語話者のうち
サテム語化しなかったグループが紀元前2300年頃、南下を開始した
南に西へ拡大した連中がビーカー民であり後のイタリック語派を形成、バルカン半島を南下した連中が
ヘレニック祖語話者である原ギリシャ人 ウラルトゥを攻撃したのがキンメリアではなくてスキタイだった、というなら
キンメリアの本拠がカフカース以北ではなくキリキア辺りだった、と言うのも成り立つ。 キンメリオイの移動はスキタイとは関係ない
紀元前1200年代に南コーカサスからアルメニア高原一帯に、「ウルアトリ(Uruatri)」と
アッシリアから呼ばれるフルリ人集団が居住していた
紀元前9世紀にその中の有力部族がウラルトゥ王国を形成すると、他の部族ギミッラ(=キンメリオイ)は
アラクセス川(※ヴォルガ川ではない)を渡河南下しウラルトゥの東を回り込みウルミエ湖南方のアッシリアとの
緩衝地帯すなわちマンナエに最初の根拠地を置いたのである
そして西方拡大をして紀元前700年代初頭にはキリキアまで勢力範囲に収めアナトリア中西部のフリギュアを滅亡に
追い込むなどアナトリアで猛威を振るうこととなる キンメリオイの移動はスキタイとは関係ない
紀元前1200年代に南コーカサスからアルメニア高原一帯に、「ウルアトリ(Uruatri)」と
アッシリアから呼ばれるフルリ人集団が居住していた
紀元前9世紀にその中の有力部族がウラルトゥ王国を形成すると、他の部族ギミッラ(=キンメリオイ)は
アラクセス川(※ヴォルガ川ではない)を渡河南下しウラルトゥの東を回り込みウルミエ湖南方のアッシリアとの
緩衝地帯すなわちマンナエに最初の根拠地を置いたのである
そして西方拡大をして紀元前700年代初頭にはキリキアまで勢力範囲に収めアナトリア中西部のフリギュアを滅亡に
追い込むなどアナトリアで猛威を振るうこととなる >>384>>386
具体的に反論してみたまえ(嘲笑) >>388
【アーリア人2】のスレ主です。
スレを伸ばしたいが為に皆様に大変なご迷惑をお掛けしたことをお詫び致します
本当にゴメンナサイ。 ウラルトゥ → アルメニア
マンナエ → アトロパテネ → アゼルバイジャン
アッシリア → クルディスタン
キンメリオイ=アルメニア人
アシュクザイ=クルド人 言うまでもなく同一人物なわけはないw
フランス王ルイとか東ローマ帝コンスタンティヌス
のように同じ名が何度も使われたのかもしれない >>398
毎回同じセリフで目障りだから
消えてくれないか? キンメリオイの移動はスキタイとは関係ない
紀元前1200年代に南コーカサスからアルメニア高原一帯に、「ウルアトリ(Uruatri)」と
アッシリアから呼ばれるフルリ人集団が居住していた
紀元前9世紀にその中の有力部族がウラルトゥ王国を形成すると、他の部族ギミッラ(=キンメリオイ)は
アラクセス川(※ヴォルガ川ではない)を渡河南下しウラルトゥの東を回り込みウルミエ湖南方のアッシリアとの
緩衝地帯すなわちマンナエに最初の根拠地を置いたのである
そして西方拡大をして紀元前700年代初頭にはキリキアまで勢力範囲に収めアナトリア中西部のフリギュアを滅亡に
追い込むなどアナトリアで猛威を振るうこととなる アーリア人2の過去レスを検証してみたけど
既出の投稿のコピーや単発の脳髄反射レスばかりで埋め尽くされている
低レベルなゴミスレだった・・・ マンナエ地方に遊牧民の痕跡ってあるのか?
遊牧民の遺跡は概ねカフカース山脈以北から出土していると思った。 「アーリア人」ってワードが基地外ホイホイの機能を果たして
>>405 みたいな奴を吸い寄せたんだろうな
まともな学術的議論も出来ない学問不適格者w それで言えば、このスレタイにも余計でしょ
アンドロノヴォ文化だけでわかる奴には分かるんだし 【アーリア人2】のスレ主です。
スレを伸ばしたいが為に皆様に大変なご迷惑をお掛けしたことをお詫び致します
本当にゴメンナサイ。 印欧祖語の基層言語をウラル祖語と仮定した場合、
ウラル祖語の誕生の地が南シベリアから中国東北部の遼河文明(紀元前7000年〜6000年)を東限とする範囲が想定される
分子人類学の立場から、ウラル祖語話者のY染色体ハプログループN1の古いパラグループが遼河文明時代の人骨から
70%以上の高頻度で観察されたことにより、その原郷は遼河文明の地域が有力とされる
遼河文明はわが国の縄文文化と土器、ヒスイ、黒曜石の細石器などの共通性が認識されている
印欧祖語がウラル祖語からの直接の分岐でない(言語接触など)であったとしても
飛躍的に解釈すれば印欧祖語は縄文人の言語(古日本語)との関連性は否定出来ない
印欧祖語とウラル祖語を包括するインド・ウラル語族の存在が想定されているからである >>407
ウルミエ湖周辺のマンナエはウラルトゥからもアッシリアからも良馬の産地と見なされていたみたいだね
遊牧ではなく移牧と言うらしい >>413
おいらも遼河文明には注目してるんですよね
しかしそっちの説でくるとは思わなかったですww >>416
またお前か
お前は学問不適格者だから巣に戻ってくれ ウラル祖語の原郷が遼河文明だとしたら
後の印欧祖語話者となる人々との言語接触はどこで起こったのだろう
定説通り西シベリア平原のどこかなのか?
さらには、後の印欧祖語話者となる人々とは
コーカサス祖語話者なのか?
あるいはシュメール・ドラヴィダ語話者なのか? 紀元前7世紀くらいになるとアッシリアも騎兵を編成しているから
キンメリアの優位もそれほどではなくなっていたのではないか? 紀元前672年頃、アッシリア王エサル八ッドンは娘をスキタイ王バルタトゥアに降嫁させて
自身の護衛を約束させている
スキタイの軍事顧問がアッシリアの騎兵の編成を指導したんだろう 最新の語彙統計学的研究の成果から推測すると以下のような仮説も成り立つ
先ず、紀元前7千年紀頃、膠着語能格言語であるコーカサス祖語(後のクラ・アラクセス文化を形成する)から何らかの事情で屈折語である原印欧祖語が誕生し、
その残留組から後のヒッタイト語などのアナトリア語派が発生し、一方でコーカサス北嶺に移動した原印欧祖語話者から後のマイコープ文化につながる人々が出現したのだろう
そして紀元前五千年紀頃までに西シベリア大平原に移動した原印欧祖語と西進したウラル祖語(遼河文明発祥の膠着語対格言語)とがミヌシンスク盆地で言語接触を起こした結果、
トカラ語派を含む屈折語対格言語である印欧祖語が誕生したのだろう
紀元前3500年頃に始まるアファナシェヴォ文化は印欧祖語初期段階に分岐したとされるトカラ語派話者の文化である可能性は高い 最新の語彙統計学的研究の成果から推測すると以下のような仮説も成り立つ
先ず、紀元前7千年紀頃、膠着語能格言語であるコーカサス祖語(後のクラ・アラクセス文化を形成する)から何らかの事情で屈折語である原印欧祖語が誕生し、
その残留組から後のヒッタイト語などのアナトリア語派が発生し、一方でコーカサス北嶺に移動した原印欧祖語話者から後のマイコープ文化につながる人々が出現したのだろう
そして紀元前五千年紀頃までに西シベリア大平原に移動した原印欧祖語と西進したウラル祖語(遼河文明発祥の膠着語対格言語)とがミヌシンスク盆地で言語接触を起こした結果、
トカラ語派を含む屈折語対格言語である印欧祖語が誕生したのだろう
紀元前3500年頃に始まるアファナシェヴォ文化は印欧祖語初期段階に分岐したとされるトカラ語派話者の文化である可能性は高い アナトリア仮説派が強硬に主張するのは宗教原理主義が背景にあると見て良いな
天地創造論者にとってアララト山はサンクチュアリなんだろう
印欧語族成立の時期を正教会では西暦で言うところの紀元前5508年のことだとしており、
これを元年とした「世界創造紀元」を用いていたことが基準になっているからだ 抑圧・迫害されてきたユダヤ人もその意味では勝者だったんだな。 >>432
低脳スレの住人が嫉妬のあまり発狂したか・・・ ユダヤ人はアフロ・アジア系でラテンたゲルマン、スラヴは印欧系 俺は>>344で「ま〜たそういうデマを…」と最初に書いた者だが
俺はその一回しか書いてない。
それ以降のは誰かがコピペしてるんで、俺の仕業ではない。
ところで、>>343は信憑性のある話なんですか? >>439
おいら調べによると
これは勿論根拠がない
ということだそうな
むしろ「さるまた」が
「サルマタエ」が騎乗の際に使った下着からきている
というのはどうだろうか? スレの趣旨とは外れるかもしれないけど
直近のヨーロッパにおける移民問題についての所感
古来より西ヨーロッパはメキシコ湾暖流による西岸海洋性気候、地中海性気候などで
農耕牧畜に適した「恵まれた土地」として幾多の人種、民族が移住・征服を繰り返してきた
北アフリカ・中東からの違法難民は視点を変えれば「生存権の行使」に過ぎない
「アフロ・アジア系のヨーロッパ人」は巨石文化の担い手と目される紀元前3000年頃のイベリア人を始め
先欧州人のマジョリティであったわけであり「自然な回帰現象」と考えても差し支えない イベリア人の子孫はバスク人だろ
アフロ・アジア系とは全然無関係な言語の話者
あえてそこでアフロ・アジア系を引き合いに出すならカルタゴやウマイヤ朝が適切 >>442
何をいまさら
通説なんてデマそのものだし、定説は集団催眠
歴史はその集合体に過ぎないw >イベリア人の子孫はバスク人だろ
バスク人のルーツは意外に新しいって聞いたことがある
ケルト化されなかった西アジアにルーツを持つ元来のR1b言語話者 /:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ
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http://y2u.be/z2qK2lhk9O0 >イベリア人の子孫はバスク人だろ
バスク人のルーツは意外に新しいって聞いたことがある
ケルト化されなかった西アジアにルーツを持つ元来のR1b言語話者 文化史、言語史の定説もデマそのものだw
例えば、フランス語における「オイル語」と「オック語」の分類
政治的な背景で、つい20年程前まで公式にフランス語の方言の違いとされ日本の大学でもそう教えられてきた
現在では全く別系統の言語であるとの真実が明白化している
文学部フランス語学科学士の俺が言うから間違いないw 昔、マドリードに滞在してた時
街中で治安警察部隊が自動小銃を装備してバスク分離派のテロを警戒してたな
あとフランス国内ではブルトン人が抑圧されてたな
ケルト由来のブルトン語を常用する彼らはカナダ・ケベック州に集団移住して一大コミュニティを築いている
ヨーロッパの自由・博愛・平等なんてまやかしさw >>443
>アフロ・アジア系とは無関係
じゃあイベリア人はどんな言語の話者だったのか?
当然、印欧語族ではないからな
エラそうに言うなら答えてみろやw >>443
>アフロ・アジア系とは無関係
じゃあイベリア人はどんな言語の話者だったのか?
当然、印欧語族ではないからな
エラそうに言うなら答えてみろやw エラそうに答えてみろやと言った事を謝れやw
https://en.wikipedia.org/wiki/Iberian_language
文字記録も残されていて
当然アフロ・アジア系ではないからな
能格言語かつ後置詞言語という点でバスク語と文法は一致している
バスク語とイベリア語の共通している語彙に関しては単なる借用なのか同一の語族なのか統一した見解がない
つまり少なくともモンゴル語とテュルク語を合わせてアルタイ系と言うくらいかそれ以上に近い関係がバスク語とイベリア語との間にはあるということは確定済みだ
よいな 線文字時代のギリシャは印欧系なのか?アフロ・アジアっぽいんだが。 >>458
お前 真正の馬鹿だろ?
だれも言語比較しろとは言ってねーよ
>じゃあイベリア人はどんな言語の話者だったのか?
命題に従って出直して来やがれ ひょっとこw >>458
こいつは英語すら読みこなせないのに
https://en.wikipedia.org/wiki/Iberian_language を貼り付けてドヤ顔(爆笑)
これによると、イベリア語の碑文例は紀元前4世紀から紀元後1世紀
巨石文化と時代が違うだろ(冷笑)
はったりは通じねーぜw >>460-461
×(冷笑)
○(顔面キムチレッド)
日本語は正しく使おうね♪
イベリア人の言語であるという点で正解であり、これを否定し巨石文化とやらとまったく異なるという証拠をアフロキチガイが提示する義務があるのである
イベリア人は間違ってもアフロ・アジア系ではないよ♪自分の過ちはちゃんとみとめようね♪ >>458
こいつは英語すら読みこなせないのに
https://en.wikipedia.org/wiki/Iberian_language を貼り付けてドヤ顔(爆笑)
これによると、イベリア語の碑文例は紀元前4世紀から紀元後1世紀
巨石文化と時代が違うだろ(冷笑)
はったりは通じねーぜw >>463は>>441で「「アフロ・アジア系のヨーロッパ人」は巨石文化の担い手と目される紀元前3000年頃のイベリア人を始め
先欧州人のマジョリティであった」などとデムパをふかしているが
その証拠を提示する必要がある(正論) 441 :世界@名無史さん:2015/09/01(火) 07:38:09.50 0スレの趣旨とは外れるかもしれないけど
直近のヨーロッパにおける移民問題についての所感
古来より西ヨーロッパはメキシコ湾暖流による西岸海洋性気候、地中海性気候などで
農耕牧畜に適した「恵まれた土地」として幾多の人種、民族が移住・征服を繰り返してきた
北アフリカ・中東からの違法難民は視点を変えれば「生存権の行使」に過ぎない
「アフロ・アジア系のヨーロッパ人」は巨石文化の担い手と目される紀元前3000年頃のイベリア人を始め
先欧州人のマジョリティであったわけであり「自然な回帰現象」と考えても差し支えない
以上のの文脈により
それにキムチになってエラそうに返答する>>443は英語はおろか日本語さえも読めない(笑) 先史のイベリア人と古代の「イベリア人」とが異なる言語話者であるという妄想が事実であるとすれば
紀元前3000年頃にイベリア半島に住んでいた人種を指してイベリア人と呼ぶのは間違いではないかね? エラそうにふるまう>>464は赤っ恥(( ´,_ゝ`)プッ >>465が顔面キムチレッドにしてお得意の連呼を始めました
ご覧ください2ちゃんねるの皆さま、これがヒトモドキです 531 名前:世界@名無史さん :2015/09/05(土) 13:11:22.28 0チョンレベルであることには変わりない >>466
縄文人は日本人じゃないのか?
(縄文早期と縄文晩期とでさえ人種も言語も同じとは言い切れまい) >>473
縄文人には複数の言語があったとみられているが
その中に朝鮮語や漢語があった証拠(共通する文化圏の存在)はない >>458
こいつは英語すら読みこなせないのに
https://en.wikipedia.org/wiki/Iberian_language を貼り付けてドヤ顔(爆笑)
これによると、イベリア語の碑文例は紀元前4世紀から紀元後1世紀
巨石文化と時代が違うだろ(冷笑)
はったりは通じねーぜw >>476
こいつは英語すら読みこなせないのに
https://en.wikipedia.org/wiki/Iberian_language を貼り付けてドヤ顔(爆笑)
これによると、イベリア語の碑文例は紀元前4世紀から紀元後1世紀
巨石文化と時代が違うだろ(冷笑)
はったりは通じねーぜw >>476
こいぃちゅは英語しゅら読みこにゃせにゃいぃのぉおおに
https://en.wikipedia.org/wiki/Iberian_language を貼り付けてドヤ顔(爆笑)
これによると、イベリア語のぉおお碑文例は紀元前4世紀から紀元後1世紀
巨石文化と時代が違うらろ(冷笑) お、いつの間にかここもクソスレ終了まであと一歩になってたか 例えば縄文文化の一貫性についての疑問だが
鬼界カルデラの破局噴火により縄文早期の上野原遺跡は壊滅したことが明らかになっている
プラント・オパールの解析によりオーストラロイド系(台湾が原郷?)とされる港川人の系統は絶滅しているのだ
紀元前5000年紀から縄文中期まで九州・西日本は無人地帯であった
縄文後期に現れる西日本人は北海道・北日本系統のオホーツク系(広義のウラル系)である
従って、縄文人においても言語・人種の入れ替えが生じている
原ヨーロッパ人における巨石文化の古イベリア人とグレコ=ローマン期のイベリア人を同列に論ずる神経はナンセンス だからと言ってアフロ・アジア人であるなどという迷妄を吐いてはならない
よいな バスク人とグアンチェ族はともにクロマニョン人直系だと言われていた バスク人の居住地ピレネー山脈とコーカサス諸語のカフカス山脈はともに
険しい自然環境により外部から程よく隔絶されている
偶然にも、Y染色体ハプログループR1bの保持率が高いことも共通している
なんでだろう? 重要なことであるが、Y染色体ハプログループR1bの出現率が非常に高い地域がある
ニジェール、チャド、カメルーンなどに分布するアフロ・アジア語族のチャド諸語話者の居住地域である
R1bは7000年前までにレバントからチャド湖平原に到達したと考えられる
そしてチャド諸語話者の原郷は現在のスーダンあたりと考えられている
エジプト上下古王国もスーダンあたりからやって来たことが確認されている 人類の移動は意外と素早い
今朝のNHKBSでアフガニスタンからドイツに到達した難民は主に徒歩であるにも関わらず
僅か数か月しか要していない
紀元前4000年頃であっても砂漠化から逃れるサハラ遺民がジブラルタル海峡を渡ってブリテン島まで
到達するのに数年あれば十分である サハラ移民が俺たちはブリテン島に行かなきゃいけないと目標を持って移動しているのか ブリテン島は鉱物資源の宝庫だからね
新石器時代を代表する石刃細石器の原料やフリントロックの産地だからね
後にはコーンウォールは世界的な錫鉱石鉱山で有名になる アフロ・アジア語族ってグリーンバーグ君のやんちゃなのに、
たまに印欧語族なみの定説のような扱いうけてるよな
絶対に突っ込んじゃいけないみたいなダウンタウンの年末番組みたいな規格なの? アフロ・アジア語族とデネ・エニセイ語族とどっちが確実にありえるん? >>504
おい知恵遅れ
自分が読めもしないソース貼って何が楽しい? イエス=キリストはアラム語話者であり、キリスト教徒はアフロ・アジア系が正統であるべきで
印欧語族話者のキリスト教は異端! ペルシャと対峙していたローマ帝国はゾロアスター教の流れを汲むミトラ教の排除の為にキリスト教をこしらえた 初期ローマ教会はケルト人、ゲルマン人への布教に腐心したらしい
天使ミカエルを聖霊信仰に結び付け、マリアを地母神信仰に結び付け、偶像の禁を解いてしまった
だからローマ教会が魔女狩り、異端審問、宗教裁判をしなければならなくなったのは必然 ISが爆破したパルミラ遺跡は彼らにとって相当気分が悪かったのだろう スレの文脈の流れを考えてカキコ出来ずに
自分が読めもしない英語版wikiの時代があさってなイベリア人ソースを貼って赤っ恥w
逃げてないで出て来いよ ____
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|ノ (∵∴∪( o o)∴)
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と思うキモヲタであった 自分が読めもしない英語ソース貼ってドヤ顔(( ´,_ゝ`)プッ >>514
안녕하세요
일본에서 가장 인기 AV 여배우는 누구입니까? 自分が読めもしない英語ソース貼ってドヤ顔(( ´,_ゝ`)プッ Bu barədə Azərbaycanın Los Ancelesdəki Baş Konsulluğundan bildirilib. Bu, "Arşın mal alan" filminin Hollivudda ilk premyerası olacaq. 자신이 읽을도하지 영어 소스 붙여 도야 얼굴 (( '_ ゝ`) 푹 自分が読めもしない英語ソース貼ってドヤ顔(( ´,_ゝ`)プッ >>519
自分が読めもしない英語ソース貼ってドヤ顔(( ´,_ゝ`)プッ >>519
自分が読めもしない英語ソース貼ってドヤ顔(( ´,_ゝ`)プッ National Socialist Aryan League >>522
自分が読めもしない英語ソース貼ってドヤ顔(( ´,_ゝ`)プッ >>525
自分が読めもしない英語ソース貼ってドヤ顔(( ´,_ゝ`)プッ 20世紀初頭の頃、考古学発掘は貴族や富豪にとって高尚な趣味として紳士の嗜みのひとつであったらしい
イアン・モリスが著書でそう述べている 植民地支配を正当化する白人優越主義が背景にあるんだよね >日本は略奪した民族の遺産を返還せよ!
在日を引き取ってくれるのですか? イエメンって内戦で荒廃しまくってるけど
20世前半ばまでは中東の先進国だったんだよな
石油が出るまでサウジアラビアなど湾岸諸国は烏合の衆でイエメンとヨルダンが
貿易基地として古来から繁栄していたんだよな >>496>>497
おいら調べによると
戦車で北アフリカをひゃっはーした
砂漠の狐と呼ばれる部族がいたらしいです >>534
アラビア半島で緑がそこそこあるのはイエメンぐらいでしょう >>534 今も昔も貧しいモーリタニア
でも人口の4割の黒人に貧しさを押し付けて、アラブ系はそれなりに豊かなのかな 中東の人たちがヒャッハーするのは伝統芸能だね
昔は二輪馬車で今はTOYOTAが定番らしい
https://www.youtube.com/watch?v=64F26sbqDk4 今回のような河川氾濫は過去にも世界中であったと思う
アムダリアやシルダリアにもあったに違いない
原アーリア人たちはその災難を避けることができたのだろうか?
先生オセーテ >>541
古代メソポタミアの軍神たちは
その武威を洪水をもって讃えられたらしいです >>539
巡り巡って4輪戦車に戻るとは
歴史とはわからないものですねぇ
またセグウェイ的な二輪戦車に戻る日がくるかもしれません、、、 ウムウルさん、いきなりでなんですが数学1をわかりやすく教えてくれる
おすすめの書籍はないでしょうか・・・・? >>544
おいらニート出身なので
数学1というのがよくわからないのですよ
お力になれず申し訳ありません
それっぽいスレで雑談に付き合うことはできますが、、、
数・記号の文明史 [転載禁止](c)2ch.net
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/whis/1421343902/352 ゾロアスター教の成り立ちを調べてみると原アーリア人の全部鏃がヒャッハーしていた訳じゃないみたいだ
インドラ神を信仰する後のインド・アーリア系のソーマやハオマで酩酊した独身男性集団の結社の仕業が中心だったみたいだね
イラン・アーリア系のザラスシュトラは非道なインドラを悪神とみなし善なる神アフラ・マズダー信仰の布教を説いたんだよね >>545俺と同じじゃないですか。数学を知らないと歴史をまったく知ることが
できないと思ったので高校数学をいまさらながらちょっとかじろうかな・・と。 おいらアンドォノブォさんの仲間達は
幾何が得意だったと想定してるんですよね
>>547
数学Tと数学Uは歴史的変遷が凄すぎてよくわからなかったのですが
中学校数学学習サイト
http://math.005net.com/youten.php
これを見た感じだと、取り合えずこれで十分なんじゃないでしょうか
これにあえて付け加えるなら三角関数ぐらいで >>549
アンドォノブォさんの仲間達はどこの大学? >>550
おいら調べによるとブリタニアに
ドルイデス大学があったという伝承があるそうです さて、みんなも疲れているようなので
おいらが気になる他民族国家にして金羊毛の産地
黒海沿岸のコルキスについて
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%B9
ギリシア神話の中では、アイエーテースやメーデイアの母国にして、アルゴナウタイの目的地で、
また、アマゾーン族のいた土地もここだろうと言われている。
歴史
最初期
この地域は、十分な発達を遂げた青銅器文明の中心地であった。
少なくともコルキスの一部では、都市化のプロセスは、古代ギリシアの植民以前、紀元前2000年の終わり頃までには、十分に進んでいたように見られる。
青銅器時代後期(紀元前15世紀?紀元前8世紀)のコルキス人は、ヨーロッパでその技術が習得されるずっと以前に、金属の製錬と鋳造を始め、その専門技術の発達ぶりが確認できる。
洗練された農具も作られた。過ごしやすい風土に恵まれた、肥沃でよく灌漑された低地が、進歩的な農耕技術の成長を促進したのである。
コルキスには、主に黒海沿岸に、それぞれ関係はあるものの別個の部族が定住した。
具体的には、Machelones、Heniochi、Zydretae、Lazi、Tibareni、Mossynoeci、Macrones、Moschi、Marres、
Apsilae(現代のアブハズ語を喋っていたかも知れない)、
Sanigae(現代のアバザ語を喋っていたかも知れない)、Coraxi、Coli、Melanchlaeni、Geloni、そしてSoani(Suani)族である。
これらの部族は言語的にも外見上も、周辺諸国とは異なっていて、古代人はこの現象を説明するのに、さまざまな理屈を考えた。
ヘロドトスは、エジプト人やエチオピア人と同様、彼らは最初に割礼を実施した人々であると述べた。
またスキタイとトラキアを征服したファラオ・セソーストリス(英語版)の軍隊の残存者から生じたとも信じていて、彼らをエジプト人だと見なしており、シケリアのディオドロスも類似の伝説を伝えている。
このセソーストリスはセンウセレト3世(英語版)(紀元前1878年 - 紀元前1841年)とかラムセス2世ではないかと考えられている。
一方、ロドスのアポローニオスは、コルキスのエジプト人は先祖伝来の家宝として、相当の装身具と一緒に、海や交通路を描いた多くの木製の写字板を保存していたと言った。 国家北岸までセム系が及んでいた、というのは初耳。
セム系の北上はコーカサス山脈止まりだと思っていた。 デウス=ラテン
ゼウス=ギリシャ
ディヤウス=インド
ディーヴァ=インド・サンスクリット
ダエーワ=イラン
帝(帝は殷の神の呼び名で中国語ではデイと発音、デイと言えばこじつけに近いがデウスの男性複数形(男神たち)のデイと同じ )=中国
ユピテル(ジュピター)=ローマ
テュール=北欧
これらは同一の神をさすと思うが。中国の帝(デイ)だけは個人的なこじつけです。
発音はソックリで帝は天帝とも上帝とも呼ばれて天空神と同じ存在に見えるけど
ただ一つだけモンゴロイドなので除外した方がいいかもしれません。
他は全てコーカソイドでモンゴロイドはたった一つなので発音や神の立場が似ているのはたまたまかもしれませんしね。 デウスは男性単数形
デイはその男性複数形(男神たち)
古代中国で神は帝と書かれていたが日本語ではミカド、テイだが中国語ではデイと
デウスの男性複数形と同じ発音である。だがこれは偶然の一致に過ぎない。インド・ヨーロッパ語族と
シナ・チベット語族は全く違う言語なのだ。そして>>557の帝以外のデウスからテュールまでは
全員コーカソイド、帝を神と崇めた殷人は唯一のモンゴロイド
帝は天帝や上帝と「天」や「上」と言う文字も付いており立場上はデウスやディヤウスと同じく天空神だが
単なる他人の空似に過ぎないだろう。というわけで>>557に帝を加えたのは私個人のこじつけで無理やり感アリアリですw 古代中国やアジアでは神と天(≒テングリ)て違うのか? >>559
神は英語で言えば「SPIRIT」に相当
天は「GOD」に相当
キリスト教の「主」を「神」と訳したのは大間違いだった。
「天主」というもっと正確な訳語もあるのに「神」のほうが普及してしまった。 古代中国の人物名や文物は日本語読みよりも現地の中国語読みの方が色々と興味深いね
確かに帝=ディでデウス等と通じる所がある
洪水神話に出て来る女カも向こうでは「ヌワー」と発音するからノアの箱舟の「ノア」に
似ている。
でもまあこういうのはよくある話でたまたま似ただけだろうね。
日本の山田さんとアフガニスタンのヤマダーエフさんは名前が似ているだけで全然関係ないしなw
でも一度は夏王朝の首都を占拠した后ゲイはBMACを滅ぼしたと思われるアンドロノブォの一派だとは思うけどね
后ゲイはコーカソイドで夏人は新モンゴロイド。結局は新モンゴロイドの夏が巻き返して今日に至ると。 文字で思い出すのは甲骨文字とギリシャの線文字Aがソックリな点は見逃せないが
これもあまりにも遠く離れすぎて居て関係は多分ない。
無理やり関係あると当てはめるならヒッタイトの前の未解読なハッティ絵文字から分かれて東西に広がったと
見なすことは出来るが無理ありすぎだ。まあ似ているだけどおそらく無関係。
エジプト、メソポタミア、インダス、エーゲ、エラム、BMACは互いに行き来してただろうけど
中原の黄河とは繋がってたとは思えないし。 >>563
おかげでコーカソイドとモンゴロイドがしばらく交流しなかったので別形態の人間に
それぞれ分化していった
歴史時代になると交流は出来ただろうけど少数の商人とかが行き来しただけだろうね
遊牧民の馬に乗せてもらってさ >>561
女&#23207;は上古漢語ではナ・クロールみたいに発音するんやで
ノアとは全く関係ない
北京語ですらない変に訛った発音で読むなや 黄河でもチグリス・ユーフラテス河でもそれぞれ大洪水があっただろうからね
大河川とかがないところの洪水伝説はよそからの伝承だろうね 洪水伝説のルーツは氷河期終了時の大海進だという説もあるけれど
これも東シナ海とペルシャ湾でそれぞれあった事だとされる >これも東シナ海とペルシャ湾でそれぞれあった事だとされる
それだとゾロアスター教に全然大洪水の伝承が出てこないのがおかしい ハッティ象形文字(ヒッタイト象形文字)
は現地のアナトリアでは廃れてヒッタイト楔形文字に置き換わったが
クレタ島に伝わってそこで線文字Aに発展
更に黄河に伝わってそこで甲骨文字に発展
これなら線文字Aと甲骨文字の原点が同じなので両者が似ているのも不自然では無い
問題はクレタ島はともかく黄河までハッティ人(ないしはヒッタイト人が)到達できたかどうか
鉄の伝播と共に文字の概念もやってきたかもしれない ハッティ象形文字(ヒッタイト象形文字) は絵文字としてみるなら完成度が非常に高い
後はこれを線状の形状に置き換えて簡略化すれば表意文字として発展できる ヒッタイトからアンドロノブォを通して半農半牧の殷人に文字、鉄、スポーク付き車輪の戦車、ディヤウス(神)の概念(帝=ディでラテン語で神々と言う意味)
が伝わり農耕民の夏を圧倒するに至ったのではなかろうか?
ヒッタイトからBMACを中継点にしてさ
モンゴロイドだけど殷人は大酒飲みでヒャッハーな所はアンドロノブォの影響が大きい気がする。
殷墟で発見されたスポーク付き戦車の形状はアンドロノブォで使用されている物と同じだし。 >>272
正統アンドォノブォ出身の力士を発見しましたので
そのうちご報告させて頂きます >>573
彼らは後に、伝統に則った戦いの儀式を行ったせいで
角界を追放になるのだが、、、
「ソスラン」は岩から生まれた太陽神>>376
「バトラズ」は聖杯の守護者で鋼鉄の身体を持つという
http://www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium&illust_id=49531559
とても伝統ある本名を持っているらしいww
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%88%E5%8F%99%E4%BA%8B%E8%A9%A9
露鵬幸生 「ソスラン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%B2%E9%B5%AC%E5%B9%B8%E7%94%9F
露鵬 幸生は、ロシア連邦北オセチア・アラニヤ共和国ウラジカフカス市出身で
大嶽部屋(入門時は大鵬部屋)に所属していた元大相撲力士。
本名は、ソスラン・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ
白露山佑太 「バトラズ」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%9C%B2%E5%B1%B1%E4%BD%91%E5%A4%AA
白露山 佑太は、ロシア連邦北オセチア・アラニヤ共和国ウラジカフカス市出身で
北の湖部屋(入門時は二十山部屋)所属の元大相撲力士。
本名はバトラズ・フェーリクソヴィッチ・ボラーゾフ バクトリア=大夏
こっちは夏王朝となんか関係あるのかね?中原の文化は西方からやって来た事を暗示しているとか 中世のチベット系タングート族の西夏も正式には大夏
古代の大夏はバクトリアそのものではなく
バクトリアへ移住した大月氏の事では?
中原から北西の
オルドスから甘粛にかけての地域が
夏だったのでは? >>306
親指の人と、どっちが先なのだろうか、、、
しかもミッションコンプリートしてたら暗黒時代がww
http://blog.goo.ne.jp/yanzaga/e/4eaa37e83f3c8effdc01dfecef29fe16
親指はモンゴル語で「エルヒー」と言いますが、意味的に「男の指」となるでしょうか。または、次の伝説があります。
とても優秀な射手がいました。名は「エルヒー・メルゲン」(メルゲンは狙ったものは命中する優秀な射手という意味)。
ある時、7つの太陽が地球を照らすようになり、地球はひどい干ばつになりました。
そこでエルヒーメルゲンはその7つの太陽を7つとも射落とすと宣言し、
もしできなかったら、親指を切り落として地下に住むものになると誓いました。
そして6つは射落としたのだが、7つ目は逃してしまいました。
誓いを守らなければいけないので、弓をを射るために一番重要な親指を切り落として、
地下へもぐり、フレリードッグになってしまいました。 >>575
お馬鹿だった幽王がホウジに耽溺し、廃王妃の父であった申侯はすぐ犬戎と共謀して幽王
を攻め、首都を陥落させた・・とされてるわけだが、
犬戎がカラスク人だったら当時から優秀な通訳でもいたのかね? 犬戎はスキタイ系・フン系どっちだったんだろうか
ここではフンって書かれている
771 BC Huns (Ch. Jungs戎) invasion of Zhou China. Zhou capital Hao falls
http://s155239215.onlinehome.us/turkic/70_Dateline/71_Huns/hun_dateline_1_En.htm >>586
遺伝子というよりは白人的な容貌を守るため
インドアーリア人も同じ 義朝の肖像と月氏wwwそういえば似てるなwwwww
つか、ブサイクすぎだよ、頼朝の肖像と比べて(足利直義かどうかはおいといて)www アンドロノヴォ文化の担い手がタリム盆地に侵入したのはBC2000年頃か >>595
そのころ楼蘭に居たのはコーカソイドだから関係ありそう 文明の担い手はコーカソイドに多いですね
モンゴロイドの文明はないの? マヤ文明
アステカ文明
インカ文明
東南アジアの文明 黄河文明と長江文明は完全にモンゴロイドの文明
マヤ文明とインカ文明とアステカ文明の担い手はインディオと呼ばれるネイティブアメリカンだが
彼らは本当にモンゴロイドと言ってもいいのだろうか?
東アジア人のみならず東南アジア人とも風貌が違いすぎるんだが ミノア文明や古代エジプト文明の担い手である初期地中海人は褐色の肌で
少なくともコーカソイドではない。
メソポタミアもインダスもコーカソイドではない。 ビンラディンもファイサルもアサドもカダフィもフセインもハメネイもコーカソイドなんだが シュメール文明やハラッパーの民がドラヴィダ人の可能性があるというだけで特定されたわけではない >>602
初期地中海人って何?
ミノア文明の担い手は古代エジプト人と同系統でスーダンあたりに居住していたレバントからペルシャ湾に源流を持つY染色体ハプロタイプR1bの人々 ムガール帝国の皇帝は、彫りの深い顔であった
間違ってもモンゴル系の朝青龍顔じゃない スレ主ですがアンドロノブォ文化と関係あればOKです アウラングゼーブはビンラディンによく似ている 肖像画 >>603
混血がすすんでるからコーカソイドの血が入ってるという意味なら可だが
セム系そのものはコーカソイドではないよ >>607
それに対してフビライハンとか完全に朝青龍顔だよな、当たり前だけどさ セム系言語を話す民族集団を構成する人種は混血を除いてはコーカソイドではない 俺なんか最初朝青龍見たとき、真っ先にチンギスの顔を彷彿としたはw >>617
スレ立てした者にしか分らない暗号を埋め込んであるんだけどね( ´,_ゝ`)プッ >>223
もうひとり弓のティールっていうのがいそうな感じなんだけど
月名でしかみつからないので、どうなんだろうか >>620 セム諸語を話す黒人がたくさんいる
613が「セム系言語を話す民族集団を構成する人種は混血を除いてはコーカソイドではない」なんていうから
通説(アラビア半島→アビシニア高原)と逆のことでも考えてるのかなって セム祖語は紀元前3000年代には既に存在していたと考えられ
その話者は文献に残る最古の記録として、およそ紀元前23世紀のアッカド人にまでさかのぼる
アッカド人がアラビア半島を起源としているだろうと考えられるが、その原郷がエチオピアであるかどうかは推論の域を出ない 朝青龍顔厨とか遺伝子厨は世界史板に咲く徒花みたいなもんだろw 朝青龍とチョン・テセは典型的なモンゴル顔だからネタにされやすいな 最初にこのネタを思いついたやつは、センスがある人間だと思う
一方で使い古されたこのネタを何年も引っ張るのは、現実でも話が面白くないやつだろうな >>624
エチオピア人は出アフリカした集団のなかで再度アフリカ侵入したものが先祖ジャマイカ 仮説だけど
古エチオピア人はアラビア半島から移住して来たコーカソイド(原アラブ人)で
スーダンあたりで文明を揺籃して、ナイル川を下り上下古代エジプトを興したんだと思う
そして湿潤だったサハラを西進した集団がベルベル人の祖先になったと思われる
エチオピアに残った集団はネグロイドと混血して現在のエチオピア人の形質を形成したのだろう エチオピアも真っ黒ンボじゃないよな
マラソン選手とか見るとよくわかる 今のロシアによるシリア介入空爆はスキタイ時代とそっくり
歴史は繰り返すんだな・・・ >>633
ロシア人等のスラブ系民族は、ハプロ遺伝子R1a,R1bの分布とも重なる
アーリア人である印欧語の祖語の話し手の子孫だ
そりゃ〜 紀元前にシリアを侵略したヒッタイト帝国(印欧語族)とイメージが重なるな >>1
そうそうインド人(の上流階級)だってアーリア人なんだよね
ドイツのチョビ髭総統はこのあたりどう思ってたんだろう?
インドをリスペクトしたような発言はなかった気がするけど
カギ十字くらいかな?取り入れたのは 今のISIS(イスラム国)の猛威は
紀元前1200年のカタストロフの「海の民」とそっくりだ
ということはトルコはヒッタイトのように滅ぶんだろね 「海の民」の黒幕はアッシリア商人だったらしいけど
今回のISISのスポンサーはサウジアラビア、カタールなどの湾岸産油国王族
バビロンの滅亡アッシリア人やアラム人の殺戮の果てにペルシア帝国の勃興に繋がったように
サウジアラビア、カタールなど湾岸産油諸国が衰亡してイランが繁栄するんじゃないかな? 寧ろアッシリアって軍事力にものを言わせて
海の民のような無法者を串刺しにしたりして情け容赦ない弾圧を加えたので、
海の民も軍事力の充実したアッシリアには絶対にちょっかいを出さなかったように見える。
サダムは良かれ悪しかれ秩序を保っていた。 アーリア人がBMACをぶっ壊した時点でインダス文明は衰退してたから楽勝で攻め込めた。
インダス文明はアーリア人が来る前に既に滅んだも同然だったわけでインダス文明が健在の頃は
アーリア人も侵入できなかった。邪龍ヴリトラはインダス文明の神、アーリア人の神であるインドラに倒された話は
アーリア人のインダス制服を物語っている。 >>639
そしてドラヴィタの女を犯しまくったというわけだナッ 一度は負けたコウゲイを撃退した夏王朝は大したものだ
コウゲイはアーリア人だろうし >>633
露助にはスキタイ、匈奴、フン、モンゴル、タタール、コザックの血が入ってると考えれば納得 >后ゲイ
夏/殷代の北西方異民族として記録にある鬼方だってアーリア系かもしれん
ここまで大昔だと何ともだが 古代中国でコーカソイドの人骨は見つかっているし
古代ローマでもモンゴロイド(東洋人)の人骨は見つかっている
史実ではもっと後にならないと現れなかったことになっているにもかかわらず >古代ローマでもモンゴロイド(東洋人)の人骨は見つかっている
テルマエ・ロマエを地で行くような話w 戦闘などで遠方から捕虜・連行・拉致された人の人骨だったって可能性は? 多分だけど戦争に負けて匈奴など異民族に連れ去られた漢人?がそのままペルシャ経由でローマに送られたって感じだろうな。
逆もまたしかりでペルシャ経由が多い気がする。
初めて記録上中国に現れたローマ人は前漢時代で、ローマに現れた中国人は北魏時代だったかな?
でも政府の正式な派遣じゃ無くて民間が勝手に行ったと言うならもっと昔だろうね。
インドに前漢から役人が初めて派遣されたと思ったら現地で既に中国人が店を開いていたらしいしw ローマに初めて現れたと記録されている中国人は不明
自分が知っている限りでは蚕を持って来た北魏時代の中国人がローマに居たという話だけ >>653
甘英ってローマ側の記録に名前出てるの? 勿論出てない どこまで行ったのか今となっては知る由もない 西洋側の記録に初めて登場する中国人って誰なんだろうな? 最近、何かとお騒がせなトルコ系(チュルク系)の人々についてなんだけど
俺が思うに彼らのルーツはコーカソイドとモンゴロイドのハイブリッドなんじゃないかと思う
紀元前3000年頃のエニセイ川上流の南シベリア平原で二つの種族は出会ったんじゃないかな? >>658
だいたい合っている
でも、チュルク系にコーカソイド系の遺伝子が入ったのは、紀元後だと思う
もともとは、モンゴル民族と外見が変わらないモンゴロイド
黒契丹とか、中国史に登場する古代のチュルク系は、おそらく外見は我々日本人と似ている 紀元前1500年頃のユーラシアって東西でアーリア系の民族(Y染色体ハプロタイプR1b)が大活躍してるね
東はタリム盆地からモンゴル高原西部まで、西はイベリア半島からブリテン島まで
理由はなんだろう? スキタイ、サカ、鬼方、犬戎
>>583
Guifangは鬼方だな ここでは匈奴・フン系とみているようだ しんでい い でんし
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|/-O-O-ヽ| ブツブツ...
| . : )'e'( : . | ハァハァ...
` ‐-=-‐ フヒヒ...
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||. .\\ \ ( ;´Д`) (また来たよw遺伝子厨w)
. \\ \ / ヽ.
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( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
. _/ ヽ \ ( ) な?遺伝子厨が来ると一気にトンデモクソスレになるだろ? >紀元前1500年頃のユーラシアって東西でアーリア系の民族(Y染色体ハプロタイプR1b)が大活躍してるね
>東はタリム盆地からモンゴル高原西部まで、西はイベリア半島からブリテン島まで
イラン系が西欧に到達したのが史書で確認されるのはローマ末期にアラン族傭兵がブリタニアに配置されたのが最初じゃね?
BC1500年時点でイラン系は黒海北岸やイラン高原で勢力は拡大していたようだが、
バビロニアやアッシリアなどセム系の優位は保っていた。 BC1500年って言うと気の遠くなる昔だな
中国ですら夏とか殷の伝説時代じゃないか >>274
これひょっとするとスキタイ人=原ギリシャ人だという可能性も 「走馬灯」の「ソーマ」なんだけど
イラン・アーリア系遊牧民が恍惚感・幻覚を求めて服用した「ソーマ」と関係あるのかな? >>666デムパすぎクソワロタwwwwwwwwwwww >>664
インドアーリア人がインド亜大陸に侵入した時期でもある >>665
ここで言ってる古代ギリシャ人って原ギリシャ人を征服した方だぞ アカイア人侵入前のギリシャの住民は何て言うのかな?
「古代ギリシャの先住民」とかかな? スキタイが紀元前6世紀にラウジッツ文化圏を攻撃した痕跡があるので、
イラン系が欧州にこれ以西に進出していた、とは考えにくい。 西周を倒した犬戎が実はスキタイ一派であった可能性もある
ってマジか >>671
ギリシャの先住民族は新石器時代から居住している者たちだろうけど
血筋はどこだろう
中東のセム・ハム語族と同族なのかな
それとも、ケルト人と近いのかな
クノッソス神殿の壁画とかみると肌の色が浅黒いから、セムハム語族に近いきがする >>675
遺伝子のうえでは中東系(J2とかE)なんだろうね
アカイア人もドーリア人も彼らを奴隷にしているから
言語のうえでも非印欧語族だったのだろう しんでい い でんし
 ̄ ̄\| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
|/-O-O-ヽ| ブツブツ...
| . : )'e'( : . | ハァハァ...
` ‐-=-‐ フヒヒ...
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||. .\\ \ ( ;´Д`) (また来たよw遺伝子厨w)
. \\ \ / ヽ.
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. \∧_∧ (⌒\|__./ ./
( ´,_・・`)目合わせるなって ∧_∧
. _/ ヽ \ ( ) な?遺伝子厨が来ると一気にトンデモクソスレになるだろ? ドーリア人はイラン系遊牧民に突き出される形でギリシャ半島に進出してきたと思う 古代ギリシアでアカイア人などの南下第一波は紀元前2100年頃の気候変動ひよるものだと思うが
後発組のドーリア人の南下はトラキア人の圧迫も要因の一つとして考えられる
金属器時代の全盛を迎えている時期にも関わらず何故、鉱物資源資源の乏しいギリシアに移住して来たかは謎である 犬戎はスキタイ説、プロト匈奴説、プロトチベット説いろいろある
何せ3000年近く前のことだから難しいと思うが解明できないのか 訂正
古代ギリシアでアカイア人などの南下第一波は紀元前2100年頃の気候変動によるものだと思うが
後発組のドーリア人の南下はトラキア人の圧迫も要因の一つとして考えられる
金属器時代の全盛を迎えている時期にも関わらず何故、鉱物資源の乏しいギリシアに移住して来たかは謎である 鉱物資源の豊富なザグロス山脈地方はアッシリアが押さえていてドーリア人では手が出せない アッシリア商人はアナトリアで金と錫の不当な交易で相当な暴利をむさぼっていた >>676
地中海沿岸とアフリカに広がるEを中東系とは言わないでしょ おいら調べによる自称アーリア帝国は
ササン朝ペルシャ第1帝国
パフラヴィー朝 第2帝国
ドイツ第3帝国
ということらしい、、、 >>259>>680
中華世界の金属貨幣は
じつは刀と鋤だったらしい、、、 >>578
プレーリードッグは犬なんだろうか、、、 >>692
なるほどぉ
どうしてこうなってしまったのかと思いましたが
勉強になりました >>694
これ戦国七雄の各国で使ってた貨幣別々だったんだよな〜
秦が使ってた貨幣に統一されて今の日本で使われている貨幣も秦の貨幣の形状を
受け継いでいるんだよね。燕とかで使ってた刀貨とか使いずら過ぎる、財布には入らないよ
例え小型化しても手を切るw
燕が中国統一しなくて良かったね 燕でこんなもの使ってたのは貨幣経済があまり普及してなかったのだろう。
日常頻繁に貨幣を持ち歩く生活ならこんなもの使ってられん。
円形の銭を使ってた国は貨幣経済が普及してたんだろう。 >>695>>694
ほっほぉー、まじっすか
前々しらなかったです
たぶん穴あきコインのことだと思いますが
そういうもんなんですねぇ
ところで、もし銀行の地図記号みたいな貨幣を
ご存知でしたら教えて下さいな >>697
あれは貨幣じゃなくて分銅
江戸時代の金貸しかなんかが使ってた >>698
おいら調べによるとあの形状は
アンドォノブォにも採用された
伝統的な貨幣形態のようなのですが
通貨として利用されたのは
モンゴルより前の情報が不明なのでした 分銅マークは銀行の他に塩野義製薬も使ってますね
薬の調合の際に分銅で正確に計量して調合するという意味。 そういえばアーリア人は
あんまり天秤な感じがしないのだが
これは調べが足りないせいなのだろうか、、、 >>674
中山さんがスキタイっぽい噂を耳にしたんですが、、、
ここは後に古代中国を代表する武将を出すところなんかも
それっぽい感じです ちゅうざんこく知らないなんて古代蛮族スレではモグリだぞw 中山みき
天理教教祖。
奈良県の地主の主婦で、家庭生活の不幸の中で、神がかりして親神おやがみ天理王命てんりおうのみことの信仰を説いた。
明治政府による十数回の投獄にもかかわらず、教勢は大いに発展。「おふでさき」などを遺す。
(1798?1887) 出雲の海賊であった名和氏の一派である中山氏は
ひょっとしたら中国の中山国の出身かもしれないね
琉球の中山国も名和氏が建てたかもしれないと言われているし
いろいろ面白そうな一族 >>703
あぁ、すみません
アンドォノブォの皆さんはクランを王朝名にする伝統があるようなのでww
ちなみにおいら調べによると
中国にキリンを連れてきたのも彼らかもしれないのですが、、、 なんでスレタイはアンドロノ「ブ」ォなん?
アンドロノ「ヴ」ォとちゃうの?
どの本のやってる表記? >>706
テングリでしょうか?
>>707
海にも進出したんですねぇ、、、 >>306>>578
この太陽の数は
おそらく1順間と関係していると思われるのだが、、、
モンゴルの方はスキタイから引き継いだやつなんじゃなかろうか
という予想をしてみております >>578
この話の元ネタもちょっと気になります、、、
酒を飲むとき「セレジム」という儀式があります。
薬指を酒に付け、ついたお酒をはじく動作を3回し 天 地 神様/仏様 にと捧げてから飲みます。
天 地 は決まっているが3番目は神様ではなく何か大切なもの/人に捧げられるときもあります
。例えば、モンゴルから離れている私たちは「故郷に向かって」と西へ向けます。
またこれは主に男の人がするもので、女の人はあまりやりません。
この儀式の由来は、ヤダムという名前の官人が或宴会で、
酒に毒を盛られたか確認するために酒に薬指を入れたら、指の皮膚が剥がれ落ち、
毒盛られたことをわかった、という伝説があります。
以来その官人の名前で薬指は「ヤダム指」と呼ぶようになったといいます。 >>707
琉球のトカラ列島とトカラ民族の関係は なんかあるんかね >>578
ふむぅ、、、
「スーホの白い馬」はモンゴルにはない?より抜粋
http://blog.goo.ne.jp/yanzaga/e/197e1c1d5ad5fd8713700816739e593c?fm=entry_awp_sleep
といいますのは、馬頭琴の由来について別の民話が言い伝えられているのです。
フフー・ナムジルという青年がいて、不思議な馬を持っていました。
その馬は昼間は普通の馬なのだが、夜になると翼が生えてきて、1年かかる距離を一ヶ月、一ヶ月かかる距離を一日で飛びきってしまう不思議な馬でした。
毎晩青年は馬に乗り、遠いところに住む恋人に会いに行きました。
ところが、フフー・ナムジルに恋をする別の女性がそれを知って、嫉妬の余、馬の翼を切ってしまいました。
翼を切られた馬は死んでしまい、フフーナムジルは馬も失い、恋人にも会えなくなってしまいました。
それで青年は悲しさを紛らわすために馬頭琴を作り、恋人の歌や馬の走り方、鳴き声など音楽にして歌ったのでした。 >>714
トカラ列島は続日本紀に度感と書かれているので音が違うのではないでしょうかね
まあ琉球の古代史はわからない事だらけですからなんとも言えないですけど 遺伝子からみると
アンドロノヴォの住民は白人が主でモンゴロイドを少々混ぜた感じ 月氏なんかもそういわれてるな
ま、遊牧民は混成部族だからそうなるのもむべなるかなだ 見た目の人種差はあっても意識されなかったということかな 今の時代みたいに見た目の差は重要じゃなかったんだろうw
彫りの深い美人はオーディションに合格し、平べったい顔なら不合格になるなんてこともなかっただろうしw
たとえ醜い容姿でも強ければ採用されきのこり、弱ければ淘汰されてしまう
そんな時代だったのは間違いない 騎乗がうまければ顔は関係ないだろ
むしろ集団というか王に対するロイヤリティが問われるはず アンドロノヴォ圏と隣接または重複していたオクネフ文化のモンゴロイド
それなりに関係はあったのかな むしろ騎乗の上手い奴にありがちな顔が美しいとみなされるように遺伝的浮動が起きると思う 美しさ基準は遺伝子より文化ですよ
弥生人が先進農耕文化を持ち込んで以来一貫して切れ長の目ののっぺり顔が美しいとされた日本人が
戦後メディアの発達で白人顔との中庸に近い縄文系顔に取って代わったように >騎馬と戦車で中央アジア・ステップ地帯から南シベリアまでの広大な領域の覇者となり
>家父長制で好戦的であり
中央アジアの遊牧民って中国の記述を見る限りでは家母長制が一般的だったみたいだけど
原アーリア人とやらだけは違ったのか >>724
アンドロノヴォ文化:コーカソイド中心
オクネフ文化:モンゴロイド中心
たぶんこんな感じだったと思うわ アンドロノヴォ文化人(おそらく印欧語族トカラ語派)が牧畜と馬車の文化を持ち込む
→隣接するモンゴロイド狩猟民と血縁的文化的交流が起こる
→狩猟民のうちいくらかが遊牧民化、オクネフ文化発生、トカラ語派は南へ移住 どういう付き合い方しとったんやろ、当初は言葉も通じず敵対的になりそうだが あ間違えた、トカラ語派はアファナシェヴォ文化ですな・・・アンドロノヴォはその後に続くイラン系文化 アンドロノヴォ文化人がどういう社会構造したかなんて当時の人にしかわからんけどな
家父長制だったといのも好戦的だから男性優位だったに違いないという子供っぽい連想によるもので全く根拠がない
現在では好戦的なステップ文化圏の連中ほど女権が強くて、そいつらに虐められてばかりの比較的穏健なオアシス定住民は家父長制だったことがわかってるがな マッサゲタイの女王トミュリスとか
サウロマタイのアマゾネスとか >>732
滅ぼされました・・・
既に衰退して事実上滅んでいたインダス文明の最後の生き残りとエラムの連中が
国際市場として栄えていたけど北部から野蛮な連中がやって来て一瞬で滅ぼされました。
事実上滅んでたけどインダス人にとっては最後の軍事上の砦の役目も果たしていたがBMACが
破壊された後、衰退していたインダス人に抵抗する力はもう残って居なかった。
BMACはおそらくドラビダ系とエラム系の金剛だと思う。 >>736
ドラヴィダ系は西トルキスタンにも分布していたということ?
けっこう拡がっていたんだね BMACが滅ぼされるのとインド北部にアーリア人が現れるのがほぼ同時期なんだよね
BMACがアーリア人を防ぐ最後の軍事拠点だったんだろう
後に残ったのは貧しい元インダス人だけだから簡単に制圧できた 日本から始まる世界的株式市場の大暴落
, - ―‐ - 、
/ \ 終いには政府にも支えることができなくなり、日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻します。
/ ∧ ∧ , ヽ それが最終的な暴落であることがはっきりするや否や、マイトレーヤは出現するでしょう。
./ l\:/- ∨ -∨、! , '
/ ハ.|/ ∨|,、ヘ 最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。彼らは世界を餌にして生きており、何も還元しません。
|ヽ' ヽ > < ノ! マイトレーヤは次のように言われる――かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出している。 ×竹中&小泉
〈「!ヽハ._ __ _.lノ
く´ \.) ヽ. ノ (.ノ 政府の第一の義務は、人々を食物で養うこと、そして最後に防衛です。国民の意志を裏切ると、自殺につながる。 ×黒田&安倍
\ `'ー-、 ___,_ - ' マイトレーヤは原発の閉鎖を助言されます。飛行機なども原子のパターンが妨害されると墜落は必然である。 ×東電&中曽根
` - 、 ||V V|| \
| || || l\ 彼の最初の控えめな態度に混乱してはならない。マイトレーヤが公に現れるにつれて、UFOが姿を表すでしょう。 ×NASA&JAXA
/ ″ \
((( / まる子れーや \ 世界平和の脅威は、イスラエル、イラン、アメリカです。イスラエルの役割は跪いて、パレスチナに対する許しを請うことです。 ×アンネの日記の利用
 ̄ \_ \ /_/ ̄ 非人道的な押し付けは、自由貿易としてまかり通っている。アメリカによる他国への虐待に反対の声を上げなければなりません。 ×TPP&対テロ戦争
彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないだろう。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動をコントロールするのは、マイトレーヤの任務である。 ×親米ポチwww(笑) OTL >>739
サンクス!
騎馬には勝てなかったということか
しかし、気候風土からみてインダスとは質が違う文明だったのだろう BMACが騎馬民族だったなんてことはまさかないよな? BMACがドラビダ系とエラム系の混合とか言ってる時点でトンデモって気づけよ >>743
無いと思うよだって城壁とか割と大きめの家に住んでいるし
もし騎馬民族だったらそんな定住できる住居なんて邪魔でしょうがない
彼らに必要なのは広い草原だけ。BMACの連中とも交易はしてただろうけど
ある時に何が原因かわからないけど決定的な対立が起こり騎馬民族に滅ぼされたんだろう。 >>745
3500年前に気候寒冷化があったから
それで南下したのかな BMACは万里の長城には遠く及ばないけど、立派な城壁を作って町を守るような形にしている
北方の騎馬民族が大人しい連中ならあんな城壁は必要ない。
交易しつつも警戒は怠らなかったんだろう。
もっと南の元インダス人から見てもBMACは完全に防波堤の役目を果たしてたんだろうね。 古代ギリシャやガリアの連中が立派な城壁を作ってたのは騎馬民族に対抗するためか?
同部族間抗争がほとんどだろうに
BMACが防波堤云々も現代人の視点から勝手にそう解釈してるだけで当時の人たちにそんな自覚ないし互いの存在自体知らなかっただろうな 両方だろ
遊牧民なんて普段は平和的に交易できても困窮すればヒャッハーに早変わりするのが常だ それはどの民族も同じだろ
中国史も実際は漢族のほうから侵略していったことのほうが圧倒的に多いしな そう オルドスだってケンイン(犬戎)→匈奴が住んでたのを奪ったと解釈もできる
冒頓時代にいったん奪い返されたが スレタイに【侵略者】と付けた意味がおわかりいただけたかな? 元々中国(漢族・華夏族)の版図は中原とその周辺少しだけだった BMACが滅ぶまでアーリア人はインドまで侵入できなかった
インドラが城壁を破壊した云々の話はBMACやインダス人の町を破壊しまくった
事実を神話にして正当化したんだろうな アーリア人が来た頃インダスで機能してた城郭都市とかまったくないだろ アーリア人が来た時すでにモヘンジョダロは放棄されていた アーリア人が原住民を生かしておくようには思えないけど >>757
BMACの滅亡とアーリア人の侵入は関連性がない
というのもBMAC滅亡以前にアーリヤ人がすでに侵入していた痕跡があるから 単に交易してたからBMACからアンドロノヴォの文物が出土しただけでは?
あっ文字は使ってないから文は無いけど物はあるだろう
インダス文明はアーリア人が来る前に既に滅んでたけどBMACは違う気がする
じゃあ誰がBMACの町を破壊したのかって事になるし
インダス文明の町は破壊されたんじゃなくて放棄されたんだけどBMACは破壊の跡がある
すぐ再建されたけどさ >>766
BMACがわかればアーリア人もわかるということだな
何となく納得 リグヴェーダに記載のあるのと同じ神々がミタン二でも信仰されていたのが気になる
個人的にはフリル人≒BMAC≒インド・アーリヤ人だと思う >>159
ソグディアナとアメリカも
アーリア繋がりがあるのではないだろうか、、、 >>771
ぉおお、なるほどぉ
書いた場所は合ってました キューブリック監督『 アポロ13の月面着陸は私が撮った(泣) 』・・・OTL
K:私は大きな犯罪をアメリカの公共に対して犯したのです。詳しく言えば、合衆国政府やNASAも関与しています。
月面着陸は嘘だったのです。月面着陸の全てはインチキです。そして私は、それを撮影したのです。
K:ニクソン大統領が望んだ…彼らが計画し…彼が月面着陸詐欺をしようとした…
K:これについては、陰謀論者の方が正しかったのだ。そしてそれが、私の最高傑作だと思う
https://www.youtube.com/watch?v=vxXZRzDmZFA&feature=youtu.be
ロシア首相メドヴェージェフ
『宇宙人はすでに来ています』『世界が地球外生命体の実在の真相を知る時がきた』
『もしアメリカ合衆国が公式に認めないならば、クレムリンは独自に情報公開する予定です。』
https://www.youtube.com/watch?v=gAE5665i3lQ
★ ★
NASAは、UFOに対して長年取ってきた態度のために、無用な組織とされることを恐れています。
マイトレーヤが公に現れるにつれて、UFOが姿を表すでしょう。
世界平和の脅威は、イスラエル、イラン、アメリカです。イスラエルの役割は跪いて、パレスチナに許しを請うことです。
アメリカによる他国の虐待に反対の声を上げなければなりません。
彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないだろう。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動をコントロールするのは、マイトレーヤの任務である。
Q 経済崩壊が2015年の終わりから始まり、テレパシー世界演説が2017年の初めなら、2016年に大戦でしょうか。
A 第三次世界大戦は起こりません。単に困難な時期になるでしょう。 >>274>>297
ついにホルスが地上に降臨したらしい、、、
新時代が始まるそうな >>768
フリル人はアーリア人で間違いないと思うけど、BMACは違うんじゃないの
どちらかと言うと征服された側だと思うし BMACが滅ぼされた後でイランにもアーリア人が侵入して来てこれがメディア王国を
作る事になった。BMACがインドとイランへのアーリア人の侵入を防いでたんだと思う。
フリル人は西に向かった一派でトルコ・アーリア人とでも言うべき存在かと メディア王国をつくったアーリヤ人とインドに向かったアーリヤ人は同一種族じゃないどころかBMACの末裔の可能性すらある
とういのもヴェーダ文献だとデーヴァ(ダエーワ)が善神でアスラ(アフラ)が悪神なのにたいしゾロアスター教では逆にアフラ(アスラ)が善神でダエーワ(デーヴァ)が悪神になっているから しかし遺物などからはBMACは非アーリア系とみられているが? インドアーリヤ人と非常によく似た言語を話していたことからアーリヤ系と言われているがよくわからん
BMACもアーリヤと似たような言語だったかもしれんしな
いずれにしてもインドに行った連中とは敵対関係であったことは間違いない >>777
そういえば騎馬民族襲来説は
具体的にどの民族を想定しているのだろうか、、、 近緯度の水平移動だとすると、
最初の草原はチベット遊牧民 次の草原がキルギス遊牧民
もっと遠くなるとアジア系ではなくなるので候補はこの2つか?
滿洲民族だと草原はないので外れてしまう。
緯度がずっと北でもOKすれば
アジア系の条件だとモンゴル民族やカザフ民族も候補。 >>786
たしか、オリジナルの騎馬民族征服説って夫餘じゃなかったか?
ただし騎馬民族の定義を遊牧民だけじゃなくて
半猟半牧民とか半農半牧民にまで広げた上での話だけど あなたは40代新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? >>787>>788
ふむふむ、なるほどぉ
おいらも遊牧かどうか知りませんが
日本の古い岩絵の中に
舟に乗せた牛や馬の絵があるんですよね >>781
メディア人とか西イラン人はBMACの滅亡とは関係なさそうだな
メディア人とかはカスピ海西岸を通ってイラン高原へ移住したとされる
フルリ人はオリエントの先住民で
少数のアーリア人が多数のフルリ人を支配する国がミタンニ王国だった
同じく少数の印欧語族が多数のハッティ人を支配する国がヒッタイト王国で
少数のカッシート人が多数のバビロニア人を支配する国がカッシート王国だった >>788
鮮卑や匈奴による騎馬民族征服説は?
こいつらは純遊牧系だが凡そ東経120度以西だから
日本に来るにはかなりの長距離の移動を強いられる >>792
匈奴や鮮卑による日本征服説ってのは
少なくとも学界にはないのでは?
鮮卑の檀石槐が倭人国を攻めて千戸を拉致ったって話はあるが
この倭人国は満州の穢人のことというのが通説。
小林恵子が聖徳太子は突厥のナントカ可汗だとかいってたけど電波扱いだと思われ。
あと秋田県の男鹿半島には匈奴の領地だったという蘇武庭という地名が伝わってるが
江戸時代の創作だろうし >>768>>780>>781
ぐぐるとなかなか立派な画像がひっかかりますね
彼女達は純粋アーリア人なのかな >>794
江戸時代の日本人は匈奴の知識くらいはあったのか?
でも欧州のフン族=匈奴説はまだなかったのは確実だな
そのころの聖職者が唱えだした説だというから 史記に漢の高祖を破った存在としてでかでかと載ってるんだから漢文の素養があるなら誰でも知ってただろ
権威づけのため匈奴の末裔を名乗る氏族がいてもおかしくないけど新撰姓氏録見る限り一つもないな 欧州でもフン族(アッチラ大王)の末裔を名乗る部族がいたのも同じ理由だな
箔をつける為というか マゼランがフィリピンで最初にキリスト教に改宗させたセブ島のフマボン王も、南インドのチョーラ朝の王家の血を引くという伝承があるそうだし >>796
御堂関白日記にも「匈奴基平が名馬を献上してきた」と書かれてる
この匈奴基平ってのは奥州の藤原基衡のこと
>>797
現存の新撰姓氏録は畿内五国の分(それも目録のみ)しか残ってなくて
全国七道の分は散逸しちゃったから、
あるいは地方には匈奴の子孫を自称する諸蕃系の氏族はいたかも知れない _人人人人人人人人人人_
> なんだって <
 ̄^Y^Y^^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^ ̄
_,,.-‐-..,,_ _,,..--v--..,_
/ `''.v'ν Σ´ `、_,.-'""`´""ヽ
i' / ̄""''--i 7 | ,.イi,i,i,、 、,、 Σ ヽ
. !ヘ /‐- 、u. |' |ノ-、 ' ` `,_` | /i'i^iヘ、 ,、、 |
|'' !゙ i.oニ'ー'〈ュニ! iiヽ~oj.`'<_o.7 !'.__ ' ' ``_,,....、 .| 成吉思汗義経ゆかりの奥州藤原氏が匈奴の末裔・・・!?
. ,`| u ..ゝ! ‖ .j (} 'o〉 `''o'ヽ |',`i
_,,..-<:::::\ (二> / ! _`-っ / | 7  ̄ u |i'/
. |、 \:::::\ '' / \ '' /〃.ヽ `''⊃ , 'v>、
!、\ \. , ̄ γ/| ̄ 〃 \二-‐' //` >>801
マヂレスすると、いや、そんなことはいってないが…
御堂関白は俘囚のことをちょっとかっこつけた言い方しただけだと思う 都市名、人名でアタテュルク、アルマアタ なんかもそうか クルガンから話を広げると、
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E4%BB%AE%E8%AA%AC
古墳時代の古墳はクルガンかも。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55522331.html >>574
最近知ったのだが
実はスターリンさんも仲間だった が、200-300年あたりでえらい寒冷化し、蛮族大乱入の引き金になるのか(五胡十六国や欧州の民族大移動) >>812-813
200-300年あたりでも満州あたりにいた扶余は農耕民で8万戸もいたんだよなあ
そんで朝鮮半島南部でも稲作がそれなりにできてたんだよなあ >>814
紀元前800年頃鉄器時代初期だから寒冷化してズボンをはく騎馬遊牧民の時代だな
アンドロノヴォ文化の頃は温暖だったのかギリシャやエジプトみたいな服装だった 中国北西方にいた鬼方やケンインや犬戎などと呼ばれた蛮族も騎兵だったのか Corded Ware cultureからのR1aが担い手の主流 アンドロノヴォの連中がインドアーリア人になったのかな >>822
Yamna→Corded Ware→Andronovo→Afanashevo (Yamna→Afanashevo)+(Yamna→Corded Ware→Andronovo→Afanashevo)
=Afanashevo ということはミヌシンスクは
アンドロ信夫と病むなの混合なのかな 最近はBMACの連中がアーリア人の祖先だという説があるようだね 地球の気候変動はヤンガードリアスの急激な寒冷化以降、
紀元前5000年紀の完新世の最温暖期をピークとして、
約1500年周期で寒冷期と温暖期を繰り返して18世紀まで徐々に寒冷化していた。
ユーラシア内部では気候変動に伴う民族移動が度重なり引き起こされている
紀元前4000年紀前半の一次的な寒冷化は印欧祖語話者をカフカースからイランまで南下させた。
紀元前3000紀年までの温暖化は印欧祖語話者(トハラ人)を東トルキスタンにまで東進させている。
また紀元前2000年紀後半サテム語化した原アーリア人(アンドロノブォ文化の担い手)は、
中央アジア・ステップで馬の家畜化とチャリオットを発明し周辺を席巻したが、
紀元前1000年紀の寒冷化に伴い南下しBMACを滅亡させインドを侵略することになる。
このスレは2年前の方が面白いカキコがあったんだな(笑)
書き手はどこ行ったんだろうか 北匈奴・フンの西進は寒冷化が原因という説はわりと聞かれる アーリア人のカスピ海西回り北上ルートと東回り北上ルートはどちらも正解じゃないかな。
西周り北上の集団は完新世の最温暖期に北上を開始して、
紀元前4000年頃黒海北岸〜南ロシアに到達し農耕牧畜のケントゥム語話者になり,
東回り北上の集団はイラン高原に暫く留まり、
小氷期を挟んで1000年以上遅れて北カフカースから南ロシア・ウクライナ東部にサテム語話者として出現した。
中央部を占めたイラン・アーリア系のサテム語話者は遊牧民となり、
青銅器の武器と馬とチャリオットを駆使してケントゥム語話者を東西に分断して、
ヤムナ文化からアンドロノブォ文化を創ったのではないだろうか?
以上は、過去の書き込みだが十分納得出来るものがある。面白い。 ヤムナ文化の元来の基層民はケントゥム語話者であり、
縄目文土器文化や球状アンフォラ文化を基層文化に持つことが推定される。
次代のアンドロノブォ文化の担い手(サテム語話者イラン・アーリア人)侵略拡大のクルガン仮説を裏付ける。
サテム語話者化した後期ヤムナ文化の基層民はスラブ語派やバルト語派の後の農耕スキタイを形成することになる。
そしてケントゥム語話者はヤムナ文化の変質により、
北進ルートを逆進してロシア南部からカフカースのマイコープ文化の地域に取り残された。
これも面白い指摘だ。 >>836
北単于はアルタイ山脈の戦いで負けキルギス草原・康居まで、
もう後漢の追手は来ないところまで逃げたからね
さらに冬の気温が高い場所を目指して西へ行ったということは・・ ミヌシンスク盆地のタシュティク文化は4世紀末に終わる
同じミヌシンスク盆地のアファナシェヴォ文化の住民は
紀元前2500年頃にタリム盆地に移住したようだけど
4世紀にはロプノールが干上がっていたので
タシュティク文化の住民は砂漠化したタリム盆地に
移住しなかったようだ
350年に漢人の冉閔らは華北で南匈奴らを虐殺した
375年黒海北岸にフン族が侵入する 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2015/07/30(木) 05:32:03.34 0
>>44
ミヌシンスク盆地で紀元前3500年から2500年頃に存続した
アファナシェヴォ文化がトハラ人だとされる。
紀元前2500年頃にトハラ人はミヌシンスク盆地から
タリム盆地へ移住したとされ、おそらくこの民族移動は
中国の夏・殷・周の成立に影響を与えたと思われる。
まあ、これは定説になりつつあるな。
前1800年頃の所謂「楼蘭の美女」につながる連中か・・・
移動の引き金は前3500年頃から始まったと言われる寒冷化だろう。 夏は米食なんだから長江から北上したグループでしょう ヒッタイトは北進第一世代の印欧語族が、
黒海北岸からカフカースを経てアナトリア東部、レバントへ回帰した出戻り組。
民族的には原八ッティを基層民族とし印欧語族が支配する構造。
ケントゥム語というよりはややサテム語化の兆候がみられ、
黒海北岸で遭遇した原アーリア人(イラン・アーリア人)の二輪戦車を導入している。
また回帰途上のカフカースにはおびただしい青銅器遺跡を遺しているので、
冶金技術は高度であったと思われるが製鉄技術の獲得過程は未解明。
アナトリアの原八ティが発明した可能性もあるものとみられる。
これも面白い説だな
アナトリア説を前提にしているのか 今でこそ文明の十字路、民族の交差点と言われる中央アジア・アムダリヤ川流域であるが、
紀元前3000年紀の青銅器時代の住民構成は意外とシンプルだったことが、
発掘考古学の調査で明らかになりつつある。
従来の学説ではインダス文明との関連でドラヴィダ人の勢力圏との考えが主流だったが、
人類学者達の地道な発掘調査によるとハラッパー人と共通する遺跡は、
アムダリヤ川上流部のショルトゥガイを北限として他には認められず、
それ以外は東部地中海人(アラム人とフルリ人)に属する人々の遺跡、遺骨、碑文であった。
トルクメニスタン側ではアラム人で北東部のアムダリヤ川流域ではフルリ人が圧倒的多数だった。
ホラズムとは「フルリ人の土地」を意味し、アフガニスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの「〜スタン」はミタンニに由来する。
例えばブハラ・オアシスにある地名フルミタン(ペルシャ語)は「フルリ人の土地」を意味する。
紀元前1500年に西アジア・オリエントの地でミタンニ王国を建国したフルリ人はその1000年前は中央アジアで勢力を張っていた。
しかもイラン・アーリア人(R1a)の母体集団(原アーリア人)との深い関わりが示唆されている。
う〜ん、これ原典どれだろう。
実に面白いし参考になる。 >>845
それは最近出てきたアーリア人インド発祥説だろうな
インドの聖典ヴェーダから読み解いてみると古代アーリア人の活動範囲はサラスヴァティ川流域
インダス文明は実はインダス川の文明ではなく、干上がったサラスヴァティ川流域の文明であったと言う説た
この説はインドの民族主義者の間で有力な考え方で、これによるとアーリア人はサラスヴァティ川流域から中央アジアに広がってヨーロッパにまで到達したことになる
ペルシア人の先祖はヴェーダで言うところの魔神崇拝でインドから追放されたパルニ族という事となりゾロアスター教が阿修羅を主神にしていた事と整合性がつく
フルリ人が崇拝していたのはインドラやアシュビン双神で彼らはインダス川流域から渡ってきたということになる
現代の学会ではトンデモ扱いなのでそこは良く飲み込んでおくようにな >>846
独立後に出てきた話かと思っていましたが
そんなに最近なんですかww アーリア人がインドから来たというのはナチス党も主張していたな
その後一旦廃れて、また復活して来たわけだ
ヨーロッパ人は自分達を旧約聖書に出てくるヤペテの末裔と位置付けているからアララト山のあるコーカサス発祥にしたがるんだよね
ノアには三人の子供がいて、セムの末裔がアジア人、ハムの末裔がアフリカ人、ヤペテの末裔がヨーロッパ人と伝承されている
ノアの箱船はアララト山に流れ着いたから印欧語族はコーカサス発祥、ヨーロッパ人の思考回路はこういうこと
本当かいなと疑いたくなる ただ血統的に言うと
アーリア人の主流はR1aだから
インド発祥説はそれとの整合がとれるかだな ヤンガードリアス寒冷期後の完新世の温暖期に、
氷河が融け黒海、カスピ海、アラル海が巨大な淡水湖であったと仮定すれば、
アラル海を河口に持つオクサス(アムダリヤ)河には、
紀元前4000年紀にノーザンパイクやチョウザメやサケが大量に獲れても不思議は無い。
そして広大な平原には家畜の原種であるムフロン(羊)もオーロックス(牛)もターパン(馬)も
生息するとても豊かな土地だったんだろう。
困難を乗り越えて集団で移住する価値は有っただろうね。
アラル海の大きさはパミールの融雪量で決まるようだから
この時期に相当広い面積を占めていたことは確実だな
この地域に高い文化があったことはわかるとして
わざわざカイバー峠を越えて南方へ移動する動機は何だろうかね ノアの箱舟伝説はヤンガードリアス明けの大洪水の記憶説なんてのもあるのか その洪水は今のペルシャ湾の底になってる場所という説もあるかと
氷河期だったら今酷暑のあそこがちょうどいい気候で、チグリス・ユーフラテス川が合流した川が今の河口からさらに先まで流れてた? サハラ砂漠も緑の大地だったんだよね
タッシリナジェールの壁画が有名 大洪水伝説は黒海文明の水没でほぼ確定
地質学的に立証済み
黒海文明人つまりR1bの世界拡散でエジプト文明やメソポタミア文明が生まれた
ノアの箱船がマジであったとか言ってるのはカルト宗教の構成員くらいなもんだ ひょっとして失楽園伝説も、本来のオチは大洪水からの脱出だったりしてw >>854
おいらはどちらかというと
ペルシャ湾の海岸線と川
都市間の王権の移動は気になりますね
川が今の形になったの自体が
だいぶ後っぽいです 古代ギリシャでは聖獣は鷲、聖木はオークとされていた。
ギリシャ本土には鷲は生息せずオークも自生していない。
原ギリシャ人の南下ルート通過点をバルカン半島(紀元前2500年頃)と想定して、
移動の起点を紀元前3000年頃と設定、クルガン仮説も考慮すると、
原ギリシャ人の故地はヴォルガ川流域以西のロシア、ベラルーシ、ウクライナ北部あたりと推定される。
即ち木造建築と狩猟農耕が主体だったヤムナ文化北部森林地帯だと推測される。
まあ、これはありそうな話だな
すると古代ギリシャ人は遺伝子的にはR1bが主体ということなのか
移動の途中でR1aをある程度巻き込んでいねかもしれないが バルカン半島居住時代 ギリシャ本土へ南下移住 ヘレニズム期以降
(紀元前2500年) ⇒ (紀元前2000年〜1100年頃) ⇒ (紀元前3世紀頃)
ヘレニック祖語 ヘレニック祖語が各地方で方言化 再統合が進みヘレニック語派成立
なるほど・・・ ゲロノイは大柄で青い瞳だから印欧語族の北西語族の本拠地
北方ゲルマン人種の発祥地だろう
コーカサスに生まれたアーリア人はウラル山脈付近にいた大柄で青い瞳の民族を征服した
そこで彼らを同化して、その後バルト海まで民族移動し北方ゲルマン人種となったのだろう
元々青い瞳の人種はウラル系民族であり東アジア発祥
遼河文明の末裔でもある
彼らはシベリアに四散したが一部は故地に残って韓民族となった
古代韓国語にはウラル系と思われる発音が残っている
ゲロノイは北方ゲルマン人の発祥地だと考えられる
イエローモンキーのジャップには関係のない話だがな >>863
こいつこの前ローマ人はゲルマン人だつたとかとんでもないキチガイ説披露してたな
やっぱちょっとイカれてたか アーリア人とウラル系民族は今月しているから根本的に韓民族との関わりが深い
韓民族が建国した最初の国家は古朝鮮以前の桓国である。
桓国はユーラシア大陸全体を支配する大帝国だった。
古代中東のシュメール文明の正体も桓国12連邦中の一部「須密爾(スミルイ)国」だ。
ハングルの起源は紀元前22世紀に作られた古朝鮮の‘カリムト文字’で世界一古い文字だ。
高句麗、百済、新羅三カ国は中国大陸にあった。
清の建国者ヌルハチは新羅の後えいだ。
ヌルハチの姓は愛新覚羅だが、これは「新羅を愛して記憶せよという意味だ。
これらの真実が知られていないのは植民史学の後えいらが韓国の歴史学界を占領したためだ。
植民史学の後えいらが韓民族の偉大さを隠して歴史を操作している。 糞食いすぎて脳が溶けてるらしいけど、こういうのもっとやって欲しいわ
中途半端にトンデモだとたまに真に受ける人がいるけど、ここまで吹っ切れれば世界中の誰もが笑って過ごせるからな お、こいつぁーアスカくん以来の久々の大型新人キチじゃね?
ユニット組んだらチゲ&アスカでいけるな しかしカザフスタンのような今は砂漠の地域に
よくアンドロノブォのような文化が栄えたものだ
当時はいまほど乾燥していなかったのかな アーリアんアーリアんあーらりーよ アーリアン峠を超えていく俺ドルジ顔 初期青銅器時代後期にあたる初期ヘラディックII末から、
III末まで(紀元前2200年頃)にギリシャ本土およびエーゲ海の村落が破壊活動により悉く壊滅消失し、
この時点で現代につながる『ギリシャ人』がギリシャに到達したと推定されている。
仮に現代につながる『ギリシャ人』を原ギリシャ語話者とするならば、
原ギリシャ語話者からミケーネ文明を担った人々の方言、
アカイア方言、アイリオス方言、イオニア方言と次々に分化していったのだろう。
そしてドーリア方言話者の侵入によってギリシャの暗黒時代は始まったと言える。
なるほど・・・ 紀元前1200年のカタストロフ以降、アナトリア半島西岸一帯はエーゲ海東岸を来たから
アイオリス人、イオニア人、ドーリア人が入植していたが紀元前700年頃ヒッタイトの後継国家
であるシリア・ヒッタイトの衰亡に乗じてアナトリア中西部にリュディアが勃興する
リュディアは東西貿易の中継地として当初はギリシャ諸ポリスと友好的でありアポローン神を信仰し
首都サルディスにはアクロポリスが建設されていた
またギュゲス王はフリギアのミダス王と同様にアポローンの聖城デルポイに奉幣しギリシャ文化圏に属していたのだ
考古学的物証として世界最古のリュディア貨幣(紀元前6世紀頃)このエレクトロン製貨幣の鋳造にはギリシャの冶金術
が使われギリシャの強い影響が見られる
最後のリュディア王クロイソスはイオニア人ポリスとは敵対したがスパルタとは最後まで同盟を維持していたがリュディア・スパルタ連合軍は
アケメネス朝ペルシアに敗れ滅亡したのであった
なるほど面白い
もっと書いてくれ そのEiberg理論だけども
OCA2/Herc2変異の部分は今共通認識になっているが
時代と発生地域は諸説あるようだ
青い目誕生は少なくとも8000年前で13000年前頃と言う意見もある
発生地域も黒海沿岸というよりは欧州全域と言う認識が強まりつつある
これも遺伝子研究進歩の功績なのか
↑
地理・人類学版より引用
これていくとアンドロノブォ人は欧州起源ということになるのかな? ヤムナ人が欧州へ移動してコーデッドウェア文化人と合体して
その後カザフスタン枠部へ移動したのがアンドロノブォ人
遺伝子研究上はそうなるらしい 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
IBWD2 ホラズムはアムダリヤ河下流デルタ地帯に位置している。
古代ホラズムは中央アジア河間地域であり豊かな水の恩恵を受け、
新石器時代にはケルテミナル文化(紀元前5000年から2000年紀)があり、
漁労・狩猟文化であったとされている
そして時代は下るがS・P・トルストフの研究により、
ヌクス近郊ベシュトベ摩崖の岩面画に描かれている船は
紀元前1000年の西アジア・フェニキアの船と酷似していると指摘されている
↑
西アジアと中央アジアは古代から文化的に深い関係にあったということか・・・
参考になるね 先ず、紀元前7千年紀頃、膠着語能格言語であるコーカサス祖語(後のクラ・アラクセス文化を形成する)から
何らかの事情で屈折語である原印欧祖語が誕生し、その残留組から後のヒッタイト語などのアナトリア語派が発生し、
一方でコーカサス北嶺に移動した原印欧祖語話者から後のマイコープ文化につながる人々が出現したのだろう。
そして紀元前五千年紀頃までに西シベリア大平原に移動した原印欧祖語と
西進したウラル祖語(遼河文明発祥の膠着語対格言語)とがミヌシンスク盆地で言語接触を起こした結果、
トカラ語派を含む屈折語対格言語である印欧祖語が誕生したのだろう
紀元前3500年頃に始まるアファナシェヴォ文化は
印欧祖語初期段階に分岐したとされるトカラ語派話者の文化である可能性は高い
↑
少し穿ち過ぎた見方ではあるね
面白いけど 印欧祖語の基層言語をウラル祖語と仮定した場合、
ウラル祖語の誕生の地が南シベリアから中国東北部の遼河文明(紀元前7000年〜6000年)を東限とする範囲が想定される
分子人類学の立場から、ウラル祖語話者のY染色体ハプログループN1の古いパラグループが
遼河文明時代の人骨から70%以上の高頻度で観察されたことにより、その原郷は遼河文明の地域が有力とされる
遼河文明はわが国の縄文文化と土器、ヒスイ、黒曜石の細石器などの共通性が認識されている
印欧祖語がウラル祖語からの直接の分岐でない(言語接触など)としても
飛躍的に解釈すれば印欧祖語は縄文人の言語(古日本語)との関連性は否定出来ない
印欧祖語とウラル祖語を包括するインド・ウラル語族の存在が想定されているからである
↑
凄い想像力だな(笑)
本出せば売れるかもね セムラテン人種の生み出した物
キリスト教、民主主義
アーリアゲルマン人種の生み出した物
共産主義、ナチス 参考までに
ヤムナヤ文化は、西は大西洋岸、東はモンゴリア、南はインドまで拡散し、
これによりインド・ヨーロッパ語族の分布を説明できるのではないかと考えられています。
またヤムナヤ文化の拡散は、現代のヨーロッパ人とアメリカ大陸先住民との遺伝的関連も説明します。
24000年前頃の南中央シベリアのマリタ(Mal’ta)遺跡で発見された少年(MA-1)のDNA解析の結果、
この少年の集団と現代ヨーロッパ人および現代アメリカ大陸先住民集団との類似性が確認され、
アメリカ大陸先住民集団に見られる、
西ユーラシアで見られて東アジアでは見られないミトコンドリアDNA(mtDNA)のハプログループXは、
南中央シベリアの集団からアメリカ大陸へともたらされたのではないかと推測されています。
このマリタ集団(もしくはその近縁集団)はヤムナヤ文化集団にも遺伝的影響を及ぼしており、
ヤムナヤ文化集団を通じてヨーロッパにもマリタ集団の遺伝的影響が及んでいると考えられます。 アファナシェヴォあたりには関係するかな
南東部ヨーロッパは農耕民到来後も東西の人間集団の移動の交差点であり続け、
草原地帯の集団とも断続的な遺伝的接触が見られます。
それは、黒海およびカスピ海北方の草原地帯の遊牧集団の大規模な拡散よりも2000年は早い接触でした。
紀元前3300年頃より始まるこのヤムナヤ(Yamnaya)遊牧集団の大規模な拡散はヨーロッパに大きな影響を及ぼし、
多くの場所で地域的な狩猟採集民文化が置換されました。
ヤムナヤ文化は馬を飼い馬車を開発したことで、強い伝播力を有し広範に拡散しました。 最近の研究によると
アナトリ半島の諸都市が約2300年前に大規模な焼き討ちに遭っている
これが印欧語族の侵入によるものと言う説が有力
つまりヒッタイトもその頃にバルカン半島から移動してきたらしい 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
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8RP ヒッタイトの崩壊に乗じてアナトリア東部から中央部で勢力を拡大したのがフリギアとされる
印欧語族・サテム語派に分類されるフリギア語の話者であり
紀元前12世紀頃、ヨーロッパ方面からアナトリアに侵入したと考えられている
ケントゥム語派のヒッタイトがかつて東から西へ移動して来たのに対して逆の移動方向である
失われた言語フリギア語は
同じサテム語派に属するバルカン諸語、ギリシャ語派と近縁なのかもしれない >>14
>分子人類学で形質はmtDNAで大きく影響されるからね
されないけど
ミトコンドリアってどういうものか分かってる?
分子人類学は「形質」とかいう主観を排して類縁関係を探ろうとする試みからできたものなんだけど アーリア人というのが厳密な人種集団じゃないからな
大括りで白人的とかいうのは言えてもね ユーラシア内部では気候変動に伴う民族移動が度重なり引き起こされている
紀元前4000年紀前半の一次的な寒冷化は
印欧祖語話者をカフカースからイランまで南下させた
紀元前3000紀年までの温暖化は
印欧祖語話者(トハラ人)を東トルキスタンにまで東進させている
また紀元前2000年紀後半サテム語化した原アーリア人(アンドロノブォ文化の担い手)は
中央アジア・ステップで馬の家畜化とチャリオットを発明し周辺を席巻したが
紀元前1000年紀の寒冷化に伴い南下しBMACを滅亡させインドを侵略することになる 紀元前3000紀年までの温暖化は
印欧祖語話者(トハラ人)を東トルキスタンにまで東進させている
この時西シベリアのかなり北まで行ってるんだろうか
ひょっとしてウラル語族やケット語には印欧語族の、トカラ語などにはデネ・エニセイ語族(ケット語の含まれる語族)やウラル語族の影響が互いにあったりする? ヤンガードリアス寒冷期は高湿度で急激な気温降下により
降雪量が極端に多い大規模な気候変動であった
豊かであった西シベリア大平原は気候変動と乱獲により
大型哺乳類は減少し狩猟民も拡散移住を余儀なくされた
印欧祖語話者は一時的にイラン高原まで南下避難することになる
その後、完新世の温暖期に洪水に見舞われ
ペルシャ湾から移住して来た原エラム人と接触し
青銅器と灌漑農耕と牧畜と車輪の技術を獲得することになるのである
やがて彼ら印欧祖語話者は牧草地と青銅の原料である錫石を求めて北上し
シベリア南部から中央アジアにかけてのミヌシンスク盆地にに新天地を見つけたのである
彼らは紀元前3500年頃アファナシェヴォ文化を
紀元前2300年頃アンドロノヴォ文化を創出し原アーリア人となるのである ミヌシンスク盆地で紀元前3500年から同2500年頃まで存続したアファナシェヴォ文化の担い手が
気候寒冷化に伴って紀元前2500年頃にタリム盆地へ移住してトハラ人になったとされる
おそらくこの民族移動は中国の夏・殷・周の成立に影響を与えたと思われる ミヌシンスク盆地のアファナシェヴォ文化は
新モンゴロイドのオクネフ文化に取って代られた
寒冷地対応した新モンゴロイドの勢力が拡大したことは
中国王朝の勃興にも関係しているようだ 鬼方や犬戎といった異民族もそっち方面から来たのかな >>906
北方系の殷、周はそうだが
稲作文化で南方系の夏は違う 紀元前2000年紀に内モンゴルから中国東北部に起こった紅山文化後期〜夏家店下層文化には
家畜、青銅器などが同時期のアンドロノブォ文化と類似することが指摘されている 先史時代の中国でコーカソイドとの関係性が注目されるのは、
夏王朝に先行する龍山文化(紀元前3000年〜2000年)。
中でも陝西龍山文化はシルクロードの東の起点と目されている。
中国古代文明最初期での青銅器使用と牧畜の発達(中央アジア原産の羊の飼育)が確認され、
階層分化が進んだ家父長制社会であったと推定される 分子人類学の立場から、
ウラル祖語話者のY染色体ハプログループN1の古いパラグループが、
遼河文明時代の人骨から70%以上の高頻度で観察されている。
ウラル祖語の原郷は、遼河文明を含む広範な地域が有力とされるようだ。
なお、遼河文明は、わが国の縄文文化と、
土器・ヒスイ・黒曜石の細石器などで共通性が認識されており、
縄文人の一構成要素の可能性もある。 色川高志(葛飾区青戸6−23−21ハイツニュー青戸103号室)の挑発
色川高志「関東連合文句があったらいつでも俺を金属バットで殴り殺しに来やがれっ!! 関東連合の糞野郎どもは俺様がぶちのめしてやるぜっ!!
賞金をやるからいつでもかかって来いっ!! 糞バエ関東連合どもっ!! 待ってるぜっ!!」 (挑戦状) デビッド・ライヒの新著には
アンドロノヴォの名前自体は出てこないね アルメニアは紀元前3700年頃、
クラ・アラクセス文化草創期に車輪が使用されていた痕跡が発見されたことで有名であるが、
2005年にH.ファヒミ(Fahimi)らによる考古発掘資料調査により、
クラ・アラクセス文化の分布がシリアからトルコ、コーカサス地方、イランまでの広範囲に及ぶ事が明らかになった。
イランのタッペ・コリ・ダルビッシュ遺跡を東限として、
ザグロス山脈をほぼ収める広域に及び、
原エラムやウバイド文化との繋がりの可能性も指摘されている。
言語的には非印欧語族・非セム語族であり、
シュメール語、エラム語と母音調和が存在する膠着語能格言語としての共通性も考えられる。
なるほど・・・ 最近の研究成果によると
BMACは少なくとも初期においてはアーリア人との
遺伝的つながりはなかったみたいだね BMACはイラン農耕民にドラビダ人をミックスしたものが基本らしい
それにR1bや古代西シベリア系(一部白人とインディオの共通祖先?)が混じっているようだ
いずれにせよアーリア系とは血統的にほぼ無縁らしい
と言うことはこれもアーリア人の侵入で滅びたのか? 原文一部抜粋
紀元前3100〜紀元前2200年前のBMAC集団では、
紀元前1200〜紀元前800年のインダス川流域北部の
スワート渓谷地域集団と類似した遺伝的構成が見られます。
この集団の遺伝的構成は、AASI(古代南インド型)が14〜42%、
残りがIA系統(古代イラン農耕民)とWSHG系統(古代西シベリア型)です。
これらの標本でも草原地帯牧畜民関連系統(アーリア人?)の証拠は見られませんでした。
インダス文化とBMACの文化的交流の痕跡、
インダス文化以後のスワート渓谷集団との遺伝的類似性、
南アジアからの移住を示唆するかなりのAASIの 遺伝的要素、
現代インド人の予想される古代型祖先集団との合致から、
この時期のBMAC集団にはインダス文化集団もしくは本論文が
インダス文化周辺部と呼ぶ地域からの移住があったと推測されます。 ドラビダ人の概ね先祖の連中がカイバー峠を越えて
トゥラン地域に進出したのは凄い話だね 紀元前3400年頃、中央ヨーロッパに侵入した球状アンフォラ文化の担い手である印欧祖語話者のうち
サテム語化しなかったグループが紀元前2300年頃、南下を開始した
南に西へ拡大した連中がビーカー民であり後のイタリック語派を形成、バルカン半島を南下した連中が
ヘレニック祖語話者である原ギリシャ人 >>923
緑が続いているからだろうね、食べものを調達しながら移動できたんだね
北行きはヒマラヤや砂漠だから無理 BMACのY遺伝子ハプログループ
E1b1a (1/18)
E1b1b (1/18)
G (2/18)
J (2/18)
J1 (1/18)
J2 (4/18)
L (2/18)
R (1/18)
R1b (1/18)
R2 (2/18)
T (1/18)
Jが18人中7人
中近東との関係が深いようだ >>4
インド・ヨーロッパ語族はあくまで言語の分類概念
インド・ヨーロッパ祖語は樹形図モデルによる仮説
その話し手が同じ祖先から分かれたと考えるのがアーリア人仮説
「族」の字に釣られるな
「インド・ヨーロッパ語族」はIndo-European language family
このfamilyはあくまで「言語」のグループ分けの概念であり
「民族」を意味しない
印欧語族の言語にはピジン化やクレオール化だって何度も起こっている
つまりパプア・ニューギニアのトク・ピシンやハイチのクレオールだって印欧語なのだ
その場しのぎのカタコトではなくとっくに母語話者がいて放送や教育も行われている
彼らをアーリア人と認めないのならアーリア人仮説はただのダブスタ >>931 ドラビダ語族なんかもピジン→クレオール化が相当早期に、しかも本家を乗っ取る勢いの大規模に起こってそう
ウラル語族や地中海地域の巨石文化とのつながりが言われるなど北西起源説もありながら、話者の風貌はオーストラロイドを思い起こさせ、
特にタミル語などは音韻的にもオーストラリアのアボリジニ諸語とのつながりを思い起こさせる
https://en.wikipedia.org/wiki/Pama%E2%80%93Nyungan_languages#Consonants
https://en.wikipedia.org/wiki/Proto-Dravidian_language#Consonants
祖語同士の比較でも清濁を意味の弁別に使わない、流音やn系統の鼻音の種類の多さが共通
ドラビダの北西起源が本当なら、再構できうる限りのもっとも古い段階の祖語よりさらに前の段階で、同化や混血で取り込んだオーストラロイド系先住民の言語に強く影響を受けた?
あとアフロ・アジア語族のかなりの語派が黒人の言語を含むな >>933
結局のところ、文字文明を築いた言語が奴隷使役や交易や
急速な通婚の進行などで崩れるのをピジン・クレオール化と
呼んでいるだけっていう面もある
つまり無文字言語同士がどれだけ混じり合おうがそうは呼ばない
何しろ証拠が残らないんだし、大陸規模の類似、みたいに話が大きくなるほど
人類史の中で何千何万回と起こってきたであろうことのごく一部だから、
トピックとしてつまらない
無文字同然だったツングース語の中で、漢語と最も密接に関わってきた満語が
最もピジン的な文法崩壊現象(言語の外側から見て)を起こしている、
なんていうのは面白いんだけど デビッド・ライヒの近著あたりから
インド古代の遺伝子上の解明が進みつつある
一番最初の住民はアンダマン島人との関係が深く
そこへ7000〜8000年前頃にイラン高原から農業をもたらした侵入者があり
両者の融合がインダス文明人のようだ
混合割合は3:1で原住民の方が多い
だからインダス文明人はかなり濃色の皮膚の持ち主だった
現在のドラビダ人はそれに北インド的要素が若干混じって形成されている アボリジニと白人の、アンダマン人とインド本土人の出会いから、古代インドでも破滅的な展開を想像してしまうけど、
インドにいたオーストラロイドはしぶとかったんだな。狩猟採集段階でも結構巨大な人口を抱えてた? 古代インドは大半が森林(現在は25%程度)だから
狩猟採集民も食料にはそれほど困っていなかった可能性はある ドラヴィダ語とパマニュンガンは似ても似つかないよ
音韻体系なんて接触1つでころっと変わる
何よりアボリジニとアーリア人の混血でドラヴィダ人ができたとかないわw イラン高原と言うかザグロス山脈だけどな
この連中は現在のイランのゾロアスター教徒と遺伝的には近い
アーリア人侵入以前のイラン高原の先住民と見てよいのかどうか
先住民の一部であることは疑いなさそうだ 7000〜8000年前だとトランスエラムのさらに前だろ、アーリア人とか関係ねえ
エラム語は膠着語だから、イランには明らかに印欧語族とは無関係な連中がいたってことだ イラン高原の古代農耕民は
インド亜大陸だけでなくレバントにも進出していたようだ 印欧語族のDNA
男系:R1a・R1b
女系:H・X >>945
先生の美脚が気になって集中できない男の子ってかw 池坊保子さんですが、何で昔ヌードになったのですか?
http://kwout.com/cutout/b/5q/pu/kni_bor.jpg
新エロスの肖像(笑)
tp://sharetube.jp/assets/img/article/image/image_79191.jpg レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。