【侵略者】アンドロノブォ文化【原アーリア人】 [転載禁止]©2ch.net
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紀元前2300年から1000年頃、騎馬と戦車で中央アジア・ステップ地帯から南シベリアまでの広大な領域の覇者となり
家父長制で好戦的であり天の神と火を崇拝しソーマを使用し殺戮と侵略により
あるグループはBMACを滅亡させインド、イランに侵入し現地民族を支配し
また別のグループはクルガン仮説によると東欧やバルカンにまで侵入して支配者階層を形成した
印欧祖語の話者=アンドロノブォ文化人を大いに語って下さい 広義のアンドロノヴォ・ホライズンと考えた場合
ミタンニを建国したフルリ人との関連も考えられるし
後にアンドロノヴォ文化はウクライナでキンメリア人やスキタイに受け継がれ
ヨーロッパに移動してトラキア人やシギュンナイ人となった可能性があるね どうして戦後、アーリアン学説は否定され封殺されたの? 残念ながら現在の学問の世界には「人種差別」「ホロコースト」などの極度の反省から妙なバイアスが懸けられて
歪められてアーリアン学説はタブー視(へたをすると偽学問扱い)されているのが現状なんだよね
ユダヤ批判をするのは恐いけど学問の自由を奪ってることは事実
だからインド・ヨーロッパ語族というヘンテコな呼称しか許されない訳だ
あとは分子人類学のハプログループ指標で専門的に論じて大衆には敢えて分かり辛くするしかないんだよね・・・ 今の教科書はシオニストに検閲されてるからしょうがないね 世界史板アーリア人過去スレを覗いてみたら
馬鹿が二輪戦車(チャリオット)は南ロシアの湿地帯は進撃不可能とほざいていたけど憤飯物w
真冬の凍結した湿地帯はアウトバーン真っ青の速度無制限ハイウエイだぞ
ヒャッハーw 凍結してたら馬の餌がないし
凍っていようと落差や地形の凹凸がなくなるわけではない上、
馬車の重みや車輪の摩擦熱や雪で硬いわだちやぬかるみができて同じことになるのでは 真冬のロシアの湿地帯を新潟や秋田のド田舎雪国と勘違いしててワロタw
湿地帯には冬枯れした葦が自生してて馬の餌には無問題
湿原沼沢地は水平面で凍結すればコンクリートよりも強固で雪はパウダースノーで基本内陸ステップ気候なので降雪量も多くない
摩擦熱?
アホかw
ぬかるみ?
マイナス30度だぜw ソーマを服用して興奮状態で目が血走った屈強な男達が二輪戦車に乗って
戦闘斧を振り回しながら突進して来る光景ははまさしく恐怖!! いわゆるアナトリア仮説は宗教的バイアスが加えられて歪んでるな
印欧語族(ハプロタイプR1a)の原郷がアナトリアで
農業の発祥の地(麦作、羊飼い)もアナトリアで
鉄器の発明もアナトリアで
旧約聖書のノアの方舟の漂着地はアナトリアのアララト山(爆笑) 以前、モンゴルを旅行した友人から聞いた話だけど
あちらでは冬季、洗濯物を屋外で凍結させて乾かすそうだ
あと蒙古種の馬は忍耐強くて寒さに相当強いらしい
夏の草原は逆に炎天下になり活動が制限されるとのこと 以前、モンゴルを旅行した友人から聞いた話だけど
あちらでは冬季、洗濯物を屋外で凍結させて乾かすそうだ
あと蒙古種の馬は忍耐強くて寒さに相当強いらしい
夏の草原は逆に炎天下になり活動が制限されるとのこと ずっと後の時代だけど同じR1aのイラン・アーリア人と言われるスキタイ人の風貌はこれ
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/2/2f/PazyrikHorseman.JPG
しかしアンドロノブォ文化の原アーリア人のmtDNAが同じとは限らない
分子人類学で形質はmtDNAで大きく影響されるからね アーリア人のスレが復活した
とききましてやってまいりました >凍結してたら馬の餌がない
モンゴルの馬は雪の下のコケとか食えば持つらしい。 >>11
天日干しで1週間近くかかるとかだった気がしますね
ちなみにおいらが見た映像では水が配給でした
水道管は凍って役にたたないかららしいww 原アーリア人の文化について考える時に忘れてはいけないことは車輪である
車輪の源流についてはシュメール文明以前の紀元前5000年紀のウバイド文化に遡るそうだ
7000年前と言えば完新世の最温暖期にあたる
温暖化と海水面上昇、洪水はヤンガードリアス寒冷期にペルシャ湾などの温暖地域に押し込められていた人々の北上を促した
荷車を引き家族を連れザクロス山地を越えてかつての先祖達の土地である中央アジアステップ地帯の新天地を目指したのではないだろうか?
そして彼等は中央アジアのステップで馬と出会い荷車の動力を手に入れてチャリオットを発明したのだと思う この仮説では二つの北上ルートが想定される
カスピ海東岸のアルメニア経由のルートとカフカース山脈を迂回する西岸のアゼルバイジャン経由のルート
発掘考古学では北カフカースでヤムナ文化の直前時代の車輪と青銅器が発掘されているので
西回りでの北上ルートが有力だと思われる
原アーリア人の勢力圏の拡大には或る法則があるんだよね
必ず銅と錫の産地がカバーされている
そう青銅器の生産地とそれを司る民を征服すること カスピ海東岸ルートだとイラン−トルクメニスタンーカザフスタンでアルメニアは通らないんじゃないの? ゴメン勘違い訂正します
西回りがアルメニアorアゼルバイジャン〜ポントス=ステップ経由でのルートで東回りがトルクメニスタン〜カザフスタンのルート ドイツ人というかゲルマン民族はクルガン仮説のアーラリ人の子孫ですか? カスピ海の西回り北上ルートと東回り北上ルートはどちらも正解じゃないかな
西周り北上の集団は完新世の最温暖期に北上を開始して紀元前4000年頃に黒海北岸〜南ロシアに到達した農耕牧畜のケントゥム語話者になり
東回り北上の集団はイラン高原に暫く留まり小氷期を挟んで1000年以上遅れて北カフカースからウ南ロシア・ウクライナ東部にサテム語話者として出現した
中央部を占めたイラン・アーリア系のサテム語話者は遊牧民となり
青銅器の武器と馬とチャリオットを駆使してケントゥム語話者を東西に分断してヤムナ文化からアンドロノブォ文化を創ったのではないだろうか? ヤムナ文化は先行するヴォルガ川中流域のクヴァリンスク文化やドニエプル川中流域のスレドニ・ストグ文化と断絶してる訳ではないみたいだな
家畜の大半は羊と荷車を引かせる牛は共通しているが馬とカザフスタンステップ由来のラクダの飼育とが特徴的である
埋葬方法は膝立屈伸仰向け葬で西側では横穴墓で東部は後のクルガンと共通する竪穴墓であり時代を降りるに従って竪穴墓が主流となっている
また身分階層の未分化もヤムナ文化の特徴であり明確な農耕牧畜民と戦士階級の差異は確認されていない
ヤムナ文化の元来の基層民はケントゥム語話者であり縄目文土器文化や球状アンフォラ文化を基層文化に持つことが推定される
次代のアンドロノブォ文化の担い手(サテム語話者イラン・アーリア人)侵略拡大のクルガン仮説を裏付けるものである
サテム語話者化した後期ヤムナ文化の基層民はスラブ語派やバルト語派の後の農耕スキタイを形成することになる
そしてケントゥム語話者はヤムナ文化の変質により北進ルートを逆進してロシア南部からカフカースのマイコープ文化の地域に取り残された
アナトリア仮説の誤りはマイコープ文化は印欧語族第二の原郷への途上の文化とすることであり、正確には原アーリア人に駆逐された文化のかつての中継地文化 ヒッタイトは北進第一世代の印欧語族が黒海北岸からカフカースを経てアナトリア東部、レバントへ回帰した出戻り組
民族的には原八ティを基層民族とし印欧語族が支配する構造
ケントゥム語というよりはややサテム語化の兆候がみられ黒海北岸で遭遇した原アーリア人(イラン・アーリア人)の
二輪戦車を導入している
また回帰途上のカフカースにはおびただしい青銅器遺跡を遺しているので冶金技術は高度であったと思われるが製鉄技術の獲得過程は未解明
アナトリアの原八ティの発明の可能性もある アンドロノブォ文化って
暴れ馬に引かせた二輪戦車に革と金属(レザー&メタル)で武装した屈強な男達が
ソーマ(大麻?)を吸引しハオマ(ケシの実ジュース?)をあおりキメまくって狂暴化して
へらへら笑いながら殺人、レイプ、略奪を繰り広げる古代のマッドマックスの世界だなw 印欧祖語話者の根本的原郷はペルシャ湾(エデンの園?)で
完新世の最温暖期(BC5000年頃)に灌漑農耕と車輪(ろくろ)を発明したウバイド文化の人々が家畜を連れて北上を開始した
ザグロス山地を越えてカスピ海西岸をアルメニアを通過してBC4000年紀にポントス=ステップに到達した先発組がケントゥム語派(R1b)
イラン高原に暫く留まりカスピ海南岸を東進し東廻りでトルクメニスタンを経由してBC2500年頃、遅れてポントス=ステップに
馬と二輪戦車と共に出現したのがサテム語派(R1a)「原アーリア人」 この仮説は人類にとって犬に続いて家畜化された羊(BC6000年頃メソポタミアで)で検証可能である
その中で欧州を中心とする家畜羊の原種は
イラク北東部イラン北西部からコーカサスに生息するアジアムフロン(BC5000年頃に家畜化)
カザフスタンなど中央アジアから南ロシアに生息し遊牧民により家畜化されたアルガリ(家畜化年代は不明であるが遊牧民はBC3000年頃に農耕牧畜民から分離成立) >>29
関係者にはモヒカン頭の方々も多数いらっしゃいますね アンドロノブォ文化の話題からは随分逸れてしまうが
印欧祖語話者のプロトタイプを先・印欧祖語話者とすると、彼等はヤンガードリアス寒冷期の終了後
しばらくはペルシャ湾(エデンの園?)で初期農耕を営んでいたが完新世の温暖化によって
ペルシャ湾が水没し紀元前6000年頃イラク東部のザグロス山麓に移住した
しかし温暖化は西アジア地域の乾燥化を招き住民達は一定の収穫量の確保の為に灌漑農耕を発明した
この住民達は東地中海人にカテゴライズ(勿論便宜的に後世の括りで)される
彼等はシュメール文明以前の住民でセム語族との関係は希薄であったと思われる
その先・印欧祖語は膠着語であったと推定されるが数詞が安定しており豊富な事など
後の印欧語族の特徴と一致している点が挙げられる
数詞の発達は移住、流通活動に促されたものだと推定される 完新世温暖化により水没したペルシャ湾(エデンの園?)から逃れた人々はザグロス南西山麓に移住した
彼等は初めて「高い所」を意味するジグラットを建造(紀元前5000年頃)した人々(原エラン人)である
ジグラットは神殿であると同時に天水農耕に適した低地を襲う洪水から避難する為の建造物であったのだ
しかし度重なる水との戦いで彼等はイラン高原へ逃れ灌漑農耕の技術の獲得により安定した収穫量を得ることになる
原エラン語は古シュメール語と同様に傾倒不明の「孤立した言語」とされる
最近の研究では膠着語能格言語に分類されているようだ
原エラン語を先・印欧祖語と同定するにはかなり困難であるが北コーカサスまで北上した彼等は交易を通じて
カスピ海北方のウラル諸語族(膠着語対格言語)と接触したのではないだろうか?
移住と交易は数詞を発達させ対格言語化を促し、共通語としての屈折語の利便性の要求により
北コーカサスの地で印欧祖語が誕生したのだと思う たしかに屈折語対格言語は正確な意思の伝達、理解・把握には便利だね
それに動詞や名詞の語尾変化で基本語彙数を減らしているし文法もスマートだ
法則さえ掴めばマスターし易い言語だと謂えるね
蛇足ながらよく日本人の気配り?で
主語を省略したり目的語を曖昧にする会話がされるけど印欧語族からは奇異に見られているだろう インド・ヨーロッパ語族は軍事・ビジネス言語としては優秀だ
日本にもかつて武家言葉があったけど明治以降、帝国陸海軍でヘンテコな使われ方をして
状況判断が混迷してたけどなw 今でも自民党の国会議員は何を言っているのか分からない 今でこそ文明の十字路、民族の交差点と言われる中央アジア・アムダリヤ川流域であるが
紀元前3000年紀の青銅器時代の住民構成は意外とシンプルだったことが発掘考古学の調査で明らかになって来ている
従来の学説ではインダス文明との関連でドラヴィダ人の勢力圏との考えが主流であったが
人類学者達の地道な発掘調査によるとハラッパー人と共通する遺跡はアムダリヤ川上流部のショルトゥガイを北限として他には認められず
それ以外は東部地中海人(具体的にはアラム人とフルリ人)に属する人々の遺跡、遺骨、碑文であった
トルクメニスタン側ではアラム人で北東部のアムダリヤ川流域ではフルリ人が圧倒的多数であったのだ
ホラズムとは「フルリ人の土地」を意味し、アフガニスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの「〜スタン」はミタンニに由来している
例えばブハラ・オアシスにある地名フルミタン(ペルシャ語)は「フルリ人の土地」を意味する
紀元前1500年に西アジア・オリエントの地でミタンニ王国を建国したフルリ人はその1000年前は中央アジアで勢力を張っていたのである
しかもイラン・アーリア人(R1a)の母体集団(原アーリア人)との深い関わりが示唆されている >>34
シュメルはなんで印欧語族じゃないんですか?
その設定だとエラム人は印欧語族なんですか? シュメール文明の担い手をインダス文明の担い手(ハラッパー人)と同系統と仮定した場合
シュメール語はエラム・ドラヴィダ語派と近縁ということになる
シュメール滅亡後、メソポタミアに覇権を確立したのはアフロ・アジア大語族に属するアッカド人などのセム語族である
以上の事からシュメール語は印欧語族とは直接の関係は無いが屈折語であるアッカド語の影響を受けたイラン高原のエラム語は共通語化(リングワ・フランカ)したのだろう
中央アジア南部においてエラム・ドラヴィダ語派と北方のウラル語族との長期に亘る接触により印欧語族との関連が指摘されるフルリ語・カッシート語が醸成されたのではないだろうか? 最新の研究では印欧祖語は語幹内の母音交替を伴う屈折が起こっていた可能性があり、アッカド語などのセム祖語との接近関係が
極めて高かったことが指摘されている
地理的にはセム祖語はアラビア半島で紀元前3000年以上前には存在していたとされ、原エラム語(紀元前4000年紀)の故地はスーサなどザグロス南西山麓である
その中間地点はペルシャ湾である さて本題に入るとしよう
紀元前4000年紀に急速に発展拡大した原エラムは人類史上で重大な副作用をもたらした
それは印欧祖語話者の拡散である
イラン高原にはフルリ人以外に印欧祖語話者である原ヒッタイト・原トハラとも呼べる人々が居住していたのである
原エラムの拡大により東西に分裂した印欧祖語話者達は一方は後のヒッタイト人にもう一方はトハラ人になるのである
当時の印欧祖語はセム祖語と同じ屈折語であり、文法はS+O+V型であったと推定される
原エラムの灌漑農耕の技術を伝播され東遷したトハラ人はフルリ人を巻き込み紀元前4000年から3000年紀にはカスピ海南岸から
中央アジアを経由して現在の東トルキスタンまで移住しているのだ
そして北方のウラル語派との接触により対格言語化していくのである >>42
すいません、下の>>35に書いてありましたね
ちゃんと読めてなかったです >>27
ヤムナハジメさんがCLな感じで
アンドゥノブォさんがSLな感じですか
ふへぇ、、、 >>35
エランさんが北上したのはカスピ海の西岸なんでしょうか?
そんで北コーカサスで印欧祖語ができた後に>>22
さらに南に下ってからカスピ海の南から東西に別れたのかぁ
ちなみにウラルトゥさんは、出身地もご存知なんですか? >>44
トハラがイラン高原から東進したという学説でもあるのか? ミタンニとアッシリアがアーリア系とアフロアジア系の境目か? >>48
V・イワノフとT・ガムクレリゼの仮説として
エドヴァルド・ルトヴェラゼ著「考古学が騙るシルクロード史〜中央アジアの文明・国家・文化」(日本語版2011年平凡社刊)で紹介されている
またL・S・トルストワの仮説によると
フルリ人の領域はイラン北西部のウルミエ湖からカスピ海南岸の地域で
中央アジア南部からアラル海沿岸地方と西アジアにおけるフルリ人の伝承、地名、部族名などの類似性を指摘している
また原アーリア人の移動経路については「カフカース〜イラン〜アフガニスタン」であり
イラン北西部に暫く在留していたことがミタンニ国起源の碑文(紀元前2000年紀後半)によって確認出来るとしている 変換ミス
×「考古学が騙る〜」
↓
○「考古学が語る〜」 地球の気候変動はヤンガードリアスの急激な寒冷化以降、紀元前5000年紀の完新世の最温暖期をピークとして約1500年周期で寒冷期と温暖期を繰り返して
18世紀まで徐々に寒冷化していた
ユーラシア内部では気候変動に伴う民族移動が度重なり引き起こされている
紀元前4000年紀前半の一次的な寒冷化は印欧祖語話者をカフカースからイランまで南下させた
紀元前3000紀年までの温暖化は印欧祖語話者(トハラ人)を東トルキスタンにまで東進させている
また紀元前2000年紀後半サテム語化した原アーリア人は(アンドロノブォ文化の担い手)は中央アジア・ステップで
馬の家畜化とチャリオットを発明し周辺を席巻したが紀元前1000年紀の寒冷化に伴い南下しBMACを滅亡させインドを侵略することになる >>50
サンクス!
しかし、原アーリア人はいまでも簡単ではないルートを通って、よくインド亜大陸へ侵入できたものだ。
やはり牛・馬を多数伴っての移動だろう。 現在の発掘考古学は科学的なんだよね
人骨の形質的分類やDNA抽出で得られるハプロタイプマーカーの分析に留まらず
土器、石器、青銅器、骨製品はもとより手工業製品、冶金に使われている技術の分析
住居、灌漑農耕・牧畜の遺構の具体的な構造調査や家畜(羊)と穀物(麦)の品種から原産地から現在地までの移動ルートの割り出している
例えば漁労から推測される気候変動の事実(中央アジア・オクサス川下流域での漁獲の中心が本来北方種であるはずのノーザンパイク)など・・・ >>54
おそらく西トルキスタンも現在ほどは砂漠化していなかったとは思うけど。
女性・子供も引き連れての長距離移動は困難を極めただろうね。 トハラ人の苦難の移動の旅を美少女を主人公にしてRPGかアニメ化したらいいかも
誰かシナリオ書いてよ 誰がなに書いてるのかいまいちわからんのだけど
長い文を書いてる人は全部同じ人なの? 分子人類学の研究成果により、クルガン仮説がかなり有力になっているね。
ほぼそれに沿って古代史を理解していけば良いと思う。
もちろん細かい点は違うところもあるだろうけど。 トハラ人の少女がタカラを求めてトカラ列島に辿り着いてオカラ造りを覚えるお話し。 >>40
セム系のアラム人はホラサンのマルギアナにまで分布しており
アッシリアがアーリア系とセム系の境目ではなかったという事か
ホラズムからエトルリアと似た土器が出土したけど
紀元前にはアラル海とカスピ海は河でつながっていて
カスピ海からはヴォルガ河とドン河を経由すれば
黒海に出られるのでホラズムに海の民は来ていたようだ >>44
ミヌシンスク盆地で紀元前3500年から2500年頃に存続した
アファナシェヴォ文化がトハラ人だとされる。
紀元前2500年頃にトハラ人はミヌシンスク盆地から
タリム盆地へ移住したとされ、おそらくこの民族移動は
中国の夏・殷・周の成立に影響を与えたと思われる。 >>63
紀元前2500年頃の寒冷期が原因かもね
ミヌシンスク盆地のアファナシェヴォ文化は新モンゴロイド?のオクネフ文化に取って代られている
寒冷地対応した新モンゴロイドの勢力が拡大したことは中国王朝の勃興にも関係しているね
それまで中原にまで進出していたコーカソイド系住民(太公望で有名な山東半島の斉は末裔か?)は衰退している
次の寒冷期は紀元前1000年紀でありタリム盆地は乾燥化しトハラ人は衰退しアーリア人のインド侵入の時期に当たる >>63
>>64
紀元前2500年頃とすれば夏王朝成立との関係か。
東アジアから中央アジアにかけてのコーカソイドは、
結局新モンゴロイドに圧倒されてしまったのは何故かということについて興味がある。
なお、寒冷化すると東トルキスタンのタリム河・ホータン河は流域が広くなり、
ロブノールは拡大することが知られている。一概に乾燥化するとは言い切れない。 >>62
おいらもどっかでそんな話を見かけたんだけど
それって古代ギリシャのエウボイア島(エヴィア島)にある
「エレトリア」の土器じゃなかった? 中国最古の夏王朝ってコーカソイドが築いたの?
じゃあ中国人はコーカソイドの文明を自分達の文明と信じて誇りにしてるの?
ちょっと哀れすぎるよ >>65
トハラ人がタリム盆地に南下移住したわけだが
言うまでもなくタリム盆地にも先住民がいたはずで
追い出された先住民どうしの民族移動の玉突きで
黄河流域には多くの民族が逃げ込んだはず 太公望コーカソイド説はまだ固まっていないはずだけど。 先史時代の中国でコーカソイドとの関係性が注目されるのは夏王朝に先行する龍山文化(紀元前3000年〜2000年)で
中でも陝西龍山文化はシルクロードの東の起点と目されている
中国古代文明最初期での青銅器使用と牧畜が発達(中央アジア原産の羊の飼育)、階層分化が進んだ家父長制社会であったと推定される >>62
完新世の最温暖期の黒海とカスピ海の水面シミュレーションです(+30メートル)
http://flood.firetree.net/?ll=45.5679,43.5059&z=10&m=30
確かに繋がってますね! 地中海〜黒海〜アラル海〜太平洋まで赤道付近で貫通してたのが白亜紀の「テチス海」で
オーストラリア大陸を南北に縦貫してたのが「エロマンガ海」 >>54
ヤンガードリアス寒冷期後の完新世の温暖期は氷河が融けて黒海、カスピ海、アラル海が巨大な淡水(汽水?)湖に成っていたと仮定すれば
アラル海を河口に持つオクサス(アムダリヤ)河には紀元前4000年紀にノーザンパイクやチョウザメやサケが大量に獲れてても不思議は無い訳だ
そして広大な平原には家畜の原種であるムフロン(羊)もオーロックス(牛)もターパン(馬)も生息するとても豊かな土地だったんだろう
困難を乗り越えて集団で移住する価値は有っただろうね >>73の地図を見て、アラル海の湖面と海面上昇に何の関係が?と思ったけど、そういうことか
湖周辺の降水量自体も違ってたのかな。でもアラル海の島は,仮に湖面が今から数十年前と比べても高かったとしたら、あんなに大きくないと思うw >>73
へー、クロポトキンっていう都市があるのか
ソチも近いなぁ セム語族は印欧語族とどうしてここまで区別(差別?)されてるのだろう?
自分なりに考察するにローマ・キリスト教原理主義が大きく影響してると思う
出アフリカ後、四万年に亘ってアラビア半島北部、ペルシャ湾で歴史を共有してるし
言語的にも語彙の違いは有れども屈折語、S+O+V型文法である共通する事実に関わらずである
さらにイエス。キリスト自身がアラム語話者であった事実も敢えて語られることも憚れている
アーリア優性説など政治宗教的臭いがプンプンしてると思う 補足
言語的にも印欧祖語の古型(アナトリア語派のヒッタイト語、トハラ語など)と語彙の違いが有れども共に屈折語、S+O+V型文法である事実にも関わらずである アケメネス朝からササン朝にいたる1000年以上もイラン人は
イラクを支配したがイラクはイラン化しなかった
その後こんどはアラブ人がイランを征服してイスラム化したが
アラブ化はせずペルシャ語やクルド語とアフガン語とかが健在 地中海でもシリアとエジプトは完全にギリシャ化しなかったが
アラブに征服されるとアラブ化していった
一方スペインはアラブ征服されたが完全にアラブ化しなかった >>78
イエスは世間的にはヘブライ語話者と思われてると思う >>80>>81
君はイスラームとアラブを混同してないかね?
イスラームは当然、宗教でアラブは宗教でも民族でもなくサダトさん達が提唱した概念
そしてアラビアは言語(正確にに言えばリングワ・フランカ)であり文化 >>78
1.キリスト教から見た異端 ユダヤ・イスラムがイエスをただの人間として絶対的救世主と見ていない点
2.何となく先進国から見た途上国の汚いイメージ
3.ヤペテの子孫こそが中東地域を支配するという方向性に持っていく為
フランク王国の聖杯伝説、後代の中世に作られたロンギヌスの槍の偽物の保管など スレの皆様方に暑中お見舞い申し上げます
お盆も近いのでお盆ネタをひとつ
お盆が仏教の盂蘭盆に由来していることは広く知られている
語源はサンスクリット語の「ウランバナ」とも古代イラン語(アヴェスター語)で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」とも言われている
印欧祖語(原アーリア語)話者ではあらゆる自然現象を起こす霊的存在である「フラワシ」が信仰され、祖先の「フラワシ」即ち「祖霊」を迎え入れて祀る宗教行事が行われていた
この「祖霊」を迎えて祀る宗教行事は紀元前1000年紀後半に気候変動により南下したイラン・アーリア人達が真夏の一時期に豊かな大地として蘇る遥か北方のステップ地帯を訪れ
かつてそこで暮らした先祖達(アンドロノブォ文化人)を偲んでいたのが源流であったのだ >>56 北極圏にほど近いとある場所で、少女が野生のトナカイを手なずけて、土地の住民がトナカイを家畜化するきっかけになるというエピソードもぜひ
「大地の子エイラ」は旧石器時代を舞台の、一人の旧人に育てられた新人の少女がクリミアからフランスに行く話だけど、ちょうどその東進版だな >>75
黒海とカスピ海とは繋がっていなかったけど、
カスピ海とアラル海とは可能性があることはある。 >>86
ミニスカの少女が旅をする物語らしい、、、
【考古学】青銅器時代の若い女性のグローバルな生き方が判明 旅人や客人を手厚くもてなす風習が広がった影響か [転載禁止](c)2ch.net
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1432591927/1 タハラ聡一郎に仕込まれたトハラ人の美少女が産み落としたのがタハラ俊彦で
その赤子はBIGに成ることを夢見て砂利風呂に入るが間違ってトカラ馬の種馬になってしまうお話し >>89
いいところに目をつけましたね
ちなみに「エクトヴィズ・ガール」を英語で検索すると
綺麗どころから残念なのも含めて
北欧女子のコスプレが見れるらしいですよ >>67
よくわかんないですけど
昔のクルガンに葬られてた人たちは
肌は白くなかったそうですよ >>70
太公望チベット出身説ってあるんでしょうか? 昔姜姓はチベット語派言語を話していたんで、拉薩出身という意味ではありませんよ。 (^^) 中国語とチベット語・ミャマー語は兄弟言語だからね。 >>85
ご先祖様が帰ってくるんじゃなくて
ご先祖様のところに帰っていくんですね
なるほどぉ 毎年数百キロ、いや1000キロを超えるような大移動をしてたのか?
まあ馬という飛び道具があったけど ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています