【侵略者】アンドロノブォ文化【原アーリア人】 [転載禁止]©2ch.net
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紀元前2300年から1000年頃、騎馬と戦車で中央アジア・ステップ地帯から南シベリアまでの広大な領域の覇者となり
家父長制で好戦的であり天の神と火を崇拝しソーマを使用し殺戮と侵略により
あるグループはBMACを滅亡させインド、イランに侵入し現地民族を支配し
また別のグループはクルガン仮説によると東欧やバルカンにまで侵入して支配者階層を形成した
印欧祖語の話者=アンドロノブォ文化人を大いに語って下さい 古代ギリシャやガリアの連中が立派な城壁を作ってたのは騎馬民族に対抗するためか?
同部族間抗争がほとんどだろうに
BMACが防波堤云々も現代人の視点から勝手にそう解釈してるだけで当時の人たちにそんな自覚ないし互いの存在自体知らなかっただろうな 両方だろ
遊牧民なんて普段は平和的に交易できても困窮すればヒャッハーに早変わりするのが常だ それはどの民族も同じだろ
中国史も実際は漢族のほうから侵略していったことのほうが圧倒的に多いしな そう オルドスだってケンイン(犬戎)→匈奴が住んでたのを奪ったと解釈もできる
冒頓時代にいったん奪い返されたが スレタイに【侵略者】と付けた意味がおわかりいただけたかな? 元々中国(漢族・華夏族)の版図は中原とその周辺少しだけだった BMACが滅ぶまでアーリア人はインドまで侵入できなかった
インドラが城壁を破壊した云々の話はBMACやインダス人の町を破壊しまくった
事実を神話にして正当化したんだろうな アーリア人が来た頃インダスで機能してた城郭都市とかまったくないだろ アーリア人が来た時すでにモヘンジョダロは放棄されていた アーリア人が原住民を生かしておくようには思えないけど >>757
BMACの滅亡とアーリア人の侵入は関連性がない
というのもBMAC滅亡以前にアーリヤ人がすでに侵入していた痕跡があるから 単に交易してたからBMACからアンドロノヴォの文物が出土しただけでは?
あっ文字は使ってないから文は無いけど物はあるだろう
インダス文明はアーリア人が来る前に既に滅んでたけどBMACは違う気がする
じゃあ誰がBMACの町を破壊したのかって事になるし
インダス文明の町は破壊されたんじゃなくて放棄されたんだけどBMACは破壊の跡がある
すぐ再建されたけどさ >>766
BMACがわかればアーリア人もわかるということだな
何となく納得 リグヴェーダに記載のあるのと同じ神々がミタン二でも信仰されていたのが気になる
個人的にはフリル人≒BMAC≒インド・アーリヤ人だと思う >>159
ソグディアナとアメリカも
アーリア繋がりがあるのではないだろうか、、、 >>771
ぉおお、なるほどぉ
書いた場所は合ってました キューブリック監督『 アポロ13の月面着陸は私が撮った(泣) 』・・・OTL
K:私は大きな犯罪をアメリカの公共に対して犯したのです。詳しく言えば、合衆国政府やNASAも関与しています。
月面着陸は嘘だったのです。月面着陸の全てはインチキです。そして私は、それを撮影したのです。
K:ニクソン大統領が望んだ…彼らが計画し…彼が月面着陸詐欺をしようとした…
K:これについては、陰謀論者の方が正しかったのだ。そしてそれが、私の最高傑作だと思う
https://www.youtube.com/watch?v=vxXZRzDmZFA&feature=youtu.be
ロシア首相メドヴェージェフ
『宇宙人はすでに来ています』『世界が地球外生命体の実在の真相を知る時がきた』
『もしアメリカ合衆国が公式に認めないならば、クレムリンは独自に情報公開する予定です。』
https://www.youtube.com/watch?v=gAE5665i3lQ
★ ★
NASAは、UFOに対して長年取ってきた態度のために、無用な組織とされることを恐れています。
マイトレーヤが公に現れるにつれて、UFOが姿を表すでしょう。
世界平和の脅威は、イスラエル、イラン、アメリカです。イスラエルの役割は跪いて、パレスチナに許しを請うことです。
アメリカによる他国の虐待に反対の声を上げなければなりません。
彼らは今世紀(21世紀)をこの帝国が出来上がるアメリカの世紀と呼ぶ。しかし、そうはならないだろう。
彼らが世界中に‘民主的’制度を確立したいという衝動をコントロールするのは、マイトレーヤの任務である。
Q 経済崩壊が2015年の終わりから始まり、テレパシー世界演説が2017年の初めなら、2016年に大戦でしょうか。
A 第三次世界大戦は起こりません。単に困難な時期になるでしょう。 >>274>>297
ついにホルスが地上に降臨したらしい、、、
新時代が始まるそうな >>768
フリル人はアーリア人で間違いないと思うけど、BMACは違うんじゃないの
どちらかと言うと征服された側だと思うし BMACが滅ぼされた後でイランにもアーリア人が侵入して来てこれがメディア王国を
作る事になった。BMACがインドとイランへのアーリア人の侵入を防いでたんだと思う。
フリル人は西に向かった一派でトルコ・アーリア人とでも言うべき存在かと メディア王国をつくったアーリヤ人とインドに向かったアーリヤ人は同一種族じゃないどころかBMACの末裔の可能性すらある
とういのもヴェーダ文献だとデーヴァ(ダエーワ)が善神でアスラ(アフラ)が悪神なのにたいしゾロアスター教では逆にアフラ(アスラ)が善神でダエーワ(デーヴァ)が悪神になっているから しかし遺物などからはBMACは非アーリア系とみられているが? インドアーリヤ人と非常によく似た言語を話していたことからアーリヤ系と言われているがよくわからん
BMACもアーリヤと似たような言語だったかもしれんしな
いずれにしてもインドに行った連中とは敵対関係であったことは間違いない >>777
そういえば騎馬民族襲来説は
具体的にどの民族を想定しているのだろうか、、、 近緯度の水平移動だとすると、
最初の草原はチベット遊牧民 次の草原がキルギス遊牧民
もっと遠くなるとアジア系ではなくなるので候補はこの2つか?
滿洲民族だと草原はないので外れてしまう。
緯度がずっと北でもOKすれば
アジア系の条件だとモンゴル民族やカザフ民族も候補。 >>786
たしか、オリジナルの騎馬民族征服説って夫餘じゃなかったか?
ただし騎馬民族の定義を遊牧民だけじゃなくて
半猟半牧民とか半農半牧民にまで広げた上での話だけど あなたは40代新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? >>787>>788
ふむふむ、なるほどぉ
おいらも遊牧かどうか知りませんが
日本の古い岩絵の中に
舟に乗せた牛や馬の絵があるんですよね >>781
メディア人とか西イラン人はBMACの滅亡とは関係なさそうだな
メディア人とかはカスピ海西岸を通ってイラン高原へ移住したとされる
フルリ人はオリエントの先住民で
少数のアーリア人が多数のフルリ人を支配する国がミタンニ王国だった
同じく少数の印欧語族が多数のハッティ人を支配する国がヒッタイト王国で
少数のカッシート人が多数のバビロニア人を支配する国がカッシート王国だった >>788
鮮卑や匈奴による騎馬民族征服説は?
こいつらは純遊牧系だが凡そ東経120度以西だから
日本に来るにはかなりの長距離の移動を強いられる >>792
匈奴や鮮卑による日本征服説ってのは
少なくとも学界にはないのでは?
鮮卑の檀石槐が倭人国を攻めて千戸を拉致ったって話はあるが
この倭人国は満州の穢人のことというのが通説。
小林恵子が聖徳太子は突厥のナントカ可汗だとかいってたけど電波扱いだと思われ。
あと秋田県の男鹿半島には匈奴の領地だったという蘇武庭という地名が伝わってるが
江戸時代の創作だろうし >>768>>780>>781
ぐぐるとなかなか立派な画像がひっかかりますね
彼女達は純粋アーリア人なのかな >>794
江戸時代の日本人は匈奴の知識くらいはあったのか?
でも欧州のフン族=匈奴説はまだなかったのは確実だな
そのころの聖職者が唱えだした説だというから 史記に漢の高祖を破った存在としてでかでかと載ってるんだから漢文の素養があるなら誰でも知ってただろ
権威づけのため匈奴の末裔を名乗る氏族がいてもおかしくないけど新撰姓氏録見る限り一つもないな 欧州でもフン族(アッチラ大王)の末裔を名乗る部族がいたのも同じ理由だな
箔をつける為というか マゼランがフィリピンで最初にキリスト教に改宗させたセブ島のフマボン王も、南インドのチョーラ朝の王家の血を引くという伝承があるそうだし >>796
御堂関白日記にも「匈奴基平が名馬を献上してきた」と書かれてる
この匈奴基平ってのは奥州の藤原基衡のこと
>>797
現存の新撰姓氏録は畿内五国の分(それも目録のみ)しか残ってなくて
全国七道の分は散逸しちゃったから、
あるいは地方には匈奴の子孫を自称する諸蕃系の氏族はいたかも知れない _人人人人人人人人人人_
> なんだって <
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. !ヘ /‐- 、u. |' |ノ-、 ' ` `,_` | /i'i^iヘ、 ,、、 |
|'' !゙ i.oニ'ー'〈ュニ! iiヽ~oj.`'<_o.7 !'.__ ' ' ``_,,....、 .| 成吉思汗義経ゆかりの奥州藤原氏が匈奴の末裔・・・!?
. ,`| u ..ゝ! ‖ .j (} 'o〉 `''o'ヽ |',`i
_,,..-<:::::\ (二> / ! _`-っ / | 7  ̄ u |i'/
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!、\ \. , ̄ γ/| ̄ 〃 \二-‐' //` >>801
マヂレスすると、いや、そんなことはいってないが…
御堂関白は俘囚のことをちょっとかっこつけた言い方しただけだと思う 都市名、人名でアタテュルク、アルマアタ なんかもそうか クルガンから話を広げると、
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3%E4%BB%AE%E8%AA%AC
古墳時代の古墳はクルガンかも。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55522331.html >>574
最近知ったのだが
実はスターリンさんも仲間だった が、200-300年あたりでえらい寒冷化し、蛮族大乱入の引き金になるのか(五胡十六国や欧州の民族大移動) >>812-813
200-300年あたりでも満州あたりにいた扶余は農耕民で8万戸もいたんだよなあ
そんで朝鮮半島南部でも稲作がそれなりにできてたんだよなあ >>814
紀元前800年頃鉄器時代初期だから寒冷化してズボンをはく騎馬遊牧民の時代だな
アンドロノヴォ文化の頃は温暖だったのかギリシャやエジプトみたいな服装だった 中国北西方にいた鬼方やケンインや犬戎などと呼ばれた蛮族も騎兵だったのか Corded Ware cultureからのR1aが担い手の主流 アンドロノヴォの連中がインドアーリア人になったのかな >>822
Yamna→Corded Ware→Andronovo→Afanashevo (Yamna→Afanashevo)+(Yamna→Corded Ware→Andronovo→Afanashevo)
=Afanashevo ということはミヌシンスクは
アンドロ信夫と病むなの混合なのかな 最近はBMACの連中がアーリア人の祖先だという説があるようだね 地球の気候変動はヤンガードリアスの急激な寒冷化以降、
紀元前5000年紀の完新世の最温暖期をピークとして、
約1500年周期で寒冷期と温暖期を繰り返して18世紀まで徐々に寒冷化していた。
ユーラシア内部では気候変動に伴う民族移動が度重なり引き起こされている
紀元前4000年紀前半の一次的な寒冷化は印欧祖語話者をカフカースからイランまで南下させた。
紀元前3000紀年までの温暖化は印欧祖語話者(トハラ人)を東トルキスタンにまで東進させている。
また紀元前2000年紀後半サテム語化した原アーリア人(アンドロノブォ文化の担い手)は、
中央アジア・ステップで馬の家畜化とチャリオットを発明し周辺を席巻したが、
紀元前1000年紀の寒冷化に伴い南下しBMACを滅亡させインドを侵略することになる。
このスレは2年前の方が面白いカキコがあったんだな(笑)
書き手はどこ行ったんだろうか 北匈奴・フンの西進は寒冷化が原因という説はわりと聞かれる アーリア人のカスピ海西回り北上ルートと東回り北上ルートはどちらも正解じゃないかな。
西周り北上の集団は完新世の最温暖期に北上を開始して、
紀元前4000年頃黒海北岸〜南ロシアに到達し農耕牧畜のケントゥム語話者になり,
東回り北上の集団はイラン高原に暫く留まり、
小氷期を挟んで1000年以上遅れて北カフカースから南ロシア・ウクライナ東部にサテム語話者として出現した。
中央部を占めたイラン・アーリア系のサテム語話者は遊牧民となり、
青銅器の武器と馬とチャリオットを駆使してケントゥム語話者を東西に分断して、
ヤムナ文化からアンドロノブォ文化を創ったのではないだろうか?
以上は、過去の書き込みだが十分納得出来るものがある。面白い。 ヤムナ文化の元来の基層民はケントゥム語話者であり、
縄目文土器文化や球状アンフォラ文化を基層文化に持つことが推定される。
次代のアンドロノブォ文化の担い手(サテム語話者イラン・アーリア人)侵略拡大のクルガン仮説を裏付ける。
サテム語話者化した後期ヤムナ文化の基層民はスラブ語派やバルト語派の後の農耕スキタイを形成することになる。
そしてケントゥム語話者はヤムナ文化の変質により、
北進ルートを逆進してロシア南部からカフカースのマイコープ文化の地域に取り残された。
これも面白い指摘だ。 >>836
北単于はアルタイ山脈の戦いで負けキルギス草原・康居まで、
もう後漢の追手は来ないところまで逃げたからね
さらに冬の気温が高い場所を目指して西へ行ったということは・・ ミヌシンスク盆地のタシュティク文化は4世紀末に終わる
同じミヌシンスク盆地のアファナシェヴォ文化の住民は
紀元前2500年頃にタリム盆地に移住したようだけど
4世紀にはロプノールが干上がっていたので
タシュティク文化の住民は砂漠化したタリム盆地に
移住しなかったようだ
350年に漢人の冉閔らは華北で南匈奴らを虐殺した
375年黒海北岸にフン族が侵入する 名前:世界@名無史さん[sage] 投稿日:2015/07/30(木) 05:32:03.34 0
>>44
ミヌシンスク盆地で紀元前3500年から2500年頃に存続した
アファナシェヴォ文化がトハラ人だとされる。
紀元前2500年頃にトハラ人はミヌシンスク盆地から
タリム盆地へ移住したとされ、おそらくこの民族移動は
中国の夏・殷・周の成立に影響を与えたと思われる。
まあ、これは定説になりつつあるな。
前1800年頃の所謂「楼蘭の美女」につながる連中か・・・
移動の引き金は前3500年頃から始まったと言われる寒冷化だろう。 夏は米食なんだから長江から北上したグループでしょう ヒッタイトは北進第一世代の印欧語族が、
黒海北岸からカフカースを経てアナトリア東部、レバントへ回帰した出戻り組。
民族的には原八ッティを基層民族とし印欧語族が支配する構造。
ケントゥム語というよりはややサテム語化の兆候がみられ、
黒海北岸で遭遇した原アーリア人(イラン・アーリア人)の二輪戦車を導入している。
また回帰途上のカフカースにはおびただしい青銅器遺跡を遺しているので、
冶金技術は高度であったと思われるが製鉄技術の獲得過程は未解明。
アナトリアの原八ティが発明した可能性もあるものとみられる。
これも面白い説だな
アナトリア説を前提にしているのか 今でこそ文明の十字路、民族の交差点と言われる中央アジア・アムダリヤ川流域であるが、
紀元前3000年紀の青銅器時代の住民構成は意外とシンプルだったことが、
発掘考古学の調査で明らかになりつつある。
従来の学説ではインダス文明との関連でドラヴィダ人の勢力圏との考えが主流だったが、
人類学者達の地道な発掘調査によるとハラッパー人と共通する遺跡は、
アムダリヤ川上流部のショルトゥガイを北限として他には認められず、
それ以外は東部地中海人(アラム人とフルリ人)に属する人々の遺跡、遺骨、碑文であった。
トルクメニスタン側ではアラム人で北東部のアムダリヤ川流域ではフルリ人が圧倒的多数だった。
ホラズムとは「フルリ人の土地」を意味し、アフガニスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの「〜スタン」はミタンニに由来する。
例えばブハラ・オアシスにある地名フルミタン(ペルシャ語)は「フルリ人の土地」を意味する。
紀元前1500年に西アジア・オリエントの地でミタンニ王国を建国したフルリ人はその1000年前は中央アジアで勢力を張っていた。
しかもイラン・アーリア人(R1a)の母体集団(原アーリア人)との深い関わりが示唆されている。
う〜ん、これ原典どれだろう。
実に面白いし参考になる。 >>845
それは最近出てきたアーリア人インド発祥説だろうな
インドの聖典ヴェーダから読み解いてみると古代アーリア人の活動範囲はサラスヴァティ川流域
インダス文明は実はインダス川の文明ではなく、干上がったサラスヴァティ川流域の文明であったと言う説た
この説はインドの民族主義者の間で有力な考え方で、これによるとアーリア人はサラスヴァティ川流域から中央アジアに広がってヨーロッパにまで到達したことになる
ペルシア人の先祖はヴェーダで言うところの魔神崇拝でインドから追放されたパルニ族という事となりゾロアスター教が阿修羅を主神にしていた事と整合性がつく
フルリ人が崇拝していたのはインドラやアシュビン双神で彼らはインダス川流域から渡ってきたということになる
現代の学会ではトンデモ扱いなのでそこは良く飲み込んでおくようにな >>846
独立後に出てきた話かと思っていましたが
そんなに最近なんですかww アーリア人がインドから来たというのはナチス党も主張していたな
その後一旦廃れて、また復活して来たわけだ
ヨーロッパ人は自分達を旧約聖書に出てくるヤペテの末裔と位置付けているからアララト山のあるコーカサス発祥にしたがるんだよね
ノアには三人の子供がいて、セムの末裔がアジア人、ハムの末裔がアフリカ人、ヤペテの末裔がヨーロッパ人と伝承されている
ノアの箱船はアララト山に流れ着いたから印欧語族はコーカサス発祥、ヨーロッパ人の思考回路はこういうこと
本当かいなと疑いたくなる ただ血統的に言うと
アーリア人の主流はR1aだから
インド発祥説はそれとの整合がとれるかだな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています