X



西ローマ帝国を語ろう [転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/28(金) 10:31:39.750
ギボンにもイスラム教成立までの繋ぎ扱い
資料が少ない
華のあるビザンツ帝国のほうが面白い
と苦難だらけの西ローマ帝国を語ろう!


Wikipediaから一覧

395年 - 423年 ホノリウス(西ローマ初代・テオドシウス朝第2代)
423年 - 455年 ウァレンティニアヌス3世(テオドシウス朝最後)
455年 - 455年 ペトロニウス・マクシムス(テオドシウス朝断絶後の初代)
475年 - 476年 ロムルス・アウグストゥルス(最後)
474年 - 480年 ユリウス・ネポス(事実上最後)
0002世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/28(金) 15:31:58.260
西ローマ帝国を語るのなら364年のヴァレンティニアヌス帝からではないんか?
0004世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/29(土) 00:11:43.670
何気にこの時代ゲルマン人主体の国が北アフリカまで建国されてたっていうことは注目していいところだと思う

バルト海からサハラ砂漠まで、他の民族を取り入れてはいたが、1つの民族がこれほど長い距離を移動して国を立てたのは、遊牧民でもない集団ではかなりまれなことかもしれない。
0005世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/29(土) 00:52:57.470
アリウス派とニカイア派のどちらが主流になるか争いまくってた時代か
0007世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/29(土) 13:17:25.820
>>6
無人地帯を移動するのと、色んな人間ひしめく文明地帯を移動するのとでは訳が違うと思うんだ…
それとアメリカの場合は北から南まで千年以上かかってるし、到達したのが同じ集団かは定かではない

そんなわけで西ローマ時代のゲルマン人の征服はなかなか珍しいことなのではないかな?
多分ローマのインフラと征服した土地の人間が大きく関わっていたと思われるけど、加えてゲルマン世界とローマ世界がどれ程関わっていたのかも詳しく知りたい
0008世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/29(土) 13:41:12.680
アレクサンダー大王もインドまで約10年近くで到達しているから移動時間はお馬さんの速さじゃないの?
0009世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/29(土) 20:44:58.75O
イスラムの征服までは北アフリカもヨーロッパの一部みたいなものか
あるいは地中海世界から北アフリカが離脱してヨーロッパが成立したか
0010世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/30(日) 00:32:06.090
西ローマ帝国を語ろうぬむの戦い にスレタイを何故しなかった?
0011世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/30(日) 19:01:33.990
ヴァンダル王国だけヨーロッパの飛び地として
アフリカに残っていたらオモシロかったろうに
カトリックを信仰するベルベル人の国家
(王はゲルマン+ベルベル)
0012世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/30(日) 19:54:24.570
もともとはアリウス派らしいけど、
西ヨーロッパの国々と手を組むためにはカトリック改宗は仕方ない
0013世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/30(日) 19:58:39.410
「コンスタンティノスの寄進状」とか見ると、
中世ヨーロッパでは
西ローマって完全に忘れ去られてたんじゃあるまいな
0017世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/31(月) 23:15:53.070
この時代の食事も気になるなあ
戦争するわけだがら一日1万カロリー程度取らないと腹減ってしょうがないが
ローマ人は滅多に肉を食べず基本菜食主義だったわけで菜食主義でよく戦争出来るな
0018世界@名無史さん
垢版 |
2015/08/31(月) 23:33:50.900
>>16
いや、偽書だろうとそれが信じられてたってことでしょ
どうも中世の西欧人の認識だと、
皇帝と教皇が帝国を二分割したみたいな感じだったみたいね
0019世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/01(火) 08:20:39.150
>>17
肉はそんなにカロリーに溢れた食材じゃねぇからな

ローマ軍はオートミールとか玉葱が支給されてるから
カロリーと必要な栄養素はそれでなんとかなった
足りないものも多いが
0020世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/01(火) 12:38:09.950
西ローマ帝国は早いうちからゲルマン民族の侵攻にあいローマ人との同化が進んでいったからな
ローマ教皇(ローマカトリック教会)がゲルマン民族でも数少ないアタナシウスの説を採用したフランク人と提携した時点で西の皇帝は不用となった
その後の西ローマの皇帝権(フランク皇帝→神聖ローマ皇帝)はローマ教皇とカトリックを守護する用心棒に過ぎないのです
0021世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/01(火) 20:15:23.87O
メロヴィング朝って全くローマの国境を越えてないのか
0022世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/01(火) 21:27:38.140
ザクセン戦争ってカエサル以来800年ぶりに
「ヨーロッパ」のフロンティアが東に拡大した大事件かもしれん
0023世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/02(水) 09:24:29.42O
>>22
次が北方十字軍
0024世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/02(水) 16:30:38.070
西も東もローマ帝国に就いて語りたいのなら、

京都大学学術出版会より刊行されている傑作

『西洋古典学事典』を、

しっかりと読むことだ。

それに尽きるぞ。

よいな。
0026世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/03(木) 21:39:29.620
>>17
食料は敗北した部族に提出さしたり地元の友好部族の市場から買ったりで
色々だから常に同じもの食ってたわけじゃないけどな
0027世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/08(火) 21:28:13.060
>>3
なんで塩婆に無視されたんだろうね?
オドアケル支配のイタリアは延々とやったのに。
0028世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/08(火) 22:11:55.910
>>27
しまったシアグリウスはガリアだったか
俺はオドアケルの王国と間違っていたわw
シアグリウスは塩野さんの範疇ではなく佐藤賢一先生の範疇でしょうね
0029世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/15(火) 23:45:02.960
塩婆はカエサルとオクタブィアヌスのローマが好きでそれ以外はどうでもいい感じ…の印象しかない
0030世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/16(水) 01:46:55.030
ローマ人によるローマらしさが残るローマが好きなんだよ
要はカエサルが設計しアウグストゥスが立てたローマ帝国だな
そういう意味でローマらしさが残ってないローマ帝国は後継国ではあっても正真正銘のローマじゃないのよ
政治体制はいくら変わってもローマらしさは失って欲しくなかったんじゃないか
0031世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/16(水) 13:11:24.690
そもそもカエサルがそれ以前のローマ人らしくない

帝政は本来ありうべきローマらしさではない
0032世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/17(木) 07:53:29.350
カエサル以前のローマはイタリア本国と属州がしっかりつながっておらず
イタリア本国以外はいざとなれば放棄出来そうな状態だった
カエサルとアウグスツスによって肥沃な属州の間の気候の厳しい土地も
属州化されてローマの領土が一体化された
ライン河とドナウ河とユーフラテス河を天然の堀として
全領土を防衛するようになった
0033世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/17(木) 20:30:08.870
昔ほどローマらしいローマだと考えるなら
初期の王制時代こそがローマだということになる

だがその頃は小国で、半島内ですら決してトップの国ではなかった
0035世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/17(木) 23:33:00.920
共和制でも
小国だった時代のローマではなく
ポエニ戦争以後の大国になったローマだな
0036世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/18(金) 08:11:34.040
ポエニ戦争以後の大国になったローマは
地中海式農業が可能な土地を征服していった
各地の属州は島のように点在していた

カエサルとアウグストゥスが地中海式農業が
出来ない土地も征服して領土を繋ぎ合せた
0037世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/18(金) 21:25:05.380
いや結局飛び地的領土ってのは当時の技術レベルの限界だぞ
0038世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/19(土) 00:18:19.220
飛び地じゃいざというときに使者が自由に行き来できるという保証は無いし
中央の支配を無視して現地が好き放題することも容易だ
0039世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/19(土) 02:14:12.100
飛び地的領土では反乱が起きた場合に各地に大軍を派兵していた

アウグストゥス以後は国境の大河川ぞいに兵力を配置して外敵に備えたけど
これは既に支配していた属州で反乱が起き難い事が前提となる
0040世界@名無史さん
垢版 |
2015/09/23(水) 12:58:28.770
8 名前:世界@名無史さん

京都大学学術出版会が出している
『西洋古典学事典』のI-PAD版が大変
役に立ちます。

有益この上ないツールですので、買わないと損をしますよ。


とくに古代ギリシャ・ローマに関心のある方々にとりては必携ですぞ。
0041世界@名無史さん
垢版 |
2016/01/02(土) 22:14:31.120
なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。

最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。

しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。

中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。

その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。
0045世界@名無史さん
垢版 |
2016/11/04(金) 16:44:59.170
ムッソリーニ近代の西ローマ皇帝
ベルルスコーニ現代の西ローマ皇帝
なのだポン
0046世界@名無史さん
垢版 |
2016/11/05(土) 21:35:11.710
スティリコ(ゲルマンとのハーフ)のおかげで帝国が維持されてたのに
ホノリウスがスティリコを殺害した所為で衰亡が確実になった
異民族を嫌うトランプそっくり
0047世界@名無史さん
垢版 |
2016/11/05(土) 22:35:47.630
テオドシウス1世がマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒した時に
西ローマ軍は東ローマ軍により大損害を被っていた
スティリコは東ローマ軍の一部を率いて西ローマ防衛を任されたけど
戦力が不足したので東ローマと兵の奪い合いをせざるえなくなった
多く兵を輩出するバルカン北部を西ローマが東ローマから奪おうとしたので
東ローマは西ゴート族をバルカンから追い出せて一石二鳥という事で
西ゴート族を西ローマにけしかけた
0048世界@名無史さん
垢版 |
2016/11/05(土) 22:40:14.360
テオドシウス1世がマグヌス・マクシムスやアルボガステスを倒した時に
西ローマ軍は東ローマ軍により大損害を被っていた
スティリコは東ローマ軍の一部を率いて西ローマ防衛を任されたけど
戦力が不足したので東ローマと兵の奪い合いをせざるえなくなった
多くの兵を輩出するバルカン北部をスティリコが東ローマから奪おうとしたので
東ローマは西ゴート族をバルカンから追い出せて一石二鳥になるという事で
西ゴート族を西ローマにけしかけた
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況