要はオドアケルによる西ローマ帝国滅亡というのは、
帝国西部におけるローマの統治・行政機構、および秩序の衰退・崩壊過程でのひとつの現象に過ぎない
その一応のトップである(西)ローマ皇帝にゲルマンの王が変わっただけで、
衰退し力を失いつつあったと言ってもそれまでのローマの行政機構が廃止されたわけじゃない
元老院も執政官も存続する

しかしここでまた大事件が起こる
東ローマに認められてたはずの東ゴート王権だが、なんだかんだあって対立し東ローマ皇帝ユスティニアヌスの再征服を受けることになる
この再征服=ゴート戦争でイタリアは壊滅的な被害を受ける
ローマ市も戦争中に東ゴートによる大規模な略奪・破壊をまたもや受けることになる

ローマ最盛期の人口は100万を数えたと言われる
西ゴートの略奪後、東ゴートがイタリア統治していた時代は20万に満たないくらいかと推測されてる模様
で、ユスティニアヌスの再征服、ゴート戦争後には数百人しかいなくなっていたという記録がある
西ローマ滅亡後も存続していた元老院もゴート戦争後には当時の教皇が「元老院はどこにあるのだ?」と嘆かせるに至る
(のだが、そんな状況となっても元老院はもうちょっとだけ続く)