スペイン帝国vsオスマン帝国vs明vs桃山期日本 [無断転載禁止]©2ch.net
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スペインが征服できた所って、ユーラシア大陸以外の無茶苦茶に未開な所だけ。
鉄すら存在しない所を征服しただけで、インドも中国もアラブも無傷。
オスマン帝国には押されまくり。 日本に決まってる
スペインが日本征服は無理と認めるくらいだからな
当時の日本は世界最強国家
日本>>>>>>>>>雑魚オスマン>ヨーロッパ笑
これが真実 十字軍遠征は結局失敗
ドイツ・ポーランド連合軍がモンゴル軍に惨敗
ヨーロッパ諸国が束になってようやくオスマン帝国と対等
スペイン宣教師「日本を植民地にするのは無理だわ」
中世ヨーロッパって軍事的にはしょぼいな 専守防衛なら日本もそこそこいけなくはない。
わざわざ来ていただけるか甚だ疑問だが >>2
せやな
つか16世紀はまだまだ帝国主義なんかじゃなくてせいぜいが原住民しかいないような未開の国を滅ぼすくらいが関の山だしな
西洋優位の今の価値観を当てはめて考えるからわからなくなる
この頃はまだまだアジアの帝国が優位
>>3
・フィリピンなどと違って組織的な抵抗をしてくる
・兵器や戦術が強力
・為政者が軍人
・商人の統制が強く、金品での懐柔が難しい
つけ入る隙が無いんだよなあ 白村江の戦い 〇唐 VS 日本●
文永弘安の役 ●元 VS 日本〇
文禄慶長の役 〇明 VS 日本●
日清戦争 ●清 VS 日本〇
日中戦争 〇中華民国 VS 大日本帝国● >>9
文禄・慶長の役も日中戦争も戦闘では中国ボロ負け
軍事的に中国が日本に勝てたのは白村江くらいだろ >>7
豊臣政権期はオスマンはもう下り坂
この時期君主のカリスマも低下し明ほど酷くないものの、官僚支配と戦意技量の低い軍隊に
なっていた。戦闘だけなら豊臣政権が勝利したのではなかろうか
カリスマ・スレイマン1世時代なら戦闘互角かも
ただ四方を海に囲まれた日本と、東西北の三方を敵に囲まれたオスマンとでは
条件が違いすぎて比較が難しい
同じことはスペインにもいえて、四方を自然国境に囲まれ恵まれていながら、
オランダという経済重要地域に敗北し、あまつさえイングランドに敗北してしまった
スペインもいまいち。軍事的には豊臣政権が勝利できたかも
というわけでこの時期の4国の比較では戦闘に限っては日本かな ただ日本は水軍が弱いのが痛いな
海戦ではスペイン>オスマン>>日本=明かね 各国の人口(1600年時点)
日本 2200万人
李氏朝鮮 500万人
明朝 1億5000万人
イベリア帝国(スペイン・ポルトガル) 1050万人
オランダ 150万人
ブリテン諸島全体 625万人 >>14
あと大砲がほとんど無いことも弱点
スペインもオスマンも明も大砲は主力兵器として多数装備してる オスマン帝国は海軍もそこそこ強かった
プレヴェザの海戦でスペイン・ ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊を破ってるし スペインはイタリア+ベルギーで1500万ぐらいはいる 瞬間的な強さでいえばポーランドのフサリアが最強だな だいたいスペイン領のナポリ王国とミラノでイタリアの人口の4割ぐらい占めてると考えて
スペイン領イタリアで人口500万
それプラスベルギー150万で今のフランス領アルトワやフランシュコンテも支配してたから
スペインの人口は最低でも1700万越えぐらいかな 宣教師フロンソ・サンチェス (スペイン国王への手紙より)
シナ人は自国のおびただしい人口に自信を持っているものの、
スペインのわずかな鉄砲隊で、
何百万人ものシナ人を滅ぼせるという事が理解できていない。
先年僅か13人の日本人の搭乗した小舟が一艘渡来し、
3000人以上のシナ人に包囲され、洞窟に閉じ込められたが、
彼らはそこから脱出するや、
直ちに多数のシナ人を殺してしまった。
シナ人は彼らを一昼夜に渡り包囲しながらも攻撃を加えることができず、
脱出した日本人は近くの海岸に行って舟を奪い、
それに乗って逃げてしまった。
シナの征服は日本人の軍事力を利用してすべきである。 陸戦 日本=オスマン>>スペイン=明
海戦 スペイン>オスマン>>日本=明 16世紀ならむしろサファヴィー朝だろ。
世界史は西洋視点だからオスマンはやや過大評価。
明は秀吉やヌルハチ相手にあの体たらくだったが当時の明朝は完全に衰退期の暗黒時代だった。
でも15世紀の頃は間違いなく世界最大の超大国だったんだよなあ。
永楽帝の頃なら室町幕府なんて相手にすらならなかっただろうね。
ただ明が日本に攻めるとなると話は別。
明より国力がずっと上だった大元ウルスですら失敗してるんだからね。
実際に日本と同じようにモンゴル撃退したベトナムは
明の時代にも攻め込まれてるんだが元の時より遥かに簡単に明を撃退してる。 ところで、>>1の一番強い ってどのことをいってるのかね?
総合的軍事力、個別戦闘での軍事力、経済力、総合的な国力、地理条件や、
統治条件(多民族国家統治の評価、国力持続のための制度など)を含めた話?
全部を含めるとオスマン>スペイン>明=日本くらいに思えるが
(日本も、せっかく進出していた東南アジアの日本人町を
植民地化するなどできていればスペイン並みだったかも)
>>18-19
フィレンツェにもスペイン軍が駐留していたから、スペイン人口はもう少し
増えるのではないか。1430年のフィレンツェの財産査定調査で人口20万らしいから、
16世紀末頃は多いところで50万程度にしかならないかも知れないが
あと新大陸やフィリピンの人口も加えると2500万くらいになりそう 日本は朝鮮出兵みる限り動員力15万だが戦闘で多くて4-5万ぐらいだ
だいたいスペインと同じくらいだな
国内戦だともっといくが補給考えると参考にならん
ちなみに中国も国内戦だと数十万同士で戦うケースがあるが対モンゴルや朝鮮出兵みるかぎり10万ぐらい >ちなみに中国も国内戦だと数十万同士で戦うケースがあるが対モンゴルや朝鮮出兵みるかぎり10万ぐらい
意外とそこまで多くはないんだな(補給の問題もあるんだろうけど)
隋なんて高句麗遠征で100万程動員してるが、ああいうのは例外中の例外か 高句麗遠征は完全に盛ってるから
当時の高句麗の人口が100万とか200万とかそんなんだから
基本遠征は現地徴収も重要だからそんなところに100万の兵連れてったら飢え死にする 中国の記録って明らかに誇張と解るようなオーバーな数字の嵩ましするけどあれ自分達が後で振り返ったとき困んなかったのかね 困るだろうけど気にしないんでしょ
まぁ古今東西盛る文化はあるからね
インドとかもひどいらしいし、ヘロドトスもペルシャ兵数百万とか誇張してる 当時の明軍のだめだめ振りと倭寇の日本人の優秀さは戚継光が記している
当時の明軍は表向きは軍戸(軍籍家系)から出来ていたが、軍役以外の様々な
苦役があり逃散していたため、募兵制がとられたが、応募してくるのは
食い詰め人ばかりで、軍隊を救貧院と考えている連中だった。司令官は世襲制で
無能でも司令官についた。このような烏合の衆から構成される軍隊は、数だけ
多くても何の役にも立たなかった
戚継光は、募兵基準に、都市民は除外するようにし、基本的に素朴な農民青年を
雇い、倭寇(の日本人部隊)の組織力や武器を研究し、集団戦法と規律を厳格化して
倭寇と転任先のモンゴル軍の撃退に成功した。
戚継光の軍隊はあくまで例外であって、戚継光が否定した「現状の明軍」が
明の実態であった一方、倭寇(の日本人部隊)は当時の武士の軍事力の最低ラインであった
筈なので、明と日本軍の軍事力の差は圧倒的だった(とはいえ文禄・慶長の役では
明軍の数だけ軍隊もそれなりに効果はあったことになるが) 経済的徴兵制とはいうが飯食うために傭兵になったりなんて古今東西よくあること
昭和初期以前なんて貧しけりゃ兵隊に行ったり、身売りされたりすることなんて珍しくもなかった
今が豊か過ぎるから過酷に見えるだけ(一般家庭でもニートを飼えるくらい余裕があるし) 明末の破滅感は半端ない
皇帝は暗君だらけ、宦官による専横、官僚は無能、袁崇煥のような名将を凌遅刑
勝手に自滅したようなもん 清が明を征服したと思ってる人が多いが
本当は明が勝手に自滅したところに清が乗り込んできただけ。 秀吉の朝鮮出兵に対する日本vs明の勝負なら、
結果だけを言えば日本側が撤退し明が防衛に成功したので明>日本
同時期のオスマン帝国はキョプリュリュ家の統治が一時的に断絶して混乱、ハプスブルク家・サファヴィー朝との長期戦中で内乱まで勃発
同じくスペインは英西戦争中で、結果的にはスペイン優勢下の引き分け
明と他2国を比較する術がないが、明>日本で構わないだろう 明は超大国だから地力が違う
16世紀は世界史として面白い時代だったと思うなぁ >>9
結局これ攻めこんだ方が負けるってだけの話だよな
日清戦争は例外だけど >>37
キョプリュリュ家の統治って17世紀じゃないの >>39
汽船の無い時代には海越えの征服など無理だった。
ただし統治されてない未開地の征服なら可能。
未開地でなくても群雄割拠状態ならその割拠する群雄の一つとして参入可能。
例:ノルマンコンクェスト >>36
ムガールも大帝国だが流石にスレタイの4国と比べると見劣りするな
サファヴィー朝にもたびたび負けてるし 「The Grand Strategy of Philip II」Geoffrey Parker
の202頁に1587-1588年のスペイン軍の兵力の記載があってそれによれば
・スペイン、北アフリカ、ポルトガル
アルマダ乗船 19,000
要塞守備兵 29,000
・イタリア
ミラノ 2,000
ナポリ 3,000+ガレー船22隻
シチリア 2,000+ガレー船10隻
・海外
ポルトガル領アジア 5,000
スペイン領アメリカ 8,000
・ネーデルランド
英国侵攻軍 27,000
要塞守備兵 40,000
合計135,000 アルマダ海戦じゃ砲数2400門のっかってたからな
両軍あわせて4000門ぐらいか
海軍能力は西が圧倒的すぎる 鈍重なんでしょ。お宅の船は。マストなんてお笑いだし 鄭和の船は10本ぐらいマストがあるから大変だよ
ゆるい海域で大勢の人間を運ぶための船だな >>21
ちなみにアヘン戦争時のイギリスは清の正規軍には圧勝してるけど
平英団には結構苦戦させられてる >>43
ムガールが桃山日本より下になるの?
時期的に初期の頃ならそうかもしれないけど >>16
日本の軍事組織って地形的制約や後には生産力や予算の関係で大砲が運用しにくいから
それを歩兵の重装備化で解決しようという風潮が強いのね。
戦国時代の鉄砲にしろ、旧軍の機関銃や擲弾筒にしろ、戦後自衛隊の対戦車ミサイル山盛り装備にしろ 戦国日本最強言ってるのはネットのアホに限らんからなあ
右派的な作家やらが書いた歴史本でも当然のような論調で出てくる 鉄砲数も世界一とかいってるけど具体的な史料にでてくる数値は大して多くないし
妄想が一人歩きしてる >>55
しかも上にもある通り大砲がほとんど無いことも考慮すれば
火力は当時の世界の主要国で最小クラスだろ。 ノエル・ペリンの著作しかないからね。
信長や九州のキリシタン大名が鉄砲をいっぱい持っているので
日本全国に大名がいっぱいいたのでいっぱいあったに違いないという推測だし。 日本の都市は城壁を築かないのが普通なので壁を崩すための大砲はあまり必要とされなかった
山がちな地形が重たい大砲の持ち運びを困難にした
硝石を産しないため一度に多くの火薬を用いる大砲の使用は敬遠された
理由としてはこんなところか? 慶長19年(1614年)12月10日、徳川家康は大坂城の豊臣方に対し投降を促す矢文を送り、
11日には甲斐や佐渡の鉱夫を動員して南方より土塁・石垣を破壊するための坑道掘削を始めた。
13日、家康は大名一人につき50本の熊手付き梯子を配っている。更に、船場の堀の埋め立ても命じた。
そして16日から全軍より一斉砲撃が始められる。北方の備前島だけで大筒100門と石火矢が本丸北側の奥御殿に、
南方の天王寺口からはこれまでの総構から本丸南方の表御殿千畳敷に目標を変更した砲撃が和議締結まで打ち込まれ続けた。
この砲撃では国友製3貫目の大砲が用いられ、また芝辻理石衛門が作った大砲が使われた。
この後者は世界的にも珍しい鍛造で作られた鉄製の大砲である。この大砲の実物は現在、靖国神社の遊就館に奉納されている。
その他、6月頃にイギリスより購入したカルバリン砲4門、セーカー砲1門や7日前に兵庫に到着したオランダ製4・5貫目の大砲12門(半カノン砲に比例)も含まれていると思われる。
この砲声は京にも届き、その音が途切れることはなかった。 >>52
桃山時代のアクバルはサファヴィー朝と戦争してないから>>43は誤り
>>43は17世紀のムガールのことをいってるんだろう >>58
『鋳造工学』第76(2004)巻7号によると、
・日本の鉄は大砲向きじゃない
・輸送経費込みでも輸入した方が遥かに安い 1600年前後のオスマンならスペインと同じくらいじゃね 1600年はスペインもオスマンも明も下り坂
日本はパクス・トクガワーナの前段階で戦国の気風もまだまだ強い頃 >>33
つうか士官でなく下級兵卒が食い詰めであるというのは
武器が安い近代以降はむしろ普通だろ 日本は朝鮮で失敗してるだろ
火力や海軍で劣るし動員力もスペインよりちょい上ぐらい
中間地点で戦うなら一番不利だな 世界三大パクス
パクス・ロマーナ
元祖ローマの平和。広大な領土に高度な文化、世界史的黄金時代。
偉大な建造物の数々は圧巻。
パクス・アメリカーナ
現代の超大国アメリカ。巨大な軍事力、経済力を兼ね備えた一極体制。
ヨーロッパ諸国を従えた自由主義の覇権は圧倒的。
パクス・トクガワーナ
戦国の勝者徳川幕府。主に日本の関東地域の領土に加え地方大名を統制した。
その威光は琉球から朝鮮まで多大な影響を及ぼすほど。 大砲大砲というが欧州だってあの時代のスペイン方陣無双を考えるに野戦での威力は大したことないんじゃない?
まともに野戦に使えて威力を発揮するのはもう少し後の時代だと思うが >>71
大したことないなら使わねーよ
どの国も使ってるんだから威力はある
だいたい日本も朝鮮で苦労してるし 【超贅沢三昧!】古代ローマ人のめちゃくちゃ快楽生活色々 ランキング!
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文化的な生活水準
帝政ローマ時代のローマ市民=中世ヨーロッパの王侯貴族 >>69
そこは、パックスタターリカを入れないと。 >>3
世界最強国日本を撃退した朝鮮は世界最強という事か→ここでネトウヨ否定レス ちなみに戦後すぐに勃発した朝鮮戦争で米国は中国と痛み分けに終わってしまい
英国との独立戦争で勝利して以来、米国にとって歴史上初めて勝利出来なかった戦争となった
世界征服はもはや不可能である、という現実を米国に最初に突きつけたのは中国だった >>79
USは独裁制じゃないから恐らくオバマよりプーチンのほうが持ってる力は大きい。
プーチンは世界二位の武力を自由に使えるが
オバマは世界一位の武力を自由に使えるわけではない。 >>77
あんなん人海戦術で死人出しまくりながら戦ってただけじゃん
仮に中国人全てを兵士にして投入しても当時の米軍なら余裕で殲滅出来たぞ
世界征服なんて興味ないから割りに合わないと思って退いたけど >>73
大したことないは言いすぎだが、
火砲の運用がまだ確立していなくて敵への損害が限定的であったことは事実。
テルシオという運用自体が火力が不足してる戦場でしか通用しなくてそれがそこそこ長い期間猛威を振るったということは
欧州式軍隊の野戦での火力はそんなもんだと言うことだ 大砲の性能が凄いと日本が弱くなるから認めてはいけない >>82
百年戦争末期のカスティリヨンの戦いとか火砲活躍しとるじゃん
まだまだ防御的な兵器で塹壕や野戦築城がないとまともに運用できなかったみたいだけど
テルシオも三十年戦争後半のロクロワの戦いでフランス軍にボコられて衰退を余儀なくされてる
フランスの軍事革新力はもう少し評価されていいかも 1605年の軍役みる限り5000石あたり鉄砲10挺だから理論的には全国で3万数千挺くらいとなる
トルコだとイニチェリは1591年に4万9千
スペインは1600年には歩兵の半数が銃兵だから
正確な数値はわからんけど小火器でも圧倒的というわけではなさそうだな >>77
世界征服はもはや不可能である、という現実を秀吉に最初に突きつけたのは朝鮮だったニダ
どうせ明を征服した処で統治に苦労するだけだし、そこはスルーして南方に進出しとくべきだった
東南アジアにも利権が出来れば保守的な徳川は豊臣に手が出せない 西国中心の時代が現在までずっと続くはず
何故か明治維新を起こしたのは西国勢なのに都はすんなりと江戸になってしまった 京阪神は若干期待を外されたか >>82
大砲は相手をビビらせる心理的な影響もでかいんだよ射程距離もずっと長いしな
それに海戦だと大砲が勝敗を決するし
1600年ぐらいだと野戦砲は大陸だと必需品になってるけどね
少なくとも火力が薄かったテルシオ初期(1500年頃)と比べものにならないと思う
どんくらい効果があるかは正確にはわからんけど カスティリヨンの戦いは結果的なところもあるとはいえ
野戦築城してる優勢な部隊に突っ込んだもんだから大砲がなくても勝てない訳がないんだよなあ
その意味では長篠の戦いと似ているのかもしれんが なぜ中世ヨーロッパは厳格なキリスト教を受け入れたのでしょう?
そこにはもちろん、合理的な理由があったのです。
最大の理由は中世の貧しさです。
禁欲のキリスト教は貧しい中世の荘園世界にジャストフィットしました。
それ以前…古代ギリシアやローマの時代は豊かでした。
なぜなら地中海を支配していたからです。
温暖な気候の中、各地域はそれぞれの特産品の生産に特化し、海上貿易が盛んに行われていました。
人々はその経済力で食と性の享楽にふけりました。
しかし、ゲルマン民族の大移動で西ローマ帝国は崩壊。経済秩序が破壊されます。
またイスラム勢力に地中海の制海権を奪われ、貿易も不可能になりました。
ヨーロッパは深い森の中で、小さな村(荘園)単位での自給自足体制を強いられます。
中世とは都市も海も失ってしまった時代。
人々はアルプス以北の寒冷な森に入って行きました。
地力もなく、流通もなく、深い深い森の中にある小さな村での自給自足。
その貧しさに耐えるため、中世は神への強い信仰を必要としたのです。 海戦ではスペイン
陸戦ではオスマン
国力では明
個々の戦闘力では日本 >>9
蒙古が攻めてきたのが鎌倉時代なのが救いだったな
これが平安時代の麻呂だったら負けていた 縄文時代は平和だったけど弥生時代になると一気に戦争が増えたようだ 世界最高の和弓なら撃退できた。
時速300kmを超え射程300mを余裕で超えるからな。 >>11
遠征が成功したかどうかは、
はなはだ疑わしい。
一日の戦闘後、陸に留まらず
船に引きあげてたってことは、
鎌倉武士を恐れてた証拠。
それに船に引きあげてたからこそ、
嵐であれだけ大損害を受けた。
それに二回目では、なかなか上陸できず
海上をうろおろしてたのも、
日本側の手強さが骨身に染みてたから。 >>93
平安末期だったらそうでもないかも。
源氏、平氏を頂く武士団が全国規模成立してたから。
平安期の武士の戦闘力もかなり高かった。
規模は小さいが道長の時代に
九州武士団だけで刀伊を撃退してるからね。 明朝のある意味すごいところは暗君のオンパレードなのに約300年も続いたこと >>103
朱元璋の政治センスが頭抜けているから
あいつ漢民族の復興と見せかけておいて大元ウルスは天命を受けた王朝だからそれを継承するって
平然と言い放って北元をボコりに行きやがったから
王朝初期の遺産が大きすぎる
土木の変のエセンにしろ庚戌の変のアルタンにしろ大元ウルスよりかは小物だ 資料によると、戦国時代の宣教師、日本と対峙した明兵に始まり、
日露戦争のロシア人、大戦中のアメリカ兵と時代が変わっても
「日本人の兵士と近接戦闘は絶対にするな」と言う記録が残ってるね
明、宣教師の方は :我が国だとそれぞれ武器によって兵の役割を変えているが、
侍は全てを我が国の一流の兵士の如く使う。銃を使わせると末端の兵士が狙撃手並だ。
やっとの思いで接近すると、今度は異常に切れる刀を使い、横に素早く跳躍して見えない所から襲ってくる。
ロシアだと :小男だと思っても接近戦はしてはいけない。不思議な術で倒されて喉を一突きにされてしまう。
(この経験から柔道、合気道を徹底的に研究してコマンドサンボが生まれた)
アメリカは資料ビデオ作って流してた。
航空戦力がメインだったけど、どんなに少数でも相手を侮って近寄らずに
日本兵が死に絶えるまで爆撃と艦砲射撃しろって内容。 というか同盟とか結べないの?日本は
火薬生産が厳しいしスペインあたりと同盟しないと厳しいと思うけどね >>107
日米安保条約を過去にも適用してアメリカから援軍を出してもらおう アメリカの分析だと日本は白兵戦ヘタだろ
射撃が下手、奇襲に頼り過ぎだとかなんとか >>109
それ、アメリカ軍の報告書をまとめた奴だったけ?
軍板の方ではあの本色々異論が上がってたような・・・ 加藤清正とかガレオン船みたいな風呂つきの船もってたらしいが 日露戦争も日本の方が死傷者多いし
ノモンハンも大して変わらん
少なくとも強国相手に圧倒的できるほどでもないな 勝っても死傷者多すぎると国の人口バランス崩壊するから
第一次世界大戦のフランスで一世代消失→アルジェリア移民の影響は21世紀まで引きずる
第二次世界大戦のソヴィエトは二世代消失→未だに人口回復せず
人口は国力だけどそれに頼った戦い方はしない方がいいな スペイン
膨大な植民地を擁する日の沈まない帝国。
海では無敵艦隊、陸ではテルシオと最強の戦力を率い世界制覇へ邁進する。
オスマン
史上最大のイスラム帝国。
先進的火器武装に加え、最精鋭たるイェニチェリは世界最強に相応しい。
明
圧倒的人口を抱える中華帝国。
洪武永楽の栄光に比べると劣るものの、未だ他国を凌駕する大軍勢は健在。
日本
朝鮮に大遠征を繰り出し、圧倒的攻撃を見せつけ撤退した最強の侍帝国。
秀吉病死によって夢と終わったが、欧州をも征服する力を秘めていたと言われることもある。 >>114
16世紀〜17世紀初頭でいいのか?
カール5世の時期とフェリペ2世の時期とでスペインの評価が分かれそうなんだが
スピノラ登場はフェリペ3世までずれこむし 17世紀の間に西洋は科学革命を起こし他文明から超絶してしまう
もはや武器を輸入するだけでは追いつけない壁 >>116
イタリアの第一次エチオピア戦争を見ても同じことが言えるかな? イニチェリは1600年ごろに人員急増して質が落ちてる
実際その頃の戦いで「オーストリアは射撃のスペシャリストが揃ってるのにうちは」って司令官が嘆いてるからな >>118
射撃のスペシャリストってことは猟兵のこと?
一応ヤーゲル銃はその頃には生産されてるけど なんのアメリカにはピカニティーレールにタクティカルライトとレーザーサイトを着けたCQBマスケットがあるぞ! この時代の君主は個性派揃いだな
スペイン フェリペ2世(スペインの絶頂期に君臨した偉大なる王)
オスマン ムラト3世(皇帝自ら公然と売官・収賄する腐敗ぶり、ハレム建設)
中国 万暦帝(明史どころか中国史上屈指の暗君)
日本 豊臣秀吉(日本史上、最も成り上がった漢) >>125
万暦帝も張居正存命時なら全然雑魚じゃない
ピンだと積極的暗君になり下がるが >>126
>万暦帝も張居正存命時なら
そりゃ張居正が有能だっただけで万暦帝が有能だったわけじゃない >>122
スペイン帝国vsオスマン帝国vs明vs桃山期日本
なのでアメリカは不可 海戦
スペイン>日本>オスマン>明
陸戦
日本>オスマン>スペイン>明 しかし君主一人がゴミなぐらいで国が傾くのは
明の政治システムには問題ありだな 海戦
スペイン>オスマン>>>明=日本
陸戦
ポーランド>オスマン≧スペイン>明≧日本 「朝鮮王朝実録」
「日本兵との接近戦を禁じた」
「日本兵捕虜に熱心に剣術を習った」
「宣祖修正実録」
「天兵(明兵)短剣騎馬にして火器なく、道険しく、泥深くして馳テイする能はず。
賊(日本軍)長刀を奮ひて左右に突闘し鋭鋒敵なし。」
「懲秘録」
賊(日本軍)は歩兵で、打ち振る刀は、三、四尺におよび、鋭利無比のものであった。
賊はその鋭い刀を左右にはげしく打ちふるい、人馬の区別なく斬り伏せた。
全くその勢いには抗すべき道がなかった。
「明史」
「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
我が国とその属国(朝鮮)に勝算は無かったが、関白(豊臣秀吉)の死によって戦争は終わった 日本は二十万の陸軍を動員することができた。
これは当時世界最大の陸軍国である。
それも戦国で鍛え抜かれた精兵。
鉄砲の装備率も高い。
日本に負ける要素なし。 >>127
秀長没後の秀吉の老害ぶりもなかなか
別人というくらい冴えが消えたよな 李如梅はサルフの戦いの直前に朝廷の者から日本兵と満州兵の強弱について聞かれて「倭兵は体躯倭少なれども、敏捷にして、鳥銃をよくす。ただし一人同志の戦いとなれば、倭兵三十人をもってしても、満兵一人に敵せざるなり」と回答している。 李如梅はサルフの戦いの直前に朝廷の者から日本兵と満州兵の強弱について聞かれて
「倭兵は体躯倭少なれども、敏捷にして、鳥銃をよくす。ただし一人同志の戦いとなれば、倭兵三十人をもってしても、満兵一人に敵せざるなり」
と回答している。 >>133
砲兵が揃ってるフランスにはボロ負けしそう
逆にスペイン、神聖ローマ帝国あたりとはいい勝負になるかも
サムライVSランツクネヒトとか見てみたい
軍事力での明の打倒は不可能に近いから良くて引き分けなんだろうな
半島で局地的に勝って有利な条件で講和しても出兵目的は全然達成できていない
秀吉の設定した目標が厳しすぎるんだよ >>133
大砲の装備率は限りなくゼロに近いんだがそれについてどう思ってるの? 国力でなら日本は圧倒的に劣勢だしなあ
スペインだってアルマダで敗戦してるけど、国力差でゴリ押し優勢で戦争終えてるし
オスマン帝国も内憂外患でボロボロになりつつも、崩壊してないし >>135
明の恐ろしさはサルフで壊滅的に負けても平気で立て直せる物量にある
結局後金は最後まで山海関を自力で抜けなかった 李自成は軍隊どころか路頭に迷った浮浪者だが明を倒したぞ。
明だって路頭に迷った浮浪者が作った国だし。 >>133は井沢元彦大先生が大ヒットシリーズ『逆説の日本史』でガチで仰られてることだよ >>133
朝鮮出兵で20万動員しても通常戦闘では2-3万多くて5-6万ぐらいが精いっぱい、つまり補給能力があまりない
軍役からの当時の推測でも理論上最大値として火縄銃3万数千挺ってところ
ちなみにこの推測から関ヶ原は両軍あわせて2万挺ぐらいとされてるんだろうが
スペインの国力の半分以下のオーストリアですら1595年の対オスマン戦役で単独で実際に銃2万挺揃えてる
そのうえ大砲がほとんどないから火力で圧倒するのも難しい
総合的にみて過大評価はできんな、国内なら物量戦で勝てるだろうけどね、俺はある程度距離の離れた中間地点を想定してるんで いくら強大な国力があっても上手く使えなければ意味がない。
日清戦争のころGDPは清国は日本の5倍、兵力も5倍
清国海軍は全て鉄鋼船、日本は木造船もあった。
小銃は清国が輸入品を使用、日本の倍の有効射程距離
ロシア帝国のGDPは日本の15倍、本来日本に負ける方がおかしい。 井沢もそうだが戦国時代の日本は世界最大の鉄砲保有国だとか言い出す人って
必ずと言っていいほど日本に大砲がほとんど無かったことには言及しないね >>146
大砲は使いようだと思うが
堡塁や野戦築城が準備できる戦場では無敵だろうけど
日本側にとって有利な山がちな地形だと制圧効果が落ちる(間接照準射撃は未登場)
三十年戦争とかでもそうだが騎兵突撃食らって火砲を奪取される場面とか頻繁に登場する
17世紀初頭は火砲あるから絶対的に優位と言う時代ではまだない
(火砲優位であるならサルフで明がボロ負けしないもの) スペイン オスマン 明だけでいいのに
当時の日本は文明の枠外で新大陸のインディアンみたいなもんだろ >>147
そんなこと言い出したら鉄砲だって使いようだし
その他どんな兵器も使いようだ
鉄砲についてだけ使いようもクソもなく「世界一の数」とかいうくせに
大砲について全く言及しないことの言い訳にならんぞ >>148
西欧だとスペイン(スピノラ カモン)、フランス(アンリ4世)、オランダ(マウリッツ)
西アジアだとオスマン、サファヴィー朝
東アジアで明、後金、日本
インドと東欧の扱いに困る
ポーランドでジグムント3世がロシア・バルト海で活躍しているけど ポーランドは対オスマン戦でも勝率5割越えるし強いよ
魅力なのは銃の乱射を正面突撃で粉砕してしまうフサリア騎兵 >>149
>>147の言うとおり、当時の火砲の限界と日本の地形的制約から当時の日本で火砲を運用しにくいのは事実だし
便利そうであるならとっくに戦力化してると思うんだけどなあ。安土桃山以降は資金が潤沢な大名も複数存在した訳だし。 まあ家康が大坂の陣の直前に大砲買って攻城戦に使ってることを考えたら
大砲が持つ効果自体は日本側でも認知されてたんだろうねえ。
欧州でさえ18世紀に軽量砲身が開発されるまでは6ポンドより大きい口径の大砲は
野戦では実用的でないと言われてたのに現在でさえ重装備の運用が難しい日本では
大砲の運用がどれだけ面倒臭いか 日本は大砲向けの鉄がとれなかったてのもでかいだろ
海外戦視野に入れてる以上大砲は必要
使い方からしたら当時は火縄銃だって限定的だろ、それに鉄砲保有数世界一って論拠も崩れてるしな
軍役からして論理的に日本の全国可能装備数が3万数千挺ならスペインだって歩兵の半数は銃兵だから論理的には6万挺ぐらいはいくことになる
しかも当時の記録から16世紀半ばですでに北イタリアのブレシアで年2万挺生産、ベルギーのリエージュで1590年代に年2万3000挺
ニュルンベルクとスールで年11000挺生産だからそれをできるだけの生産力もある、それ以外にも武器生産都市は無数にある
一方その手のまともな記録がないくせになぜか日本は世界一を主張 そもそも野戦しか考慮してない時点でダメ
大陸じゃ攻城戦がほとんど
海戦は大砲ないと話にならん まあでも明が日本を攻め落とせたかっていうと違うけども 海外進出を少しずつ繰り返して、
勝利も敗北も経験して戦訓を得て…。
ノウハウ積み重ねるうちに、大砲の運用も変わったかも知れないね。
必要なのは継続的な進出の意志。
日本は秀吉が死ぬまでしか時間がなかったのが痛いね。 >>158
マンセー史学に記録は不要、何でも世界一、否定する奴はチョン。 この中で一番良好な関係の国はどことどこだ?どれも単独で他を圧する力はないからその組で同盟組むことになるだろう >>158
16世紀には殆どの大砲は鉄じゃなくて青銅だよ
大友宗麟に伝わった国崩しだって青銅砲だし >>158
大坂の陣の時の軍役でいくと三分の一は銃兵になる計算だからもっと多いような気がするが >>167
1625年の昔の人計算だと3万6000
1605年だと5000石あたり10挺 日本の石高1800万石ちょいだから似たような結果になる >>131
陸戦はロシア>>>オスマンだね。
第一次露土戦争見る限り >>136
「百万の野人(女真族)さえ、十万の倭卒(日本兵)の敵ではない。
にも関わらず、国家は南を軽んじ、北を重視する。今だにその理由が分からない。」
・・・姜「看羊録」 ◆在日中国人
在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。
独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA 2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%A8%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E4%BA%BA >>145
・・・やっぱり中国っつーか支那は経済規模がデカいな
あの大英帝国が清から買うものはたくさんあっても売るものがなくて、
しゃーなくアヘンを売りつけたのもうなずける話
その後イギリスはおろか日本にも戦争で負けてるんだから、よほど政府が無能だったんだろうな
経済規模=国力のデカさにはなっても、軍事力とは直結する訳じゃない 銅とか売るものはあったけど、自国経済の発展で銅を輸出する余裕がなかった。 >>174
清にしろオスマンにしろアジア的な「帝国」の崩壊時期にあったから
そこは少し同情しても良い部分だと思う
国民国家タイプの国とは戦争では分が悪すぎた
言語がバラバラ、基礎的な学力が不足、軍事組織・国家への忠誠心が低い等々
図体は大きくても質が伴なわなきゃ餌食だわ 第一次世界大戦では
ドイツ帝国、ロシア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国など
欧州の帝国もどんどん滅亡していったね
完成された国民意識を前提とする総力戦において身分制度と格差のある王朝国家では
いかに国民意識を高めようにも限界があった >>176-177
イエナの戦いでナポレオン率いるフランス国民軍が
金銭目的の傭兵ばかりで構成されたプロイセン軍を破ったのに似てる 清は長きにわたる平和で八旗や緑営が堕落し過ぎて使い物にならなくなっていたし
オスマンのイェニチェリも反改革・保守派勢力の牙城と化しており、帝国内における改革の妨げとなっていた 八旗にしろイェニチェリにしろ
頼みの綱の主力部隊だから格別の地位と待遇にする。
↓
特権貴族階級と化して堕落、弱体化。
こうなるのは当然の結果。 まあ八旗が生きててもあんま意味なかったような
兵士の質がどうこうの時代でもなくなってるよね? >>184
国民国家における義務教育の普及は軍隊の基本教練の基礎作りの足掛かりになってる
また教育で使用される共通語も軍隊における指揮統率を助長する役割を果たした
何より愛国教育、国民という意識形成は戦場における紀律・団結・士気の強化に多大な影響を及ぼしている
帝国タイプの国では複数の民族が犇めき合ってるからこの点で極めて不利だった
なお、ソヴィエト・ロシアは民族と愛国教育を超越する一国社会主義と言うワケ分からんものでこれを克服した >>180
プロイセンは18世紀では珍しく徴集兵が軍の大半を占めていてナポレオン戦争の頃でもそれは変わらんよ(軍隊国家という渾名は伊達ではない)
あの戦闘でのプロイセンの敗因は7年戦争そのままの戦術や軍政のまま止まってしまったことでしょ >>186
ブラウンズウィク公に戦わせるなよとは思った
若い頃は確かにフランス退けているけどさ・・・ >>178
フランス帝国
大清帝国
ロシア帝国
ドイツ帝国
オーストリア=ハンガリー帝国
オスマン帝国
大日本帝国
エチオピア帝国
結構滅んでるな
最後まで生き残ったのは大英帝国くらいか http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/018/157/89/N000/000/000/125481428609216132572.jpg
132 <丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん 2011/05/20(金) 19:51:34.91 ID:EdrCPrGF
>>86
大韓帝国
(大=Greatが付く帝国ってのは、どこか他国を占領・編入したか、
複数民族・言語で成っている帝国の場合なので、
それもないのに、大=Greatを僭称するのはおかしいと
英仏ロシアから何度も忠告されたが、理解出来ず無視ww)
初代皇帝である高宗
明治天皇に嫉妬、対抗するため、服装だけ急遽真似した。
やけに小さなプロシア式突撃兜をかぶってるのはおかしいのだが・・・・
部下も本人もアホで、何にも調べず、適当にかき集めたから・・・
ドイツ帝国陸軍歩兵帽に、歩兵用ベルト、剣はフランスの軽騎兵のものw
フランス騎兵の歩兵ズボンなんかをかき集めたw
上着は英国騎兵馬世話係の古着らしい。
アイロンもかかってないし、お披露目した途端に各国大使の物笑いにされた。 >>189
普通は知らないからなあ、韓国がないと寂しくて死んじゃう病の人達とは違って このスレにいる「日本は大砲の鋳造に必要な鉄が出来なかった」とかほざく奴らはなんなんでしょうね?
鉄製鋳造砲なんて過去の遺物で当時の世界の主流であった青銅製鋳造砲については江戸時代に普通に生産してるんですが 歴史を学んでいくと何故か日本に関するあらゆることにアンチテーゼを投げたくなっちゃう坊やが必ず出るんだよな 中華=世界の中心の華
日本=日出ずる所
朝鮮=朝(みつぎもの)鮮(すくなし) 日本が何でも優れていないと気が済まないガキが多いんだよね。 ネットだと日本マンセー情報がいっぱいで勘違いを起こすんだろう まともな大砲作れるようになったのは大阪の役で輸入したイギリス製オランダ製を参考にしてからとあるな
それ以前の和製大砲は欠点が多くて大して威力発揮できなかったんだってよ >>205
いや、国粋主義者も反日工作員も自分たちの巣の中で閉じた情報しか受容してないから
両方とも気持ち悪い考え方に陥ってるんだよ 多分明を落とすのは無理だな 尋常じゃないほど広いし人も当時としてはメチャクチャ多い
中国大陸のスケールがデカい民族じゃないと島国日本人じゃ無理だと思う
ドイツもそれでロシアに負けたし中国は自滅で滅んだし
中国抜いてオスマンが最強かな 中国は勝ちもしないが絶対に負けない >>207
これに尽きる。本人達は全く気付いていないようだが >>209
広大な領土という空間的縦深の中で戦力を流し込むにはどうしたら良いかというのは
大陸の大帝国の永遠のテーマだと思う
手っ取り早いのは仮想敵国・相手国の国境線近くまで首都を持っていく(北京とか)
国家のあらゆる資源を前線まで集積できる体制を整えやすい オスマンが最強なのは16世紀前半
1600年前後だとオーストリア戦でほぼ互角、ポーランド戦で負ける
オランダイギリスの援助受けたサファヴィーに負けたし微妙 16世紀後半ならこんなもんか?
S スペイン、オスマン帝国、明、日本
A イングランド、フランス、ポーランド、サファヴィー朝、ムガール帝国
B スウェーデン、モスクワ大公国
C モンゴル
D イタリアの都市国家、李氏朝鮮 >>213
君主が有能だから興隆しているグループと圧倒的な国力で繁栄しているグループに大別されるような気がする
サファヴィー朝のアッバース1世、フランスのアンリ4世、オランダのマウリッツ、ムガル帝国のアクバルあたりが顕著か
明とオスマンは間違いなくSなんだろうけど惰性感が半端ねえ
スウェーデンのヴァーサ家はスウェーデン本土よりポーランド・ロシアで活躍している変わり種
モンゴルはアルタン死後は凋落傾向でアルタンのキャリアハイも1542年の山西省侵攻だから既にピークは過ぎている >>22
倭寇で東アジア一帯の海岸地帯を恐怖のどん底に突き落とした
日本人水軍(=海賊)の実績があるだろう
海戦でも日本は最強レベルだよ
ただ、豊臣と徳川の臆病者が大型船舶の建造と海外渡航を禁止したから
廃れただけ >>213
総合力でいえば日本はSじゃなくAグループだな この時代ぐらいだと人口がそのまま国力に直結しているから明、インドが有利なのでは レパントじゃスペインは砲数1800門、オスマン750門
アルマダじゃスペイン2431門、イングランド側がだいたい1800門
1600年ぐらいなら4桁揃えないと話にならん >>206
戦国時代から江戸時代ごく初期に作られた鋳造製青銅砲は当時の日本の技術では質のいい銅が精錬できなくて製造に失敗することが多くて、
江戸初期にオランダから水力式の鞴を導入することでやっと安定して量産にこぎ着けたからねえ
>>202
その論文はずっと前にどっかで読んだから知ってるけど
PDF注意
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jfes/76/7/76_599/_pdf
イギリス製鋳鉄砲についてはオランダ製の青銅砲と共に江戸幕府が輸入してたんだが上にも上げた青銅砲の国産体制が整うと輸入するのをやめちゃってるんだな
鋳鉄砲が青銅砲に対して勝ってるのは欧州での銅資源が少ないことに対するコストの安さで、鋳鉄砲の最大の欠点は強度を確保するために材質に粘りがある青銅砲と比べて重くなりやすいことでな
当時世界有数の銅の産地で、大砲を輸送する際には船で運ぶか砲車から外して人力で運ぶしかなかったくらい大砲の運用に適していなかった日本ではそもそも必要なかったし
欧州でも銅の供給が安定して陸軍部隊の機動力や柔軟性が向上した17世紀後半から18世紀前半には列強からは殆ど完全に姿を消した過渡期的な存在なんだよな
>>222
まあ、30年戦争のロクロワの戦いでも両軍とも15門前後だし、ずっと後の砲兵が線状を支配する時代になったナポレオン戦争でのアウステルリッツの戦いでもフランス軍の大砲は200門だな。
戦国末期の攻城戦では10門以上大砲が揃う戦は増えていったし城郭にも大砲に対する防御を意識したものが現れはじめてる
ただ野戦となると上にも上げたように欧州と比べて絶望的に輸送がしにくいからドウシテモ数がすくなくなる 野戦で輸送しにくいのはヨーロッパも一緒だろ
だから軽量砲が開発されたんだし >>224
それでも日本に比べれば平地は遥かに多い >>224
欧州は道路なら砲車にのせて馬で牽けたし、アルプス超えしないかぎりは山の存在は殆ど無視していいレベルだし・・・
まあそれでも17世紀くらいまでは重いことに変わりはなく、野戦においては大砲は一度砲兵陣地に設置すると殆ど動ごかせない存在であったことは確かだな。
それを解決する手段として軽量砲身が開発される直前の18世紀前半では6ポンド砲(57ミリ砲)とかの口径の小さい砲を大量に揃えることで戦場での砲兵の機動力を確保する方向になってるね 16世紀頃の日本って重種の輓馬いたのかな?
フランスの場合は大型種の育成に中世の頃から携わっていたから
馬で牽引するって発想にも容易にたどり着けたんだろうけど
まあ、日本に大型種がいたとしても穀潰し扱いされそう 馬車が無いから日本では馬も交通用としてあまり重要なものではない。
馬は平坦な地形で直進する動物だから日本の地形は馬にとってはキツいし。 >>228
重装騎兵(サムライ)自体はいたでしょ
馬車というか馬車用の轍がなかったのが問題なのか
おとなり中国だと始皇帝が国内に張り巡らせてたけど
日本でできなかった理由は何だろ
気候が湿潤過ぎて台風や河川氾濫が多くて石の建造物の維持が難しかったのかねえ >>224
使ってる馬が一緒なら戦術、戦法レベルでの機動力が殆ど変わらないだろうけど、作戦や戦略レベルの機動力となるとまた別
そういえば今でも日本では50トン級のMBTである90式戦車を輸送する時には
砲塔と車体を別々に輸送してるという
欧米のもっと重い戦車を運用する国ではまずやらないことをしてるな >>225
欧州と言ってもスイスやスペインは山がちだし
イタリアも中部から北部にかけては起伏が激しい
比較的平坦なフランスで野戦砲の運用が発達したのはおっしゃる通りだが
欧州と十把一絡げにするのはいかがなものかと ドイツも山がちなところ多いよな
日本だってそんな険しいところでは戦わない 各国強さ格付け(16世紀後半)
S スペイン、オスマン帝国、明、日本
A イングランド、フランス、ポーランド、サファヴィー朝、ムガール帝国
B スウェーデン、モスクワ大公国
C モンゴル
D イタリアの都市国家、李氏朝鮮 >>9
正しくはこうだな
文禄慶長の役 ▲明 VS 日本△
日中戦争 〇アメリカ合衆国 VS 大日本帝国●
文禄慶長の役の理由は明白、終始日本側の優勢だったが秀吉の病死で作戦自体がリセット
後の明史でも「自倭乱朝鮮七載、喪師数十万、餉数百万、中朝与属国無勝算、至関白 死而禍始息」
(意訳)「秀吉が死ななきゃいずれ俺等はやられてた」とある
日中戦争については言うまでもない、日本を倒したのは国民党軍ではなく米軍だから
>>11
台風はまったく関係ない
文永の役は11月、しかも引き揚げ途中の暴風雨遭遇、台風で引き上げたわけじゃない
弘安の役は暴風雨の襲来以前に拠点すら作れず、暴風雨以降も戦闘を続けたが日本軍の完勝
寺社が恩賞を貰う際に神威を強調→神国思想に転化→戦後は外交を知らない無謀との決めつけ
さらに日本の武士は集団戦法。 >>232
交通と言うことは室町期の馬借、車借とか? 単純に戦国期では日本製は性能が低くて使い物にならなかったってところだろ
初めからイギリス製やオランダ製がきてたら使ってる
あとリュッツェンだとスウェーデンは60門使ってるけどそのうち40門は軽砲 >>237
そういう大砲の運用をはじめたのはまさにその時代のスウェーデン軍が元祖でしょ アヘン戦争で清が使ってた大砲が200年前の骨董品でエゲレスがびびったという話があるが
黒船来航あたりの日本も実は似たようなもんであった
攘夷でござるーってあの当時にマジで戦争したら清の二の舞いだったんだよなぁ >>237
軽砲(っていうかセーカー砲)は家康がオランダやイギリスから買ってるで 藩主が命令しても武士が鉄砲を拒否、しかたがないので百姓を銃士に登用。
恐らく百姓の方が戦闘力が高い。近世戦闘を目の当たりにしてようやく武士も鉄砲を装備する。
オスマンの剣から銃への切り替えみたいだ。 >>237
後、18世紀の野砲は17世紀のセーカー砲と口径こそ同じだけど砲身長が短くて炸薬量が少ないよ(無論時代や製造国その他によって差があるが) >>242
サファヴィー朝なんてチャルディラーンでボロ負けするまで銃採用をクズルバシュが拒否し続けていたからな
西アジアではティムールの頃から遊牧勢力は火器を使っていたというのに…… つか軽量化は16世紀から始まってるらしいな、野戦で使うんだから当然か
そもそも30年戦争の前の1593-1606のオーストリアVSオスマン戦ですでに銃火器運用が変化してるんだよね
オーストリアは数値がはっきりしないが最大100門を野戦で使ったっていうし
銃騎兵もグスタフアドルフよりハンガリー騎兵のが早いんだよね、ちなみにその結果オーストリア兵の70%-75%が銃を装備してた
リュッツェンで帝国側も軽砲使ってたから野戦砲の軽量化はとっくに進んでたと考えていい 牽引可能な火砲は既に15世紀フランスで登場しているけど
軽砲ってどういうものを指して言ってるの? その気になったらオスマン帝国の60ポンド以上の巨砲だって馬で牽引できないことはない。
戦場で戦況にあわせて動かすなんてことは無理だがな
30年戦争のスウェーデン軍においては6ポンド革砲がそれに相当するのだが皇帝軍においてはより重いセーカー砲で代用してたみたいだね
まあ革砲は余りにも軽量化やり過ぎて砲身破裂する事故が多発したが どっちにしても日本は大阪の役までろくなのがなかったって事実は変わらんだろ
まともな大砲作れるようになった頃には戦争自体がなくなった
セーカー砲なら日本でも運用できたと思うぜ まあそれについてはこのスレで何度も言われてるであるし反論してる人はいないように見えるが
>>戦国期日本製大砲の品質
エゲレスだったかの研究者があの時代の日本製大砲の砲腔の精度の悪さ(西洋では鋳造した後研磨していた)を指摘していた文章がどっかにあったはずなのだが見つからん・・・ >>247
スウェーデン軍は革砲使わなかったはずだが
それ3ポンド連隊砲の間違いじゃないだろうか 南北戦争で小山の陣地に大砲並べてぶっ放すシーンがあるけど
大砲が普及したら日本もあーいう戦い方をやっただろうな >>177
そういや朝鮮国王の任命権は明・清の皇帝が持っいたし
これでは地方軍閥と実質的に変わらんな
高麗の時は元の皇室の姫を貰って親戚関係みたいだったけど
明以降は完全に属国 そりゃそうだ
中国では元は中華王朝に数えられてない
つまり清と違い漢民族の習慣に同化しなかったため、
本来単なる属国であるはずの高麗との同盟関係の強化のためにモンゴル王家の女性を降嫁させることに
フビライは躊躇しなかったということだ
明以降はそのような形での関係強化は行われていない
小中華思想は完全に復活したので、わざわざそんなことをする必要性はなかったということ 海戦ではスペイン
陸戦ではオスマン
国力では明
個々の戦闘力では日本 >>242
イェニチェリとかも最初は銃装備を嫌がったの? 秀吉ではなく信長が朝鮮出兵やったらどうなったかな? >>242
戦国期でも足軽鉄砲隊とか普通にいたのに >>248-249
カルバリンが国益にどう関係するの? 信長が朝鮮半島に攻め込む、光秀が謀反で日本を支配する >>258
>元は中華王朝に数えられてない
だったら元史は二十五史に含まれないはずだが 当時の日本が海外進出する利点もないし、社会構造的に例え技術があったとしてもまとまった海軍を揃えることは無理だってそれ一番言われてるから そういえばフランス軍軍事顧問を迎えてフランス式訓練をしていた幕府軍は歩兵を軽歩兵(戦列歩兵時代の散兵ではなく、ドイツにおける山岳猟兵みたいな位置づけ)として訓練してたな。
明治の日本陸軍に招かれたドイツ人軍事顧問は師団砲兵は野砲でなく山砲にすべきだと強く主張してたし >>259
個々の戦闘力とかいう謎の曖昧指標じゃなきゃ世界最強になれない日本・・・ 個々の戦闘力といっても
弥助に勝てる日本人なんて殆どいなかっただろ多分 世界の剣豪のほとんどは日本人だから個人戦闘は日本が世界最強。 軍制改革までやってる西欧にただ火器を装備してるだけで勝てるとは思えない 高度な軍隊を前にして対応できる有能な将軍が明に居るとも思えない
日本は織田信長なら対応策を打つことが出来るかも
オスマンは当時どんな将軍が居るか知らないからわからん 西欧中東はファランクスのころから戦術革新を続けてきたけど
中国は微妙だし日本は更に微妙。武器は多少変わるにしても
戦術より人。将軍の比重がっちゃでかい。
名将だの猛将だの軍師だのが結果を左右する。それをずーっと繰り返す >>273
信長本人はそこまで会戦に強くないぞ、どっちかと言うと秀吉の方が戦巧者
明だと16世紀は兪大猷、戚継光ぐらいしか有能な指揮官は思いつかないなあ
李成梁は将軍と言うよりは政治家っぽいし >>275
生涯で一度しか負けたことがない家康の方が強いだろう
あまり強そうなイメージが無いのが不思議だが >>274
西欧の中世は戦術の衰退期だぞ
どこの平行世界からやってきたの? >>277
だがこのスレでテーマにしてる時代は中世でなく近世だけど >>278
「戦術革新を続けてきた」というのを取り下げなさい、クソが >>273
日本の火縄銃は射程500m。
在日の工作で削除されたけどWikipediaにも記載されていた。
日本の方が圧倒的に有利。 >>279
そいつはお前の妄言に突っ込んだ他人だから迷惑かけんなバカ
お前が知らんだけで中世にも革新は起きてるから。
戦争の世界史と近世ヨーロッパ軍事史を読んでこいアホ
そもそも数千年規模で比較してんのに一時期衰退したから続いてないとか頭大丈夫 >>282
西欧や中東の革新よりも、明らかにモンゴルとかの方が革新してるやん
中国から採用した火器、様々な攻城兵器、加えて大規模騎兵部隊
この影響を受けている明朝やティムール朝を差し置いて西欧・中東が戦術革新してきた
理屈を知りたい、単純な興味心で モンゴルの革新は騎兵だなポーランドのフサリアに影響与えてる
攻城兵器や火器は他もやってるから特別ってことはない >>281
500メートルじゃ当たったところで痛くもかゆくもないし
まず的に当たらない >>284
この手のスレにおける風物詩→ポーランドの過小評価 >>281
火薬の量増やして爆発力上げれば射程距離は伸びるってだけ 長篠の二の舞になるだけ
つか明の大砲で散々蹴散らされてたじゃん
清が明を倒したのではなく
明が李自成の乱と呉三桂の寝返りで自滅しただけ >>283
横レスだけど中世ヨーロッパでも堅固で高い石造の城壁を備えた城の登場とか
トレビュシェット等攻城兵器の普及とか騎兵中心の統合戦術から徐々に歩兵中心に移り変わっていく戦術の変遷とか
いろいろあるでよ 城の攻防についてはアッシリア時代に一通り技術が出そろってるって言われてるからあんまり特筆しなくてよくね
どっちかと言うと西欧の後進性の立証になってしまうし >>289
サルフの戦いでも野戦築城と火砲の戦闘準備が整っていた部隊には結構苦戦してたな
防御されたら火砲を突き崩すのは至難の業だわ
マジノ線のせいでダメな子扱いされているけど、実際は攻撃よりも強い戦術行動という評価の方が正鵠を射ている >>290
そもそもモンゴルの攻城兵器が西から伝わったっていうからたぶんトレビシェットと同系のやつだよ
トレビシェットはビザンツか中東あたりで発明されたらしいが >>291
古代にはトレビュシェットみたいな高度な兵器はないぞ モンゴルが初めてトレビシェットを使用したのが1267年
ヨーロッパでの初めての記録が1165年
なんだヨーロッパの方が一世紀先行してるじゃん >>293
ビザンツ説だったような
>>294
投石技術の機能としてはアッシリア時代に登場していたという表現よ
技術革新=戦術の創造という人が多いのか
それだと議論が平行線になるから引っ込むわ >>296
>投石技術の機能としてはアッシリア時代に登場していたという表現よ
こんなこと言ってたらモンゴルも新しい戦術を開発したなんて言えなくなるんじゃないの
騎馬民族って別にモンゴルが最初じゃないでしょ >>297
モンゴルが周辺の文明圏(シナ、ペルシア等々)侵攻のために騎兵軍団だけじゃなくて
工兵や攻城部隊を引き連れて、それまでの遊牧帝国以上の打撃力を備えていた点について革新的と評価してるの
ティムールは先駆者を参考にしつつ火器も取り入れて攻城能力を保持してたけど
オイラートとか後金とかは先例がいたにもかかわらず攻城能力の整備は遅れた
技術と戦い方をいかに連結させるかが戦術の創造性であって技術革新と等号にはならないと思ってる >>298
工兵も攻城技術もモンゴルが独自に開発させたものじゃなくそれ以前からあったものなんでしょ?
それこそ技術革新=戦術の創造とみなしてるように思えるんだけど
統合して運用したのが凄いって言いたいにしろ運用の改善=戦術の創造ってことだろうし
それ技術革新=戦術の想像と何が違うのかさっぱりわからん >>299
書いてある通り統合(この表現は不適切だが)して運用した点を革新的と評価してるんだけど
さまざまな機能の複合化と技術革新それ自体とは別物
重装騎兵全盛の時代に、ビザンツのベリサリウスは攻勢防御を駆使して
敵地に野戦陣地を構築(これ自体は伝統的な技術)し、騎兵部隊を迎撃・損耗させて有利な態勢になるまで持久し
反撃の好機を掴むや手元の予備戦力(騎兵)で敵の撃破を図る戦術で勝利を重ねた
技術革新が戦勝に直結するならば、重装騎兵部隊を多く揃えれるサーサーン朝の方が有利なはずだが結果は違った
ベリサリウスの場合もそうだが、枯れた技術であっても敵情に合わせて適切に組み合わせることにより
技術の優位を突き崩すことが可能となる、この部分こそが戦術の創造性なんだけど……
技術革新と戦術の創造性をイコールとする場合には、例えば鐙の採用による大規模な重装騎兵部隊の編成、
それを活用した機動戦による戦勝の獲得がこの場合は当てはまるだろう
だからこの議論は平行線になる
一面では確かに真だから >>300
それって地域や文化の優位性っていうよりただ個人が優れてたってだけじゃないの
ヨーロッパとモンゴルを比較するうえでその例え話がでてきた意味が解らんのだけど
つかそれでいったらイングランドの重装騎士と弓兵の統合戦術なんか革新にあたるんじゃないの というか、議論のスタートである
「西欧・中東は技術革新し続けてるけど、東アジアは個人の才能頼り」自体がそんな訳無いじゃんって話だわさ
西欧は継続して技術革新してない、いやしてる、という方向で話が進んでるけど
東アジアだって技術革新も戦術の創造も両方やってる訳だし >>301
デュ・ゲクランやリッシュモンも個人が優れてただけという理解?
いや確かにその傾向は大きいが
クレシーやポワティエのフランス軍とその後でと別物としか思えん >>303
>>300は「既存の技術を組み合わせる運用が素晴らしかった」って言いたいんでしょ?
それ結局現場の指揮レベルの話でしかないよねってことだよ
んでそれは当然ヨーロッパでも当たり前のように起きてることなのでモンゴルの革新凄い!とやられても困るよという話 >>302
何で東アジアは近世以降ゴミみたいに叩き潰されたの
同じ革新を続けてきたのに。まさか西欧に神様が突然技術を授けてくれたわけでもなし
結局東アジアは全部欧米式装備で欧米式軍制で欧米式戦術で戦うんだけど >>305
1.産業革命で近代兵器登場
2.国民国家による国民軍
この二つの要素でもう近世までの軍とは次元の違う強さになった。
ナポレオンが無双できたのも世界初の国民軍だったから。 >>305
アジア的な帝国統治システムが制度疲労を起こしたから
図体はでかいけど軍事的には多民族混成になりがちで指揮系統の確立に難儀する
国民国家タイプの軍隊相手には士気や団結の点で極めて不利だったし
兵士の質においては義務教育制度を持っていた西欧の列国に大きな差を付けられる結果となった でも今の先進国は徴兵制は廃止しつつあるし、18世紀以降の軍国主義的な要素はどんどん排除される傾向にある
そのうちイタリアのコンドッティエーレみたいなのが復活して各国の軍事を請け負う時代になったりするかも 現代型のきちんとした軍隊を運用するなら必然的に赤字になるんだよなあ。
中東とかにいる軽装備の傭兵やアメリカの民間軍事会社レベルなら成り立つが 軍制もあるけど
それに後装式ライフルが組み合わさるのはやばかったろうね たしかにライフルの発明も大きいな
ライフル発明前の火器なんて「運がよければ当たる」程度のものだったが
ライフルなら正確に狙えば必中も期待できる >>309
徴兵制だと安く大量に動員できるってのもあるな
それには国民にある程度権利を与える必要があったけど
絶対主義の頃の軍隊だと徴兵の軍隊は国軍ではあるけど地元の貴族の権威が大きかったし
国王は直属の傭兵軍もってたけど金がかかるからな 20年少し前の本宮ひろしの漫画「夢幻のごとく」では、信長がイングランド(女帝エリザベス1世)まで侵攻して胸アツだった。
満州地域だか明のどこかだかでヌルハチと相撲を取るシーンもあったな。 それを割りと本気で可能だったと考えてるのも少なからずいそう 信長がエリザベス女王に「そのお股の中に日本男児の太くて硬い立派なモノを入れちゃうよ」との国書だか親書だかを送り、
それを読んだエリザバス女王の「キャー―――!!!」の悲鳴に笑った。
スペインの無敵艦隊をイギリスが破るより前に信長軍が壊滅させたシーンもあったっけなぁ。
この漫画の数年後の「天下布武U」だったかのタイトルのPS2のゲームもやったなぁ…。
この漫画と同じようなことができるシミュレーションゲーム。 光栄の「信長の野望」の内容はどの作品も日本国内限定?
それとも海外に侵攻・進出できる作品もあるの?
自分は90年代後半の将星録まではしたんだけど(覇王伝と将星録は個人的にはクソゲーだった)、その後はまったくやってないんで分からない。 そういうやつが多いから困る
500メートルから一撃でしとめられるとかさ
戦国時代に塹壕戦かよ .| | | | | | | | | | || | |
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∩___∩ | | | J | | | し || | |
| ノ\ ,_ ヽ .| レ | | レ| || J |
/ ●゛ ● | .J し | | || J
| ∪ ( _●_) ミ .| し J|
彡、 |∪| | .J レ
/ ∩ノ ⊃ ヽ
( \ / _ノ | |
\ " / | |
\ / ̄ ̄ ̄ /
 ̄ ̄ ̄ ̄ アメリカは現代のローマ帝国なのか?
ごく一部の上級国民=ローマ市民
大多数の中下級国民=属州民 アメリカはローマを意識してるけど中身は全然違う
ローマ時代は氏族社会だからな スペインとオスマンは海戦で一勝一敗
明と日本は陸戦で明の勝利(引き分けみたいなもんだが)
さて・・・ >>320
それは口径が30ミリ近くあって2、3人でないと運用出来なかった奴だ
それさえ200mくらいが狙って当たる距離だったらしいが
ボルトアクションライフルでさえ訓練されてないと300メートルより先に狙って当てることは難しいのに500メートルなんてどこからきたのか・・・ なんだかんだ言って一般歩兵が狙って当てられる距離って300メートルを超えたことはないんだよね モンゴル帝国 VS 日本
アメリカ合衆国 VS 大日本帝国
国力的にどっちの方がヤバかったの? >>328
「仕入れることができる情報の量や質」の面で「モンゴルvs鎌倉幕府」のほうが「マジで滅ぼされるかも…」なヤバさはあったはず。
「米国vs大日本」は「開戦から半年以上経つと負けの可能性は日を追って濃くなる」はおおよその日本の上層部は分かっていたわけが、
鎌倉幕府はほぼ完全に手探り状態(なにをどうすればよいのかが殆ど分からない 文永弘安ともに取り敢えずは九州北部に兵士を集めて、二度目の弘安の上陸の前に石塁地を構築くらいしかできない)だったはず。 国力比較したって無駄だろ
大元もアメリカも全国力を対日に傾けたわけじゃない >>328
前者
動員兵力100倍ぐらいの差があるのでは? 鎌倉時代の日本じゃ精精10万くらいしか動員できんだろうから
1000万を動員するモンゴルに敵うわけがないな 日本の火縄銃は極めて命中精度が高い
射程距離は600m
よって日本の火縄銃は600mでも極めて命中精度が高い >>327
さすがにそれは珍説だろ
ドライゼ銃でさえ有効射程が600メートルでシャスポー銃に至っては1200メートルあるんだぜ
現に普仏戦争では800メートルとか1000メートルでフランス軍がプロイセン軍をアウトレンジすることはままあったじゃないか あのさあ・・・
スコープもなんもないのにどうやって1000m先の人間に当てるのさ
wiki先生にあるボルトアクションライフの有効射程とアサルトライフルの有効射程は実は意味が違うんだよね
確かに当時のボルトアクションライフルには2000mくらいまで照尺が刻んであるけど、
あれは歩兵の大部隊同士が密集した隊列を組んで(戦列歩兵よりは分散したといえ)数百メートル以上離れた距離から敵の隊列の上に銃弾を落とすという戦列歩兵と本質的には変わらない
戦闘をするためにある。
普仏戦争ではそういう戦闘が実際にあったんだけど、日露戦争や第一次大戦では歩兵小銃にそんなに長い射程を持たせる必要はないという結果が出始める
最終的に第二次大戦でStG44が開発されることに繋がるんじゃん 昔の人は目が良いと視力が6.0とかあるんだろ。
第二次世界大戦でもシモ・ヘイヘなどスコープなしの狙撃だし。 >>328
モンゴル帝国 VS 日本
→周りを制圧した大国がその次を攻める
アメリカ合衆国 VS 大日本帝国
→戦争で疲弊した国が別の大国に騙し討ちで戦争を仕掛ける
どう考えても後者がヤバいだろ 日本の火縄銃は極めて命中精度が高い
射程距離は700m
よって日本の火縄銃は700mでも極めて命中精度が高い 日本の火縄銃は極めて命中精度が高い
射程距離は800m
よって日本の火縄銃は800mでも極めて命中精度が高い アメリカ=ローマ帝国
日本=カルタゴ
ロシア=ペルシャ
中国=ゲルマニア >>347
何で日本が滅亡する運命なんだよ
それに日本人は商人というより職人気質だ
フェニキア人といっしょにしては困る でもフェニキア人も日本人も母国語以外頑なに話そうとしないと言われていた点では似てる >>352
違うよ
日本人は英語話したくても、無能で身に付かないんだよ
1万年も島国に済んでいれば、異民族の言語を容易に習得する能力は落ちるよ
そりゃ〜仕方がない むしろ世界が日本語を話せばいい
反日民族以外は日本が大好きなのだから しかしひらがなは漢字が元なのであった
真の日本人は文字を使ってはならない 字を使わなくても漢語は漢語だからな
「にほん」も「にっぽん」もダメだぞ このての漢字使うな云々には
漢字を生み出した中国人と今の中国人は別物って返しが有効 漢字を生み出した中国人と今の中国人が同じだろうが別物だろうがどっちにしろ、
漢字を生み出したのが日本人じゃないことは事実なんだから、
そんなに有効な返しとは思えない。 名君四天王 光武帝、李世民、趙匡胤、康熙帝
暗君四天王 西晋の恵帝、高緯、陳叔宝、万暦帝
暴君四天王 始皇帝、煬帝、朱元璋、毛沢東 ヨーロッパ三大英雄
アレクサンドロス、カエサル、ナポレオン 日本三大英雄
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康
ヨーロッパに全く劣っていないな そもそもヨーロッパ全体と日本一国を比較するのに無理があるとマジレス これまで欧州をほぼ勢力下においたのは
ローマ帝国、フランス第一帝政、ドイツ第三帝国、EUくらいか ローマ帝国を含めていいなら、フランク王国も入れないと フランク王国の人口は1000万ぐらいか
8世紀ごろの日本の倍近くはいるぞ アレクvs信長 若干アレク有利
カエサルvs秀吉 出世で秀吉有利
ナポvs家康 家康勝ち ナポは最後負けた ネットじゃ戦国期2500万が流布してるけど最近の研究だと
1600年で鬼頭宏(2000年)1432万〜1547万人斎藤修(2000年)1700万藤野正三郎(2008年)1940万人
で1500万〜2000万の間だ
江戸後期で3000万だから戦国期2500万説だと多すぎる ファリス(2006,2009年)の推定人口だと
1450年で960〜1050万
1600年で鬼頭宏(2000年)と斎藤修(2000年)の折衷で1500-1700万としてる 家康最大の戦跡 関が原笑
ナポレオン最大の戦跡 世界史を変えたアウステルリッツの戦い そういえばアウステルリッツって兵力的には関ヶ原と全く同じくらいよな
装備の質が違うとしても、1800年欧州の覇権を決する三帝会戦なのに
1600年の東の島国の決戦が同じくらいってどうなんだろ ナポレオンも諸国民戦争だと50万ぐらいだろ
モスクワ遠征だと60万か 国内戦と比べてもね
日本も朝鮮の戦闘で最大で6万4300だ 日本が世界最強
世界最強の日本に勝つにはアメリカのように反則行為をしなければ不可能 >>383
モスクワ遠征って日本列島の半分ぐらいの距離なの? >>381
関ヶ原の戦いの兵数ってどの説のことを言ってるんだ?
まさか陸軍参謀本部の推計とか言わないよな? 家康もナポレオンも同じくらい凄いでいいでしょ
何で喧嘩したがるの。
二人とも英雄。 >>390
家康は戦術、戦闘指揮はまるで駄目
ただ、謀略戦、諜報戦、後方攪乱がものすごく得意
軍人というより、まさに海千山千の老獪な政治家
関ヶ原もそれで勝利した
明治維新後、新設された日本陸軍士官学校の招へい教授となった
お雇い外国人のフランス人の軍人やプロシア人の軍人が
関ヶ原の東西両軍の戦闘開始直前の配置図を見たとき、
西軍の勝利と確信した談話している
家康の凋落で、寝返った西軍の戦闘集団が多すぎ >>391
生涯で一度しか負けたことが無いんだから
家康は物凄く強いはず 同じぐらいではないだろ
どう考えてもナポレオンの方がすごい
世界史に与えた影響に差がありすぎる
東方の島国で国内戦やってるだけじゃな 家康の軍とナポレオンの軍が戦ったら
戦力十倍差くらいのハンデ付けてもナポレオンが勝つと思う そりゃ時代が違うし。
てかスペインオスマン明日本に戻るべきだね ホルホルとかどこの板から来たんだか
学問板でそういうの使うなよガキ臭い >>398
「ホルホル」は咳払いの擬音語だからを日本語に訳すなら「エヘンエヘン」だ ◆在日中国人
在日中国人(ざいにちちゅうごくじん、日籍華人)は、日本に在住している中国人である。
中華人民共和国または中華民国(台湾)の国籍を有する者は華僑であり、日本国籍を
取得したものは「華人」である。なお、中華民国(台湾)の国籍者は在日台湾人と呼ばれる。
広義には中華人民共和国(香港、マカオを含む)と中華民国(台湾)国籍者を指すが、
狭義には中華人民共和国国籍者のみを指し、中華民国(台湾)国籍者は在日台湾人と
呼ばれることが多い。
独立行政法人統計センターによると、2010年12月末時点では両地域合わせて687,156人が
外国人登録されており、これは565,989人の在日韓国・朝鮮人を超える規模である[1]。
既に2007年8月に人民網が、東京では100人に1人は在日中国人であると伝えている[2]。
2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。 2010年12月末の在日中国人の国内分布は東京が最も多く164,201人、次いで横浜を擁する
神奈川が56,095人、以下、大阪府51,056人、埼玉48,419人、愛知47,454人、千葉県45,427人、
兵庫25,585人、福岡県21,936人、茨城15,726人、岐阜県15,340人と続く。
このように在日中国人の居住地は大都市圏に集中しているが、中でも関東南部への集中が
顕著である[3]。
なお、表に表れない非公式な数字を入れると東京には二倍の30万人以上が居住していると
いわれる、[要出典]それほどに中国人の東京への一極集中が顕著である。
日本国籍を取得した在日中国人の数は、平成12年から平成21年の10年間で4万人以上[4]である。 ティムール VS 永楽帝
もし実現していたらどうなっていたか気になる あなたは40代新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? あなたは40代新聞作りですか?ドーハの悲劇「中国衝撃イヤフォン」「中国悪夢イヤフォン」ですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか?
それともいくつですか? どう考えてもオスマン
スペインなんかアホみたいな雑魚
日本も雑魚
だから日本に苦戦した明も雑魚
だがオスマンは紀元前より2200年の歴史を持つ世界最大とも言われたら国を巧みな戦術と優れた技術移転の大砲で攻め落とし、その後バルカン半島の蛮族共を平定という偉業を成し遂げた
誰がどう考えてもオスマンがNo.1! 最盛期のオスマン朝に勝てる国家はないだろう
しかし、西欧列強が暗黒中世から脱却し力をつけ地中海に進出してきたら
もう、勝てなくなったよね
むしろ、オスマン朝が強大な勢力を持っていた時に
その欧州深部への進出を必死に食い止めていたハプスブルグ帝国の
評価はもっと高くていいとある歴史家は語っている
もし、ハプスブルグ帝国が首都ウィーンの手前でオスマン軍を食い止めていなかったなら
まだ、産業革命前で弱小だった西欧、中欧が、イスラム化してしまって
その後の世界史が大きく変わっていた可能性が高いと彼は書いていた。
でも、皮肉なことに、最新の欧州の状況は、イスラム難民の大量流入で
まさにイスラム化しつつある・・・ 何故か虫も殺さない心の清らかで純粋な少数民族と思われているアイヌだが。。。。
樺太アイヌ等は和人から買い漁った武器で武装した武闘派バリバリの集団であり、
隣接して住んでいる少数民族、特にニヴフへの略奪、暴行、拉致監禁等を頻繁に行っていた。
ニヴフの人は和人やモンゴル人、女真人等と同様に鷲鷹を珍重しており、鷹匠は非常に大切な存在であり、当時の中原を支配するモンゴル人王朝である大元への貢物としても重用されていた。
それを聞きつけた樺太アイヌは、自前で鷹匠を育てる努力をせずに、なんとニヴフの大切な鷹匠を拉致して、樺太で育てさせた鷹を元王朝に貢納して儲けようとしたのである。
堪らずニヴフが元王朝の駐屯地に赴き被害報告とアイヌの横暴抑止を訴えた結果、
元軍による懲罰遠征が樺太アイヌに対して行われた。
一度ならず複数回である。
まるで何処かの民族とソックリ。。。。
かもねw >>415
フランク王国と東ローマ帝国が敗れていたら欧州とっくにイスラム世界だったね 最盛期のオスマンはスレイマン期で時期ずれてるだろ
それでもウィーンぬけなかったが ていうかハンガリー中部の征服も苦労してるし
一見すんなりやってるように見えてそうでもない
ヤーノシュ・フニャディやマーチューシャの頃は何度も撃退されてるし
モハーチ以後もハンガリーが地元貴族ザポイとハブスブルクの間で内乱がおこってるすきにザポイと同盟
でザポイがオスマン軍をハンガリーに引き入れて内部から協力体制作れたのがでかい
ヨーロッパの場合拠点支配のために無数にある城塞を落とすことが重要で一回の戦闘で領土は変更しない
だからモハーチ後もスレイマンはハンガリー戦線で病死する40年間延々と地味な城塞戦をやってる
ウィーン包囲後3年後に同じように10万以上の大軍でウィーンを攻めようとしたが
その時はカール5世が大軍を率いて構えてたのでハンガリー南西部の小さな城塞に目標を変更と冒険しないタイプでもある イスラム圏史三大英雄はムハンマド、サラディン、スレイマン大帝 ムハンマドは開祖だからちょっと違う
イスラム教徒としての英雄は後ろ二人だけど
クルド人とトルコ人という ペルシア人やマレー人やベルベル人やベンガル人やシンド人は居ないのかね? サラディンとスレイマンの共通点として
キリスト教徒から領土奪った英雄って点から考えると、ベルベル人以外大分キツイんじゃね
ベルベル人だと、ムラービト朝のユースフ・イブン・ターシュフィーンとか、ムワヒッド朝のアブー・ユースフ・ヤアクーブ・アル=マンスールとかいるけど
トレド奪回できてないからちょっと微妙 俺的には十字軍やモンゴル軍を撃退したバイバルスを推したい ティムールを忘れるな
モンゴル扱いもされるが本人はテュルク系のムスリム ムハンマドが英雄から除外されるなら、同時代のハーリド・イブン・アル=ワリードを挙げないといけないと思う オスマン・スペイン・明・日本
スペインは単独ではなくヨーロッパ連合でオスマンと対峙して、
五分未満だからな。
オスマンが巨大大砲でガンガン大規模戦争やってた頃、
日本じゃ、まだ応仁の乱前だから。
明はもう衰退期に入ってる頃だからな。
それなら飛ぶ鳥落とす勢いのジュルチンを出した方がよいかも。
北京入城前にすでにモンゴルとか従えてるし。 >>325
スペインとオスマンの海戦はプレヴェザとレパントのことをいってるんだろうが
内容があまりに違いすぎる。
プレヴェザはスペインの戦略的撤退にすぎないが、レパントはオスマンの壊滅的大敗だ >>430
スペインは主敵のイングランドに苦戦してる片手間に、
レパントでオスマンを粉砕したんだが。 、
、
、
、
、、、、、「雲霞の如き大軍」を実現するためには、一夫多妻制を採用しなければならない。 神の国、日本は誰も異論なく世界史上最強不敗
まあ左翼じゃなければそれは言うまでもないだろう
オスマンスペイン明などという雑魚の醜い争いはする意味もないが
まあ強いて言うならオスマンだろうな
白豚もシナ人も弱すぎる SSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSSS 日本
D オスマン帝国
E スペイン
F 明 今の西欧の王侯貴族は元を辿れば
侵入してきたゲルマン蛮族の首長の血筋
イギリス→ノルマン人
フランス→フランク族
スペイン→西ゴート族 エジプト → キリスト教徒が図書館を破壊&アラブ人の侵入
メソポタミア → モンゴルによって焦土と化す
ギリシャ → スラブ人の侵入、そしてオスマン帝国による占領
古代から続いた文明地が全滅や・・・ 日本に火縄銃が30万丁!って都市伝説を信じちゃったくちかな?
日本で銃が出回る頃には、欧州は天才マウリッツの出現で
戦術が長足の進歩を遂げてる。日本の封建制軍団なんて
砲で引き裂かれて、戦列に阻まれ、騎兵に回りこまれてと、勝つ可能性はない
城に篭っても、あっちは大砲をメインに据えてるから手も足も出ないよ
いい加減に戦国最強説は捨てたほうが良い >>445
当時の欧州に機動の概念はほぼ無い。
第一次世界大戦の塹壕戦に近いシロモノだぞ。
双方共に想定している地形が違い過ぎるのだから、比べても無意味だ。 日本最強の城だった大阪城も西洋最新のカノンの前には全く無力だったな >>445
たった100年後にはイギリスフリゲート艦一隻にあっさり屈服する弱小国だもんな 強いったってなあ
日本軍と明軍の質自体なら日本軍のが強いとしても
明を征服できるかったら史実の朝鮮止まりを考慮しなくても無理がある 日本なんて内輪で戦争してただけじゃん……
国力疲弊させてどこに最強要素あんだよ プレートアーマーの騎士って弱点なさそうだな
オスマン帝国の兵士たちはあんなのとどうやって戦ったんだろう ずっと内乱やってた日本の国力なんて高が知れてるだろ
明の派遣軍にぼろ負け >>457
杭で足止めして弓でぶち抜く。
これだけで瞬殺。
この方法はトルコだけではなく、イギリスもやってたゾ。 プレートアーマー装備のおっそい騎士なんて銃の的だろ >>457
プレートアーマーの騎士なんて弱点の塊だろ トルコも重騎兵がプレートアーマーみたいなの着込んでたけど プレートアーマー相手なら鉄パイプでぶん殴る方がましだなw トルコ・スペイン・ポルトガル
↓
フランス・イギリス
↓
イギリス・ロシア・ドイツ
↓
アメリカ・ソ連・ドイツ・日本
↓
アメリカ・ソ連
↓
アメリカ
アメリカの覇権が続くのか、それとも・・・ これからの世界は群雄割拠になるだろうな。
モンゴル帝国崩壊後の14世紀みたいな感じになるんだろう。 1345年頃にジェノヴァ商人が書いた旅行記によるとドン川からカタイまでの旅路は驚くほど治安が良かったらしいが >>448
三の丸すら攻略できずに講和してますけど・・ ササン朝とバトルアンドバトル
終わりなき戦い
ユスティニアヌスが西ローマの旧領を大征服するが
その後がランゴバルド、アヴァール、イスラムに領土を取られまくって
停滞の時代が続き、しばらくするとようやく安定して
バシレイオスの活躍で再び大国になるが、その後は暗君が続き
トルコ人にアナトリアを奪われる
更に十字軍によって一回滅ぼされる
なんとか復活するが、ふるわずオスマン帝国に滅ぼされる
色々あったけどよく1000年も続いたもんだよ >>1の明確な定義付けのないスレタイと内容なら特に1〜2位は議論の余地なくこうなってしまうんだけどな。
スペイン帝国>オスマン朝トルコ>桃山日本≧明
スペイン帝国の終焉はフランコ独裁終了時という考え方はWikiに載るレベルであるし国旗から考えても妥当。
オスマン朝はガチで第一次世界大戦を戦い抜いた。
桃山期と定義された日本やそれに近い時代に終焉を迎えた明が勝てる相手ではない。
最終末期のスペイン帝国はジェット機からの空爆を行い
最終末期のオスマン朝は塹壕からの機銃掃射を行う。
それに秀吉はどう戦えばいいんだろう。。。 オスマン、スペイン、明清ってのは典型的な近代化できなかった未開国家だからな
でこの未開国家になりそこねたのがフランスとイタリア スペイン・ポルトガルは例えるなら貧乏人が宝くじに高額当選したようなもので
産業育成に力を入れなかったから貯金を使い果たして元の貧乏に
イギリスも元々貧乏だったけど、だからこそ海洋進出で外の富を求めて七つの海を制覇するところまでいき
産業革命にも成功し自他共に認める大英帝国になった
フランスはローマ帝国のガリア属州だった頃から現在まで比較的にずっと豊かな強国
オスマン帝国と清は圧倒的な武力を誇ったが、次第に文弱になり、列強に蚕食され、近代化もやりきれず滅亡 世界最高の一発屋は第三帝国だろう
ISも頑張ったけど、戦力がしょぼい上に周りをトルコ・イラン・サウジ等の大国に囲まれているから
あれ以上の拡大は無理だったろうな
クウェートに手を出すとアメリカが出てくるし ポルトガル・スペインは一発屋
オスマン帝国は600年繁栄 日本には武士道があったから泰平の世を経ても
奢侈文弱になった清朝・オスマン帝国と違って尚武の気風を保てた 過労死して伝説に
殉職して英雄に
業績悪化でリストラに
でも22位
希望の光はチョンよりまし 重装歩兵とかモンゴル人にボコボコにやられたからな
あんなもん戦争では役立たず セレコウス朝・ローマ帝国・ビザンツ帝国と長きにわたり
ギリシャやローマに支配されたシリアだが、ムハンマド登場後一瞬でイスラム化したな
様々な民族に支配されても
トラヤヌスによる征服から今日までずっとアイデンティティーが「ローマ人」のルーマニアとは非常に対照的 ローマ帝国滅亡から暗黒の中世へ
文明が終わるということ
識字率そこそこ → 神父以外文盲
上下水道完備 → 糞尿垂れ流し
食器と食事道具 → テーブルのくぼみに盛り付けて鷲掴み
街道は安全 → 野盗・山賊だらけ
地中海貿易 → サラセン海賊跋扈
巨大建造物 → アーチすら作れなくなった
各地の特産物からなる豊かな食生活 → 雑穀雑穀雑穀、ちょっと小麦
地中海の覇者 → フン族、アヴァール、マジャール、ヴァイキング、イスラム、モンゴル、オスマンにボコボコ
人類史上最も幸福な時代 →重税、蛮族の侵入、疫病、餓死、王侯貴族による圧政、教会による支配 ローマ時代より中世盛期の方がヨーロッパは人口が倍以上多い
ローマ時代のヨーロッパなんてほとんど田舎で
繁栄してたのはイタリアとギリシャ、シリア、エジプトといったところ
ヨーロッパ自体は大してダメージは受けてない 友人がスペイン旅行に行った時‥‥
食堂でウニ丼を食べていたら、隣のテーブルの主婦が
赤ん坊をテーブルにのせてオムツを替え始めたそうです。
パラフルヘルでは驚くことではないみたいですよ。 カルタゴ、ローマ帝国、西ゴート王国、ウマイヤ朝、後ウマイヤ朝
レオン王国の前は外来政権ばっかりだな ナポレオン、ビスマルク、カヴール、レーニン、ケマル 世界帝国
アメリカ
欧州の地域大国
イギリス・フランス・ドイツ・ロシア
極東の地域大国
日本・中国
中東の地域大国
トルコ・イラン・サウジアラビア ローマ帝国 チート
中世 暗黒時代
ルネサンス 復興の兆し
大航海時代 確変
産業革命 覇権 >>495
確変は大航海時代よりもう少し前からあった
蒙古の襲来を免れたことが最初の確変 >>492
北アフリカは今でこそ土人ランドになってるけど
かつてはエジプトやカルタゴなどの文明的な大国があったんだよな メソポタミア、エジプト、インド、ギリシャ、中国
古代文明発祥の地が軒並み土人化してる法則 魏・呉・蜀
高句麗・百済・新羅
宋・遼・西夏
島津・大友・龍造寺
ヤマト・佐川・郵便
吉野家・松屋・すき家
セブン・ローソン・ファミマ
ふむ・・・ イギリスはヴィクトリア朝
フランスはナポレオン時代
ドイツは第三帝国
イタリアはローマ帝国
ロシアはソ連
トルコはオスマン帝国
中国は唐
の頃が全盛期だな 日本の全盛期は
文化では江戸時代、影響力では大正から昭和初期orバブル期あたりかな ポルトガルの零落ぶりがもうね
かつて世界の半分を制覇した海洋国家だったが、今や欧州の最貧国… >>495
十字軍の頃になるとイスラムを一発ぶん殴って聖地エルサレムを奪い返して
百年くらい維持する程度には強くなってる
オスマン帝国が出てくるとまた押されるけど トルコはモロッコに勝てず、モロッコはスペインに勝てず、スペインはトルコに勝てない
スペインはイギリスに勝てず、フランスはイギリスに勝てず、ドイツはイギリスに最終的には勝てずに終わった イスラム側の内紛につけこんで居座っただけじゃん
しかもヒッティーンの戦いでサラディンに総なめにされてエルサレム陥落するし
和平交渉で取り戻すもモンゴルと徒党を組んで侵略した所をバイバルスに返す刀で
ことごとく十字軍国家は滅ぼされるし基本は頭数しかとりえのないザコ 万暦帝というリアルロイヤルニート
明の皇帝はデブ多いのに、清の皇帝はスマートな人が多いのは
騎馬民族で乗馬の機会が多かったからか? そのサラディンもリチャードには全敗だからな
しかも頭数はイスラム側の方が多いだろ >>504
そのオスマンも最終的にはロシアにボコボコにされるレベル つかボードアンにも負けてる
内紛につけこんでとか言ってるけどサラディンもボードアンという優秀な将がなくなったのにつけ込んで攻めてるんだから
そんな言い訳なりたつかよ
相手が強力な時以外攻めるなってのはおかしな話 日本 1500年(継体天皇より)
東ローマ帝国 1000年
神聖ローマ帝国 900年
周 800年
アッバース朝 800年
オスマン帝国 600年
高麗 500年
朝鮮 500年
ローマ帝国 400年(東西分裂まで)
漢 400年(前後合算)
ササン朝 400年 >>509
この頃からイングランドは強かったんだな >>317
白人が,そんなリアクション,する訳ねぇ
それに,増してや君主だからね 元は100年も持たなかったね
清は少数の満州族が圧倒的大多数の漢族を支配する体制だけど
300年弱くらいは持ったし
康熙帝・雍正帝・乾隆帝など中国史上屈指の名君揃い 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
1B0DS スペインは実は大した国じゃなかったよなってやつだった。
どうみても当時日本のほうが金持ってた。
全盛期のスペインの国家予算って200万ドゥカート金貨しかないんよ。このていどで大国だって
それってたった20万両、当時の秀吉の銀貨給国家よさん200万両の1/10の規模
当時スペインは日本を過度に驚異だと思ってたけど、あれ国力、人口、兵数からみて驚異と思って当たり前だろうよ
テルシオあろうが、20万の戦闘員組んで、兵員プールが60万もあるなんて国は当時日本と明くらいしかなかった
で日本はその明をボコボコにして、軍事貴族、官僚を潰しちゃったおかげで、当時日本の兵力物量に相対できるやつはいなかったんだわ
あと日本は確実に金銀レベルで裕福すぎたからこそ江戸時代のはってんがあって
日本が近代化できたのは、莫大な金銀ストックがあったからこそ40年の不平等経済下で、年10-20万ポンドの貿易赤字を出し続けて(近代化のためのゆにゅうなどの負担)
これで物理的に貿易赤字に耐えきって近代化できた
当時年1万ポンドだろうが、その程度の貿易赤字でも耐えきれなくて租借で国家を売り物にしないといけなかったのがほとんど全部の国 アレクサンドロス大王の英雄譚も良いけど
個人的には十字軍の方がワクワク感が半端ない
異教徒ぶっ倒して聖地奪還とかこれ以上のロマンはないわ
聖十字架を発見した騎士たちの感動も一入だったろう 関係ないけど、ロシア帝国とオスマン帝国は政治的、社会的、軍事的に酷似していた
そして人口面では19世紀はまだ互角だった
なのに戦争にはロシアが勝った。ロシアが優れていたわけではなかったが、しいていえば上と王政の腐敗の差でオスマンが情けなくも負けた 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
NEE >>521
十字軍は文字どおりキチガイに刃物な感じで好きになれない
そもそも自分たちの宗教以外は全部邪教という考え方が無理 >>520
OXFORD大がだしてるworld economic historyだと日本の中国への銀輸出量は1550-1700年で4875トン
南米の欧州への銀輸出量16世紀7500トン17世紀26168トン
日本史学はデータもも見ずに日本の銀産出量を過大評価しすぎ
それに日本は銀を産出しても対中貿易で圧倒的に赤字だったから中国に吸い取られて終わりだったのが実態 正確にいうと日本の銀産出量は把握しても世界の方を把握してない感じだな日本の研究者は
たしかに1600年頃はちょうど日本のピークで世界の3割は占めてたのかもしれんが一時的なもので長続きはしなかった
一方南米のピークはポトシだけでなくミナスジェライスの銀鉱も発見された18世紀で4万トンちかくの産出量で比較にならん スペインの没落については、いくつかのストーリーを聞いたことがある。
一つは無敵艦隊沈めたイギリスで小馬鹿にされネタにされたスペイン名物の
「スペイン宗教裁判」に戯画化されたように、ようするにスペインという国は
本質的には非合理的で神権政治の国で「国の意思決定層が宗教キチガイのアホ」だった
というのが一つの説明。
もう一つの説明はもうちょっとテクニカルで産業政策にかかわるもので、
スペインを押し上げたのが新大陸からの黄金なら、スペインを破滅させたのも新大陸の
黄金という話。
こっちはつまり、新大陸でインディオをしばきあげて黄金をもってこさせれば、スペインは
大量の富を自在に手に入れることができる立場に、ある時期までいた。
これがスペインの脳みそを完全にとろけさせちゃって、スペイン人は付加価値をつけるとか
ものごとを工夫するとかそういう努力を一切しなくなった(今の産油国の、なにも文明に
寄与しない割にカネだけある連中を「油土人」とけなしてる意識と同じ感情が働いてるかもしれん)。
その間、プロテスタント諸国は創意と工夫があった。
ようするにのちにスペインを撃破していくプロテスタント国の付加価値の源泉は「自分らの頭脳」
だったのに対して、スペインは自分らのケツにしいてた黄金にうつつをぬかして、そういう付加価値的
労働からくる産業を何一つ育てなかった。
だから、黄金が流出したとき、スペインにはろくな実力がなかった。
という話。
俺は大学時代、この二つの話を聞いた。 オスマン帝国は1526年のモハーチの戦いの時点で大砲300門揃えてるんだぞ
1614年の大坂冬の陣で大砲がちょろっと使われた程度の桃山期日本とじゃ比較にならんだろ >>512
日本ってすごいな
腐敗するかしないかが長持ちのコツ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています