>>126
文章を引用するならソースぐらい明記しろよ ここだろ?→ http://4travel.jp/travelogue/10853447
その引用文は焼き物を見ていくと上から来ていきなりミケーネ様式になる真ん中よりちょっと上のあたりで、そのすぐ下の画像についたコメントが、
>紀元前1300年頃になると、ミケーネ人が植民を開始した影響が陶器の文様にも大きく影響しているとのことです。
ほらミケーネって言ってる。
>これはフェニキアの影響以外にないだろ
>華やかなミケーネ土器とはまるで違う
違う。むしろそこからもっとミケーネ風になっていく。そしてもっと下に牛の角をかたどった石があり、説明が
>キティオンから出土した、石灰岩の“horns of concecration”。
>“horns of concecration”は、ミノア文明で偏在する神聖な牡牛の象徴のことのようです
前15世紀頃のミノア文明人(系統不明)か、その宗教を継承した前13世紀に到来したミケーネ人(アカイア人、ギリシャ系)が築いた宗教施設のものだろう
上のほうの土器と説明を見ても、少なくともキプロス南岸にはかなり早くから古い文明の担い手が来ていたようだ
「紀元前3800年?2500(or3000)頃の金石併用時代」のものからあるから、近隣のアナトリア人かレバント人(フェニキア人の登場は前15世紀だから違う)がいたのだろう
本拠地のクレタ島をはるか離れたこんな所までギリシャ人が街を作り、ミケーネ様式の町を作り王国を築いて宗教施設を持ってきていた。
フェニキア人が本拠地レバントの目と鼻の先のこの町を支配するのは前10世紀頃(しかし住人はその後もずっとギリシャ人)。海を独占して海賊ばっかしていた(?)にしては、ずいぶん遅いと思う。