>>212
セプトゥアギンタはユダヤ人以外のギリシャ人に広く読まれた。
そしてセプトゥアギンタを実現したのはギリシャ人ではなくプトレマイオスかその周辺の非ユダヤ人だった。
だとすればなぜユダヤ人自身が翻訳しなかったのか?答えは簡単、それはユダヤ人にとっては翻訳がタブーだったからだ。
ユダヤ人がユダヤ人である間は、セプトゥアギンタはただの「解説」であり「注釈」としてしか利用されなかった。
ギリシャ語ユダヤ人は安息日ごとにシナゴーグの礼拝において読むトーラー(パーラーシャー)は
ギリシャ語版ではなく従来のヘブライ語版を唱えたのだ。その後もユダヤ人がどの宗派においてもヘブライ語を捨てなかったことを見れば
そのことは明らかだろう。ギリシャ人の好奇心が結果的にはギリシャ語ユダヤ人の聖典理解を助けたというだけの話。

で、ユダヤ人自身が「翻訳した」という証拠はあるの?

>>213
なんだ、ただの陰謀論か。どうりで矛盾だらけでつまらないと思った。でもお前は明らかにナチズムまがいの人種的偏見を混ぜ込んでるよね。