もしもミシシッピ文明圏があったら [無断転載禁止]©2ch.net
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世界四大文明のように、ミシシッピ川周辺に現代世界に影響を
及ぼすような文明圏が存在していたら、どんな歴史を刻んだの
だろうか。 ポリネシア人は少数は南米にいついたのかな
インディオ女性は少数は海を渡って(略奪されて?)ポリネシアに行ったっぽいことは「イブの7人の娘たち」にもさらっと書かれてるけど
マプチェ族の遺伝子を調べたら何かわかるかな >>630
残念ながら、史実では13世紀の干ばつでフレモント農耕文化は滅んでしまった。
住民が死に絶えたわけではなく、採集狩猟生活に戻ったてこと。
今の豊かな農園は白人が開墾した成果なわけだが、
もしも中世に農耕文化が滅びなかったらどうなっていたやら。 >>638
へー、なるほど
農耕牧畜から遊牧になるのはありそうだけど
狩猟採集まで戻るのもあったりするのかぁ
というか、新大陸では使用可能な家畜的に
牧畜生活は無理だったのかな? イヴの7人の娘というかブライアン・サイクスがかなりトンデモだからな
自分がそうだと思い込んだことを断定調に語るとこがいかにもアスぺっぽい
ゲノム解析したところで精々数万年前の父系母系の祖先がわかる程度でいつどのようにして
入って来たなんてわからない確実なことは何も言えない >>639 ニュージーランドのモリオリ
東南アジアのムラブリもなんと農耕民から狩猟採集民に戻ったクチらしい。ウルルン滞在記とかで見たときはほとんど裸族みたいな民族だったけど
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%B0%91%E6%97%8F%E4%B8%80%E8%A6%A7
>タイ北部には狩猟採集民(少数民族)であるムラブリ族が存在し、太田博樹らのチームによれば、農耕生活から採集生活に戻った人種の例とされ、
農業を始めた集団が小さ過ぎて、十分な収穫ができなかったためと考察されており、採集生活に戻った時期は、500から千年前としている[1]。
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163901930 この本の140ページにあるらしい
その文の中で出てる太田さんの研究室の公式サイト
http://www.med.kitasato-u.ac.jp/~anatomy-anthropology/oota_lab/
ムラブリについての論文もどこかにあるのかな? >>639
耕作可能地域以外の周辺地域には、もともとからの狩猟採集民が
ずっと住んでいたので、農耕を放棄して彼らに合流した、と考えれば困難なことではなさそう。
もともと貝殻や宝石の長距離交易を通じて面識はあった間柄だったろうし。
「うちの畑もうダメっぽいから狩猟手伝わせてください」こんな感じだろうかw
あと、北米大陸で役畜は・・・残念ながらイヌのみなのよ。
ウシ・ウマ・ラクダ・水牛のような大型役畜は北米大陸には存在しなかったわけで。
南米からリャマ・アルパカを連れてくるのはほぼ無理だろうし(そもそも灼熱の中米を越えられまい)。
シベリア経由でヤクート馬を連れてくるか、はたまた
シベリアのトナカイ遊牧の技術をカナダのカリブーで再現するか。 ネバダ州やカリフォルニア州内陸部の砂漠地帯に点在する塩湖で、主にパイユート系集団が
準主食として採集されてきたハエ科ミギワバエのさなぎなんか将来性があっておすすめ。
羽根が退化し遠くへ飛んで逃げられず、一生を塩湖の水際(みぎわ)で過ごすので、捕獲も容易。
一斉に羽化すると、湖岸線が遠くから見ても黒く縁どられて見えるほどの数。
砂漠では大変貴重な蛋白源で、クツァディカ(ハエ食い)族の名を冠した部族もいたほど。
アジアで野蚕を家畜化してカイコガを作出したように、北米でミギワバエが食用虫として改良されたら
北米の生業形態もどう変わっていたろうな。 そういやメキシコ高地も、今でも昆虫食が盛んだよな。
なかには人間が飼育・繁殖している昆虫もあるかもしれない。
大型の肉畜が乏しい地域は昆虫食が発達しやすいのかも。(タイのイーサーン地方とか)
乾燥地でも飼育が容易な昆虫といったら、
シロアリ(北米の西部にアメリカカンザイシロアリとかいるな)とか、カミキリムシ、蝶や蛾の幼虫とかか。 精密な暦法体形が編み出されたのがマヤだけというのが手痛かったな・・・
ミシシッピ文明に高度な暦法が生まれるには、中米から伝わるのを待っていてもしょうがない。
個人的にはジュウシチネンゼミとジュウサンネンゼミの一斉羽化する年を「冬数え」的に書き残すあたりから
長期暦を編み出せたら面白いと思うな。
17年×13年=最小公倍数が221年。
221年という長い周期に一度だけ、
ジュウシチネンゼミとジュウサンネンゼミが同じ年に一斉羽化してミンミン鳴くのは天文学者でなくても記録に残せるだろうし。
しかもジュウシチネンゼミの羽化年は北米大陸の十数か所で異なるエリアに分かれているため、
他地域の周期と突き合わせて精細な年代が特定できる・・・のだろうか?
ちなみにジュウシチネンゼミが羽化すると南部や中西部の州ではセミ祭りを開いて
セミクッキーやセミフライが屋台をにぎわすw 干支は60年に1回、同じ干支が繰り返すので、たとえば
西暦721年なのか西暦781年なのか判別に迷う事態も生じる。
一周期221年(冥王星の公転周期がこのくらい?)ならば混同の確率は下がり、さらに
「ルイジアナで(二種のセミが)同時羽化した年」の翌年に
「テネシーで(二種のセミが)同時羽化した年」が来れば、双方の紀年法と照合して「ああ西暦721年ね」と
年代特定が可能になる・・・とか。
一方、短く時を刻む技術。
一日を時・分・秒で細かく分ける制度は天文学の知識の集積が必須、かつある程度の
観測機と機械時計の発達が欠かせない・・・
精密な日時計はカホキア一帯に複数あったようなので、なんとかなるかな?
夜間の時刻測定についてはどうしたものか・・・
南西部のアナサジ文化で築かれた天文台のノウハウを導入するとかかな。 余談だが、クジラのひげ製のぜんまいやバネはエスキモーが常用していた。
(機械の部品ではないけど)
極夜と白夜が繰り返し、時刻把握への渇望が低緯度地域以上だったエスキモーが
案外、機械時計を発明したりしてね。
潜水したアザラシが氷海の呼吸穴に再び戻ってくる時間を測って待ち伏せ猟・・・とかの用途? 北米大陸のオーロラ出現頻度分布図
http://kxlh.images.worldnow.com/images/8136629_G.jpg
経度によってオーロラの出現時刻は異なるようなので、
夜空の天体の観測と並行して、オーロラの出没記録を蓄積して
両者を組み合わせたら、経度の算出技術を旧大陸よりも早く発見、なんて水準に到るには
ミシシッピ文明と、高緯度のデネなど北方民族との交流が不可欠なんだろうなあ。 >>646
周期ゼミ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%9C%9F%E3%82%BC%E3%83%9F
天体の運行以外で、規則正しい長周期を正確に刻むものって
そうそうないから、歴史の年代記録に便利かも。
>イロコイ族は炒ってポップコーンのように破裂させて
北斗百裂拳セミ風味? 17年ゼミと13年ゼミの羽化年の分布地図
http://www.ecowatch.com/theyre-back-17-year-cicadas-to-blanket-northeastern-u-s-1891148953.html
ほんとだ、西暦2024年にはミシシッピ州で17年ゼミと13年ゼミが同時に羽化する年なんだな。
今年はミシガン州南部の17年ゼミ集団が一斉羽化する番なのか。
周期ゼミは北米大陸以外では見られないそうだ。
・・・ところで下のほうの写真にセミクッキーがw >>645
おぉw素数ゼミじゃぁないですか
ツォルキン(暦)の片方が13になってるのなんだろうと思ってましたが
もしや関係があったりするのかなww AD2024−221年前=AD1803年
前回の同時羽化年がすぐに割り出せる。なんかスケールでかいな。
十干十二支=60年、
西暦の1世紀=100年、
マヤ長期暦の1バクトゥン=400年、とかに相当する単位にできそう。
キリが悪いのが難だが素数同士だからしゃあないか。
シラカバの樹皮やバッファローの革に年代記を書き込む際に
1ミンミン(17年蝉)×1ニイニイ(13年蝉)=221年=1ミンニイ、という単位が用いられた、なんてな しかしおいらヤバイことに気がついてまいりました
17年ものと13年モノの鳴声には
差があるのだろうか、、、 人間の耳に違いが聞き取れるかは分からないですが、
http://ameblo.jp/mus-musculus/entry-10902034054.html
種の異なるセミ同士は鳴き声の違いで互いを識別しているようです。
でないと、221年に一回の同時羽化で交雑種が大量発生しているでしょうしね >>654
ほっほぅ、ちゃんと性的隔離されてるのかぁ
そうするとアブソリュートピッチを持ったシャーマンの中の人が
セミ判断をすることになるのかな
意外と見ただけでわっかっちゃう? ・ジュウシチネンゼミ
・ジュウサンネンゼミ
の写真がありました。見比べてみると・・・外見はよく似通っていますな。
腹側の模様と色が種ごとに異なっていて見分けやすいようですね。
https://blogs.yahoo.co.jp/metoronjr7/38884499.html >>647
>クジラのひげ製のぜんまいやバネ
イヌイットの必殺兵器
狼殺し(wolf-killer)か(((ガクブル))) >>641
黄色いバナナ葉の妖精さんでした、、、
ご祖先様の言いつけで農業禁止らしいww 「狼殺し」
罠猟の道具ですね。
タイマンで勝ち目のないホッキョクグマ、ハイイロヒグマ(グリズリー)、クズリ、オオカミなどを仕留めるために
エスキモーが発明した「ぜんまい仕掛け」の狩猟具。
♪キューピー三分メイキング
@クジラのひげをコイル状、または螺旋状にねじり、動物の腱でしばって固定します
A獲物が好む動物の肉(ホッキョクグマならアザラシ、オオカミならトナカイなど)をひげコイルに巻いてくるみます
B獣脂で固めてでき上がり♪
獲物の通り道や縄張りに置くだけ。
肉塊を食べて飲み込み、胃に到達すると、体温で獣脂が溶けて肉の包みがほどけ、
内部からコイル状のひげが露出。さらに腱がほどけると・・・断末魔ショー開幕。
たわめられたひげコイルがゆっくりと直線状に戻ろうと回転し始め、
両端をそいでささくれ立たせたギザギザが胃壁に当たると胃を切り裂き始める。
耐えがたい激痛に暴れ回るほどに胃の中のコイルがさらに回転して胃を裂き、最後に
まっすぐに戻ったヒゲが胃を内側から刺し貫く、という鬼の発明品。
吐瀉物や血反吐が雪上に点々と残るため、逃げ去っても追跡が容易。
絶命した猛獣から回収したヒゲは、雪で洗ってケモノ臭を落とし、次の猟へリサイクル、と。
・・・これをイピウタク文化の回転スイベル(縒り戻し具)と合体させたらば、
「ゼンマイ駆動の車輪の原理」で動く道具の誕生、とはなるまいかw >>659
どうやって回収するのか
不思議だったのだが
けっこうちゃんと巡回しないと
ク一派ぐれちゃうのかなぁ、、、 ゴルフボールサイズくらいの小ささにするのかな
丸呑みしてもらわないと困るから
小柄なクズリだったらボール状に固まってるのを丈夫な顎でガジガジして、中のひげまでばらばらに噛み砕いてしまいそうだけど、
案外うまく罠にはまるんだな >>660
日本で罠猟といえば、北海道アイヌの仕掛け弓(アマク)があるね。
こっちはエゾシカ猟がメインだが、まめに見回りをしてたみたいだね。
回収が遅れると、他の動物に先取りされちゃうからね。
>>661
少なくともオオカミは丸呑みするようだね。
飼い犬の中にも、よく噛まずにゴックンするのがいるが、名残りだろうかw
群れで狩りをするため、獲物はすぐ平らげないと他の仲間に横取りされてしまう切迫感が本能に刻まれているようで。 >>659
>回転スイベル(縒り戻し具)
釣り具で欠かせないあれか。
まあアラスカやカナダでは、体に銛を打ち込まれた海獣が暴れてロープがよじれても
ねじ切られないための装具としての用途ね。
あとは仕留めた海獣をカヤックで曳航する時に、横波を受けてロープがねじ切れないためにも使用。
セイウチやの牙やクジラの歯を鉄の工具で削り出して
軸回転するように仕上げる技はすごいな。
シベリア経由で金属製のスイベルを手に入れて模造したんだろうな。
同様に削り出しの牙製チェーンもアラスカから出土しているからシベリア=スキタイ文化の伝播力はすごいもんだ。 >・・・紀元前後から八〇〇年頃までの北西アラスカではイピウタク(イピュタク)文化がひときわ目をひく。
>異様ともいえる動物意匠の装飾、そして六〇〇基もの竪穴住居址を擁した大規模な集落は後世のカシムを中心とした集落を想起させる。
>一方、イピウタク文化の装飾モチーフはスキタイ・シベリア文化のモチーフとよく似ている。
>また、ほかの地域の先史時代エスキモー文化にない鉄器がイピウタク文化にあったと推定されることによって、イピウタク文化とアジア大陸との間の関係が考えられる。
「スチュアート・ヘンリ研究室」より 樺太アイヌ・・・ミイラ作りの風習あり
アレウト人・・・ミイラ作りの風習あり
ミイラの風習というと砂漠地帯のイメージが強いが、例外的なのが寒冷地のこの2集団。
特にアリューシャン列島は雨雪が多い気候。なぜ発達したのか。
もしかして樺太アイヌと共通の源流から伝播したのだろうか? たとえば南極は水分がすぐに雪や氷になって湿気もクソもないし、
更に冷蔵/冷凍保存イケそうだし、案外寒冷地ってミイラ作り向きかも …って、667の挙げた地域は雨も多いのか。それじゃ668の推論じゃダメだわ 義経を匿った奥州修験道はミイラで有名だしね
本人はともかく義経残党は奥州修験者に連れられて北へ逃れたのかもしれない アリューシャン列島は雨の日が大変多いので、自然乾燥は一見困難に思えるが、
火山列島でもあるので、温洞(溶岩洞窟の深部からマグマで熱せられた熱風が地上へ吹きあげる場所)が
島々に無数にあるので、ここで遺体を乾燥させてミイラにしていた。
亜硫酸や硫化水素など有害なガスを含むこともあるので、カビの殺菌や虫の駆除にも利した。
いわば燻蒸と乾燥を同時にやってくれる便利なムロなわけで。 まさかアンデスのミイラと同祖ってことはないよな・・・ >>667
実は保存食作りの効率を極めた結果として
ミイラに応用したんではなかろうか、、、
ちなみに南国だと保存は厳しいので
収穫時期がずれるように工夫するらしい テマスカル・汗蒸幕・サウナ・蒸し風呂の関連も気になる アメリカインディアンのスウェットロッジも気になるな。
スキタイも似たような天幕蒸し風呂の風習があったが偶然だろうか。
インディアンは中で煙草を吸い、スキタイ人は大麻の葉を焚いた・・・ >>673
アンデスのミイラって偶然ミイラ化しただけだろ ちょww
れっきとした葬送儀礼の一環で
遺族が故人の遺骸をミイラ加工するんだが。 ウィキペディアの記事より:
>死者をミイラとする風習は南米アンデス地方でも見られる。
>アンデスのミイラの特徴は膝を折り腹部に付けた姿勢(蹲踞)を取ることである。
>製法は以下の通り。死者の内臓と筋肉を取り除く。次に、何らかの火力で乾燥させる。
>最後に特定の姿勢に固定し、体全体を布で覆い、かごに収め、最後に副葬品と併せて再度布を巻くというものである。
とのこと。 >>648
オーロラが頻繁に出現する「オーロラ・オーバル」をたどって
東西に分かれて旅したら
↓
お互いばったり反対方向から再開し、「ひょっとしてこの大地って丸い球体なんじゃないか?」と
考え始める、とかなw
アリューシャン列島のアレウト族の伝承にはそっくり上の逸話が登場する。
まさか本当に・・・ ×再開し
○再会し
そういや緯度が高ければ、等緯度方向の世界一周も短距離で済むんだったな。
?←シベリア北極海岸←アラスカ出発→カナダ北極海岸→グリーンランド→?
スカンジナビアあたりでバイキングに捕らえられてしまったりw >>681
エスキモー世界周航説ですね
そんでグリーンランドでバイキングを殲滅 アイルランドのセルキー伝説の元か
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%83%BC
>セルキーは海中ではあざらしとして生活しているが、陸にあがるときは皮を脱いで人間の姿になると言われている。 >>524
ローマ軍は原住民に鉛玉を喰らわせたらしい、、、
マグナムばりの威力で制圧射撃ぐらいはしたかもしんない
http://egg.2ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1496576045/1
1 名前:シャチ ★@無断転載は禁止[] 投稿日:2017/06/04(日) 20:34:05.33 ID:CAP_USER
今から1900年ほど前、スコットランドの丘の上の砦で、ローマ軍と先住民が激しい戦闘を行った。
最近の実験によって、ローマ軍の兵士が投石器を使って発射した鉛の弾のストッピングパワー
(命中したときに相手を行動不能にする力)は、現代の.44マグナム弾に近かったことがわかった。 >>681-682
原典はこれですな:
「・・・地球は丸い、という事実を彼らは以下の出来事から知っていた。
かつて彼らの祖先は2艇のバイダルカ(=カヤック)を送りだした。
出港したとき若かった航海者たちは年老いて戻ってきた。
しかしそれでも彼らは世界の果てに出会うことはなかった。
そこで彼らはこう結論を下した。
世界に果てはなく、それゆえ世界は丸いにちがいないと。」
1804年、ヒエロニムス会修道僧のゲデオン
(ロシア領アラスカでエスキモーの布教に従事) ちなみに>>685の記述は
「バイダルカ ザ・カヤック」 (ジョージ・B・ダイソン著、情報センター出版局)より。
この本はエスキモーの造船技術・航海技術を中心に、アラスカ先住民の工学の粋が網羅されていて
写真・図版も豊富。果てはカヤックの図面まで掲載という充実ぶり。
マヤやアステカは土木・天文・暦法・農耕には長けていたが、他の実用的な工業技術では
寒冷地のほうが進んでいたと感じる。
黄鉄鉱ヘッドの弓ドリルしかり、圧力隔壁しかり、球体関節しかり・・・ ジョージ・ダイソンか・・・ノーベル賞級物理学者の息子やの
若いころバンクーバー沿岸の多島海でカヤック生活しとったと聞いていたけどそんな本出してたのか カヤックを初めて目にした日本人の記述。
「イカナル大浪ニテモ鳥の浮フカ如ク
舟モ人モ波ノ中ヘクゝリ入リテ又浮ク」。
1802年、千島列島でアレウト族とコニアグ族(アラスカ太平洋岸のエスキモー)を
目撃した、幕府派遣の地理学者、近藤正斎の記録。
・・・と思ったらしかし、1783年にアラスカへ漂着した大黒屋光太夫一行の方が先だった。
北槎聞略巻之九に、
「又皮舟あり。マイタルカといふ。長さ二間計幅三尺余。
骨をば木にて組たて、その上に牛馬或は海驢(とど)の皮を
ふくろ([代+巾])のごとく縫合せてこれを裹(つつ)み、正中(まんなか)に
円(まろ)く孔を穿(ほり)、其内に立て腰より上を出し、
両頭の槳(かい)をもちて左右に水をかき行(ゆく)なり。」
とあった。光太夫さんの観察眼は凄すぎる・・・ 大波で水が入ったら困るなら水を入れなければいい、とは思いつきそうでなかなか思いつかないな
動物の皮をそのまま使うことで防水性の強い布が手に入ったからこそ生まれたものか
農耕民の植物性の織布じゃ水は防げなさそう 同じ皮張り船でも、カヤックのような密閉型でない、普通のボートのような開放型で
捕鯨にも使われた、大型の「ウミアック」などは、竜骨と肋材から成る構造船の基本を成しているな。
新大陸で船といえば筏か丸木舟(カヌー)のどちらかなので、構造の複雑さでは
カヤックとウミアックが、南北アメリカ大陸で最も発達した水上の乗り物といえるのでは。 >>645
洋の東西を問わず、古拙的な古代社会では、暦法は宇宙論・自然哲学の母体みたいなところが確かにあるけど、
どの社会を見ても、「精緻」といえるような暦法体系は、
怪しい星占いと、それを独占する胡散臭い神官集団の跋扈を招いているだけだからなあ。
農漁業を行うだけだなら、二至二分がだいたい分かる程度の緩い暦法で十分で、
商取引を行うなら、むしろ素人でも数えやすい、単純なシステムの暦法のほうが使いやすいということもある。
後者に特化した極端な例がイスラム暦。なぜ閏月禁止なのかといえば、
閏月がなければ、満ち欠けを数えるだけで、暦の再現が地球の裏側に旅したキャラバン隊でも可能だから。
太陽暦は3桁を数えなければならないが、イスラム暦だと、素人が扱う数は12と30だけでいい。
しかも月相は目に見えるから、数え忘れても空を見上げれば大体何日かわかる。 ユーラシア大陸は中央部に広大な草原地帯が広がっており、遊牧民の交易の舞台となった。
一方、南北アメリカ大陸は、中央アメリカという細長い地峡でつながっており、かつ
最もくびれたパナマ地峡は今なおジャングルが陸上交通を妨げる難所。
南北アメリカをつなぐパナマ地峡を陸路で交易の民が往来するとも思えない。
ここはいっそ、海路に舞台を移し、メキシコ湾とカリブ海を南北に航行する
「海の民」に大陸間交易の大役を担ってもらうのがいいのかも。
え?武装すればリアルパイレーツ・カリビアンってか。
海域の中央部に位置するキューバ島やジャマイカ島は海運の要衝になるだろうな。 ユカタン半島を沿岸航海して
貿易していたプトゥン・マヤ。
マヤ圏の外へ雄飛しなかったのがつくづく惜しい。
たとえばユカタン半島を拠点に・・・
・北へ→ミシシッピ文明と交易。銅器を輸入?
・南へ→コロンビア北部辺りでチブチャ文明と交易。
南方のアンデス文明との中継交易で繁栄。
特産品はプラチナ、エメラルド?
・東へ→キューバやジャマイカに植民都市を建設。
特産品は珊瑚?
北米へジャガイモが、南米へ鉄器文化が伝わったら
互いの文明に化学変化を起こしたんだろうけど。 メキシコ湾岸の海上貿易・・・西半分はマヤ(プトゥン諸国)、東半分はタイノ族(アラワク語族)
カリブ海沿岸の海上貿易・・・アラワク語族系(オリノコ川河口域のワイクル系が主力か)の独壇場か?
リングア・フランカの役を務めるのはアラワク語族ベースのピジン言語だったりしてね。
史実じゃ大型の丸木舟と筏が限界だから、構造船の技術を取り入れて大型化したいね。
それこそカヤックやウミアックの技術伝来が待たれるね。
エスキモーの船大工先生をフロリダの造船所にでもお招きせねばw あそうか、陸のシルクロードと見なさず、海のシルクロードか
地中海世界と見立てればいいんだな。 メソアメリカは地峡が多いうえに
山がちで交通は不便極まりない。
テワンテペク地峡でくびれ、パナマ地峡でほぼ南北分断され・・・
環カリブ海沿岸地域は
みな亜熱帯気候で、作物も農法も共有しやすい強味がある。
カカオとかアボカドとかパイナップルとか。
ベネズエラ北岸に独自の農耕発祥センターを立てる学説もあるので
案外作物の伝播・拡散に寄与できそう。 6600万年前のユカタン半島に落ちた巨大小惑星のクレーターがなんか影響
受けないかなあ。 スレ立て祝一周年!
>>696
>エスキモーの船大工先生をフロリダの造船所にでもお招きせねば
ミシシッピ文明の交易網が発達すれば、あながちありえない話でもない。
カナダのハドソン湾南岸からか、あるいは東海岸のニューファウンドランド島あたりなら
アルゴンキン系集団同士の交易ルートを頼ってウッドランド文化圏を経て南部へ
「招聘する」こともできなくはない。
けどよほど強大な統率力を具えた王朝の勅命が必要かな?
ところで南洋材ってあまり造船向きじゃないと聞いた。ヤシ材じゃあねぇ・・・
もともと材木自体が稀少な極地で誕生したカヤックとか
ウミアックって、乏しい良材を有効に生かせるという点で南洋向きなのかもしれない。 >>695
マヤは大規模河川がなかったのが残念でしたねぇ
>>701
ほっほう、1年も経ってたのかww >>703
マヤ人「大河がなくて陸上は貿易に不便だ、
船で遠洋へ繰り出そうぜ!」
と呼び掛けたチャレンジャーは現れなかったのね・・・ サッカー場ならぬ球戯場は環カリブ海全域に広まったのだから、
最初は「隣の島から隣の島へ」とバケツリレー方式でスタートし、
やがて一本の海路につなぎあわせる、というのが無理のない交易網の拡げ方かも。 × 広い舞っていた
○ 広まっていた
球技場の立地は、集落と集落の境界あたりが多かった。
ホームとアウェイの不公平をなくすため、また、集落間の紛争解決の手段として試合が
しばしば行われたので(だから敗者のほうが殺されたのか)、
条件が対等になるような立地にしたのかも。
都市の中央に球技場を建造したマヤとはここも異なるんだな。 >>705
そしたら、やっぱ船のレースを流行らせますか、、、
漕ぐタイプで優勝していたチームが
あるとき帆タイプにぶっちぎられて
技術開発競争が進むようになるというww
優勝者には帆にブルーリボン付ける権利がもらえます ジャガイモをなんとかして北米大陸に伝来させたいが、
陸路を経て栽培を広めようとすると、ジャングルが広がるメソアメリカでは不可能。
しかしコロンビア北端(アンデス山脈がカリブ海すれすれまで迫っており、高地の作物を
出荷するには好適地)から船で出港、一足とびに北米大陸メキシコ湾岸へ運べば可能かも。
コロラド高原には、野生のジャガイモ属の野草の芋を食す文化がアンデスと関係なくもともと
あったので、ここいらの民が南米のジャガイモと出会えば急速に受容、普及するかと。
さらに北の高緯度地帯の食糧事情を改善できる捨てがたい作物。
最北では、アラスカの北極海沿岸で自家栽培程度ならば作れるそうな。 現代のジャガイモでは無くて当時のジャガイモでは大した効果は期待できない。 北米でジャガイモの名産地というと
アイダホとオレゴンが有名だな。
そういや社名に「オレアイダ」があるくらしだしw アパラチア山脈もジャガイモの二次的な拠点として働きそう
中米の高地はトウモロコシで間に合ってるのかな?
でもジャガイモは広まらなかったけど、トマトは確かアンデス原産で、故郷アンデスよりもむしろメソアメリカで栽培が盛んになったんじゃなかったっけ
実際世界中に広まったトマトと同じ系統の呼び名のもとは、メキシコのナワトル語から
トマトが原産地で振るわなかったのも謎だけど、なんでジャガイモと違って南米の外に飛び出せたのかも謎 原産地でせいぜい子供の野遊びのおやつ程度でしかなかったようなものを、よそから交易で来た人がこれは使えると持ち帰って栽培化するもんなのかな?
それか渡り鳥か迷い鳥がメキシコでした「落とし物」の中にトマトの種が入ってて、そこから偶然芽生えて実がなったのが気に入られたのかな ジャガイモを筆頭に、キャッサバ、マシュア、オユコ、マカ・・・
なぜかアンデス原産の農産物は根菜類のオンパレードだな。
対する穀物はトウモロコシのみ(ムンゴは含んでいいものか)。
品種改良の速度にも差が出るのも無理ないかあ。 ヤコン、ラカチャ、アチラ
トウダイグサ科とかカタバミ科とか
旧大陸では食用にしない種を沢山目にする。
西洋野菜が入ってきた現代でも現役張っているところからすれば、
現代の淘汰にも耐えたってことなのかも。 >>713
観賞用として栽培に始まり々に品種改良して食用。
食用になって中東などのイスラム圏にも普及。
トマトは小さく・毒があり・まずい
ジャガイモも小さく・毒があり・まずい
饑饉とかどうにもならないときにしか食用にしない。 南米でジャガイモが一大生産されていたわけじゃないからな 三蔵法師、実は日本から出発していた
そんで帰ってこなかったらしい、、、 どうしようもなくすみません、、、
>>719
ポタラカをみると
なぜかピーナッツを思い出してしまいます、、、 ハワイやズールーを「王国」と認めるなら、ミシシッピ文化も文明と認めうるのかな?
金印を受け取ったころの日本(少なくとも北部九州)は文明段階といえるのかな? 弥生時代は違うでしょ。
文字無いし。
だから、カホキア文化も文化止まりで文明ではない。
日本の場合は古墳時代から文字が見られるらしいから、大体五世紀から文明段階なんじゃないだろうか。
これくらいの時代になると大和朝廷の都の跡とかも見つかってるしな。 ミシシッピ文化圏で文字かあ。
@ワンパム
Aワラム・オラム文字
B冬数え
萌芽はあるっちゃああるんだがな。 >>723 記紀の最初のほうだと、やっぱり金属器が出てこなかったりするのかな
話が進んでようやく出てくるとか >>723
世界最古文明である縄文文明を否定するチョン発見!
許すまじ! 朝鮮にも縄文遺跡があるんだから一緒に誇ればいいのにね 異文化・異民族との接触がもたらす刺激が乏しすぎたのかな。
唯一の高文化を有していたメキシコ高地やマヤ圏ははるか遠く、
といって中原を脅かした北方騎馬民族に相当する勢力もいなかった。
大平原(グレートプレーンズ)に騎馬民族 VS ミシシッピ本流域 VS オハイオ川流域+五大湖 VS 東海岸連合
とかの四つ巴にでもなれば活況を呈したろうものをw なんで北米南米の民族は、金属器を実用品にできなかったのか。
インカに金はあったが、装飾目的のみだった。 >>731
一応インカ帝国は青銅器は実用化していたみたいだよ。
鍬や鋤みたいな実用品として普及する段階までは至らなかったみたいだが。
もう少し西洋人の接触が遅ければ、農耕や日用品や貨幣として普及していたかもしれない。 北米北西海岸のインディアンとエスキモーが
工具として実用に供していたよ、と書こうとしたら
もう>>732で引かれてたか。 北米や南米に鉄鉱山はあるはずだが、さすがに先住民が自ら精錬するまでには至らなかったか。 薪じゃなく石炭を燃料にしないと溶解はなかなかね・・・ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています