もしもミシシッピ文明圏があったら [無断転載禁止]©2ch.net
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世界四大文明のように、ミシシッピ川周辺に現代世界に影響を
及ぼすような文明圏が存在していたら、どんな歴史を刻んだの
だろうか。 メンフィス大学「ミシシッピ川でヴァイキング船発見」
16m、24−28トン
↓
フェイクニュース >>871
気性が荒いのがオスだけなら象みたいに役畜にできたでしょう
それが出来てないということは雌雄両方とも人間の手に負えないってことだろうけど アメリカの国立公園で動物に襲われて死ぬ事件の第1位がアメリカバイソンだからなw 史実の北米大陸で家畜化されていたのは、結局イヌとシチメンチョウだけだったな・・・
上のほうのスレで挙げられているとおり、
アジア大陸からアラスカ経由でウマ・ウシ・ヒツジ・ヤギ・ラクダを輸入するか、あるいは
北米大陸の野生のカリブーを家畜化、いずれかになるか。
トナカイは活動域に南限があるのがネックだけど、農耕圏と北方の交易には大いに貢献するかも。
アラスカ太平洋岸で使われていた帆走技術がソリとドッキングして
アイスヨットに進化したらカナダの南北交通は格段に発達するだろうな。
山脈の多いシベリアに比べて平坦だし、氷河湖が無数にあり、冬場は長期間凍結するからね。 >>888
ないよ、遺跡は壊せるけど、あるなら土器のカケラとか遺物は残る。
もっとも、畑や牧草地のままで土木建築をしなければ平地の遺跡は簡単には見つからないだろうけど。 アイスヨットは北宋時代には大河や湖沼の渡し船ならぬ
「渡し橇」として運賃を取って客や荷物を運ぶ立派な商売だったそうな。
途中で北風がやんだら、橇に乗せていた犬に引かせるのかも。 カナダ内陸部の冬は寒すぎて氷が滑らないから無理じゃないかな
アラスカよりカナダ内陸の方が湿度が低いので寒さは厳しい
特に強風の時の体感温度の下がり方はすさまじいので死ぬよ 歴史のIFってネット民が昔の人より頭いい前提で語られるけど
たいていは誰かが考えてやってみたけど上手く行かなかったってだけだからな そうじゃなくて、時間が足りなかっただけだよ。
新大陸だけで人間が生きてりゃその内北アメリカにも都市国家の勃興に帝国の成立は見られただろう。 自分の土地で工事した時にネイティブアメリカンの遺物が見つかると
土地返還訴訟を起こされかねないからできるだけ隠すのが現状だし
ハイウェイを走ってるとあちこちでここはネイティブアメリカンゆかりの地という
伝説はあるが何も発見されてないという案内板を見かけるけどね 西暦1000年ごろにカナダあたりに来たヴァイキングのなかに天然痘患者がいたら
北米で疱瘡が大流行するんだろうが、それで免疫ができて
のちにコルテス一行が来ても対処できたりするのかな? 同じ地域でも天然痘が何度も流行しているので無理だろ。 天然痘の免疫は遺伝子しねえしw
旧大陸から来た伝染病で先住民が死んだって話自体
大げさに盛りすぎてんだよな ポリネシア人にカリフォルニア辺りに豚と鶏を持ってきてもらいたかった >>907
遺伝じゃなくて性淘汰で天然痘の耐性をもてない奴は旧大陸ではいなくなっただけ ヨーロッパ白人は中世のペスト大流行を生き抜いた個体の末裔だから、
伝染病に強いと聞いたことがある >>913 これからはアフリカ人がエボラやエイズを潜り抜けた新人類になるんだろうな >>913
ペスト自体は何度も流行しているし
そもそも中東も北アフリカもペストは同じような状況だからアラブ人もベルベル人も大差はない >>914
アメリカバクは1産1児で、しかも妊娠期間が1年を超す・・・
飼育はできても、家畜化して繁殖するのは断念せざるを得ないのよトホホ
リャマやアルパカも、アンデスの外へは分布域を広げられないだろうな。
周りはジャングル、サバンナ、砂漠・・・(パンパは未知数?) イグアナは飼育が簡単らしいよ。
熱帯、特にアマゾンではその味から「森のチキン」と呼ばれて親しまれている。
あ、もちろんれっきとした肉畜ね。 >>802見てて思い浮かんだ:
ベーリング海峡を股に掛けた戦役と交易を繰り返すうちに・・・
アレウト人(アラスカ)の鍼治療技術に + チュクチ人(極東シベリア)の格闘技(打撃+関節技多用)が
融合して極寒の地で独自の拳法が編み出され・・・とかなw
・寒冷地で体力の消耗を抑えるため、最小限の攻撃で最大限の打撃を与える拳風が主。
・防寒着の上からまとう甲冑(アザラシやトナカイの革に骨を縫い付けた綿襖甲風、イヌイットやチュクチやコリャークに実在)の上から
拳を傷めずに打撃を与えるため掌打や鎧の隙間から急所を狙う点穴が発達。
・元来は大型海獣の狩猟で、暴れる獲物にトドメを刺す技法との両輪で発達。
モンゴルや中央アジアの相撲が、毛刈りを嫌がって暴れる羊を捕まえ押さえるのに役立ったようにw
民明書房刊「北極神拳拳聖列伝〜お前は既にしばれている〜」より引用 チュコト半島のスポーツ大会でチュクチ族レスリング披露
http://projects.aljazeera.com/2014/beringia-games/
今でこそ和やかな祭りだが、「反目の時代」には
海峡を越え、新大陸へ攻め込んで取っ組み合ったのかもしれない
戦利品は・・・温泉の湯の花とかw チュクチ族の甲冑はコリャーク族のとよく似ているね。
http://www.forensicfashion.com/files/1774ChukchiWarriorArmorAMNH.JPG
古墳時代の日本の甲冑や北海道アイヌやチベットの甲冑とよく似て見えるのは
目の錯覚だろうか? アジアの挂甲は何と
ベーリング海峡を渡って
ワシントン州あたりまで伝わっていたっ!
のだろうか・・・
上のほうのスレで画像が貼られていたトリンギット族(アラスカ湾岸)の木製甲冑も
チュクチのとよく似ているし。 どぉーも!!空前絶後のぉ!超絶怒涛の交易民族!
遊牧を愛し、捕鯨に愛された民ぃー!!
鉄器、犬ぞり、象形文字、すーべてぇの新大陸文化の育ての親ぁ!!
人呼んで七福神8人目の啓蒙神ンンン!!
そぉう、この俺こそはぁ!!…
例えこの身が朽ち果てようと…新旧両大陸の財貨を求めて命を燃やし、燃えた炎は星となり、見るもの全てを貢納民に変えるぅ!!
みんなご存知!そう、この俺こそはぁー!!…最強無敵の交易民族っ!
あまりのポテンシャルの高さにエスキモー、アサバスカ、コリャーク、ユカギール、トリンギットから命を狙われている民ぃぃぃ!!
そぉう、この我らこそはぁ!!…てぇんか無双の交易民族!
あのコサック=ロシア連合軍を三度も返り討ちにしぃ!!
最後までコルホーズ帰順を拒絶し続けたた屈強無比にして!堅忍不抜のぉ!
チュクチ族ぅぅぅぅっっ!!! 申し忘れたぁぁぁ!!!
新年明けましておめでとうぅぅぅっ、いええええええい!
・・・ちょっくらアラスカ征伐行ってくるわ ワロタw
アメリカ征伐に出るならば
エベンキのチェルカーンや、アイヌが使うアマッポ(仕掛け弓)も
クロスボウに転用して持っていきなさい。
もちろんトリカブト矢毒持参でw
(アラスカ湾岸エスキモーやアレウト人もトリカブト矢毒を使うんだけどね)
北米北部の複合弓文化圏は、間違いなく
(紀元前後頃に)シベリアからの伝播によるものだね。
木と腱をにかわで接合するやつね。 アマッポ=仕掛け弓
http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/007/257/52/N000/000/006/127920004651916123957.JPG
動物が糸に引っ掛かると引き金が外れて弦が放たれる仕組み。
カナダの中でも人口密度希薄な内陸部では
アサバスカ系インディアンの間で罠猟が広く行われていたので、
一度アジアから伝わったら案外普及しそうな。 散々ガイシュツだろうが、アンデス文明ではすでに金属が知られていたのに、
利器や耐熱性容器に加工しなかったことが悔やまれる。 カナダ北部・ヌナブット準州の州都、イエローナイフ市の名の由来は
現地のエスキモーが用いていた銅製のナイフを
白人探検家が目にしたことから。
新大陸の先住民が
金属の利器を用いていたのがよほど印象深かったためなのかもな。
鉄・青銅・銅の刃物を使用してきたエスキモー、
南方の高文化との接触がなかったのが悔やまれる。
ドーセット文化圏は、一時期はハドソン湾南岸域まで膨張したので
あと少し頑張れば五大湖のホープウェル文化とも接触できたのになあ・・・ ドーセット文化とチューレ文化の領域変遷図
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/32/Arctic_cultures_900-1500.png
ホープウェル文化に色濃く影響されたローレル文化複合の北限は
カナダのニピゴン湖以北まで広がっていたので、(銅交易などを通じて)文化接触は
あったのかもよ。 >>928
量が少ないから無理
>>929
ヌナブトの州都はイカルイトで、NWTがイエローナイフ 世界史のようにおもしろいかねがはいってくるさいと
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』
3TTFQ >>921
蒙古鉢形冑だ
こんなとこまで普及してたのだな >>935
いっそ、蒙古系の末裔が住みついて、
新大陸に王国でも作ったら?
で、蒙古に東から大西洋に突き出された西ヨーロッパ人が、
西の新大陸でも、蒙古に西から攻勢にさらされるとか。
あ、でもその場合、蒙古系民族は新大陸に王朝を作らずに、
普通にグレートプレーンズで遊牧して暮らす、遊牧民族の古代の生活様式へと、
祖先回帰していってしまうのかな?
彼らもまた、ユーラシアという、周辺に定住民がいて、強大な王朝というシステムが
ある地域に隣接していたから、それに適応していたってだけで。 蒙古襲来の刺激によって、
アメリカ大陸の各文明が覚醒していくとか。
文明間の交易路も活発になるしね。
北方見聞録・南方見聞録を書くような、冒険旅行者も現れるだろう。 一定数の大集団が、モンゴル高原を去って
さらに北を目指すきっかけとしたら・・・
1 後漢に蹴散らされた北匈奴、安住の地を求めバイカル湖へ集団で移住。
モンゴル高原からの追っ手が攻め来る恐怖が消えず、レナ川伝いに北上。
2 酷寒ながらも馬が飼育できるレナ盆地に安住の地を見つけるが、
モンゴル高原覇権を奪還すべしと主張する声やまず、まずは国力増強に着手。
3 自給自足生活に甘んじず、遠隔地との交易路を開拓する探検隊を四方へ派遣。
レナ川を下って北極海に到達した一隊が帰還し報告をもたらす。
「東方に『チュクチ』『ユピック』なる交易の民あり、さらに東方にも別の人住大陸ありと聞く」と。
4 南方へ派遣した偵察隊が帰還し報告。「南匈奴に我らの存在が漏れ、『北伐』の動きあり」と。
5 レナ盆地も安住の地ではなくなった。
苦渋の末、北匈奴の存亡を賭け、一族郎党と家畜を率いて「東方の大陸」へ発つ。
6 極寒に耐えられないヒツジ・ヤギの同行は断念。
ウマ・ウシ・トナカイを伴い、ユピックの大型ボート「ウミアック」でベーリング海峡
約80kmを慎重に渡海。遂に数千の民と家畜がアラスカ・ホープ岬に上陸。
7 さらに北極海岸を東進。
カナダのマッケンジー川河口でドーセット文化のエスキモーから
「この大河をはるか南へ遡上すると、暖かな『草の海』が広がると伝え聞いている」と耳にする。
8 マッケンジー川を南へ遡上。荒漠としたバレン・シールドが終わり、針葉樹と湖水地帯を抜け、
遂に「草の海=グレートプレーンズ」に到達。
時すでに4世紀。レナ盆地を出発して数世代が経過していた。
9 アルゴンキン系インディアンの住む農耕圏に遭遇。マウンドを築き、首長制が既に形成されていた。
まだトウモロコシは普及しておらず、カボチャ、インゲンマメが主役。
↓
以下ヒャッハー時代が幕を開ける 4世紀の匈奴といえば・・・五胡十六国時代。
北米大陸でも匈奴の末裔たちが、
ミシシッピ流域の沃土をめぐって争覇し、こっちの大陸でも群雄割拠となるのかな。
匈奴の来寇に立ち向かうインディアン勢力が勃興するのか、それとも
富の山分けを巡って匈奴同士で内部分裂→抗争劇→無数の単于乱立、なんてなったりして。 西暦439年秋・・・日増しに風が冷たくなるミシガン湖畔。
オハイオ川流域森林地帯を統べる原(プロト)スー族勢力への総攻撃を明朝に控えた匈奴の陣営。
遠祖伝来の工法で設営した巨大なフェルト製のゲルから夕食の煙が静かにたなびく。
焚き火を囲む単于と老将が言葉少なに言葉を交わす。
若き単于:「古老のそちなら詳しかろう。我らが遠祖もまた『西方の大陸』で
広大な草原を疾駆し、広大な領土を平定したと聞くがまことか」
老将:「確かでございます。それがしも父祖より数々の武勲談をこうして聞かされ育ったものです。
(懐から懐剣を見せ)この鉄剣は・・・われら匈奴が大陸に覇を唱えた頃の物。
この剣で南方の農耕王朝の兵を数限りなく斬り伏せてきたと伝え聞きます」
若き単于:「そうであったか・・・今のわれらと何か似ておるのかもしれぬのう」
老将:「さあ、今夜はポップコーンと七面鳥の塩ゆでを召されませ。
明日は大いに暴れましょうぞ。食後にタバコを一服なさいませ」 匈奴のハプロタイプは新大陸のインディアンによくみられるQ系統なんだよな 4世紀のアラスカを襲った大事件といえば、
アラスカ湾岸の活火山、セント・エライアス山の噴火だろうな。
一説では噴煙が北半球上空の日光を遮り、通称「ミステリー・クラウド」を招き、
かの古墳寒冷期を招いた一因ともされている場所。
実際、ユーコン川上流域を故地としていたアサバスカ語族集団も、
この噴火が招いた(かもしれない)寒冷化を機に四散し、南下した一派は
ロッキー山脈を伝ってコロラド高原まで移住した。
これが後のナバホやアパッチとなる集団ね。
北極海岸を進んでいた匈奴さん達も
この民族移動の流れについて行ったのかもね。
しかし>>940のラストで、モンゴルの伝統を守り伝えてきた匈奴さんも
しっかり現地化していてなんともよろしいワロタ マヤ文明は船が好きじゃない。
アラワク族はカリブ族におされてじり貧。
交易相手がいない。
文化的刺激が弱い。 海上交易網、交易相手、文化的刺激か。
ならユピック最強、次点が北西海岸のトリンギットとチヌーク。 友達から教えてもらったパソコン一台でお金持ちになれるやり方
興味がある人はどうぞ
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』
AVA
昨日BSP−NHKでカナダ北方のカヌー民族を紹介していた
カナダ北方のカヌー民族でだれか一人が
冒険心にあふれてモンゴル近くまで来訪して
馬をはじめて見た感激で牧畜術を身につけて
なんとか雄5頭、雌5頭の馬をアメリカ大陸に連れ帰ることに成功する
くらいのIFで十分間に合う気もする
カヌーにどうやって馬を乗せる気だという難問にどう答えるか
ぎりぎりまで、カムチャツカ半島の東海岸を走っていけばいいのか
それ以前にオホーツク海沿岸の寒さに馬は耐えられるのか
コロンブスがアメリカ大陸を発見するのが1492年
それまでに先住民が「馬と<病原菌への免疫>と製鉄と狡猾さ」を身につけていればいいわけだ
それなら東から来る残虐な白人に対抗できる
疫病にかかって激減した人口が免疫つけてもとの人口に回復するまで
おそらく1世紀、幅を取って2世紀かかると見れば、1292年
1292年までに西からの接触が済んでいればいい
となると時期的には「鎌倉武士」だ
「鎌倉武士」が足りなくなった恩賞の割当先を求めて開拓冒険の旅に出るのが一番いい
文永の役(ぶんえいのえき・1274年)、
弘安の役(こうあんのえき・1281年)、
モンゴルの樺太侵攻 - Wikipedia(1284-1286年の連続攻撃)
これはアイヌに対して >>949
結局、確率の問題になる。
そういうチャレンジャーが現れる確率×チャレンジャーが無事に馬を連れて帰れる確率
後者の数字が結構低いとすれば、前者のチャレンジャーが沢山居ないと中々確率的に厳しい。
まぐれ当りを期待するなら、何千年〜が必要だろうか。
そして、前者が沢山いる為には、何らかの強い動機づけが必要だろうな。
コロンブスの新大陸発見⇒王族の強い後押しと金銀財宝目当て
徐福伝説⇒東方への強い宗教的関心
遣唐使⇒西の文明への強い探究心
みたいな。 >>949
すでに>>938で
ウマのベーリング海峡渡海プランの一案が出ていたな。
寒さについてはモンゴル馬なら耐えられるのでは。
運搬手段については、30人乗りの捕鯨用大型ウミアックを使えば
ウマを運搬することも可能かと。
幅80kmのベーリング海峡には有人島3つ、無人島1つがあり
中継・補給しながらアラスカ側へ渡ることも可能 (実際ユピックはやってた)。
有人島の集落ではいずれもウミアックを保有していたので、
ユピックとの交渉次第では、ウマはじめ家畜の群れを
多数のウミアック船団で運ぶことも不可能ではないかと。 >>951
残念ながら現実では、その計算の答えはゼロだったわけだ
( )×( )=0
しかし現代においても、この計算がゼロのままでいる必要はないとおもう
いまからでも、
この計算結果を1以上にしてくれる先住民が出てくれたらワクワクするわけだが
昔の「銃と馬」にあたるものが現代では何に当たるかはちょっと思いつかないけど
麻薬や酒に溺れて自殺するよりは、日本にでも留学して何がしかを持ち帰ってほしいものだ >>951で挙げた「強力な動機」にもう一つ候補を。
北欧〜シベリア〜アラスカ、と北極圏の広い範囲で
幻覚性のキノコをシャーマンが服用して祭祀に用いる文化圏が広がっていた。
とりわけ、極地でも生育するベニテングタケは神聖視されたほど。
しかし北極圏では幻覚性植物の種類はどうしても限られる。
もしも、新しい幻覚性植物を求めて東西へ交易網を広げたら・・・
南シベリアで栽培されていたアサ(大麻。すでに繊維用にも食用にも幻覚剤用にも利用されていた)と
アラスカ太平洋岸で栽培されていたマルバタバコ(亜寒帯でも育つ品種。現在でもロシアや中国で栽培)が
ベーリング海峡をまたぐ交易で交換され、互いの大陸へもたらされたら、と。
大麻もタバコも先住民のシャーマンが祭祀に用いていたため、
どちらの大陸でもその価値への理解が早かったろうし。
そのうちに、北方民族同士が互いの大陸の「南方に広がる文明圏」の話題に接し、
文物や高度技術や思想への尽きぬ興味が駆り立てられ・・・チャレンジャー君登場となる・・・か? シャーマンが一枚皮太鼓を叩いて
トランス状態に入り神託を得るところなんか両大陸共通しているもんな
オホーツク海沿岸に住んでいた古コリャークの仲介で
南へ旅し、
オホーツク海西岸あたりで女真族と遭遇し、
唐か契丹か金に入貢、なんて流れもあるかも
ところで新大陸から手土産というか貢ぎ物といったら何だろう?
・雄イッカクの角(前歯だけど)、
・煙草と凍石製パイプ、
・漢人が喜びそうなホッキョクグマの右掌? >>954
いいねえ、チャレンジャーくんが疫病にやられないことを祈るばかりだ
>>955
太平洋北岸の手土産と言えば、ラッコの毛皮一択なんだろうけど
それは新大陸でも旧大陸でも珍しくないものかな
普通にトウモロコシやカボチャでもいい気はするけど どっちも「葉っぱを燃やして煙を吸って陶酔する」って用途まで同じだもんな。
お互いの大陸で普及するのも容易そうだね。
最初は少人数のチャレンジャー達が「向こうの大陸」へ互いに旅立ち、
インディアンがシベリアから大麻を北米へ持ち帰り、
シベリアの先住民がアラスカからタバコを持ちかえる。
様々な作物と一緒にウイルスや寄生虫や細菌もお持ち帰り、と。
パンデミックを起こさず、小規模の感染を何度にも何地域にも分かれながら引き起こし、徐々に
免疫を獲得し、「来るべき時代の到来」に着々と備える・・・といくかな? >>951
神の啓示に導かれて
海の向こうの酋長の奥さんになってる
絶世の美女を誘拐して大々的に結婚しちゃう
とか
次の酋長の地位を簒奪されて返還を要求したところ
西の海の果てにある国にいる
黄金の獣のタテガミを持って返ってくることを返還の条件とされる
とか、意外としょうもない動機漬けでもいけるかもしんないっすねぇ、、、
太平洋のクラ交換はすごい距離を旅するそうだから
そういう動機付けさえあれば距離は関係ないかもしれないなあ 極北は、陸に犬ぞりとトナカイぞり、海に革張り船のカヤックとウミアック、と
交通手段が結構充実しているからね。
グレートプレーンズのインディアンが犬にトラヴォイを引きずらせたのも
おそらくは北方のエスキモーの犬ぞり文化が温帯に広まったものなのかも。
そのおかげでか、エスキモー(中でもイヌイット)の行動半径は南方のインディアンの数倍広い。
トナカイの季節移動を追って年に1000km移動するとか、
移動した先で遭遇したインディアンといさかいを起こし、仲間を殺され一旦去るが、
仇討ちのため500km引き返し、見事復讐を果たしたという伝承、とかがわりと普通に登場するほど。 オホーツク海北岸の、タイゴノス半島の遺跡から
北宋の皇宋通宝が多数出土しているので、もしかすると
このあたりまで中国との交易路が通じていたのかもしれないな。
あるいはカムチャツカ半島→千島列島→北海道ルートはどうなんだろうな。
オホーツク文化の最大領域の北端はカムチャツカ半島南端部。
先住民イテリメン人と千島アイヌの間で交易があったことからすれば・・・
(チャシに似た城砦兼交易所「ゴロディシチェ」もカムチャツカにあるし)
@オホーツク海の西岸伝いでアムール川に達するルート、
Aカムチャツカ半島から千島列島を伝って北海道に達するルート
が候補かな。 北海道の先は・・・中世だと津軽の十三湊あたり? >>329
北米では東の果ても製鉄して跡があったみたいだけど
なんとかならなかったのかなぁ レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。