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アレクサンドロス三世「改めて考えると凄いなって思うなあ。俺はやっぱ」 [無断転載禁止]©2ch.net
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0001世界@名無史さん
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2017/01/09(月) 05:20:27.520
改めて考えると凄いなって思うなあ。俺はやっぱ
ギリシャも統一できるしさ、小アジアも制圧できちゃうし、ほんでエジプトも占領できるでしょ?
ほんでーさらにはペルシアも滅亡させてるって?ほんでーアレクサンドリアも作ってるって?
なかなかできないよそういうことは
なかなか難しいと思うよそういうことは
そういうクリエイティブな人はなっかなかいないと思うよ
やっぱ俺って凄いんかなぁ
0247世界@名無史さん
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2017/06/17(土) 17:10:31.860
>>243
コストの掛かる重騎兵を数揃えてるからそれ根本的に間違い
あと投射兵器そのもので言うと戦車に大きな弩搭載する戦術が周代には確立してて
投射兵器の扱いは古代中国と地中海では圧倒的に前者が優れてる

>>245
変わってるから歩兵は装備まで簡略化されてってるのよ
0248世界@名無史さん
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2017/06/17(土) 17:18:59.240
>>247
> 変わってるから歩兵は装備まで簡略化されてってるのよ
それは単に騎兵に力をいれたぶん歩兵への予算がカットされただけ
あとそもそも後期ローマが騎兵に力を入れたのは
国力低下と小規模侵入の迎撃戦が激増したことによるもので
飛び道具うんぬんは関係ない

そして歩兵の戦術自体も変わっていない
後期ローマでも会戦において歩兵はちゃんと密集隊形とって戦ったし
もう一度言うが中世に入ってもシールドウォール戦術はずっと使用されてる

古代末期から中世にかけて変わったのは騎兵と歩兵のポジションであって
隊列組む「歩兵戦術」そのものは廃れていない
0249世界@名無史さん
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2017/06/17(土) 17:54:24.040
中世にかけて騎兵と投射兵の重要度が増して
「歩兵を主体とする戦術」の位置が「低下した」というのならわかる

まあそれでも歩兵が隊列組む戦術は継続されたし超密集する盾の壁も使用されたから
>>242の歩兵隊列を組む戦術自体が廃れたとするような発言は擁護しにくいが
それと言われているとおり末期ローマの騎兵転換は飛び道具関係ないし
0250世界@名無史さん
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2017/06/17(土) 18:57:57.510
>>247
>投射兵器の扱いは古代中国と地中海では圧倒的に前者が優れてる

逆に中国にバリスタみたいな城壁破壊できるような大型弩の運用なんてあったけ?
0251世界@名無史さん
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2017/06/17(土) 19:11:54.620
4〜5世紀頃のローマ歩兵
盾が丸型に戻ったのと兜しかつけなくなった
https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/736x/f9/eb/17/f9eb17c41e7d66f36f6593f45c5ad5bc.jpg

東ローマ帝国の歩兵
盾はカイトシールドを使うようになったが依然として密集陣形を使っていた
https://s-media-cache-ak0.pinimg.com/originals/25/2f/d1/252fd183baac539d7ec01c164d6372f6.jpg
騎兵は鎖帷子の上にさらに小札鎧をつける
0252世界@名無史さん
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2017/06/17(土) 19:19:37.250
>>247
>あと投射兵器そのもので言うと戦車に大きな弩搭載する戦術が周代には確立してて
何を根拠にこんなこと書いてるんだろ
周礼にも史記にもそんな記述はないが
ようやく三国時代になって官渡の戦いで投石機らしきものがでてくるが
0253世界@名無史さん
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2017/06/17(土) 19:46:35.640
中世前期は盾壁マスターなヴァイキング系が猛威を振るって、
中世盛期でも歩兵がカイトシールドならべて隊列組んでた。
それ以降は防具発展によって盾使用は縮小したけど、
隊列を組むという点は継続する。
社会・戦争形態の変化によって変遷はしていったけど、
歩兵集団の密集戦術そのものは別に廃れてはいない
0255世界@名無史さん
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2017/06/17(土) 20:45:43.060
>>252
まさに周礼に弩に関する記述があるんですが

「凡弩,夾、庚利攻守,唐、大利車戰、野戰。」
0256世界@名無史さん
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2017/06/17(土) 22:19:30.640
>紀元前の地中海世界の戦術って強力な投射武器のない前提

投石機も弩砲も存在してたんだから無い前提ってのはないな。
野戦に限ってならともかく。

大体弩があっても匈奴・鮮卑・モンゴルの騎馬軍団にボコられまくっていた訳だが・・・
マケドニアだけ弩に歯が立たないってのはおかしな話だよ。
0257世界@名無史さん
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2017/06/17(土) 22:30:28.960
何か勘違いしてないか?
凡そ弓の内で弩弓,夾弓、庚弓は攻守に適しており、唐弓は車戦と野戦に大いに便利であるって書いてあるんだけど
どこをどうよんだら
>戦車に大きな弩搭載する戦術
に読めるんだ
0258世界@名無史さん
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2017/06/17(土) 22:36:26.500
だいたい中国の弩って天工開物に「凡そ弓矢で強いものは二百歩に達するが弩は最強の物でも五十歩にすぎない」(凡弓箭強者,二百餘歩,弩箭最強者,五十歩而止)
と書かれるほどで、あくまで未熟練兵向けの兵器で西洋のボウガンみたいにロングボウをもしのぐ射程と威力をもったものではないのだけれど
0260世界@名無史さん
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2017/06/18(日) 00:09:25.180
弩は弓騎兵にはあまり有効ではなく歩兵に圧倒的有利という理論なのかな?
金属盾を装備したファランクスなら弩を防ぎつつ前進して敵陣に突っ込めそうだが・・・
0261世界@名無史さん
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2017/06/18(日) 00:52:09.520
>>260
マケドニアのファランクスは盾を胴体部分に装備して
サリッサという長槍を持って歩兵同士の衝突に強くなっているので
戦闘時に盾をかざすような防御は出来んけどね
0262世界@名無史さん
垢版 |
2017/06/18(日) 00:56:06.220
盾は先頭のヤツが大きくて厚いの持てばいい気がするけどね。
サリッサは二列目以降が持てばいい。
0264世界@名無史さん
垢版 |
2017/06/18(日) 10:31:56.140
>>256
騎馬遊牧民は短弓と長弓を持っててどちらも複合弓かつ馬上でも使えた
後者は射程が非常に長く移動しながらの長射程攻撃は弩を持った定点防御では勝てても
遊牧民の軍を粉砕するには至らないから勝てない

遊牧民の土地に大規模に補給して陣地を繋いで戦ってた前漢は大いに勝ってるけど
経費が掛かり過ぎて全くペイしなかったように
農耕民が相手側へ乗り込むのはハイリスクローリターン過ぎて策源地を攻撃できないのもある

>>257
唐弓は大きなもので野戦や車戦において活躍するサイズってこと
車戦の常識、御者と戟、弩でワンセット
戦車同士の車戦だけでなく戦車が歩兵と戦う野戦もあったんだから
そりゃ大きな唐弓が活躍するのは当然だわな
0265世界@名無史さん
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2017/06/18(日) 10:56:32.470
>>254
アラブ軍との戦いで活躍したテマの農民歩兵だね
テマの農民兵が没落して貴族の小作人になった
貴族はカタフラクトを担当していたので
テマ制の崩壊で騎兵の数は増えていたけど
東ローマ軍は弱体化してトルコ軍に敗れてしまった
0266世界@名無史さん
垢版 |
2017/06/18(日) 16:28:47.990
ローマ兵の亀甲陣形に使ったような長方形の盾はいつ頃から
使われたのかな?
0267世界@名無史さん
垢版 |
2017/06/18(日) 16:52:48.710
>>266
長方形型は1世紀半ばごろから多く見られるようになるけど
「亀甲陣形に使ったような盾」としては
ずっとさかのぼってサムニウム戦争あたりから

この頃に従来のギリシャ式ファランクスからローマ式マニプルスに移行して
盾もギリシャ式の大きな円盾から楕円盾に切り替わることになる

そんでこの楕円盾が時代を経るにつれて
徐々に角の丸みが減って長方形になっていく
0268世界@名無史さん
垢版 |
2017/06/18(日) 18:05:48.670
何でアレクサンドロスの話してるところでローマの盾の話してんだよw
0269世界@名無史さん
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2017/06/19(月) 03:21:11.820
マケドニアの盾が円形でどうしても体の全部を覆いづらいから
長方形の盾のが優れているのではという話。
0270世界@名無史さん
垢版 |
2017/06/19(月) 03:47:22.620
ギャンよりガンダムが強いという話か
0271世界@名無史さん
垢版 |
2017/06/24(土) 06:27:23.050
紀元前4世紀のタリム盆地は全く暗黒時代だな。
桜蘭とか相当昔から栄えてたようだけど。
0273世界@名無史さん
垢版 |
2017/06/26(月) 13:07:25.200
匈奴と月氏と東胡は互角の戦力だったようだけど
匈奴は東胡や丁零を征服して戦力を増強した
月氏はサカ族を追い払い烏孫は月氏を追い払ったけど
月氏がサカ族を追い払わずに同盟したり支配したのならば
烏孫が月氏を追い払わずに同盟したり支配したのならば
月氏や烏孫は匈奴と互角の戦力になったはず
0274世界@名無史さん
垢版 |
2017/06/26(月) 15:27:56.380
匈奴は始皇帝の派遣した蒙恬の秦軍30万に対して
匈奴だけでは勝ち目がないのでほぼ無抵抗で敗走した
東胡や丁零を征服して戦力を増強した匈奴は
40万の大軍で劉邦の漢軍32万を包囲出来た
0275世界@名無史さん
垢版 |
2017/06/28(水) 00:09:28.060
月氏がサカを駆逐したのは匈奴にボコられて北に逃げてからでしょ。
匈奴と烏孫にボコられて玉突き状にサカを南に駆逐してる。
0278世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/10(月) 22:57:44.060
インドを征服しておけば莫大な富がマケドニアのものに
なったのだが・・・
0279世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/10(月) 23:15:05.490
東西マケドニアに分割
蛮族の侵入で崩壊
0280世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/11(火) 01:09:35.520
負けドニアだってギリシャ人から見れば十分蛮族なんじゃね?
0281世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/11(火) 02:48:34.400
>>278
アレクサンドロスのしてたことはハカマーニシュ帝国と周辺国の領土画定なんだからインド奥地行くわけねーだろ
0282世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/11(火) 19:19:47.760
本当は行くつもりだったけど兵士たちが「行くなら大王一人で行けば?」とか悪態つきはじめて
この場合ではやばいと思ったので行けなかっただけの話
0283世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/11(火) 20:00:27.000
兵士の不満って形で糊塗して誤魔化してるけど嘘だから

そんなんだったらアフガン方向へ軍事進出しねーよw
0284世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/11(火) 21:09:17.300
>>283
アリアノスの東征記は読んだんだよね?
0286世界@名無史さん
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2017/07/12(水) 00:34:29.070
>>284
クセノポーンのアナバスィスは原語で読んだけども
邦訳岩波文庫の「敵中横断6000キロ」ってゆー副題は蛇足だよね
0287世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/12(水) 02:00:43.690
アフガンから北にソグディアナを征服してるんだが・・・
0288世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/12(水) 03:39:54.680
ギリシャ語読めるのスゲー
0289世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/12(水) 13:01:00.200
>>287
うんだからインド行きたいなら先にそっち行く意味はない
航路繋がってもいないのに
0290世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/12(水) 16:26:12.790
ソグディアナにアケメネス朝の残党がいるのに
何で先にインドを目指すんだよw
0291世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/12(水) 19:31:00.610
>>290
インドもアケメネス朝の領土だった時期があるからなぁ

むしろ旧領回復、領土画定のためって動機以外だと
インド行く意味ないのよ
インドへは行きたいから行ったってのは理由としておかしいのは君も分かってもらえたようで何より
0292世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/12(水) 21:24:35.160
ただの順番の問題だろ。
アケメネス朝の領土は大体パキスタンまで。
アレクサンドロスはその先を征服しようとしたの。
0293世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/12(水) 22:43:35.570
>>292
ん?そういう意味だとアレクサンドロスの帝国もインドじゃなくてパキスタンまでだぞ

だからこそ国境画定の遠征だったと言ってるのに
0294世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/12(水) 22:47:53.950
その先を征服しようとしたけど兵士が帰りたがったから、ってのはただの後世の欺瞞だって話してんのに
0295世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/12(水) 23:27:44.590
後世の欺瞞ってのは脳内ソースだろ?
何の書に書いてあるのか言ってみな。
0296世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/12(水) 23:42:44.760
>>295
脳内ソースじゃなくてインド行きたいのならどう考えてもあのルートじゃいかんのよ

そもそも地方で半独立状態だったサトラップをアケメネス朝残党認定してる時点で
どうかと思うよ?
0297世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/12(水) 23:44:06.830
あーそうそう、どこそこに書いてあるとかどうかの話をしてないのよ
動機なんていくらでも誤魔化せる内心の問題じゃなくて
どこを占領したかどうか軍事的に見ていったらという話な
0298世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/13(木) 00:05:35.800
まずアリアノスの東征記を読もうな。
インドに行きたいならどのルートを通るはずだと
言いたいのかも分からん。
0299世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/13(木) 00:56:11.310
先内陸部行くとか後背地切られたら終わるような挙動でインド行きたいとかないのよ
0300世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/13(木) 01:02:31.770
誰も行ったこともない何が住んでるかもわからない土地に行くとなったら
そりゃ士気もそがれるだろうよ
0301世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/13(木) 01:59:14.040
脳内戦記かよw
アレクの内心も適当に推測で言ってるだけだな。
0302世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/13(木) 02:06:41.480
インド行きたいんだったら実際に帰り道に使ったように
航路のための港を分捕ってくのがいいのよ

水軍がどうも整備されてるようには見えないから陸路でつないでもいいけど
アフガンまで行く必要は地勢上存在してない
0303ウムウル ◆w9gVwCWkR8GP
垢版 |
2017/07/13(木) 19:52:25.120
リック軍国のインド侵攻の際は
ほぼ必ずといっていいほど
カイバル峠を通るんですよねぇ

海沿いにやっちゃったのってポルトガル以前にもいたのかなぁ
0304世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/13(木) 21:15:51.690
ソグディアナにベッソスの残党がいるんだからそれを
放置してインドに行く訳にいかないだろ。
ソグディアナを平定したらインドに行くにはアフガンを
必ず通る。
大体イラン東南部、パキスタン南部なんて水の補給の
厳しいルートを通る訳無い。
インド洋航路もアレクが帰還に際してネアルコスに調査
させたもんだからな。
0305世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/13(木) 21:16:34.270
帰路パキスタン南部を通ったら多数の兵士が死んだけどね。
0306世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/14(金) 10:34:57.590
>>303
あの辺の陸軍国ってユーラシアの中央部を制す遊牧騎馬民の国が大半だから
そりゃ海沿いとかは通らないだろうね

>>304
そう、つまりインド行きたいから行ったのではなく
ペルシア旧領回復運動がアレクサンドロスの軍事行動だったってこと
わかってもらえて何より
0307世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/14(金) 17:11:22.340
兵士がもうこれ以上進軍したくないというから引き返したんだが。
東征記のその辺の下りは読んだの?
0308世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/14(金) 23:27:51.690
だからそこを疑えって話してるところで読んだ、ってアホかいな
0309世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/14(金) 23:38:36.310
何で兵士が帰りたがってるのに先に進みたい振りをする
必要があるんだ?
またはそういう話をでっち上げる必要があるんだよ?
意味が分からない。
根拠は脳内でそう思ったからってだけなんだろ?
0310世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/15(土) 00:14:19.950
今の時代だと、歴史上の凄い英雄の五指にはいるくらい?ってくらいの凄さだけど
当時だと、圧倒的覇業
歴史どころか神話にも例がない アキレウスもヘラクレスも超えた
ばかみたいな途方もない大成功って感じだったのだろうか
0311世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/16(日) 09:36:19.910
>>309
王は勝って前に進みたかったけど兵士が帰りたがったから

って武名の誉れ高きアレクサンドロス大王には実に相応しい撤退理由だよね
実際がどうであれ王の意思がどうであれ帰ることができる
0312世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/17(月) 03:04:58.220
>>311
だから何?
どこにアレクが本当は帰りたかった証拠があんの?
0314世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/18(火) 01:07:55.160
岩明のヒストリエのつっこみでもしてた方がマシだ・・・
0316世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/21(金) 12:52:39.360
ヤヴァナ人(ギリシア人)は結局はパータリプトラあたりまで
攻め込んだからな。
0317世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/21(金) 23:27:06.380
冒頓と激突してほしかった 
0318世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/22(土) 00:11:30.810
ボクトツがヒャッハーしてきたらぶつかっただろうけど、
時代が合わない。
0319世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/22(土) 05:54:45.400
約1世紀の差か 意外と近いといえば近い
0320世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/22(土) 19:26:46.430
セレウコス朝のアンティオコス3世は同時代だな
アンティオコス3世がローマに敗退してセレウコス朝が衰退したので
バクトリアやパルティアが再独立してイラン東部が混乱してしまい
サカ族と月氏はイラン東部へ民族移動した
セレウコス朝が健在ならば月氏は西へ逃げる事が出来ないので
月氏は漢と同盟して匈奴と戦うか匈奴に降伏して漢と戦ったはず
月氏の戦力が加わる事により匈奴と漢のいずれかが滅亡したかも
0321世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/23(日) 15:36:16.420
セレウコス朝からの独立にあたっては、男色事件が関係しているぞ。

詳しくは、京都大学学術出版会・刊行の『西洋古典学事典』、並びに
『西洋古典学事典アプリ』を参照のこと。

よいな。
0322世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/23(日) 16:11:23.010
もし匈奴が滅亡してたらアッティラは出現しなかったのか 胸が熱いわ
0323世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/25(火) 17:19:44.310
インド・グリークの子孫をDNAでたどりたい。
0324世界@名無史さん
垢版 |
2017/07/26(水) 17:44:44.960
冒頓はコーカソイド顔だったが、アッティラはドルジ顔
匈奴≠フン説をとる人はかく語る・・
0325世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/01(火) 17:31:06.680
アレクはドルジ顔人種に会ったことないだろうな。
0326世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/02(水) 04:41:03.830
大王って美男子だったの?
0328世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/12(土) 03:05:23.520
アレクサンドロスの貨幣の肖像にはヘラクレスのと大王自身の肖像がある。
見た目はあんまり違わないけど。
0330世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/26(土) 21:00:25.960
そういやそうだな。
考えてみればアレキサンダー大王のインド遠征とふつう言っているが、
アレキサンダーは今でいうインドの領域には一歩も踏み込まないまま
Uターンしたんじゃね。
0331世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 07:46:20.520
教科書の誤記修正

誤:アレクサンダー大王によるインド遠征
正:アレクサンダー大王によるパキスタン遠征
0332世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/27(日) 20:01:14.670
国家としてのインドじゃなくて地域としてのインドは現在のパキスタンを含む説
0333世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/28(月) 20:21:01.130
もともとインドってのはインダス川流域のことなんだから
何も問題はないが
つうかヴァルダナ朝あたりになってもインドつったらヴィンディヤ山脈までで
そっから南は化外の地扱い
0334世界@名無史さん
垢版 |
2017/08/29(火) 02:01:56.790
アーリア系のシンド人が移住したのでインダス河と呼ばれるようになったらしいね
黒海北岸のスキタイ系部族にシンドイ族がいたから元々シンド人もシンドイ族も
中央アジアに住んでいたけど分裂して南に移住したり西に移住したようだ
0335世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/07(木) 18:03:45.670
アレクサンドロスは中国ならホンタイジに匹敵する英雄ではあるな
ヌルハチとフィリッポス、ドルゴンとペルディッカス、
崇禎帝とダレイオス、魏忠賢とパゴアス、袁崇カンとメムノン、
李自成とベッソス、呉三桂とオクシュアルテス、鄭成功とスピタメネス・・・と
人物配置もよく似ている
盤石な大帝国があっさり滅びるタイミングというのは、こういうパターンに嵌ったときなのだろう
0336世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/07(木) 18:24:44.760
>>306
当時はマケドニアによるプロパガンダが凄かったからねえ
今もそれに騙されて、ダレイオスが軍を見捨てて逃げたということを信じてる奴大勢いるし
しかもアッリアノス自身、大王の偉業を喧伝せねばという使命感で書いたわけだし
0338世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 01:57:13.370
>>44
だからその領土の「枠」がダレイオス1世の踏襲なんだよ
中国の王朝交代するみたいなものだ
始皇帝のほうが契丹・北宋を滅ぼした金の皇帝より名高いのと同じ
>>199
インドはペルシア帝国時代の行政資料があったからハイペースで進めた
その先が未知の世界だったので偵察隊を送ろうとしたら部下もびびってて拒絶されたわけ(ブリアン)
だからそのままのペースで進めるはずもなく、そこからは遅々としたものになるはず
幸運によってガンジスまで征服し、さらにシーナにまで到達したとしても、
すでに昭王の時代であり、そこで白起将軍に迎撃されてオワリだな・・・
0339世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/08(金) 18:45:19.590
ペルシャのインド統治何て貢納品受け取るだけの羈縻政策どまりで行政史料なんてあるわけないし
東征時は勝手に擁立された太守が乱立してたわけだが

そもそもペルシャの一属州レベルの規模しかない、しかもまだ青銅器時代の秦が東征軍の相手になるわけないだろ
統一時の秦ですら真っ向から勝負するのは難しいレベル
0340世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/09(土) 04:15:02.260
東征当時インドにはサトラップがいたという記述がないぞ。
タクシレスやポロスとかいう原住民の王が統治していた。
0341世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/11(月) 20:20:49.200
世の男性がヒゲを伸ばさず剃って勤めに出るようになったのは、
アレキサンダー大王のお達しがその始まりという説がある。
それが事実であるならば、全世界の床屋さんとカミソリ製造業者は、
マケドニア方面に足を向けて寝られないであろう・・・
0342世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/11(月) 21:09:40.830
ピリッポス2世筆頭にマケドニア人はヒゲ伸ばすのが一般的だったので
それはねえよ
そもそもこれはギリシャに限らずだが古代は「労働は奴隷化の第一歩」(アリストテレス)と考えれていたので
自営業者はいても奴隷でない市民に雇用者や労働者階級は存在しない
0343世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/12(火) 09:42:27.930
フィリッポスがヒゲを生やしてたのは関係なくね?
大王の時代の話だろ。
0344世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/12(火) 20:16:44.960
戦前まではみなヒゲはやしてたと思うんだが
アレキサンダー大王とか遡りすぎだろ
0345世界@名無史さん
垢版 |
2017/09/12(火) 22:29:23.410
確かにセレウコス、プトレマイオスなんかは生やしてない。
セレウコス朝、プトレマイオス朝、バクトリアの王なんかも
生やしてない王がほとんど。
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